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私たちの物語 - 人間関係・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> ちかこ ■2003年03月13日 木曜日 15時20分59秒
つらいときほど、あたたかいものが身にしみる。
それすら麻痺しているときは、病気としかいいようがない。

ひとりぼっちのさみしさにココロ伝わる人を求める。
無防備にわわっと侵入されて引きこもる。
<19> ちかこ ■2003年02月28日 金曜日 03時53分46秒
人のことを気にしすぎる、と言われて、とても気になっています。

私はその人と一緒にいてもちっとも和まない。
通える近くにACの自助グループがそこしかなく、週1@1年10ヵ月。
離れよう、距離を保とう、としてきた・・はずだった。
この人のさわりかたはいやだ、と確認した感じ。
私はあなたの娘じゃないのよ、と感じている。

私は私が回復したくて、そこへ通っているのに
新しく来た人が増えたから、もういいかなとか
へんに役目が終わったような気持ちを感じている。
いいわけづくりだろうか。
のめりこむか、逃げ出すか、極端なんだよなぁ、私。
<18> 大江山 ■2003年02月21日 金曜日 17時55分46秒
「駄目な時」
自己愛の障害だと自分を思うのは本当に苦しくて、肉体的に耐えられない時、自己の境界と他者の境界と世界が壊れて行くような恐怖と、それから逃れる為に必死に誰かの承認をほしがって、もがいている時だ。
そうゆう時思わず私も「リセット」したくなる。自分の居場所が無いような気がして、自分という有害な生物をこの世界から抹殺したくなってしまう。こんな思いは傲慢だとは分っているのだが。
何だか自分の中からほとんどの感情が喪失されてしまって、生きる力さえも無いんだという事に気づかされる。気づかされながら自分の無力さに飽き飽きする。飽き飽きしながら何処かで必死になって生きよう、生きたいと思う。
限界が分らない。何処までが自分のワーニングポイントなのかも分らなくなる。何でこんな人生だろと思いながら何処かで感情を鈍磨させてはいけないと強い思いが、沸いてくる。せっかく此処まで来たのに、又感情に蓋をして生き続ける事に何の意味があるのだろう。
<17> ブコースキー ■2003年02月12日 水曜日 00時40分25秒
「友達」
私は下段のヴコースキーさんのようにきれいな文章はかけない。彼は我が自助グループでは異例の金持ちで若くてハンサムで女にもてる。対称てきな私は無骨だ。友達のことをどのようにかけばよいのか・・・。友達っっていうと私は「アホ」「ぼけ」「田吾作!」というような誉め言葉があると楽になります。アホは自認するがまじめさは失わない。パチンコなんか本に頼ることなく、自前の頭で考えて、納得したうえで勝ち、勝てないとみたらさっと帰らない奴はすきですね。勝てるわけがないという常識を知っていないと困ります。核心的に結婚はさけている。結婚をするならパチンコはしない。こういう潔癖な思考があり、人の苦痛もなにげに気配りする。しかし、押し付けがましいことは一切しない。堕落するやつに親切はしない。黙って袂をわかつ冷たさがあっていい。もたれあうバカタレなバカは好かん。金の貸し借りはもっともいやです。鼻水垂れ流しながら街を歩くやつも好かんですね。人のプライバシーも詮索しない。みてくれをみぬく、自分流儀を身につけているやつは付き合いやすいと思うのですが、いませんね。
 ともだちについてもう少し考えてみたいですね。
<16> ブコースキー ■2003年01月28日 火曜日 19時57分34秒
友情について
 親は自分がえらび出した人間ではないが、友人や恋人は、自分が「選ぶ」ことによって関係の生じた人間である。親なんかより、はるかに自分に身近なのは「自分が選んだ他人」なのだ。そして、家出こそは、他人の発見のための放浪であり、自由へのみちなのである。・・・・・・・・安易な家出は失敗する(私の経験より)

恋愛は結婚にかたちを変えたとたんに消えてしまうこともあるが、友情は決して何にもかたちをかえることができない。・・・・・・友達いますか?

