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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.27
メッセージ数:540件

<540> アーネスト ■2005年04月09日 土曜日 01時51分40秒
時々分からなくなることがある。自分の意見を口にする時その言葉の真意は「言いたい事を我慢するのは止めよう。ストレスが溜まるだけだから」なのか「相手を変えたい,変わって欲しいという期待」なのか。いや期待しないなら何も言わないんだろうな。言っちゃうってことは期待があるか,境界線をまたいでいるかのどっちかだろうな。

変わらない相手にメッセージを送りつづけることほど労力を損なうものはない。去年の鬱の再発などそれがきっかけのようなもの。学習しないと。口を開いてしまった瞬間から「負け」(という言葉は好きではないが)なのかもしれない。
<539> 豆だいふく ■2005年04月08日 金曜日 19時58分57秒
今日は(も?)激ヒマだったので桜のある公園で「一人ピクニック」をしてきた(相変わらず友達いません・笑)。沢山ワンちゃんがいて可愛かった。
来年は少しは友達増やして「仲間でお花見」とかできるといいんだけどなあ。今年は桜も綺麗だったし良しとしましょうかねえ。焦らないように・・・。
<538> kitten ■2005年04月08日 金曜日 18時04分19秒
人前で笑えない。笑顔がでない。特に初対面の人と。普通のリラックスした表情でさえ難しい。特に審査される場所で。

「一人でも生きていけそうな人」「緊張とかしなさそうな人」ちょっとみはそういう人に見られるようだ。そんな人いるわけないじゃんか
 
 愛想なしで社会で生きていくのは大変。家族の中で色んな自分を演じるエネルギーを使う代わりに、外の社会の中で、色々な自分を出せればいいのに・・。

 外でまったく自分ってものが出せてないよ。まるで私の世界は家族の中でしかありえないように。実際母が言ったことだけど。まんまとはまってしまってるのか、わたし?

 ものすごい変な構図が出来上がってる。無力だと感じてならない。自分の弱い面を最近は受け入れるようになってきたけど、現実問題はまったくエネルギーがない。今はこういう時期だと思っていいんだろうか・・
 
<537> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 16時26分28秒
あの事件で背負った強力な自責の念に対して,どこからどこまで自分に非があり,どこからどこまでが自分の責任ではないのか,微細にチェックしてみよう。膨大な記憶を辿るのは疲れるけれど,きっと何か発見があるはず。そうすれば必要以上の自責感を背負う必要もなくなるし,自分を許せるのではないかな?
<536> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 16時23分07秒
過去の失敗のショックが大きすぎて,失敗の本質に気付いていないなんだと思う。周辺のそこそこ大事なところには気付き出したし,変化もできてる。それは日々の生活で完璧主義に陥らないようにとか,気楽にやるとか,気長にやるとか,そういう事だ。勿論、そのやり方で全然間違っていないし,そこら辺に関しては自信もついた。でもそれはストレスを溜めすぎないようにするとか,鬱が再発しないようにする,といった消極的な理由からだ。人間関係に関してはこの3年間で,あまり改善がなされていない。境界線とかそういうことはだんだんわかってきたけど≪あの事件≫の傷はあまり拭えていない。というか失敗の本質が分からないのだ。だから再スタートするにも出来ないのだ。また同じ失敗を繰り返す可能性もある。初めて試みる方法で失敗する分には構わないが,同じ失敗はしたくない。それは失敗が怖いからではなく,考えればわかることを考えないで行動に移してしまう自分に自己嫌悪を抱くはめになるからだ。本当に本質が分かれば,多分うまくいくはず。
<535> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 12時47分02秒
やはり私は他人に対して非寛容になっているときほど,自分の欠点から目を逸らしている傾向があるらしい。例えば外出先で,人に会う。他人の小さなミスに(口には出さずとも)批判的な目で見てしまう。しかし家に帰ってきて振り替えると,自分の問題が浮上してくる。つまり,自分の問題から他人の問題に摩り替えをしてしまうらしい。どうしてかわからないけれど。

