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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.15
メッセージ数:300件

<300> 青空 ■2005年11月21日 月曜日 11時35分02秒
小学校5年の時隣の席の男の子に授業中、腕をつねられてたことを思い出した。あれっていじめられてたのかな。皮がむけるぐらいだから結構ひどいよな。でも私はいじめられてる自覚はなかったような・・・。なんと私は中学1年の時その子に恋心をいだいてバレンタインにチョコを渡したのだ。なんで?私は何を見てたんだろう。その結果その子から侮辱されるようなことがあり、それは深い傷となった。でも今思えば自分から傷つけられに行ったみたいだな。と思う。ほんと私何してたんだろ。
<299> 解放区 ■2005年11月20日 日曜日 21時40分01秒
学生の時はくそみてえな思い出だけだ。おたくで太くて自己中心的で家族依存的で人が怖くて否認にまみれて、自分のことが見えなくて、、、何か学んだか?抱きしめてあげられなさそう、、、進学校にも行った、勉強は馬鹿みたいに覚えれば誰でも出来る。ため息、ただ普通に育ちたかった。僕は変だった。性的にも混乱していた。情緒は麻痺してた。感情鈍磨、、、自分はおばあちゃんにみもられて子供時代を続けるだけでした。
<298> アーネスト ■2005年11月19日 土曜日 18時42分41秒
中学から高校までずっと偽の、嘘の人格を作ることだけに専念して(かまけて)、人とface to face で向き合うことがなかった。向き合っているようで勘違いをしてた。親・教師から、いかに誉められる存在でしかも、友達とも仲良くやっていくというものすごい無理をしてたんだろうな、と我ながら思う。大学では友達を作るにもまわりはもう人格が出来てきている(それは、将来のこととかではなくて、本当に基本的な親離れ、人間関係の能力、自分自身に対する安心感みたいなもの)から、いつも違和感を感じてた。自分よりももっと強固な存在のような気がした(F君とか)。
<297> アル ■2005年11月16日 水曜日 14時48分32秒
この間、いとこが四年制の大学を一年で辞めてデパートの受付に就職したことを知った。(彼女は勉強が嫌いだだったらしい。出来ないわけではないそうだ。)
叔母と私の母は「もったいない。勉強しなくてもいい、楽しくなくても卒業まで通うべきだ。通っているだけでいいんだから、入ったら卒業しなくちゃ。卒業することに意義がある。」としきりに言っていた。
さすが姉妹だ。
私はその通りにして今のようになってしまった。中学から八年間もの間…。
時間はもう二度と戻らないし、その後生きていくのに必要な経験や知識を得る機会も失い、成長できなくなってしまった。
学歴だけでは生きていけない。学歴は二の次、三の次で、一番大事なことではない。
親になると自分の見栄やお金、学歴のことしか考えられなくなるんだな。「あんたの為を思って。」と言いながら結局自分の欲求さえ満たされればあとはどうなろうと知らんぷり。
いとこの父親は理解があるようだし、機能不全家族でもないようだから彼女はACにはならないだろう。
<296> アーネスト ■2005年11月16日 水曜日 13時18分58秒
再び机に向かえるだろうか・・・・
大学受験の時のような、緊張感もない。一緒に勉強する友達もいない。
孤独で・・・
<295> ぬりこ ■2005年11月15日 火曜日 23時14分25秒
 教育実習で、自分のやった事をものすごく後悔している。姉にされてきた事、「私の大切なものをばかにして、せせら笑うこと」家族にされてきたこと「私を否定すること、傷ついてもそんなの大したことないじゃん、お前がおかしい、世間知らずって言われること」
 あの地獄の日々。友人にも先生にもとにかく誰もいるのに私の中には存在してくれなかった、孤立無縁な日々。
 あの悲しさを全部汚い手を使って、してしまったように思っている。
 
