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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.10
メッセージ数:200件

<200> アーネスト ■2005年03月12日 土曜日 22時53分12秒
(不快に思われたごめんなさい。あくまで私個人の意見です)

結局、後残りの2セメスター,無難に確実に通り抜ければいい。AとかSを取る必要はない。単位が取れればいい。年々ラクになってきてるし。それに...それに学生のうちに挫折してよかったんだと思う。社会に出てからではなかなか軌道修正が難しいだろうから....。おれは恵まれてるんだよ。この3年間で本も結構読んだし,論理的思考能力も格段に上がったしいいじゃない?今の自分にOKだそうよ。ね?
<199> アーネスト ■2005年03月11日 金曜日 15時50分23秒
第一ボタンを外すのが,何故いけないのだろう?煙草を吸うのがなぜいけないのだろう?万引きはなぜいけないのか?そんなもの思春期の気まぐれ的な一過性の産物に過ぎない。それよりも大人になって挫折する人間の方がよっぽど不甲斐ないじゃないか(これはまくまで自分に対して言ってますのでご了承ください)。中学の時にもっと暴れておけばよかった。親か教師を暴力沙汰にまで持ち込めばよかった。そすればもっと自分をわかってもらえただろうし,自分を確立できただろう。
<198> ミルキー ■2005年03月08日 火曜日 10時17分08秒
↓家族の方に書いたつもりでした。
ごめんなさい。
<197> ミルキー ■2005年03月08日 火曜日 09時07分54秒
私の家ぼっとん便所だったんだ。
思い出した。
お母さんが うん○汲み取り業者に電話すんのめんどくさがって、しばらくトイレ使えなかったっけ。
そのうち お風呂のお湯も ガス管がさびてるかなんかで 出なくなって、お風呂も入れなかったな〜。
学校で臭いって言われるわけだよなー。
気にして 冷たい水で 体洗って 中学校行ってたんだよな。
そのうち おばーちゃんちで住むようになって、自分の部屋ができて、お風呂もトイレもあったけど、決して天国じゃなかった。
うちのクソババー風呂の水2週間変えないんだ。
中学生で性病発症。ついでに膀胱炎も。
膀胱炎になった理由は、私の部屋が2階だったんけど、クソババーが2階のトイレを開かずの間にしやがった。
完璧嫌がらせ。
そんで夜中1階までトイレに行くと、うるさいと叱られる。
だから我慢してた。
最低。なんでうちは あんなに不潔なんだろう?
そういえば お母さんの家にいた頃、同級生に あんたソーセージの臭いがするって言われた。私は なんのことだ?と思ってたけど、夏に母の家に行ったら、確かにソーセージの臭いがした。

もう うち最悪!
きったねぇ!


