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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.4
メッセージ数:80件

<80> 埴輪 ■2003年11月20日 木曜日 17時34分09秒
上っ面の付き合いは得意だ。
ただ、壁を自ら崩せなくて辛い時がある。

威圧的な人が、苦手だ。
思考が停止してしまうほど怖い。
あとは従うだけ。

他人の欠点を見ると、安心する。
優れた人に出会うと、自己嫌悪に陥る。
<79> MARU ■2003年11月18日 火曜日 23時23分25秒
あたしの方が偉いんだぞ、って周囲に分からせないと、我慢できない、あたし。

分かってる。
実生活で、負け続けてる今が辛い。
本当は、何一つちゃんとしたトコのない自分が辛い。

十五歳も年下の人が、上司になる事も多い、この頃。
頭では、年齢なんか関係ないって分かってる。
なのに、ムカついちゃうんだ。
何も知らん癖に、偉そうにって、ムカついちゃうあたし。
あたしがしてきた様な苦労、何にもしてない癖に、って。

あたしの苦労は、自業自得。
分かってる。分かってるんだけど。

仕事なんだから、抑えて、って自分に言い聞かせる。
けど、我慢できない。
あたし、何てガキなんだろう。

相手が、年上のあたしに気を遣ってくれてるのが分かる。相手も、やりにくそうだ。できるだけ、相手を立てて、素直に…と心がけてる積もりなのに、結局態度に出しちゃう、幼いあたし。
相手の方が、大人だ。仕事に徹しようとしてくれるのは、相手の方だ。
<78> kanan ■2003年11月15日 土曜日 19時59分10秒
最近調子が悪い。体じゃなくて心が駄目だって思ってた。深みにはまるから前向きに行こうって考えたけど、誰といてもなんだか悲しくて寂しくて虚しかった。私より不幸な人なんていないよな、皆幸せそうだなって卑屈になって。
今日バイト先で社員の人に挨拶したのに無視されてしまった。
目が合ってたのに・・無視以外どう捉えたらいいんだろう?
私は知ってる。自分を知ってる。愛想良くできない自分を知ってる。
私の返事が愛想良くなくても気にせず話し続けてくれる、私に対して警戒心のない人には心を開ける。だけど一瞬でも「こいつは駄目だ」っていう目をされたら、顔をされたら、もうどうしていいかわからなくなる。
それが怖いから愛想が悪くなるのかな・・。
その社員さんは根気よく私に話しかけてきてくれたけど駄目だったのかな。
きっと私が悪いんだろう・・。
でも他人にどうやって心を開けばいいのかわからない。
誰かに自分の心に入ってきて欲しいけれど、入ってこられるのが怖い。
だからいつも一歩距離を置いてしまう。
愛想がないといわれる顔の下では泣いたり、笑ったりできるのにな・・。
いつかこの深みから抜け出せたらいいのに。
<77> L ■2003年11月10日 月曜日 05時55分01秒
どうしてもどうしても・・・今までかなり努力してきたけど、まだ。
私の顔色を極端に伺う人を見ると、なぜかイライラしてくる。腹が立つ。
「お願いだからそんなことしないで!」と言いそうになる。
まるで私が悪いみたいじゃない?
だから、その場から逃げたくなる。
機嫌を取られるって、どうにも気持ちが悪い。
そうされればされるほど、どうしようもない気分になる。悲しい。
私の反応次第でその人の応えが変わりそうだと、重たくなる。
「私がどうであろうと、まず『あなたは』何をしたいのよ?」
そう叫んでしまいそうになる。
だって、私の顔色次第で答えがコロコロ変わるなら、まず正直じゃないでしょ?
信用されてない感じがするし、操られる感じさえしてしまう。
「読まれそう・・・」と思うと、こっちは精神的に金縛り状態になっていく。自由な気持ちで行動できなくなる。
そもそも、人の顔色を伺うって、程度にもよるだろうけど、何から何まで機嫌を取るのは「気を遣ってる」んじゃなくて、逆に「操作的関わり」だと思う。
でも、実は私もそうしてしまうからこそ、イライラするんだろうか?

