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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.52
メッセージ数:1040件

<1040> ぺあ ■2007年07月07日 土曜日 22時49分59秒
いつも辛そうで、私も辛くなるんだよと言った友人がいた。それから、私が情緒不安定な行動したら、学校来なくなったら「心配している」という嫌いな先生がいた。そうやって、心配する人に限って、私に「良く」なる道へ無理やりひきずって、こうしろこうしろと迫る。ああ、やっぱり「元気で大丈夫なケース」をこいつらに「表面上見せる」ことをやれば気が済むのかなって思う。過去の私が常に「怒り」を殺して「標準」を周囲に「演技」しきっていたように。友人って人の心の領域にずかずか入って、助言する人じゃない!!そんな人は要らない!でもそういうことすると、「だからお前は失敗するんだ」とか「うまくいかないんだ」っていう声が頭にのぼる。助言する人がほんとに多い。でも大部分は先生になってあげる〜、教育してあげる、間違った道を進みそうだからこうしてあげる。と本当に私の心の力を奪うの。そしてその人たちに負けて、あの人がこういったからと・・・行動すると、大抵失敗する。そして、その人たちは「そんなの知らないよ」という感じ。信頼できる人とうまく話せなくなってきた。大切にしたい人とどうでも良い人ともう私は分けるべきだ。
<1039> アーネスト ■2007年07月06日 金曜日 02時45分58秒
友人から連絡が入って会ってきた。男が集まれば異性の話に転がっていくというのは定説なのだろうか?彼は僕に恋人がいるかどうか聞いてきた。僕はいないと言った。異性にしろ同性にしろ人間関係なのだから、「求める」とか「向かっていく」というイメージがあまり好きではないのだが、正直、異性を自分の所有物、金や服、車、バイク、ギター、文房具、その他「物質」のようなステータスシンボルとして考えている。まるで持っていないと恥を書くような。子どもが最新のオモチャを自慢し合い「え?!お前、まだあれ持ってないの?」みたいなノリだ。恋愛でもそれなりに傷ついてきたし、できればあまり触れて欲しくないのだ。そう、今書いていて築いたけど、僕は異性との親密な関係の前に、一人の人間として他者として付き合っていくということに関して、深刻な問題を持っている。新密度が増す異性との関係など、今は到底築いていける自信がないのだ。それでいい。読んでて不快な思いをされた方がいたらごめんなさい。
<1038> トラミ ■2007年07月05日 木曜日 00時05分25秒
以前は、彼と連絡が取れないと、すごく不安になった。
何回も電話したりメールしたり、家まで行ったりして、すごく必死になっていた。
でも、私がしがみつこうとすればするほど、彼は離れていった。
今でもそう。私が少しでも支配的になったり、自分の都合だけを主張すると、彼は携帯の電源を切ってしまう。
3ヶ月に一回くらい「別れよう」と言われるのが常で、でもそのうちまた彼から連絡があって、付き合う・・その繰り返しだった。
自分としては、ただ彼に愛されたい、ずっと一緒にいたい、二人で幸せな時間を過ごしたい・・そう思っていただけなのに。
どうして彼は、私を近づけてくれないの?責任をとりたくないのか?
不思議で、また不安でしょうがなかった。
今は二人で一緒にいて、すごく幸せだけど、明日になったら、また「別れよう」と言われるかもしれない・・。
まるで、親といる時と同じだった。
少し優しくしてくれたと思って、もう安全だ、と心を許すと、すぐにカウンターパンチが来る。
馬鹿だった。何回も何回も、期待しては裏切られ、もう期待してはいけないと自分に言い聞かせているのに・・。
笑顔や優しい言葉、普通の親なら当たり前であろう、「私や他の家族に対して怒っていない、不快に思っていない」、そういう状態であるだけで、私の願望を膨らませるには十分だった。
そして、最後には、以前よりもさらに深い絶望の中に、私だけが取り残されるのだ。

