Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.11
メッセージ数:220件

<220> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 22時43分53秒
中学の同級生に会うのは不快だ。去年、恩師の葬儀で顔を合わせたのだがやはり,うまく輪にに入れなかった。自分にとって小4〜中学卒業までの記憶はかなり飛んでいる。キーはこのあたりなのかもしれない。多分そこには,まだまだ抑圧した感情や記憶がたくさん埋まっているんだろう。それから中学の塾の教師に会うのも,かなり不快だ(今日、たまたま見かけたが)。
<219> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 08時31分19秒
(連続ですみません)

小学校の頃の万引きがばれていなかったら自分の人生はもっと変わっていたように思える。あの日を境に,極端に物事に怯えるようになった。中学では自分の周りの人全てが大人で自分に脅威をもたらす存在であるように思えた。だから友達はできなかった。権威者であり庇護者である教師の承認を得ればいじめに遭わず(友達がいなくても)疎外感を味わわずに済むと思っていた。実際、そのとおりだった。いい子でいればオールオッケーだった。自分の内面に目を向けずに,ただ周りが何を求めているかに常にアンテナを張り,即座に察知し,ぬかりなく振る舞えばそれだけで良い。ある意味,思想的にカラッポだった。どんなに真面目そうに見えても,どんなに硬派に見えてもカラッポだった。それが悲しい。自分で考え行動すれば責任も付きまとうが,少なくともカラッポではない。誰かに支配されることもない。承認を追い求める必要もない。力の抜きどころもわかったはずだ。そう,自分はカラッポだった。今でもしっかりしてそうとか,大人びているとか言われる。それは風貌だけだ,中身はカラッポだ。
<218> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 08時05分43秒
そういう意味では「自意識」みたいなものが強くでてきたのは大学5年目,本格的に療養に入った頃からだ。性のことも含めて。急に本を読むようになったり音楽を聞くようになったりした。自分の「好きなこと」,大袈裟だが「責任を持って愛情を注げる」趣味も見つかった。ささやかながら誰も入ってこれないような,自分にとって心地よい自分の世界みたいなものが築けたような気がする。そういう意味ではこの時期が自分の人生の中では最もリアリティーのあるような気がする。
<217> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 08時01分23秒
中学の頃、客観的に見れば決して悪くない時期のようにも思える。小学校までの「はみ出し者的な」生き方に比べればずっとましだった。小学校の頃には何か自分の中で抑えられない衝動があって,奇声を発したり,女子をいじめたり,変態扱いされてきた。何か言いようの無い虚しさがあった。そういう反動もあったのだろう,中学には随分にまともな生活を送ってきたように思える。教師を目指すきっかけとなった人にも出会えた。部活では「熱心で真面目な」先輩として通っていた。そのことを否定するわけじゃない。むしろ否定なんかしたくない。でも,それでも今振り返ると全くリアリティーのない生活だったように思える。常に,何か傍観している自分がいた。はみ出さないように,適応していることがいい事だと思っていた。ここら辺が判断に悩むところだ。「いい子」にしていたことで,得られる良いこともたくさんあった。問題はそれが望んだ生き方だったのか,ということだ。中学から延長線を引いて大学にまで引っ張っていくと,やはり「?」マークが出てくる。自分の人格や価値規範の大方は中学の頃に出来上がってしまった。その規範のままで大学に来た時に、色々と自分の底の浅さや自分の意見の無さに気付いた。何より恐ろしいほどに,執拗に他人の承認を求めるようになった(これには母親の死も多少は関係するのかもしれない)。中学の頃には,承認を求める行為はもっと無自覚的なものだったように思える。それから人間関係で色々と,頼まれて断われなかったり,と自分の欠点が露呈してきた。とにかく,だ。21歳に起きたことは(多少は自分の非があるにせよ)中学の時に出来上がった価値規範がガラガラと音を立てて崩れていくほどに強烈なものだった。今はそれしか言えない。
<216> アーネスト ■2005年03月28日 月曜日 01時12分31秒
大学のゼミ教授には本当に助けられた。うつ病になった時も相談に乗ってくれたし,特別に父親との面談もしてくれた。今思えば,かなりしがみついてしまった感もあるが....苦労したのは卒論だ。自分が何について書きたいかのかさっぱり分からなかった。一度設定したテーマを変更して,何とか終わらせた。