いつか、やさしく、イライラせずに「何だか気を遣ってるように見えるけれど、ホントの気持ちはどう?それを聞かせてもらうほうが嬉しいよ」って聞けるようになるだろうか?
そういう人にも、そして私自身にも。

反対に、私の機嫌を取るくせに、同時に、微妙なやり方で意地悪を言って傷つける人に対しても、どうやって身を守ったらいいのかわからない。
その人の中の、怒りやコンプレックスや何か、屈折したものが、複雑な態度を取らせるのかな。
かくいう私にも、きっとそういう複雑な要素があるんだろうし。

ただ、そう解釈したところで楽になるわけではない。
気分悪いのは気分悪い。うまく言い表せないんだけど、尊重されてない気がする。
でも、本当に微妙なやり方で、急に持ち上げられたりその直後に引き落とされたりするから、怒りようがなくて、気持ちを持て余してしまう。

近づかないのが一番だろう。
でも、しつこく接触を求められると、全部は断れない。
そういえば、相手は、私が完全に去りそうになると、こっちをおだてて、良い気分にさせるようなことを言ってくるみたいだ。
冷静に考えたら、この前もバカみたいにそれに釣られて、引き戻されてしまった。
でも、一緒にいて全然楽しくないなら、やっぱり何度繰り返しても楽しくない。
「おだてられて木に登るブタ」から脱出したい。
木に登った後、待っているのは、今度は微妙な「引き落とし」「侮辱」だもの。
この間も、一方的な相手の話を聞きながら、「私、今なんでここにいるのかなあ?」と考えていた。

逃げたい人間関係と言えば・・・
何十回、ハッキリ理由を言って断っても、暫くすると、また全く同じ集まりに私を誘う人がいる。
誘われること自体が厭なのではない。
その人の前にいると、「私の言うことを本当に聞いているのだろうか?」と疑ってしまう。
普通、人が「○○だから」と言ったら、その情報を元にした言葉なり、リアクションが返ってくると思うんだけど。
その人はそうではない。私が何を言おうと、関係ない。
彼女には、本当の意味での「他者」は、まるでそこにいないかのようだ。
自動的に喋る冷蔵庫と向かい合ってる気がしてくる。
目の前でテレビのコマーシャルが始まる気がする。
全く同じ言い回しが始まるからだ。
「一緒に〜行かない?」「こんなことしてるんだ」って何百回言ったら気が済むのかな?
つい昨日、聞いたってば。その台詞の先まで知ってるよ。
でも、相手は、私にそう言ったこと自体、覚えてないらしくて、ぞっとする。
自分が人間扱いされてない気分がしてくる。
別に悪意はないんだろうけれど。

「この頃私はこんな活動をしている」「あんな所にも行っている」と言って、自分を弁護してるだけに見えてくる。
第三者の前で自分の「活動」?を説明してるその人を見ると、いつも「大げさな・・・」「違うだろ?」「力入ってるなあ」と思ってしまう。
その「肩の力加減」に、いたたまれない気分になる。
その人がなぜ「嘘」ギリギリまで「誇大表現」するか、ビンビン感じられるから。
「ああ、こわいんだな。恐れてるな。誰も別に非難しないのに」
って思ってしまうこの私の見方、感じ方って・・・ひねくれているのだろうか?

でも、いくら努力しても、今のところ、そう感じてしまうのだ。
そして、感情に良い悪いはない、といくら教えられても、まだ「感じてしまうこと自体」居心地が悪い。
やっぱり、逃げてしまいたくなる。

