私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.45
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<900> B.B. |
■2008年10月09日 木曜日 03時05分11秒 |
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まだ生きている。 血が動いている。頭が廻っている。 こんな状況を望んでいたわけではない。 こんな私は望まれていなかった。 でも、ここにいる。
あとは開き直るしかないの。 もう、いいの。
ちいさいこ が 泣いている 誰も なぐさめない。 泣いてることには とっくに 気が ついて いるのに。
世の中、こんなもんなのさ。 はやく、この世になれなきゃいけないのさ。
あなたは、慣れた?
やさしい手が、ふと頭に触れる。 あるかなきかの、かすかな感触。 これってはじめてじゃない。 前はどこで手に入れたろう。
明日の月がのぼったら、いいもの探しにあるいていこう。 きっと、誰も探してなんかくれないから。 たった一人であるいていくんだ。
果てもない、延々一人ぼっちの旅だ。 人の気配はするくせに、誰にも出会わない。
そんな、胡散臭くて不審な旅。
今日もまた、新しい日が昇って、古い光は撃ち落とされる。 もう、みなさんさようなら。
いいかげんに、白い世界に戻りなさい。
私はもう、常闇の、奈落の底に向かって落ちてるところ。
着句場所のない、あてどもない、落下。
なかなか、心地よい。
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<899> みゅー |
■2008年10月05日 日曜日 00時35分13秒 |
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どこに、こころの置き場所を持っていったらいいのか分からない。「鏡に映ったあたし」をのぞくと「誰もが『なさけねぇ女だよなぁ。35歳前にしてさぁ・・・』」って聞こえるような「あたし」が映ってる。父母とも寝てて、兄は2階でPC使ってるから、今トラブルもなく、居間のPCがひとりで見れる。あるから「つい」書いちゃう。久々だしねPCいじるの。忙しかったり、PC動かなかったりで、いろいろだったし。 「鏡に映った自分」は「あたしのこころそのもの」。自分が本当に情けなくなってくる。好きな歌聴いて「ほっ」としたり、動物の代わりのぬいぐるみちゃんたちに癒されたり。だけど、自分にとってショックな事とか続くと、そういう「ちいさなしあわせ」みたいなことは、すっとんでっちゃって、落ち込んで、歌手の人や、ぬいぐるみたち、こういう色んな厳しい中一生懸命働いてる人達に、申し訳ないし、引け目を感じてしまう。 あたしだって「一生懸命働く人」目指してるけど、「鏡」のぞくと「ほんとは真面目に取り組んでないんじゃないの?!」って、己の声か、きっとよその人なんかの機会にこれ見た人の声がきこえてくる。
「鏡の中に映らない世界」に行ったら、こういう声も聞こえなくなるのかな。誰も不愉快にさせたり、いらない人件費払う手間もなくなるのかな。近所もみんな、家族も平和になるのかな。安心して暮らせるのかな。ヘンな人間がいなくなれば、きっとみんな安心するもんね。 「あたしひとりいなくなったって、世の中どうなるもんでもないよ。超自意識過剰じゃん。」そういう声も「鏡」からは聞こえてくるけど、でも「家の人間や少なくても町内の人は、『あーあ、ほっとしたわ〜』ってなるんじゃないの?たとえ、あたし自身が常に『うしろめたい』『外に出るの怖い』『きっと、みんなあの人いつまでなにやってんの?!』そう思われてるって思ってても、みんなそれを知ってるわけじゃ無し。ただきっと『いつまで、怠けてんのあの人・・・』そう思われてるだけなら、いっそ最初からいない方がいいんじゃ・・・」「でもさ、あたしが常にそう思ってるからって周りは同情も、なにもしてくれないんじゃない?『悲劇のヒロインぶって、それ理由にして逃げてるだけじゃん。怠けてるだけじゃん。甘えてるだけじゃん。全然なってないよ。情っけない!!』そう思われるだけでしょ。」「じゃぁ、あたしはどうしたらいいの?死んじゃいけないみたいじゃん。最終的に、いつまでもバイト決まらなかったら、そしたら「本気で働く気がない人間」の「烙印」押されて、また死ぬ気で死ぬまで一生懸命やっても決まらなかったら。「じゃぁ、もうどうなっても、なにしてもいいよ」ってなったら、死んでもいいんだね」「もうさ、キリないしあとはノートに続き書けば?お酒もあるんだしさ。少しは喉のつっかえ取れるんじゃないの」「ここに、こう書いてるのも『迷惑行為』ってことなわけだね?」「少なくても、あたし自身がいちばんそう思ってるでしょ」。
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<898> まさ |
■2008年09月25日 木曜日 00時27分48秒 |
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===☆ だぶるばいんど ☆===
二重の戒律、二重の生活指針。起業家を目指しているのに、
母の干渉はやまない。母も起業しているが、バカな宗教家がやっている、
ネットワークビジネスにひっかかって(世間知らずの娘か?あんたは)
それでうまくいかず、俺に余計な世話を焼く。
まるで、俺が前やっていた宗教の主婦に信者みたいだ。まあ、共依存だ。
あほな母は、いくら指摘しても、仕事をやめないし、俺をコントロールする。
死んでしまえ!!!
