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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.62
メッセージ数:1240件

<1240> 葉 ■2008年04月06日 日曜日 20時14分49秒
家族関係が人間関係の縮図というか
そう言う感じだなぁと改めて思った

まず馬鹿にして下に見る
気に入らないと無視する
整合性の無いことをしても逆切れしかも覚えていない
馬鹿でぼーっとした子供だという態度で人としてみてない

そんなこんなが続くと人間不信と
閉鎖感と孤独感と不安でいっぱいになる
機嫌をとる
顔色を伺う
疑心暗鬼になる
気持ちが不安定になる

疲れる
楽しめない
不振

そんなことの繰り返し
良い人間関係なんて築けるはずがない
他人を好きになれる方が難しい
そのくせ家族で得られなかった理想を他人に期待して玉砕
大きく矛盾して
また不安定

さてどうしようか
<1239> アーネスト ■2008年04月03日 木曜日 23時30分02秒
すごくね、これは難しい問題なんだ・・・スポンサーを見つけて今すぐ解決する!!とかそういう問題じゃない・・・むしろ、そうやって即時的解決を求めようとするところに、俺の行動パターンの欠陥があるのだから。そうやって即時的な ―そして仮初めの― 解決や痛みの解消を求めたからこそ、俺はアディクションにはまっていった(今も、だが)。そして結局のところ痛みは、人間関係からやってくる。しかも、痛みの原因は自分の外ではなく、中にあるのだと(今は頭で無理に理解している)。

同じ景色を見ている(ような気がする)。そして直感的に、「ここから逃げたら俺は絶対に、俺は永遠に逃げ続ける人生を送ることになる」という感覚がある。だからかつて逃げた経験が今、生きている(と思う)。いやたしかに自己陶酔なのはわかってる。多少の酔いは勘弁していただきたい。ただ直感的にそう思えるのは、ぶち当たっている問題が多分、あのときと同じだから。

パワーゲーム。はじめから、敗者も勝者もいない。勝手も負けても死ぬんだよ。正しいとか間違いとかじゃなく・・・集団が機能していくには個人の我を抑える必要がある、ということを僕は原家族で学ぶことができなかった。人間関係は全て正しいか正しくないかで成り立っていると錯覚して(あるいは誤解して)生きてきた。そのため非常に辛い思いをしてきた。そう正しくあることではなく幸せであるほうを選びたい。

20代の初めに人間関係での底をついた。自分たちの怠慢を平気で正当化している人間たちを見て、腹が立った。それでもそこに居つづける人間たちにも。でも今はほんの少しだけ・・・たった一ミリかもしれない・・・それでも進歩したと思う。要は理不尽とか不条理とか・・・・あるいは一見、理不尽に見えるもの、一見して不条理に思えること・・・そういったものに強く強く反応する自分がいる。僕はいつも「理不尽だから」「これは理にかなっているから」という理由付けをしてから、怒っていた。ある書籍には、怒りに注意すべし、とあった。そう・・・justifiable angerとかrightous anger という言葉だと思う。怒りは上手く捌ける人にしか捌けない代物だ、と。とにかくここから逃げてはいけない気がする。
<1238> ぺあ ■2008年04月03日 木曜日 12時45分21秒
続き・・・