「人間関係にしがみついている」つもりはないけれど、「実は逃げたくて仕方ないのに耐えている自分」???を見ていると、「何か変・・・」と思えてくる。
何か、どころじゃないなあ。変なんだろう。やっぱり。
<76> SUN ■2003年11月09日 日曜日 18時07分02秒
ちょっと前、選挙のお願いをしてくる友達から電話があった。その時、こちらの皆さんと、楽しく会話してる時期だったので、かなり平気で話が出来た。向こうが最近携帯買ったのという話題になり、携帯番号交換してしまった。電話かかってくる事無いだろうと思っていたのに、今日かかってきた。私は寝ていて後で気づいたんだけど。履歴に残っていた。何の話があったの?選挙行ってくれたか聞きたかったの?なんだったんだろう。自分からは掛けれない。なんか怖い。最近私ダメなんです。ちょっと心が弱ってる。でも、私は友達としては最低なんだろうか。向こうは私のことを友達と思ってくれてるのに、私は本当は拒否している。相手にすごく失礼です。あー、私って最低だわ。もうちょっと心が元気なら、対応出来るかも知れないけど、今の私は無理。ごめんね。私が気づかなかった振りしておこうか。私って最低。ウソで塗り固めた友達関係。またウソの上塗りなのか。嫌なら切ってしまえばいいのに、それが出来ない。何の為に続けてるの?そのうち向こうから切られるかもね。そしたら私はどう感じるのだろう。ホッとするのかな、嫌だと思えるのかな。ほんとにごめんね。またかかってきて私が取ったら、ちゃんと話するから、今回は無かった事にしてください。本当にごめんなさい。
<75> L ■2003年11月04日 火曜日 01時29分09秒
でも、ややこしいこと抜きにして、その人といると自然に嬉しくなる相手もいる。自然にエネルギーがわいてくる。
そういうとき、わたしは恐れていない。子どもみたいな気分だ。
紆余曲折を得て、そういう人を与えてくれたハイヤーパワーに感謝している。
<74> L ■2003年11月04日 火曜日 01時23分08秒
10代後半から20代のはじめにかけて、自分が単に女性であるだけで、それを利用できることを知った。
自分をまるで単なる商品みたいに感じた。
人格なんて関係なかった。とにかく自分に自信がなかったからなあ。
でも、だんだん歳をとってくると、その武器(というほど私は美しくも魅力的でもないが)がなくなってくるのを感じていて、自分のことを、醜いなあ、と感じてしまう。
ただでも自信がないのに、ますますなくなってくる。
マザー・テレサはしわくちゃでも美しかった、いろいろな人が言う。
うらやましい。

私は、長い間、本当に自分を人間として尊重してくれる相手と恋愛したことがなかった。言葉で暴力をふるって侮辱して憂さ晴らしをする「内弁慶」の、自称芸術家とか、突然感情爆発を起こして他者を罵る相手とか、そういう人が多かった。内弁慶の自称芸術家の彼は、外に対しては異様に内気で、私は彼の就職活動についていったし、病院通いもついて行った。彼は、自分が貧乏で苦労しているのに私が気楽な生活をしていると責めて、私からお金を要求した。そして、後から知ったが、その金で他の女性に貢いでいた。
バカな私(だった)
そのくせ、本当に私を尊重してくれる人が出てきて「そのままでいいよ」って優しい言葉をかけてもらうと、怖くなって逃げた。
そんなはずはないと思って、居心地が悪かった。
それに、淡々として私の性的挑発に乗らない相手を見ると、まるで自分が魅力ないみたいに感じられて、妙にイライラした。

その後、何年もたってから、自分が「愛される」ことをずっと求めていて、そのくせ自分の方からは、本当の意味では何もしてこなかったことに気づいた。
「一緒にいて欲しい」「大切にして欲しい」「守って欲しい」そればかり。
相手の行動をチェックしたくて、電話をかけまくったり、相手の部屋の前でずっと待ちかまえたり(偏執的かな?)。
生まれて初めて、自分の方から「愛そう」「相手のためを「考えよう」としたのは、20代後半か30代に入ってからだった。それも、モデルがないというか、学習不足だったから、結局独りよがりだったし、知らないうちに、相手をコントロールすることにハマッいたし。

今は、少しは「普通」の関係が持てるようになってきたように思う。
でも、本当に親密な関係を、まだ恐れている。
自分の本当の姿をさらけ出すのは怖い。まだ、捨てられそうな気がする。
信頼したい。少しくらい傷ついても良いから、信頼したい。
それのくり返しでなければ、信頼感なんて育たない気がする。
何人かの人と接触が途絶えていると、まだ気になる。
根強い「見捨てられ不安」というやつなのか。
でも、漠然とした不安を感じるときもあるが、何とかやりくりして、そのうち次にその人に会うと、全然関係が崩れてなかったりする。
そうだよね。そういう成功のくり返しを作っていくしかないよね。

