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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.54
メッセージ数:1080件

<1080> かえる ■2007年08月06日 月曜日 01時16分44秒
広い世界。自分と波長が合う誰かがきっとどこかにいるはずだ。もしかしたら。まだ出会ってないかもしれないし。すでに出会っているのにその存在に気付いてないだけかもしれない。だから自分のこころを柔らかくして栄養をいっぱい吸収できるように、自分自身で蓋をしない。鍵をかけない。
<1079> かえる ■2007年08月06日 月曜日 00時33分43秒
毎日仕事で何十人というお客さんと接する。その中で本当に様々なタイプの人間がいるとしみじみ思う。これでもかというほど腰の低い、立場が逆じゃないか?と思うほど店員の私にお礼を言ってくれるお客さん。反対に〈俺は客だ!〉と言わんばかりに全てをやってもらうのが当たり前だと思ってそーなお客さん。(サービス業ではどこまでが提供範囲かはっきり区別されてないんだろうなぁ?だから曖昧で〈前の客にはしてやったのに、何で私の時はしてくんないの?〉とか小声で言われた時もあった。そーゆーのは普通に考えてお客さんの混み具合とか許容量をこえてそーだとか。理由はあるのに。相手は〈してもらえなかった〉という事実だけしか受けとめず、まわりの空気やこっちサイドのことはまるでお構いなし。それに大体。私の職場は、そこまでのサービス提供の義務はないと思う。全部のお客さんにそこまで面倒見ていたらキリがない。私の職務はお客さんに対してはあくまで会計が主でしょ?と思う。)一人一人短時間しか相手をしないのに人間性がちらっと見え隠れする。仕事の流れからいくとまわりの雰囲気を感じ取ってくれたり支払いを手早くしてくれるお客さんは作業がスムーズに運ぶ。忙しい時は余計にその様なお客さんが有り難いと感じる。少しでも時間のロスが減るし。それに私が言うのもおこがましいが〈マナーの良いお客様〉は店側も気持ちがいい。でも。店側はお客様を選べないから店員が臨機応変にお客様に合わせるのが常なのだ。ただ。ふと。人間観察してみると、様々な人間性に触れられて面白い。もちろん嫌な思いも沢山するが、場数を踏んでこそわかってくる。嫌な事もあれば人間的に素敵なお客さんに会えて嬉しかったり。マイナスとプラス。足したり引いたりして。毎日がめぐる。
<1078> とら改めけんと ■2007年08月04日 土曜日 00時28分12秒
彼女のこと2

 うーん、細かいことはプライバシーの保護のためかけないが、どんな点で彼女を愛しているかは書ける。とにかく純粋だ。ここまで純粋な女性を見たことが無い。俺は素朴な女性が好きだ。そして付き合いの当初、ちやほやしてくれた。おかげで入院生活は楽しかった。話していてラクだった。最初のデートは彼女のほうから誘ってくれた。相性ばっちりの言う発言も彼女から・・・(星座がふたご座とてんびん座なんだ^^;)

 そんな思い出が俺を支えていると思う。調子良いときは話ができる。悪い時はできない。でもアイコンタクトはできる。統合とは思考障害だ。考えがまとまらない。支離滅裂になる。俺自身もそうだし、回復したから分かる。思考がまとまる瞬間がある。その時は笑顔が戻る。そんな時に話しかけることしよう。心の状態が落ち着いている時は健常者と変わらない。また、こんな彼女を好きになったのも運命を感じるから。彼女は俺に甘える時かわいらしい。どっか子供っぽい。でも同時に大人の女性としての落ち着きがあるんだ。この最高の組み合わせが俺の心を捉えた。思い出すと魂が震える。だから運命と言ったんだ。彼女と話す時喜びで震える。彼女は気持ちを考えながら話す。若干、???はある。でもそれがいいんだな¥^^¥。感情年齢でいえば俺のが年上だろう。話を聞きながらあれこれ考える余裕が俺にはある。回復をどうサポートできるかとか、好きという感情と持ちながら理性的に考えている。盲目の恋じゃない。むしろ愛だと信じたい。共依存的な愛は気が狂う。相互依存的な愛は気持ちが良いだけでなく感情が落ち着く。お互いに気持ちが寄り添うが、お互いに負担にならないように気を使う。話も段階的にする。好きの確認は言葉だけでなく表情とか目で行う。俺はとりわけ、彼女に会うと優しい気持ちになる。つい、「やあ、おはよう、Kちゃん」と声をかける。何のためらいも無い。それが普通なんだ。あちらはノーリアクションは無い。言葉が出ない時は目で答える。無視はしない。心理学の知識とアイコンタクトの知識があってよかった。冷静になれば相手の気持ちが見える。彼女の家庭背景を知っているから許せる。強烈な共依存家庭で育った。自分を保つのに大変だったはず。

