最近思う、思えば人間不信になったのは何が主体?積み重ね、もしかしたら嫌な事は少ない方で過剰反応かも?でも、どうなんだろう、人ってどのくらいの幸せと苦悩で平均的なの? 人を信じないのはいけないし、信じたいけど、信じたから何か足りなくなるのは嫌。 でも信じようとしないと、信じられなくなって行く、現実は人の都合で動いてない。 じゃあ、自分の意志は自分の都合は今どっちを向きたいの? 生きたい? 信じたい? られる? 片方だけなんて甘いよね、認める、認めない、それ以外もだよね。否定と肯定とそれ以外。
いちよう、思い出深いというか、傷というか、踏まえというか、教訓?、不快な物を特に、 一般・普通的な対人関係の悩み・トラブルはまあ人間関係として普通として。
小学校4年まで近所の年下の子供と遊んだ、この事件まで子供は嫌いでは無く好きだった。 母が遊んであげればといったので遊んだ。(どっちでも良かった) あの頃、はやっていた?、シーモンキーをその子に見せたのだが嫉妬されたのかな? 偶然・事故? 何かあって倒れた水槽が、生き物好きで成長を楽しみにしていた自分は 唖然である。 その後、子供嫌い?、子供をかまいたくない、正しくかまう方法や心が無くなった。それ以前に人間不信が高まった。その日母に不満や悲しみを珍しく打ち明けた。母がその日に云った言葉、現実と人の社会と付き合うなら知っておかなければならない事、 『壊されたくないモノは他の人に見せてはいけない』『見せたら壊されると思いなさい』 『見せるのなら壊されても良いと思いなさい』『だから本当に大切な物は人に見せてはいけない』と、この時自分は心の違和感や恐怖、歪さを少し感じながら、でも本当だし現実的で正しい、母よ見直したよ大人っぽい所もあるし、大人なんだね。 後お金関連も貸すのなら捨てる覚悟等。(既にお金関連では何でだろう結構前からしっている)
小5〜6の時期としては珍しく一瞬気を抜いていたときの事>人の中を歩くのでは無くエレベーターに乗っていたから。エレベーターの手すりと壁の間にある隙間(丁度てすりと微妙な感覚で隙間)、その間に誰かが捨てた空き缶があり、手すりを外側の方まで握っていた手と一瞬はさまった、一瞬エレベーター止まる、違和感、痛い。アルミ缶が数秒後にふっとんでいった。手は擦り切ず程度、この世は気を抜いてはいけないし油断ならない。普通はてすりの上に軽く手を置くのが常識という事を知るようになる。
これも上記と同じ時期、同じような踏まえをもたらす、 母と一緒に云った電気マッサージチェア?の無料サービスを受けた直後。 母はとなりのおじさんとも普通に話していたのだが、自分も声をかけられればそれなりに答える。そのおじさんが『後ろにある手すりを触ってみな』と言われてうかつにも触った、なぜだろう、マッサージ後だから? 訳が分からないけど、手すりを触っても何も起きないと思ったから? 自分は踏まえないと、忘れるとだまされやすい・利用されやすい体質だと知っていた筈なのに。 ちなみに背後にあったモノは小学校の保健室にもある普通の仕切り、布のついた(相手と遮る)。 金具に触ったら軽い電気ショック、どうやら器具に電気をまわすために金具部分を利用していたらしい。 おじさんは、『いや〜前に自分も触って驚いたよ。』といってにこやか。 自分は、だから何? 意味ないし弁明や謝罪でもない、普通、自分が嫌なら他人に味合わせないようにするのが普通では?、自分も自分の愚かさと馬鹿さにあきれた、人をうかつに信じた。 そこの施設というか管理の人もどういっていいか分からない感じで困った顔。