トラウマによって多重人格を引きおこしたクライアントに対して、アメリカでこういう治療をしているというのを、以前テレビで見た。
かなり高いところから、命綱をつけて飛び降りるのだ、命綱の端っこは、同じセッションで治療中の「仲間達」が握っている。飛び降りるには、当然、彼らを信頼しなければならない。命を預けるのだ。
思い切って「仲間」を信じて飛び降りる。綱はしっかり握られているから、飛び降りた人の体は、地上に激突せずに空中で止まる。
それは、とても劇的な体験なのだそうだ。
飛び降りた後、感情を押さえられずに子どものように泣いているクライアントの姿が映っていた。勿論、綱を引っ張っていた仲間達も一緒に泣いていた。
まあ、そんなに劇的な体験を望んでいたら欲求不満に陥るだけだけど、目立たない場面で、内的にそういう「飛び降り」の勇気が求められる場面は、案外多い。
出来ないときもあれば、思い切ってできるときもある。
昨日、話をしたかった人に思い切って話かけたら、ニコニコしてくれた。
以前その人は、私から逃げ回っていただけに、未だに「もしや、厭な顔をされるのでは」と警戒してしまう。
これは私の弱さ。
それはそれで仕方ない。反射的な反応だもの。パブロフの犬状態だもの。
いつか、脱学習できる。再学習も出来る。
<73> まんまる ■2003年10月27日 月曜日 15時25分20秒
何だかイヤになっちゃった。
ここまで、自分いじめを辞めて自分を守ってきたのに。
空しいと言うか、考えるのがイヤになってきた。
人に受け入れられない現実は辛すぎるよ。
必死になっている自分を冷たく見ている目。
避けようとしている人。
世間なら今まで通りで慣れているんだけれど、
ACのとある場所だと余計辛い。
また自分の中の一人相撲だったらいいけれど。
何だか大きな凹みの予感・・。
ここで吐き出させてください。
<72> 埴輪 ■2003年10月24日 金曜日 12時12分12秒
中学の時・・・思えばアレが人を信じられなくなった原因だったかもしれない。
部活の合間の昼ご飯の時間。
弁当を自分でつくるかコンビニで買うかしなければならなくなった時期だった。
一番仲が良かった奴が、自分の弁当のおかずを私のところへ持ってきて言った。
「お母さんが、埴輪ちゃんちはかわいそうだからあげなさいって言ってたから」
それを聞いた、他のチームメイトも何かしら私に恵んでくれたっけな。
なんて返事すればいいかわからなかったけど
人から「かわいそうだ」って言われたのはじめてだったし
そんな目で見られてたのかと思ったら
なんかもう、あいつらと自分の間にはすごい壁があるな、って感じたよ。
ちなみに、ウチんちは別に金に困ってたわけじゃない。
未だにあいつらとは付き合いはあるけど
内心どんなこと思って自分に接してるのかと思うと・・・・・・。
いい奴らだし、付き合いがあるのもありがたいんだけどね。
やっぱ、フツーの人間とそうじゃない人間がいて
自分は後者だ、って感じるような事件の一つであったことは間違いない。
<71> L ■2003年10月24日 金曜日 01時31分40秒
どうしても、仏頂面になる自分がいる。
昔から「かわいげがない」と言われてきた理由の一つ。
一度、それこそ20年近く前だけど、「お高く止まってる性格ブス」と言われたこともある。
ほとんど初対面の人から酒の席で聞こえよがしにそう言われて、その人自身の問題もあったんだろうけれど、ひどく傷ついた。
でも、確かに、いろいろな席でつい「フン。別にどうでも良いよ」って顔をしてるようだ。
でも、本当は「どうでも良い」わけではない。
無防備に尻尾を振って、蹴られたり嫌われたら困る。
だから、つい、そういう顔をしてしまうらしい。
それとも、その相手より下に位置づけられるのがイヤなのかな?
愛情に飢えている、感じやすい自分を知られるのがイヤなのかな?
両方あるみたいだ。

「愛を求めていながら、同時に突き放すところがある」
以前、ある人にこう評されたことがある。
「愛を表現することを恐れないで〜。過去は過去」
この間、他の人にはこう言われた。
どちらも私には意外なお言葉で、一瞬「はあっ?」という感じだったな。
「何が『恐れないで』よ。この人、何も知らないくせに。おかしいんじゃない?」とさえ思った。
でも皮肉なことに、他の人が同じことしてると、割合あからさまに見える。
「この人、素直じゃないなあ」と思う。

素直に人にほほえむことができる人を見ると、うらやましい。
拒否されそうなところでも、自分から恐れずに関わって行く人を見ると、大げさに言えば「驚嘆」する。

相手によって仏頂面する度合いが違う自分・・・。これもイヤ。
イヤだから何とかしたくて、この間からあがいてる。
でも、いざ会うとどうしても顔がこわばる相手がいて、まだ克服?できない。
初対面の頃は、半ば自動的にニコニコモードに入れたから、何の苦もなくサービス?できたんだけどな。
今は、「その人といるのもイヤ」という感覚があって、妙にイライラして・・・。
なんだろう?
相手が私の機嫌を伺っている感じがすると、腹が立ってくる。
仮にもそういう相手にわざわざこちらから歩み寄って、
もし、その手を振り払われたら、もう立ち直れない。そんな気がしてしまう。
それに、どういうわけか、その相手は私が仏頂面してても怖くないんだよね。