そう思っていた。

感情で感じて、誰かと現実を把握して、共有して、楽に生きたことなかった。誰かと問題を妥協したりしても、解決して、乗り越えたことも一度も無かった。

 いつも、友人を査定しながら生きるようになってからは、それこそ少し強くなれた気がしたけど、それは、その場で嫌なことを言われても、絶対に顔には出さないのね。相手に合わせるの。それで、その後で、怒りをもって、持続して、今度、隙を見計らって、私は、相手の弱っている時に、それを出す。その怒りを。
 というよりも、嫌なこと一言、1つでも私の意に沿わなければ、「絶対に許さない」って心に誓って生きた。その時点で見限るのね。でも表面上友人面しながら、怒りを殺して、相手の一挙一動を、査定する。中学まではそれでいいのかもね。やっぱり、失礼ながら、嫌なことを言う人いっぱいいる、私にとっては心地の良い環境ではなかったから。でも今の学校にはそれを求めてはいけないよね。学校=終わっているから。(私が問題ばっかり今見ているから、もうそれこそレッテル貼っているだけなんだろうけどもね。でも、やっぱりいじめもそうだし、先生から、弱っているのに、性格にされて、家庭環境学校環境に順応していきてきた、精一杯の結果を「もっと意見言いなさい」だの「おとなしすぎる」だの「積極的になりなさい」だの性格矯正をさせられ続けたから・・・・しかも母も姉もそれを信じて私に向かってくるから・・・その怒りはすごいのね。私の偏った見方、なんだよね。学校=終わっているって。でもいいよね?そこまで書いても、私の怒りはやっぱりすごいと思う、学校というものに対して)
 大学時代は、嫌なことを嫌だって言おうと頑張ってきた。でも、その場ではいえないのね。やっぱり後々メールで書いたり。「あの時ああだった、こうだった」って。「その場で言って」って言われるんだけど、そう!そうかあ・・・つまり私は常に相手に順応しよう、相手を否定しないようにしようと、緊張し、意識を相手への心配配慮に持っているからなんだ・・・今少し分かったのだけど、私は、自分の思いを後々になって、思い起こして、「ひどい!」って思うんだ。
 そうそう。その時確かに感じているんだけども、シャットダウンしているの。自分の思いに目をつぶっているの私。で、暴発しないように、感情がね、暴発しないように、自分の思いを抑えて、調節して、「持って良いものかどうか、相手をめったうちにしないか、相手の環境、感情、育ってきた環境(ちょっと行きすぎかな?でもここまで考えるときもあった)」含めて結構考えて、相手とコミュニケーションを取るから・・・・

取るから・・・・・不満感情、や怒りは、出せないの。

そういうときに、あんまりひどいと・・・空間が歪んだり、気持ちがどんと落ちたりするけども・・・・私は小さい頃からの癖で、それにカバーをかけて、コミュニケーションを取っている。それは、「傷つきやすい人、かわいそうな人を壊さないために」。
 多分、父に対する思い、母に対する思いだった。姉もそうだ。それが、すべてに波及してしまったんだ。そうじゃない人もいるのにね。自分で何とか生きれるのが、普通の健康的な人。
 でも、うちの父は違った。アル中と同じ。自覚のない。下手すれば、このまま良くない方向に進む・・・・でも、ものともせずに、自分の感情を殺して、仕事で、地位を得るだけを考えて生きてきた父・・・・を見ていた私にとって、こういうコミュニケーションを取らざる得なかったんだ。いきなり怒ること、自分の感情だけを暴発して生きることは、できなかった。
 生まれつき、人の思いを「守る」ことを自分に課して生きる子だったから。父は、自死した。双極性気分障害なだけじゃなくて、仕事で、事故死してしまったその設計の責任者だった父、仕事でどんなにしても認められることだけを願って願って、でも、同期と比べ出世ができなくて、そのうち躁状態になっていたんだろう。朝毎日3時に起きて、新しい就職先の大手のところ見つけて、そこで、第2の人生としてまた働いて、設計責任者として単身赴任することになって、自分の力を能力を見せようとしたところ、またうつからもあるのかな・・・体調を崩し・・・自分を許せないと、自死してしまったんだと思う。多分・・・。分からない。

 私はこういう家で育ってきた。母は、「普通の家」だって今でも言う。「もっともっと辛い子もいつのよ!!!あんたは普通に育ったのに、何でそういう虐待だのACだの暗いことに興味を持つの!」って泣かれた。
 母へ不満を言えば、心を殺されるようなこといっぱい言われる。そして結局母は、私に泣き喚く。この家のこんな辛いことを見せられて、この家の不幸ヲ全部私にぶつけられて!」って、手のつけられないほど、泣かれまくる。


 カウンセラーさんに、不満なら今言ってください。それで言ってくれないと解決方法がないんです!って言われるけども・・・・・・・・


 人間関係の私のネックだったんだけれども・・・・・・・

 いじめられた小学生時代も言われ続けたことなんだけども・・・・

 大学生になっても言われ続けたことなんだけども・・・・・・



 まずは、私を精一杯生きてきて、(母も姉もほぼ気が付いてもないし、理解もしてないことなんだけども)、分からないように必死で父のストレスを和らげようと奔走し、この家のピエロ役として、小さなカウンセラー役として、育って、人の不満を一身に受け続けた、子供時代を、「ああすればよかったじゃないか」「今更何を言っても、どうにもできない!!!」と切れられたり、助言されたり、アドバイスを上からされるのではなくて、私はそんな死ぬ思いで生きてきた、一歩間違えたら、どん底に落ちていた私(過呼吸にもなった、中学校時代はまっすぐ歩けなくて、毎日ものすごいめまいに苦しんだ。高校時代は殺人犯は私だと自分に言い続け、ものすごい罪悪感とともに、自傷をしていた)を、今は、現実レベルじゃなく、ただ、「まるごと抱きしめて」「うんうん」って受け止めて欲しいの。受け止めて、全部肯定して欲しいの。

