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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> NAC NAC ■2005年10月06日 木曜日 22時11分24秒
先日車で外出中、私と小中と同級生だった女の子Kを見かけた。Kは小さい男の子と一緒、つまりお母さんだった。
風のうわさで「K結婚したんだってよ」と聞いた時には「嘘だろ? あんなブスと誰が結婚するんだ? 詐欺じゃねぇのか?」と皆で訝しがったものだが、こうして現実を目の当たりにすると「あれぇいつの間にかお母さんになっちゃってるよ。『ほわ〜』とした雰囲気出てるし。やっぱ母親になると違うんだねぇ。(私が知っている)中学まで醜いアヒルの子でいじめられっこだったのに今はいいお母さんか! (顔は中学の延長だが)成長するんだねぇ」と感心してしまった。
引いては「自分はどうだろう?」と考えたら、惨めで考えるのを止めた。
中学のときに今の自分は想像できなかったよ。まして親から愛されてなかったなんてねぇ、あの機能不全家族で金輪際も疑わなかったよ。
偏差値よりも愛情だね。
<279> こっこっこ ■2005年10月01日 土曜日 21時32分24秒
 被害妄想の強い人に当たってしまった。怖さは私の逃げに必ず必要なもの。
 でも、私は不安だった。あのこを守りたかった。
 人との境界性がうまくつくれなかった。
 先生に対して私の能力すべて出したら傷つけるかもなんて考えた。
 弱かった。いつもながらに弱かった。
 もう、人と自分を混同しない、自分のベストを尽くす、怯えない。素直に相談する。演技で自分の人生の問題を解消できないってわかった。
 学校は怖い。今も怖い。学校の中にいて、
 私は何のいいとこもない、変な人だが・・・
 もう一度、教訓にして、忘れよう。自分は逃げたんだ、いつもと同じように。どうせ、最初から・・・何なら自暴自棄に・・・
 だって、あの頃うまくいかなかったから・・・
 人のアイデンティティを完璧な自分は壊してしまうから・・・・
 人への信頼感のなさ、じぶんのあきらめ態度、怯え・・・・
 私はやっぱり臆病者だよね。
 めちゃくちゃな躁状態的気分だってけども、それでも出会えた子どもたちに感謝して、先生に感謝して・・・もうじぶんを苦しめないようにしようね。そして、人を恨まないで、全部じぶんの肥やしにしていこう。きっと、できる。
 これからは、怯えも生かしていけるんだ。
<278> こっこっこ ■2005年10月01日 土曜日 21時24分45秒
 私間違っていたのかなあ・・・
教育実習で学校での今までの不満をはらすために、自分の小さい頃にされていたいじめごときで私は怒るべきだったのか「理不尽なこと」されたのか調べるために、苦しんでいた自分を救ってあげたくて、赴いた10ねんぶりの学校で、私は「先生らしくない」先生なろうとした。
 「教師なんて・・・」っていう態度、学校の道徳なんて「きれいごとばっかりで汚い」っていう態度、「むかつく」とか「この場所疲れる」とか生徒は日頃ストレスたまっているだろうからなんて思ってしまい、そんなことばかり、やった。
 担当の先生対しても、自分なりの混沌とした世界にいるのが不安で「わざと、担当先生と仲悪くなってしまった人のうわさはよく聞いていたから、世の中ではこれが妥当なのかも、どうせ私は高校までいっても学校で楽しい思い出なんてなかったから・・・どうせ今回もうまくいかないし、自分流のルールを打ち立てて、それを杖にしたくて、担当教官とうまくいかなくしよう」なんて一人で決めてしまった。なんて浅はかな・・・ばかだった。
 でも、どうしようもなく、怖くて・・・やっぱり高校で、中学でいつも期待を裏切られていた無念な思いを発散させられなかったから。
 結局何もうまくいかなかった。授業も怖くて・・・何も自分を出せるものなんてできずに、只頭で別の次元にいるような、とかく不安で怖くて、自分なんてどうでもいいと半分自暴自棄になってしまった。
 一種、今までの何もしてこなかったエネルギーと自分の今いる空間と自分を外して、自分がだめだと決め付けたとおりのものにしがみついて。
 子どもの人を見抜く能力が怖かった。自分を見破られたくなかった。
 でも、うまくいかなかった。
 自分はずるかった。担当教官には迷惑かけた。でも、授業中私の気持ちが乖離するほど怒鳴られて、私は「やっぱりな・・・」なんて最初から自分の恐れからしたことなのに、そう思った。今は、そんな自分はいつも同じことをやっていると思っている。テレビ放送で「私の昔話」なんてして、昔描いていたコンプレックスを克服した大人を只演技していた。演技すれば、昔の嫌な思い出も消えるかと思いながら。学校中から「白い目」←特に生徒からでみられただけだった。
 もうかわろ。確かに、運の悪いところもあった。でも、私が最初からあきらめていたからこうなった、いつもそう、もう自分の恐れから逃げない。
<277> NAC NAC ■2005年10月01日 土曜日 11時29分39秒
この前は記憶が固まってしまったので〈276〉のつづき