<215> こくーん ■2005年03月26日 土曜日 04時28分11秒
運動は本当に苦手だった。
小学校の頃というのは、運動ができるか否か、ということがクラスの中のパワーゲームを大きく作用したように思う。
足が速いか、遅いか。
跳び箱が飛べるか、飛べないか。
逆上がりができるか、できないか。
ドッジボールで活躍できるか、そうでないか・・・。
それができない、ということが人間として劣っているような気持ちにさせられた。自分は本当に大人しい子だったのだろうか、とふと思った。大人しくなってしまったんじゃないかって。
『勉強』と『歌』にしがみついた。自分のアイデンティティを保つために。
だから、『勉強』の地位が上がってくるにしたがって楽にはなっていったけど、基本的に染み付いた『勝てない』感というのは強く残ったように思う。
<214> いつか ■2005年03月25日 金曜日 14時06分25秒
保育園のとき、友達と二人でさぼった。
行く振りをして、庭で遊んだ。
三日目に近所のおばちゃんに見つかり、お菓子と甘いホットミルクをごちそうになった。やさしいおばちゃんだった。
母がものすごく怒っていて、途中から記憶が無い。
<213> いつか ■2005年03月25日 金曜日 09時59分09秒
学校って怖かったな。心閉ざしてた。女の子いやだったな!強い意地悪な子。小学生のころはほんとにいやだった。苛められたし、苛めた。
転校もしたし、勉強もきらいだったし。先生にまでばかにされてたし。
もっと皆と話してみればよかったかもね。
先生にも相談できたらよかったのにね。
<212> 豆だいふく ■2005年03月25日 金曜日 08時47分14秒
そう言えば、小1の時登校拒否(厳密に言うと拒否しても引きずって学校へ連れて行かれた)をした。それまでは父方の実家の近くの幼稚園に通っていたので突然自分の家の近くの学校へ通わされたのでだーーれも友達が居なかった。特にイジメとかはなかったんだけど、教室に居ると目がグルングルン回って毎日気持ちが悪くなった。毎朝「行きたくないよー」って泣いたっけ。もちろん優しいマイママは許すはずはない。まあ、仕事に行かなくちゃならないからしょうがないんだけどね。小学校までを引きずって行かれた(右手がちぎれるんじゃないかと思ったさ。オンブとか他に方法は無かったのだろうか・・・。まあいいや。)。で、毎日朝校長室に連れていかれて校長先生直々のお説教(先生ありがとう)。そんなんが3ヶ月続いたっけ。母はその当時の話をする時とても自信に満ち溢れた様子で「あんたを1日も休ませなかったのよ!」と語る。はあ〜。私の記憶では幼稚園当時で既に母に対して「反抗心」を持っていた。幼稚園の頃に「こやつだけは信用できない」と密かに思っていた。それでも母親を求めていたんだと思う。自分をわかって欲しかったんだと思う。根本の部分では今も変わっていないのかもしれない。でもそれは夢のまた夢だね。今は自分が傷付かないようにすることで精一杯っすよ。
<211> アーネスト ■2005年03月24日 木曜日 22時00分18秒
小学校四年の学年文集に「将来の夢:やくざ」と書いて,その横に傷だらけの自分の似顔絵を書いた。親に怒られた。あの頃は学校でも奇声を発したり,低学年の子をからかったりと奇行が多かった。が,不思議とそれ以外の記憶がない。多分、親か先生の目を引きたかったんだと思う。
<210> アーネスト ■2005年03月21日 月曜日 19時23分45秒
中学の頃、先生に歯向かっている人達が羨ましかった。彼らは僕の母からすれば口汚なく罵る対象でしかないんだろうけど,彼らは教師とも対等でいたし,良い友人もたくさんいた。一方自分は母子密着のマザコン野郎。部活と英語だけが取り柄のスクエアな人間。第一ボタン外すなんかご法度で,苦虫を噛み潰したような表情で生きてきた(今も噛んでるけど)。中学に戻りたい。戻って,自分の目で世界を見て,自分の意志で生きてみたい。親に目一杯反抗したい。甘えたい。今、中学生だったら絶対部活なんかはいんないだろうね。煙草は吸うだろう。不良とつるむだろう。でも,どうかな,逆にパシリにされる可能性も否めないね。気が小さいから。だから部活という枠に入っていたのは正解だったかも...。
<209> soulmen ■2005年03月18日 金曜日 18時55分50秒
小5の夏休みの宿題だった自由研究。
ちゃんとやったんだけど、提出しなかった。
みんな友達と発表してた。
一人で発表するのが恥ずかしくて嫌だった。
<208> soulmen ■2005年03月18日 金曜日 18時20分12秒
外に遊びに出ることを許されなかった小学校5年生の夏休み。
友達からの誘いがあっても「僕は勉強をするから、遊べません」と答えなさい…!?そんなこと言えるわけないないでしょう…。
一度だけ抜け出したことがある。親父が昼寝している隙に。
俺は後の始末を、どうつけるつもりで出かけたのだろうか。