 それだけを求めて、生きていたんだろうな。大学時代も実習でも。自死をとめなかった・・・そう思っている、父の事。でもとめていたら、私気がついていた私がとめていたら、今度は私が壊れていたと思う。父は、優しいけども、ある意味子供にとっては、ものすごい残酷な人でもある。彼もまた、祖父の、「もらわれっこ」だった祖父の、親戚から冷遇され、世間からばかにされたコンプレックスを引き継いで、「良い大学に入って、えらくなれ」という教え、「見返せ、勝て」という教えを下に、無理難題を必死でこなし、親孝行していた。よく良いホテルで、祖父母とともに美味しい食事を、父の会社の保養地とかで食べたもの。子供時代、それが当たり前だった。毎年そうやって生きてきた。これって当たり前じゃなかったんだ。その中で、いじめられた、汚い自分を隠さざるえなかったこと。父の双極性気分障害は、誰も知らなかったこと、父も見なかったこと・・・・。
 全部リンクするんだな。私、って・・・・旅館の人も、すごい親切だったし、でも、お金の力だったのかな?
 父は地位を欲しかったんだ。地位だけを求めていたんだ。地位だけを。

 私の子供時代は、父の大企業の中で、保養地でも良い思いをし、消費はたっぷりし、テニスをしていたから・・・・食事もおいしかったから・・・・

 つまり、ある意味、父に保護され、父の会社名で、保護され・・・でのその中で・・・私は、自傷して現実とばし、して生きてきた学校があって。

 格差社会があるけども。やっぱり、本当に、それってやばいと思う。地位お金、子供時代、消費生活した。
 それを「恵まれている」とものすごい色んな人に、親にも言われた。

 でも・・・・・・・・・・・・・・

 確かに守られたいたね。人に傷つけられたことも無い、差別されたこともない。多分、祖父のもらわれっこであったこと、、、差別されてきたんだと思う。その苦しみは分からない。で、父はそんな思いはさせず、贅沢をさせた・・・・・・・・・・。

 でも、その中で、父に「これだけお前にしてやっているのに!お前は何が不満なんだあああああ」というものすごい怒りも反発を少ししたり、するだけ、ですごかった。学校辛くて死にたいと言った私に、「死ね」とも言った。「飛び降りたいなら、早くしろよ!!!」と。その怒りはすごかった。


 格差社会なんだよね・・・・・・

 で、私は確かに差別されなかったんだよね・・・・・

 人の目って今でもすごくあるんだ。上、下って。


 見る目って。

 でも、人の命を、地位やお金で差別するんだろうな・・・・・・・・

 でも、上って人から思われている人の中でも・・・・ものすごいそこから乖離して、現実を無視して、自傷しなければ生きられない人もいるんだ・・・・・・。
<1237> ぺあ ■2008年04月03日 木曜日 12時06分29秒
書きながら、自分の子供時代の処理の仕方を、残念に思った。
ぽんぽん気持ち感情、その時の思いを出して、ぶつかいあったり、いざこざのあった子たちは、それだけ、仲良しになって、思い出も沢山あるみたいなの。「え?傷ついたんじゃないの?」って心底怯えてみていた、喧嘩やいざこざも、当人たちは、全然、楽しそうに、気軽に忘れながら生きている。

