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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.16
メッセージ数:320件

<320> どん ■2006年04月09日 日曜日 17時19分09秒
見下しあいの場だった。小学生までは見下せる人がいた。私はリーダー格の人と見下す相手とでは相当態度が違っている。今でもそうだ。そんな自分は大嫌い。高校生の時見下せる人がいなかった。私が一番下だった。
私は誰かに見下される為に生まれてきたんだ。って思った。江戸時代でいえばえた、ひにん。そういう役割も必要だって。たしかにそうだ。でも一番辛かった高校時代。むりやり強いふりしてがんばってた。心に嘘ばかりついていた。
<319> かすみ ■2006年04月08日 土曜日 22時51分14秒
先生に傷つけられ、友達に苛められ、学校は親が愛してくれないと自尊心のかけらも残らない所だ。
何も感じないようにしていたっけ。
答えたり、言い返したりすると馬鹿と一緒になってしまう気がして。
だけど、黙っているだけだから負けていたなあ。
体が緊張したままだったなあ、何日も。
<318> なきむしっこ ■2006年04月05日 水曜日 11時33分58秒
学校での小学校5年、6年のあの頃。私の心誰も聞いてくれない。私の心は泣いているのにそれなのに現実だけが過ぎていく。
私の歯車と現実の歯車のかみあわなさ。神様が私に少しいたずらしているんだと思った日々。現実感がまったくなく、自分は他人のなすがままになっていた頃。
他人がいじめではない、ただからかっているだけだ。って言えば、そう思わないとと思い、こんな事で傷つく私が悪い。いつも私は学校でからかわれてはいじめられる方だったから私は前世でよっぽど悪い事したんだな〜って思ってた。私が悪いんだと思ってた。だって家でも笑われ者だったからね。私はいじめられやすいそういう性格なんだって思うほかなかった。
今でも何かしたやりたいって気持ちはある。今ならはっきりと分かるの。私だって殺人者になってたかもしれない。いや今だって飛び出したいなにかを持っていて、飛び出すためには自傷するか過食症になるか、電車でパニック障害起こすか、人をめっためったにいじめぬいてその人を実際にはころさなくてもその人の魂をめったざしにして、自尊心を骨抜きのようにしてやって精神病院に入れてやってもいいくらいに思ったりもするの。
それくらい心に痛みも正解でなければならないまくも張り続けているの。
<317> なきむしっこ ■2006年04月01日 土曜日 22時25分09秒
 教育実習に行った事。
すごくイヤな思い出になってしまった。私は学校の中にいると人の感情が分かりすぎてしかも何だか恐くて昔の思い出自分の弱さがむき出しにされて評価されるようでいじめられるようで弱いところを見せるといじめられるようで
、杖を作ろうと思った。その杖は担当の先生と仲悪くなることだった。
何でそんな事考えてしまったのかというと、不安でどうしたらこの場を切り抜けられるかでいっぱいだった(そのときは把握していなかった)私にある子がきて(実はこの子私恐かった、子ども特有の感情の強い子でいじめっこっぽかったし、人の弱みすぐに反応する感じの子どもだったから)「先生、あの先生(担当の人)の事むかつくじじいだと思ってるでしょ〜」って言ったの。そしたら、私の感情が「そっか〜そうだよなその手があった」なんて思ってしまったの。
きっとおかしいと思う。でも私は昔自分の感情(いつも人と何となく歯車が合わずに居場所がどこにもないと思いつづけてそれでもやっとの事で中学にまできた私の感情)にぴったりだった「自分を汚く劣って思える」占いを信じたように、あの時もその子どもの言葉にそうだ!なんて思ったんだよね。これだよ。って。担当の先生の仲悪くなるって決めたのは、そのほうが学校の大勢にたなびいていないようで格好いいと思ったから。そして、いつも大人とうまくやる私の事を自分自身が汚いと思っていたから、だから私はいじめられるんだ、私はあの子の言うように「ずるい存在だから」「汚い存在だから」って思い続けた。自分のために生きてもいいって心から思えなかったの。自分のためにいい大学に入りたいから一生懸命勉強する事も「ずるい」事だった。