元来私はマラソンなどの中長距離は得意なほうだが、短距離は遅い。故に運動会の徒競走ではいい思い出はなく、いつもビリから数えたほうが早いくらいだ。だから駆けっこの話になるといつも私はブルーだった。
でも障害物ではまぁまぁだったんじゃないか?と思う。順位は全然覚えていないが、子供心に片栗粉の中の飴玉探しやパン食い競争は楽しかったのは覚えている。
他にも大玉転がしや百足競争などいろいろあったと思うが、
その日私は会場で親に「よく頑張ったね」とか「すごいぞ」とか、褒められたり撫でられたりしたことがあったのだろうか?
家に帰った後ではどうだったのだろう?

何も思い出せない。
あったのかもしれないが思い出せない。

結果じゃなくて自分の努力や感情を見てほしかったのかもしれないな、小さい私は。
感情がいつも独りぼっち。自分の周りには誰もいない。
ぎゅっと抱きしめてくれる人が側にいたら乖離せずにすんだんだろうな。
辛かったね小さい私。
<276> NAC NAC ■2005年09月27日 火曜日 01時09分32秒
季節柄週末は運動会が多い。そこで自分の運動会を振り返ってみる。
自分が何かしか動いていたことはうっすらと思い出せるが、そこにあった(らしい)感情は全く思い出せない。
なんでだろう?
なんで思い出せないのだろう?
秋空の下、紅白分かれて運動会。周りは歓声を上げる家族たち・・・・・
所詮イメージだけで、はっきり思い出せるのは違和感だけだ。まるでフィルムのよう・・・・・

なんともいえない違和感。
目の前には自分の家族。笑ってたのかな? 笑ってはいたんだろうな? 塞ぎ込んでもいないだろうし。でも思い出せない楽しかった運動会の記憶・感情。
おいなりさんを食べたのは覚えている。それと焼きそば、あとお土産の大判焼き。でもそれは毎度のことだから。おいしかったと思う。否おいしかった。それははっきりしているが、他は思い出せない。
なんで?

他の家族と比較せざるを得ない状況だったから?