終わりがなく、解決の逃げ道を与えられない説教。
「お前がやることやっていれば、遊びに出かけさせてやったのに」
意味のない言葉のように感じた。
俺が頑張っても、結果を出しても、ケチをつけるだけの親父。





<207> アーネスト ■2005年03月17日 木曜日 14時46分43秒
(偏った見解が一部あります。不快に思われたらごめんなさい)

自分はずっと「いい子」ではないと思っていた。自分の思ういい子は温室育ちで軟弱な印象しかなかった。かたや自分は運動部だったし,たしかに少し真面目すぎるところはあったけど,むしろ「硬派」とか「熱血」と自分のことを思っていた。でも実際には親に背けない「いい子」だった。そこにはスポーツをやっているとか,いないとか関係ない。完全に精神的、人格的なものだ。そして自分の偏った考えで随分自分の首を締めてきたし,人も傷つけてきた。
<206> アーネスト ■2005年03月17日 木曜日 07時10分09秒
私は大学に入ってから自己教育力のなさを痛感した。自分で調べること,その方法,どれもさっぱりわからなかった。そういう欠点が露呈したのはレポートだった。今はそれほど苦でもないが,昔はその書けなさ加減に驚いた。自分の主張というものもないし,文章構成も支離滅裂。おまけに完璧主義で時間ばかりかかる。人が2しか費やさないところに10のエネルギーを使ってしまう。でもそういう経緯があったから今は少しはマシな人間になりました。
<205> アーネスト ■2005年03月16日 水曜日 13時10分28秒
いつも周りから浮いていた。いじめはなかったけど,よく知らない同学年の人や下の代の生徒からも「あーあんたは部活を真面目にやってえらいですね」という感じの皮肉を言われた。腹の底ではそういう面しかない自分の本性が暴かれるのが怖かったけど「お前らにはわからん」という傲慢な態度をとっていた。中学の頃って振り替ええてみると離人感というか全然リアルじゃないな。
<204> こくーん ■2005年03月16日 水曜日 05時25分29秒
『優等生』とか『いい子ぶってる』と一部の女子生徒から嫌われたのは高校時代。
(しょうがないじゃん。実際、あなたたちより頭良いし、いい子だし)
と開き直っていたから、いじめられてるとは思っていなかった。多くはないが友達もいたし。
でも、そういう態度って、口に出さなくても伝わるもの。
ますます険悪になっていった。
開き直っている割に、摂食障害の軽いのを体験したのもこの頃。夏バテもひどかった。
学校は計画的に休んでいた。
(大学推薦基準が欠席日数10日以下だったから、1学期に1日はOKと)
『女子は集団になると、怖い』
という気持ちが今もあって、女性の集まりは倦厭してしまう。
公園デビューとかPTAとか、今のところ全然関係ないけど、大変だろうなあ、と思う。
異端であることは勇気がいるよね。
<203> こくーん ■2005年03月13日 日曜日 23時24分26秒
集団の中で身の置き場が見つけられない。
そのことに気づいたのは、いつだろう。
私は間違ったことはしていなかった、ルールはちゃんと守ってた。
でも、集団の中の空気を読めないことで、連帯感を壊していたかも。
きっと不快に思った人がいただろう。
学生たちを見ると、後悔する。
今なら、もう少しうまくやれるって思ってしまう。
<202> ミルキー ■2005年03月13日 日曜日 12時14分51秒
中学1年生の頃の事。
音楽の先生の話。

