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私たちの物語 - お金・経済・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> さゆり ■2003年08月21日 木曜日 00時03分57秒
小さい頃、親や祖父母の『お金の在り処』からお金を盗っていた。
小学校中学年で何万の入ったポーチを見つかり「これどうしたの?」ってきかれても、お金がなくなって「盗らなかった?」ってきかれても『知らない・やってない』と答えた
そのためか、放任主義だったのもあるのか、家では必要だといったらお金は出してくれた。やりたい事にも出してくれた。一人暮らしする時は、「人の金とか物とか取るんじゃない。必要なら言いなさい」って。泣ける話だよね。私がお金撮る癖あるの知っていたんだよね。
家は割かしお金もあったしやりたい事もさせてもらった。金に執着があったわけでもない。ただ、意図もなく盗っていた。
成績は良い方だった。「国語と算数5を一緒にとったら何でも買ってあげる」お姉ちゃんの条件満だったけど、私は何度かあったから毎回買ってもらえるわけがない。アン・フェアーだよね?
でもいつも、そのお姉ちゃんのお下がり。弟は男だし離れてるし新しいものじゃんじゃん買ってもらっている。
そういう私は、周りの子とは全く違うくらい、欲しいものは手に入れたい・買いたい!っていう衝動買いに走っていた。『じぶんのもの』が欲しかったんだと思う。モノに執着してしまう。今はさすがに、親からの仕送りもないし、無意味な衝動買いは落ち着いてきたほうだけど、強欲だと思う。留学したかったら『どんな仕事』しても、実力で行きたい!と・・・・
そのため、仕事もがんばるけど「ジブンノモノ」に満たされていない私は、金銭感覚はまだまだおかしい・・・・・・・・・・・
<19> るな ■2003年08月13日 水曜日 01時12分14秒
初めて勤務した会社は、とてもアットホームで、みんないい人で、あたしにとっては実の家族よりも家族みたいな存在だった。
そんな会社に1本の電話が入った。母が借金していた金融業者からだった。
必死で冷静を取繕い、周囲には気取られないように対応して電話を置いた。
(お前が金を持ってこいと言うので、とにかく行くからと答えた)
帰宅してから何とか母が話をつけたようだったが、やっと見つけた大切な場所を奪われてしまうところだった(会社まで行ってもいいんだと言われた)。
あの時のことだけは忘れられない。
あたしが電話を怖くなったのも、きっと小さい頃から家に催促の電話が来たからだ(加えて不登校だったから学校からの電話も嫌だったし)。
家を出てまで金を送れだの保証人になれだと言う母の気が知れない。
(しかも何の前置きもなく必要書類を送ってきて送り返せと言う無神経)
あなたはまたあたしの大事な場所をブチ壊す気か。
どれだけ過去のことを思い出して苦しんだかわかるか。
…おかげでACとしっかり向き合うことにはなりましたけどね(苦笑)