母も、子供の私に対してそういう感覚だったんだろうか?
私に対しては、意地でも優しくしないようなところがあった。
なんでだろう?っていつも思ってたけど。
卵かニワトリかの議論はともかく、気づいたときには、私は母の顔色を伺う子供だったな。
母が不機嫌な顔をしてると、自分のせいのように思えてきて、
おそるおそる「私、何かした?」って尋ねたものだ。
そう言う子供って、確かにあんまり無邪気じゃないから、イライラしたのかな?
でも、それって、私の責任かな???
まあ、それは置いておいて・・・。
ただ、もし今の自分が、母と同じ事をしてるのなら、それは困る。
困ると言っても困るけれど、不機嫌そうな様子で人をコントロールするみたいな真似、ホントはしたくない。
そんな変な癖は、できれば継承したくない。
も少し自由になりたい。
どうすればいいのかな?
<70> 埴輪 ■2003年10月21日 火曜日 09時14分20秒
友達は多い。
よくこんな批判屋の私と付き合ってくれるなあと感謝する一方
誰も本当の私を理解していない、しようとしていない気がしてしょうがない。
3人組でつるんだりすると、自分だけが色が違う気がしてしょうがない。
新しく友達を作る環境にあるとき
寂しそうな子や不器用な子、ちょっと陰のある子に話し掛ける・・・。
親切心のつもりだったけど
これが例の「他者をコントロールしたい」願望かも?
他人の不幸が嬉しいわけではない、と言いたいけど
やっぱりそういう感じの子に対する自分の関心度は異常に高い。
逆に平和に暮らしてきた奴、苦労を知らない(と思える)奴は
切り捨てる。批判する。ののしる。
一時は自分こそ心理カウンセラーにむいていると勘違いしていた。
本当は、自分に付き従う人間をそばにおきたかっただけだ。
私は一体何をやってきたんだろう。
<69> シャローナ ■2003年10月20日 月曜日 00時16分10秒
人が近くに来るとぐわ〜っと何かの感じに襲われる
とっても恐ろしい感じ
そこでの状況、行われていること、自分自身について
人が怒っている、今にも怒鳴りだしそうな、
まるで落雷の中に無防備でいるかのごとく恐ろしい緊張感
それをなんとか避けなくてはと
その人がどう感じているのか、なにを考えているのか
必死になって察しようと全神経が使われる
偽りの笑顔や取り繕う話・・・しばしばこんな感じがあります
生きた心地しません
<68> ひとみ ■2003年10月19日 日曜日 00時16分28秒
友達ってなんだろう 私が今まで考えていた友達 私の事を理解していつも傍にいてくれる いつでも私の味方 自分の思い通りになる人間 と勘違いしていた 自分に親しい友達がいない事で不安だった 誰でもイイから友達と呼べる存在が欲しかっただけ 今は自分がその人の事を友達だと思えればそれで十分
<67> シャローナ ■2003年10月17日 金曜日 22時17分34秒
家に帰ってくるとがっくりきたり、むかついたりする。
だってもし弱音を吐こうものなら「負け犬」なんだもの。
たとえ泣き叫んだりせず冷静に、きちんと自分のそういう感情を言葉にしたとしてもだ。
なんてデリケートでかわいそうな人と、それだけで単に私の弱さという一部分ではなく私は弱い人間として扱われることになる。
私はたまたま家族では一番感受性の強い(豊かなともいうかな)人間なのだけども、それはうちのルールによると一番弱い負け犬となってしまう。
どうりで私はいくらがんばっても自分はダメな人間というところから
はまったまま抜け出せない訳だ。
<66> SUN ■2003年10月17日 金曜日 16時39分32秒
私は人に嫌われたり、否定されるのが怖い。なぜなんだろうと考えた。
人が否定しているのは私のごく一部分だけらしい、それを私は私の存在自体、価値自体が否定されているように感じてしまうんだなと思った。でもそれは間違いなんだよ。私の全てを否定してるわけじゃないんだよ。
間違った考え方を少しずつ直していこう。そうすれば段々と生きるのが楽になってくるはず。
<65> L ■2003年10月17日 金曜日 00時47分28秒
この頃思うのだけど、自分のどこかに「全ての人を理解しなければならない」とか「受け入れなければならない」という強迫観念があるのかもしれない。
でも、私はそんなに偉くない。
神でも仏でも聖人君子でもないんだから、そんなこと言われてもできないんだけど、そういう自分を認めたくないのか、無理をしてしまう(らしい)。
別に少しくらい無理をしても良い。
でも、本当にその人を理解したいと思ってるんじゃなくて、なんというか・・・自分はこういう人間でなければならないから、という、そんな理由でがんばってしまう気がする。
「人を嫌いになってはいけない」とか「傷ついた人には特に親切にしなければならない」とか「立場の弱い人の見方をしなければならない」とか、気がついてみると、自分なりのいろいろなルールがあって、たぶん親の影響もかなり受けている。そのルールが全部まちがってるとも思わないけれど、窮屈なときもある。