子供は子供として完成しているのであって、大人の模型ではない。毛虫と蝶々が同じものであるわけはない、毛虫は毛虫として完成しており、蝶々は蝶々として完成している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フーム。

かくれんぼは、悲しい遊びである。かくれた子供たちと、鬼の子供とのあいだに別々の秋が過ぎ、別々の冬がやってくる。そして、思い出だけがいつまでも、閉じ込められたまま、でてくることができずに声かわしあっているのである。^「もういいかい?」「まあだだよ!」「もういいかい?」「もういいよ!」

よく、親は自分の子供のことを「食べてしまいたいほど可愛い」などといいますが、この言葉は狼の童話とともに比喩を越えた迫真力をもっています。そして、すべての親は機を見て「j子供(子供の愛、子供の夢、子供の冒険、子供の残虐なエネルギーを)食べてしまおう」と考えているようにおもわれます。嘘ではありません。子供を自分の言いなりにしようとする親のエゴイズムが、子供を・・・そして日本の青年を、いかに無力にしていくかは子守唄をたずねてみれば容易にわかることです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フーム。
<15> catwings(空飛び猫) ■2003年01月28日 火曜日 19時36分08秒
人付き合いってすごく難しい。
はっきり言ってすごくすごくすごーーーく苦手。
家に引きこもって、友達と全然連絡もしていない状況。
ひとりで居られて自分の好きなように自由に過ごせて嬉しい反面、
ひとりで居ることがちょっと寂しいような寂しくないような、複雑な気持ち。
でもやっぱり今は冬眠する動物のように、ひとりでこもっているのが一番幸せ。
<14> かえる ■2003年01月14日 火曜日 21時16分41秒
何で?いつもこうなんだろう・・・。気が付いたら友達の文句、愚痴を言ってる。わかっているのに。何故か口から出てくる。本当に大切な友達なのに何故そんな事を言ってしますのか。自分でも解らない。直したいのに・・・
 人間関係がうまくいかない。顔色ばかり伺って、「何か、私の事言ってなかった?」とよく聞く癖がある。 人が怖い。嫌われたくない・・・そう思って生きてきた。でも、なんか他の人と違う。皆は、強くて堂々としている。私はどんな風に他人から見えてるのでしょうか? 気になります。
 こんな私には友達が居ない・・・寂しいです
<13> りん ■2003年01月06日 月曜日 08時42分19秒
りんは
人間が 大好き

みんなと 
仲良くしたいし

みんなが
平和だといいなぁ
なんて
本当に 考えてたりする

でも、
人間には
いろんな人がいて
そんな人たちは
りんを
苦しめる人たちだと
思ってました。

でも、
その人たちも
いろいろあって・・・

だから、
りんは
その人たちを
憎めません

たぶん
みんなも
そうなんじゃないかと
りんは
思います。

みんな
つらいんだね

りんも
つらいよ

みんな
つらいんだね

りんは
頑張らなくちゃ
なのかも
しれないな・・・
<12> 【管理人からのお知らせ】 ■2002年12月30日 月曜日 00時05分10秒
12月22日付のみりさんの投稿は、「他の人の投稿への分析解釈や批判・お説教・アドバイス等はしない」という当BBSのルールに違反していると判断したため、誠に勝手ながら削除させていただきました。