あのね、母ちゃん。
あたし達子供を食べさせるために借金したっていうけど、あたしは貧しくてもみんなで協力して仲がよいきょうだいが欲しかった。
大体何で貧乏なのにあんなに子供作ったのさ?
子供が出来れば父ちゃんがちゃんと働くかもしれないって昔聞いたような気がするんだけど。
あたし達は父ちゃんが働くために作られた子供なの?まぁ愛し合って出来た子ではないよね?あなた達ふたりが仲良かったとこ見たことないしね…
<18> ねこ ■2003年07月22日 火曜日 22時18分15秒
学生の頃原付で事故った。昼間だったし両親共働きで家に誰もいなくて、誰にも報告出来ぬまま事故した相手の方の車で警察に行った。警察の方に言われてその足で病院へ行き、小さな擦り傷に消毒をしてもらった。それで終わりだと思ったのに「念のためレントゲン撮っといた方がいい」と言われレントゲン室に連れて行かれた。私は怖かった。初めての事故だったし、保険の仕組みもくわしく知らなかったから、この治療費がいくら請求されるのか、そればかり考えてた。私はピンピンしているし、何も異状ない、だから早く帰してほしい、自分のミスで起こした事故で母に無駄なお金を払わせるわけにはいかない。そう思ってレントゲン技師さんに「レントゲン撮らなきゃ駄目ですか?」と聞いた。そしたらレントゲン技師さんは困惑して「もしかして妊娠されてるんですか?」と聞いてきた。(妊婦さんにレントゲンは厳禁!若い私が内緒で妊娠しているんじゃないかと、気遣ってくださったんでしょう)
さすがに「お金が心配で」とは言えなかった。
自分の体よりお金を心配している自分にだいぶ笑えた。
あれは恥ずかしかったなぁ。
<17> maasan ■2003年07月05日 土曜日 03時03分51秒
相変わらず貧乏であり、実家の援助と、簡単なアルバイトを二つ掛け持ちし、それぞれ融通がきくので現状では良しというところです。もちろん、親の援助には制限がありますし、もうひとつ、無理のないパートの仕事を増やそうか思案中です。生活するにはそこそこのお金が要りますもんね。できる限り簡単な仕事ご希望ですが、勉強する気はありますのでPCかんけいでもokです。ぼちぼちやっていきたい。もちろん、そんな甘い職場はないでしょうでね。
<16> まり ■2003年07月02日 水曜日 02時01分51秒
小さい頃は割と貧乏だったらしい。というのは、子どもだったし近所の家も同じような境遇の家だったので、貧乏とか金持ちということが、あまりよくわかっていなかった。確かに、部屋の壁が少し落ちていたり、母の服が破れていたり、夕食の魚の数が人数分なくて、母だけ他のものを食べていたりした記憶はある。古くて日当たりの悪い家に居たので、私の気管支炎は全然治らなかった。小学校の宿題で、トイレの前の猫の額ほどの(坪庭というのか)地面にジャガイモを植えたら、日当たりが悪い上にジメジメしていて、芋が腐ってしまったのも覚えている。
それでも無理に私立の小学校に行かせて貰ったのだが、「何で私だけ幼稚園の友達がいないところに行くのかな」と感じた覚えがあるものの、その事実が金とか経済という概念と結びついたわけではない。
だから、小学校に歯医者さんの子どもだとか、地方では有名な会社の社長の子がいて、友達でその子の家に遊びに行っても、「大きい家だなあ」だけで終わっていた。家で見たことのない食べ物があったりしたけれど。