こんなことばかりだった。いつも他人に振り回されてきた。他人の表情、言動をいちいち記録して、あれは私にたいする不快感を表しているのでは?と思ったり。
信じて、裏切られて・・それを何回も繰り返しているから、あまりにも簡単に騙される自分が惨めでしょうがなくって、顔では、何も感じていない・・希望も、失望も。そんなふりをしているだけで、精一杯だった。
心の中ではいつも泣いていた。期待することも、信じることも、裏切られて悲しいと思うことも、自分の感情をありのままに表現することも、そして、感情を感じることすら、許されないことになっていた。
そして、私はサイボーグのような人間になった。相手に対する信頼も、親密感さえも、表すことができなくなっていた。家族はもちろんだが、友人に対しても。
わたしのことをよく知らない人はみな、「つかみどころの無い人」「不思議な人」「笑わない」と言う。
その言葉の一つ一つに、また傷ついて、私は鎧をさらに頑丈なものにする。
ほんとうに悪循環だ。


でも、今の私は、昔の自分がどうして悩んでいたのか分かっている。どうやって軌道修正するかは、まだまだ手探り状態だけど、とにかく、道はハッキリしている。
それだけでも、私にとっては、すごく人生が明るくなった。
何が原因だったか・・私は他人指向だった。
自分の存在の価値を、他人の表情、言動、行動にしか求めていなかった。
自分が全くなく、他人に全て任せきりだった。
今考えれば、彼が逃げ出したくなった気持ちも無理が無いと思う。私は、まさしく自分の人生を、彼にその責任を負わせていたのだから。
「どうすれば彼と、いつでも一緒に、しかもいつでも幸せでいられるか」ということが問題ではない。「どうすれば自分ひとりでも幸せになれる人間になれるか。彼がいなくても、生きていけない、という事が無いようにするか」、これが問題であった。
誰かと一緒にいることで、マイナスの自分をプラスに引き上げてもらおうと思うのが、そもそも間違いだった。
自分(−)相手(+)→±0
自分(+)相手(+)→+
となるのは、当然のことだ。
だから、相手といい関係を築きたいと思うなら、まずは自分のケアをしてあげなければ。
彼は子供っぽい人だと思う。そして私は、彼や周りの人からは、「大人」だと思われている。
でも、実際はそうじゃなかった。私は彼にしがみつく子供だった。
彼は、私のことをすごく心配したり、世話を焼いたり、相談に乗ってくれたり、ということは、私から要求しなければ殆どしない。
前は、それが嫌でしょうがなかったけど、今では、むしろ心地よい。
私のことを世話してくれないけど、私のことを傷つけることも絶対にしない。
今は、その距離が丁度よい。私は自分の回復に専念したいし、一緒にいすぎると疲れることも分かった。

彼も問題が無い人だとは言い切れないけど、とにかく今は、自分のことに集中しようと思います。
<1037> yu-ko ■2007年07月04日 水曜日 00時27分37秒
疲れた。
彼と長いこと一緒に居て、小さな嘘は沢山あった。
けど、この1年嘘だらけ。
きっとみんな、言わないだけ。
誰を信じていいか解らない。

人を不快にさせるのは簡単なこと。
されたから、マネします。

1ヵ月後。
<1036> ぺあ ■2007年07月03日 火曜日 23時27分49秒
もういいですか。もう「かわいそうな」人と伴にいなくていいですか。「不幸な人」を助けなくていいですか?「不幸な人」を喜ばすために、自分の幸せを捨てたり、自分の幸せを投げて自分で喜ばなくていいですか?もう人を喜ばすのやめていいですか?
<1035> ぺあ ■2007年07月03日 火曜日 22時38分13秒
今日もまた集団の中で「浮いている人」を探していました。そして弱みを見つけては私も「この弱み」は小出ししてもいいかも。この人は私よりももっと「悪い」からと思いました。自分の専門的な研究を持っている人がいました。地味そうでつまらなそうな人だと思ったのに、うらやましかった。自分の興味関心を突き詰めることができない私にはうらやましかった。大して交流しなかったけども、自分のラインをしっかり持って、生きている感じがして、自分の気持ちを私のように押さえ込んだり、汚いものだと思ったり、相手の世界観を肯定するために、捻じ曲げたりしなそうで、うらやましかった。自分を相手の境界線をきっちり分けられそう。私は相手が私が見放したらもしくは一人の人間として接したら「崩れる」ようで怖い。だから相手は相手、私は私で素直に感じることができない。相手を罵倒しそうで怖い。相手の心を殺しそうで怖い。とにかく怖い。とにかく安心できず、いつも私がその人を気遣い、その人の思いを先回りしたり、自分の心を殺したりする。その理由はもう分かったけど。
<1034> ぺあ ■2007年07月03日 火曜日 22時30分58秒
集団の中に入ると、いつもその中で「浮いている」人を気にした。もう子供の頃から。「浮いている人」のお助け役、「優しい」が常に褒め言葉。でも「浮いている」友人は、私のお助け役があるのに、どんどん成長していった。私を置いて。私って何なの?それでも誰かの助け役、「かわいそうな」人と一緒にいて、その人と同じレベルで居ることが私に課せられた宿命だった。子供の頃からずっとそれが宿命だと思った。自分がない私に中学校時代は人があまりよりつかなくなった。それでも「家庭に不満」のある子の全く心の交流のない、その子の単なるストレス発散のための「聞き役」「何でも望みを聞く役」でした。高校時代でもう限界だった。大学時代でもまだやめられなかった。集団の中で「浮いている」子を私が集団に入り込ませて面倒見る役。いつもそう。何にも中身もない、つまらない、現代人ぽっくない私に学生(お子様たち)は誰も相手してくれないだろう、だから何か「役割」がほしかった。それがあれば私もお子様集団にいられるから。私には人を見下す部分と人を崇める部分と自分を卑下する部分と自分を誇大評価する部分があまりにも極端にあるのだと思う。成長過程で人とのすり合わせをしてこなかったから、納得して生きたことがなかったからじゃないだろうか。
<1033> アーネスト ■2007年07月03日 火曜日 02時43分43秒
友達との関係について。

