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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.46
メッセージ数:920件

<920> あい ■2009年03月15日 日曜日 02時16分05秒
高校生の頃、姉がピザが美味しいお店あるら、食べようって行ってくれた
学校の帰り、私はその店に入り、姉を待った
姉は何度も来ているようで、ピザ初体験の私に食べ方を教えた

タバスコが辛いからって、かけるのにすごく勇気がいった
なかなか決まらないから、姉が決めてくれ、少し小さめの薄いピザ食べた
こんなしゃれた店、高校生の私にはこれないから、嬉しいけど、緊張した

哀しかった、何も話さなかった、姉は元気そうに話をしようとした
また、一緒に来ようねって、言ってくれた。軽く頭を下げた

私は1人で、何度もそれから、そこへ行った
1人で窓にすわり、外の景色を眺めながら、少しくらい店内で
姉が誘ってくれた時の事を思い出し いつも1人で外食だった
<919> あい ■2009年03月15日 日曜日 02時00分49秒
家の隣のブロックにある家族がいて、そこには中学生のお兄さんが二人いた
海のすぐ傍の家で、なんだかあこがれた、玄関の隣に車庫があり自動車が止まっていた。私は小学生だった。

なぜだろうか、何時知り合ったのか、でも時々、その家に用事で行った
その憧れの家の素敵に見えた、お兄ちゃんが新しく自転車を買ったんだ
後ろの座席に私を乗せて、私はその人にしがみつき、まるで、
バイクの二人乗りみたいだった。その頃自転車はまだ、もっている人がすくなかった。その初乗りに、きっと嬉しくってならなくって、私をのせてくれだんだろうな。

すごいだろーって、目を輝かせて興奮して、乗せてくれた。
ビューんびゅん飛ばすから、すげーーとか、私は思った。
これっきりだった。もう一度あの自転車乗りたかったな。
<918> あい ■2009年03月15日 日曜日 01時44分33秒
兄は二歳上だった、弟は3つ下だ、三人で家の中でかくれんぼをする
すごーく狭いからね。隠れる場所なんてすぐ見つかってしまうのをわかっているのに、見つかるとわくわくと、嬉しくなる。だから、短いかくれんぼを何度もするはめになる そしていつか、兄が中学になるころ、それはなくなる

兄弟三人で、家の鴨居のどこら辺まで届くかと、競争する
兄は学校一の背丈、わたしも負けてない、でも弟はクラスで一番前
だから、すねてすねて、泣く、わめく、最後はあきらめる
我侭な私は、兄にねだって肩車をしてもらい、一番高いところまで、
手を伸ばす。やったー一番だって言う。

みんなで力を合わせて、高い天井に届くように工夫したのに、一度も届いたことはない 兄は中学生だった、私はまだ高学年だった頃。
そので、楽しい時間は終わった。それで、おしまい幕は下りた。
<917> あい ■2009年03月15日 日曜日 01時33分59秒
朝寝床の中から、おばあちゃんが台所で火でご飯を炊く音が聞こえてくる
大根を切る音も、それはゆっくりゆっくり、丁寧にまな板の音が聞こえる
私は、起きてきて須玖に、台所へ直行だ。灯油で炊くご飯、その前に腰をまげて、板間に坐っているおばあちゃん

私はその隣に座り、何つくってるのって、聞いたりする
丁寧に、こんな風につくりんだよって、火はこうしてねとか、私に説明してくれる。何も手伝うことはないのに、ただ見ているだけなのに

その時間がうれしくってならない。台所はおばあちゃんのお城
そこに行けば、何でも美味しい食べ物が出てくる。
朝ご飯を食べる私の太ももを老いたしわでがさがさの手のひらでなでる
大きいね、あんたの足は太いね、優しい笑顔でいつもするんだ