あさましい、汚い、元々私はずるいのに更にずるく人よりも生きやすく生きるのかって思った。世渡り上手だってある占いで書いてある事もいつも周りの子どもにむかつかせてしまうのも、いらいら、だんだん私と付き合ううちになるのも全部私のせい私がそうさせるんだって思った。NOOOOOさんが言うように私はただでさえずるいんだって思った。おねえちゃんだって何だか不幸そう、いつもいらいらそれも私には本当に理解できずに、だって私は生きているだけで嬉しかったから、何だかいつも自分のせいだと思っていた。いつも私の周りには5月あたりから私の本性を見抜いていらいらをぶつけたり私をいじめるのを自然とするようなやつらばかりだった。今でも子どもにはなめられてしまう傾向にあると思う。それに今思い出したんだけど、5月とか6月とかが恐いの。私がばれてしまう月だったから、学校でね。私の本性を分かればみんな私をばかにした。過去の家族の話をしたり、いじめの話をしたある友人にはそれってほんとにばかにしているの?そんなに気にしなくても言っているほどみんなばかにしていないからって言われた。でも私は悲しかった、何度も言われたことが。私には理解できなくて、でもそのまま何もないようにして通り過ぎて何とか理解できない事を飲み込もうとしてきたから、心が壊れてしまった。
だから教育実習である意味「強者」の立場に立てたときに、子どものどこを言えばその子の人格がめっためったになるくらい傷つくかとか、その子どもの夢を傷つけられるかとか自然な気持ちで考えていた。
そしてそんな私を私が恐怖したのよね。
そしてね担当の先生に過去にされてきた侮辱的な態度をとったの。姉にされてきた人の夢とかばかげた事かもしんないけども大切な小さなことを打ち砕かれたり、自分でも笑ってしまうようになる事を私はその先生にしてしまったの。そしたら勇気あるじゃん?それできたら反抗児みたいでかっこいいじゃん?どうせあの時だってどんなに私がいやだって思ってもいじめられた。いじめはやまなかった。汚い男子からは髪の毛とか触られた。中学校のあがってやっと友達できると思ったのに、共依存のような人としか関係作れなかった。どうせどうせどうせどんなに頑張っても私は自分を笑われるだけだともう思ったから、ならば自分はどうせずるくて汚い世渡り上手らしいから、じゃあいいじゃん?自分の納得できなかった事を今強者になったんだから、3週間の間だししようと思った。そしてその結果いつも罪悪感になやまされた。でも途中でもうわけわからなくなった。子どもには傷つけたくないと思ったけども、それでも自分が恐かった。不安な日は前の夜に池田小学校の犯人みたいに子どもを包丁で追い回してしまう想像を何度もした。それくらい私は自分の中に暴力性を抱えてしまったのだ。
結局その先生に最後の日に子どもの前でめちゃめちゃ言われて、今まで我慢してきたけども表現したいならば口でしろって職員室まで追ってきて怒鳴られた。心が乖離したの。子どもの前で怒鳴られたときに身体から心が抜けちゃって上から見ている感じになって「ああ子どもの前なのに」って思ったの。でも「あ〜あどうせやっぱこうなった。子どもの時からほんと学校ってやな思いしか結局私にくれないよね」って思ったけども心の奥底では自分の侮辱されたこと同じ事をしてこういう反応ならばやっぱり私の怒りはいいんじゃんっていう思いもあった。
終わってからひとつ思ったのは私はある種恨みで学校への恨みで教職課程を取っていた事、そしていつも興味ない思いも殺していた事、教育実習に行って子ども時代の悲しみを清算すれば前に進めるかもしれないという思いとあの占いにしがみついていた事、変な事をすれば目立てるかもしれない、そしてその事はずっと目立てなかった寂しい子どもの私の積年の思いを癒してくれるかもしれないって思い続けたことは全部違ったんだなあって思った。ずっとこのポールさえ越せばつまり教育実習っていうポールさえ通過すれば何か越えられると勘違いし続けたけども(それは子ども時代の悲しみとか思いのある意味多くを占めていて)、そんな事なんでしているんだろうって思った。楽しい事してもよかったのにねって思った、何だか大学時代もしかしてもったいなかったのかもしれない。
<316> コデリア ■2006年03月17日 金曜日 19時01分28秒
いままで、ずっとあった違和感。
わたしはいつも他の友達と比べてた。
わたしの家庭環境と、
相手の家庭環境を。
それで、いつしか恐怖を持ってる。