<196> こくーん ■2005年03月04日 金曜日 04時57分36秒
別段意識してそういうことをしていた訳ではない、と思うのだけど、
高校生の頃、
例えば、寝坊して朝の補習を休んでしまい、先生に謝りに行ったところ、理由を言う前に、『身体の具合が悪かったのか?』と言われ、思わず、『はい』と言ってしまった。
例えば、運動部に所属していたのだが、もともと運動能力が低い上、怪我に見舞われたこともあって、途中でやる気を失ってしまった。そこで顧問の先生に退部の旨を告げに言ったのだが、やはり理由を言う前に、『そうか。受験も意識する頃だし、学業に専念したいということだな』と言われてしまい、やっぱり、『はい』と言ってしまった。
提出物の期限(時間)を遅れてしまったときも、提出時に質問をしたところ、
『この問題をずっと考えていたのか』と言われ、怒られなかった。
体育大会の練習もそう。もともと暑さには弱い上、高校時代はストレスで体調を崩しがちだったため、保健の先生が『無理しないで休んだら?』と言ってくれるのに甘えてた。
……得したかのように思いながら、本当は大切なものを磨耗させていたような気が今はする。
私の弱さ、脆さを分かった上で、先生たちが先回りしてくれていたのなら、なんとなく救われるけれど。
私はずるかったと思う。先生、みんな、ごめんなさい。
<195> ロヴィン ■2005年03月03日 木曜日 14時14分45秒
中学の一学期の終業式にもらう「夏休みのしおり」みたいなのを真面目に読んでた。「夏休みは気分が開放的になりがちです。規則正しい生活を心がけましょう。また冷たいものの食べ過ぎ飲みすぎに注意しましょう...etc」僕はそれを読んで「うーむ,そうであるのか」と納得していた。ただ実際に夏休みに入ってみると自己指導力というか自律性が全くなく,いかに他律的であったかを思い出す。僕は部活をやっていたから生活は規則正しかった。でもそれは自立じゃない,他律だ。 それから「時間と仕事量の関係」が全く分かっていなかった。例えば苦手な数学をやらなければならない時はもう絶対TVなんま見るもんか,っていうモードでやるんだけども,それが自分の首を締めているのに気がつかなかった。上手く説明できないけど,僕はいつも結果や中身より,過程や形式、儀礼的なことを重んじる傾向があった。例えば苦手な科目は,じっくりのんびり時間を掛ければいいや,という考え方ではなく,「苦手なら科目なら授業の頭から尻まで,ただの一言も聞き逃すな,お前はできないんだから血眼にならないとだめなんだ」というわけのわからない強迫的な態度を取っていた。今はその理論の不毛さがよくわかる。難題こそ時間をかけなければならない,という事実。
<194> 豆だいふく ■2005年03月02日 水曜日 18時05分28秒
なんだか皆さん学生時代やるべきことやってる人ばっかなんでカミングアウトしにくいんだけどお。やっちゃいます。私は学生の頃ホント勉強しませんでした。授業中は寝るかウォークマン(ちょっと古い?)聞いてた。正直言って何の為に勉強するのかが理解できなかったのです。でも、ワタクシお得意の「こざかしさ」で友達とかに助けてもらって試験はまーまー通れたんだよね。んで、今私の中で学歴コンプレックスがあるんだけど、何ていうか学歴が無いことがコンプレックスなんじゃなくて、「やるべきことをやれない人間コンプレックス」が強い気がするのさ。だいたい先生にも失礼だよね。一生懸命教えててんのに音楽聞いてんだよ!あーなんつーやつだ。結局自分の周りに思いやりをもてない自己中人間なのだよ。
先生・友達ごめんなさい。4月からは自力で泣きながら勉強させて頂きます。
<193> ロヴィン ■2005年03月02日 水曜日 14時06分52秒
小学校1、2年の担任の先生は好きだったと記憶している。兄も御世話になっていた先生で昆虫や植物の採集が大好きな本当に素敵な人だった。僕はオナモミやカラスノエンドウを採ってきては先生に見せていた。そうするとご褒美でシールがもらえた。後,クラス通信も頻繁に刊行していて,そこに生徒の絵日記を載せてくれた。僕も夢中で,日記を書いたし,よく載せてもらった。そして,ひいきする人ではなかった。本当に,自分が素のままでいれたのはその時期くらいかな。後は算数でつまづいたりで本当に嫌だった。特に中高とも数学とか理科が死ぬほど嫌いで(ごめんなさい)苦痛以外の何物でもなかった。体育も陸上以外全部嫌いだった。

20歳ごろになって本を読むようになってからは勉強というモノも,自分なりのペースでやれば,苦手なものも結構面白いなと感じている。

(連続投稿でごめんなさい)