ほんの少しの朝の二人だけの秘密の時間、私だけの母と子の時間
身体から発する匂いが、哀しいくらい懐かしく私を包み込み
哀しいくらい、その声は耳に心地よく入りこみ、今もなくならない
<916> あい ■2009年03月15日 日曜日 01時25分11秒
台風が来ると、わくわく、学校が休みになりますようにと祈る
夜停電しているのに、暇だからテレビつけようといった私を家族が笑った
ろうそくを何本も立てていく、皿とか、缶詰空き缶とかに、
台所のテーブルの上に置いたろうそくは、私の暇つぶしの相手
20cmくらいもある長い太り奴に、火をつけ、時間とともにゆっくりと溶けていくのを見る できるだけ長く持たせたいから、溶けて固まった蝋をまた、上にもどしたりする 
でもそのうち、だんだん、すべてのろうが溶けてしまい・・・
救えなくなるんだ・・子供の手では消えていく火を助けられない
だんだん、力を失くし、弱っていく火を最後まで見送る
それが、哀しくってならない、でも自分が火をつけたんだから、
最後まで見る。そしてすべて、固まる。
翌日は、ゴミになり捨てるんだ。 ありがとう、楽しい時間だったよ
<915> あい ■2009年03月15日 日曜日 01時16分33秒
家の近くに新しい中学校が建ち、校舎の工事中のセメントの外階段で
1人で、遠くの空を見上げていた。小学校6年でその春に入学する学校だ
いやに、まぶしい光で目を開けていられないくらいだ。それは、校舎が真っ白いペンキを塗られていたからかもしれない。その時見えた春の空がとても
綺麗でなぜか今でも、忘れられない。
これから来る、新しい中学校生活に不安も期待も一杯あった
入学後、その場所に座ったことは一度もなかった
そのまま卒業した。入る前と出た後は、まったく違った建物に見えた
3年間で私は、変わったからだ
<914> あい ■2009年03月15日 日曜日 00時51分31秒
子供の頃、スキだったのは、雨にぬれること
小雨が降り、学校の帰りに、傘は抱えたまま走る
それが、シャワーみたいで顔上げて、濡れた、楽しい時間

家に着くまで、小学生の足で1時間以上もかかるから、長いその道のりが
楽しくってしょうがない。お菓子食べるのもわくわくだった

入道雲は遠くの山の上に、毎日見えたような気がする
夏休み、私は一人で屋上の水タンクの上にねっころがり
雲と蒼い蒼い空をみている 何時間でも見ている

屋上は広く、あっちこっち上ったり降りたり、屋根伝いに冒険したり
歌が歌いたいから、夜大きな声でその水タンクの上で、寝て歌う
姉が競争しようといったから、連続で歌える歌がなくなるまで、しりとりみたいにするんだ。姉は、200曲もう歌っただろうか、私は姉の暗記力に関心した

頭いい人だったな・・・大好きな人だった。今大人になり、一緒に話をして楽しい親族はその姉だけ。手紙のやり取りをして・・・姉はいつも待っている
あの時のままの、二人の関係。二人とも寂しかったから・・・

だから、姉は私を分かってくれる人・・
幼い頃の思い出の中で、輝く一時はたくさんあったのに、
いつのまにか、すべてを忘れてしまう・・・宝物は手の中に今でも
一杯持っているだからね。忘れないで・・

<913> マフマルバフ改めマルゴムX ■2009年01月31日 土曜日 21時48分41秒
総合病院

どうしても怪我や病気で病院に行かねばならないことがある。
医者不信の強い私としては病院の沿革なりをみて取捨選択をして受診しているのだが設立当初の理念は消えて儲け一辺倒の病院経営になりさがっているところは多い。
近代化・大規模化の過程で理念は消えていくものと思われる。
特に○○会とかいって経営の大規模化に邁進しているところには絶対に行かない。
しかし現実はこういう大病院に頼る患者は多い。
今回やむを得ず近所の総合病院に行ったが経営理念は消えたかに思っていた病院は外来が極端に少数で寂しいものであった。
経営の合理化はあらゆる病院に共通したものだが医者の質がすこぶる向上していた。
きちんと診てくれる。・・・・・患者が少ないってのもあるかもしんないね。
院長は御立派だと思う。
各医者が少なくとも患者の立場をご理解してくれることにありがたさを感じる。
私は「ありがとうございます」ぐらいは言うようにしているが時々わすれる。それは細かいところに配慮ができて今時こんな医者はいないけどなぁ。と感じ入っていて忘れるのである。
それほど医者の人格の荒廃はすさまじいからである。
<912> マフマルバフ改めマルゴムX ■2009年01月28日 水曜日 21時37分05秒
ついていない連続

まぁこういうことは誰もが体験することで自分だけついていないというものでもないと思う。
しかし、不運はつきまとう。私の場合病気・怪我ですけどね。
これでもか、というぐらい悪いタイミングでやってくる。何度もそういう体験をしていると「くそーこんなところでくたばってたまるかい!」とファイトさえでてきたりする。反面どうかするとマイナスに捉われて自分を責めさいなんでしまう面もあるのも事実、ここはどちらを選択するかの問題だ。
病気といっても不治の病というわけでもないし若くして亡くなる方も居る。ニュースをみていると年金ももらえずに亡くなる方が意外と多い。つまり五十歳台で亡くなる方が多いという印象が私にはあります。
私の身近な例でも50代は多いですね。50代だと遺族以外はへー早かったな。というくらいの印象です。
40代だとやはり驚きが多い。それ以下だとある種ショックがともないますね。
死と言うもののあるイメージが私にあるせいだろうと思います。

