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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.19
メッセージ数:380件

<380> ぺあ(FB注意) ■2007年07月05日 木曜日 21時31分41秒
ごめんなさい。いくら姉に言われてきたから、それでもこれは「怒り」に相当する言葉なのか分からなかった。怒ってもよいのか分からなかった。学校でもいじめもそう。10歳の頃から2年間の。あの頃、いじめなんて概念なくて、それでも精神奴隷のように扱われ、下ばかり向いて、ひきつった笑いばかり浮かべて、擦り寄った私だから、自分が汚いから、ずるいからと責めてきた。現実と私の感覚のずれ。そして私の感覚は笑いの対象であり、いらいらさせる何かであったので、おどおどするしかなかった。男子に髪の毛触られても、何もいえない、私だった。中学校時代は男子から足を近づけられたり、押し付けられたりしたこともあった。相手が思うことは正しく、私はいつもいじめられないようにしようとした。それでも私の思いと現実の人のずれがあり、私は何が正しいのか分からないと泣いていた。不安定であり、自分で現実が動かせる、自分の良いように動かしていいなんてそんな権利もっていいのですかという感じだった。ずるいとか、誰よりも勝ってしまうとかそういう罪悪感ともし実行したら・・優越感がまざった思いでした。だから実験を実習のときにしたと思う。子供に訳の分からないことを必死で説明し、半分は演技、相手の反応を見ていたと思う。先生にはもっとひどい。先生が好きなあるものに対して、姉が昔私によくやったように、鼻で笑った。好きなものを根本から否定されたり、ばかにされることは、すごい人に打撃を与えると思います。心の力を奪うと思う。ひどいことした。と思っている。本当に。でも私は行きたくなかったの。もう。そして何でいじめたの?今私を子供は堂々としているって言うけど、じゃあ何で私は自分存在を笑われて、ストレスの発散の犬のようにされて、それでもいじめじゃないよって言われないといけなかったの。どうして?どうしてよ。姉のひどい言葉や誰からも省みられることのなかった私。普通ちゃん演じているから。でも私には人からのストレスを発散させられることしかなかった。どうして私をいじめたの。どうして嗤ったの?どうして皆で嗤ったの?誰も居なかったの?って心で絶叫していた。ごめんなさい。先生にも子供にも関係のないことでした。私のやったことは私を家族や自分のことで不満のあるあの子と同じことをしました。あの子は子供で確かに抱えきれない問題を抱えていたかもしれない。でも私を追いやって、いじめて楽しんで、でも彼女的には友人のつもりで、つまり支配だったんだけども、ひどいと思うよ。ごめんなさい。あんなとこ行かなきゃよかった。やって後悔することもあるんですね。 
<379> アーネスト ■2007年07月04日 水曜日 23時00分47秒
大学受験の勉強を始めたのは高校2年の夏だったと思う。いや春だったかな・・・。よくあの頭で ―本当に今でも不思議だけど、よくあの頭で大学を目指そうと思ったと思う。文型の数科目にしか希望がなかったから、選択肢は自ずと絞られていた。国立も考えたけどすぐに、そして自然にあきらめた。

中学生の頃、「学ぶ」ということに関して関心があっただろうか?あったかもしれないが、学校に適応するだけで精一杯だったと思う。いじめられないように部活で活発に活動したり、授業を真面目に受けて教師に受け入れられるように。それでもいつも「ひとりぼっち」の感は消えなかった。ずっと「擦り寄ってくる」人を求めていたと思う。部活の顧問に掛けて貰った言葉は、今でも忘れない。状況だったのか、心理状態だったのか、その教師だったからなのかわからないが、僕の練習熱心さに本当に感銘して惚れ惚れしたという感じで「お前はいつもまじめにやっているなぁ」と言ってもらった。上から見下ろすでもなく、下からヨイショするでもなく、ごく対等に、ごく自然に・・・。乾いた砂に水が染み込んでいくように、その言葉が優しく僕の心身の中に入り込んできた。僕が教職を目指すようになったきっかけだ。