<192> ロヴィン ■2005年03月02日 水曜日 13時55分50秒
ずーっと不思議だなーと思っていたことがあって,それは学校の無い日に何をしてたか,っていうのが思い出せなかったんだけど「家族」のカテで書いてたら思い出した。僕には級友と呼べる人は,中学はいなかった。高校に入ってだいぶ社交的になったけど,それでも休日に遊びに行くようなことはなかった。中学は皆無。出,何をしてたかというとあのバカな両親の「御伴」にされてわけだ。もう兄が反抗期に入ってたからお供には僕が最適ってわけだ。あー,つまんなかったなー。それでも明らかにあまりがあるんだよね。一年のうちに土日って大体100日前後だとして,その内,3割は部活の試合で潰れ,残りの7割は何してたかっていうと,その内の過半数はお供をしてたと思うんだよね。で,残りは多分テレビゲームだと思う。一人でできることっつったらゲームくらいしかないしね。
<191> こくーん ■2005年03月02日 水曜日 01時50分02秒
学校生活においてどう優れているか、ということが長い間、親からの承認を得る1つの方法だった。
学業で優秀であること。(それに満足しないこと)
合唱コンクールでソロパートを任されること。
絵画コンクールで賞を貰うこと。
正しい、規則に忠実な生徒であること。
中学1年生の保護者会が終わった後、母は私にうれしそうにこう言った。
「先生がね、あなたのことを『掃き溜めに鶴』だと言っていたわ」
母の喜びように満足感を覚えた自分を、今は恥じる。
それは私がクラスの中で異質だったということではないか。
<190> ロヴィン ■2005年03月01日 火曜日 18時24分30秒
なぜ自分が部活というものに固執していたのか?学校のクラスと部活では何が違うか? それは集団の存在意義の違いである。部活が例えば,集団競技であれば○○大会優勝であるとか一つの目標を達成するためのチームとして成り立っているのに対し,クラスにはそういった団結意識はない。全く無いわけではないだろうが,部活ほど強固な団結意識を必要としない。クラスの方では団結と言うよりは,そのクラスでいかに適応しているかが当時の僕にとって重要だった。クラスの人間関係は流動的だ。部活のように○○は部長、○○は副部長といった役割も(委員会を除けば)ない。その点、部活では,少なくとも活動時間内は各々の役割が明確である。また,そこには必然的に,目標達成のための団結以外に「助け合う」という関係が生じる。グランドメイク,後片付け,事務連絡など部の運営を円滑にするには助け合いが必要なのだ。そしてこの「助けること」こそが僕のポストだった。誰よりも早くグランドに現われては石灰でラインを引く。しかも半ば強迫的に。誰に言われたわけでもない。自分がしなければ,という根拠のない使命感みたいなものを感じていた。そして後からタラタラくる連中を白い目で見ながら,暮らしてた。「こいつらは,やる気がないのか?」と。でも,今はそれが間違い(という言い方は正しくないかもしれないが)だったことに気付いている。なぜあんなに「いい子,真面目な奴」である必要があったというのだ? 誰のため? 人のため? 自分のため? 僕はこともあろうにそういった自分の熱さを「自主性」とか「主体性」であると思い込んでいた。それは社会で言われる主体性とは全く別のもものだった。否,それは主体性ですらないのかもしれない。それは僕の自由意志というよりは僕の承認欲求を満たすためや,「役割」と「アイデンティティ」の混同からくるものだったのだ。そう自我と役割の混同。あの頃の級友は私のことを異口同音に「真面目な奴」と言っていた。真面目というのは,実は性格を現わす言葉とは別の次元にあるのではないかと思うことがある。それは例えば「ひょうきんだ」「優しい」とかいったたぐいの性格と並列できるものではない,と思うのだ。敢えてあの頃の僕の性格を現わすとしたら「地味」とか「目立たない」といった言葉が適切だろう。

中学3年の卒業文集で「クラスで『優しい人』のナンバーワン」に選ばれた。そうなってしまってもしょうがないだろう。クラスに居場所の無い僕はひたすら「人助け」の生き方をして来た。レクで出し物があれば,中心になって働き,弁当の時間にはみんなにお茶を注いでくる。ああ,あの頃の殺伐としたランチタイムが浮かんでくるよ。

そうそう,レクで思い出したけど,集団作業で友達と喋ってばかりの人間がいると過剰に(口には出さないが)腹を立てたのを覚えている(高校の文化祭では,それで切れたこともあった)。「俺はこんだけがんばってる,なのになんでお前はそーなんだ」と言う言葉がいつも口から出かかっていた。でも今の僕が,当時の僕を見たら多分、こう思うだろう。「なんでお前はそこまでがんばるんだ?」と。