北野 謙氏の写真 our face (週金・733号・1/9)はある種、私にショックを与えた写真でもあります。
人物を重ねてひとつの被写体を産みだす、この一人一人の個性は消え新しくイメージが生み出されるということは確かに不気味なのかもしれません。しかし不特定多数の人物ではなく服装が同じ、性別が統一されている。という制約を考えると土地や社会を背景に撮影したものに何か意味があるように思います。
意味とはこの写真に何かしらの死生観がともなうような気がするのです。
それをきちんと説明する能力は現在の私は持ち合わせておりません。
<911> マフマルバフ ■2009年01月04日 日曜日 09時52分26秒
一枚の絵

画廊の催しは毎月閲覧しているのですが余裕のないときは細部までみていません。
だいたい私が休日などに通る道すがらにある画廊をみているだけで、画廊の存在すら気づかないときがあるくらいですが、ある日ふとガラス越しにみた一枚の絵に心が奪われるときがあります。だいたい風景画に多いのですが昨年も心に残る絵画に出会いました。
値段は135万円でした。
絵画の値段というものが私にはわからないのですが、遜色のない出来栄えの絵画ではないかと思いました。
地中海に面したイタリア南部の島に立錐の余地のないほど建物がびっしり埋まっており中央に白い教会が目立ちました。緻密に書き込まれた絵でただ季節を反映する樹木のようなものはなく光の強さから真夏であろうと思いました。
このような絵にみとれることで時間も忘れてしまいます。
その絵にはそこに暮らす人たちの長い歴史的、生活史的営みが見えてくるようでまさにその地の魂が書き込まれているかにみえました。

そこで私はふと思ったのですが日本人が風景画を描く場合たいがいヨーロッパに限られるようです。それは長い歴史が刻みつけた風景が絵画の対象としてどうしても魅力があるからだろうと思います。そこに魂が感じられるからではないでしょうか。

その点アメリカ大陸の風景画ほど似合わないものはないことにも思い及ばずにいられません。ヨーロッパのようでいてヨーロッパではないし歴史的に略奪され血塗られた残虐な土地の歴史しか浮かんでこないのは歴史を知らない人でも絵画を描こうとするとその風景や土地に魂をみることはできないからではないでしょうか?
われわれがかの地の風景を知る場合たいがいイラストか写真でしかありません。
グランドキャニオンに白人や黒人を描きこんで何がイメージされるでしょうか?
そこには虐殺されもうこの世にはいない、その土地の持ち主である先住民こそ似合うのではないでしょうか?

アフリカ大陸の風景の中に白人を描き込むようなものです。

南米の写真家だったかが写真と絵画に区別はないかのように言っておりましたが、私は絵画と写真は違うものだと思います。
彼は写真をコラージュして作品を創るのでそのようなことをいうのだと思いますが自らの蔭を見ていないことに気づいていないのだろうと思います。
写真をコラージュして表現するしか方法がない。直視すれば風景や土地になじまないものしか描けない。
オーストラリアのアボリジニの絵画は評価されるけれどもオーストラリアの風景画がかけないことはそのようなことが反映しているのだろうと思います。

そこに写真と絵画の違いがあるのだと私は思います。
<910> 玲 ■2008年12月18日 木曜日 06時30分06秒
 あなたとあなたの御両親は、私が病気であることを非難しました。
私がどれくらいつらく、悔しい気持ちになったか、わかりますか?
でも、今、私は幸せです。
あなたを愛していたことなんて、どうでもいいと思えるほど、私の気持ちは回復したし、幸せな毎日を送っています。
あなたにできた、最初で最後の復讐です。
 