あの時小さい私は何を感じていたのだろう? どういう感情だったのだろう?
乖離して思い出せないというのは凄く不安なものだ。
渦巻く寂しさってやつか。
<275> アラタ ■2005年09月20日 火曜日 03時51分34秒
「大学、早く辞めたい」
よし。
入学する前から思っていたこの感情。やっと認められた。イヤなんだ。

さて、
「何もやりたい事が無い」
「辞めた後どうしよう」
学校・バイトで親と顔をあわせる機会が減ったことが
「自分」というものの回復につながってきたと思うんだけど
どう戦おう。
<274> こっこっこ ■2005年09月17日 土曜日 23時36分09秒
 学校で私はいじめられた。学校で私は、気持ち悪い占いを見せられた。しかも何でも誰の言っていることも信じてしまう私はそれを未だに信じている。だって、汚いすべての人の下に位置するべき自分の自己像にぴったりだったから。そう、汚くて下に位置すればもう女子に嫌われることも、嫉妬されることも、ないだろう。私がいじめられている姿にあのこは喜んでいたもの。親だって、汚くて惨めな私の姿に喜んでいるはず。だって、気の弱い女の子だったら、お母さんよりも下になってあげられるもんね。
 学校の思い出。怖かったしかない。
 怖かった。何やっても私のやっていることは人とは違っていそうで、普通の人と反応が違いそうで、私は学校でうまくやっている人も、よく言いそうな言葉を私の思いをすべてしまってそれを使った。
 「本当?」「その歌知っている〜」「面白い」ってね。私は何にも感じないのに。
 いつしか私の中で人といても何にも感じない心ができあがった。完璧だった。もうこれで傷つけられることもない、しかも皆私が傷つくのに喜んでいるんだから、自分は自分を傷つけて人から与えられる傷から逃避しようと考えた。だから、これは納得いくことだった。
 今もここから逃れられない。本当の自分はどこにいったのか?
 汚い自分。汚い自分。汚くて汚くてどうしようもない自分をもてあましている・
<273> アーネスト ■2005年09月15日 木曜日 10時54分26秒
いわゆる不良と呼ばれる人達に対してずっと抵抗があって近寄れなかった。不良はふてくされているとか,根性が腐っているとか,なんの根拠もないのにそう思っていた。彼ら1人1人思い浮かべてみても,僕よりずっと人間的に魅力があるのに。
<272> アーネスト ■2005年09月15日 木曜日 07時14分17秒
中学の塾の教師に異様な恐怖を覚えていたのは,その塾で自分くらいだった。「くぅぉらぁ,○○(私の名前)!!」と冗談ぽく怒る先生。そもそも冗談で怒られるという感覚が理解できなくて,その都度混乱してた。 