電車も危険だね〜中学、これも人間不信関連、いつでもどこでも〜注意を、保育園時代と同じ。 寝ているときもご注意! もちろん男性なので変な事が無いので気軽に寝られて楽ではある。 寝ているとあれだね、魔が差している時の人や増長している人やまあ普通でも格好のスキがあると観てくる事が在るね。まあ、自分の場合、座って眠っていても人間不信で反眠り、反気配察知だけど。学校が遠いので路線を乗り換え、別の学生さん達2〜3が入ってきた。毎回そこの学校の連中の態度は良くない。終着駅近く1っこ前ぐらい、2〜3人が飽きたのか何か嫌な気配、 言葉もちゃんと聞こえていたけど覚えていない、ちょっかいかけてきそうな、なんかいたずら。相手に危害加えそうな空気、ハサミをだしてきたような感じ、髪切ってしまおうかというムード。 さすがにこれ以上増長されてはたまらない、さすがに顔をあげて寝てない事をアピール。 相手がビックリ、あやまり、以下終着駅まで静か。まあ周りにも自分より大人いたけど多分だれも厄介毎に関わりたくないから、あのままなら、切られていただろう。 下記も同じくらいの時期(中学)かな。
母の善行、自分には悪影響: 自分の行動には責任もって、自分の範囲で自分で迷惑を背負ってお願い、他の人に迷惑やめて。 母は善人、席譲る、自分が隣でも。自分はある時期から人に冷たくなったので譲る気無し。 それ以外にも理由、いかにも情緒不安定な人で周りの人に迷惑が起きると思った。 皆、さけようとしている感じもひしひしと感じる。一人ごとや他にも色々,Etc。 基本的に不安定な人でもそれを内側に向けている人は有益だと思う、外側に向けていても自分が悪くないか?とか、自分が相手にどういう影響を与えているかを考えようとする人は素敵。 外側に対して無思慮やたんに甘える為だけの人は怖い、何も考えてないようで。 今の自分もどちらかというと、無思慮で何も考えてない、多分最低。
ちなみに、自分は毎回その線を利用、母は用事があると利用、この時用事があって一緒。 席を譲られた人は母に好印象ムード、自分はあまり関わりたくないムード。 自分達は終着駅でおり、その人は2〜3個前 、一緒の時間は15分くらい?かな。 その日は母に忠告、苦言、ああいうのは良くない、人を差別するから良くないけど悪い事だよ、ちゃんと先の事まで考えて行動して、もし自分に何か影響あったらどうするの? 母は、考え過ぎ、あなたの考えの方が間違っていると言うばかり。 結果は、1回だけ席を譲ってもらった人の頭の中では多分、優しくしてくれた人=母 優しくしてくれた人の子供(友達)=自分 っとなったらしい、自分はできるだけ話さず静かにする事に。 普通なら、相手が話さないなら離れて行く筈だけど、変わり無し、車両変えたり、色々と。 それに自分まで他の人の視線が自分も精神不安定の仲間と思われているみたいでショック。 頭の中では自分自身で、頭おかしくて最低で生きている価値無い物と思っていたけど、 なんとか外側にはそうしないように、そういうところを出さないように装っていたのに。 頭の中で少しずつ自分をコントロールする能力がどんどん減っていくのを感じていた時期、必死でもがいていた。 それ以後、付け回される、自分の時間帯に合わせる為に必死に走ってきてまで(汗かきかきなので)、電車内で自分を捜すのを繰り返す、少し時間帯変えても無駄でした。それに帰りなので、疲れているし眠いし、早く家で自分の部屋で一人で休みたいし、帰り時間遅くなると明日朝早いので眠る時間に響くし、精神状態がおいこまれ始めてきてる時にこういう事件。 一度、つけないで欲しいと言ったけど相手は『なんでそういう事いうの?』といった感じ、そういう人に何言っても無駄だし、逆に怖いので答えられん。母も似たような所あるから=身勝手、アンバランスなところ。結局何かあるといけないので、何か起きたときの為に乗務員がいる車両ですごす事に、あまり関係ない。短くとも3〜4ヶ月は続いたのか確か。 母は、そうなると思わなかったから、しょうがない。という感じで。 結局、母とまた帰った時にその人を避ける行動・対応をあからさまにして何とか一件落着。 一様、自分でも似たような行動・対応していたけど、 張本人の発端の母が絡まないとその人は理解できなかったらしい。本当に悪い迷惑。 思えばまだまだ在るね、でも他の人も色々な目に在って来ているよね。 この程度じゃ、まだ楽な方だよね。
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