わたしはずっと比べてた。なんのために学校行ったの?_比べるためだった。
わたしは悲しさや孤独や見棄てられてることを覆い隠すくらいに、
友達の家族の会話を聞いた。聞いてる間は嘘でも、聞けて楽しい、と自分に言い聞かせた。今思うと、羨ましかったとか、幻想を抱いてた、家をけなしたかったとか、ああ家は他と違うわ、わたし不運、なんていうように被害者に浸っていたんだろうと思う。  似ている環境の友達を探すのに必死だった。
いたとしても、全てがおなじではなかった。
やっとわかった。わたしの周りであったっこと、そこから受けた感情、が全く同じなんてありえない。
<315> 無 ■2006年02月27日 月曜日 12時47分40秒
学んだところで最初から未来なんかなかった。

孤独が幸福をはこんでくる
<314> ☆ ■2006年02月23日 木曜日 07時31分35秒
今でもたまに思い出すことがあります。
冬の通学路。雪がたくさん残っていて、
長靴を履いていても、足がとっても冷たかった。
痛かった。

一年生だった私は、上級生に手を握られ、
約1.5kmの距離を歩かなければならなかった。
通学団の中には、3つ上の姉がいた。
姉は私と歩くのを嫌がった。
一年生の中で、誰と手を繋ぐかで、
いつも私が残されてた。

だって、何を話していいのかわからんもん。
私はとても無口な子どもだったと思う。
話すことが、恐いと思った。
他の子は、楽しく話をしている。
あんな風に出来たらいいのに、と思っていた。

足が痛くて痛くて、私は泣いていた。
手を繋いでいた人からは、どうしたの?ときかれても
それが言えなかった。
冷え性の私は、本当に足が冷え切っていた。
お姉ちゃんが助けてくれればいいのに。
助けてくれるのはお姉ちゃんだけだと思ってた。

その後、お姉ちゃんが私のところに来てくれたのかどうかは
思い出せない。
やっと学校に着いて、同じ学年の子が
どうして泣いとったん?と聞いてきた。
私は恥ずかしかったが、足が痛かったで、と答えた。
すると、なんでそんなことで泣いとるのーとバカにされた。

だって本当に痛かったんやもん。どうしてそんなこと言うの。
<313> なきむしっこ ■2006年02月20日 月曜日 22時54分15秒
学校の状況が時々悲しく思い出す。時には自分の惨めな姿も一緒に。汚い私。周囲のきれいな女の子たち。気の強い子達、うらやましくてずっとおいつづけた子達。
 実習でさえも悲しい思い出に変わってしまった。今度は大々的にハブみたいにされてしまった。もしくはひかれてしまったのだ、乖離するぐらい怒鳴られた。心のつきささったとげをすべて私の責任にして生きてきた。だって、私はあの子よりも親に恵まれているから、私は恵まれているから、私は甘やかされているから、ずっと自分がこの状況をうんでいるんだって思い続けた。何やってもうまくいかないから占いにもはまって、生まれつきの運勢のせいにもした。
 いじめ、笑われ者、決まったからかわれ役、自分の好きな人が男女問わずできない事、そして寂しい事。
 それをすべて大学にかけた、勉強にかけた。そして半分復讐の思いで望んだ教育実習で私は担当の先生にばかにする態度を取った。それは昔家庭の中で姉に取られた態度、学校時代にされてきた事、そしてサークルでされた事だった。
権力者に立ったと思い込んだ私がしたのは、今こそ実験してしまえ!あんな態度とられても私はおこっても良かったのかを他の人に試したかった。私はものすごい絶望したのに、周りは「そんくらいで、なにまじになってんの?」とか、そのくらいで普通はおこらないとか、逆に馬鹿にされ続けたから。
それを信じたのだ。後は、学校時代に言われ続けた気の弱いとこを直したくて・・・・
でもそんなことしたらその先生に最終日に子どもの前で怒鳴られた。心は半分乖離していた。
私は何を信じればよかった?何やってもうまくいかなかった子ども時代がよぎるよ。寂しい。。。。。。ずっとずっとずっとずっと心の痛みはとりにくい。
私はやっぱりばかなの?嫌なことされて、頑張って、その人たちの「そんなことで・・」という世間の常識を信じて、そして何よりも肯定されなかった子どもの頃の私の評価、「おとなしい」「気が弱い」を克服したくて頑張った。うるさくて明るくて気の強い人を演じた。いやな事を笑って演じていたのと同じだね。
お母さんはいる。わがままな幼稚な母の母のつもりでおごっていた私もいる。ボランティア精神旺盛なばかな私もいる。。。。。。。。
でも本当は見返りがほしかった。私を愛して、お姉ちゃんよりも。私を好きになって。私の友達になって。私を上にいかせて。私を認めて。
 何を信じてもだめだよね。。。。。。。。。。
好きな人がいても勇気が出ない。
<312> わんこ ■2006年02月18日 土曜日 16時41分44秒

