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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.53
メッセージ数:1060件

<1060> かえる ■2007年07月24日 火曜日 15時52分42秒
「〇〇さん〜元気ないよ」とか言われてもさぁョ  
私は四六時中元気いっぱいで何事があってもにこにこマンでなんていられませんよ。自分自身でさえ私の本質がよくわからないというのに。。。私のまわりの人達にはどうしたってわからないよ。体裁を繕って無理して見せかけの自分を演じてみても、、、そんなの続かないから、いつか苦しくなって対人関係が余計にこじれてしまう。人に気に入られる自分をやり続けられないし。かと言って人に媚びへつらうのもやめられない。なんて中途半端で曖昧な私なのだろう?まぁ。白か黒かではっきり色分けできないのは仕方ないのでしょうから。その中間色(グレー)を私が自然に受け入れられて意識しなくなったらもっと生活しやすいだろうけどさ。まだ。頑なな部分の多い私の生き方。               どうやったら人とうまく付き合えるかは頭でうだうだ考えるより実戦有りのみなのは確かだな。
<1059> アーネスト ■2007年07月23日 月曜日 03時35分52秒
過去振り返って見ると、「みんなの見ている(聞いている)であろう場所でされた嫌なことがあった」というエピソードがたくさんある。例えば運動会のときに母親が寄ってきて「ママ、○○にいるからね」とか。5年生でママは恥ずかしかった。すごく。あとは同級生や教師からみんなの前で暗いと言われるのいやだった。 そういう思いがなぜかあって、分析していくと、それを言った本人だけじゃなく、その周りも一種、オーディエンスと化しているような錯覚に僕が陥っていたのだと思う。自意識過剰だったと思うが仕方がなかったのだろう。
<1058> アーネスト ■2007年07月21日 土曜日 03時01分02秒
人間関係の幅が異様に狭いのも今では少し納得がいく。
僕の自己中心性は(あまり言いたく無いが)サービスする、相手が必要としていることに対して自分が供給できるか?できるならしていくこと。できないならしないこと。いらない他人への憐れみを捨てること。こういうことを少し意識しながら、人と、たくさんの人を関わって生きたい。
<1057> アラタ ■2007年07月21日 土曜日 00時13分30秒
特別になりたい。
優勝、2位、3位…じゃなくて
審査員特別賞で永久欠番にしてほしい。
私専用の価値観を作って欲しい。
常識じゃ思いつかない、会って話して関っての繰り返しでしか
作れないオリジナルな関係性を持ちたい。
終わりにしたくない。
ただただ、可愛がって欲しい。ずっとずっとずっと。
どこへ行くにも一緒で。「似てるね」「気が合うね」って話して。

性の無い無償の愛を注いで欲しい。水みたいに滾々と。
まるで同性の友達のように。
でも私はあなたが異性だから、「ごっこ」として甘えたい。じゃれたい。
触れたい。抱きつきたい。それでも、パンダが二匹ごろごろするような
そんな感じでありたい。

これって…。なんていう感情?
<1056> 海龍 ■2007年07月20日 金曜日 16時01分38秒
自分ってもしかしていじめられっ子体質?
とか思えてきたよ。
一番 ありえそうだった高校時代に
何ごともなく過ごしてきたので
自分が いじめられ体質だなんて思いもしなかったけど。

考えてみれば高校時代は 気配を消して生きていた。
地味に地味に 目立たないように。
目をつけられることを恐れていたわけじゃなくて
人との関わりが 億劫だったんだと思う。
同年代の子と 話が合わなかったし。

数年前から やたらと“いじめ”的な目にあうなぁと。
振り返ってみて ようやく気がついた。

ある人に言われた。
「よくも悪くも 目をつけられるよね」って。
今だって 特に目立とうとしているわけじゃないし
目立っているとも思えない。

そう思ってるのは もしかして自分だけかな。
他の人のように 不平不満をかげで言ったり
しらばっくれたり うそをついたりができない。
直球でものを言うところが もしかして
一部の人たちの鼻につくんだろうか。
自分では気づかないなにか
人の嫉妬をかきたてるような部分が
あるのかもしれない。

このことに気がついたことで
気持ちを切り替えるヒントを得た気がする。
やられっぱなしの自分を嘆くのではなく
さらに自分を磨くことができるだろうか。
<1055> とら ■2007年07月19日 木曜日 13時41分27秒
過去の対人関係を振り返って