高校2年のいつだったか忘れたが、悪友のYが休み時間に机にかじりつくように勉強していた。彼が解いていたのは予備校の練習問題だった。「こんな平凡な高校に、あれほど大学受験に真剣に取り組んでいる人間がいるのか」とショックを受けた。しかも1年生まで一緒に馬鹿をやっていた友人だったからこそ尚更にショックを受けた。本当に彼との出会いは運命だったと思う。3年ではまた同じクラスになったのだ!!! 僕は勉強だけの生活というものをそれまで経験してこなかったが、彼のおかげでほんの短い期間だったが勉強に集中できた。

<378> ペア ■2007年06月28日 木曜日 23時29分04秒
学校という場所。私はずっとこだわり続けた。苦しんでいる子供を助けてあげたい一心で。そうやって正義ぶっては大人になって行ってはまた傷ついた。子供の心の不安定さが怖い。暴力をこの人には振るえる、と直感的に見抜く能力があるから。そして理性がきかないから。自分を振り返らないから。いじめられてずっと自傷をとめられなかった、周囲が私から離れた歳月。そしてTV報道されるいじめ被害者に救われた。孤独がいつしか自分が大人になった時他者への暴力へと変わる気がする。大人になるとは権限を持つこと。支配できる力を持つこと。ましてや教師なんて子供にある意味支配と権限をもち、周囲もそれを正当に認められること。だから「いい」先生は権限や支配を正当に使う。乱用したりしない。親もしかり。
<377> ペア ■2007年06月28日 木曜日 23時22分25秒
学校で私はいじめられた。いじめられる=世の中の大半の人から「認められない存在」だと言われている。汚い存在だと。世の中の「普通基準」から落っこちている、そう思った。いじめられ続けた。そして私は人に異常に心理的移入する子供であり、「お世話係」「カウンセラー役」「楽しませる役」「笑わせ役」であった。また家族の疲れて、いらいらしている不満な姿と生きていることが楽しかった自分とを比較し「罪悪感」を持つ子供だった。また家族の運営者を一緒にやって支えているつもりもあった。そんな私は不満を私にぶつけるその子の心に感情移入して、他の不満そうな子供の心にも感情移入して、いつしかいじめる子そのものになった気がする。私が私をいじめる子になった。その子たちが言う事を私自身に言っていた。自分を守るものなんてこの世に何にもなかった。普通の子供ならいじめられたら感じる「怒り」「悲しみ」「ふさぎこみ」も私は殺したと思う。そんな風に相手をにくいと思うから「私はいじめられるのだ」と。いじめる子やその他の子供、先生、親には見えない。その人らが言う事なんて「からかっているだけじゃん、だってOOOO(私のあだ名)からかいやすいもん」「弱いからいけない」「そのくらいで」。いじめる人には強者には見えないよ。そして私もその強者に心をあげた。誰もいない。私の現実は強者のもの。私の現実は心を閉じてから動くことはなかった。
<376> アーネスト ■2007年06月26日 火曜日 01時45分52秒
教養が偏っているよな〜と思う。自分の場合、ある分野は本当に好きで、趣味の感覚で取り組めるのだが、嫌いなものは本当に嫌いで生理的にだめなのである。でもほかの人にもできるんだから、俺にもできるのかな・・・?
<375> アーネスト ■2007年06月23日 土曜日 02時55分28秒
そういえば、大学に入る前専攻分野のことで悩んだ。
文学なのか語学なのか・・・その頃は結構、比較文化みたいなことに興味があった。けど結局実用性を選んで、語学にした。進路のことも視野に入れていたから。
<374> アーネスト ■2007年06月23日 土曜日 01時03分44秒
そう・・言いたかったのは、勉強というのは人のためにするものじゃない、自分のためにするものだ、ということだ。これは個人的な意見です。ずっと人のために勉強している、という意識があったのかもしれない。だから苦しかった。人のためとかあるいは成績のため・・・。今、少しずつだけど自分の楽しみのために勉強している。僕は多分、ずっと勉強することが好きだった。でも大声で「好き!」とはいえなかった。なぜなら勉強好きなヤツと思われるのが恐かったから。友達がいなさそうで根暗なヤツと思われるのが恐かったから。どれだけ勉強していても、いつも他人の目が気になった。「これだけやっているとカッコウ悪いかな」とか「これだけやっていると病気っぽいかな」とか。そういう制限を自分に加えるのは、もう止めていきたい。僕は勉強が好きだと胸を張っていえるようになりたい。
<373> アーネスト ■2007年06月23日 土曜日 00時54分56秒
学校とは何だったのだろう・・・僕にとってなんだったのだろう?社会にいた時間より学校にいた時間の方が圧倒的に長い僕にとって、そして学校を卒業してからまだ1年の僕にとって、「あそこ」にいた時間は、僕にとってなんだったのか、ずっと考えている。学校とは?勉強とは?この先、自分が本当に教育関係の仕事に就く意志があるのかどうかも確かめたい。