学校で何かの作業,例えば被服とかをやる時でも,一番時間がかかるくせにちっともできなかった。後、当時から人の話し、取り分け説明の飲み込みが遅くて苦労した。顔をしかめて一字一句聞き漏らさないように注意した。話しのアウトラインを追うのではなく,何を言って、何を言わなかった,ということに注意がいっていた。自分で考える力も全く無かった。
<271> アーネスト ■2005年08月27日 土曜日 19時45分09秒
学校ってなんだろ?記憶が全然ない。学校も家も変わらない。社会的に価値があると認められた場所,ただそれだけ。もっとやんちゃをしたかった。記憶がない。ずっと抑圧をしてきたのか?今だって抑圧してる。抑圧しちゃだめだ。時間が無駄になる。抑圧以外の方法をとらないと。自分ってつくづく抑圧に慣れてる。我慢強いというのとは多分、違うと思う。
<270> こくーん ■2005年08月21日 日曜日 14時35分53秒
自動車学校へ途中で行くのが怖くなった。
運転で失敗して、先生に怒られるのが怖くて、だんだん行けなくなってしまった。考えてみれば、学校生活の後半は『勉強』ができて、素行が良ければ怒られることなどないから、完全に打たれ弱くなってしまっていたのだ。
路上講習中に、泣けそうになることも度々あった。
ある時、弱音を先生に対して吐いてしまったところ、その先生はこう言った。
『どんどん失敗しなさい。失敗せずに運良く免許を取ってしまったら、その後で失敗したときにどうしたらいいかわからなくなるから。今失敗して、失敗したらどう対処したらいいのかを学んでいきなさい』
今でも、時々、その言葉を思い出す。相変わらず打たれ弱いけど。
<269> コウコ ■2005年08月21日 日曜日 14時14分54秒
昔から誰かのいいなりで動いてた。誰にも嫌われたくなかったから自分を主張できなかった。どんくさいし。だからムカつかれた。でも人を笑わせることが大好きだったし友達は一杯いた。小学生の頃は楽しかった。今までで一番いい時期。
だんだんおかしくなったのは中学生から。新しいクラスには友達がいなくてどうしても自分から友達を作れなかった。お弁当にも誘われなくなってどんどんおとなしくなった。むつけたんだ。誰も誘ってくれないって。
私は昔からだらしなくて髪は一週間以上洗わなかったし歯磨きもしなかった。手で歯垢を取ってた。中学生になってもこんなに不潔だったし嫌がられるのは当然。学年があがるにつれておとなしくなった。毎日毎日悪口を言われてたし男子にも馬鹿にされた。
高校に入ったら絶対変わろうと思った。実際は無理だった。何を話せばいいか分からなくて話しが続かなかった。おまけに会話がすこしできると全身が震えてとまらなかった。もうダメだ。がんばれば友達作れると思ったけど無理なんだと思った。自分に失望した。3年間友達も出来なければほとんど話すことはなかった。高校生くらいから妹との関係も微妙になって家にもいづらかった。妹二人は明るくて運動もできて頭も良くて私とは正反対。なぜかあるときから妹と話せなくなった。そのうち妹二人で楽しく遊んで、私はいつも一人。寂しかったし情けなかった。嫉妬と劣等感で辛かった。笑い声が聞こえる度いらいらしてた。なんで神様は私をこんな性格にしたの?って神様を責めるしかなかった。
短大に入った。友達ができた。友達ができたらできたで一人でいた頃が長かったせいかめんどくさかった。すごく傷つくし気を使うし自分の言動に後悔したり恥ずかしくなったり自分の行動をどうすればいいか迷ったり、一人の方がいいっておもった。男子もすごく苦手だった。あるときナウい男子が馬鹿にして話しかけてきた。おろおろしながらしゃべった。仲間がそんなやつに話しかけるなって本気で行ってた。私はその人としゃべったことがなかった。私のだめな心をすべてお見通しなんだなって思った。
でもみんないい人でいつも寮の私の部屋に来てくれて嬉しかった。卒業してから分かった。友達っていいね。ありがとう。

いまだに何も変わってない。なにもかも受身。どんどん自分をさらけだせなくなってる。なにもしゃべれなくなってる。
<268> アラタ ■2005年08月21日 日曜日 00時50分31秒
小学校ではネコかぶってたなぁ。
先生には歯向かわなかった。ぶつくさ友達に愚痴るくらいで。
特別親しくなろうとも思わなかった。
だって一年契約の保護観察人でしょ?半端な。
適当におせじ言ってくれれば十分。
下手に自分に関する情報を持ち逃げされたくない。
甘える事ができず、被害妄想が強かったのかもしれない。

中学のとき、自分でもびっくりしたけど
体育の女教師相手に、職員室でキレた。
担任が「どうしたんだ?」って止めに入った。
三者面談で「ひょうひょうとしている。もっと感情を出すといい」と言われた。「ひょうひょうって何ですか」ととぼけた。
自分の好みの問題ですか?感情が出せない理由は無視かい?
微妙な空気になった。言ってにこやかな雰囲気になるとでも思ったんだろうか。