<294> ぬりこ ■2005年11月13日 日曜日 19時00分26秒
 どうしてなの?
 私にはどうして私がいじめられて、なのに誰にも言えずに、耳の中にありを入れられた。いすに座ってもいすをひかれてすってんころりんって落ちて。
 彼氏に憎まれて。
 俺はきたねえ。
 私の地獄は終わらない。終わらせられない。だって、あのころの家族がいて、おじいちゃんぬりこは必死で本当は汚くて小さな私を受け止めてもらいたがってた。
<293> ぬりこ(FB注意) ■2005年11月13日 日曜日 18時57分28秒
友人の頭を切っている私を想像した。
 それから、これから仲良くしたい人の首も切っている。臓器を冷蔵庫に入れている。
 精神分裂の人の考えを導入しそう。前の彼氏の今の彼女と前の彼氏が歩いているところを想像している。そして今も「俺から逃げられねー」って言った。何処に行ってもついてくる。私を一瞬たりとも安心させてくれない。「あたりめ〜だろ〜、お前は汚い」どこにいっても何やっても私はこの罪悪感、周囲から浮いている感じ、誰にもきずかれないように自傷行為しながら生きるしかすべはないのだろうか?
 この心の痛みこそ。。。。私の小学校時代のすべて心を人の人形として生きてきた私の心。
 今もあの地獄に私は存在する。たとえ24になっても、私の戦争は終わらない。私は決めたの、こんなにひどい思いをするならば私は一生こんな目にあわせる神と自分の運命をのろってやろうって、爆発しそうな心といつか精神病院に入ってしまうのではないかの心。
<292> ぬりこ ■2005年11月13日 日曜日 18時51分16秒
私の男の部分が出てきた。「俺はぶっ殺してやる〜」って、後は今最大限に傷つくことを自分にやってやるの。今は精神が分裂にしてやる状態をつくる。私の体を男に痛めつけられている場面。彼に痛い思いをさせられに体を触れている。一番の友人の頭部を切っている。また、ここにかきこみながら「俺からはにげられね〜よ」って自分が言っている。俺の。。。。
 学校生活は小学校時代は私にとっては原爆図のようにいたくて、汚くて、誰もいない世界。
 家族がいても、家族は遠い。また、自分の体を痛めつけられること想像してしまった。
 心は解放するには言葉にすべてする。それでも「俺からはねげられねー」って自分を痛めつけてしまう。
<291> アル ■2005年11月12日 土曜日 22時53分36秒
学校にはいつもただ通っていただけだった。行かなければならなかったから、仕方なく行っていた。
勉強や部活も一生懸命したことはなかったし、友達と悪ふざけすることもなかった。
いつも一人だったし。笑ってたことってあったかな?
学校時代の思い出って何もない。ただ何となく通っていた。
フリースクールなんてあの時代には聞かなかったけど、そういうものに通っていたらまた人生違ったんじゃないだろうか。
母親の言うとおり人並みの学歴はついたけれど、大事なものが欠けてしまったような気がしてならない。
<290> アーネスト ■2005年11月09日 水曜日 15時22分00秒
25歳で恥ずかしながら学生という身分である。博士課程ならこの年齢でもあり得るが、私は留年1年、そして資格取得のためだけに二年通っている。

現役生というか正規の学生として在学している時、実家でも月7、8万稼いでいる友達や知人がいたが、そういう人たちが何か勇ましく思えた。当時、自分は、まだACを知らなくて、それで随分のことを随分縛った生活をしていたと思う。今でも海外旅行などを考えると、気が引けてしまう。とにかく留年したのも、資格を取りこぼしたのも自己責任だ。親に引け目があっても、それは自分が背負っていくべき責め苦だろう(勿論、それはACを知る前は思えなかった。うつ病になった自分をただ憐憫していた)。

この半学生というか、就職浪人というか「はい、学生です」と答えられないところが悔しいが、まぁそれはそれとして。とにかく資格が下りるまで何をするのか、それが今の自分にとって大事だろう。臨任が決まろうが、決まらなかろうが、目指す職業は一つだ。相談室長も言っていたが、正規で、しかも良い教師になるためのこと、なってからのことを考えろと言われた。確かにそうだ。なってからのこと、全く考えていない。それは部屋の中でできることではない。何か、活動(それはスポーツとかでなくてもいいと思う)。自分が自分の職業観を磨いていくためには、バイトよりも奉仕活動とかのがいいように思う。違うかな?自分はどうも自分がリーダーシップを取れるような場所に行かないと寂しいらしい。バイトしながら考えてみたい。
<289> アーネスト ■2005年11月06日 日曜日 19時26分48秒
退部が頭をよぎると体の一部が失われるような恐ろしさを感じた。小学校で万引きがばれてそこから「きちんとした子」のコースを踏み外さないようにと、やってきた。中学でそれはほぼ達成されてしまった。でも母親が生きている限り、奔放な生活は不可能だった。中学の時には偽の人格ができあがって・・・それも必死の思いで作り上げたものだった。これ以上ないというマジメさと優しさと温和さと害のなさと・・・・それを崩そうものなら、たちまち11歳の頃の見捨てられ恐怖を味わうハメになる。それだけはごめんだった。とにかく一方通行だった。走ってきた道を振り返ってはいけない。振り返ることは、また見捨てられることだから。