<909> 美月 ■2008年12月14日 日曜日 00時07分00秒

※FB注意

健康な人は羨しい
健康な体は美しい

生きてるのは素晴らしい

だけど…
私のこの痛み
激痛…医者も無力だった激痛…

不自由な体…

治る為の努力じゃなく
死ぬ努力した方が
マシみたいに思う…

だけど…
この不自由な体で…

楽に死ねる方法探すのも大変で苦痛…

てか ない…

苦痛伴わずに死ぬのも大変だ…

どうしたら痛みから逃れられる
一瞬でもいい

<908> マフマルバフ ■2008年12月13日 土曜日 16時16分57秒
「バラを殺さないでくれ」

パレスチナ難民キャンプ アリ氏の叫び 写真・文 鈴木英乙
・・・・以下引用。
「何のための戦争なんだ?どうか誰も殺さないでくれ。子供たちを殺さないでくれ!」・・・薄暗いテントの中で老人はウィスキーを呷りながら叫んだ。
昨年5月下旬から約三ヶ月にわたりレバノンのトリポリ北方に位置するナハルエルバレド・パレスチナ難民キャンプでイスラム武装組織ファタハ・イスラームとレバノン政府軍の激しい戦闘が行われた。民間人を含む400人以上が殺害された・・・・住民の多くは近隣のバダウィ・キャンプへ避難した。戦闘終結から1年以上が経過した今も同キャンプでの避難生活が続いている。
家族とともに戦火を逃れたアリ・エレズィー氏(62)もその一人だ。現在は家族と離れダンボールとビニールシートを繋ぎ合わせたテントに一人で暮らしている。・・・ナハルエルバレド・キャンプに帰れる見込みはたっていない。
アリ氏がそんな状況に置かれるのはこれが初めてではない。・・・彼の人生は絶えず奪われ破壊されてきたと言っていい。
1948年のイスラエル建国以来アリ氏戦争に追われるように難民キャンプを転々としてきた。肉親を殺され拷問を受け家族と一緒に暮らしていた家も営んでいた商店も破壊された。年老いた今彼に残されたのは小さなテントひとつだ。
「私は全ての人間を愛している。このキャンプの皆もレバノン人もユダヤ人も日本人も皆を愛しているんだ。私をこんな目に遭わせた連中が憎くないのかって?そんなわけがない。だって彼らも親や兄弟や妻がいる.同じ人間なのだから」
「私は悪いムスリムだよ」と苦笑した。イスラムの戒律を破り始終酒を飲んでいるからだ。
「私にはこうやって住む家も食べ物も大勢の友達もいる。私は皆を愛しみんなも私を愛してくれる。神に感謝している」アリ氏は目を細めた。

『神は人を善に作られた。悪い人間はいるかもしれない。でも完全な悪人なんていないんだ。人は美しいバラのようなものだ。どうかバラを殺さないでくれ!どうかバラを殺さないでくれ!』虚空に浮かぶ底なしの闇を睨みつけるようにアリ氏は叫び続けた。

・・・・・一人の名もなき老人の中にこそかつ目すべき真実が宿っているとしたら大げさだろうか。絶望と愛情に溢れた男の言葉はそれゆえ圧倒的な力をもって私たちに語り問いかける。「何のための戦争なんだ?」と。

情報に溢れた中で自分を見失い無関心が深く覆っている日本に中東の底なし沼のような深刻な問題を追われた側の視点でわかりやすく伝えてくれる人がいないものかと私は思っていたがこの鈴木英乙というフォトジャーナリストの写真と記事をみて私は感動した。読み過ごすことはできないし、人の心を動かさずにはおかないだろう。こういうことを出来る人が日本にいるんだなぁと。
これは週刊金曜日の12月5日 730号 40pに掲載されています。
<907> マフマルバフ ■2008年11月30日 日曜日 11時41分31秒
「ネグられた側の論理」

「花はどこへ行った」を二度投稿しているのは私の送信ミスです、どうもすいません。
ところで私がPTSDに拘るのは私が性的虐待を受けたわけではありません。
・ ・・と断っておかないと ミーハーの女はことごとく誤解をするからである。誤解するならまだしもあらぬ噂話までするからである。ルールを守れ!と言う奴に限ってこのルール破りをしていることに男は気づきなさいよ。

被害と言う面では女の方が複合的に受けやすい事情からきている事もわからないわけではないが。
んなこたぁともかく。だいたい自分がネグられてきたという事すら気づいていないまま悩んでいる人が結構多いからこういう発言をしているのですが、ネグられるということは症状が重く出てくるケースがあるのです。家族内においては日常化しているだけに当人にも見つけにくいところがあります。
オレのように良い友達に恵まれてきた者には各家族の比較が容易なだけに“おかしい”と思えるようになるんやね。
良い友達がいないとこれはずっとわからないことかも知れない。

症状的にはPTSDがもっとも私にあてはまる。
だからPTSDの概念がもっと多様に理解されることが望ましいと思っているのですよ。
しかしそんなことがわかる精神科医はおらん。

明治以来近代化を進めて今年で140年を経たが近代化は人びとの欲望を多様化してきたが苦悩もまた多様に深刻化しているのであるが、このことに関してはまた別に書きたい。

まぁオレは俺なりに理解がすすんで苦悩は減少してきているがそれは嫌な思い出の侵入がほとんどなくなってきたからでもある。
ふと過去が頭の中を駆け巡ることもないし、どうしてそうなるのかということのメカニズムも自分なりにわかってきた。