そう心の中で叫ぶが、壊れた頭で、壊れつくすまではまるだろうな・・・
仕事と宗教のダブル依存に苦しんで、死んでしまえ!!!!
そんな母の俺は、だぶるばいんだー だったんだよ。
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<897> 秋 |
■2008年09月22日 月曜日 19時49分22秒 |
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何歳まで生きられるか分からないけど、寿命で死ぬ前に、いろいろな今までしてないことをしておきたいものだ。
家族での旅行など経験のない私には、全てが新鮮で怖い。 普通の家族ならこんな観光地に来て、はしゃぐものなんだな・・って。 まだ心の底から楽しむってことがわかっていない。 常に周りの人が気になって、比較してばかり。 私もあの松の一部になって、観光客をバカにしたい。。
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<896> mbfmxmc |
■2008年09月13日 土曜日 08時51分51秒 |
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sYt3Cs <a href="http://dznfscfciywb.com/">dznfscfciywb</a>, [url=http://xiwoexmubwqc.com/]xiwoexmubwqc[/url], [link=http://zynceetxiuvn.com/]zynceetxiuvn[/link], http://tniurzjagpli.com/
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<895> まさ |
■2008年09月07日 日曜日 07時43分55秒 |
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光がついにやって来た!!!
自分の家にも、ついに光がやって来た。これがうわさの光か?
快適にこれを書く。
やっほい☆==============;
うわあああ======;
感情を書くと、こうなる。
子供心全開。
もう、フィクションは書けないなあああ;
そんな感じ。
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<894> まさ |
■2008年08月31日 日曜日 09時10分17秒 |
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=☆愛を感じて、愛を反射して☆=
日々、生きて、近所のおじいさんたちから愛を感じる瞬間がある。
毎朝、コンビニにタバコを買いに行くが、この散歩が無いなら、俺は
死んでいる。 対人恐怖症がよく、ここまで軽くなったもんだ。
お金が無い時も、散歩は、愛を与える習慣だ。まず、自分への愛。それから
関わる人に、挨拶。これが一番いいと俺は感じているんだ。
自分が嫌いだと、感情的に落ち込んだ時に、いつも感じる。感情的な傷が
俺を裁き、犯罪者と変わらないと断罪するが、それが一番の間違いだ。
犯罪者なら、どうして、盗みや、淫行を嫌い、その犯罪を嫌うのか?
誰でも、追い込まれたら犯罪に走ると言うが、真実か? 俺は、過去、30円
で、1週間生き抜いたことがある。友人によく話すネタだ。
この時に、俺は救われた気持ちになり、お金の真実に目覚め、楽になった。
それからして、俺の人生の師匠が、いきなり来た。
師匠: 「まさくん、大丈夫か?」
まさ: 「もう駄目です、限界です、死にたい。」
師匠: 「生活保護に入れ。俺が手続きしてやる。」
彼が帰った後、泣きました。
彼は、自分の人生は自分で切り開くと、いつもいい、その通りに生きています。かなりの年配ですが、今だに、現役社長なのがすごいです。父の知り合いであり、俺が、宗教を辞めるきっかけを与えた人です。
俺だけが恵まれているのかと思いますが、多分、身近にいたのを知らないで いた、そんな真実を忘れていたかもしれません。
俺の経験は、そんな経験のひとつです。意外にも、私たちは教育から、
多くの害を受けています。お金に関する教育は、親、雇い主、教師、隣人から
来ますが、最悪、電気が止まっても、水道さえ使えれば何とかなります。
家賃は、大家さんに相談し、工面する時間を確保、両親か、世話になった
親くらいの知人に助けてと言えば、最低限、知恵がもらえます。まあ、
訴えのよっては、1か月分の家賃を借りることも出来るかもしれない。
死にたい時こそ、自分と正面衝突し、真実の自分と会える。
そんな経験を俺は、たくさんしました。
苦しみは、自分の最大の友人です。
まさ
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<893> まさ |
■2008年08月22日 金曜日 08時35分03秒 |
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=☆自分らしさを再考するよ☆= 昨日、病院でスタッフ2人に、過去の話を聞いてもらい、自分らしさに関し
て再発見がありました。工業高校生時代の思考でずっと生きていた。つまり、
高3の時に学んだ、実験と結果で判断する思考で生きてきた。だから、ACの勉強も、AC知識を自分に入れて、動かして、結果を検証する(楽になったか?)