大学の部活に入ったとき、初めて半年くらいで危機感を感じた。・・もしかしたら辞めるかもしれない・・もともと入部までの期間も空虚だった。免許を取って、馴染めない友達と遊び・・・大学という、今までより広い世界に出たとき、ユリ戻しが来て、また狭い世界に戻りたくなった。たくさんの人から査定を受けるのは苦痛だった。お決まりのコースに乗ってしまえば・・・・あの競技は明らかに自分に向いていなかった。それを、さも向いているかのような顔をして・・・恥ずかしい。朝も夜もなく狂ったように練習した時期もあったが、ちっとも楽しくなかった。初得点したときのことでさえ、今考えると嬉しくない。

半年経ってくると、というか1年生が入学してきた頃から、もう苦しかった。板ばさみで・・先輩に怒られ、1年生に追い抜かれ・・・・多分、純粋にそれがすきだったら、そこまで躍起にやらなかったかもしれない。
<288> アーネスト ■2005年11月02日 水曜日 22時28分51秒
連続ですいません。

昨日ねぇ,中学の部活のことを思い出していたら,と〜っても淡い気持ちになれたの。すっごい良かった。中学の記憶は,いつも感情を伴なわない回想で苦しかった。雨の日に校舎内を延々と走ったり,2年生の時は下駄箱どこだったかな,とかお別れ会はどんなかんじだったかな,とかその時好きだった女の子のこととか・・・そんなことを思い出していくうちに,すごく淡い気持ちになった。

結局、12歳にして初めて手に入れた家族だった。家族のように暖かい場所だったのだ。部活は。先輩も優しいし,頑張っていれば家族と違って誉めてくれるし。だからあんなに頑張ったんだ。承認欲求がどうのとか色々愚痴ってしまったけど,あれは本当に僕にとって大事な場所だったんだ。そう思えた時、少し幸せな気持ちになった。あれがなかったら,自分はどれだけ孤独だっただろうと。なかったら不登校か引きこもりか鬱にでもなっていただろう。クラスで弁当を食べたお昼の時間が記憶にない。あの時、苦手な友達がいてうざかった。そんな気持ちも出てきて、灰色だった中学の記憶に,少しだけ色がついてきた。未だに断片的にしか思い出せないけど。ぶつ切りに,ぶつっ,ぶつっとしか。。。クラスメートから,マジメだね,といわれるのを曲解し過ぎていたような気もする。とにかくそれで虐めにあうようなことはなかったのだから。けなしではないし,明らかに誉めていたのだと思う。反動で,無理なテンションの高さが高校で爆発したけど。今は高校と中学の中間ぐらいのモードでいい。もういい。無理に性格を捻じ曲げたくは無い。楽しみを模索したい。
<287> アーネスト ■2005年11月02日 水曜日 19時31分20秒
バイトと勉強の両立について悩んでいる。もしかしたらだけど,結構大目にバイト入れたほうがいいのかもしれない。昔は週5で学校+土曜部活、日曜たまに部活でやってた。二年の頃は家事もあったから相当きつかったけど・・・・両立!!って,どっちもやらなきゃって思うんじゃなく,どっちも自分の将来に役立つんだって考えればもっと気負わずにいけるよな。それでやぱり結構入ったほうがいいかもしれない。仮に週五でも部活はないから体力的にラクだろうし・・・何より人と触れていたい。いた方が多分自分にとっていいのだろう。活力を戻したいし,それこそ鬱とかACとか忘れちゃうぐらいに,少しハード目にやっても・・・・きついだろうか?まぁそんな,「ガムシャラ!!おら,やるぞ!!」って感じでもないんだろうけど・・・週3〜5あたりで考えてみようか。後、多目に入った方がいいって言うのは,結局勉強時間がありすぎると勉強しないと思うんだよね。少しせっぱ詰まってるくらいの方が・・・
<286> アーネスト ■2005年11月02日 水曜日 02時58分14秒
中学の塾の話し。あまり書きたくないし、書いて意味があるのか疑問だが,無理しない程度に書いてみる。とにかく嫌な思い出しかなかった。特に夏に,ノートを買いに行ったとき、「A部屋でもなきゃB部屋でもなきゃC部屋だ」と怒鳴られたのは今でも覚えてる。下の部屋から階段越しに声が聞こえて。確か格子付きの窓だったかな。いやトイレだったかな。とにかくその窓から隣りの家とか暗闇が見えた。