 自己中のところもある。でも回復の過程の一部。自尊心ができれば自己中は治る。達観できるのは俺自身そうだったから(涙)

 回復を通して俺は自分を愛することを覚えた。人を愛することを覚えた。すごく嬉しい感覚。この感覚があるから彼女を愛せるのだな。

 
<1077> とら改めけんと ■2007年08月03日 金曜日 23時46分13秒
彼女のこと

 付き合い始めて、9ヶ月目。始めのころは良く話したのに、今はお互いに忙しく、会ってもあちらが調子悪いので少しの会話しかない。薬がきついせいなんだ。統合は陰性症状になると話ができなくなるし、表情も乏しくなる。

 俺自身がそうだったので、次回に希望を託す。本来は天真爛漫な彼女。今はそんな時期なんだな。作業療法を頑張れと俺は手紙を書いた。そうやっている。前にあったときに観察してみた。作業療法に行く直前は表情が硬い、反応が鈍い。終わったあとは心に余裕があるようだ。俺を眺めるだけのの余裕があった。とにかく回復は彼女自身の問題。俺は会うたびに声をかけよう。今日はどうだ?みたいな。

 その間に俺は自分のことができる。本業を改善するのに力が使える。営業が芳しくない。営業を改善するため本を買った。HP作成を改善するため本と買った。経営を改善するため帳簿をつける。彼女になかなか会えないのは悲しい。彼女の気持ちはしっているし、一時的にコミュニケーションが会話からアイコンタクトになっているだけなんだ。彼女はボーとしやすいんだ。それは前から知っているし、許せる。そしてよく考えてからものをいう。回復が進み症状が改善されればまた話ができる。統合は治る病気だ。薬でかなりの改善ができる。作業療法は彼女に有効だ。俺は待とう。また互いに笑えるその時まで。
愛しています。
<1076> ぺあ ■2007年08月02日 木曜日 23時02分21秒
人の助言を私はその通りに実行しようとする。それはその人に気に入って貰うため。その人の世界観を覆さないため。それはとても不自由なことだ。相手が同じとしなひとのばあいよっぽど相手を低くみない限りそんなに強く助言なんてできないよね。私は自分のハイヤーパワーを低く見ていたのかな。私は人の言うとおりにやらないといけない義務感とそれによってうまくいかなかった恨みでいっぱいなんだ。私、もう人の話しいっさい聞かなくて良いよ。自分の要求無視しなくていいよ。もうあの同い年の私をいつもアドバイス求めてくると勘違いしてああしろこうしろ言う監督目指している友人でもないお節介の言うこと聞かないでいいよ。もう二度と会いたくない。大っきらい
<1075> ぺあ ■2007年08月02日 木曜日 22時42分58秒