人って集団になるとなにも悪い事していない子をいじめ始める。1対1なら普通 なのにね。体型の事、ばい菌扱い、フォークダンスで相手してもらえないなど  集団意識って嫌だね。  
<311> 牡丹 ■2006年02月18日 土曜日 10時22分30秒
今日、学校の卒業式。もう始まる。
私は、卒業式に出たい気持ちと、出たくない気持ち、両方あった。
出たいと思うのは、義務だと思ってしまうから。義務を果たさないと、非難されるため。出たくないのは、最後の最後まで偽りたくなかったから・・。最後は、本当の私に近づいていたいから。これが、選んだ答え。仮に無理をして、学校に行ったら、私はいつもと同じ偽りでい続けることをしているんだ。と思う。だから、少しでも、私は本当の気持ちに近づいていたい。

周りの子、何かに恐怖を感じているわけでなく、無理をしているわけでもない。のびのびしている。 私は家族の秘密をばらさないことで、いっぱいだった。自ら友達を作る暇もなかった。
それでも、仲良く明るく話してくれた心の広いお友達がいた。__会いたかった。いつか、メールしよう。
なぜ、今日欠席したのか。それは、話す時がなくても、あっても、頭の中を動かすことができないから。むなしいから・・・。
見守ってくださったみんな、ごめんなさい。ありがとう。
<310> アーネスト ■2006年02月06日 月曜日 22時46分11秒
中学のとき、担任からとあるいじめられている子の味方というか世話になってほしい、みたいなことを言われたのか、自分から率先してやったのか覚えてないが、引き受けた(こういう自分にできそうもないことを引き受けることにすごく問題がある)。ところが見舞いにいくだけで、実際に彼が教室でいじめられているの黙認していた。

それが今朝夢ででてきた。うなされる、という感じではなかった(それがせめてもの救い)私が教師なのに、彼は私の設定、だと思う。彼はクラスメートに、鉄棒に縛り付けられて、何回も坂あがりをさせられていた。

神様に言われたような気がした。「それでもお前は教師になるのか?」と。
<309> レイカ ■2006年02月06日 月曜日 10時17分55秒
私は小学校の記憶があまりない。
幼稚園の記憶は全くない。
喘息で入退院を繰り返していたが、三日くらいしか入院しないからそんな日数は多くない。
けど、よくわざと入院出来るようにヒドそうに見せかけてた。
4・5年の担任はいい先生だったけど、顔しか覚えてない。
家は社宅でいじめがひどかった。
順番にいじめられていた。
でも私は他の人に順番が回ったらこっそり家に遊びに行っていた。
学校でも一人の男の子にいじめられていた。
お腹をハサミで刺されたのは覚えてる。
それでなのか、作文に自殺したいって書いたらしい。書いた記憶はないが書いたらしいことは覚えてる。
で、先生が考えた結果、「引っ越します」って嘘の発表をした。
何の意図があったのかよく覚えてない。
結局5年で引っ越した。
引越し先はもっと最悪だった。
新興マンション一号なので、5人ほど転向したが、みんないじめられた。
そんな人たちと進学したくなかったので私立を受けた。
最初の塾は最悪。私は男の人が嫌いだった。
男の先生で、嫌だったから反抗して、「君なんかが受かるわけない」とも言われた。
次の塾は楽しかった。バラバラな個性でも同じ目標を持つ。
先生は男の人ばかりだったけど、楽しかった。
人生で一番勉強した時代。
けど具体的な記憶は全然ない。