「金」とか「経済」で私がナーヴァスになるのは、むしろ家の経済状態が、親の仕事の関係で上向きになってきてからだ。
家に電話がついて、テレビが来て...それまで古い貸し家を転々としていたのが、とうとう親が家を造ることになった。
そのうちに、親の仕事が変わり、どういうことかよくわからないうちに、気が付くと私は、「○○さんのところのお嬢さん」になってしまっていた。

その上、大学を受ける時点で、私はいわゆるエリートコースを落っこちてしまったので、父親は「お前はもう役に立たん。こうなったら、きれいな服を着て嫁に行くしかない」とのたまった。そう宣言された私もすっかり自信喪失で、親の言うままに、ブランド物を着て、親からもらった金でお酒ばかり飲み、自棄を起こして退廃的な生活にはまっていった。
うまく言えないのだが、小さい頃からあった「自分は価値がない」という思いと合わさって、「お嬢さん」と呼ばれてしまうことが、ものすごく引け目だった。若い太宰治が、自分は滅んでいくべき階級にある、と感じたように...かどうかは知らないが、その時は「そうだ。わかる」と思ったりした。
私を理由もなく殴ったり、気に入らないことがあると「お前のような奴は、そのうちに人から見捨てられて、惨めで淋しい人生を歩む」と言いつづけた父、その父からもらう金で、私が服を買い、飲み食いする...。これは、屈辱的なことに思えた。
「まるで、金で買われたみたいだ」と思えた。経済的には不自由なくさせてもらうかわりに、怒鳴られようと罵られようと、いつも父の機嫌をうかがい、その意思に従う、という生活だったからだ。客観的に見ると、私はかなり贅沢な生活を「させてもらって」いたのだけれど、それがまた、非常なコンプレックスになった。人から「親のすねかじり」と言われるのが辛かった。家を出たい、と思い、あまり信用できないBFと、駆け落ちすることを本気で考えたこともある。
ただ、その頃になると、私は「重度のノイローゼ」だとかいわゆる境界人格障害だとか言われる症状に陥っていて、建設的に動くに動けなかった。薬物に対して強い私は、安定剤と眠剤と酒をチャンポンにして飲まないと、眠ることもできなかったし、一日中「不穏」で、すぐに過呼吸になり、電車にもバスにも載れない状態。タクシーの中でも横になっていた。緊張を解くために、とにかく朝から酒を飲んで大学に行った。やっとの思いで出た先で過呼吸になって、思わず病院に駆け込んだら、後で母にばれて「あんたがそういうことをしてしまったおかげで、悪い評判が立つ。お父さんの事業はもう終わりよ。大変なことをしてくれたね...もう、とりかえしつかないわ」と恐ろしい顔ですごまれる始末。
けれども、まともなことは何一つできず先も見えない状態で、家にいるしかなかった。「お金を稼がなければ...」という思いはあったのだけど、どちらかというと、早く自然死するように、と願っていた。
「お嬢さん」と言われれば言われるほど、責められている気がした。「あんたが病気なのは、親が経済的に豊かだからだ。貧乏ならもっとたくましくなっているはず」「いい親に恵まれているのに。甘え病だ」というようなことを、嫌と言うほどいろいろな人に聞かされて、ただでも低い自己イメージはもうぼろぼろになった。

