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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.2
メッセージ数:40件

<40> ア ■2003年12月15日 月曜日 07時51分20秒
人から学校時代が一番楽しかったと聞く時、一番むかつく。どうして俺だけが楽しくないのかわびしい気持ちになる。
<39> かえで ■2003年12月11日 木曜日 20時22分49秒
同じ時間に起きて大勢の人と同じ方向に向かう。そのことが苦痛でしかたなかった。でも子供は選択できないんだよね。行くしかないのだから。
<38> ア ■2003年12月07日 日曜日 17時12分08秒
学校でいい成績とれば良かった。こんなに苦しむ事はなかったのに。勉強しろと言う変わりに勉強ができる体制を作れと俺は言いたかった。他人の成績がどれだけいいのかとしつこく言う変わりに、もっとやさしく言って欲しかった。
<37> 名前 ■2003年12月07日 日曜日 01時27分24秒
学校では男子に言われもなくいじめられた。
ただ気が強かったからってだけで。
正しいことは正しいと主張しただけだ。
ひどく傷つく事をたくさん言われて、
シャイなのに加え、男にかなり大きな不信ができた。
私、外見からもてるけど、それを使って男に恨みを返してやろうと
無意識に思っている私がいる。
男かわいそうだけど、いじめてやりたい。
<36> ア ■2003年11月29日 土曜日 12時58分30秒
学校に行ってる時は、親は俺の事なんか理解をしてくれなかった。いつも言う言葉は「みんな頑張って勉強している」「こんな成績で恥ずかしくないのか」「塾に行っている金返せ」「○○君は、○○学校校目指して頑張っている」「おまえは学校で机に座っているだけ」「弁当食べに行ってるだけ」これを繰り返し繰り返し10年いわれてきた。就職戦争のときは「血尿だすまで頑張ったのか」といわれた。俺はその言葉で疲れてしまった。
<35> 太郎 ■2003年11月23日 日曜日 18時15分39秒
学校時代は競争社会。偏差値の高い人間は優遇される。中途半端は普通かそれ以下か。中途半端な俺は、下流から中途半端に流れた俺は、適当に流された。大学さえ通ればなにも言う事はなにもないって感じ。人間感情はまったく無視された時代だった。就職試験ときは、よく親は一流企業か公務員かって言ってたけど、どちらも競争倍率は50倍は超えてた。普通の人間でも無理なのに、人間以下の俺が通るわけがない。
<34> 埴輪 ■2003年11月23日 日曜日 17時33分11秒
優等生は先生もかわいがる。
不良は、なんだかんだでかまってくれる。
私は中途半端だったので、先生がかまってくれなかった。
優等生でもなく不良でもなく。
でも、三者面談とかの事情でウチのこと話すと、態度がころっと変わる。
嘘くさいやさしさなんかいらねーよ!!!
糞だ糞!
キモイんだよ!うざってえ!
<33> 虎 ■2003年11月07日 金曜日 19時06分18秒
僕の学生生活は、周りは敵だらけ、味方なし。当然心許す人間いない。社会でても変わらず。人間不信そのもの。こうして生きているのが不思議。
<32> CD ■2003年11月07日 金曜日 18時28分18秒
学校生活なんか何もいい事なんてなかった。人の顔が成績表に見えた。人の違いなんて成績と顔ぐらい。中学の時は、親から学校に行く資格なしとまでいわれた。不登校すればよかった。無理して大学受験に全力を傾けるのではなかった。そういえば中学時代から、人と笑いあうことなんてなかった。泣く事もなかったし、笑うことなんてなかった。すべてが成績表中心の生活だった。社会に出ても数字の世界。
「やる気あるの?」とよく言われるけど、ここではっきりいわしてもらいたい。おれはやる気なんてまったくない。勉強なんてしたくもないし、仕事もしたくない。
<31> ひとみ ■2003年10月22日 水曜日 14時04分57秒
あっというまに通り過ぎていった学生時代 貴重な経験を砂のようにサラサラとタダ流していた でも今があるから今を感じられればその無駄だと思っていた
悔やまれて仕方なかった時期も意味があったな
<30> ユミ ■2003年10月18日 土曜日 05時12分04秒
私は、学校の休み時間が大嫌いだった。一人ぼっちで座っていることが多かった。人の視線がすごく気になったけど、ひたすら本に集中しようとしていた。周りの人に「大人だね」といわれたけど、出来ることなら友達とおしゃべりとかしたかった。最悪に辛かったのに、私は一日も学校を休まなかった。休めなかった。親にも誰にも相談できなかった。勉強が救いだった。でも、親は成績表の悪いところばかり見るので、どんなに頑張ってもあまり満たされなかった。だんだん勉強も手につかなくなって、朝が辛くなった。頭の中をぐるぐると考えが回り続けるようになった。こころがいつも追い詰められていた。何で誰も助けてくれなかったの?今でも、毎日ほんとに一杯いっぱいで生きている。
<29> しろん ■2003年10月18日 土曜日 02時34分06秒
親の仕事の関係で転校ばっかりしていた。引越しはいつも登校日ギリギリで、暮らす環境も学校指定の制服等も半分以上も間に合ってなかった。私はいつもマイナスからの出発で恥ずかしかった、胸が苦しかった、怖かった。疎外感、劣等感でいっぱいだった。前の学校で、まだ習ってない事ばかりで自分が馬鹿に思えた。お陰で音符は未だに読めないトラウマ。先生に相談したら「何とか頑張って」だって、分る訳ないじゃん。習ってないんだよ。でもその時の私は自分を怠け者なんだと責めた。算数だって、時速の計算でコケタ。ぶつ切りの学習じゃ混乱するよ。住所が覚えられないと先生に馬鹿にされたこともある。靴下の長さが違うと指を刺された事もある。生意気だと仲間はずれにされた事も自分の意見をはっきり言えない子だと下に扱われた事も仲間を盗ったと逆恨みされた事も今も私の記憶の中、渦を巻く。