 その場で、不満言ったほうがいいのでしょうね。

 私はね、嫌だって言えない代わりに、中学校くらいから自分の中で採用したのは、友人を査定することだった。何かひどいことを言われた。子供時代って、そんなの毎日毎日、学校に行くたびにあるわけでしょう?毎時間、毎分あるよね?私はあった。学校へ行くのは憂鬱だったし、今でも学校へ行かなくて良い人生になれたことへの感謝はすごいある。うっざいだいっきらいな奴らと同じ空間にいて、同じ人間として接しなくても良い、大人になれたことに。仕事だって、役割で関われば良いわけで、人間として関わるけども、調節できるでしょう?でも、丸裸で生きざるをえない子供時代は違う。猛獣の中で、丸裸で、武器を持たずに生きて、それをまた上で(教師)に査定されて、生きる。「もっと意見はっきり言いましょう」「あなたは消極的な性格でしょう」それをまた親に言いつける。親には、うちの母は姉もだけど、からかうように言うのが好きだから・・・「OOOOちゃ〜ん(私)だめじゃん、もっと嫌って言いなさい!」「だから、気が弱いんだよ」「お姉ちゃんにも言われるし〜、この子は弱い子だから、気が」「嫌だってこの子は言えない子」そういわれ続けた、子供時代。
 書きながらどんどんそれてしまうけども・・・・高校時代、いや大学になってからさえも、「強く生きなければ」「はっきり意見の言える子になること」場違いな場所でも、自分の感情を出して、これは、自分に強いて生きてきた。
弱い人=馬鹿にされる人=汚い人間=姉のようなきれいで一目置かれる子ではない子=皆からいじられる反吐が出そうなきったない人間
<1236> ぺあ ■2008年04月03日 木曜日 11時57分32秒
 いじめた子の誕生日を覚えているなんて・・・不思議だ。
 私は、関わりたくない人、いやな人に、自ら固執して生きる。離せない。なぜならば、私自身、生きていることが怖いからなんだ。生きていること自身、怖くて怖くてたまらないから、いやなことで頭いっぱいにしたり、取りこんだりして、自分の中に入れたくなるの。怖いから。私らしい、怖がりな子のための防御方法なんだ。
 暴力願望がすごい出るときがある。人の弱みを見せられた時。10歳の頃に入れられて、時空がねじれるように傷ついた、Nさんの右耳に虫をいれられらたこと。不思議だよね。「ふつう」の人は、きっと子供時代のひとこまなんて、忘れてしまう。でも私は、自傷しながら思い出す。はっきりとありありと、その近くにいた子の名前も顔も、着ていた洋服も覚えている。というよりも、その情景が今でもふっとあるの。自分がそこにいる気分になるの。あの子の、「鼓膜破れる」って大喜びしていたあの顔も、思い出すの。
 過去じゃなくて、今あるの。
 手放せないの。
 人と共有できないの。現在を。今でも学校時代の悲しい思い、思い出、人の一言を引きずって引きずって引きずって引きずって引きずり続けて生きている。

 カウンセラーの方に、「あなたがもしも不満があるならば、今ここで言わないと解消されないわけです」って言った。「もしも私を分かってくれない人という見方でしか見られなくなったら、それこそ私が何言っても、あなたは聞き入れないわけです」って言った。

 子供時代にね、私、本当に、「いやだ」って一切言えない子供だったのね。自分の感情を外に出したことは一度も無かった。ただただ、その人の期待を読み取るのだけは、長けていて、それこそ、それだから、私は学校の中で生きて、成績も良かったわけで。(教師の口ぶりで、多分、このあたりテストに出るって分かったし、クラスの人間関係や、男子生徒の感情の動き敏感に察知していたと思っている)
 でも、いやだって言ったこともなかった。自分の感情やしたいことをしたこともほとんどなかった。それをもっても良いとさえ思わなかった。誰かを傷つけるのは怖かった。だから、手っ取り早く、操り人形で生きてきた。他人の思惑の中にはまり、その中から抜けない。その人に対して、忠誠を誓い続ける。他者の期待を早々と察知して、その中で期待に応えながら生きる。自分の感情は、相手を驚かせるために、その人の思い描く世界観を壊さないために、封印して、「既成」のよくある「反応」だけを示して生きる。それだけを自分に課して生きてきた。

 当然、子供は、訳分からないエネルギーの塊で、無法八方に、来るでしょう?そして、見たまんまの世界を、見ては、その通りに反応するでしょう?

 私は、子供から見れば、何考えているのか分からない、自分の感情を殺して生きる、相手の言いなりにどこまでもなる子だった。そして、生きることすべてに怯えていた私に、子供はそれなりの反応をする。「怖がらせよう!」面白いから!「脅かそう!」何か、こいつおびえているし!
 大人であれば、背景を考えるよね?「なぜ怖がっているのかな?」よっぽど攻撃的な人じゃなければ、怖がっている人を、ますます怯えさせることはないでしょう?
 子供は、そこらへんが、多分、自分を見る力が無いから、自己洞察も、自己内省もできないから、相手の背景を知ろうともしないから・・・・

 からかい、いじめ。
 ちょっと変わっているから、雰囲気が変だから・・・・いじめ。

子供の雰囲気を読む力はすごいものがある。学校では子供の中にいて、子供のできない自分は、猛獣の中にいるようなものだった。私は、猛獣になれなかったの。なぜならば、家に帰れば、双極性気分障害を隠して認めない父がいて、仕事から帰って来ると、休日、本当に寂しそうにいて・・・どうしても父を理解したくて、ストレスをどうにか和らげたくて、必死でピエロをしている私がいて。姉はなんだったんだろう?姉に、私はものすごいぶつけられてきた。彼女はアドバイスしているつもりなのね。