大学時代の友人一人、高校時代の友人、数名。友人Rはきっと僕に愛想をつかしてしまったかもしれないな(笑)。会っても「恋人ができない」とか「体調が悪い」とか愚痴こぼしてばかりだったから。そしてM。彼には命を救ってもらった。彼にはACであることを告げたことがあった。彼はよくわからないな、といった感じだった。拒絶されたわけではないが、会うたびに重い話が続くようになった。いったい僕は彼らとの関係をどうしたいんだろう・・・この関係はどうなるんだろう? Rとはもう半年ほど連絡をとっていない。他のヤツはもっととっていないかもしれない。

僕はかなり小さいころから、友達なんてウソだ、インチキだというひずんだ考えを持っていたと思う。無邪気さを演じることはできたが、本当に無邪気になることはできなかった。いつも他人との間に高い壁を作って、そこに入れさせず、またそこから出なかった。相手を拒絶してるわけではなかったが、その壁を壊すと、自分が壊れてしまうような気がした。 そしていつごろからか友達と競争相手が同義語になってしまった。本音を出し合わず、弱さを見せず、競い合い、高めあっていくのが友情で、大人の関係であると勘違いしてしまった。そういう関係はとてもギスギスしていて心の温かい触れあいなど皆無だった。結局のところ、本当の自分、弱い自分、いい加減な自分、ダサい自分は閉まっておいて、強くスマートに、クールに人付き合いをしていくことを選んでしまった。それは高校の頃で、そういう考えが後々、自分を破滅させるなどとは全く思っていなかった。 人間関係は「困った時はお互い様」、「ギブアンドテーク」という大事なことを僕は護らなかった。「俺が困ったらどうするって?ふん!!一人でやるよ」という態度は、集団生活で孤立して当たり前だった。そのくせ寛大な人には赤ちゃんのように甘えた。そういった諸所のバランスを欠いた行動と人間関係の中で自他共に傷つけてきた。でも無駄じゃなかっただろう。これだけ痛い目を味わったから、今なんとかしようと思える。死なないで治る馬鹿があるなら、どうか治して欲しい。
<1032> とら ■2007年07月01日 日曜日 00時23分46秒
今の彼女との関係

 一番楽な関係かな。彼女は入院しているのでめったに会えない。面会に行くと家族のものじゃないのでだめと言われる。でも、俺も同じ病院に通っているので、会うことができる。短時間しか会話できないが、それだけでいいという感じ。ラブレターは渡してあるし、人を通して俺のことが好きだということも知っている。彼女はなかなか本音が言えないのだ。俺はそれを知っていて付き合っている。病気がぶり返している様子。入院も長くなるとかえって悪くなると思うのだが、こればかりは彼女と彼女の家族と主治医の判断なので、余計なことは言えない。

 去年の11月に付き合い始めたころ(よくしゃべっていたからね)明るく快活で優しい女性だなと思った。初デートは病院の近くの喫茶店で彼女の友人も一緒だったが、彼女からのお誘いだった。楽しかった^^;