これから先オレは日本の半島のどこかで過ごしたいと思っている。半島は山中でも海に近いし川もある。そして死ぬときは土に帰ればいいじゃないか。
・ ・・・と。死ぬこと事体は自己決定権でもあるのだがそれはまだ先のことだ。
先のことなのに今ふと夢に出てきたり隠れ家でまじめに考えたりしてしまうことがある。
こういうときはやはり心身面で萎えていることが多い。
この問題はオレの場合睡眠の不足と健康に不安がよぎったりするときである。今怪我をしているのだが連鎖的にあちこち痛むとそれは初めてのことでもあり対応ができなくてパニクルんやね。
<906> マフマルバフ ■2008年11月24日 月曜日 16時05分21秒
映画「花はどこへ行った」をみて

この映画は封切りと同時に観にいった。
私が関心をもつベトナム戦争でばら撒かれた「オレンジ剤」枯葉剤の後遺症を取り上げているからだ。
アメリカは人体に深刻な影響をもたらすダイオキシンを大量に含む枯れ葉剤やいかに人体に苦痛を与えて殺すかというようなありとあらゆる残虐兵器を開発してベトナム戦争で使用しています。
 イラク戦争と同じなのですがベトナムにある地下資源であるタングステンや錫(スズ)を奪い取ることが本当の目的であることをこの映画をみればわかるでしょう。
枯葉剤は1962年頃から1971年位までの長期間にわたってばら撒かれているようです。
アメリカはケネディ・ジョンソン(民主党)・ニクソン(共和党)という時代です。
この国の外交姿勢が昔も今もまったく変わっていないことがお分かりだろうと思います。
ですからアフリカなどの資源のある国には必ずアメリカ・イギリス・フランスなどが介入しています。
 それに対抗する政治力をつけてきたのがラテンアメリカということになるでしょうか。
アフリカの民族抗争は複雑ですが大量の武器が資源と引きかえに流れ込んでいるのでひとたび抗争となると多くの人びとが虐殺されてしまい最悪の事態をまねいています。

今後金融危機が長引くとこれらの国々でまたもやアメリカは武力介入して戦争で儲けを得ようとするであろうと思います。

ダイオキシンが核兵器に変わっているだけにさらに深刻な問題をアメリカは人類にもたらすのではないか。
オバマが大統領になっても外交面でなにも変化はおきないでしょう。

そのようなことがよく分かる映画が「花はどこへ行った」です。
ぜひ見てもらいたい映画です。
<905> マフマルバフ ■2008年11月24日 月曜日 16時02分28秒
映画「花はどこへ行った」をみて
この映画は封切りと同時に観にいった。
私が関心をもつベトナム戦争でばら撒かれた「オレンジ剤」枯葉剤の後遺症を取り上げているからだ。
アメリカは人体に深刻な影響をもたらすダイオキシンを大量に含む枯れ葉剤やいかに人体に苦痛を与えて殺すかというようなありとあらゆる残虐兵器を開発してベトナム戦争で使用しています。
 イラク戦争と同じなのですがベトナムにある地下資源であるタングステンや錫(スズ)を奪い取ることが本当の目的であることをこの映画をみればわかるでしょう。
枯葉剤は1962年頃から1971年位までの長期間にわたってばら撒かれているようです。
アメリカはケネディ・ジョンソン(民主党)・ニクソン(共和党)という時代です。
この国の外交姿勢が昔も今もまったく変わっていないことがお分かりだろうと思います。
ですからアフリカなどの資源のある国には必ずアメリカ・イギリス・フランスなどが介入しています。
 それに対抗する政治力をつけてきたのがラテンアメリカということになるでしょうか。
アフリカの民族抗争は複雑ですが大量の武器が資源と引きかえに流れ込んでいるのでひとたび抗争となると多くの人びとが虐殺されてしまい最悪の事態をまねいています。