私のスタートはいつでも誰かの都合でマイナスから始まった。孤独だった日々、ただ普通である子がどんなに羨ましかったか。誰かに守って欲しかった。つらかった。クラスメート達が妬ましかった。休み時間がきらいだった。誰にも私が孤独だと知られたくなかったから、チャイムが鳴るまで校内を歩き続けた。居場所が無かった。だから歩いた。涙をこらえて、何か用があって目的地に向っている様に他人から見られるように歩いた。班行動の時、私は透明人間だった。無理してうなずいた。虚しくてたまらなかった。学校は嫌い。学校はいつも私の心を苦しめてきた。
センコウは当てにならない。父も母もいっぱいいっぱいで当てにならない。
兄は自閉症気味になった。私はボロボロだった。
<28> およよ ■2003年10月09日 木曜日 00時53分56秒
とても、とても、キライだったこと。成績で、順位を争うこと。学校ってそんなところだけれども、とても、とても、心が傷ついた。なぜかな?トップの成績を採っただけで、皆から、浮いてしまった。私は、ちっとも変わっていないのに、周りの皆の目が変わって、とっても辛かった。

誰も、気がつかなかったけれど、とっても、つらかった。私はちっとも変わらないし、皆と同じなのに、皆離れていったような気がした・・・だから、今でも、順位を争うことが、大嫌い、勝っても負けても、どちらも心に傷をつける。そんなのいらない。だから、スポーツが一番キライ。心がひりひりする。
<27> しばわんこ ■2003年09月27日 土曜日 22時41分23秒
 いつも私はひとりだった。話しかけてくれるひともいたけど、何て答えたらいいか分からなかった。家の中では平気なのに、一歩外に出ると人が怖くて怯えてた。思い出すのは小学校の教室。私は端っこの席でひとりうつむいてた。ひざの上で両手を握り締めて、目をぎゅっとつむって、じっと耐えていた。誰も来ないで、私をいじめないで、そっとしておいて!ほんとは寂しかったんだけど、怖い気持ちのほうが勝っていた。誰か助けて。誰か助けて。寒いよ、怖いよ。
心で誰かとつながっていたい。そう思うのは今も同じ。本当の私を認めてほしい。本当の私を好きになってほしい。だけど、それにはあたしが変わらなきゃ。あたしを好きにならなきゃ。変われるかな、あたし。
<26> ひとみ ■2003年09月24日 水曜日 14時33分18秒
私にとって学校は楽しくない場所だった今思えばとてもかけがえのない時間を無駄に過ごしてしまったと後悔している 本当に二度と取り戻す事のできない時間 もっと友達と楽しく遊んで過ごせばよかった もっと色々な事に興味を持てばよかった 授業も先生の話をよく聞けばよかった 心から楽しめばよかった いつもおどおどして暗い子供だった 得意な科目は何1つなかった 体育も苦手 勉強も出来ない あの時は努力する事をしらないで過ごしていた もったいない 悔やまれて仕方ない
<25> のの ■2003年08月12日 火曜日 10時46分28秒
私は母が入院し、一人ぼっちのことが多くなってから、太り(好き放題おかしな