高校が初めてか?教師を(すいません)「一年間の使い捨て」みたいに思わなくなり、人として尊敬したり、この先生についてくぞ!と思ったり、すごくすごく自然に、会うと笑顔になりふつうに会話できるようになったの。
でも、
我々の代は正直、「捨て駒」だったらしく
いっこ下の新しい制度組にまともな教師陣をあてがわれ、進路指導ではさんざ脅された(気がする)。
大学受験は一生を左右する、落ちたら悲惨だぞ〜と。
進路相談に行けなかった。
「○○したいんですがどうすればいいんでしょう」なんて悩みはなかった。
「私は何をすればいいんですか」…聞けるわけ無い。
大学は親にもう指定されている。やりたいこと?受験と関係あるの?
文理系ってどうやって決めるの?私の意志?だってお金払うの親だよ?
「そんなことでなやんでたら社会人になってから通用しない。とっとと決めろ」
大学受験は、「そんなこと」…一生を左右するから、「とっとと決めろ」。
脅すだけ脅して無責任だと思った。親も、学校も。
そもそも、そのときようやく、もしかしてこれは私が決めていいことなの?
親が決めるんじゃないの?という淡い疑問を持ち始めていた頃だ。大混乱。
養護の先生に「あんなに脅さなくたって…」「私もこの仕事、第二の人生なのよ」といわれ、そういう言葉をかけてくれた事と、"学校の先生"の手を煩わせた自分の情けなさ(普通の生徒はこうはならないという思い込み)から、大泣きしてしまった。この時期はよく教室で体の感覚がなくなりそうな、体中の毛穴から冷水が吹き出ているような、変な感覚に襲われることが多かった。

小学校、中学校、高校。
どれも、訪問したいなんて気持ちは起こらない。さびしいな。
<267> アーネスト ■2005年08月18日 木曜日 04時50分25秒
中学の塾の話しをしたい。怖い先生だった。でも正直にならないことを何より嫌う人だった。分からない事を分からないと言わないと怒られた。勉強不足に対しても怒ったが、やはり質問しなかったことで怒られた事の方が多かった。今思えば年齢相応のごく当たり前の事で叱ってくれたのだと思い感謝している。思春期は,自我を作る大事な時期。自分というものを,出さなければ成長は止まってしまうから。でも先生の言っていたことにやっと今気が付いた。ありがとう,と言いたい。ずっと憎んでいたけど,今はありがとうって言いたい。
<266> アーネスト ■2005年08月13日 土曜日 03時25分26秒
(一部、不快な表現があります)




何回も書くけど,部活をやってない人間とかクラスで委員会も何もやってないような人をずっと軽視してた。 多分は自分は変な自信を部活でつけてしまったのだと思う。そこそこ速かったし,足。もう高校から「部活やってないような人間は価値がない,クズだ(すみません)」くらいに思ってた。「部活もやらず,ただ学校に来ているような人間は能がない」とさえ思った。大学に入ってますますその考えはエスカレートしていって,衝突の原因にもなった。
<265> 柊 ■2005年08月08日 月曜日 20時53分07秒
小3のときに、転校した。引っ越した家の近所に同級生の女の子がいてその子と最初に友達になった。A子ちゃんっていう大人しい女の子だった。A子ちゃんは遊びながら私に「実は、私学校で虐められてるんだー」って告白した。9歳の私にはそれがすごく勇気がいった告白だったとか私に助けてを求めてたとか、A子ちゃんの気持ちまで考えられなくって、「何で、先生にいわへんの?虐める子がいたらな。その子の腕をつかんで、職員室までひきずって連れていきや。じゃないとまた虐められるで」とアドバイスしたら、A子ちゃんは「そんなん、できへんもん。」っていじけてたので「何でできへんの?言わな、あかんやん!」って怒った思い出が…今思えば、酷なことをしたかもしれない…
転校先の小学校に入ってしばらくすると、すぐにA子ちゃんがいじめられっこだといううわさは耳に入ってきた。小6でA子ちゃんと同じクラスになったけど、相変わらず「A子菌」と言って虐められてたけど、私はA子ちゃんを助けることもかばうこともできずにただ黙って見てた…ある日先生が「今までうそをついたことがない人!」って言うと、A子ちゃん一人だけ手をあげてはっきり言った「私はうそをついたことがありません」と。先生は「うそをついたことがない人間なんていないんだぞ。そういうことを言う子がうそつきだ」とか言い出して、子供心に”この先生も最悪や…A子ちゃんも何で一人だけ手をあげていい子ぶりっこなこと言うねん!また虐められるやん!アホやな!!私は、何もできないことを後ろめたく思ってるのに、やめてよ!!”って…
A子ちゃんが虐められてたのを助けられなかったことは、私の責任じゃないよね…時々、いじめられてる子を見てるだけの子供も虐めてるのと同じだとテレビで言ってるのを聞くたびに心が痛い…
<264> 柊 ■2005年08月08日 月曜日 20時43分47秒
学校をサボるようになったのは高校生になってから。母よりも家を出る時間が遅かったのをいいことに、よくさぼってた。でも、留年するとばれるから計算してギリギリ出席日数が足りる範囲でさぼってた…短大卒業するまで。
高3のときはクラスが楽しかったからあんまりさぼらなかったけど、(日曜日も学校に行きたいぐらい楽しかったし)短大に入ると一気に学校に行く意欲が失せてしまった。
<263> 深美 ■2005年08月07日 日曜日 14時37分13秒
中学時代の担任のM先生へ。