この前、本で読んだ「自分を許してから他人を許す」ということと関係があるような気がする。まだまだ自分は自分の棚卸しをしたいんだ。他人の問題はそれからだ。
<534> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 12時42分54秒
≪一つ目の棚卸し≫
『言いたい事を言えずに溜めておいて,後でその怒りを爆発させることを止めたい』

かつて,この行動でとんでもない迷惑を人にかけた。自分の意見を言うのが怖かった。つまはじきにされるのが,村八分にされるのが怖かった。自分の意見を(感情ではなく意見を)伝えることもそうだが,あの時自分は本当にどうしたいのかわからなかった。

自分の決断に責任を持つということの意味がわからなかった。一般論や道徳論ではなく,自分のニーズに即した決断,例え決断が間違ったとしても,アドヴァイスしてくれた人を恨まないこと,そういったことができていなかった。

私は,その自分を許す。知識が無かったために人をきづつけてしまった自分を許す。そして同じ失敗を繰り返さぬよう,あたらしいスキルを勉強、修得する。
<533> 大門 ■2005年04月08日 金曜日 00時31分43秒
「あなたはしつこくされるのが本当に苦手だね」と言われた。
得意な人がいるのだろうか?
そう言われると「そうっすね」と正直に答えてしまう。

しつこい?性格な人は確かにいるだろう。
そういう性格の人は、いつも自分が「仕方ない、もういいや」って思う時に絶妙のタイミングで「待ちなさい」と言ってくれる。
その人のことはむしろ好きなんだがな。
けど、うまく伝わんねぇ。
みんな「しつこくしてごめんね。さっぱりが好きなんだね」と言って離れていく。さっぱりは好きだけど、それはべたべたが嫌いなだけだよ。

なんつーか。好きな人にからまれるのがつらいんだよな。





<532> 豆だいふく ■2005年04月07日 木曜日 21時07分43秒
私の住んでいる所の管理人さんは本当によく働く。普通管理人室に居る時ってイスに座ってたりするんだけどその方は絶対に立ったまま。そして庭のお花の手入れなどとっても熱心に働いている。いつも私は感心して見ている。今日は手作りケーキを差し入れしてみた(後で考えたんだけど男性にケーキってどうよ?)。でも喜んでくれた(多分・・・)。そうやって少しづつ感謝の気持ちを表していけたらいいなと思うのである。よく頑張りまちたね、豆っち。
<531> いつか ■2005年04月05日 火曜日 19時05分57秒
言いたい事、いえないこと、飲み込んできたからこそいつも消えたくなっていたのかもしれない。被害者、慣れている。そこで育ったから。
封じ込んできた怒りが私の元気を奪ってきたように思う。
親や姉に言えるようになったから、強くなってきたのかもしれない。
<530> いつか ■2005年04月05日 火曜日 19時00分21秒
いつも受身思考だ。
どんなにいい人でも、ここに気がついてなにかのひょうしに攻撃してくるような、気がする。人と比べては、私だけ不当に扱われているように思う。
苛めないでね、ほらなにもしないから。
思えばこれが間違いのひとつかもしれない。
誤解されても、怖くて言えなくなりもういいや、勝手にして言わなくちゃ解らないような人ならいらないわー!一見偉そうにみえるがたたの自分のことしか考えていない、そっと理想化してひたすら逃げるだけの根性なしだ。
誤解を解こう。すこしでもいいから。
間違ってたら謝ろう。抗議というものも、相手もいきられる道も考えながらやってみたい。負けたくなかった。
でも、勝手も負けてもいみはないだろう?
結果、思い道理にならなくても、言った事で一旦終わり。
結果を手放したい。できるだろうか。
どんなことになっても、濡れ衣は今度こそ晴らそう。
大丈夫かもしれない。
<529> アーネスト ■2005年04月04日 月曜日 23時52分51秒
グループもそうだけど初対面の人と親密になるのが怖い。黙り込んでしまう。頭の中では明るくしよう,ソフトに接しようと思うのに,なんとなくブスっとした感じになってしまう。表情もこわばる。あんまりそういう表情ばっかりだと相手に誤解されたりする可能性もある。柔らかい表情でいたいものだ。菩薩スマイルで。
<528> アーネスト ■2005年04月04日 月曜日 23時37分06秒
カテ違いかもです。