でももともと、見聞きしていることを、ないように、「え?ないよ〜、なにそれ〜」みたいに空気のようにごまかす、この訳の分からない、自己効力感も、現実を動かせる、現実に参加できる、現実帰与感のない、この家で、ただ、「ストレスいっぱい」の「かわいそうな」「不幸そうで」「もたれかかって」「お前ならば分かってくれるよな?」っていう視線で見てきて、しかも、父の怒りとイライラピーク時の家族の中で始まる、まるで学校の教室の中のいじめ時間(母があげつらわれていた)(母はこの頃のことを、父がひどくぶつかってきて、泣きながら買い物から帰った日もあったと言っている。私がその中でどれだけ心を砕いて、私には父はあげつらうことはしなくて、その代わり私を分かってくれる奥さんのような顔してみたり、お前だけは分かってくれるよなっていうものすごい絡みつきの視線で囲ったりしてきた)のある、人たちの中で、必死で生きてきた私には、子供になれなかった。

 自分だけのことを考えて、自分の欲求を気が付いて、人を好きになったり、嫌いになったり、よくある子供の成長を踏めなかった。そこで生き抜くために、自分なりの方法で生きた。それが、「かわいそうな子」「友達いなそうな子」に取り付いて、その子の保護者として生きること。
 多分、「ふつう」の子供の成長を踏めて、生きてこられた人には、子供時代の、いざこざなんか、(誰々ちゃんが、嫌いで全員で仲間はずれ〜にしよう、とかある子にされていた、子が、その子と実は仲良しにその後なったりした)私が、心底怯えきっていた、そういうちょっとしたいざこざや、ぶつかり合いが、本人たちにとっては、大したこと無くて、現実に、互いの気持ち出し合った分、仲良しになっていたり、学んだりしているのよね、つまりそれで成長したり、自分の誤り修正して生きているのよね?私は、本当にそういういざこざに対して、ぶつかりあいに対して、すごくすごくすごく怯えきった子だった。決定的なことだったから。
 それは、父の双極性気分障害を父は認めてなく、結局自死してしまったわけだけど、それを感じながら成長せざるえなかった、しかも、「助けて」という父の視線と、「俺の姿見たら許さない!」という思いを汲みながら、必死で皆のストレスが和らぐように、父の何だか分からないものすごい怒りが母に向かうことのように必死で母を守ろうと、彼女が傷つかないために自分なりに小細工して生きてきた、私に何か関係していたのだろうか?
 運が悪かったんだろうか?そうやって、自信なくし、自己効力感も現実帰与感もなくし、人間に対して、「その人は自分で自分を助けられる力を持っているOKな人」とは一切思えずに、いつも私の「救い」を求めている人にしか思えなくなった、私と私を小ばかにして、鼻で笑って、自分より下に見て、下で留まって欲しい、姉、しかも「ああしろこうしろ」お節介な、私の決断にほぼ口出しする姉がいたこと。姉との絡み合いと子供時代と、父と母のこと。運が悪かった。学校でのことと。レベルがいつも低くて、感情が出ないように自傷している私。子供時代、私、つらかったんだ。
<1235> アラタ ■2008年04月01日 火曜日 22時50分51秒
だめだ。


やっぱり知らないこんな人たち。


私は変わってしまった。

以前の私はもういない


知らない人にあうのはこわい。

なにもいわれたくない。


なにも知られたくない。



『わたしはおかしくなりました』


ありありとその現実だけ知ってほしい。
<1234> アラタ ■2008年03月31日 月曜日 16時59分41秒
ああああ。

私。

つけこんでる。



ふりまわされてくれるから。



「あぶないよ?」といいつつ。



わかってほしいと思いながら。



あんなに一生懸命で誠実な人を。



私でぼろぼろになってほしいとおもう。



加害者じゃんこれ。



だれか・・・。たすけて。
<1233> 真名 ■2008年03月29日 土曜日 02時55分14秒
いちばんナチュラルでいられる相手が、彼で、男友達には気を遣ってしまう。
『仲良くなり過ぎないように』とか考えてしまうから。
『一線を引かなきゃ』とか思ってしまう。
そんなこと考える必要ないのかもしれないけど、ついつい考えてしまう。
これが疲れるもとなのかもしれない。