 今まで、たくさんの女性との出会いがありました。小さなことからませていましたので、気が自然に女性に向いてしまうたちなのかもしれません。

 いろんな女性がいました。小学校時代は何故か怖い女性に気が行きました。何故?誕生日プレゼントをあげようかといってくどいと事もある。でも、その女性にはあげれなくて嫌われました(;_;)

 小6の時、Iさんにラブレターを渡しました。と言ってもクイズにしていて、それを解くと君が好きだと解読できるお茶目なラブレターでした。頭が良くて、綺麗で、ユーモアがあって、男性と気軽に話せる人でした。憧れでした。それはうまくいったのですが、返事が来て、はたとこまりました。デートの仕方が分からない・・・・当たり前か。
 中学も同じでして、廊下ですれ違うたびに意識したものです。あちらも笑っていました。書いているとドキドキしますね。淡い恋だったなああ^^;

 高校の時は男子校で、女性はいたのですが、関心が無かった。もう、パソコンに夢中で、帰りがけに見る他校の女性には関心があったんだけど、話すらできなかった。

 社会人になり、宗教でたくさんの年頃の女性と接したけど、好きになってもさめる現実に気づいた。その人が真面目かどうかに関心がいきました。

 かわいいだけの女性は関心がわかないです。俺って実質本意なんですね。

 23歳の時、活動でよく話した女性がいたけど、この人はやさしかったし、真面目だったけど、感情が幼かった。結局欝になった。

 31歳と時、ある心療内科の治療グループで、知り合った女性は、変にクールで俺の愛情が分からなかった(+ ;)

 34歳で知り合った女性は、うーん、良い女性だったが性格が合わなかった。仕事がらみだったし、複雑な気持ちでした。

 36歳で出会った、現在の彼女は、ぴたりと馬が合う。どういうわけか精神科病院。出会いが普通だった。面白いことに俺は恋愛に対して冷めていた。それを見事に壊したのが彼女の行動。彼女から喫茶店へ行かないといわれた。
普通に話したら、多少のぎこちなさはあったけど、どんどん仲良くなった。

 互いのことや、家族のこと、病気のこと、一人暮らしのこと、料理のことといっぱいしゃべった。すごく心地よかった。まだ、入院しているが、たまに会いに行く。どうしても会えない時は手紙を送ります。のんびり屋の彼女なので
ゆっくりと返事を待っているところです。病院の事情で面会ができませんが、
自分の診察の日にぱたりと会うので、その時に話しています。運命を感じますね^^;