どを食べていたから)、髪や服の手入れもままならず(その当時はわからなかっ
た)、今写真で見るとよく理解できるけど、気持ち悪いと、クラスの子達からい
じめられた。登校拒否と自殺未遂をした。中1のとき、男子に汚いとののしられ
顔をけられたことを今でも覚えている。結局5年生くらいから、中学校もろくに
いかないまま卒業した。塾に行ってもなぜかいじめられた。スイミングスクール
でも無視された。でもそれで当たり前と思っているところがあった。
でも、自分でもその当時の自分を慰める気にはならない。だって本当に気持ち悪
いもの。
今も職場でからかわれることがある。当時とあまり状況は変わらず、30近くにな
る今まで生きてきた。
<24> T ■2003年08月11日 月曜日 00時07分47秒
あぁ、なんて疲れるんだろう。
「〜ちゃんてホント悩みがなさそうよね!うらやましい!!」
私の心の闇がばれていないことに私は安心する。
暗い子なんて友達になってくれないでしょう?
虐待されてる子なんて、引くんでしょう?
だから、ひたすら笑顔でいよう、楽しい話をしよう。
明るい私が好きなんでしょう?
あぁ、でもいつまでこの生活続ければいいの?一生?もう疲れた。
たまに一人で屋上に行って青い空見るのが幸せ。
ため息毎分20回。
あぁ、学校疲れる。
<23> S1 ■2003年08月08日 金曜日 01時52分30秒
僕にとって学校は戦場だった。
どうやって生き残るか。
自分の小さな居場所を確保するために
身を隠し、本音を押し込め、演技をする。
そんな毎日だった。

「あの頃はよかった」とか「あの頃に戻りたい」なんて感情は、
まったく共感できない。
僕にとって学校は、やはり戦場だった。
<22> M ■2003年07月26日 土曜日 10時37分21秒
男の人がこわい。いつまでも、男に攻撃的になっていたり。つまんないと思われていたり。そんな気持ちが抜けない。男がこわい。中学校の時、いじめられた。こわかった。悲しかった。私の時間を返せ! 私の時間を返せ!
<21> hmm1 ■2003年07月20日 日曜日 14時49分48秒
私は近所のおさななじみに ずーといじめられていた、田舎なので幼稚園、小学校とずーと同じクラスだったのだ。後ろからいきなりズボンを下ろされたこともあった。友達と一緒に自転車で何度もうちの家の玄関に体当たりで突っ込んできた。ガチャン、ガチャンというが何回もして、長い間その音を聞いておびえていた。母は笑ってすませていた。そのほかセクハラまがいのことをされる、いうことなすこと否定される、私は次第にクラスでも発言をひかえるようにした。今、彼は就職し、となりの市に一人暮らしをしている。休みになって実家に帰ってくると、近所であう。やつは、ひょうひょうとしたもんだ。

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This script written by Shintaro Wakayama.