「他人は変えられない,変えられるのは自分」っていう発想,なんとなくわかるようになってきた。仮に「自分が苦手とする人」の特徴があるとして,仮に今、その人を避けることができても,そういうタイプの人に,また別の場所で会うかもしれない。そうした時に変えられるのは自分の感覚、考えなのではないだろうか。なかなか今までしてこなかった発想だから,頭に馴染みにくいのだけれど,今はそう思う。
<527> 高齢処女 ■2005年04月04日 月曜日 22時41分47秒
 前回の続きだが、今回のテーマは「事実と推測」
 他人に愚痴っても落ち込みからは回復せず。図書館で「森田療法」(あるがままに、の理論の)の本を借りて読む。
 
辛い過去でも、忘れることはできない。忘れようとすること自体、死ぬか記憶喪失にでもならない限り無理なことだった。私の中の私はそれにしがみつこうとしている。そういうことに気づくのに時間がかかった。どんなに嫌な性格でも私は私だ。それに気づくのに時間がかかった。「嫌」という理由は「社会的に損だから」。もし自分が楽なら別に「嫌」じゃないだろう。今日も上司と顔をあわせた。やはり好きになれない。お互いそれは分かっているように思う。あわないって。・・・これは推測。本題の「事実」はというと、私は彼女に言われたことでむっときたということだ。これは疑う余地なし。
 今まで私はずっと、何か言われてむっとくる度に、「嫌だけど相手の言うことにも理があるから」って無理に自分を納得させてた。これは社会人として自分が要求されてきた態度だが、正しい、正しくないことにこだわった挙げ句、結局自分の中の「怒り」を抑圧してきた。つまり自分は正しくないから怒る資格はないって。自分に非があるから仕方ないやって。けれど、怒りというのは理不尽で不都合なものだ。それは紛れもなく私の一部。そして私はそれを手放すことはないだろう。今思うと、なんと過大な要求を自分自身にしていたんだろうと思う。結局過大すぎて何の効果もなく、疲れ果てるだけだった。
 私は上司は職業人として有能だと思う。彼女に無能呼ばわり(それに近い)された結果、自分で自分を無能呼ばわりするところだった。だからといって自分の能力に自己満足しているわけではない。この怒りの原因は「痛いところをつかれた」(自信のないところをつかれた)ことにあるからだ。自信がないのは事実だ。有能でないのも。しかし有能であると自分に暗示をかけるのは意味がない(だってそうじゃないしそう思えない)。私は自信がない。これまた事実ありのままだ。自分の感じたことありのまま。これが今の私の気持ち。
<526> アーネスト ■2005年04月04日 月曜日 12時41分24秒
大学3年夏から5年の初めまで所属していたあるスポーツの社会人チーム。ここでも共依存しまくりだった。大学のチームを辞めてきた自分に自信がなくて,週一回の練習の際の出欠管理,用具備品の運搬、全部1人でやっていた。合宿の際も全部1人で企画してた。今思えば忙しい社会人の方々に電話したりメールしたりでかなり迷惑かけてしまった。結局,今になっても自分が何をしたかったのかよくわからない。それにしても最近、吐きだしてばかり,棚卸しもしないと。
<525> アーネスト ■2005年04月03日 日曜日 11時44分13秒
(カテ違いだったらごめんなさい)