 こうして書いてみると、女性関係はだんだんと経験を積んでうまくなってきた感じがします。経験を積むと心の余裕ができます。自分が好きになった時に
運命の出会いがあるのではないでしょうか。
<1054> ぺあ(FB注意) ■2007年07月18日 水曜日 15時18分08秒
私はいじめっ子の責任まで取ってきた。いじめっ子が世間並みのかっこいい人だと思ってきた。いつも聞いて〜とうぜえ奴らから言われてきた。いつもいつも人は私の先生となって、あなたはもっと人の話し聞きなさいとかいつもいつもいつも、言われ続けた。カウンセラーを受けても私はその人に気を使ってばかり、その人の成功ケースになるように、その人の過去の痛み取り除くようにしてあげるのだ。私は人を殺したかった、だって誰もいない。私は大丈夫な人。としてある子と友人だった。心通わせそうでもやっぱり無理で。あの時私女なのに女やりまくれるとか子供殺してやるとか人刺しまくってやるっと思ってた。自傷か他傷。でも今なら分かる。うちの家族ナくして。閉塞感ぶち破って運命降りたかった、でもそういうときには、多くの人が同級生教授が実習先の先生子供姉母父も私を追いつめた。あなたが心配。家族との関係、虐待受けていた〇〇さんは自分で変えてったのよ。上等だね。そうやって人の言葉丸飲みしてはぶち破ろうとしそのたびにおかしな目で見られ傷ついた。DV受けていたあんたにはわかんねぇよ。このぶす。お節介の変態教授学生くいもんにするのやめろよもう二度とあなたにはあいませんから
<1053> ぺあ(FB注意) ■2007年07月17日 火曜日 13時44分17秒
大学時代の男の同級生に、あなたは人の言う事聞けないね、とか人の意見受入れなくてもいいから聞きなよ、とか言われた。私はね、子供の頃から「親を立てるために、他者を立てるために、なぜならば私がその人を立てないと、私だけでも立てないとその人崩れてしまうから、私に認めて欲しいと思うから」という感情もあり、人の言う事をその人に忠誠誓うために、裏切らないよって思わせるために、その人がかわいそうになるから、必死で人の言う事を聞いて生きてきました。人の助言も?と思っても、ぴんとこなくても、世間知らずの足りない私よりも世間知っている貴方(たとえそれがおない年でもそう思うから不思議だ、同じ年の子にはうんうん分かってあげてだまされてあげるという見くびった大人的態度であったのかもしれない)の言う事を私は聞くべきだと思った。人のレッテルを貼る目=期待に沿おうと私を自分で駆り立てた。私は自分のことだけ考えて生きられたことないんだよ。安心できたことないんだよ。 これも大学時代の友人に、これから私は自分のことしか考えないって素直に言ったら、それはだめだよ、他の人も同じように大切にすればいいじゃん?って言われた。良いアドバイスですね、ほんといつも。私はね、自分を大切にできたことほとんどないのよ。あなたと違って。いつも人の期待を先読みしてはどんな嫌いな奴の前でもその人の思うとおりのことをするの。気持ち悪い汚い男子でも、人にすがってくるだけの女の子でも友達いない子でも。いつも救って救って救って、あなただけ。って。そして期待に応えたら今度は踏み台にされる。そして私は自分の自意識過剰さに恥ずかしくなる。自己を責める。昔はどうして汚い男子が私の髪を触ったり、手握ってきたり、椅子の上に手を置いたりするのか分からなかった。そしていつも話し聞いてくれそうだと思われ、好かれ、子供に冷やかされるのだ。何かいつも私の線を侵されては、人の見世物。誰もが笑っている気がした。
 どうしていつもどうしていつも私はそういう方向に持ってかれてしまうのかな。子供のからかいの的。汚い男子の性的対象の的。変な大人の話し聞き役。そして家での「大丈夫な役」。いじめられるのは私のせいだとしか思えなかった。そして同級生を遠ざけるために自傷をはじめた。自分を守れる、たとえ傷ついても他者の意のままにはならない、不安定状況の中でいつでも子供に岩から突き落とされる、相手に自分が死ぬのも生きるのも周りの子供次第ではない。自分で自分を傷つくタイミングを自分でコントロールできることが私の救いでした。可哀想と私は思われたいのかもしれません。でもそういうことをたっぷり満たされた子供時代すごせなくても、今求めてもいいじゃないですか?自傷をはじめたのは事実。それくらい学校つらかった。子供時代の人間界、この世の中ぴんとこなかった。自分をいつも世間知らずのまだ足りないものとしていつも他の子供の責任とか取ってきた。寂しかった。ただそれだけなの子供の頃、私寂しかったの。いつも支えては、子供にも姉にもばかにされ、汚い男子の性的っぽくされ。いつも自分の線を侵されていたと思う。誰も私の線を尊重することはなかったと思う。そして何よりもいつも安心できなかったと思う。人のことばかり心配して生きざるを得なかったんだ!
<1052> ぺあ ■2007年07月16日 月曜日 19時25分04秒
いつか人と主張してその人と妥協しながら、お互いに面白いことで笑ったり、素直に生きられる日がきますように。それからこれは私のまた救世主願望もあるのかもしれないけども、それでもいつか自分がおいしいと思うものを誰かに、満足に食事できない人とか病人とか作って、生きていて良かったと思えるような美味しい食事を作りたい。悲しみの底に沈んだ人を落とさないように、自分は自分の周りの人を大切にして、すべての人を救おうなんて思わないで生きたい。時々世界平和なんて叫んで色んな人を救いたくなる私なんだけど、本当は普通に生きたい。それだけ。でも他者を故意にいじめるようなことはしない。昔性被害に遭ったおばあさんの手記を読んだのが忘れられない。本当の自分を見ないでくれる男性と結婚し、本当に好きな人とは結婚できなかったと書いてあった。ずっと私はトラウマを持った人を救いたいと思っていた。でも救えないね。救おうとすればするほど、その人の不幸を願ってしまう。でも救世主にならなくても、そのままで好きな人と普通に生活していきたいな。結果じゃなくてほんとはプロセスを大切にしよう。生きているんだから。