僕にとって学校は、機能不全家庭同様、「サバイブ」する(耐えて切り抜ける)ための場所であって、感情を感じ、生きていくための場所ではなかったような気がする。最近、語学の勉強を再開しているけど、勉強って何も、集団でつまり教室でやることだけが勉強じゃないんだろうな、という気がする。小学校から大学まで教室は勉強するところ、という感覚があったけど・・・勉強は強制されるものではなく自由意志で、やるものなのだろう。 周りの評価が恐かった僕は、一方で勉強するものの、「勉強しているだけのヤツ」と思われるのも恐かった。だからそう思われないようにするためにも、運動部に入って「活発」なフリをしていた。 学校は、確かに大事なことも教えてくれる。部活や行事などでは、人と協力することが必要で、そういうことは僕にとっては大事なことだった、と思う。しかしこと、勉強に関しては集団で行うことで、僕にとってはメリットよりデメリットの方が大きかったように思える。それを説明するのは難しいけど・・・少なくとも学校にいる間で、勉強の楽しみを感じたことは、ごく稀だったように思える。それは、僕が心の底では勉強することにカッコウ悪さや恥を感じていたからだとおもう。

今では学問の楽しみというのは、結局のところ自分の興味のあるものを突き詰めていく、知的好奇心を満たしていくことだと思っている。それは成績や評価とは無縁だ。数値化できるものじゃない。個人的な意見だが、学校の成績というのは結局のところ、より偏差値の高い学校への架け橋でしかない。別に学校教育を否定するつもりはないが、成績至上主義になれば、本当の勉強の楽しさなど偏差値や評価の陰に隠れてしまうと思う。でも今にして思えば、こうも思う。未だに学歴社会(だと僕は思う)だから、適当にそれを利用してやればよかった、と。 

大学を留年したとき、初めて文学の面白さを知った。自分がこれほど文学を好きだったことに気がつかなくて「惜しいことをした」と思った。文学を専攻しておけば良かったと思っている。実用的な語学を専攻してしまったのだ。