結婚し、子供が2歳になった最近、少し自分のことを思い出して来た。
私がネガティブになったきっかけ。
自己否定のきっかけ。
自分の中に違う自分が生まれたきっかけ。

でもまだ虚言ばかりの自分は理解できていない。

この春、心理学科の大学に入学します。
自分の道を見失っている自分と、パニック障害の母親を理解できない自分を研究するためです。
人に優しく、人のために生きたい。
そのための道を探したくて。

そして、小学校以来全くやらなかった勉強を自分の意思でやりたい。
私は何のために生まれたのか、まだわからないから。
<308> なきむしっこ ■2006年01月26日 木曜日 18時55分04秒
そして、私は塾の方が雲泥の差で好きだった。
塾の先生は社会経験がいろいろあっておもしろいんだもん。
学校では生活、性格、この先の事、勉強どれも評価され、本当にイヤだった。
明るくなれ、男勝りになれ、勉強できるようになれ、おとなしくない子になれ。
私はいつも自分の暗さがいやだったと思う。まじめって言われ続けたから。
性格まで評価する事のない場所に逃げたかった。一人の人間として向き合ってほしかった。
あなたはあなたでいいよって言ってほしかった。
でも私にはいつもからかう友達と納得行く事が一つもないことだらけ。そして大人たちからの「おとなしい」「もっと意見言いなさい」親からの「あんたは気が弱い。あんたは言えない。あの子のほうが明るい。あの子のほうが男子と仲良い」
 一つも自分の星を自分で動かせない気分だった。
 恋人の前で頑張っていた、いつも。私のままだったらきっと話してもつまらないよね。頭悪いし、機転のきく話もできないし。
 でも留学生の人と恋愛して分かったのは、明るい事だけがいいことじゃないんだって事。おとなしい人が好きって言われた。私は明るいともいわれた。
 私はずっとあなたはあなたでいいって言われたかったんだと思う。いつも評価しかなかったから。ずっとずっと私のままで生きられる場所を探していた。そして、人の言葉を聴きすぎたおかげで本当に傷ついた。
 私にとって子ども時代ってそういう評価の時代だった。いつも寂しかった。
 これからもう忘れてしまうだろう。子ども時代のあの痛みを。。
<307> なきむしっこ ■2006年01月26日 木曜日 18時44分59秒
 私は学校が本当に好きになれなかった。
なのに学校についての研究をしようとしている。見ている視点が狭いのかもしれない。
 学校は憎い。
 学校では感情も普通なこともときにいじめの対象になるから。
 でも学校に通う子どもが幸せになれるようにと考えるのはまたもや私のお節介なのでしょう。
 学校。どんなに頑張っても私には辛い思い出しかないのだ。学校。学校なんて崩壊してしまえ。学校。あの場所にいた私はいつも穴にあったら入りたいくらい恥ずかしくて怖かった。
 普通ではない場所。あんな場所をどうしてみんな笑って過ごせているの?
<306> なきむしっこ ■2006年01月26日 木曜日 18時38分58秒
 自分の母校である中学校で教育実習をしてきました。
私は学校では常に成績表に「協調性があります」「おとなしいです」「もっと自分の意見を言いましょう」と書かれてきた。
 私はいつもおとなしくて、意見が言えなくて。そんな自分が嫌いだった。
学校では、いつも苛められ役になるしかなかった。いつもどこかからかわれるのだ。一度そういう役になると、エスカレートしていった。
 「OOさん、らりってる〜」とか言われた。ちょっとした事も傷ついた。いつもそうだったから、私は自分のせいだと思い続けた。自分が先生の期待を読み取れる事も、どんな人とも適当にうまく合わせられる事が、大人の処世術をこなせているようで、それもいじめられる、妬まれる原因かと思っていた。だから、自分の能力が発揮できないようにしていた。
 教育実習のとき、23歳になっていても、私にはそういう意識を引きずり続けた。
 私はおとなしいからいけない。私は自分の意見を言えないからいけない。それとあいまって中学校時代に見たパソコンでの占いにまでのめりこんでいて、その占いも信じていたから。。。。
 教育実習で私は担当の先生のいう事すべて聞いていた。その通りにやらないといけないと思った。
 授業で自分の世界を生徒にひけらかすのが本当に怖かった。本当の私を見ないでほしいと思っていた。
 生徒同士の関係がよく分かった。そして、何よりも始めて知った障害を持つ子。その子に対するいじめを見た。いじめていた子も掃除の時間はしっかりと掃除をするいい子だった。その子のお母さんが過保護っぽくて、その子はいつも疲れているようだった。その子は、障害のある子のほっぺをぺちぺちたたいては笑っていた。