<1051> アーネスト ■2007年07月16日 月曜日 03時31分37秒
大学の部活を辞めた後、ちょっとした小さな勉強会に出た。その後、クラブチームに入ってそれも辞めた。バンドのメンバーを探したり、ボランティアをしてみたり。今はMTGがあるからだいぶ収まったものの、『永続的に所属している感じ』が欲しくて、寂しくてでも続かなくて、また寂しくて・・・そういう何年かです。 今、棚卸しをしているから、人間関係上の、過去の(今も)たくさんの欠点がでてきた。哀れみで人の境界侵犯をしてしまう。頼りすぎ。板ばさみの人間関係に身を置きやすい・・などなど。 大学での失敗があってから、所属するってことがすごく怖い。続かなかったときの去る寂しさとか・・痛みとか。でもそういいつつもいろいろと試してきたんだね。あまり続けるとか考えずに動けばいいのかも。
<1050> ぺあ ■2007年07月15日 日曜日 22時23分30秒
大学時代は過去を意識的に繰り返していた。よく人に「OOちゃんにもできるんだ〜」って過去に姉がお前はOOだからできないと決め付けたような言い方何回もされた。勇気をここぞという時に出して言おうとした時、姉の「お前ばっかじゃねーの」と哂う姿がだぶって何にも言えなく終わった関係があった。姉を憎んだ。姉にも色んな思いはあったらしいが、それでも私の心根っこの部分をいつも笑い者にして外の人に見せびらかしたり、見世物にしたり、図星のことをげらげら笑いながら馬鹿にしながら言われたことはやっぱり忘れられない。自分を大切にできなかったのは私はこの家族や姉等、一人ひとりを肯定するためだったと思う。ちちが私を心配そうに見ていた。彼は世話焼きだったしプライド高かったけどやさしかった。私は実は今でも姉が嫌いむかつくそれ以上同じ苦しみ味あわせてやりたいくらい憎い。同じ苦しみ=私の心の根っこをねこそぎにするような揺さぶりまくるような、つまり私の大事な部分を彼女は馬鹿にし哂っていたんですね、げらげら哂っていた、私を哂っては楽しそうにしていた、いじめっ子が学校で待っている、でも家でも「ばかじゃん」っていう言葉慣れていたんだ、お前は世間にまだまだ通用しない欠けた存在だから=世間足らずだから、という理由で馬鹿にし、笑い、大切なものをぐちゃってしては何でもないような顔をした。そのくらいで傷つくなんて世間でやっていけねーよというのが今の彼女の言い訳だ。セクハラおやじの言い分みたいだ。でも私はこんな事かきながらメールではすっごく優しいメールを書いている。あの馬鹿それでも私には誕生日プレゼントとか買ってくる。家族って不思議なものですね。でも物じゃなくて言葉がいつも辛かったな。あいつは私が弱っている時にそれを突くような発言をばかにするように嘲るように言っていた。でも私はそれを返さない。私はやり返さない。
 でもね私ここまで頑張ってきたんだから私は・・・もう他者を助けなくていいや〜って思っている。学生時代他者助けに頑張っては・・・もっと高い要求突きつけられたり、偽善者扱いうけたりしたから。私は意識とばしながら生きてきた。皆平気だと私を見るだろうけど、私は多分ここまでこれたのはずいぶん大変なことだったと思う。今は今はね、人の「救って」メッセージは拒否してもいいのよ。ずっとずっと頑張ってきたじゃないか。そして「下」っぽいひとのこと気にしなくてもいいんだよ。すがりつく人は私は要らない。
<1049> ろびん ■2007年07月15日 日曜日 13時54分01秒
自分が許されなかったことを
人に許すことは難しい。
それが間違いだとわかっていても。
<1048> ぺあ ■2007年07月14日 土曜日 21時34分10秒
友人関係でいつも私が思っていたことは、「え、「普通」の子もやっぱりそう思うの?そう思っていいんだ」ということだった。恋人が他の人とはなしていると遮りたくなるとか・・・他愛のないことだ。教育実習で教育実習簿に鉛筆で下書きをしていた実習仲間がいた。他の子が「そのままボールペンで書けばいいじゃん?」と他の子が言ったら、その女の子は「とてもそんな怖いことできない」と言ったの。私それ聞いて思ったのは「え?いいの、そう思ってもいいんだ、そう思っても神経質な子だとレッテル貼られて、その神経質さは将来いいことないだろうから今のうち矯正するべきなおすことだと周囲に引っ張られたり、そういう鉛筆書きしていることで神経質というレッテル貼り、そのご将来に起こることを他者に予測されたり、非難されたり、笑われたり、そんな小さなことくらいでって思われたりしないの?」って思ったんだ。いつも私は些細なことでも「え、いいの。他の人も思っている。そういうマイナス感情もってもいいの?」という思いはいつもいつもあったんだ。それくらいいつも私「こう思ってはだめ」と自分の感情を規制してきたんだろう。
<1047> アーネスト ■2007年07月14日 土曜日 01時54分26秒
愛を哀れみと取り違える。相手にしてみりゃいい迷惑で、哀れみの対象になって喜ぶ人などいるはずない。僕自身もそうだった。幼いころから、アトピーと鼻炎があって「あんたはかわいそうな子ね」と母からよく言われた。今、その言葉を翻訳すると「あんたはかわいそうね。惨めね。弱いのね。だから私が守ってあげる」という彼女の正当化だった。養育する自身がないから、人為的に僕という人間を一段『下にして』弱いものを守る良き母みたいなものを彼女は演じたかったのだろう。