結婚してもあんまり変わらない気がするんだけど。
そうでもないのかな。

一緒に住んでると、平日一緒にいる時間は短いものの、接している面が多いからいろいろなことがわかる。
もうすぐ一緒に暮らして半年だ。
早いなあ。

最初は彼に結婚する気がなくて、悩んだりもしたけど、願掛けの印鑑(彼の苗字)が効いたのか、奥さんになったつもりで安心して暮らすようになったら、彼の気持ちが変わってきた。

何度か危機があったけど、乗り越えてきた。
ぶつかるたびに、彼の素晴らしさを知る。

冷静なところ、人の気持ちになる優しさ、大らかさ、あたたかさ。

私のことを深く愛してくれているのも感じる。

だから、いつもぶつかった後は、より仲が深くなる。

きっと、親密性は徐々に高めていけるものだと思う。
個々の精神性、霊性と同じように。
<1232> かえる ■2008年03月28日 金曜日 23時20分38秒
自分となんとなく毛色が似てる人。きっとまわりの人もそう思ってるんだろう…だから、雑談の中で事あるごとにその人の話題が私にふられる…なんか…いい気がしない。あたしは知らんよ。カンケーないもん。ただ話の流れとしてその人が登場するのは自然なのかもしれんけど…。やっぱ、ちょっとうんざりするし、何度もそーゆー事がかさなると、いい加減にしてくれ!!ってなる。…自分でも似てるって気は多少するが…仕草、雰囲気、容姿、興味があること、、、、まぁ、自分と似てる人は世の中に3人はいるとか言うし、、、けどさ、がてんがいかないのは、もうその人は身近にはいないんだから、何、今更?って思う。その人は苦手だったし、去るものは追わず主義なのだろうか…?
<1231> 真名 ■2008年03月28日 金曜日 01時18分43秒
当たり障りなくしてるほうだけど、きっちり嫌な人は分けている。
絶対に自分の大事なこととか話さない。
できるだけ距離を取る。
相手もなんとなくそれをわかってくれる人ならいいんだけど、執着してくる人はやだな。
そういう人だとわかったら、ますます嫌になる。
よく優しいって言われるけど、冷淡な面も持っている。
前みたいに二極思考ではなくなったけど。
<1230> アル ■2008年03月27日 木曜日 00時17分56秒
子供の頃から、自分は他の人と違うような気がしてた。同じような気持ちや意見を持つことがほとんどなかった。

それは今も続いている。

だから、話をするとき、全面的に相手に合わせて自分もさもそうかのようにふるまわなければならない。

疲れるんだよね。なんでこうなのか、全くわからない。
<1229> 真名 ■2008年03月19日 水曜日 03時16分24秒
共依存が7年前。
相手が自分の思い通りに振る舞ってくれないと、かんしゃくを起こしたり、かなりわがままだった。
相手は私のわがままを何でも聞いてくれようとする人で、私は甘えていた。
彼は私のわがままを助長していた。
典型的な共依存。

彼に手をあげたこともあったし、逆もあった。
くっついたり離れたり、不安定な関係だったし、心穏やかと言えるような関係ではなかった。
すべてが悪かった、というわけではないけど。
「相手に対して心を開く」ということを覚えた。
それだけは、収穫。

5年前は熱愛をした。
こういう言い方は恥ずかしいけど、自分の中では大恋愛だったと思っている。
でも、別れてしまった。
振られた。
あの頃の私は、自分に落ち度があるような気がして、それをカバーすべく、いろいろと努力していた。
気を遣いまくり、尽くし過ぎていた。
あとで、「世話焼き女房型の男性依存」ということを知る。
そう言われてみれば、そうだったと思う。
尽くすことによって、振られるリスクを回避しようとしていたから。
それでも振られた。
私の努力なんて、水の泡だった。
振られる時は振られるのだ、と知った。

彼といると身も心もとろけるような幸せをいつも感じていたけど、ああいう恋愛は長続きしないのかもな。

期間限定の恋だったのかもしれない。

ときめきドキドキはあったけど、いつも、彼が私をどう見てるかばかり気にして、気が休まらなかった。
刺激といえば刺激だけど。

あの人より愛せる人はいないって思っていたけど、今の彼を愛している。
タイプは似ていて、静かで落ち着いてる人。

わがままだった私が少しずつ(不器用ながらも)相手を思いやれるようになってきたのは、成長だと思う。
まだまだ足りなくて、理解不足だけど。


彼と出逢った意味は、なんなのかな?
「魂の成長」かな。
昔はその手の本をたくさん読んでいた・・・。

ソウルメイトに逢いたいと思っていたけど・・・。

深い部分で解り合えるからそうかな???