そう。私は甘えていたのかもしれない。私なんかより、もっと辛い思いをしている人は、世の中に沢山いると思う。でも、私には、その時生きているのが精一杯だった。お金の有難さを感じるゆとりがなかった。それよりも、一言でいいから「お前はそれでいいよ」と言って欲しかった。
表向きは適応していた頃から、どこか不安で仕方なかった。病気になってからは、「贅沢病」「甘やかされたお嬢様のわがまま」と結構あからさまに言う人の眼におびえて、ビクビクしていた。でも、どうすることができただろう。
母や子どもに暴力をふるう父と、父の機嫌が第一で、尻拭いばかりしている母。食卓で体位とか性欲とかいう性的な話をする父と、その父に無感覚な母。彼らに怒りを感じながら、その人たちからのお金で生きることに罪悪感を感じ、本当に自分は最低の人間だと感じていた。惨めだった。

その罪悪感から解放され始めたのは、ACというコンセプトに出会ってからだ。

けれども、まだコンプレックスは残っている。病的状態が長く続いて社会に出損なったこと。キャリアがないこと。お金を稼いでいないこと。
それもこれも、自分の歴史をふりかえれば「ベストを尽くした結果なので、自分が悪いわけではない」と言いたくなるのだが、現実の生活を考えるとき、そうも言い切れない部分がある。

今の望み
自立できるだけの仕事につきたい。
自分の足で立ちたい。
<15> あゆたん ■2003年05月11日 日曜日 01時08分55秒
 お金に囚われがある。
小学校の頃、数百円の小遣いを上げて!と言ったが、思いっきり却下された。上げて欲しいという気持ちまでも受け入れられなかった。
あの事で囚われているよう・・。
 仕事へ行っても私にはお金を稼ぐ価値が無いかのように思えてしまう・・。
必要なお金は得られないっていうか、欲しいものを手に入れるためにお金を使うことは罪悪感が出てしまう。
 あたしにもチャンスを下さい。お金を貰うチャンスを下さい。
 あの時、仕事を与えられそして報酬を受け取ったなら・・。きっと積極的に働き、お金を受け取る喜びをかみしめたでしょう。
<14> かのん ■2003年03月28日 金曜日 23時37分56秒
「金がモノをいうこのご時世に」
って思うのが悲しくてたまらない。
学校も、居場所も、生きているだけでも、
今此処に存在するのにお金が必要?

心が満たされないからお金や物を求めてしまうのかな
そんなのいらないのに、本当は。
心が満たされる事なんてありえないんだろうか?
物欲なんて本当は無ければいいのに、何故あるの?