僕が「救助の対象」を見つける、嗅ぎ分ける臭覚は天才的で彼女譲りだ(ちょっと皮肉)。本当に昔からそうでちょっと集団から浮いたような子を見ると、すぐに哀れみの感情を持って近づいていった。高校の部活の彼女もそうだった(と思う)。彼女はすばらしい人間だった。後輩に優しいし、先輩との付き合いもうまい。僕らタメにも優しい。僕には彼女がいつも「無理して」明るく振舞っているように「見えた」。でもそれは多分違うな。彼女の中に僕は自分自身の姿を見た。救いたかったのは彼女ではなく、僕自身だった。明るく無理して振舞っている人間。それは僕だった。「見えた」だけで彼女は根っから明るい人間だったのかもしれない。それは今となってはわからない。そこまで深い付き合いをしてないから。本当にお笑い種だね。僕は「愛」とか「親密性」がわからない。だから異性と付き合うのも怖い。
<1046> とら ■2007年07月13日 金曜日 18時45分38秒
よく誤解を受けますーふさわしくないようでした削除をお願いします

 自慢するつもりは無いですが、自分の意見を言えるようになるとよくはねっ帰りをよく世間で経験します。自分が働けるようになるにつれて、日と話す機会が増えました。このサイトで受けた訓練と自分の地道な努力が、いい風になったと感じています。でも、それを良く思わない方もいて、その時は辛抱します。その時はああ、やはり日本社会は共依存社会なんだな、自分で変えることはできないし、僕は自分の感情に責任を持って、自分に与えら他仕事を淡々としようと思っています。するとそういう支配的な方は自分から距離をとりたがるんですね、これは良いと感じました。ああ、これが境界線の感覚かと感じます。

 もちろん、自分の共依存感覚が全部消えたわけでなく、ほんの少しは残っています。この回復のプロセスは死ぬまで続くのでしょう。

 ここの管理人さんが回復の過程の説明で述べているように、もう、プロセスなんだと割り切るほかありません。そう決意すると不思議なことに楽になります。

 本業と新聞配達は人と接する仕事です。新聞配達はほとんど家の方に会いませんが、道端で通り過ぎるご主人さんや、犬の散歩をしている奥さんには最低でも頭を下げます。自分も古い世代の人間です。それが染み付いているなと感じます。

 本業はまさに接客業です。それができてパソコンの操作を教えることができます。内心辛いなと感じますが、立場上顔に出すことはできません。もう、笑顔で淡々と教えるほか無いんですね^^;

