ごめんなさい。いくら姉に言われてきたから、それでもこれは「怒り」に相当する言葉なのか分からなかった。怒ってもよいのか分からなかった。学校でもいじめもそう。10歳の頃から2年間の。あの頃、いじめなんて概念なくて、それでも精神奴隷のように扱われ、下ばかり向いて、ひきつった笑いばかり浮かべて、擦り寄った私だから、自分が汚いから、ずるいからと責めてきた。現実と私の感覚のずれ。そして私の感覚は笑いの対象であり、いらいらさせる何かであったので、おどおどするしかなかった。男子に髪の毛触られても、何もいえない、私だった。中学校時代は男子から足を近づけられたり、押し付けられたりしたこともあった。相手が思うことは正しく、私はいつもいじめられないようにしようとした。それでも私の思いと現実の人のずれがあり、私は何が正しいのか分からないと泣いていた。不安定であり、自分で現実が動かせる、自分の良いように動かしていいなんてそんな権利もっていいのですかという感じだった。ずるいとか、誰よりも勝ってしまうとかそういう罪悪感ともし実行したら・・優越感がまざった思いでした。だから実験を実習のときにしたと思う。子供に訳の分からないことを必死で説明し、半分は演技、相手の反応を見ていたと思う。先生にはもっとひどい。先生が好きなあるものに対して、姉が昔私によくやったように、鼻で笑った。好きなものを根本から否定されたり、ばかにされることは、すごい人に打撃を与えると思います。心の力を奪うと思う。ひどいことした。と思っている。本当に。でも私は行きたくなかったの。もう。そして何でいじめたの?今私を子供は堂々としているって言うけど、じゃあ何で私は自分存在を笑われて、ストレスの発散の犬のようにされて、それでもいじめじゃないよって言われないといけなかったの。どうして?どうしてよ。姉のひどい言葉や誰からも省みられることのなかった私。普通ちゃん演じているから。でも私には人からのストレスを発散させられることしかなかった。どうして私をいじめたの。どうして嗤ったの?どうして皆で嗤ったの?誰も居なかったの?って心で絶叫していた。ごめんなさい。先生にも子供にも関係のないことでした。私のやったことは私を家族や自分のことで不満のあるあの子と同じことをしました。あの子は子供で確かに抱えきれない問題を抱えていたかもしれない。でも私を追いやって、いじめて楽しんで、でも彼女的には友人のつもりで、つまり支配だったんだけども、ひどいと思うよ。ごめんなさい。あんなとこ行かなきゃよかった。やって後悔することもあるんですね。
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