私はいつも自分の最優先したい問題を後回して生きてきた、いつも他者やその場が優先だった。就活していた時でさえ一番焦るべき時にも私はサークルを優先にした。学校時代の花を作りたかったのもある。いつも私は自分を後回し。まじめだ暗いずっとそういう風に言われてきて自分の心を通して人と素直に会話したらそう想われる。つまらないと想われる。あのこと話したほうが楽しいと想われる。人生失敗しそうと想われる。後でばかにされる。ねたにされる。その思いで頭いっぱいにして、普通の人ならあの子ならこんな反応するはずそう想って頭で考え考え人とはなした。いつもお腹痛かった。いつも苦しかった。それでもつまんない顔していたら相手に気にされる。この場をしのぎたい。相手につまらなくてほかのほう向かれると焦り、辛いのに普通はこうだろうと笑った。ほんとは私すごく怖かった。いつも目をつけられ笑われなにやってもいい奴だとされ集団の中にいるとそういう役に回されていたから。ほんとはすごく怖かったよ。でも気の弱い私は強く姉のようになるべきだから私はそんな想いをずっとずっと押し殺し感じないように追いやってきた。
<1074> ぺあ(FB注意) ■2007年08月01日 水曜日 11時06分05秒
人の視線が怖い。私は人の視線が怖くてたまらない。子供時代は人の視線で期待読みとってその人の世界補完するために甘んじて、からかいも暴力も日々募るその子のその人の不満も受け入れていた。相手は満足そうな顔していた。教育実習に行った。私は先生や子供の期待する目とかどうしてほしいのかよく分かったけど、分からない振りをした。そうすれば私は過去の私に謝罪できる、過去の私から脱却できるから。そしたらみんなの前で怒鳴られた。私本当は怖かった。自分の無意識にとる行動言動にけちつけられる、からかわれる、みんなの前に引っ張り出されては笑い者。そのうち無意識に生きて子供の前で無防備に自分さらせば誰か知らない人に殺されるかもしれないって思った。ほんとは私は子供が怖い、評価されることも怖くてたまらない。みんな笑うから。みんな私のことは絶対に気に入らないらしくて笑うから。そうじゃない時間や人間関係なんて私には子供の頃一度だってなかった。そんなに気の弱い子はストレス発散の的にしたいんだろうか?みんな示し合わせたように私にはそういうなにやってもいいとしていた。先生も子供も。どこにもほんとはなじめなかった。寂しかった。私と世界はぎざぎざさせられ仲良くなかった。いつも大人の私が過去を振り返っていると思って辛い学校生活を支えた。姉は笑ってた。姉はいつもあんたは何にもできないととても威圧的にでも笑いまくっていた。無意識で無自覚での行動にいつもそうされて、彼女の虫の居所の悪い時は、当たられてばかにされてひどい言葉たくさんたくさんかけられて、ピアノの練習じゃまされていつもいつもいつも私はどこにも行けないのに人の関係はストレスを和らげてその人のストレスに責任を背負う役。
<1073> ろびん ■2007年08月01日 水曜日 08時58分01秒
ひとりは嫌だと思っているのに
近くにいてくれる人との距離をどうとっていいのかわからない。
ぎこちなさが伝わって、いつしか遠くに離れていく。
<1072> yu-ko ■2007年07月31日 火曜日 23時14分37秒
ねぇ、ちゃんと考えてるの?
「ひとりになって考えたい」なんて、その場を繕う為の言葉。
キミの生活は何ひとつ変わっていない。
あの時、アタシが叫んだのに変わらなかった。
粗末な扱いされて、悔しいわ。