今後金融危機が長引くとこれらの国々でまたもやアメリカは武力介入して戦争で儲けを得ようとするであろうと思います。

ダイオキシンが核兵器に変わっているだけにさらに深刻な問題をアメリカは人類にもたらすのではないか。
オバマが大統領になっても外交面でなにも変化はおきないでしょう。

そのようなことがよく分かる映画が「花はどこへ行った」です。
ぜひ見てもらいたい映画です。そのようなことがよく分かる映画が「花はどこへ行った」です。
<904> みゅー ■2008年11月13日 木曜日 23時55分04秒
鏡を見る。すっぴんで見ると明らかに、きっとたぶん絶対、あたしはお母さんに似てる。整形したくても、お金はないしメンテナンスも大変だろうし、お金もそのつど、かかるだろうから、だから鏡に向かって化粧して、ファンでも厚塗り。仮面かよろいをつけるかのごとく、たとえ「ぴきっ」って、ファンでにヒビ入ったとしても、それでもアラと肌の色を隠す。
アイメイクも濃く塗る。まつげもしっかりと。で、ないと違う自分に、違う顔の自分に変えられないから。
出来上がった「顔」は、「一応外に出れる顔」でも、それでもコンプレックスはある。でも、下向いてばっかで歩くと帰って目立つから、背筋を無理やり伸ばして、人ごみの中でも「空気の中に溶けてしまうように」歩く。

鏡に映った「外見」「顔」は「別人」に変身できても、すっぴんだろうが「作った顔」だろうが、中身は結局変わんない。「鏡の中」の「こころの姿」は変わらない。いつか顔も知らない人に言われた。「媚びてどうすんの?!」。ショックだった。でもまったくもって、その通りで。あたしは、誰にでも媚びへつらって、ごますって、そうしないと生きていけない。そうしないと外では生きられない。渡り合っていけないんだ。それが、あたしの外で生きる「サバイバル方法」であって、悲しいし虚しいけど、そうでなきゃ生きてけないし、くってけないし。それに唯一、どうしたって、お母さんと同じなのは「それ」なんだもん。お母さんもそうして生きるしかなかったし。あたしも幸か不幸か、それだけは「ごますり」「媚びへつらい」「自分を殺す」「自分の事は気にするけど、相手のことは『あ〜。この人はこういう人なんだな』で済んじゃう」。

だから、あたしはいくら「鏡の前」で、「姿」「外見」は変えられても、「媚びまくる」「ガマンする」そういうことは変えられない。
いつか、見知らぬあなたが言ったことは的を得てるんです。傷ついたけど、でも傷ついたってことは、「図星」なんです。いろんな人に、ごめんなさい。

さて、これからどうやって生きていくかだ。あたしは、バイトが、もし受かったとしてもたかだか年末年始の「短期バイト」だ。それから、どうするか。
もともと、売り子で食って区つもりは変わらないんだ。鏡を見て今よりもっと厚化粧する。でも「『こころの鏡』は変わらない」。同僚にも、お客様にも媚
売って、自分を創って、ごますりまくって。それは変わらない。だったら、もう先生に反対されようが、そっちに行くしかないじゃないか。
「家」から逃れるためにも、食ってくためにも。「金融危機」なんだから、少しは「生活に殺気だってる」ぐらいの気迫持っていくしかないじゃないか。

「もう、充分遊びつくしたでしょ。マザコンの嘘つきの不感症さん。それが、あたしの生きてきた行き方だし、そのままでいくしかないんじゃないの?それが、大人になるってもんよ。またタバコ吸えばいいじゃん。お酒も遠慮なく飲める体なんだしさっ」「不感症ねぇ・・・。この病気の特徴だね。セクハラで飲み会とかで、乳もまれようが、痴漢でケツもまれようがなんとも感じなかったもんね。ミニスカはいてたときだけ、『パンツづりおろされたら困るよ!』ぐらいしか思わなかったし・・・」「オトコとは一生縁がないし、そういうこと許されないんだ。親もあたし自信もね。それに、そういうことあるたびに『あたしが悪いから。あたしが悪いんだ。』そう思ってるだけだったもんね。」「それを言うなら、やっぱり媚び売る事が、どれだけ人を不快にして、むかつかせるか、それをどうするかでしょ。」「無理でしょ。あたしの今までの『サバイバル方法』がそうすることでしか、なかったし。社会じゃ群れるとかそういうの、避けらんないし、どのみち媚びてほめて、ある意味、人だます商売で食ってくんだから。媚びて、ごますりつづけるしかないでしょ。」「あたしは、もう子供じゃないんだ。たとえ嫌われても、媚び続けて自分を殺して、自分を責めて生きてくしかないね。」「でも、あの人は、本当に的をえてたよ。人を見る目がちゃんとあって、自分を持ってるっていうか・・・。イタかったけど、『本心』『図星』つかれて、まぁ『テキーラ』貫いてくしかないってことは、改めて見直せたね。」「あ〜、昨日の『嘘と本音とテキーラ』だったっけ・・・。面白かったけど、せつなかった。あれが今の大人の姿の大半を表してるとしたら、あたしにとっては救いかな・・・。みんな『テキーラ』。あたしも生まれた時から、化粧をし終わって、『テキーラ』。それで生きていく。ひとりで平気。ひとりでなんでも『テキーラ』して・・・。それで、気楽なら『テキーラ』。平和じゃないの」「あたし、ずっと『テキーラ』で、生きてきたんだよね。生まれながらの、自分自身に詐欺師。」
<903> マフマルバフ ■2008年10月30日 木曜日 00時14分53秒
※ 注意、フラッシュバックの症状のある方は読まないようにしてください。