でもお金を使って手に入れられる安らぎがあるなら
(例えばCDとか。音楽とか。)
頭っから否定できないのかな・・・
<13> こうちゃん ■2003年03月17日 月曜日 00時07分23秒
あなたは今のままで満足だと言った。私もそうだねって言った。でも私はやっぱりお金が一番。あなたみたいに私のこと否定したり裏切らないから。
<12> ヴコースキー ■2003年02月08日 土曜日 22時13分10秒
「0・5秒の人間関係」

これをどのテーマで書いたらよいのかわからない、ので お金と経済の中で書くことにした。ショートカットにしている。それがあまりに似合わないので声をかけたくなったのだ。声をかけてもいいとおもえた。
「可愛くなったね」と、それ以上の言葉がわたしのなかででてこない。紡ぎだせないのである。それがわかっていて、短いことばだが俺のすべてがこめられている。
 若い女性は敏感である。みぬかれる。
しかし、そのわずかの0・5秒しか保ち得ない人間関係もよいではないか。あまりに短くはかなげな関係性でよいではないか。
 それがどうしたっていうのだ。(二人以外の誰かに向かって、あるいは虚空にむかって)
<11> 蔦吉 ■2003年01月24日 金曜日 16時52分35秒
今までの人生での「お金」に対する関係の持ち方ってのが、なんか私の「食物嗜癖」と、すごくよく似たものだったかもしれない、ってこの頃思う。お金は「本来自分に許されていない“いいもの”」という漠然とした感覚があって、今でもいつも自分の欲しいもの、必要なものを買うとき、ほとんど「これが最後の小遣い、これが最後の楽しい買物」で、これを買ってしまえばもう人生にどんな楽しみも残っていないような、そんな気分に襲われる。だから、昔から何か欲しいものをひとつ買う、ってのが、お店の中でウロウロウロウロ、1時間、2時間、半日迷った末の「大仕事」になってしまうことがよくあった。

そうかと思えば、気がつくとほとんど“ザル”みたいにお金を使っていることもある。「これが最後の小遣い、これが最後の楽しみ…」でチビチビと買って、気がつくとザルみたいに膨大なお金を費やしていることもあるし。

なんて言うか…「お金の拒食症」と「お金の“やけ食い”」、そんな感じ。

どんな時に“ザル”の方になるかというと、本とか参考書とか学用品とか、「未来への投資」っていう名目がついたときだ。昔からそうだった。…覚えているかぎりで、小学校高学年あたりからか。これから「完璧な優等生」になるために立てた勉強計画を完全に遂行するんだ!という「誓い」のために、B5の真っサラなノートを1冊、ときには2冊、3冊と「ひとつの科目ごとに」買ったりして。小学生の小遣いには結構な出費だったわけなんだけど、その「完璧な優等生への勉強計画を完璧に遂行すること」が結局続かなかったりしてさ。何も書いていないか、最初の1ページを使ったっきりのほぼ真っサラなノートが、合計で20冊くらいも机の引出しに溜まってたこともあった。

そうして「買ったもの」と「小遣い帳」を母にチェックされて、「しょうもない物を買って!」となじられて、机の引出しを覗かれ、ぶちまけられて。ってのがパターンだった。

「小遣い」ってものを渡されるようになった最初のときからずっと、母は私の「買ったもの」と「小遣い帳」をチェックした。そうして最初から、「しょうもない物を買って!」「あんたはお金の使い方を知らない」と私をなじった。

今でも覚えてるのは…小学校上がったばかりの頃だったろうか、毎月500円ずつ小遣いをもらえることになって、初めての「1ヶ月分・500円」を手にして、当時住んでた田舎町の商店街の、手芸店に行ったんだった。私は当時すごく手芸ってのが好きだったから、キレイな色の毛糸やらリボンやら編み針やら、見てるうちにすっかり嬉しくなっちゃって。それでそのリボンやらボタンやら毛糸やらを少しずつ、500円分キッチリ使い切ってしまったんだった。

うん。なーんか今ふり返ってみて思うんだけど、とくに昔の「手芸」って…鈎針編みのベッドカバーだとか、タバコの空箱を折り紙細工して作ったのれんだとか、ウィスキーボトルと毛糸の黒人人形だとか…何かこう、「田舎の主婦の欲求不満」みたいなものの象徴、というか。モッサリと垢抜けない作品の数がズラリと並べば並ぶほど、大作になればなるほど、「“女の自立”の時代にとり残された、都会的でない、啓蒙されてない、知的でない、田舎の家に閉じこもった非創造的な女の、持て余したエネルギーの使い道がわからない人生」みたいなものをモワ〜ッと感じさせるところが、確かにあったように思う。

