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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.29
メッセージ数:580件

<580> アーネスト ■2005年05月06日 金曜日 21時42分48秒
書かないつもりだったが,かかせて頂きます。
以前,共依存というか自分がべったりと依存してしまった人から電話があった。かなりフラバ気味で苦しい。吐きそうだ。あのバウンダリーを破られる感覚が甦ってきた。高圧的な声のトーン,刺のある感じ,やや興奮気味な喋り方が再び自分を≪あっちの世界≫に連れて行きそうになる。

でも彼に悪気がなかったことを僕は知っているし、僕が彼を傷付けるつもりではなかったことを伝えたい。結婚,おめでとうございます。参加するよ。しないわけにはいかない。
<579> アーネスト ■2005年05月06日 金曜日 08時09分00秒
先行く仲間という言葉が最近好きだ。
そこには優劣や,価値といった概念がないように思える。それぞれの回復の進度がある。グループに何年通っているか問題ではない。でも昨日,自分の悪い癖もでた。相手よりも自分が先を行っている(と感じる)仲間に対して共依存的というかパワーゲーム思考で接していたふしがある。気をつけよう
<578> アーネスト ■2005年05月05日 木曜日 17時13分19秒
今日は自助会の方では本当に頑張った。特に会後。バリアーを外している自分を自覚しながらだったが.......こう,するーりと自然に取れていく感じがした。この人なら自分を知られてもいい,と。こういう体験がやはり,もっと必要なのかな?こうやって癒していくしかない。
<577> ベビル ■2005年05月04日 水曜日 23時51分22秒
お父さんとお母さんのことを、自分なりに消化して
今は何のわだかまりもなく仲良くしていても
幼いころから受けてきた影響は変らない。
両親となかよくなっても、相変わらず人間との話し方も知らない。
どんな言葉を使うのかさえもわからない。
どういう顔をしていればいいのかも知らない。
死ぬまでわかれないものなのか、学んでいけるものなのか・・・
ゴールはないということだけはなんとなくわかってはいるのだけど。

こういう私を愛してください。ずっと一緒にいてください。
<576> アーネスト ■2005年05月04日 水曜日 14時30分53秒
人に話し掛ける時,こちらのバリアーをまず外せるようになりたい。これは相当,今の自分にはきつい事で,まず自分の過去を振り返ったり,と防御してしまうからだ。また今までは,話し掛けるところまで出来ても,途中で無意識のうちに痛点に触れて,手を引っ込めるように心が萎えてしまうことがあった。この前、あることがきっかけで,それが少し収まるようになった。時間がかかるだろうが,2,3年後くらいにどれくらい変化しているのか,少し楽しみではある。
<575> スナフキン ■2005年05月03日 火曜日 17時26分24秒
ある知り合いが、最近私の家は何処だとか、遊びに行くとかしつこかった。
その人自体は私は悪い印象はなかった。

遊びに来たときに、Aをしている先輩を連れて来た。
何のことはない、Aの会員に私をしたかったのだ。
私はAの製品は良いとか、嫌いだとか何の感情もない。

先月の末、私は風邪気味でダウンしていた。
Aの知り合いから電話が来た。
遊びに来たいとのこと。
「今日は体調が悪いのでちょっと」と。
その言葉も無視して、「これから行く」と。
私はカチンと来た。
「具合が悪いから今日は来ないで欲しい」と。
どーのこーのと言いながら今日ちょっと寄るだけだとか、話にならない。
「具合が悪いから、来ても開けない」とちょっと怒ったら、
明日はどうか?と、、
私は後悔した。
こんな人とも知らず、家を教えたのも間違いだったと。
Aをしているのも知っていたのだが、そんなに悪い印象はなかった。
Aをして悪いとも思わない。
しかし月末だからって、相手のことも考えず、自分の都合だけで行動する人。
こんな人たちとは付き合えない。

その翌日、近所の親しくしている人から電話が来た。
遊びに行っても良いかとのこと。
「今風邪気味で」と言ったら、
「そういう時は何もしないで寝てるのが一番。おだいじに」と。