悪しからずご了承ください。

管理人・蔦吉
<11> はね ■2002年12月21日 土曜日 19時34分36秒
今まで人を疑うことをしてなかった、いや、知らなかった。私の友達は裏切らない子ばっかだと思ってた。甘かったよ。
あなたに裏切られた時、ショックでショックで涙が止まらず、涙が涸れても私の怒りや悲しみはおさまらず、身もグサグサにしちゃったよ。あの時の血を返して。腕にできた傷を癒して。
それからだよ、人を疑うようになったの。人が私にかけてくれる言葉全てが偽善に聞こえ、今もどこまで他人を信じていいのかわからない。
誰かもう一度、私に「人を信じる」って気持ちを思い出させてください。
<10> あゆたん ■2002年10月19日 土曜日 10時32分56秒
 義母におみやげ。実家へ行ってたから。留守の間、夫の食事は義母にゆだねたからお土産でもと思って渡した。取り付かれた義母じゃなくて、解き放たれた義母。うれしそう。だけど後からしなくていいことしたのか考えて気がふさいだ。まだ義母と接するのはこのくらい距離置いてないと、見失ったりはもうしたくないから。けど、帰って夫から義母が何かしようと思っている(協力)と聞いてうれしかった。でもなんかちょっと期待しすぎか?やめよう。義母の支えがえられる=幻想、やばいやばい。いずれ退院後は義母にも頼るから。
<9> あゆたん ■2002年10月05日 土曜日 12時09分56秒
 義母が嫌い。苦手。怖いのかな?なにが?何かを恐れてる?非難される事?非難されたね。頭には義母が非難する声。周りの人に言いふらして私の事をひどい娘だって。私は周りの人と関わるのが気がかりに・・。
 なんで私が悪いって思い込んできたのか・・?すんごく不愉快だった。そして非があると。ほんとに私に非があったのだろうか?
 はじめてあった時すごく緊張してた。夫の母親、すぐに私の事をふさわしくないと判断するだろう、私には価値が無いんだ。いずれ分かる。何を話したって言葉の端々からどうしようもない人格がこぼれ出てどこかで見捨てられる。
恐れ。父さんがなんとか言ってたな・・。お前はダメだ、どうしようもない奴だ、(生まれてこなければ良かったのかな?)父さんは私の存在を否定してけなして罵った。悲しい、重たい。どうしようもない、私の力じゃ。鬱い。
 そっか、そうだったんだ。私は自分の存在そのものに価値が感じられなかった。ダメな人間という思い込みに支配されてきた。その憂鬱。知らなかった。
心の中に肯定的な自己。あゆたん、とってもかわいらしいあゆたん。それらは一体何?間違った思い込み。ずっと長年考え続けて習慣化した思い。違うのにね。そんなわけ無いのにね。父さんに責任があるさ。何歳くらい?父さんだから、30?40?あゆたんg5歳くらい?それとも7〜9歳くらい?かわいらしく生き生きしたあゆたん。輝きを放つ。光。明るい。あゆたん、すき好き。仲良くするよう頑張ろう。勇気を出してね。父さんはひどい奴さ。伝染させてその事さえ知らなくて目を向けなくて、無関心?知らない。父さんのしていた事は間違っていた。私だけなんじゃないか?真実がここにあるのは。う〜うん、あったか恵たんもみてた。板ごろう叔父やんもみてた。見てたみてた。知ってる人たち、いるいる。父さんには分かってもらえそうに無い。変わらないんだ。義母の事だったけれど、こんなところから連鎖してた。
 義母が2階に上がってくるのはやめてもらえないだろうか。私のゆったりした時間続く続く。怒ってる?とらわれ、義母がいてはいけないという考え。あたまん中でぐらぐらに煮だったお湯。許せないんだ、義母の存在。来ないでよ私の生活スペース。犬みたい。縄張り「犬は縄張りがあって・・・」父の言葉。変なの生態系や動物のテレビばかり。摂りつかれた様に見てた。おいといて。
 ばあさんには一階に干し場を設置して欲しいと思ってる。無理なのかな?夫は賛成とは思えなかったな。無理があるの?くつろいでいたい。心許した夫と。義母が上がってきた後ずっと頭で「許せない」が支配。いらいら。あの人には心が許せない。関わりたくないんだ。私の事見せたくない!嫌だ。嫌いなんだ。あの人と関わる事が無くなったらなあ。いつかはお迎えが来る。すっきりする。この世からいなくなり、「音」も聞こえない。イライラはお供に行くでしょ。はよ死んでください。嫌なんです。(神様ごめんなさい。ばあの死を
望むなんて。でもこんな考えもあっていいですよね。黙ってやり過ごします。)一階が和室となった。やっぱ客間かな。あの押入れに客用布団しまうでしょ。横のキッチンで仏さんのお茶の用意して。一階のキッチンは御茶だし、昼ごはんと夜はどうしようかな?子供ができたら一階でそろって食事するとか?静かな時。夫、私、子供。私たちの家庭。できっこない?ダメだって?それはまた後で今はする事あるから、手が空いたらゆっくりね聞いてあげるね。しばらく休んでてね。
<8> 蔦吉 ■2002年09月17日 火曜日 17時09分57秒
私が人間関係リセット魔である理由、なんだけど。
もうひとつ、「どこにいても、“ここが私の居場所じゃない”ような気がする」ってのが、あるかもしれない。
もちろん人間、たとえば映画好きなら映画だけが私の居場所、読書なら読書だけが同好の士を見つける場所、みたいに固定されるもんでもないんだけれど。
だけど私の場合、何というか…いつの頃からだろう、寝食を忘れてのめり込むような趣味とか好きなものって、なかったような気がする。いつも小遣いで買ったものを母親にのぞき見されて、非難され、あげつらわれることを恐れて、何物にも、本当にのめり込みたいものに「のめり込む」ということが、なかったような気がするのだ。