で、それ。たぶんうちの母が最も恐れて忌み嫌ってたもの、だったように思うわけ。
母は自分自身のイメージを「私はそんなだらしのないオバタリアンたちとは違う、知的な、自立した、新しい女」と思いたがってた。ま、今でもそうなんだけど。哀しいかな、というか、その「知的な自立した女」の自己イメージを保つために母がやってたことといえば、ピアノの先生っていう田舎では一応“知的”な部類に入るパートタイムの職業につくことと、PTA役員だの、お習字や生花やどこかの講演会やらのちょっとした“知的”な集まりに出ることと、そうして大部分は「知的でない、自立していない、田舎くさくてだらしない」と自分が決めつけた近所のオバサンたちを陰でネチネチとこきおろすこと、だったわけなんだけど。

ホント今なら、何がジリツだよあんた、知的だかなんだか知らないけど、あんた自身がちっとも情緒的に自立してないくせに、自分で自分の心の面倒見てちゃんと幸せになる能力がないくせに、って言いたいとこなんだけどね。

まあそれで私のお小遣い500円の話に戻るけど(笑)。
手芸用品ばっかりに500円キッチリ使い切ってしまったのをフツーに報告したら、案の定、というか。「しょうもない物を買って!」と金切り声で1時間ばかり怒られてしまったわけで。「あんたは馬鹿だからお金の使い方を知らない!」というような、決めつけ口調で。

…ホント、何にしたって6歳の子供が最初っから「一番適切かつ完璧な方法」を知るわけないじゃん、ひとつずつ辛抱強く丁寧に教わらないかぎり。って、今なら言えるんだけど。

実際、母はその後も私の買ってきたものをチェックするたびに、あれこれと私の本当に欲しくて買ったものを取り上げては家族みんなの前であげつらったものだった。だから私にとって「お小遣い」ってのは本当に長い間、緊張状態に取り巻かれた「戦闘地帯」だった。「本当に欲しいものは買ってはいけない」っていう。
<10> マフマルバフ ■2003年01月16日 木曜日 00時04分28秒
10年前
 もう10年はすぎていると思う。知性あふれるおばあさんとパチンコホールでよく隣あうことがあった。めったに話し掛ける人ではないが私には話してくる「あなた結婚はしないの?」私「いやぁ もうあきらめました パチンコが恋人です」そういうような会話だったと思うが その意味は重くずっと腑におちない言葉であった。昨日久しぶりに隣り合って打っていたのだが、おばさんは景気よく3箱出してその後 全部流した。「あたりませんか?」ずいぶん間の悪い言葉をだしてしまったものだが そこは知性的だから「このぼけが!」とかいわないのです。「この台よくわからないわ、どんなリーチがきたらいいの?」まるで少女のような目をして聞いてくるのである。私は何か背筋がゾクッときて あのときの問答の意味がやっとわかった。パチンコは性的不満の代償行為であると、このおばさんは早くから分かっていたのだ。 こういう人がパチンコとは日本人にとってどういうものか、その社会的背景を性の問題から読みといて 雑誌にでも発表して メッセージを出せばいいのにと思うのだが そういうことは絶対しない。
 だから 私がこういうサイトでいわなくてはならないことになってしまうのだ。
思うに40,50,60歳台の女性の性の問題は深刻なのではないだろうか?自分の行き方を模索する女性ほど離婚率は高いようだ。意識的に生きているインテリ女性の方が性の不満の解消になやんでいる。そこらへんの詳細は語れないが、このさいNPO法人「不義密通の会」でもつくって合法的に問題解決をはかることはできないものだろうか?「だったらおまえがやれよ」という方もいるかもしれないが それは勘弁してつかあさい。たしかに50、60歳の女性でも 人間性をしるにつけ 色っぽさはあることは事実だ。しかし 何と言うのか「おかん」のような人は 許して下さい。
 これは笑い事でいっているのではない。子供や家族への悪影響と中年後の孤独感は今後深刻になるであろうからだ、女性を家族にしばりつけられないために合法的解決を具体化しまければいけない時期にきているのではないか。パチンコをしながら俺はそんなことを考えていた。ACの今後のためにも真面目に議論する必要があるのだ。
もしこのサイトをよんで共感するなら 書き込みをしてほしいものです。
<9> マフマルバフ ■2003年01月14日 火曜日 04時12分32秒
パチンコはマスターベーションである
 パチンコを打つ動機は最初はストレス解消であろうかと思います。しかし若い頃の私はパチンコなどまったく興味ありませんでした。職場のストレスが高じてくる
ことと 日曜日は一人でさびしくて どこかに出かけたい それがパチンコに向かったわけなのですが それをつづけるうちに 単なる娯楽が 強迫的になるにつれて いつのまにか性欲をかんじるようになってきました。バブルの崩壊時にパチンコホールは 完全なサービス産業化し女性店員があっとうてきにふえてきました 高卒後の就職先がないから アルバイトではいってくるのですね 15万円くらいの給料でしょうか? 若くて可愛い子が多いです。そして客層は独身が多い、あるいは性的不満を抱えた中年の男女 ホールにはいると一気に性欲が刺激されるのです
台の搬面に向かって百名以上の人たちが会話もなく黙々とマスターベエションをしている姿は 異様なものに見えてきます。結局は負けることがわかているはずなのに 不満が暴動に発展することもない。抑制のできるひとたちばかり ホールの端に立ってその光景をみると不気味なものです、性的不満を持つ主婦がもう少しきらくに大負けをしないで遊べるものに発展してゆけば パチンコは社会にとって重要な地位を占めることになるのではないかと思います。主婦を家に閉じ込めず外できらくにギャンブルさせることができれば 家からの解放にもつつながります。
低料金で遊べる主婦専用のパチンコホールの実現がのどまれる。これは小泉首相に直接手紙を出すだけの価値があると思うのですがどうでしょうか。
パチンコホールでマスターベーションしていれば 家族への不満も小さくなります。雇用の面でも広がりを期待できる。これを社会にどうアッピールしていくかが問題だ。あなたはどうおもいますか?
<8> 縷縷 ■2003年01月05日 日曜日 10時58分39秒
なんのためにお金を貯めるんだろう・・。バイトを頑張って続けて・・。親には内緒のバイト。別に言えないわけじゃないけど、親には収入がないことで、親からお金を取ってやろうって気持ちがある。