あまりにも個性的過ぎて、今まで付き合った男女で自分を避ける人がいたのも
理解できました。かなり独特な性格ということです。まあ、個性を取り戻すための知識ですから、そういう面では達成していたのかと・・・
まあ、この文章のスタイルをとっても、独特ですから、こんな風に見えるんだ。
以後も検証(自己検証)の生活は続きます。まともにやると死ぬので手を抜こうっと。
随分と、暑さが和らぎ、涼しくなりました。季節の変わり目です。風邪にご注意をね^^;
まさ
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<892> マフマルバフ |
■2008年08月21日 木曜日 13時14分24秒 |
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映画「馬」を観て
1941年(昭和16年) 東宝作品/128分・モノクロ 脚本・演出・山本嘉次郎 撮影・春/唐沢光男 夏/三村明 秋/鈴木博 冬/伊藤武雄 セット/三村明 製作主任・黒澤明
出演・高峰秀子(小野田いね) 藤原鶏太(父)・・・
ちょっとチラシから引用します。 本作の原作は山本嘉次郎。「一時、人間を描くということに倦んだというか、興味をもてなくなった時があった」、山本監督は文学や演劇で常に描かれている人間を対象にするより、映画でしか掴めない対象を探求したいと常々考えていたと言う、昭和13年彼はたまたま聞いたラジオから流れる盛岡の馬市の実況放送を耳にする。そのとき彼の頭の中で生き生きと馬市の情景が具現化された。それから山本監督は助監督の黒沢明と共に調査を開始、東北地方の馬産地、農村経済、方言、民族文化まで一年かけてシナリオハンティングを行い、半年以上をかけてシナリオを執筆する。時局は日中戦争の真っ最中、東宝本社もあまり大型映画は創りたがらなかったが山本監督自身が馬事。軍馬関係の施設に働きかけ陸軍関係のバックアップを得て製作が決まった。農村の四季とそれにともなう馬の成長を記録すると言うことから東宝の実力派カメラマンを順次派遣し撮影が続けられ結局3年間が費やされた。東北の山村を舞台に貧しい農家の娘が馬を育てやがては軍馬として買い上げられるまでの約2年間の少女と馬の生活、ふれ合いをドキュメタリータッチを基調に・・・。当事山本監督はエノケン物など娯楽映画でかなり忙しくスケジュールの関係からロケ撮影は助監督の黒沢が監督・編集を行っている。この馬と少女を主役にした東北農村の田園風物詩詩は戦時下の日本映画界に涼風を送り込んだ。
とまぁこんなことが描かれているのだが、私はこの映画を観て感動した。 当事の東北農村の疲弊振りをさりげなく描いているのだが、常に借金を抱えて出費はおぼつかない生活。何かとあれば出てくる祈祷師やその地方の神にお祈りするおばあさん。豪雪時の服装やワラで編んだ靴。その靴は囲炉裏の上部に置くんですね。多分乾かすためだと思います。いろいろなワラ靴が工夫されていました。 そして夏になると広大な平原に馬の群れを放つのですがこの描写が黒澤独特のリアルがあり、弟が汽車で働きに出るときに姉のイネは見送りのそこに居らず裸馬にまたがり汽車を追いかけて行くシーンは圧巻でした。誰かが書いておりましたが黒澤の作品にはどこか日本的な情緒を越えて大陸的な太さがありますから全編を通して黒沢の編集が濃厚に出ている作品でした。 そしてなにより感動したのは怪我で寝込んでしまった父親に代わって母親が何かと忙しくなって不機嫌になりイネに当たるところでもどこか抑制があり、馬の具合が悪くなったとき冬に青草を食べないから栄養バランスを崩しているからだという説明を聞いてイネは豪雪の中を温泉の湧き出る青草のある山奥まで危険を冒して出かけて戻ってきたときの母親の対応にも単に心配で怒り泣いて抱きしめるシーンも日本的情緒を越えたものを感じるのですが、どういう演出でそうなっているのか私にはわかりませんでした。