「自分のことを話す」のがここのルールなのだが、連想したことがあるので、少し周囲を見てみたい。自分のことを話すために。
父の一族を見ていると、会話の中に「〜べきだ」「〜べきだ」ばっかり出てきて、見てて滑稽に感じる時がある。孫も居るような年齢の大人たちが、現実ばなれしたカチコチの理想論を言い合って、口から泡を吹いて喧嘩するのだ。
「この人達、子供だなあ」
いつもそう思って笑ってしまうのだけど、私も人のことは言えないかもしれない。
くそ真面目で、融通が利かないところがあるようだ。

父方の祖父は、一人は禁酒運動の先鋒だったという。
きっと真面目な理想論者だったんだろう。
もう一人は、自分の家の倉を開いて貧しい人に炊出しをしたり、医師だったので無料往診をしたという。確かに良いことをしたんだろう、きっと。
でも、家庭内はそんなに幸福ではなかったらしい。
幸福どころではなく、一人の祖父は、家族には暴君そのものだったらしい。
父も、外に向かって言うことは結構立派なことも言うが、家の中では他の人間に人権を与えないようなところがある。
いつも自分が上で、対等な関係というものが存在しない。
そして、言うこととやってることが(極端に)違う。
全部違うわけじゃないんだけど、バラバラという感じ。
わけわからない。
なんでこんなにめちゃくちゃなんだろう、といつも疑問だった。
でも、父も「人はこう生きるべきだ」の「〜べき」に従ってがんばってきたものの、感情とか他の部分はついて行ってないのかもしれない。

ここまで書いて、えっと思った。
私も結構、「バラバラという感じ」だから。
実際、「〜べき」がなせる業か、反射的に弱い立場の人の方に味方?するようなスタンスを取るし、好き嫌いの感情では動かないよう自分を律することが多い。
でも、イライラしたときに当たり散らすのは、「強い人」?に向かってではなく、決まって「弱い人」なのだ。結果的に。
自分でもイヤになるが、無意識のうちに相手を見定めているらしい。
気がつくと、「この人は大丈夫」と思うような相手にばかり八つ当たりしている。
父も必ず、弱い者に当たり散らす。本人は意識してないかもしれないが、かなり露骨に「弱い者いじめ」をする。
そういう、立場の上下で態度を変えるような父の関わり方を、私はいつも「猿山の猿」と呼んで嫌ってきた。
だが悲しいことに、「猿の子は猿」になっているらしい。
心の中に上下を作って、そこに人を配置してる、とまでは行かないけれど、少なくとも「上」「下」を勝手に作ってるところがある。
本当に、こういう自分がおぞましい。
 