教える仕事に就くことに躊躇している。僕は勉強を教えたくはない。勉強することの楽しさを教えたい。そうじゃなきゃ自分がやっていて楽しくはない。
<372> ペア ■2007年06月22日 金曜日 18時21分15秒
でも、私ももしもこんな事言うのはお門違いだとわかっているけど、もしあんな実習に行かなかったらあの事件は起きなかったんじゃないかうちの家族は元通りだったんじゃないかって思っている。もちろん、家族も私を情緒不安定でおかしいって言う眼でしか見なくて、もういいや家族のことは関わらないって心の底で自己決定したから、この意地がだめだったんでしょうけど。笑っちゃうけどうちの家族の一人はもういなくなった、もうなくなった。ずっと子供の頃からおかしいと家族を思い続けたけど、それでも親が好きだった。ずっと何か問題を見ないようにやり過ごしやり過ごしここまできたっていう感じが私に自分は大人の視点でいないといけないと親を分かる自分が守らないといけないと感じてきたけど、それが何なのかさっぱり分からなかった。こう書くと「いいこ」ちゃんなのはお前だけかよってかんじがするけど。もう家族の一人はいません。私はやっと分かったことがあった。すごく実習時代の罪悪感と子供の目が怖いこと、あれさえなければという怒りと、自分はひどいことしたっていう想い。何でだろうね。私は高校時代からずっといつかこの訳の分からない世界を理解して、いつかこんなに泣くのも終わりますようにって祈ってた。でもこういう結果なんだね。笑えるよね。ほんと。悩み相談室のパーソナリティの歌ういつか悲しみの終わる日がくる、世界で一番優しい人とかいう歌を慰めにしてたけど、ほんと笑える。こういうわけで。何にもとめられなかったし、現実ってとまらないんだね、悲しみを持つ人の心にからしを塗らざるを得ない状況があるんだね。とめられない。なんかね、犯罪を犯す人の気持ちが分かるんだ。とまらなかったのかなって思うの。現実の歯車にとめさせてもらえなかったのかなって。かわいそうだと思う。こんな同情してたらまた人にすがりつかれるだけだけど。
<371> ペア ■2007年06月22日 金曜日 18時07分24秒
続き2 自分のために立ち上がれない。自分が必要なことをやろうとすると罪悪感と自分はすべての人を凌駕してしまうACの特徴を持っている私は、授業の準備をしようとすると、あの先生の上を行ってあの先生の教師人生の自信を喪失させるって思いました。その日になって他の先生の真似して学校の教室を掃除したりしたの。その日掃除しているまに授業準備もしないで。結果間に合わず。訳の分からない授業を展開。でも訳の分からないことばかり強いられてきた私にはおんなじことを子供に仕返ししている気分で私だっていつもこうだったのよって思っていた。そんな自分に自己嫌悪もしたし、私の暴力連鎖につかまらないでほしかった。過去の心の傷は癒されなかった。当たり前なんだろうけど。最終日に皆の前で挨拶したときに、私は友人が嫌いだった、コンプレックスがあった、でも今は色んな人に知り合えてよかったということを全校生徒の前で言いました。そしたらすごいの皆の目。視線。子供の視線って怖い、皆この先生頭おかしいって言う目で見るのね。私のACの特徴の人の世界観を肯定してあげねばならないが出てきて、本当に頭おかしくなった気がした。それに私のことを賛成するよって言う目で見る子供の視線もいやだった。期待しないでほしかった。結局子供を傷つけ、担当の先生もいやな想いさせた。でも私も最高級にいやな思いしか、いやもしかしたら初めからそれを望んでいたのかもしれない。姉の言うとおり、周囲の言うがままに選択したことにほんとうはNOって言ってよかったんだ。今でもそのときの子供に会うのはいやだ。近所の人も。そしてもしかしてあの担当の先生が私のせいで(大変そうだったから)そうにかなってたら私の責任なのかなって罪悪感がひどい。あの時の子供が私を見て知らん振りしたり、すごいひそひそいやな感じで見てたりしたから。
<370> ペア ■2007年06月22日 金曜日 17時55分36秒