去年の5月から9月ぐらいまで外国人移住者の中学生を対象に,学校の勉強の補習をするボランティアに関わった。たぶん,その時期っていうのは気持ちが外に向いていたんだと思う。家族以外の人間・社会に目を向けていける時期だったのだと思う。でも結局,兄のことで気をもんでいるうちに鬱になり再び,ダウン。兄との共依存を切るには,外にも目を向けたいんだけど,勇気が足りない。
<524> アーネスト ■2005年04月02日 土曜日 16時03分33秒
自分の共依存の対象は兄かな。母がずーと兄の世話を焼いていたように,自分も兄に対して世話を焼きたがっているのかな?今読んだ記事で「相手が腹を立てるのは,自分のせいだと思い込む。自分がなんとかすれば,もっと相手は良くなる」というのが少し当てはまってるかな。僕の場合、良くなるとは思わないけど,自分の罪悪感を解き放ちたいんだよね。それには結果的に兄が良くなることを望むんだろうね。兄には今まで良くしよう,良くしようって接してきたのは事実。
<523> いろは ■2005年04月02日 土曜日 01時07分23秒
対人恐怖症の私には人間関係は続かない。
<522> 高齢処女 ■2005年04月02日 土曜日 00時34分55秒
 私は女の上司に嫌われている。彼女は誰から見ても頭の切れる仕事のできる人だが、私は彼女の好きなタイプの人間(しゃきしゃきして気がきく)ではない。今日、呼びつけられてささいな事で「社員失格」と言われた。
 こういうシチュエーションって過去にも何回かあった。前にもかいたが新入り時代、別のおばさんに「指導」された時。打ちのめされ、自信をなくした。
今回は前回のように黙って耐えるのはやめ、職場の何人かに愚痴った。私と同じように彼女にかりかりしている人もいるようで、ほっとした。少なくとも自分の感覚が「異常」と思いこむ必要はないなって。
 
 何か注意されると「自分が悪くて相手が正しい」とどこかで思いこもうとする、このルーツは何か?小さい頃から、両親には叱られてばかりだった。自分の言ったことが受け入れられるという経験は私にはほとんどない。いじめにあった時もそうだった。「自分の性格が暗いからだ」自分でもそう思って「反省して」きたし、両親は「いじめられる方に責任がある」という考え方をしてた。両親や教師や上司のようなお偉い人に対し、少しでも刃向かうときにはどこか罪悪感があり、いいたいことを主張する発想も行動することも私にはなかった。私は親に認められたかったんだろう。上司にも。仕事ができない、と思われたくなかったんだ。けど、それは無駄かもしれない。いくらがんばっても、どこか気にいらなくて、非難してくるかも知れない。その時また私は同じようにへこむだろうか?別に自分が全て正しいと思いこむ自己中女になりたいんじゃない。ただ親や上司に認められたくてがんばってもほとんど認めてもらえない、どこかにそういうのってある。相手の性格を変えることはできない。しかし嫌いな女を好きにはなれない。答えはまだ見つからないが、苦しみをなかったことにはしたくない。私の心の中には「不都合な悪い感情」が渦を巻いており、それも否定できない自分の一部だ。そして聖人でもない限り他人が自分に対して理不尽な態度にでることは今後もあるだろう。そういう中で私は生きて仕事をしてる。自分にできることは唯一、自分と仕事に誠実でありたいということだけだ。結果的に他人と相容れないことになっても。逆に、他人と、おりあいをどうつけるか考える時期ともとれる。とにかく今までみたいに死んだふりする以外の方法を何とかとらなくては。
<521> アーネスト ■2005年03月31日 木曜日 22時49分46秒
とある人に,厳しいしかし温かみのある言葉をかけてもらった。最初はキツイなーって思ってアジテートされた時の独特な動揺が来たけど,落ち着いて,その言葉を反芻したら本質を突いていた。○○サン,ありがとう。また会いに行くかもです。

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This script written by Shintaro Wakayama.