そのうち悲劇のヒロインを演じるから。
<1071> ぺあ(FB注意) ■2007年07月31日 火曜日 12時14分23秒
どうして私は言われやすいんだろうな。いつも。大学時代までそうだった。いつも言われやすい。皆、「普通」の人には言わないようなことまで私にはずばずば突き刺すような言葉を言う、私は言われやすい。ねたにもされやすかった。つまり、私へは「何言っても、この人大丈夫〜、集団の中で皆でおちょくってみんなのお楽しみの役に率先して俺がやろう〜」という意識をサークルの中で、アルバイト先でされてきた。そのアルバイト先の上司には「もっと自分出せよ」とか言われていたけどね。うっせーよ。ぶた。姉に言ったら「何で?言われやすいね〜。弱い〜。(笑いながら、嬉しそうに)私は絶対そういう扱い受けさせないし、受けたこともないわ、何でぇ?」とか言っていた。大半はこの家に問題あったんだよ。私は、自分の感情をまず自分に持っていいかどうか、普通の基準を必死で探るんだ。そして、いつも怒りや悲しみの感情はその人に「悪い」と必死で押さえ込み、普通の人はこんなことくらいでは誰も傷つかない、怒らない、怒ればこの先の人生誰も友人いなくなる、こんくらい笑って流さなければ誰にも敬遠される眼鏡かけたお高い彼氏もいない女になってしまう、と先のことまで心配し始めるのだ。私にはその時はその時と思えないのだ。いつも見張られている感じ。将来まで続く「いい女」になる道を降りられないと。「いい人材」、「世間で認められる人」になる道を誤ってはいけないのだと自分を見張り続けた。小学校時代のいじめられた頃と変わらなかったな。人が怖くてどうしようもなくなった。それでも周囲が笑えば笑う。そのばかバイト先のぶたには、あるパーティーがあった時に、約束時間をそいつに確かめたら、そいつの虫が良くなかったらしくて「はあ?何言ってんの?」って言われた。私はいつもそういう時周囲と自分の「ずれ」を感じた。そして私が間違っているのだ、私が悪い、私が弱いと自分を責めるだけなの。昔よく私は同級生に「こうだよね」って言ったら「はあ?あんた頭おかしい」って皆に言われていた事があった。それを思い出した。私は彼氏もいなくて劣等品だとそのバイト先から言われていたし、将来も心配だとか言われていた。私はその人が「お前はこうだ」と言ったら、それに絶対に従う。これは私が家庭環境でちちの姿を見たりして、人はもろい、私よりもその人を守ってあげないと、支えないと、その人の思うことや世界観を「そうじゃない」と崩すようなことがあればその人は絶対に崩れてしまう、と思わされてきた。父も母も私よりもずっと小さいガラスのような何かだと思ってきた、これは感覚的な表現なのだけど、言えば割れてしまうような印象を持って育ってきた。だから、私は同級生に「OOO(私)ってこんなやつ〜、何やってもこいついいぜ」「あんたは気が弱いでしょ」「私より下でいろ」そういう声にいつも自分のすべてをあっちにあげていた。そうしないと、相手は崩れてしまうから、子供の頃はそう思っていた。いつからか、いじめやからかいが常態化して、いつも誰からも敬意を持ったりされないで、扱われたいように扱われず、いつも軽く扱われ、その人の言葉を飲み込んでいくうちに、「自分はずるいんだ」(本当に小学校時代は女子からいつも言われていた、お前はずるいお前はずるい、お前が悪いから今T見さんからボールぶつけられたんだ、お前がずるいから私の鼻の手術跡の顔が気に入らないんだ、お前がずるいから私はあの子達とクラス離れたんだ、お前のせいだと)と家族に対しての疑問も重なって、私は納得するようになっていった。そして、私は「自分は汚い」と心の底からこびりつくような思いを持ってしまっていた。いつの間にかいじめやからかいで自己評価が自分で思うよりずっとなくなって、ずっと自分を責めて責め続けて、少し「幸せ」になれば、自分はずるい、汚い、そう思って他者からねたまれ憎まれそうで、自分でその状況をつぶそうとしてきた。
 弱い人ってね、こういう目に遭うんですよ。もうそれさえ気がつかないで、自分を責めて、うつ病になってしまう人、いるのかもしれない。私はし返さなかった。それだけでも自分をもう私は褒めたいと思う。今でも不思議なことに小学校5年の頃に共依存のようにいじめを許していた女の子に対しての罪悪感は消えないんだ。その子のお兄さんが早くに亡くなって、その子のうつ病を持っていらしたお母さんもそれから錯乱して事故でなくなったという話しを聞きたくもないのに、ある共通の友人(?)から聞いた。私は正直ざまあと思った。それでも私の恨みや他の子もその子はいじめていたから、他の子の恨みが向かったんじゃないの?あの頃私が何か声あげていれば、あの子の家族もちちももしかしていい方向に人生軌道修正できたんじゃないかって罪悪感を持っている。
<1070> とら改めけんと ■2007年07月31日 火曜日 08時55分38秒
前の彼女のことを思い出す。綺麗な人だった。でも、俺自身がだめだった。自信が無かった。仕事がうまくいってなかった。借金がたくさんあった。それでいて彼女を雇った。サイテーだな。彼女をだましながらやっていたんだ。社長という立場で威張りたかったんだ。