とにかく僕の学校生活,少なくとも中高6年間は「真面目で」「地味な」ロヴィンとして生きてきた。好意的に見れば「真面目で地味な」ロヴィンなんだろう。でも僕そのものは一体,どこで何をしていた?今の僕なら,その当時の僕の胸倉を掴んでこう言うだろう,「おい,お前は一体何のために,誰のために生きているんだ?そんな役割捨てて,もっと人生を楽しめよ!!」と....。
<189> こくーん ■2005年02月28日 月曜日 01時28分00秒
大人の気持ちを読むことに長けていたのだと思う。
先生との関係、距離感は悩むこともあったが、上手くいっていた。
先生にとって「良い生徒」であることは比較的簡単だったし、分かり易いことだった。そして、「良い生徒」であれば、先生も優しいので関係は良かった。
また、良い意味で良い(?)先生とも巡り合った。
私にとってはクラスメートの方が困難だった。
なぜ、トイレに集団でいかないと友達になれないのか。
なぜ、悪口に参加しないと仲間とは見なされないのか。
私には「?」なことばかりだった。
同じ疑問を持っていた少数の友人ができたが、クラスの中ではマイノリティだった。(高校時代)
今はどうかな?心の持ち様でもう少し楽しい学生生活を送れたかもしれない…とも思うけど。戻ったら同じかも。
<188> いつか ■2005年02月27日 日曜日 11時16分56秒
いつも、いつも孤立していた。
皆が楽しそうにみえた。
皆を軽蔑していた。
ある人に、「私は、いつかのこと好きなのにいつかは私のこときらいなんだよね」。と悲しそうに言われた。
誰にも心をひらかず、ライバルには、殺意さえ抱いてた。
15の頃。
<187> ロヴィン ■2005年02月27日 日曜日 00時48分42秒
なんで学校は性について教えてくれないの?大事なことでしょ。
<186> ロヴィン ■2005年02月26日 土曜日 12時55分40秒
非セメスター時でも,ある程度何かを課すことが必要。
時間に寄りかかりすぎないように,悪いところを直せますように。
<185> ロヴィン ■2005年02月25日 金曜日 11時39分19秒
多分、「〜部の○○です」っていう肩書きを持って初めて学校の成員として認められるっていう意識があったんだろうね。「〜部の」を取ったら自分じゃないっていう...。だから部員と素の付き合いをするのが苦手だった。高校はそうでもなかったけど,中学は特に。なんだろう,上手くいえないけど,依拠しているものが欲しいんだよね,常に。それは今でも。何かを成し遂げたとかそういうことより何かに属していることで,そしてそこで順応していることで初めて自分の価値を感じるみたいな。これはもう性癖だね。だからクラスメートのざっくばらんな付き合いが苦手。
<184> ロヴィン ■2005年02月25日 金曜日 03時39分46秒
また気付きがあった。
「どれだけ学校に適応しているかが自己評価の基準だった」自分。
そして恐ろしい事に(本当に恐ろしいことだったんだ!!)僕は他人を評価する際にも,その基準を当てはめていた。僕は中高大とずっと体育会の部活にいた。僕は幸か不幸か(多分,不幸だ)小学校の頃に,足がそこそこ速いことに気が付いてしまった。だから中高は陸上部。大学はやはり身体能力を生かせる(名前は伏せるが)ある球技部に所属していた。僕はなぜ部活にこだわり続けたのか?@クラスに友達がいないからA手っ取り早く承認欲求を満たせるからだった。もし部活がなかったのなら僕は,自分の所属する場所が無かったのだろう。勉強は嫌いだった。だから絶対に勉強で自信を得ることは不可能に思えた。やはり部活しかなかったのだろう(それは小学校高学年から感じていた)。部活を失うのが怖かった。居場所を失うのが怖かった。認めてもらえなくなるのが怖かった。僕は部活に出るために学校に行った。部活をやっていなかったら不登校になっていただろう。それだけ自分にとって部活引いてはその帰属感が重要だった。だから大学の部活を退部したことに,あれだけのショックを受けたのだと思う。つまり学校という社会に適応するために部活が必要だったのだ。仮住まいというべきか...。そして学校という社会にどれだけ適応しているか,どれだけ認められるか。僕は,僕を承認してくれる指標を失った時,果てた。
<183> ロヴィン ■2005年02月24日 木曜日 01時12分57秒
今回の成績。Aが3つ,Bが一つ。あの状態でよくやれたよ,ほんと。有○さんじゃないけど,自分で自分をほめてあげたいです。
<182> ロヴィン ■2005年02月23日 水曜日 16時49分40秒
うつ病を患ってからというもの,@大学を無事に卒業することAそのために体調を管理することにのみ始終し,他のことに頭が回らなくなった。卒業から一年経った現在では教採,実習を無事に終えることに神経を使わなければならない。 ともかく9月にACを自覚して,今セメスターも実にスリリングというかストレスフルな,ものだった。無事単位は全てパスした。ようやく春休みに入れます。よくがんばった。
<181> こくーん ■2005年02月22日 火曜日 23時17分13秒
国語の授業中、先生の誤りを指摘したところ、
他に誤りがあったか、と尋ねられた。
その時、「ありません」ではなく、
「他には気づきませんでした」と答えたところ、
「君は、政治家になれるね」
と言われた。
何だろう、この言葉に傷ついた。
いつまでも忘れられないでいる。

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This script written by Shintaro Wakayama.