人によってこうも違うものなのかと、考えてしまった。
私はやっぱり、後者の人と付き合っていきたいと思った。

あれから、Aの知り合いから電話が来るのが正直嫌だ。
何かかにか用事を作り出して、家に来るという。

今度会ったときには「会員になる気はない」とはっきり言おう。
彼女のせいではないのだが、気分が良くないからだ。
Aをしていても、相手の気持ちをも考える人になって欲しい。
<574> アーネスト ■2005年05月02日 月曜日 15時54分50秒
冷静な態度だと相手に対して,なんとなく冷たいのかなと思っていた。逆に興奮して周りが見れなくなって,人を傷付けるという恐れもあった。でも違う。冷静と冷淡は違う。気持ちを言葉という媒体に乗っけて(そこには冷静というか論理性みたいなものが入ると思う),言葉に自分の気持ちを運んでもうらうくらいの軽い気持ちで,いいと思う。ただ,一度,外に出た気持ちは,それが特にオフェンシブな場合,取り消すことが難しい。だから怒りがたまりすぎないように,したい。
<573> マイル ■2005年05月02日 月曜日 15時50分16秒
友達って何だろう?
前は、休みの日に電話したり会ったり、誕生日プレゼントとかして、自分ではそういうのを友達づきあいだと普通に思っていた。
だけど、何かが違う、と思うようになった。気のせいか、相手がどうも楽しそうじゃない。無理してつきあってるようにも見えた。
自分では「楽しんでるつもり」だったから、そういう相手を見ると腹が立った。私のは「友達ごっこ」だったのだろうか?
そうやってあれこれ考えている内に、寂しい時も連絡するのが怖くなって、今まで来てしまった。かといって、新しい友達ができたわけでもないからつらい。
友達って何なんだろう・・・
<572> キーコ ■2005年05月01日 日曜日 21時55分12秒
「投射」、「反映」という言葉を知ってはいたが、これほどまでに 自分が影響を受けているとは思わなかった。
両親以外の人と接する時に、「本人」を見ているつもりだったけれど、どうやら そうではなさそうだ。
姿は違うけれど、「父の姿」、「母の姿」を、その人に 映し出して見ているようだ。

いったい、何を わたしは見てきたのだろう。
「現実」と触れ合う・・・その入り口に ようやく辿りついたような気がする。
人間関係の 基本となっているのは、家族との関係。
特に「母」との関係が、大きく影響しているようだ。
<571> キーコ ■2005年05月01日 日曜日 21時22分15秒
最近、気が向いたときに、母の所に出かけて、「彼女が外の世界を、どのような感じでとらえているのか。」を、少し観察して見ることがある。
あえて、危険なことをするなんて、我ながら酔狂な話だと思う。・・・やはり、ほんとうは母に かまって欲しいのである。
でも、正攻法で接するととんでもない目に合うのに 決まっているので、あくまでも"観察"ということを、自分に言いきかせて、意識的に距離をとることを、自分に課している。
 『絶対にしがみつくな!見返りを求めるな!』と・・・・。

「D.Vで五十年近く苦しみ続けたかつての同級生が、それだけの年月を経た今、ようやくカムアウトした。」という話を、知人から聞いた。
「一口に五十年」と言っても、気が遠くなるような年月である。
話をきいた直後に、わたしの脳裏に浮かんだのは、その夫婦の子どもたちのことであった。もし、彼らが居たら、どんな思いで暮らしてきたのだろうか。
『愛』という言葉は、こういう場面では禁句だとわたしは思っている。ほんとうに『愛』という言葉は曲者だ。
現実を捻じ曲げるために、また 自分の思い通りに人を操るために、「道具」としてよく使われるのが、『愛』という言葉なのだ。
老齢になり体の弱った夫を、妻は最後まで看取る・・・と言っているらしいが、果たして 彼女の心境はどういうものだろう。

 
 母が、どのように受け止めるか、とても興味があったので、概略をざっと説明してみた。
直ぐに返ってきたコメントは、「別れるつもりなら、とっくの昔に別れている。恐らく復讐の意味も込めて、最後まで世話をするであろう。」というものだった。
「父と母との間にも、暴力が在った。」と、少し仄めかしてみたのだけれど、完全に否定されてしまった。
二人のケンカは、「大したものではなかった」そうである。
しかし、二人にとって「コミュニケーション代わりのケンカ」かもしれないが、十代の子どもにとって、目の前で 父が母を殴る場面や、激しく罵り合っている所を 見せられるのは、耐え難い苦痛と、大いなる恐怖である。
現に、長女のわたしは、未だに「その後遺症」で苦しみ続けているのである。
・・・母に、細心の注意を払って、「子どもにとっては、ほんとうに恐ろしい場面だった。」と、さらり言っておいた。