そのせいだろうか。何かこう、どんな場所で話の合う友人を見つけても、なにか「いずれ話のネタが尽きる」ような感覚につきまとわれてきた。話のネタが尽きて、私という人間の底が見えて、それできっと私は呆れられるだろう。そうなる前に自分から人間関係リセット、みたいな。そんな感じ。

だから、一体、「小さい頃からずっと親友同士でいる」みたいな人々は普段どんなことを喋っているのだろうか、いわゆる「普通の人」は孤独に陥ったときにどんなふうにそれを解消するのだろうか、って、ずっと不思議に思ってきたようなところがある。
<7> キリエ ■2002年09月11日 水曜日 15時37分22秒
失敗!<6>の続きです。
同時にこんな私のことを考えてくれているのか、と感動する。で、そのひとに依存してしまう。私は大馬鹿ものです。

私なりの心の距離感をたもつことが、私の人間関係の基本。
でも、本当は介入してきてほしい。
こういうのヤマアラシのジレンマっていうのだったかな?
とにかく、他者に強く依存しないよう自分で改善していかなくては!!
<6> キリエ ■2002年09月11日 水曜日 15時29分36秒
心の距離って難しい。
人にあまり接近され、ベタベタされると気持ち悪いと思ってしまう。
私のためを思っての行為だとわかっているけど、あまり心の中に介入されると苦しくなってツライ。と、同時にこんなに私のこと
<5> マフマルバフ ■2002年08月27日 火曜日 19時46分09秒
スクロールメッセージ
介入して申し訳ありませんでした 親のことは見捨てるということで私の中では遺棄された問題だった できるなら兄と俺たち兄弟と家族の問題を解決するための話し合いはしたかった 10年以上前に実行したが話しにならない 兄は兄の生き方を選択しているから 非日常的で過去の問題は受け付けなくなっている そこへ「あなたには親の・・・・・責任がない」と改めていわれると 自分の今までの人生をもう一度大掃除しなければいかんのです 選択しての今の境遇ではないので 混乱は大きいです 出さない手紙は書けないし カウンセリングも受けているわけだから そこでなんとかして行こう アメリカ人は親切な友人や物分りのいい相方が居る人が悩むのですね 孤独を選択した人にはそれなりのフォローも用意してある 反論できない サポートしてくれる人が常に必要なんだ 
<4> マフマルバフ ■2002年08月15日 木曜日 03時19分48秒
8月15日 2・37 
今度のスクロールメッセージは義理と人情を試されているようで 何かぐっと胸に込み上がるものがあります 蔦吉を孤独になんかさせないぞ しかし情に掉させば流される 俺はこのメッセージを胸に刻み自分のために活かそう 遠き地に同じ思いの仲間がいるのだと 何もできないけれどメッセージを送り何らかの心の支えになればそれでいい そして俺にも仲間がいるんだこの手応えはありがたい 俺は俺でここで踏ん張り何とかやっていこう 少し勇気が出てきた
  