A組みが終わるのを待っていて、その間は親密な空気があった。N,H,A,T,G,Y,自分の6人で家の前で話しをしていた。Kがバレンタインデーの前日に文句言っていたのも覚えている。Kの家には勉強しに行ったこともある。

その大勢で,親密に下らない話しをしているという感覚は ―例え自分が話しに加わっていなくとも― なかなか良いものだった。異性についても話した。

暗い街灯の中をGちゃんと自転車を押してかえる時の感覚も,あの頃は沈黙が嫌だったが,今思うと決して不愉快なものではなかったようがする。何かしら温かさのようなものがあった。Gちゃんは,次の日の朝練のこととかを話して、僕はそれを笑って聴いていた。あの頃から無口だった。人が何かに対して「だるい」とか「面倒くさい」とか言うのが羨ましい反面,こいつは弱い奴だと思っていた。今なら共感できるのに,そう言わせない何かが自分にあった。Gちゃんが風を引いたとき宿題を届けに行ったことがある。Gちゃんが届けに来てくれたこともある。恥ずかしくて自室から見ていた。休んだメンバーには宿題を届けにいく。そんなやり取りをする時に何かしらの温かさを感じた。笑った。苦笑いではあったが・・・。
<285> アーネスト ■2005年10月31日 月曜日 06時42分44秒
漫画やアニメで主人公以外が,モノクロというかシルエット上になる映像効果があるけど,中学は正にそれ。私だけが動いている。あるいは周りが止まっているというか周りから隔絶された世界。どんなに棚卸しをしてもワークをしても,この頃の感情が出てこない。
<284> えr ■2005年10月29日 土曜日 20時55分16秒
勉強することに、命を懸けてきた。勉強することが救いだった。現実から逃げることができた。そうすることで自分を慰めてきた。人生、勉強あってこそ。そういう考えがいつのまにか自分の中にできていた。まだまだ自分は未熟。最近気付くことができた。
<283> アーネスト ■2005年10月29日 土曜日 01時09分31秒
大学の頃の話し。自分がどういう人間なのか,何がやりたいのか,好きなのか、何に魅力を感じるのか,そういうことを全く考えなかった。とにかく認められたかった。だから友達とバンドも良かったけど,体育会のほうにいった。学校から離れた場所でやると承認欲求を満たせなかったからだと思う。とにかく一番にならないと,脅迫的だった。それを好きでやってるから結果として,熱心にやるのではなく,それが好きかどうかは関係なく,とにかく一番になるんだと思っていた。自信がなかったからだと思う。自信があれば,そんなことをしなかったと思う。それを達成することで自信をつけるんだって言い聞かせてたけど,できなかった。
<282> ぬりこ ■2005年10月25日 火曜日 17時51分07秒
 学校から帰ればいつもトイレに直行、泣かない日はなかった。いつも声を殺して泣くだけだった。誰かに言えたら・・・なのに言葉が出てこない。いじめられているの。耳に虫入れられたの。。。お母さん、学校が怖い、あの子が怖い。私はどうなってしまうの?助けて。お母さん助けて。お母さん助けて。
 今日もつねられた。ばかって言われた。ちびって言われた。でも、私は何も言い返せない。もしも私としてこの世に生まれてこなかったらもっと楽だったのかなあ?いいたいこともいえて。。。もっとあの子からもいじめられずに済んで、もっと良かったのかなあ?気が強くなればいいの?私は私じゃだめなの?私は私だから傷つくの?私はどこに行けばいじめられないの?いじめられて、ずっと生きられなくて、ずっと外界からのすべての刺激から自分の感情を守るためにずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと自分を傷つけてきた。
<281> ドミソ ■2005年10月14日 金曜日 15時00分56秒
義務教育の学校時代はほとんど行っていないよ。小学校3年間だけ。
あとは、一時保護所、施設、家の中。いつも疲れ果ててたよ。
正直その頃は学校の授業も友達も疲れてしょうがなかった。
今は、もう一回行きたいなあ。まだ分数できないし、まずいよなあ。
勉強したいなあ。運動もいっぱいしたいなあ。

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This script written by Shintaro Wakayama.