      『否認』の天才、おみごと!・・・である。

 母は『自分』にとって、大したケンカではなかった。…と言って、それ以外は、何も受け付けないようにしている。
ほんとうに、「ここ」まで否認に徹しきれる母は、ごりっぱである。
わたしの考えでは、「ほんとうの母親」なら、子供の気持、苦痛、痛み‥に気づくはずである。
目の前に居る、この年老いた女性は、いったい誰なのだろうか?・・・・
<570> アーネスト ■2005年04月30日 土曜日 22時04分19秒
実習用のスーツを買いに行ったのだが,試着して,予定よりワンランク上のものを持ってきてしまったことに気付いた。ここでいつもの自分なら,自分の都合を言えずに払ってしまっただろう。ちょうど、払える額はあった。が,図々しくも「あ、間違えちゃいました。もう一つしたのだったんです。全然,値段見てませんでした」と思わず口から出てしまった。言おうとせずに勝ってに出た。自分でもびっくりで,(特に値札を切られたにも関わらず)そんなことを言えてしまう,自分がなんだかおかしかったが,よかった。
<569> toa ■2005年04月26日 火曜日 23時45分33秒
自分を語ることが出来なかった。なぜかって?否定されてばっかりいたから。自分が何かを言って、否定されて傷ついてきたから。
でも、違う。
人によって聞いてくれる人もいるし、聞いてくれない人もいる。理解できる人もいるし理解できない人もいる。
ぐちゃぐちゃな自分を見捨てないでくれる人もいる。
いつも話を聞いて欲しいわけじゃない。愚痴りたいわけじゃない。そうじゃない。
本当に、どうしようもなくなった時に話を聞いてくれる、あなたが大好きです。
ありがとう。

愚痴は決してカッコいいものではない。でも、愚痴りたい。言わないと溜まっていく。イライラする。
中途半端に細々発散するのがいけなかったのかな。
怒るなら、ピシッと怒る。愚痴るなら、とことん愚痴る。泣くなら、とことん泣く。
ひとりじゃ何もできない。人がこわいってよく思う。でも、いることによって自分の存在が証明されてる。
<568> アーネスト ■2005年04月21日 木曜日 22時07分49秒
カウンセリングでなまじ中途半端に話したから,記憶が甦ってきたぞ〜。
最悪だった大学の部活。あそこに身を置いた自分が憎い。自分の面倒もロクに見られない人間が,チームの改革なんかできるわけないんだよ!!

本当、自分が嫌い。
いかにも高邁な理想を掲げておいてとっと逃げ出す自分が嫌い。
一回、許したけど無理。何回でも来る。

あそこで電池切れした。
<567> アーネスト ■2005年04月20日 水曜日 12時35分14秒
私はKさんに,自分のことを捨て駒にしたと言った。あの頃からラフになり,しかし人間関係に冷めて行った。初めての責任転嫁。初めて知った自分の弱さ。でも恐らく初めからKさんに依存してたんだと思う。Kさんは悪くない。Kさんはただ自分のやり方を俺に押し付けただけ。自分が拒めばよかっただけ。Kさんは周りから拒絶されてた。だからKさんとのみに行くのは今思えば,嫌だった。でも,行った。母親を失った自分は父性的な強さをKさんの中に見ていた。今では本当に申し訳のないことをしたと思っている。選ぶの私だったのだから。
<566> アーネスト ■2005年04月17日 日曜日 23時46分15秒
(↓のつけたしです)

因みに,父にその要求を伝えた後は,「何の話しだったっけ」と軽くフォローを入れる余裕もあった。願わくば「話しの途中で悪かったね」ぐらいは,付け足してもよかったな。ここまで書いてて「要求を伝えるって,それが受け入れられる,拒否される,という結果ではなく,如何に真摯に謙虚に優しく伝えることが大事だなー」って思った。受容や拒否は相手が決めることだから,自分には変えようもない。
<565> アーネスト ■2005年04月17日 日曜日 23時40分27秒
(家族が出来てきますが、人間関係のスキルに関して書きたいので,こちらにしました)