全編を通して子供達(イネ)の成長と抑制された家族愛がにじみ出てくるような映画でした。それはおばあさんや両親がいっさい親権をふりかざすことなく、情に流されることもなく、借金の返済に困っている父親も子供に当たることなく対等に対応しているところから滲み出てくるものだろうと思いました。
この映画は昭和16年(1941年)3月31日の新聞に近日公開とエノケンの映画と並んで掲載れていましたから4月ごろに上映されたのでしょう。 この年、陸軍大臣の東条英機は内閣総理大臣になり真珠湾を攻撃した。 そういう時代背景を考えるとこの映画を創った人たちの思いの並々ならぬものが伝わってきます。 父親役の藤原鶏太は後に黒澤作品の常連となる藤原釜足だそうです。
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<891> まさ |
■2008年08月21日 木曜日 05時28分40秒 |
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=☆自分の弱さと脆さと感情限界を超えて、俺は生きること選択するよ☆=
人生に無駄はないと、よく言う。前のクリニックの主治医は、俺が苦しんだ経験を語ると、よく聞いてからそう言った。まあ、彼も相当な苦しみを通った男だから、そう言ったに違いない。
この年になると、社会的な立場がどうであれ、人に話す立場になる。近所でも、初対面の人が、いきなり頭を下げてくるそんな経験が増えた^^;
感情的に安定させる要素に、毎日の日記、家事、散歩がある。もちろん、体調を崩して、寝込んだ時期があり、(夏の間)、約2ヶ月間のひきこもりは、
同じ経験をして苦しんだ男女の感情を味わう貴重な経験だった。以前も、そんな経験を積んだ覚えがあるが、今年の夏の経験は壮絶で、本当に死ぬかと感じて、自分の孤独感と真正面から向き合う、そんな地獄をまともに生きたんだ。
最近、自分の人生経験が、多くの方に役立つ宝の集積だと感じ始めて、その宝を公開し始めた。今年の初めに、起業するとか言って、ブログアフィリエイトを始め、今に至る。今年の7月22日に、作家宣言をし、自称作家になった。
あれ以来だろうか、自分の人生がいい風に流れ始め、感情安定が増し、こん な風に自己表現をすることが、自分の人生の基本スタイルになったんだ^^;
こんな基本ワークが、感情的な限界を感じ、寂しさを感じる時に、自分を救う、そんな活動が、インターネット空間を越えて、この地球全体に広がる、そ んな奇跡を信じるようになったんだ^^;
今は、意識の時代であり、意識した(考えた)ことが容易に実現する、そん なフィーリングを俺は持っている。まあ、浅見帆帆子氏や、意識をテーマにし た、作家たちの影響をもろに受けているから、そんなことを書いているかもし れない。
随分と、深遠なテーマだった意識世界が、近くの本屋でも、インターネット 上でも溢れている。今年の6月以降のマイテーマが原点回帰なので、先日、ここに戻りました^^;
若輩者ですが、こんなことを書く自由に感謝します、管理人さん、皆さん。
みんなにぐっとらっくだああああ!!!!