 11月中旬に病院の1Fから4Fに移るときにそのとき、彼女に彼氏がいることがわかって、別れようと思った。それで黙っていこうとすると、彼女が来て、「何でそんな大事なこと、私に黙っていたの!!!」と言われた。そのときに彼女ははっきりと俺のことがすきなんだなとわかった。4Fに行く直前に電話番号を書いたメモを渡した。

 去年の12月は、俺にとって回復の詰めになっていた。男社会にもまれる訓練。4Fはそんな場所だった。彼女のことをあまり考える余裕がない。でも、散歩に出ると、外でバッタリと会った。挨拶はした。それでお互いがんばっていることがわかった。同じ病院に入院しているメリットだった。

 彼女は統合失調症だ。俺自身もかつてそうだった。だから彼女の表情を見るだけで大体心の状態がわかる。でも彼女がすごいのはどんな調子悪くても目がきれいなままなのだ。俺は会うと彼女と話をするとき目を見る。声のトーンを聞く。質問をする。たとえなんとか「はい・・・・」と言ってもそれいいと思うのだ。彼女は真面目なのでほどほどを学んでいる途中なんだ。

 今年の1月の話。俺は病院のディケアに通っていたころ(社会に出るリハビリ)彼女は隣の作業療法室で、習字に没頭していた。勇気を出して会いにい行った。おはようと言うと、緊張した面持ちで「おはようございます。」との返事。その後恥ずかしがって病棟へ帰ってしまった。でも、俺の声にすぐに反応していたので、うれしかったな^^;

 ラブレターを渡してから2ヵ月後くらいに、作業療法室に会いに行ったら、彼女は驚いて笑った。飛び跳ねたいような様子だったが、抑えていた。そのときに思った。ちゃんと想いは通じているのだなと。このとき、初めて会いコンタクトをした。好きという想いを伝えると、はいと言う感じの目を彼女はする
。コミュニケーションは言葉だけじゃないんだなと実感した。

 仕事で辛いときは、この経験を思い出す。感覚が遠距離恋愛と似ている。物理的にはそんなに遠くないのだが、お互いに電話できない状況だし、手紙を検閲されてしまうからだめ。どうしても会えないときは、共通の友人にメッセージを頼んだ。「少し心配しているよ」と

 いつ退院できるかわからない。その間に俺は経済力をつけるべく励んでいる。彼女と二人暮ししたいし、今のアパートは十分な広さだ。生活の道具はすべてある。後は俺の努力と彼女の回復しだいだと思う。

 とにかく、毎週病院へ足を運ぼう。金曜の予定は知っているのだから。
<1031> トラミ ■2007年06月30日 土曜日 23時54分55秒
結局、人間関係で何が一番大事かって、自分と他人との境界線を確立して、自分を守ることなんだ。
世の中には害のある人がいっぱいいる。そういう人をちゃんと見極めて、近づかないようにすることだ。
自分は誰かと一緒にいなくても、つまり自分一人でもちゃんと一人前だし、不完全なんかじゃない。
誰かと一緒にいて、感情を分かち合うというのは、その人の考えを尊重すること。自分のことを大事にできない人間に、それはできない。
相手にすりよるか、交われないか、相手が自分と意見が違うことに憤慨する、ということになる。
だから、自分を守ってあげること。たとえ他人に何を言われようとも、自分が参加しなければ、他人は自分を傷つけることはできない。
誰があなたを否定しても、誰もあなたを認めてくれなくても、たとえあなたが誰のお気に入りでなくたって、あなたはあなたというだけで価値があり、大事にされるのは当然だ。
そう、自分に言ってあげる。


今まで散々本で読んできて、頭では理解していたのですが、自分の言葉で言い表してみたくて、書きました。
最近は、他人といても、あまり劣等感とか孤独感とか、感じなくなってきている。他人の行動、言動を気にしなくなってからの方が、自分から他人に話しかけたりとか、しやすくなったように思います。相手が黙っていても、それは別に、私が話しかける価値が無い人間だからではないし、私が相手の気分を害しているわけではない。
相手の気持ちは自分に責任があるわけじゃないんだ、と思うようになって、他人から話しかけられることが増えたように思います。
周りは何も変わっていない。わたしが心に通気性のいいバリアを作ったから、むやみに防御的になって構えなくてもよくなっただけ。
少し楽になりました。
<1030> とら ■2007年06月30日 土曜日 23時35分55秒
20代の友人がいるが、依存症で俺に父親を求めてくるし、母親を求めてくることもある。そんなやつと付き合うのは大変だ。お金をくれと言う。タバコを買ってくれと言う。仕事もすぐにやめるし・・・