父と食事中,フォークでお皿をつっつく音が不快だったので,できるだけ優しく「悪いんだけど,止めて貰えないかな?その音が嫌いなんだ」と言ってみた。言うまでに10分くらい,躊躇してしまったが,いう事が出来た(よくやった,アーネスト,やればできるな)。できるだけ,落ちて着いて,オフェンシブにならないように,優しく伝えた。大丈夫、言葉が足りなければ,継ぎ足せばいい。言い過ぎるよりはましだ。因みに,それを伝えたのは,父が話している時で,それを一回「ところでさ」みたいな感じで遮って,言った。遮ったことはあまりよくないかもしれないが,すぐに伝えたいことだったからタイミング的には悪くないだろう。

ここまで技術的なことを考えるのには,オフェンシブだった母のやり方の失敗の反省に基づいている。彼女なら,いとも簡単に「きゃーそれを辞めてよ,汚い!」とすぐに批判的になる。でもポイントは批判する事じゃなくて,むしろこっちが御願いする立場にあるのだ。

僕は母親の言動を近くで見てきたせいか,自分の嫌な事,価値観に合わないものは批判してもいい,という間違った考えを持ってきた。でも,それはとんでもない間違いだった。人にはそれぞれ違った考えがあるのだから,少なくともそれが,どんなに自分にとって不快だったりしても頭から否定したり,軽んじたりすべきではないな,と最近は思うようにしている。

自分も,他人も尊重するって,つい一年前は,ピンとこなかったけど,最近は少し分かってきたかもしれない。
<564> 豆だいふく ■2005年04月17日 日曜日 13時17分35秒
自分を過信してはダメですな。私はマダマダ自己評価が低いわけだからせめて私の価値観を否定しないでくれる人と付き合わないとね。どんどん沈んで行ってしまう。それにしても今回は「こてんぱん」だったわ。反省。
<563> アーネスト ■2005年04月17日 日曜日 00時51分32秒
ふと思ったね。自分が人に認められたい気持ちがどれだけ大きいのか?人に認められるっていうことはずーっといいことだと思っていた。でも確かに昔の私は自助会のステップブックにあるように,あるいは共依存の特徴が示すように,「人の承認ばかりを追い求めた結果、自分が何なのかわからなくなった」状態だった。

僕はやはりそのことが怖い。例えば社会に出たときに,あるいは家庭を持ったときに仕事人間にならないだろうか?やはり自信がなくて,何かの「お墨付き」をもらうことばかり追い求めるんじゃないのか?という不安が浮かぶ。

昔の自分には,正確に言うと,本格療養に入ったころから,人の承認を追い求めることを表面的にはやめてきたように思える。でも去年の夏、それが再浮上した。まだ共依存を知る前だったのだが。

これからは自分をよく知ること、自己評価を上げること、自分の良い所を伸ばすことをしたい。どうせ認められるなら好きなことをやって認められたいな。
<562> アーネスト ■2005年04月16日 土曜日 21時07分10秒
中学から大学3年までの約8年間,体育会の部活という場所が家族以外の人間に自分が繋がっている(ほとんど唯一と言ってもいいかもしれない)場所だった。今から思うと考えられない。体を動かすことは嫌いじゃない,でも競技というレベルで考えるとスポーツは嫌いだ。そんな人間が,8年間も,部活の中にい続けたのは,基本的に「自分から主体的に交友関係を結ばずとも,共通の価値観なり目的があって,なんとなく帰属意識、団結意識を味わえた」からだと思う。つまり本当に自分が欲して,結んだ人間関係というよりはスポーツなり,なんなりの名目があって,そこに人間関係が発生しているだけなのだ。自分の人間関係のスキルが恐ろしく低いことに気がついたのは大学に入ってからだ。大学の部活は顧問もいない。運営は自分達でやる。そういった場所で,なんの監督も保護もない場所で自分が生きていくには自分は未熟すぎた。人間関係を全く俯瞰できなかった。 でもその出来事は早い段階で自分に自分の欠点を教えてくれることになったのだから良しとしよう。
<561> アーネスト ■2005年04月15日 金曜日 23時44分55秒
同性、異性に関わらずストレートな表現を使うのに困難を感じる。思ったことをそのまま言おうとすると,声が小さくなったり,顔が引きつったり、あるいは笑って誤魔化したり....。

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This script written by Shintaro Wakayama.