 私は時間ぎりぎりでしか何事もできなかった。
 しかも、あまりに不安定で怖かったので、自分のこの状況を支配したくて、コントロールしたくて、自分の中で打ち立てた。「担当教官と仲悪くなる」っていう事を。
 そして、昔から「おとなしい」「意見を言わない」と先生、大人から言われ続けたから、それと逆になるようにした。
 研究授業の前日まで、研究授業の案を書き終わらずにいた。その先生はお子さんがいたから、早く帰らないといけなかった。
 そういわれていた。
 それなのに私はその先生を10時近くまで残らせた。その先生のイライラが私にまで伝わって、手が震えて何もできなくなってしまったのよ。
 その先生が私に「子どもはあなたを守ろうとしているんだよ、いいな〜」とかその先生の前では子どもはものすごく静かになってしまうので「あなたの前では子どもはにぎやかになる。どうやって子どもを扱ったらいいのか分からない」とか嘆かれて、私はまたもや自分をずるいとか思ったし、この先生よりも授業うまくできてしまったら、この先生を自信喪失させてしまうのではないか?などと自分の能力を発揮しないようにしていた。
 担当の先生は最終日に前日帰りが遅くなったのにキレていて、私の前で「そんなんじゃ子どもには分からない!今の授業で分かった人手あげて」と子どもに手をあげさせた。
 で、研究授業の前に職員室で「それじゃ研究授業失敗するよ」と怒鳴りつけた。
 朝お別れの放送で私は思わず昔の話をしてしまった。そしたら子どもの目が変わった。「何この先生精神状態おかしいんじゃない?」みたいな目になってんの。子どもは本当に不躾だわ。
 先生は、「あなた先生にならないで民間に行くっていったよね?そんなんじゃ絶対に失敗するよ」とも言われた。「始めてなんですよ。あなたのような実習生」だって。
 学校という社会。
 あるルールの働く社会。
 そこでいじめがあっても大勢の意見に逆らわない方がいい。そこには強固なルールがあって。障害を持つあの子もいじめの標的だった。みんな同じ見方しかできない。子どもはストレスたまりまくっていた。
 私はあの学校で本当にいろんなことに傷ついた。あの場所に行きたくない、今も。
 学校って何なんだろうね?今も分からない。素直になれなかった場所。私が普通でいればばかにされ、いやな思いしかさせられなかった場所だ。
 大学に来て、一回社会に出て、24歳になって楽になれた。
 私には今もわかんない。
 うるさい男子も怒鳴りつける男子もいやだった。セクハラみたいな事はされた。女の子にはいつももたれかかられる役だった。しかもいいようにしか扱われないし。
 先生としていってもまだ分からない。正義の通じない場所。重い場所。だいっきらいな場所。苦痛な場所。いろんな目がある場所。
 学校で苛められる子どもは悲惨だと思う。その後の人生でいじめた人は全く覚えていないから。お咎めないから。
 学校時代の同級生と仲良くできるなんて私にはありえない。むかつく思い出ばかりだもの。あの地元も学校も今でも憎い。私を評価していた大人たちも今でも憎い。
 こんな私は心が狭いのでしょうか?
 敬意も示されない、汚らしい嫌な、もう一生あんな場所に戻りたくないくらい学校が嫌いだ。
<305> ひこうき ■2006年01月13日 金曜日 01時22分48秒
中学で臨時講師をした。
中学生とじゃれてるのは楽しかった。
私は3年の副担だったから、担任の先生に私の受験の話しをHRの時間にするように言われた。それでもう忘れていた中学時代の自分を生徒達の顔を見ながら思い出した。勇気を出して「けっこう悲しい話しなんだけど聞いてくれる?」っていうところから話しはじめた。私は第一志望の高校に落ちたこと、進学した高校は好きだったけど遠距離通学で辛かったこと、その時チカンにあって嫌な思いもしたこと。大学受験は望む所に行きたくてものすごく努力したこと。洗いざらい話した。後で生徒に冷やかされるかも?っていう心配もあったけど、実際には生徒からの冷やかしはなく静かにあたたかく受け入れてくれた。嬉しかった。(でもチカンについては男子に「先生とつきあってた奴は何をしてたんだ。オレやったら許せん。」とか「もうチカンされないように注意してね。」とか後々まで言われた。)
ほんと大変だったけど終わってみたら楽しかったな。
正直、私は先生になりたいと思ったことは今まで一度もない。
ただなりゆきでここまできた。
私には絵しかない。
生きていくこと。お金を得ること。その為の仕事。
でもそれだけじゃない。
今まで生きてきたこと皆ひっくるめてこれでよかったんだ。って思えた。