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<890> まさ |
■2008年08月19日 火曜日 06時50分37秒 |
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俺流のカウンセリングの利用の仕方 (あくまでも参考情報)
自分も現在、臨床心理士(男性、20代)にカウンセリングを受けていま
す。受けて、5回目です。受けた後に、自分の意識が拡大した感じがしますが
、(多分、個人差がある)万能の治療法だとは、まだ感じていません。
他のセラピーも受けた過去もありますし、いろんなセラピーと、セラピスト
がいますので、自分の基本スタンスは、相手に親や神様を求めず、映し鏡とし
て利用し、自己反省の材料にする。相手も人間だし、年齢もある。だから、
相談はしても、相手の助言は、一旦忘れ、その都度、感情的な日記を書いて、
臨床心理士との関係も再考することが、相手を神様扱いしない必須要素だと、
感じています。
自分は、通院先が、カウンセリングを重視しない病院で、すごくたいへんな
時期に、今の臨床心理士と個人的なつながりができ(デイケアのスタッフです)
彼とトランプで遊んで、その対応を見ていました。デイケアでの顔と、
カウンセリング・モードでは顔つきが変わります。当然です。彼は、若くても
俺をしかるのが仕事で、専門技術で、俺の癒しをするわけです。簡単に言葉を
返さないし、あくまでも、俺が、俺のストーリーを語るのを固唾を呑んで待ってます。
最初は、彼のスタンスが理解できず、精神科医の主治医と混同して、同じ求めをして、彼に聞かれました。「私に何を期待しているのですか?}
そこで、自分は正直に、病気の診断をあなたに期待したと言いました。
彼は、硬い表情で、それは精神科医の仕事であり、私は聞くことが仕事と
言いました。診断の情報は、俺のカルテもそばに持っているので、参照する
らしく、基本的に部分的な個人情報のみ、主治医に伝え、俺の言動いかんで、
病院に危害を加える感じがするなら、その情報は確実に主治医、病院スタッフ
に伝えると厳しい顔で、対決姿勢で言い渡されました(;_+)。
それがすごいショックでさあ、2週間、通院を拒否するくらいでした。
自分もプライベートで2人、お世話になったPSWの方法で、相談を受け、相手の感情を癒した経験はありますが、
手前味噌ながら、俺のが優しいと感じます。自分はACの自覚と、ここで受けたやさしい世話と、厳しい指摘が、自分の人生の基礎ブロックの一部です。
だからと言って、臨床心理士と向き合うことから逃げ続けることもしない。
1年の契約は守り、感情的に苦しいなら、電話でいい、予約の変更をすればい
いと感じているからです。大変な努力(主治医を説得、臨床心理士も説得)
してさあ、掴んだチャンスです。実地の感情をここで書いて(可能な範囲)
参考情報を提供できればと感じます。まあ、彼らはかなり個性的ですし、
勤めている病院のカラーもでますので、参考にしかならないし、回復の基本は
やはり、アファメーション、そして、先行く仲間の援助を素直に受けることだ
と確信しています。今でもね^^;
回復初期の方は、この情報を鵜呑みにせず、セルフ・ケアを楽しんで欲しいです。やり方は、古株の方や、先輩に質問してください、俺のブログにも
そんなカテゴリーがあり、たくさんの情報を掲載しています。
あくまでも自分の感覚で選び、自分の生きる力を否定せずに、淡々と生きて欲しいですね^^;
自己責任と言う言葉が、蔓延していますが、人の感覚の問題が大きな基本要素です。自己責任すら学習して(失敗は最大の教師です)、楽な選択をたくさん練習して、自分で生きる原則を体系化して、そんな記録をノートに書くと いいですよ。それが、自分らしいアファメーションを創ります^^;
対人関係が俺を含め、一番難しい問題だと、今でも認識を新たにします。
簡単な練習はコンビニの店員と、雑談して、関係を作ったり、距離を取ったり
、(しばらくいかない)また、関係を深めたり、相手が嫌いなったら、他の
コンビニへ行くとか(関係を切る)そんな練習方法がお勧めです。
この方法は、友人を作る目的より、シンプルに対人関係の段階練習法として提案します。基本スキルさえできれば、自己イメージが安定し(どうにか対人関係を楽しめるし、自分の意思で関係を切って、自分を守ることができると言う小さな自信を得た)
その経験の感覚を使い、精神科デイケアを楽しむなら、粘着質の男女から
自分を守れます。あくまでも参考情報ですよ。
今日は、デイケアをサボります。家事とか、家計簿をつける仕事があるのでね^^;
ここを見た方ににグットラックだああああ!!!
