(連続ですみません)
小学校の頃の万引きがばれていなかったら自分の人生はもっと変わっていたように思える。あの日を境に,極端に物事に怯えるようになった。中学では自分の周りの人全てが大人で自分に脅威をもたらす存在であるように思えた。だから友達はできなかった。権威者であり庇護者である教師の承認を得ればいじめに遭わず(友達がいなくても)疎外感を味わわずに済むと思っていた。実際、そのとおりだった。いい子でいればオールオッケーだった。自分の内面に目を向けずに,ただ周りが何を求めているかに常にアンテナを張り,即座に察知し,ぬかりなく振る舞えばそれだけで良い。ある意味,思想的にカラッポだった。どんなに真面目そうに見えても,どんなに硬派に見えてもカラッポだった。それが悲しい。自分で考え行動すれば責任も付きまとうが,少なくともカラッポではない。誰かに支配されることもない。承認を追い求める必要もない。力の抜きどころもわかったはずだ。そう,自分はカラッポだった。今でもしっかりしてそうとか,大人びているとか言われる。それは風貌だけだ,中身はカラッポだ。
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