続き だから、そっかそうしたら媚を売らないことにつながるし、コントロール利かない世界の杖にできるし、人をいじめるほうが上という教えにも合っているし(私の周囲ではこういう考えの方が優勢だった、親や兄弟に)、先生とうまくやっていけない役。やったと思う。授業をやるのも怖かった。自分の考えが少しでも入っていると「おかしい人」と思われたり評価が怖かった。それなのに先生の説明をよく聞いて、がむしゃらに頑張って他の先生の授業を予約なしに見に行ったりもした(怒られましたが)実習始まる前に担当の先生に「本気で教職取りに着たのか?それともただ資格が欲しいだけなのか?」って言われて、本気でやれって言われたのもすごく心にぐさってきたのよね。本気で出来そうもないことも頑張らないといけない。心の傷も癒すチャンスなんだって思った。ほんとに結果は最悪。最後の先生が沢山くる授業も最悪。準備できなくて子供のいじめとか見えて、そればかり頭に入ってくるし。何せ、担当の先生が私が来たことでクラスの子供が明るくなったらしく、もう俺どうしたらいいのか分からないよって私の前で言ったの。私ぐさって心に刺さったな。私が本気を出したらこの先生を凌駕してこの先生の教師人生に自信を失わせるって本気で思ったから。
<369> ペア ■2007年06月22日 金曜日 17時47分22秒
実際に行く前。私は大人になっていたかった、だから無理に彼氏なんて作ったりして、一応恋愛経験もあることにしたかったんだ。子供から大人として見られるように。実際に行くと、子供の理性の利かないあの暴力スイッチを弱者を見たら発動させそうな感じとか、なんかとにかくやっぱり訳の分からない自分ではコントロールきかないあの世界にほんとにやっぱり怖かった。生徒が私に向かって言った。OO先生あの先生のことむかつくおやじだと思ったでしょって。そのとき私の中でああ!そっか私は担当の先生と仲の悪い先生役をしたらいいんじゃないかって思ったの。自分のわけの分からない状況のコントロールするために杖を作れたと思った。また、担当の先生とうまくいったらそれは先生にうまく取り繕っている人のようで、昔大人に媚売るのがうまかった私のことを子供がよくいじめた。きっと媚売りうまいからいじめるんだろうって思ってたし、そんな自分を汚らしい存在だと心から思っていた。
<368> ペア ■2007年06月22日 金曜日 17時41分14秒
大学時代過去自分に何が起きていたのかを知ろうとしてそして過去の傷が癒されない限り、私は先に進んで、まともな大人になれないとずっと思っていた。だから、教育実習に行くことは過去に起きた訳の分からないままのあの環境を大人の目で見ることができるチャンスなんだって思った。でも、行く前、ほんとに怖くなってきて、母によく何で私って不登校できなかったんだろうって聞いてた。私はほんとは学校なんて行きたくなかったと。
<367> ペア ■2007年06月22日 金曜日 17時38分32秒
教育実習に行った。姉が四大出ていて取れるものは取ったらとか、教職位持たないと大学行った意味はないって言うから。それから彼女の経験として、高校時代教育実習にきた先生が来たほうが勉強になるよって言ったかららしい。でもそれって彼女の経験なのだ。なのに私は昔から姉の言う事は絶対だった。世間足らずなのは、自分。姉はいつも私の中では人生の先導いっている人。正しい人だった。
<366> アーネスト ■2007年06月21日 木曜日 02時13分02秒
学生時代、なぜ勉強意外のことにあれだけのめり込んでいたのか・・・理由を考えてみたら、その一つに「がり勉と思われるのを恐れていたから」というのが浮かんできた。実際、大学の周りの友達は、単位の取れそうな楽な授業を集中的に取っていたし、皆勤するほうが「まじめだねぇ」と言われるくらいだった。それから大学に入ったら、自分の専攻分野では、「上には上がいる」ことを知った。今にして思えば、全国から集まってくるのが大学なのだから、落ち込んでも仕方ないことだが、僕はショックを受けていただけでなく、その事実やショック自体、否認していた。「まじめ」と言われようが、自分が好きな勉強なら、周りの評価を気にせず、やればよかったのだが、当時は恐くてしなかった。そのことは、かなり後悔している。いったい、なんのために大学にいったのだ?と。