帰省のシーズンになり落ち込むACは多いと思います 私は昨年の盆暮れは何とかやりすごした 音沙汰が何も無いし家族のしがらみをおれが心配し責任を背負い込むようなことはしなくていいと考えられるようになり やっと気にせずやり過ごすことが出来ている 年末から正月は早めに寝て昨日の続きを平静にやりすごすことで
切り抜けた 両親の考える家族像と私の意識のギャップが開きすぎて 日本的な家族観を共有することが出来なくなっている悲しみと混乱と孤独感は筆舌につくせないほど苦しいものがありました 今年は心理的に何の変化もないですね落ちついて日々過ごしてます これからもう少し自分のことに関心が向くようになればさらにいいのですが・・・・全てのバランスはまだよくない 難しいことです
<3> ゆき ■2002年08月13日 火曜日 18時29分42秒
足りなかったのは勇気だったと思いました。
勇気が必要なんだということに気付きませんでした。

でも、誠意だけはつかったつもりです。
そのときの私にできるだけのことを、わたしはしたつもりです。
それが傍から見たら、足りないばっかりの行動に見えても、わたしは必死でした。
相談を持ちかけられると断れません。
それが心理的には抑圧になっていました。そしてそれに反発する私がいました。
抑圧になっている時点で気付くべきでした。今度からは、自分に近寄ってくる人に注意深くいようと思います。
でも、掲示板で二三度話しただけで相談のメールを送りつけ、
精一杯の返事をしたら今度は「付き合ってくれ」。
失礼通り越して呆れてしまいます。まともに返事をしていたわたしが馬鹿でした・・・。
今度からはホントに気をつけよう。
<2> パヴァロッティ ■2002年07月29日 月曜日 02時12分28秒
相談することと自己に対する甘え
大変恥ずかしいことだが私が18歳の時 自分の混乱した悩みを抱えきれずに或教師に相談したことがある。ところが抑圧されたものを一気に吐き出そうとしたため本質とは違う表層的な取るに足らないことを話し あげくのはてに自分の抱えている恨みの感情をその教師に対して向けるようになり大変なご迷惑をかけてしまったことがある。後日謝罪できたのだが 自分でも説明しかねる問題を話そうとし相手の態度が率直であれば その気安さから抑圧された怒りが 聞いてくれる人に対して一気に噴出することがありました。あるまじきことなのですが ACを自覚する人にはよくあることなのではないでしょうか。感情のスリップと言えばよいのでしょうか?アルコール依存症者の対応をしたことがある人はわかると思いますが 半分酔っている状態で 日頃から被抑圧的で暴力的な人物の聞き役は最悪の事態になります。聞かないほうがよい場合もあるのです。私自身も未だに下手に話しこむと腹が立ってきて恨みの感情に繋がることがあります。抑圧された怒りが解放されていないことと自分に対する甘えも出ていることに気づきます。少しコントロールが効かなくなる事の気づきで私は抑制が働きます(今まで迷惑をかけた人にはごめんね)。下手に優しく聞き役をやるのは相手にも自分自身にも良くない事態を招く場合もあります。この問題は自覚のあるACには当てはまるのではないですか?
言葉が悪くなりますが 日常生活の中で黙って聞いてあげることで迷惑を受けることはよくあります。逆の場合ですが 愛情のあまり無い無愛想な家庭で育ったせいか女性が優しく聞いてくれると・・噴出するものあり調子に乗って「好きったい」とか感情的になるでしょ これは聞いてくれる女性にたいして言葉の暴力になりかねません。「あたしもよ」そんあことにはならない。絶対なりません。うーんテーマからはずれている。
相談するということはこのように筋違いのものとなり 相手への心理的抑圧となったりして じぶんが人間関係を壊している場合もあるのです。それを悪用できる悪意のある人はもはやACではありません。
<1> 蔦吉 ■2002年07月20日 土曜日 11時21分30秒
子供の頃以来、私は「人間関係リセット魔」だ。
どうしてだか自分でもよくわからないのだが、ともかく入学とか卒業とか引越しとか、そういう「人生の節目」ごとに人間関係がプツプツ切れてしまう。住所とか連絡先を教え合っても、しばらくしたら年賀状も何も出さなくなって、それっきり、ってパターン。