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<889> まさ |
■2008年08月19日 火曜日 05時38分12秒 |
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ブログ作家まさ 帰省スペシャル☆===
こんなタイトルをつけるくらい、乗っています^^;自己中に警戒しながら
も、自分の感情で生き、仲間を見守るのは自分の役割と感じ、多くの仲間に
幸あれと祈る、そんなスタンスが苦しい感情と対峙する自分の処世術ですね。
回復はぶり返しが必ずあり、カウンセリングを現在受けていますが、かえっ
て、苦しくなる現状もあります。その時は、電話を入れて予約の変更をしてい
ます。1年の契約なので、基本的に毎週木曜日のカウンセリングと、隔週の
診察は、大抵行きますし、デイケアの利用の仕方も部分限定的になりました。
久しぶりの帰省なんで(お盆明けなのが、俺らしい^^;)抑えつつも、
感情を表現する自由を感じ、楽になりますね^^;日々、ブログを書いて、
読者さんの感情的な刺激を与える役割が仕事なので、文章もこなれています。
気を抜くと自己中になると感じ、反省材料です。自分と皆さんに感謝、
グットラック!!!
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<888> マフマルバフ |
■2008年08月09日 土曜日 13時51分38秒 |
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訂正。
15行目の1996年は2006年の誤りでした。ごめんね。
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<887> マフマルバフ |
■2008年08月09日 土曜日 13時38分14秒 |
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映画「靖国」を観て
戦後すぐの頃の話であろうと思います。 「憲法問題研究会」という学者達がその第一回の会合を東京学士会館で開催しようとしたところ、のぼりや太鼓を持った十数人の男にふさがれた。彼らは2階の広場に陣取って盛んに太鼓を連打したりビラをまいた。 おかげで会合は別の部屋を借りて、30分遅れてようやく開かれた。 彼らの携帯する道具や怒号も彼らの「黄金時代」とさほど変わっていない。居合わせた報道陣の中の知り合いに「この事件のニュースは明日の記事になりますか」と尋ねると。 「いや記事になりませんね、というより私たちはわざと記事にしません。彼らは報道してもらいたいからなのです。ああいう連中には黙殺をするのが一番であって彼らのために宣伝してやるのは馬鹿馬鹿しい限りですよ」。1958年発表。著者・丸山真男。
その後無視される側となる者たちの抵抗はいかにマスメディアに衝撃を与えるかということをしていますね。どうであれ屈することなく勇気をもって黙殺することが基本であると思いました。 しかしマスメディアが記事にしなければならないことをしていくわけで、そこに戦前からの問題が連綿と現在に連なっていることは知っておくべきでしょう。 この戦後の状況から何気なく二年前(1996年)の雑誌を手にしてみた。小泉政権の時代で次期首相が安部普三が噂されている頃で、共謀罪法・教育基本法・労働基本法・探偵業法等が改悪されたり継続審議されている頃です。そこには現代を読み解いている記事はなきに等しいことに愕然としました。「そろそろ小泉が悪代官であることに気づいてもいいのではないか」何てこと書いとります。 唯一 憲法18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 これが新鮮に映るほど時代を突き抜けたことは書かれておりません。 その時期の雑誌をパラパラとめくってみるともちろん「靖国」問題は書かれております。 もちろん最近の記事でも「どこかに靖国」が視点を変えて書かれております。
しかし今回の映画「靖国」ほど新鮮味はありません。 御神体の刀鍛冶から取材して台湾の高砂族が英霊として祀られていることに抗議している台湾高砂族の女性。靖国の鳥居の大木は台湾で伐採して持ち去ったものだ。等々。 この映画が注目を浴びたのは侵略の象徴の内部をわれわれに見せてくれたことにあると思いました。
私は国体の護持とか国家に命をささげたものの魂を祀る場所がどういう経過をたどって作られ尊重されていったのかを少し調べました。 5・15事件で暗殺された犬養首相などは大陸進出に反対していたようです。 このような動きを破壊していったのが農民出身の軍人が地方の疲弊を憂いて決起したりで最後にはウルトラナショナリズムがファシズムとなって対中国戦争・太平洋戦争へと拡大しファシズム帝国主義の成り行きとして当然のごとく崩壊してしまった。
抑圧されて行き場を失った下層兵はその怒りや情動を下級国家として洗脳されていた国々の人びとへ向けていった。