父の一族は何代も、「人助け」の仕事、いわゆる援助職を続けてきた。
今も親戚にはその職業の人間が多い。
でも私は、とりあえず「自分が」幸せでいたい。平和でいたい。
そして、「猿山」状態からも、少しづつでも脱出したい。
理想やルールを持つのも、それ自体は悪いことではないかもしれないけれど、その前に、私は自分の本当の気持ちを知りたい。
<64> SUN ■2003年10月16日 木曜日 00時22分50秒
私は人に傷つけられることを極度に恐れていた。傷つけられることで自分で自分を否定してしまうことが怖かったからだ。今まで自分で自分を否定し殺す苦しさを嫌というほど味わってきたからだ。
最近、私が人を傷つけてしまった。私は自分のことに必死で相手を気遣ってあげることが出来なかった。今まで話したくても話すことが出来なかった分、話せるようになると自分を満足させるのに必死だったようだ。人を傷つけてしまったことでかなり落ち込んだ。私は相手に依存していたのではないのか、単なる重荷にしかならなかったのではないのか、私は誰にも近づいてはいけないのか、誰とも親密な関係は築けないのか・・・。自分で自分を罰していた。相手はそんなことは望んでいないと思う。私が自分を罰していると知れば、また相手を傷つけてしまうだろう。
私だけのせいではないらしいことが分かった。少し気が楽になった。自分を罰することはなくなった。
自分で自分を責めることはしない方がいいらしい。私は自分を罰することで許しを請うような感じだったのだと思う。
今回自分を罰してしまったけれど、自分で自分を殺すところまではいかなかった。少しは進歩しているのだろうか。
まだ対人関係で引きこもり状態な分、特定の人との交流は危険だと分かった。その人にだけ自分の感情をぶつけてしまい、相手を壊してしまい自分も壊れるだろう。いつか誰かと親密な関係を築くことができるのだろうか。私は回復できるのだろうか。傷は癒せたようでも、そこから先が難しい。インナーチャイルドが満足してくれる時は来るのだろうか。私はどれほど愛情に飢えているのか。
ここの皆と繋がっていると信じて、じっくりゆっくりやっていくしかないのだろう。
<63> シャローナ ■2003年10月15日 水曜日 21時00分24秒
人に対して気に入られようと必死になってしまいます。
人を楽しませ、明るく、面白く振舞おうと必死です。
でもそういうことは無意識にやっていて気づきません。
相手も不快には思わないからわかりません。
ただいつも後になって残るのは、疲れと空しさです。
そんなことをいくらしても、自分が受け入れられたという実感はないです。
ただ今日は人と会った後の自分の気持ちを整理できました。
次は会っているときに気づけるようにしたいです。
それと、この必死になってしまうということが、父親とそっくりだということに初めて気がつきました。
私は知らないうちに父親に虐待されるだけでなく、父親の人との関わり方までも学習してしまっていました。何ということ・・・
<62> WINNIE ■2003年10月14日 火曜日 19時16分08秒
葛藤・葛藤・葛藤。

しばらく休んでいた対面での人付き合い。
知人から、あるお誘いを受けた。
私が元気なら、素敵なイベントなのだけど。
どうしよう(>_<)
<61> 信頼の居心地 ■2003年10月08日 水曜日 22時33分13秒
誰かと信頼しあっているという自覚って最近になって時々あるけれど、あまり感じたこともなかったし、必要ではなかった。他人とは自分の味方をしてくれそうな人には自分なりに近づけたし、話もしやすく、表面的にうまくやろうとしている自分がいた。私は自分の味方になってほしいから嫌なことはしないように、感情的な対決をしないようにしていた。昔、「人のこと嫌いって思ったことある?」ていう会話を友達としたことがある。その時、友達は私はあまり思ったことないんだよね。(それっておかしいのかなあ?)みたいなニュアンスで話していた。私も嫌いって思ったことはないような気がしたから私も、みたいな感じで答えたと思う。今考えると、友達はちょっと人との付き合い方とか自分の感情のことで悩んでいたんじゃないかな、と思う。仕事をするようになっていろんな苦労をしたりして、「私がやった仕事」や「私の好意」に見返りを求めるようになった。すると、人に対して見返りを期待したり、ライバル意識が芽生えたり、そういう意識が実際に表面に出るようになってしまった。人のことをすごく憎んだ。今から考えると些細なことだし、人としては当たり前の感情。だから客観的に見られる。同僚のことを嫌いだったし、今だって性格は違うからぴったりくる相性ではないけれど、協力して仕事をできると達成感があってうれしい。今思うと、今までは相性のいい人とばかり付き合おうとしていたけれど、本当は違う種類の人と付き合うことで気づけたことがあるような気がする。自分が人の顔ばかり見て行動しようとしてしまうこと、見返りをすごく期待していること、なかなか相手のみになって考えてやれない自分、全部嫌なことだけれど、自分が苦手だと思っていた相手に出会ってしっかり自覚できた。苦しかったけれど、何とかなりそうな気がする。本当の信頼関係は逃げないことで築けるかもしれない。私は仕事場のように強制的に逃げられない環境を作らないと無理かな。今のところ。

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This script written by Shintaro Wakayama.