今年は年賀状を3枚出した。 先輩と友達と仲間。うれしかったのは先輩から来たこと。しかも元旦に。 私が不健全に、依存し続けた先輩。私のお母さん役。でも彼はよく出来た人。本当に「与える」ことに喜びを見出している人。見返りを求めない人。人を許すことができる人。勇敢で行動力があって・・・でも人間くさくて。
棚卸はいいとしても私は彼には謝りたい。何かを。 私は彼にひどい言葉を吐いた。うーん、うまくいえないけど、「あれだけしてくれた先輩になんてひどいことを」っていう気持ち。彼は多分、気にしてない。彼は多分、離れても、私の成長を願ってくれている(ちょっと自分に都合のいい解釈だけど)。私にはそれがなんとなくわかる。
私は彼の前でいつもいいこぶりっこの人間。だから彼は私がもっと「拓けた」人間になってくれていることを願っていたのだと思う。今はわかる。あのころの私は彼を尊敬し続け、ただついていくことが大事だと思っていた。私は勝手に相手のニーズを読んでいた。それはまさに母親と私の関係だった。でも彼は本当はニーズを読んでほしかっただけじゃないなって今は少し思ってる。私が部活をやめて、ほかの道を選んでも多分、応援してくれるんじゃないかって、今は勝手ながら思ってる。
それは結婚式に呼んでくれたこともあるけど・・・自分自身が彼と距離を置いて少しずつわかってきたこと。
誰かが自分を、自分の選んだ道において応援してくれるという感覚は、自助会につながるまではわからなかった感覚だと思う。私の周りにいる人間はいつも、私に選択権を与えずに、強制した。そしてそれが守れないと憤慨した。私は先輩からもいつか憤慨がくると思っていた。でも違った。こなくて拍子抜けした。
そのときに初めてわかった。この人は自分を応援してくれている。自分という人間を応援してくれている。私を何かの鋳型にはめたりせずに私を尊重してくれると。
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