 自分の過去を振り返るとずいぶんと悪い人にだまされました。でも、自分自身が幼かった。いい勉強だったと感じています。

 その報いは人を見る目です。大体勘で、男性であれ、女性であれ、勘付きます。自分自身の快、不快と言う感覚で近づいて話すか逃げるか、選んでいます。逃げらない状況時はいやと言う気持ちを正直に感じていると相手は分かるようです。オーラ?なのかな・・・・

 自分の体験を語りました。僕のつたない文章を読んでいただき、ありがとうございました。
<1045> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 02時05分20秒
自分の共依存を自覚したとき“承認を求めすぎる”というフレーズを見て「これだ!!」と思った。当時の絶望的などうにもならない状況から救いを求める一心で、そういったフレーズが心に突き刺さってくることは多かった。このHPでも承認を求める自分という観点で、家族関係、人間関係、その他の活動を振り返ってきた。表面的に見れば僕は確かに承認を求めてきたと思うが、最近は少し違った見方もできるような気がする。 僕の特質である「承認を求め過ぎること」、「責任を取りすぎること」、「世話を焼きすぎること」・・・こういった行動の背景には、やはり「人の怒りを買う行為からどれだけ遠くに遠ざかっていられるか」という動機があるような気がする。わからないけど。承認も、責任とりも、世話焼きも「そうしたい」という動機があまりなかったような気がする。「そうしたい」というよりは「そういないとやばい(危険だ)」という切迫感が強かったような気がする。どれだけ安全を保てるかという態度が行動のバックボーンになっているから、気が休まる瞬間が一時もない。 また世話焼き、責任とりが結果的に境界線を犯したりしていたこともあるような気がする。 とにかく恐れが支配していたから、自分の興味や関心、授かりものを磨いていくことを怠ってしまった。
<1044> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 01時52分05秒
棚卸しの途中で、あまり断定的なことを書きたくないけど・・・中学で僕は模索していた。どうやったら人の怒りを買わない人間になるかを。中学のころを思い出すと、なんとなく生き生きとした感情の記憶がなく、厚いすりガラスの向こうを見ているような気持ちになりなんの感興も湧かない。 高校に入ってやったのは「人を喜ばせること、楽しませること(=people pleasing)」で具体的には笑いを取ったり、必要以上に献身的になったりした。もうね、この頃、僕はある種の間違った効力感を獲得していたと思う。「人の怒りを買わない」点においては、僕の申し分のない生き方をしていたのかもしれない。確かにほとんど人の怒りを買わなかった。でもそれは僕が成長していることにはなっていなかったのかもしれない。 大学でチームスポーツを始めた。初めての球技。よく先輩から怒られた。もう怒られない人間になっていたと思ったがそうではなかった。こうやって書いていくと自分が人生に何を求めていたのかが、ぼんやりとだが見えてくる。そのスポーツが本当に好きだったら怒られることはさほど重要ではなかったかもしれないが・・・・とにかく怒られるのが嫌だった。結局そこを辞めることになった。これが最初の底つきだったと思う。「怒られないようにする生き方」の僕の人間的限界、底だった。もともとそんなことができるわけないのだが・・・仕方なかった。そして今の僕がある。いつも人からの怒りが怖くてビクビクしている。それを避けることが人生の目的みたいになっていた。
<1043> ぺあ ■2007年07月11日 水曜日 21時50分14秒
私のまっすぐ物を言う所、いつも社会正義をふりかざしている所、いつもどんな人から見ても「正しく」また、役に立とうとする所、を嫌な風に思う人いるんだろうなと思う。人って保身(大人になれば多分必要なんでしょうね)して生きているから、それを根源から揺さぶられるようなこと言われたら、誰だって、何か嫌だとか思う人もいるよね。「自分のアイデンティティを発達させること」もAC的生き方を変えていくためには必要とあった。私は大学時代、常に「明るく」「わがままなかわいい女の子」であろうとしてきた。いつも「暗く」「下」な存在だと学校の中で見下されてきたから。←多分一部の人だけだろうけど、皆にそう思われていると被害者意識として持った。「上」な人になりたかったんだ。そして、誰よりも家族に認められたかったし、過去のいじめた人を見返したかったんだ。人のイメージに合うように生きるって大変ですね。私の実感なんてどこにもなかった。そういう脆弱性を持ってしまうと人に利用されやすかったみたいで、集団にネタにもされたし、無理な要求を呑まされたり、体目的の男に狙われたり、ストレスの発散にされたりもした。それでも「明るさ」にこだわって、その周りから見て「明るい」集団の中に心が怯えきっても頑張っていたんだ。