私は、一度とてつもない鬱にかかって、1週間動けなかった。
熱もなかったし、体の不具合ではなかったけど、顔は青いし、目の下のクマがひどかったらしく、祖母も学校を休む事を許した。

その間に、学校の方では、音楽の時間に なぜ私が休んでるかというのが話題になったらしい。みんなが何を言っていたかは知らないけど・・・
そしてその頃 クラスは音楽の時間に笛の練習をしていた。

私は1週間休んで、学校に行くと、速攻 笛のテストがあった。
私の順番がきて、授業に出てないのに、完璧にこなした。
私はピアノをやっていたし、特に笛は好きだったので、家でも良く吹いていたし、楽譜を読むのも苦労はなかった。
毎回 好きな曲を、一発で吹ける事ができた。

先生は びっくりして、授業一時中断。
先生は 私のことを誉めてくれた。
でも、これは ありがた迷惑でした。

みんなの前で、「いじめられてて 学校休んでるって聞いたから 心配してたのに ちゃんと笛吹けて 先生は嬉しい」みたいなことを言った。

先生 心配してくれたのは ありがとう。
でもさー、いじめてるみんなの前で いじめられててって ちょっと 禁句でしょ??
でも、心配してくれてたのは 通じました。ありがとう。
<201> ミルキー ■2005年03月13日 日曜日 11時57分05秒
私の中学校時代。
先生 最悪。家族 最悪。友達 最悪。

中学校では、いじめられてました。
友達いませんでした。
休み時間にお話しする友達がいないのが恥ずかしくて、ウォークマンや漫画を持って学校に行っていました。
ひとりで 漫画読んだり、音楽聴きながら 休み時間過ごしていました。

ある日、美術部の先生が私のウォークマンを発見しました。
笑いながら 見せてというので、得意げに渡しました。
その(女)先生は まだ笑みを見せながら、没収だよ と嬉しそうに去っていきました。。。

私はこういう時、瞬時に物事を考えられない。
だから、しばらく ぼーっと ぽつーんと、していた。
しばらくしてから、私の一人ぼっち対策用のウォークマンを取り上げられた事が分った。
その日から、その先生は私の敵になった。
っていうか全員 先生は敵だったんだけど。
特にクラスの担任は苦手だった。
運がいい事に、私のウォークマンは学年主任の所に行ったらしい。
担任じゃなくてよかった・・・
(っていうか あの取り上げた先生は 担任じゃなくて 学年主任に渡したってことは、事を大きくしたかったんだろうけど)

私は学年主任の所に行く。
私  先生・・・私のウォークマン・・・
先生 あ〜。こういうのは、盗まれたりしたら大変だから 気をつけるんだよ。

へへ〜んw私は解ってたw 学年主任は唯一心が広くて、私の置かれてる状況もなんとなく解ってると。。。
私は 取り上げた先生の顔をぎろっとにらんで、職員室を後にしたのだった。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.