 俺も貧乏なのに、つい世話を焼いてしまう。俺自身も師匠にそんな依存をしていた。食事を作ってもらった。感情的な世話を焼いてもらった。お金は父にもらった。そんな時代があったので冷たくできないのだ。

 彼は本音では子供でいたいのだ。俺も最低限の世話をする。お握り一個ぐらいはおごるが、それが限界だ。彼は俺の前ではまるで子供だ。注意すると怒るし、諭すと反発する。でも依存するだけ依存すると帰ることの気づいた。

 その後は俺は寝る。すると力が戻る。その後自分のことする。
<1029> ぺあ ■2007年06月29日 金曜日 21時03分49秒
今はHPはやらない。サイトでも人とは関わらない。現実の人間関係があるから。HPなんてやらない。男の人で何か私を心配し、「すがりつき」、支配しそうな感じの人がいるから。人から心配されると、その人の思う、もしくは一般的に私が暗くかわいそうな状況にいないで、彼氏とか作ったり、仕事でうまくいったり、わが道歩くと、心配してくれていた人に「裏切ったな!」とすごい怒りとか憎しみとか恨みとかを私に持たれそうな気がするの。昔なら彼らの期待に応えていたかもしれない。でも私はもう心配という重しで見返りを求める人間関係は嫌です。自分の道を歩むことが、これから付き合うかどうか決めかねる人間関係を私に合う、居心地のよいものにしていくために一番大切なことなんだよね。
<1028> ぺあ ■2007年06月29日 金曜日 20時57分19秒
友人関係は、私はいつも心配ばかりしていました。心身が不安定そうな子に対して。でもその心配は支配だと私は思う。またあるアドバイスばかりしてくる友人(私は相談ばかりしていました。なぜなら彼らは周囲の人から『いい人』という評価だけをもらう人だったから。彼らは合っているし、悪い人ではないと思ったし、私の言う暗い話も聞いてくれると思ったから)の助言には絶対に従いました。彼らを肯定してあげたかったから。なんとなく世間並みに正しい意見だったから。でも私の心はすごく心の信じていた体系みたいなのが崩されたり、笑われていたり、心の力が萎えるのを感じた。彼らの助言は絶対だった。彼らの言うとおりにしない時の方が選択正しいことが多いのに。冗談通じない、もっと冗談わかったほうがいい、そのうちの一人には私が「失礼だ」と感じた時に言われました。ものすごく圧迫感を感じた。ずっと「こうだから」友人だと決め付けていました。でも自信を失わせる人たちだった。気が合わないってこういう事なんだね。人のお世話係、人への心配=支配、人の世界観肯定のためにその人のレッテルに合わない自分をそぎ落とす、合わない自分を持つことに罪悪感を感じる、自分で自分のためになると思うことをするとその人への忠誠心を裏切ったように感じる、その人の奴隷ではなくなることに罪悪感を感じる、その人を助けないといけない使命感、こういう人間関係から脱せられたら、人とうまく付き合っていけますか?
<1027> ぺあ ■2007年06月29日 金曜日 20時47分24秒
思えば私の人間関係は、お世話係、私は本当の能力としてはその人(友人)の「上」なんだけど、わざと自分の本当の能力を隠してあげて、その人の「下」でいてあげる。そんな関係ばかりでした。そしてその子が「成長」すると、私はこんなに頑張ったのに、これだけ自分の素晴らしい能力をお前のためにみせびらかせないように我慢してやったのにと思いました。
 まじめな自分はそぎ落としました。まじめというレッテルは私をすごく家族において「下」世間で「下」だと思ったから。暗くて、子供らしくないと。大学時代の男の子との関係は、やっぱり私は「世間なれ」してない子に「お母さん」になってしまうのね。好きでもないのに、誰からも相手にされない子の一方的な話を「うんうん」ってすべて受入れて、好きでもないのに、そいつに彼女ができると「裏切られた」気分になりました。「これだけやってやったのに、我慢してやったのに」と。好きな人にそれとなく伝えてもいいと思わなかった、というか自分が人を選んでいいなんて思ったことはあまりなかった。私は公共物のように皆のものとして振舞って、人を受容しているだけだった。男の子は大抵、「お母さん」的態度ですべてを受容すると、好きだと勘違いする。ましてや家族の一人に男子と話したことないことについてからかわればかにされている私は男子慣れするために誤解される行動沢山とった。危ない橋を渡ってたのだろうか。