 今まで、ずっと「あんたには金がかかる!兄弟の中で一番の金喰い虫」と罵られ、それは、喘息の発作を起こしている私には、なんとも苦しい一言だった。それから、何かをしたい、と訴えても、お金がない!の一言。それから、私は自分がなくなった。何をするにもお金の計算。これくらいなら、親は許してくれるだろうか・・?

 だから、今、小さな弟にあなたが、簡単に望むものを与えているのをみると
私のなかの小さな自分が、嫉妬に狂って怒りをため込んでる。

 私には常にお金が関わってくる。取れるだけ奪い取ってやろう!!私の通帳をいまだに管理して・・。絶対に取り返してやる!!
 損得勘定しかない私の母。でも・・。私もあなたに似て、お金に囚われてる・・。嫌だ!!!!!・・・。お母さんなんか、嫌い。
<7> マフマルバフ ■2002年10月14日 月曜日 00時34分51秒
パチンコを打ち続ける女
孤独にパチンコを打ち続ける女を見ているとすさまじく現代人の孤独を表現しているようでいたたまれないものを感じる 人生に充分な金は持っているようだ 服の色も常に統一して髪も長い 女を捨てたわけではない(そんな雰囲気) 男はうんざりしている 結婚などしない 孤独に生き孤独に死のう ずーっとパチンコホールで人間観察をしてきた俺なりの感想だ こういう雰囲気が似合う女が出現してきている 孤独を選択してきた女は増えるだろう しっかり働いて金をためたうえでの選択だろう 40代で決断できることだろう 死はとうにみすえていると思う こういう人はギャンブル依存ではない 誰にも迷惑をかけていないからだ。 
<6> あゆたん ■2002年10月05日 土曜日 11時25分11秒
 お金・・金が無い。思い込み。不全家族は金に厳しい。何か欲しいといったら、否認。こうしたいといったら、否認。理由は金がかかる。金、かね、カネ。私が使おうとする・・・金が無い。そしてたどりついたのは私のために使う金はどこにも無い。手段が無い。抑圧されたほんとのあたし。欲しがるのはいけないこと。とにかく我慢。欲しがる事はいけないこと。私が欲しがってはダメ、無意識の抑圧。意識化に浮上。
 そして夫は月収15万の義母を扶養。私との結婚。私に使う金がないという思い。抑圧。負担掛けちゃいけない。お荷物になっちゃう。嫌われないように。私には今収入無いけど生活消耗品は独身時の貯金から。妊婦検診も貯金から。夫からは食費貰ってやりくり。後のお金はすべて貯金から、いつかは尽きる。それ程のたくわえじゃない。今はまだあるけど。夫に言う!月々貰おう、その他の支出分の予算を。さもなくば支出のたびにレシート見せてもらう!!
 偉い、えらいわ!あゆたん!すばらしいわ!あなたは問題を解決した!あなたがこの問題と向き合ったからよ!・・・大好き。。。
<5> マフマルバフ ■2002年08月28日 水曜日 00時38分02秒
ジロリの人
パチンコは嫌いではない 若干トーンは落ちますが誤解や風評を招くといけない 嫌いではありません その程度の娯楽です ボーッとしていくので危なそうな人の顔もジロリと見てしまう それが危ないと気づくのに時間がかかる ホールに入ると急に緊迫感が伝わるからでしょうか 私の顔が覚えられていることに気づかない
<4> マフマルバフ ■2002年08月22日 木曜日 00時33分31秒
風鈴のように涼やかなひと
何か調子に乗ってパチを打ちすぎた 言い訳はしません 止まりませんでした。娯楽でやっているのがそうでなくなってしまった してやられたり 何がファン感謝ディーだ金返せ泥棒いかさまアホー何が確立高設定だバカやろうーてなことで買い物をして帰ったら ホワイトソースとコーンクリームソースを間違えて買ってしまい 気づいたのは野菜を鍋に入れた後 カレーが出来てしまいましたが すぐに冷静になり今日の反省をした。すべては言うまい 何故こうなったのか私だけが知っている 私がアホでした。ボロ負けして目がさめた しばらく読書と明日へ向かって生産的な日々のための準備しよう。俺には明日がある あさってもある
<3> マフマルバフ ■2002年08月15日 木曜日 04時05分45秒
パチンコ論
私は自分のことを「パチアマ」と自覚してます 下手なんですね パチンコ台の上の盤面に対して打つ動機を何も見つけられません 動機がないから当りそうなものを経験則で打つだけのことです さて私は遊ぶことで多くの気づきを得たのですが
それを書く前に注意しておきますが GAの人で病的賭博の人はみないでください
パチンコで遊びたいと言う人も見ないほうが良いでしょう パチンコに嫌悪感を持つ人も見ないで下さい 嫉妬心の強い人も見ないほうが良いと思います
パチンコ論としましたがぱちんこに論理は無いと思います 賭博的詐欺商法ではないかと私は思います 何一つ遊べない私が遊びを見つけ楽しむことで孤独感が癒されていったことと仕事に対する前向きな姿勢がでてきたことです 「何故いきるのか」という命題が常に私にあり 遊ぶためにまず働くことが必要だ つまり「生きる」意味付けができたのです 日々が楽しく仕事も嫌なことは耐えられるようになっていき 人間関係は憶測で考えず事実主義で捉えるようになっていきました。
 
<2> パヴァロッティ ■2002年08月03日 土曜日 02時37分48秒
100円玉を川に捨てる友達
僕の小学生時代の友達にお金を川に捨てる子がいました。父親がアルコール依存でのちに離婚し父親は死にました。それは新聞で知ったのですが 当時どうしてお金を川に捨てるのか理解できなくて本人に聞くと「いいんや」と投げやりでした。この行動は寂しさを表現したものと思います。そうせずにいられなかったのでしょう。自分を大切にできない行動としては最悪のことをしていると思います 彼は後に自己崩壊のほうへ進みましたが 自己を大切にできないということは私も同じなのです。私は職場の同僚と飲みに行っておごることで金の浪費をしました。金の貯蓄をしてたまるか 俺は駄目な人間になってやる 親を喜ばせるようなことは絶対にしないぞ そういう思考に走りました。その背景は寂しさと恨みですね 結局自分が金欠で苦しむのですが 仕返しをしたと思うのはどういう真理なのでしょうか
自己破壊したいと言う意識はこのころからあったように思うのです。