でも、思うのは、人間が完全に解り合うなんて無理なんじゃないか?っていうこと。
違うから面白いし、もっと知りたくなるんじゃないの?って思う。

人間関係は固定化されたものではなく、いつも変化していて、未完成。
私はそんなふうに思う。


<1228> ミン ■2008年03月17日 月曜日 22時56分02秒
私ってすごく冷たくて思いやりのない人間のような気がしている。
人の批判や評価が気になったり、他人の価値観に合わせようとしてきたが
ちょっと意識が変わってきて、改めて他人について考えてみたら
相手が私をどう思うか、という部分だけしか意識していなくて
相手自体を見ていたわけじゃないのかなって思う。
<1227> 真名 ■2008年03月17日 月曜日 02時19分56秒
あの人にもう会わない方がいいんだろうか。

魅力的な人だけど、会うと言っても個人的に二人出会うわけじゃないけど、同居人がいるから、ちょっと罪悪感がある。
でも、会わなくなるのも寂しいなと思っている。

まだ私は結婚してないけど、結婚した奥様たちは、みんなこんな悩みを抱えるんだろうか。

刺激を求める、といっても、浮気とかそういうんじゃないから、道徳的に悪いことをしてるんじゃないと思うけど・・・。

私の心次第だな。

迷いがあるうちは行動しないのが鉄則。
<1226> もえぎ ■2008年03月11日 火曜日 23時02分48秒
集団の中に入ると、怖れと萎縮が襲い、相手の反応にまた傷つき、悲しみと怒りを持て余してしまう。
わたしは、あなたたちを憎んでいる。あなたたちに激しい怒りを感じている。
たとえ、後悔でそのあと優しい好意を示してくれてもやはりあなたたちのことは許せない。
わたしに浴びせた、イライラや意地悪。それを許したらわたしは自分を否定してしまう。今日のあなたたちのふるまいを、わたしは絶対許せない。
<1225> かえる ■2008年03月08日 土曜日 01時00分00秒
私の男の子っぽいところは男兄弟、いとこも男ばかりの中で育ったからだろうな、、、最近、以前にも増して自分の女性らしさがうすらいでいってる気がする。もともとバサバサした性格だけど…なんか…女性らしいかわいい部分が全然ないよーな…。男の友達と一緒にいても、自分も対等に話そうとしてる?友達は友達だけど、、、、やっぱりもう少し女の子の部分があってもいいって思う。あんまり物怖じしない、マイペースなところ、なんだか冷めてる部分、、、、人としてもどうだろう?変な考え方だけど。こんな私の奥にこれまで侵入してこれた人達は男女に関わらず、凄いかもしんない、、、これまでに想う人の数は多くないけど、いつまでも記憶に残る大切な人達はずっと私の中にとどまり続けてる気がする。なんであんなに好きになれたのか?は、いまだに不思議。理由はなく、なんとなくでいい…。逆もしかりで、私の中で一番おそろしかった昔の父の姿を消すまでに長くかかった。あの父を通り越せたから、もうこわい人はいない。
<1224> ミン ■2008年03月05日 水曜日 14時30分35秒
信頼ということがまったくわからなくなってしまった。
またいつもの悪い癖「わかってるつもり病」なんだろうか・・・
人の気持ちはわからないから、わかってもらえなくてもいいと
思っていたけど、本当はわかって欲しかった。
わからなくても否定したりせずに間違ってる私を受け入れて欲しかった。
私は信用されてないんだって悲しかった。
反発したけど、自分の欠点を指摘されて
でも、自分では過ちを認めたくなくてムキになった気もする。

話の中で愛の力は何事にも勝るって、その人は言ったけど
そう思える基礎というか土台を持ってる人に言われても
そりゃ、あなたはそうでしょうよ!とひがみしか出てこなかった。
今の私には私を心配して甘やかしてくれる人は必要ないのではないか、
それよりも、見守ってくれる人がありがたい。
今はそう思ってる。
<1223> 真名 ■2008年03月04日 火曜日 21時44分14秒
<FB注意>