<1026> とら ■2007年06月28日 木曜日 01時34分47秒
最近人間関係があっさりしてきた。とくに仕事関係では本音も少しは話すが、たいてい聞き流して、適当にあいずちを打っている。そんな風のがつかれないんだ。自己主張を精錬している。申し訳ないけど〜してくれませんかはよく使っている。だいたいとおってしまう。関係ができるとワンクッションいらなくなる。同時に境界線が引けるのはいいことだ。
<1025> なずな ■2007年06月27日 水曜日 00時43分01秒
なんで?なんでまた意地悪な人がいるの?私そういう環境に無意識に吸い寄せられてるの??
 なんかまるで私、いつも怒られないかびくびくしてる小さな子供のよう。
気分しだいで怒ったり笑ったりそういう人たちの周りにいて、次いったいどうなるのか戦々恐々としている。まるでゲボクを扱うような口調・・・。
 こんなの幼いころのトラウマを再体験してるのと似すぎてるよ。
 早く逃げて!!
 私、そこから逃れる力持ってるよね?
<1024> もえぎ ■2007年06月22日 金曜日 21時43分16秒
わたしは人と関われない人間なのかもしれないと時々ふと思う。
するとそのループから逃れられなくなる。
絶望と厭世感で鬱がおそって来る。
考えないようにして、作業をする。
それが逃げだとしても何かせずにはいられない。
トンネルに入る前に何かに没頭せずにはいられない。
<1023> ペア ■2007年06月18日 月曜日 18時59分38秒
なぜ意識とばしたのか理由を考えた。一つはひとつも安心できないこの環境から自分を守りたかったから。子どもの不意に入る退屈による暴力スイッチはとても怖い。子どもは怖い。理由なく、理性なく、感覚ですっごくうまく捕らえてしまうから。弱い人を。私はまさに弱い人だった。自分を大切にする当たり前の感覚の欠如した。あの不安定な、がけの上にいるような自分を何とか予測可能のいじめまで傷つくレベルを落としたかった。子どもは本能のままだから怖いんだね。子どもは今でも怖い。教育なんか勉強しながら脅迫的に子どもを好きにならないとって頑張ってきたけど、本当は子どもと関わってキャンプ終わって一人になったときにあまりのつまらなさとむなしさに泣いたことがあった。過去の傷を癒すただこれだけを目標に生きてきたような20歳前半だった。
もう一つの理由は、いじめをする子を肯定したかったの。多分、現実を肯定したかった。私の歯車と周囲の歯車が全く合わない現実に私は子ども時代生きてきました。あの感覚はこの言葉がまさにぴったりなの。いじめをしている子は私をほんとに憎憎しげにいじめるの、そしてほんとに面白そうなの。そして、3,4年の頃は一人も私に味方でいてくれる人いなかった。皆なの。皆私をいじめるのを喜ぶの。そっか自分はそういう存在なんだ、生まれつき。そう納得してしまったの。だから、あの子たちが親の言う世間なんだろうなって思った。あれが世の大多数の意見。しかも彼女たちは明るいし、子どもらしい、私の計算づくしと先生にさえ「あなた大丈夫?」みたいな思考になってしまう、先生の子ども観をよくしようとかそこまで気遣う私とは大違いの天真爛漫さ。計算尽くされていない世界を(こっちはひやひやするけど)思いっきり、将来の心配も人の心配もしないでいきている。だから、この子たちが私に不幸願っているし、きっとどこにいっても救われないから神様だって私の不幸を笑ってるんだろうなってつくづく思ったので、それが現実でそれを見せ付けるために、あえて自分でもう受入れるために、中学から自傷をはじめた。これでいいんでしょう?だって、こういう姿望んでいる。優越感を誰かに持ちたい家族でさえ、ピエロ、したの存在、ペットができて嬉しいでしょうって絶叫していた。
<1022> ペア ■2007年06月18日 月曜日 18時36分06秒