私のこの表現はお金がないと表現出来ないことです。いつだったかお金がなくなったときお金がないということよりも表現出来ないことが憐れな自分にみえました。

これから先はまだあるのですが パチンコの体験を通した形で自分の問題をどのように克服してきたのか書きまとめてみたいですね。よろしく。
<1> 蔦吉 ■2002年07月20日 土曜日 11時42分23秒
たしか小学校3、4年の頃だったか。妹と2人、父に連れられて遊園地へ遊びに行ったことがある。
どんな乗り物でも好きなだけ乗れる1日フリーパスというやつに、片手の甲に日付スタンプを押してもらったのだったか、さだかではないのだけれど。まあともかく乗り物乗り放題ってことで、私と妹ははしゃいであれこれ遊園地の乗り物に乗りまくって遊んだ。

そうして車で家に帰りついてからだった。
「お前らの目ェ見とってなぁ、お父さん、ゾッとしたわい!」
いきなりそう言って怒り出した父に、私と妹はびっくりした。
「○○ランド(遊園地の名)でのお前らの目はなぁ、競馬場や競艇場でギラギラ熱に浮かされとるヤクザの目じゃ! お父さん、恐ろしくなったわい!」

何の前触れもなく、その「賭博場のヤクザの目」という言葉で唐突に罵倒されたのだから、泣くとか落ち込むというよりはただびっくりして。説教というよりは意味不明の罵倒という感じでひとしきり怒られて、憮然としたままその日は床に就いたことを憶えている。

そのヤクザの目云々はそれ以来家族の中で蒸し返されることもなかったのだけど、今から振り返ってみると、あの時の父の普通じゃない怒り方の中には、子供に対する説教というよりは神経症者の恐怖のようなものがあった気がするのだ。
すなわち、コントロールを失うということに対しての。

父はいわゆる援助職というやつに当たる公務員で、よく…ほぼ毎日のように、仕事で出会う非行少年や情緒問題を抱えた子供、そうしてそのような子供のいる、たいがいはアル中だの借金だの蒸発だの精神病だのといった「あからさまな問題」のある機能不全家庭に対する愚痴とも悪口のガス抜きともつかない話を夕食の席でまくし立てた。それは私が物心ついたときから繰り返されていた夕食の食卓の風景だったので、うちの家族の食卓とは「そういうものなのだろう」としか思いもしなくなっていて、たいして気にも止めていなかった。

ギャンブルの借金だのサラ金に手を出して一家離散だの、あるいは生活保護を受けながらの「今時そんな…」という感じの、まともな電気・ガス・水道もないような住宅での貧窮した暮しだの、ほぼ必ずといっていいほどお金にまつわる困難がついて回るそういったあからさまな機能不全家庭と、今現在自分がそうやって得意げに話しながら夕食を食べているこのどこから見ても健全な「わが家」と。常にひき比べて、「わが家」こそはそういった教養の低い、うまく立ち回れない愚かな怠け者どもの家とはちがって、お金に何不自由しないとはいかなくても社会的に後ろ指をさされることもなくうまく立ち回ることができている「健全な家庭」なのだ、と必死に再確認しているようだった。今振り返ってみると。

そしてそのことは私に「わが家って健全な家庭なんだ、ありがたい」というよりは、社会とはつねに、とくに金銭的な面においてそうやって戦々恐々としながらうまく要領良く立ち回っていないと、ブクブクと水に溺れるようにそういった「落伍者」たちの列へと沈んでいって「たいへんなことが待っている」場所なのだという考えを強く植えつけたように思う。

遊園地で浮かれた「賭場のヤクザのような目」こそは父や母が必死で「わが家」から排除しようとした、「コントロールを失ってたいへんなことになる兆し」だったのだろう。そうして私は、とくに金銭において「コントロールを失うこと」を漠然と怖れて育ち、成人してはじめて「好きなように使えるお金」を手にしても、それをどういうふうにして楽しんだらいいのか、どのあたりまでちゃんと蓄えを残しておけば絶対といわずともまあまあ安心なのか、ということについて長い間まったく「これでいい」という確信が持てず、お金に関して極端に禁欲的か極端に無計画かの両極端を行ったり来たりしていた。

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This script written by Shintaro Wakayama.