子供のころは、内向的で、引っ込み思案で、恥ずかしがり屋だった。
無口でおとなしい。

今は、その逆だな。

誰にでも話しかけちゃうし、ちょっとおせっかい。
人の幸せがうれしい。

友達作りで困ったことはなかった。
友達多くないけど。

友達っていつの間にかできてるものだと思う。
恋は違うけど。

友達のことは以前書いたから、今日は恋のことにしよう。

おばあちゃんは私のことを「恋多き女」と言って笑う。
おばあちゃんは過去15年間の私の恋をほとんど全部知っている。
相当苦労してることも。

つき合った人の数は人並だと思うけれど、長くて1年未満。
その人のことはものすごく好きだったけど、突然振られて、自殺未遂した。
薬を(家にある薬というくするをかき集めて)処方薬も含めて大量に飲んだ。

彼は理由も告げず「僕のことは忘れて」と言った。
連絡も一切取れなくなった。

彼は若かったから、人と別れるのも初めてで、別れ方というものも知らなかったんだと思う。

それでも私は、ひどく混乱していた。

怒りや憎しみは一時的なもので、悲しみだけが残った。

彼のことをまだ愛しているのに、彼はもう愛していないという事実を受け止めることができなかった。
つらすぎた。

あれから3年が経とうとしている。

「もう一生誰も愛さなくてもいい」と思うほど、彼のことが好きだったけど、1年くらいして新しい彼氏ができて、完全に忘れることができた。

その人とは1年近く続いた。
私から別れを切り出したけど、今も友達でいる。

別れても友達でいようというのは、つき合う前からの約束だった。
彼から言ってきた。

ほとんど連絡しないけど、新年のあいさつとか、お誕生日おめでとうのメールとかはする。

連絡しなくても、友達だと思っている。

会えばあいさつするし、情報交換もするし、冗談を言ってふざけている。

彼もさっぱりした性格だから、友達になれたんだと思う。

彼のことを悪く言う人が多いけど「いいとこあるのよ」で流している。
つき合ってみないと良さはわからない。
噂話嫌いだし。

もうひとり男友達がいるけど、その人も悪い噂をされている。
事実を確認して、一理あると思ったけど、真面目な所あるし、ガッツがあるし、いいやつだと思っている。
たまにメールが来る。

人を噂話で判断するのは嫌いだ。
会って話してみて、嫌な奴だったら、そう思うけど。
たいていいい人のことが多い。

私自身は、陰で噂されても、全然気にしない。
私のことをおもしろくなく思う人だっているだろうから。

私は、私を好きになってくれる人とだけつき合えばいいと思っている。
同性も異性も。

友達や知り合いの中には、緊張してあまり話せなかったり、聞き役ばかりだっていう人もいるけど、心地よくない感覚の中に何かがある気がして、会うと刺激になる。

緊張するけど、その人たちを尊敬しているから。
何かを吸収したいって思うから。
彼らの個性が好きだから。
惹かれるものがある。

気楽に遊びたいなら疲れない人を選ぶけど、たまには緊張感を感じる人にも会いたいって思う。

これまで書いてきて、ほとんど文章がまとまってないけど、これが私なのかなって思うし、人が好きなんだなって思う。

依存症だけど、振られても自殺未遂したくないな。
みんなに迷惑かける。

この間友達にメールで「調子が良くない」って言ったら「みんなを悲しませることだけは絶対しないで」と言われた。
彼女は深いところを解ってくれてる友達なんだと思った。
うれしかった。

昔は人と自分を比較して、羨ましく思ったり、悔しくなったり、落ち込んだりしたけど、今は違う。
いつの間にか、比較はやめてた。

みんな苦労してるところは違うんだなって思ってから。
みんな個性は違うしね。

まとまりのない文章でしたが、ありがとうございました。
<1222> かえる ■2008年02月29日 金曜日 17時38分16秒
まわりの人と自分の間に壁がある。溝がある。それは自らがこしらえたものなのか?私は私の空気の流れで動いてる。それは、誰も寄せ付けようとしない私の心意なのかな? …考えすぎて、余計にから回る。
<1221> 真名 ■2008年02月29日 金曜日 17時20分10秒
男性恐怖症、男性依存症、いっぱい苦しんできたけど、今は心穏やかな関係を結べている。
まだ私の状態が安定していないので、結婚は先送りしているけど、いつか結婚できたらと思う。
人から見たら、幸せなのかもしれないけど、何度か危機はあったし、いつも平々凡々というわけではない。
幸せをキープするのだって、エネルギーがいる。
悩みや不安を抱えるときだってある。
彼にはわからない、私だけの苦しみだってある。

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This script written by Shintaro Wakayama.