人間関係は、どうして人が怖くなるんだろう。昔ね、意識を飛ばしながら生きていた。中学校の頃。小学校時代のいじめ(共依存だったのでしょう。いじめた子は覚えていません。でもいつもつねられて、皮がむけてた)は恐ろしかった。中学校に入れば親友できる、だから我慢。ずっと。大人になればもっとつらいことたくさんあるって親は言う。だから、我慢。ずっと。中学校でも全く同じように家族に不満のある子が友人となった。でも、その子は私に愚痴しか言わない。よく馬鹿にされた。ペン貸さない。一緒にいても話しつまんない。といわれた。よく失敗責められたり。友人の輪の中に入ろうとしたら、「なに??!」とか言われた。どこでも私はやっぱり理想の気の強い子にはなれず、汚い弱い女なんだ。意識とばしはじめたの。一人で学校から帰る途中。自虐思想。自傷。でも親や周囲に分からないように自分を責める。でも決して手を切るわけではない。やめられなくなった。周囲の笑い声とか馬鹿にする声とか見下す目とか、人の言葉とか突き落とそうとする前触れとか暴力のスイッチとか入る瞬間とか、逃げられない固定化する関係、雰囲気、そういうのすべて私の心から消えた。意識飛ばして自傷しているから、誰にもわかんないように。親にも。普通の子として親の子育てを肯定しながら、意識飛ばして誰とも一緒に生きないでここまできたの。
人が怖いの。優越感を持ちたいんでしょう?人が怖いの。コントロールに置かれる瞬間が私はやっぱり逃げられないの。何もかも分かっているのに、それでも自分のために生きられない。人と関係を結べば、その人の期待に沿おうとします。人を救わないとその人が変な道に落っこちる気がします。人の支配下に簡単に入ってしまう。人の言う事を聞きたくないこと全部飲み込もうとします。硬い石も、人が笑って「それはお前にはおいしい食べ物だ」といわれれば、その通りにしてきた。それぐらい自分の力を弱められてきたの。お前はだめだ。世間で通用しない。そのくらいで泣くな。親友なんてひとりもいない。ずるい。らりってる。寂しい人間。人の言葉が忘れられない。その人がどんなにいいことしてくれていても、それでも些細な一言をその人の全部のように受け取り、私はその言葉に支配されてしまう。幸せになること、自分で判断することを勇気付けてくれる人がいないの。助言、評価、比較、批判、さげすみ、からかい、世間ではやっていけないという心配。すべてがうざいのいやなの。人は皆親戚含めて、私には支配させようとする言葉をはく人な気がする。友人もまた怖いの、なのに、すきあらば私が弱みを握って、その人を不幸にしてやりたくなったりもするの。
<1021> とら ■2007年06月17日 日曜日 08時49分55秒
昨日、久しぶりに書き込みをした。ここは我が家なんだな。親友といえども、言っていいことと悪いことがある。友人を金ずるにするという体験談は参考に張るが、今回は使えない。正直言って経済的に大変苦しい。このことを親友にどう伝えればいいのか?せっかくのいい関係を壊すことにならないか?そう自問する。すごく大変なんだ。とてもつらいんだ。時代はどんどん変化しているし、営業の仕方も過去の方法では通用しない。俺は、過去、仕事中毒だった。また、ぶり返していると感じている。個人事業主である俺は、かなりのがんばり家だ。それが原因なんだ。一晩寝て、気持ちを整理するとこんな感想になる。もっと楽に考えていいんだ。彼女のことも、親友のことも、仕事のことも。手が震えている。怖かったんだ。無理をしていた。これを認めたい。人の本音を言うのがどんなに怖いか、身をもって再体験した。その道の経験者に相談すべきだ。もう、自分だけでやらなくていいんだ。助けを友人に求めればいい。家賃が払えない状況なんだといえばいい。もう、強がるのはやめた。もういいんだ。俺は一人ぼっちじゃない。経済的援助を受けよう。でも、実行するのが怖いんだ。今日は日曜だ。とにかく心と体を休めよう。それかれでもおそくはない。経費と生活費はある。経営経験もある。31歳から経営者なんだ。もう、7年目だ。実績もある。自信を持とう。いえい^^;

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This script written by Shintaro Wakayama.