中学生と話してると、私は中学生の頃の私と変わっていないことに気付く。
でも決定的に違うこともある。
今の私があるのは10代の私のおかげだって思う。

学校の廊下を歩いてたら、次の角を曲がったら、あの頃の私に会えるような気もした。
彼女に「ありがとう。」って言いたい。
「今は辛いやろうけど、おかげで後々助かったよ。ありがとうね。」
<304> chihi ■2006年01月06日 金曜日 14時51分42秒
私はなんだ!!モルモット扱いか
ミミズを食べさせるやつがどこにいる
<303> なきむしっこ ■2005年12月27日 火曜日 00時39分12秒
学校が恐ろしかった。不意に来る女の子の意地悪。
怖くて怖くて怖くてたまらなかった。自分のほんとの姿が見破られそうで。
ほんとの姿は、自分は大人のつもりだった。大人の私。何でも分かっている気持ち悪い女。性的なものもすでに持ち合わせている女だった。
 私は誰ですか??ロズウェルってドラマで、エイリアンである子どもが親に対して、隠し続けるという場面がでてくるが、私もそう思ってたよ、どこかで。私は自分は子どもの姿しているけども、お父さんの背中ですやすや眠っているけども、それもどこか分かっている。私は自分の正体が得たいの知れないものかもしれないと思ってた。
今でも、私は自分を分かってないと怖いの。知らない世界が怖いの。自分の感情が分からなくなるの。人生の正解がほしい。そして、いつも分かっているつもりで生きている。
 彼と抱き合ったときもどこか遠くでドラマの撮影している監督のような目もあった。これが恋なのか好きなのかさっぱり分からなかった。私はほんとに男の人好きになるのだろうか???分からなくなるのだ。
だから、怖い。私のほんとの正体って何なんだろう???いつか失敗して、だれからも蔑まされる存在になるのではないかって思う、だから、一つも間違えたくない。間違えたら、笑われるから。間違えないように笑われないように恥ずかしい思いしないように、守って生きている。だって、自分の思いが笑いものにされるんだもの。ここまで書いても何だかどの言葉も今は自分の思いを当てはめられない。的がどこかずれている。。。。
<302> いつか ■2005年12月09日 金曜日 09時57分08秒
小学校三年のときの記憶がない。
ほとんどない。
すごいいじめにあった時代だ。

学校に行くことが怖くてよく休んだ。

近頃少し思い出せるようになった。
<301> こくーん ■2005年11月24日 木曜日 03時16分37秒
思えば、勉強とは、現実逃避に都合の良いものだった。
さらに成績が上がれば、なんとか自分の体裁を取り繕うことができた。
もちろん、それだけではないけれど。
今も、学ぶことに何かを見出す私は…。現実逃避なんだろうか、それとも?

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This script written by Shintaro Wakayama.