先生とは3年間一緒でしたね。最初はとても綺麗な人で、芯の強いしっかりした女性に見えました。外ズラからは「いい先生」に見えたよ。

先生のご指導のおかげで嫌なことから逃げない、陰で悪口を言わない、人に無神経な言葉を吐かない、愛想笑いして綺麗事ばかりいってると信用を失うということを学べました。本当にありがとうございます。
<262> 柊 ■2005年08月06日 土曜日 11時31分16秒
中学生ぐらいの頃が一番イライラしてた時期だった。「ムカツク」が口癖だったような。(今も時々言ってるか…)中1の時は休み時間に女子だけでバスケをするのが流行っていて、ボールの奪いあいになるとまさに女の戦いで男子がひいてた思い出が…
私もバスケに燃えていて、ある日「柊さん、目を叩いたでしょ!」ってやってもないのに、文句を言ってきた女子に向かって「私がやったん、違うわー。何言ってんねん!!」って文句を言い返して喧嘩になって、周りが止めに入ったこともありました。今じゃ考えられない!!でも、あの頃だからできたことかもしれない…。
中1、中2のときは虐めをしてました…中1のときは転校生の女子を虐めてました。以前の中学校の制服をいつまでも着ていて、また前の学校の制服は可愛かったと自慢している彼女がうざったくて、クラスの女子全員に「無視」するように命令してました。しばらくして飽きてきてやめてしまいました。
中2のときは別の子でなんとなく存在がうざったかったので、偽のラブレターを書いて机に入れておいたことがありました。先生に見つかってものすごく説教されました。
中2のときの、三者面談で母が「うちの娘は本当に生意気で全然言うこと聞かないし、可愛くないので」と担任に言うと担任が「お母さん、何を言ってるんですか!!僕にはとても素直でよく言うことを聞く可愛いお嬢さんですよ」と言ってました。先生はフォローしたつもりだったけど、母の怒りはこれでどんどん膨らんでいきました。当然、家に帰って母からものすごく怒られた。親に恥をかかせるな!!学校だけいい子ぶるなとか色々言われた。ほんとバカ親。でも、私の味方になってくれた中2の担任には感謝します。
<261> こくーん ■2005年08月04日 木曜日 02時13分11秒
時に、子ども(自分の子という意味ではなく)は容赦ない。
嫌なものは嫌。嫌いなものは嫌い。
そう言われた相手の気持ちにお構いなし(特に相手が大人であったりすると…)。その無邪気さゆえに怖い。
私は、大人子どもだったから、そう歯に衣を着せぬ同級生たちが怖かった。どうして、そんなことを言えてしまうのだろう?
怯えてた。でもそれを悟られないように虚勢を張っていた。

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This script written by Shintaro Wakayama.