 彼女は良くやってくれた。わがままだったが、それを承知でつきあったんじゃないか?俺は自信が無かった。死にたかった。仕事が取れない焦りを必死で隠した。最後は、怒りながら、彼女の父のパソコンの修理の仕事を無理やり取り、彼女からお金を取った。

 苦しかったんだ、不安だったんだ。ごめんなさい。だから、君の愛を受け入れる余裕が無かったんだ。サイテー男です。

 君から多くを学びました。現在、再び社長をしているけど、君との関係で学んだことが生きています。仕事は無いです。でも、今は人脈があります。頭を下げれば、仕事をくれる可能性があります。スポンサーもいます。営業力もつきました。仕事もやる力は以前よりあります。あなたの言葉を借りれば、スーパー社長です。何とカウせリングができるです。(研修済み)

 ありがとう、その言葉をこの場を借りて伝えたかった。
<1069> もえぎ ■2007年07月30日 月曜日 10時21分22秒
彼女は相変わらず機関銃のように話す。何気なく自慢話を繰り返して。
ああ、うんざり。なのに、わたしは誉めて、感心して。ずっと体の中にインプットされてきた反応。心の中では逃げて帰りたいのに。話を中断したいのに。
持ち上げられても、体が重くてへとへと。彼女からの電話を切った後はぐったりしてたっけ。まだ、直接のほうがまし。
でもね、あなたにないもの、わたしにはあるから。わたしはわたしのままでいい。わたしはわたしのままでしかたないから。
<1068> もえぎ ■2007年07月30日 月曜日 09時37分28秒
まだ、中高生時代の辛さが癒されていないんだな。3人グループでいつも一人蚊帳の外で。2人して私の行動をばかにして、笑ったり、本人ではなく友達の口で苦情を言われたり。それで友達といえるのかなとそのときばかりは強く思った。それでもひとりぼっちはいやだったから、つきあってた。寂しいというのでも、友達のいない子だと思われたくないからでもない。
人とのつながりが失われることへの恐怖が強かったのだと思う。
でも私はもっと怒ってよかったのだ。まだ怒りが悲しさが胸の中でくすぶっていてふっとよみがえってくる。一生会わないかもしれない。でも会いたくないのだから。わたし全然気にしてないわよ。そんなふりもうしたりしない。
<1067> アーネスト ■2007年07月30日 月曜日 03時31分13秒
なんか共依存を無理にアルコール依存症に例えようしている。
でもね、僕はコントロールを失いたくない。失うのが怖い。アル中が飲酒をコントロールしようとするように、僕は人をコントロールしようとする。今ではこう考えている。もともと「コントロールできる」というのが幻想、錯覚だった、と。 アルコール依存症の本を読んでいると、アルコール依存は一種のアレルギー反応だみたいなことが書いてあった。科学的な解明はなされていないけど、とにかくアルコーリックは体質的に先天的に、普通に、人並みに飲むことができない、と。だから断酒するしかない、と。ただ僕の場合、人間関係を絶てばいいのかというとそれは違うような気がする。絶ったて関わっても、自分は「相手をコントロールしているという感覚(錯覚)」を失いたがらない。

人をコントロールできるという大きく歪んだ錯覚を得たのはやはり家族との関係が始まりだったと思う。学童期、全く見向きをもしてくれなかった母親が、中学に入ってからはだんだんと褒めてくれるようになった。万引き以後。「あれほど自分に振り向いてもくれない人を振り向かせることができた」という錯覚(錯覚だと思う)がその後に影響した。実際には振り向かせた、というよりは相手の期待を、読み取って行動した結果、母親の承認を得たと思う。表面的には、あるいは得た結果からは、あたかも自分が魔法の杖を持っていて、他人をコントロールした気になっている。でも実際には違う。相手の機嫌を伺いながら、相手が喜ぶだろうという憶測のもとに動いて、しかもたまたまそれが功を奏しただけだったんだろう。今にして思えばだが。でもそうやってある種、屈服した、ご機嫌取りしていることなど認めたくないから、データを書き換えるみたいに「ご機嫌とり」を「コントロール」としているだけだと思う。それからひどく不幸な状況も手伝ったと思う。10歳やそこいらで人の自分への印象をどう操作しようかそればかり考えていたのだから気味の悪い子どもだ。10歳。仮にだけどそのころに僕はある種の報酬を得ている。こうやれば人間関係は上手くいく(あくまで家庭内『だけ』)と錯覚した。よく覚えていないけど大学に入る頃には、自分は人を変えられるという信念をかなり強く持っていたと思う。生き残りの手段としてのコントロールを僕は家庭外での生活でもふんだんに使っていたし、それで社会でも生き残っていけると思っていた。また、人を変えられるという錯覚は、自己評価が上がったという錯覚さえも僕に与えてくれたと思う。人をコントロールできるほどの影響力が自分にはあるのだという錯覚と偽りの効力感や自己肯定感。