最近忙しいのかよくわからないけど雑誌も読まなくなっているのでこれはいかんナと「世界」08年9月号を図書館で借りてパラパラと読んでみた。
私はよく言われるアメリカ精神医学が認めるベトナム帰還兵の後遺症の治療を通して精神的外傷後ストレス障害(いわゆるPTSD)の概念にずっと疑問をもち続けてきた立場の者です。
私には一般にいわれるPTSDがアメリカだけの側面しかもたないことが疑問でした。すでに書いたことですが戦勝国で被害者のベトナム側にこそもっと深刻なPTSDがあると思うのですがこの被害者の立場を無視していることにアメリカの視点の欠落があると思うのですがこういう立場に立った意見を聞いたことがなかったのです。

今回たまたま読んだ野田正彰氏の「虜囚の記憶を贈る」第12回P312の記事を読んで納得のいくものがあった。
日本軍の中国侵略に際しての海南島の慰安婦の現在の精神的外傷について触れている。

まず症状について、持続するウツ状態、離人症、無気力、極度の易疲労性、集中困難、繰り返し現れる強制収容所の悪夢、悪夢にうなされての覚醒、侵入してくる恐ろしい体験、つきまとう悲哀感、殺された家族への自責、生きていることの虚しさ、感情鈍磨、結婚生活での障害・・・・。
まぁ私には戦争被害体験はないのですがだからこそ読めたのかもしれません。

ちょっと引用します。

「そもそも第二次世界大戦後まで、破局体験からしばらくして危機がなくなったにもかかわらず、新たな精神状態が出現持続するという認識は精神医学会に無かった。ところが1993年、西ドイツで(ナチス迫害犠牲者に対する損害賠償(BEG)が施行され、西ドイツの犠牲者の鑑定に直面した。BEGの第二十八条第一項には。非迫害者がその身体あるいは健康上少なからぬ損害を被っていた場合その損害賠償を申し立てることができる。その場合身体あるいは健康上の被害と迫害との因果関係は蓋然性が認められれば充分である・・・・・)・・・精神鑑定にあたる指導的精神科医は多かれ少なかれナチスの協力者でありドイツ精神医学は総体としてナチスの同伴者であった。決して医学の戦争責任について反省しようとしていなかった。そんな彼らが不用意に面接した強制集所からの生存者たちは慢性のうつ病としか考えられない状態をもっていた。・・・・・・・疾病か反応か。この精神鑑定にたずさわったミュンヘン大学のクルト・コレ教授は重要な論文を残した。「精神医学からみたナチ迫害の犠牲者」1958年。(ドイツ精神病理学の戦後史・・強制収容所体験と戦後補償・現代書館、2002年に翻訳収録されている)において考え抜いて28人を「慢性うつ病」と診断している。彼は「症状はどれも個々の独立した別々の人格をもち、歴史の危険性に対して力強く警鐘を鳴らしているのであるから、本来なら一例ごとに異なった精神医学的診断が与えられてもよい、とする見方もあろう」と述べ、「精神医学とは広義の社会科学の一科目」と言い切っている。だがコレ教授の反省は生かされずその後ドイツの精神医学会の関心は乏しかった。ましてや侵略戦争の認識をもたなかった日本の精神医学者が、生き残った者の持続する苦痛に関心を寄せることは無かった。それから永い無関心の年月が過ぎた、1980年になって今度はアメリカ精神医学会がベトナム戦争復員兵の後遺症の治療を通して・・・・・・だがこの概念は精神的外傷を一般名詞化し、しかも比較的短期間の出来事に視点を置いている、現代都市社会での・・・長期間にわたる家族内での・・を、同一に扱うのは無理がある。ましてやベトナム戦争後遺症候群とナチスの強制収容所行為症候群や日本軍の性暴力後の精神障害を同一に扱えはしない。それぞれが歴史性をもっている。個別の歴史的、社会的分析と、症状論的な共通性を分けて考察しなければならない。コレ教授と同じく、私も多くの日本軍性暴力を診断してきて「本来なら一例ごとに異なった精神医学的診断が与えられてもよい」と考えている。私たちは彼女達一人一人の歴史と人格を聞く責任があるのではないだろうか。・・・・・・・・とりわけ社会の対応が違えばその後の苦悩もかなり変わってくる事を知れば、加害国が謝罪しないことの・・・・」。