自分より上を見て、呆然としたり、あるいはがり勉と見られるのを恐れたことで、ずいぶんと軌道からずれてしまった。がり勉を恐れるということで言えば、もう中学のころから始まっていた、と思う。僕は部活動の方にも精を出していた。今、思えばそっちの活動が好きというより「勉強だけしてるつまらないヤツ」と思われるのが恐かったんだと思う。そうなりそうな自分を認められなかったし、実際、勉強ばかりで部活動をしない人を見ると、心のなかで軽蔑していた。「文武両道だ」とえらそうなことを言っていたが、結局どっちも立てることはできなかった・・・。なぜだか両立することに、ものすごいとらわれがあって、部活動の方をセーブするということができなかった。

今少しづつだけど勉強することに喜びや楽しみを感じている。僕が恐れていたのは「勉強」と言う言葉が持つ「堅苦しい」とか「まじめ」とかいったイメージだったと思う。今、僕にとっては好きなことを自分のペースで勉強する楽しみがある。
<365> アーネスト ■2007年06月19日 火曜日 02時07分19秒
学校で僕が学んだことは、 ―大人として生きていく― という意味においては学んだことが何もなかったように思う。そのことはこの年になるまで気付かなかったから腹が立つ。途中で気付いたらたぶん学校通いは止めていたかもしれない。教師は正しいことをすることを教えはしたが、間違った時どう正すかは教えてくれなかった。そんな僕も子どもと関わる仕事に就いたがきついのは当然だった。僕のチャイルドウィズインは途方もなく傷ついていて無邪気さを失ってしまっているから、禁じてしまったから、子どもの無邪気さを見るのは死ぬほど苦しいことだった。それは働く前から気付いていた。でも止められない。いつかできる日が来る、と信じている自分がいて、それは今あるものに自分を合わせる生き方とは違うから、やっぱり苦しい。
<364> maasan=とら ■2007年03月12日 月曜日 17時03分26秒
<幼稚園時代>
自分は自分の世界を持っていた。対人関係は適当で、ダイヤブロックで、ロケットや宇宙船艦ばかり作ってた。家でも、幼稚園でもそればかりやってた。友達づきあいはあまり意識していない。自分の世界の中さえいれば、それで満足だし、ただ女の子にもてたいという意識は5歳にしてあった(笑)。あるとき、ある女の子が男の子にキスしてた。俺もして欲しい目で訴えると頬にキスしてくれた。これが、ファーストキス?にちかいものだった。まあ、自分自身というものがこの年にしてあったのかなあ。家族に対しては距離をとったし、先生たちからもいい子だと思われていたみたい。まあ、ハンパツシンが無かったわけじゃないが、じっと耐えて、にこにこしてやりすごしてた。今のインナーチャイルドの原型かな。ただ、あるとき、ひらがなの練習をしていて鏡文字を書いてしまった。それが、俺の好きだった女の先生に見られ、皆の前で、馬鹿にし、怒った。俺はかなりショックを受けた。こんな仕打ちないよ。でもね、俺、泣けなかった。で、小学校へ上がることに恐怖を覚えた。今思うと、女性恐怖と対人恐怖症はこれが原因だったと思う。
好きな先生に馬鹿にされたくないよ。すごく失望した。今、涙が出る。先生は20代、新米、たぶん、ミスだったんだろうな。俺は率先しないタイプだったから、目をつけられた。運動会のときに背が一番高いと言うことで、プラカードを持たされ、いやいや歩かされた。勘弁して欲しい。泣きたかったよ。泣きながらやったけ。むちゃくちゃだよ。先生のやることなすこと。俺の気持ちを考えろ!!!!そんなご幼少でした。
<363> 【お知らせ】 ■2007年03月10日 土曜日 18時33分35秒
3月5日のHN「ミラノコレクション」さんの書き込みは、実在の外部自助グループおよびそのメンバーを名指しで挑発する表現が含まれており、サイトおよび外部の安全を脅かすものと判断したため、削除させていただきました。
悪しからずご了承ください

管理人・蔦吉
<362> ayako ■2007年01月22日 月曜日 21時28分54秒
冬ソナの放送が始まり、はまりつつ何故こんなにこのドラマに惹かれるんだろうと考えた。淡い苦い初恋の思い出がベースだからだと結果が出た。私には初恋と呼べる物はない。ずっとイジメられてたから。男子は汚いとしか思えずにいたからもっぱらアニメや漫画の男の子が好きだった。今から考えたら私も好きな男子と付き合ってデートの一つでもしてみたかった…ドラマのOPの映像を見ると凄く楽しそうで、胸がキュンとして羨ましい。普通の人は青春の思い出はあるんだろうな…学校は閉鎖的で小さな世界だけどその中で楽しくやれる人はやれる。私はやれなかったけど。失った時間は取り戻せない、私は10代に帰れないのだ。その時間も含めて自分を受け入れて行かねばならない。本来経験出来る事がその時出来なかった自分は可哀想だと思う。ならばこれから経験すれば良いのだろう…冬ソナみたいな恋愛の相手見付かると良いけど
<361> アーネスト ■2006年12月28日 木曜日 00時43分36秒
苦しいから書く。

8歳くらいから、中程度に(とあえて記す)算数ができなくて、父親に見てもらっていた。彼は言った。「わからないところがあったら、もってこい」と。しかし、もっていくと、「どうしてこんなことがわからないんだ」とか「どうしてそういう答えになるんだ」と責められた。だったらどこで躓いたか教えて欲しかったのに・・・わからないから聞いているのに、つまりわからないことが前提になっているのに、(あるいは、前提として受け入れてもらっている、と言ってもいい)、その前提を覆された。ダブルバインドだ。「わからないことは、質問しなさい。ただし、わからないことがあってはいけないよ」という。

それから、それに輪をかけるような大混乱があった。中学にあがって塾に通うようになると、性格上の欠点が顔を出し始めた。わからないことがあっても聞かなかった。というか、そもそもわからないところを、なくすことが大事なのだと思った。それも自分ひとりの力で。

一方では質問しないと怒られるという強迫観念に駆られ、一方では、わからないことがあってはならない、というわけのわからない状況におかれた。

まず疑問を認めなくなり、しかし質問はするというわけの分からない状況だ。

今でも「わからないことがあれば遠慮なく聞きなさい」というせりふを聞くと、半分信じられない。

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This script written by Shintaro Wakayama.