というか、なんか「家族の外」の社会に自分の恒久的な日常生活の基盤ってものを作れないというか無意識下で作る気がないというか。

…たぶん心の奥底に「自分の真価を知られるのが怖い」って漠然とした不安がある。それはたとえば「それ以来」、卒業なりなんなりして物理的に距離が離れて以来、どれだけ進学先やら職やら遊びやらの世界で「イケてる」か、相手に勝っているか、みたいな功名合戦の気分もある。っていうか、それが、かなりデカい、とも思う。離れて以来、ショボい成功しか収めていないあたしを見ちまったから(あるいは見られるかもしれないから)、お前はトモダチ戦力外通告リスト行きだ、みたいな。

そしてたぶん周囲だって、私がそんな優等生根性の切れっぱしにしがみついてオドオドしているだけだ、ってのは薄々分かっているんだろうな、とも思う。だから、一旦人間関係リセットした友人との再会でも何でも、「○○さん(私の名)すごい、頭いいからきっとできると思ったァ」みたいな社交辞令を聞くと時々辛くなる。「すごい」「秀才」「読書家」みたいな感じの誉め言葉。なんだかこの歳になって、心がまだ小学校や中学校の優等生の自己イメージを引きずっている、そのことを見透かされて子供あつかいされたような気分になって。…で、そのことでまた「トモダチ戦力外通告!」みたいになったりして。

そういや自分の家族の中で常に「勝ったか負けたか、上か下か」の功名合戦に晒されてきたように思う。まず「なんで他のオトモダチはみんな明るく活発なのにあんたはそんな依怙地なの?」「90点なんて、クラスには100点の子もいたんでしょ?」と絶えずがなり立てる母親の声がつきまとっていた。そして“同級生のトモダチと比べて”だけじゃなくて、「お前、法学部へ入ったならまず憲法と民法、一般教養は論理学、倫理学…」「今度の仕事は? 行政用語もそんなに出てこないだろう?」etc.…と私のやることすべてについて“ひとかどの専門知識”をひけらかし心理的に私の上に立とうとせずにいられない父の声も。

だから「勝ったか負けたか、上か下か」をまったく気にしない人間関係ってイイなと思いながら、そういう人間関係をどうやって築いて、その中でどうふるまったらいいのか、ってなことにあまりに不慣れで、そのせいでせっかくそういう人間関係築きかけてもまた居心地悪くなったりして。また、せっかくそういう人間関係がうまくいきかけても、しばらくすると「ほらお母さんの言ったとおりでしょ? アンタは依怙地なプライドにしがみついて、オトモダチを作るのがヘタクソだったのよ」、お母さんにはそれがとっくの昔にできていたのよ、有能だったのよ、アンタの欠点を見透かしていたのよ、お母さんの勝ちを認めなさい…みたいな「内なる親」の声がして。こうなると、「そういう人間関係を維持する」ことに成功しても失敗しても、どっちに転んでも「内なる親」に屈服したことになるしなぁ…。

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This script written by Shintaro Wakayama.