長く引用してすいません。私が常日頃思っていることが実践的な立場にいる人によって書かれているので感動しました。
まぁこんなこと知っている人や気づいている人には大したことないのでしょうが知らない人が大勢いるということを察してください。

それから同号の「スーダン情勢の構造と自衛隊派遣問題・・・・栗田禎子先生」の記事もアフリカ諸国の苦悩の深さについて分かりやすく書かれています。
<902> 秋 ■2008年10月26日 日曜日 02時22分33秒
会いたいな。
会いたいな。
あのころの私に、あのころのあなたに。
空想も妄想もしてないのに、夢の中にだけ現れて
混乱されて、私を喜ばさないで。

もうおばさんの私だから、その夢を見るたび白髪が増えてるような。。
<901> みゅー ■2008年10月22日 水曜日 19時41分07秒
この前、「ぷりペイド」のケータイの方に突然電話がかかってきた。まだ、料金残ってて使えるから、電源つけてる。「非通知設定」で、いつまでも鳴ってるから、出た。「もしもし?」って、あたしが言ったら受話器から、あたしのまぬけ〜な「もしもし?」って声が響いてきた。「なんじゃこりゃ?」と思って、も一回「もしもし?」言ったら、あたしのまぬけ声と雑音と一緒に、「結婚しないの?」って、男の声が聞こえた。あたし「え?」だか「へ?」だか、いったら、子供っぽいあたしの声が響いてきた。一瞬これが「あたしの本性」「ちゃいるでぃしゅなあたしそのもの」だなって、思った。鏡みたいに響く、あたしのまぬけ声のあと「結婚して」ってきた。あたし、一瞬「誰じゃ?」と思ったけど、「え・・・、よく聞こえない・・・」って答えたけど。その響いてきた自分の声が、もう間が抜けてるのなんのって。「うわ〜、やっぱ自分の声嫌いだわ〜」って思ってたら、その男が、なんかよく聞き取れないこと雑音と一緒に言って、「ぶつっ」って切れた。

「結婚」なんて、大人になったら絶対しなきゃいけないもんなのか?法律で決められてるわけでもなかろうがよ〜。それに、あたし「結婚しない」んでなくて「できない」んだよ。薬はずっと飲み続けて、体に蓄積されてる。抗生新薬は、かといって簡単にはやめることはできない。離脱症状あるからね。それに、食べたり、眠ったり基本的なことが全く出来なくなるし。
こんな女と結婚できるか?もし相手の親御さんが「孫が見たい」言っても子供が産めないから、期待には答えられないんだよ。

でも、「鏡」が「ぽっ」と出ると、「あたしさ、子供いたら、今あたし自身が嫌ってるモンペになるかもよ」「まぁね、でもあたし今まで、モンペが原因で幼稚園の先生辞めたり、ギリギリまでやって胃潰瘍になって辞めたあの2人みたいに、そういう幼児教育ちゃんと受けてる人を、追いつめるような親にはなりたくないなぁ」「言ってたもんね、あたしがデパートで一緒だったあの2人『子供産んだことない人には分からないのよ!』って言われると、もう何もいえないって」「言うのかな・・・。あたしも・・・。新聞にさ『学校の先生が一年も持たない。原因は取り巻く親、生徒とか環境に悩まされて精神疾患』だってさ。そこまで、あたし責任逃れするかな?」「問題はさ、どんなにあたしが『自分で子供に対する責任』を貫いたところで、その環境に子供を放り出してられるかでしょ?出来る?」「・・・ダメだね。あたし、ノミの心臓だもん。じゃなきゃ『強迫性障害』に『うつ』『摂食障害』なんかならずに、普通に働いて、普通に自分の人生やってたはずだもんさ。」
「結婚して、子供いたところで、なんかあたしの子供いじめられそう・・・。なんか、こんにゃくゼリーみたいな存在になりそう・・・」「こんにゃくゼリーは、みんなそうなんじゃないの?みんな、個性があって、個性を生かした育て方さえされてれば、今のあたしだって、ひとつの個性として、社会に出れたかもしれないのにって、なんかそう思う。」「鏡の中も、外も息苦しいのは変わらないみたいだね。」

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This script written by Shintaro Wakayama.