だから大学で対象物へのコントロールが失敗に終わったとき鬱になった。抑うつに入ることで、受け入れを拒否したと思う。

<1066> かえる ■2007年07月29日 日曜日 15時00分46秒
周りの人と深い関係が築けない。今ならその場しのぎの取り繕ったセオリー通りのシナリオも演じられる。けど。上辺の薄く張られた氷はもろくすぐに溶けてしまう。以前は自分以外は決して信じなかったし、他の誰かと関係をもたなくても平気だったし、かえって人間関係の煩わしさから自分が傷つくのが悲しかった。でも今は。独りぼっちよりも淋しく堪え難いことは他には無いかもしれないと感じる。ムカつく事、傷つく事言われたりされたりして。今の強くなった私は相手に何十倍にしてやり返せるだろうけど。強がりじゃなく、ちゃんと後ろ盾がある本当の〈強さ〉が欲しい。何があっても揺れることのないしっかりとしたもの。傷つくのも汚されるのも自分が醜態さらすのもイヤだけど。人と触れ合ってこそ関係ができる。一人称じゃ何にも始まらない。恐くても進もう。
<1065> アーネスト ■2007年07月28日 土曜日 22時48分10秒
人間関係にいつも「ムード」や「筋書き」を求めていたと思う。また、その「美しい筋書き」を押し付けるために、自分の自己中な人間関係の持ち方を正当化していたとも思う。大学に入った頃、アメリカのキャンパスライフ(勉強もスポーツもエリートみたいな生活)にすごくあこがれた。自分もそういう風に行きたいと思った。 向こうでいうアイヴィーリーグの学生を気取って、体育会系のクラブに入った。「スポーツ、汗、友情」みたいなイメージから手当たり次第に人間関係を「漁った」。そういう自分だけの空想の世界に、自分をまず設定する。そしてそれに従って他人という「駒」を操作しようとする。そんな感じだった。だから口では、あるいは心の中では「友情」とか言うくせに、本当のところそういうものを求めていなかったと思うんだ。僕にとって大事なのは、「空想どおり」に事が運ぶだけだったと思う。
<1064> アーネスト ■2007年07月27日 金曜日 01時56分56秒
英語の教科書で「自助努力」という言葉が出てきたのが印象に残っている。先進国が発展途上国を支援する話だ。確かDeveloped countries helps develoing countries to help themselves. みたいな表現で訳しずらかったのを覚えている。自分のことに置き換えると、「自分の世話は自分で世話しなくちゃならないんだけど、自分の世話の一人ではできない部分は助けを求める」という感じ。 「天は自らを助けようとしているものを助ける」という言葉もある。要は自分の世話はまず自分でやろうという意志があってこそ、必要な助けも与えられる、ということなのかな? 

安定した静的な人間関係が苦手で、常に忙しく動き回っていたかった。
<1063> アーネスト ■2007年07月27日 金曜日 01時49分59秒
もう意識する前から「哀れみ同盟」みたいなものを作っていた。
ちょっと体の弱い子、極端に内気でクラスに友達が出来ない子、それから兄弟にハンディキャップをもった人がいるとか、お父さんが怖いとか、暴走族の兄ちゃんがいる友達とか・・・僕が惹かれる(あるいは引き寄せる)のはそういう子ばかり。 大学1年生が終わる頃、母親が死んだ。 母が健康に今でも生きていたらどうなっていたんだろう? と思う。 高校2年生になったころ、母の病気が発覚した。可哀想と思ったし、そういう親を持った自分も可哀想だと思った。 
<1062> アーネスト ■2007年07月25日 水曜日 16時31分13秒
仕事も趣味もスポーツも恋愛も、人に負けたくない一心でやってきた。
今、人との競争じゃなくて楽しめることは読書、ギター、音楽、英語の勉強。これらは人に先んじたくてやっているものじゃなくて、自然に始めた。

同志が欲しい。チームメートじゃない。同じ苦しみ、悩みを共有する同志が。
一緒に解決し乗り切っていく同志が。MTGの仲間がそれにあたる。
<1061> ぺあ ■2007年07月24日 火曜日 19時45分03秒
大学時代、尊敬できた女の子がいた。二人ほど。何がうらやましかったかと言うと…健康な自尊心を持っていること。いやな人や場所に無理に行ったり、そこに合わせないこと。自分の見方で世界を回していること、その中で人を思いやったりしていること。私みたいに、「ぶす」な人見てかわいそう、私より「下」なんか私「恵まれてる」から私のかわいさ、男ウケするとこ押さえないと、私恵まれすぎて不幸に遭うとか思わないところだ。その子は泣きたい時が沢山あるそうで、皆で合宿行き星を観ていて感動したり自分の小ささに泣けるんだそうだ。素直に泣いてしまうと周りは驚くんだって笑ってた。でも周りから、先輩から、「また泣いてるよ〜」ってかわいがられる彼女はほんと学生生活謳歌して、男の友人で心の支えになる人も高校時代に会ったんだって。私の話し聞いて、その子は、「自分は人間関係に本当恵まれていたんだ」って言っていた。学生時代の友人の女の子はみんな輝いていた。幸せを遠慮しないし、誰かに悪いって押さえない。彼氏つくってラブラブだったわ。私なんて普通にとられてたよ。私は嫉妬した。私は健全な自尊心剥奪された子だから。それでも彼女たちは私に希望を与えたとも思う。私も幸せになっていいんだ。私はずるくないんだ。神様の目から逃れても何にも罰こないんだ。ずるいずるいってわめき散らされないんだ、って思った。

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This script written by Shintaro Wakayama.