<1042> ぺあ ■2007年07月08日 日曜日 23時54分37秒
続き
中学校へあがって、いじめはやんでいった。
今度は、男子生徒が私に「どう思うか」について肯定し続けた。ある男子が私を好きなかんじだと思う。そうすると、彼に「良い所(と自分が思うところ)」しか見せない。常に彼の視線を気にし続ける。しかし、私は彼が好きなわけではない。多少興味のあった人もいたけれども。彼の視線にうつる自分ばかり気にし続けて、本当につかれきった。それでもやめられなかったのは、「本当の汚い自分、たいしたことのない自分」に気付かれるのが怖かったから。私は第一印象が良いらしい。だからこそ、期待はずれされるのが本当に恐ろしかった。もう二度と誰にも振り向いてもらえないとも思った。
一番辛かったのは、全く興味のない男の子にでさえ、視線を気にして、「良い所」しか見せない振舞いをしたこと。それから、高校時代は電車の中に乗っているいかにも気持ち悪い男性にでさえ、彼が何か私のことを見て「こいつ俺のこと好きそう」というナルシストっぽい態度を見せると、その感情に乗ってしまうことだ。彼を肯定してあげないと、そうじゃないと彼に殺されてしまうくらいの恐怖を持った。それから、小学校時代のいわゆる「汚い」といわれていた男子にも自分を「汚くよごす」ため、「自分いじめ」のために、好きそうなそぶりをしたり、彼らの気持ち悪い視線にのってしまう行動を自分の意思ではなくやってしまうことであった。私はいつも弱そうな男子のつまらないことも「うんうん」と聞いてあげて、好かれることも多かった。でも、手を机の中で触られたり、頭をものすごい気持ち悪いかんじで触れらたりした。いやだって言えないの。あのにたにた笑いは気持ち悪かった。人を肯定するために私はいて、そういう存在ってこどもの格好のおもちゃ相手。子供はどんな人にも感情があるってまだ分からないところあるから、こいつに何やっても良いとレッテル貼ったり、皆がしていれば、平気でものすごい心をえぐるようなことを平気でやるんだ。それからなんか男性には悪いけど、汚い男子は品性下劣なことを平気でやるやつが多い。本当に嫌な思い出、身体にも心にもまとわりつくようなことがあった。
<1041> ぺあ ■2007年07月08日 日曜日 23時41分31秒
私は、人が私に対して「こういう人だ」とか、もしも男の人であれば「こいつ俺のこと好きかも」と思うことを、肯定してあげたくなる。また、その人が考える私像を壊すような自己像を持つことに、ものすごい罪悪感と、もし人の考える以外の自分像を持ったとしたら、私はすごいスパースター物語へと歩んでいる、どの人も私を凌駕してしまう、素晴らしい才能が世間にばれるとか、多くの人が私の「下」で私をうらやましそうに見上げているそんな図がとてもとても浮かぶのだ。
 小学校時代は、「いじめられて当然の子」というレッテルを貼られた。からかわれることがエスカレートしたときに、クラスの女子に言われたし、そういう視線をびしびし感じた。私は、人を「肯定する」ために生きてたから、その子たちの期待通りに振舞った。彼女たちの決める私の仮面以外の自分で居ることを自分で許さなかった気がする。だから、いくらかの人数の人にからかわれたりするだけで今でも、私はおののいてしまう。本当に怖いのだ、集団のエスカレートと貼られたレッテルに逆らえなくなるあの勢い、自分の屈してしまう弱さが。
子供時代、家族に貼られたレッテルは「まあ明るいキャラ」。私は演じたと思う。それ以外の自分を持つことに罪悪感を感じていた。私は家族を裏切っている、本当は操作している、人の気持ちの分かってしまう子どもらしくはおよそない汚い子供だと思っていた。いじめられて、深刻になっていること、トイレで一人泣いていること、それを家族に秘密にしていることに罪悪感をものすごく持っていた。学校と家と私は整合性を持っていないと。だから、学校で泣いたことを知られた日は、恥ずかしいのもあったが、心がぎくりとし、怯えた。

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This script written by Shintaro Wakayama.