はっきりいって、あんまり難しいことには責任をとれませんのでこれ以上は書けませんが、調べれば調べるほどその当時の雰囲気と現在は似てきていると私は感じました。 マスを通じて市民がある程度洗脳されコントロールされていることと、現実の社会・労働現場での鬱積した不満の共有は何かを通じて散発的に爆発していくような雰囲気を感じるのですね。 ナチス・ドイツの頃のような状況ではないのですがナチス政権下で人びとは毎日事もなく日は過ぎていく実感をもっていたようですが、、、、、、、、、例えばアメリカの軍事政権はファシズムでないと誰がいえますか?石油資源は遠からず枯渇するでしょう。
このようなことがACと何の関係があるのかという声が聞こえてきそうですが、ファシズムを防いでいくにはこのような市民のコミュニケーションからであると言っています。 非政治的なコミュニケーションでもいいようです。 私たちに出来ることは話せる場所を作り、サークル的でもいいから話していくことが戦争を防ぐことに効果があるようです。
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<886> マフマルバフ |
■2008年07月25日 金曜日 02時35分12秒 |
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戦前・戦後。そして現在」
最近このようなことをよく考える。昭和29年(1954年)の木下恵介の映画をみていたら、当事の全寮制の女子大学の学内紛争を描写したものであった。良妻賢母の女子育成を理想に揚げ信書の検閲、不当な外出制限、指紋採取についての抗議、これが後の学生自治会の設立にもつながった事件であるそうだ。明らかな人権侵害行為と思えるのだが戦後もこのようなシステムが健在していたところに戦前と戦後のつながりが連綿と続いていたことを図らずも映画を見ることによって知ることになった。 現在の職場の中でも戦前から存在しているような、そのような企業を身近な国家として忠節を押し付ける企業風土は今も残っている。 そのようなあり方を理解しいかに忠節を尽くせば生活は補償されるんだ。というような価値観が根深くある。 戦前は工場労働者は虐げられていた、徴用工という制度もありまさに非正規社員である、劣悪な環境で低賃金でこき使われていた人たちである。 彼らが虐げられる理由は、労働に対する自発性。自主性。のなさが問題であったようだ。
これは現代ででも同じではないだろうか。 私は労働というものに凡そ誇りとか、自主性とか自発性などというものは持ち合わせていないし、自分のためにならない労働に嫌気さえさしている。ましてや私には他人との協調性などない。 だから戦前戦後を通じて共通している問題でもあるように思う。 日々の労働に自主的に自発的に取り組んでいる労働者など少数派であろうと思う。 仕方がないから働いているに過ぎない。 しかし私の問題点はそれにも関わらず、仕事に対して強迫的に取り組みやすいところが矛盾している。はたから見れば必至に働いているように見えてしまうだろう。 本心はイヤでイヤで仕方ないのである。 しかし表向きは企業風土を理解し忠臣を装わなければ仲間として認められないだろう。
だいたい年一回の慰安旅行などナチスドイツがプロレタリアートを内部に抱き込むために詐欺的な行政サービスをしていたように、企業側の本音はそこにあるのだが、そういう疑いは持ちえず、これを楽しみにしているアホが多数派なのである。 たまにやる飲み会など酒好きは楽しみでワクワクしている奴もいるが最近は飲酒習慣のない若者が増えて、ここら辺に現在的な変容を感じ取っている。労働者同士の溝はいろいろな面で深くなっている。 共通しているのはいかに楽な仕事に回してもらえるか、そういうポジションを奪うかということだけだろう。 その他はまったく牛馬のごとくこき使われているのが現状である。 明治時代とは様相を事にするが過密労働を考えると大して変わっていないのだ。
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<885> まさ |
■2008年07月22日 火曜日 21時16分11秒 |
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作家になりますよ^^;
自分のブログで宣言した。処女作は 「真実の力」です。
年内は、ブログ上で公開し、練りこんだ、市販版を、どこかの出版社か、
独自のルートで売ります。
愛に欠けた現代人に、愛を取り戻す真実の力・・・・
私たちは、宇宙そのものから、一度も見捨てられたことは無い。
見捨てたのは、親、もしくは養い親であり、愛する感覚が無いのだよ。
そんな親から、無条件の愛は貰えないんだ。
決して宗教の話ではない。宇宙と人間の本質の話。
自分の中に基準軸を持て。
それが、自分の中の自尊心を創る。
これからは大変困難な時代が来る。
日本も、世界も危ない。経済システムも崩壊している。
新聞をよく見なさい。どうして、原油が上がり続ける?
おかしくないか?
常識を疑え。
自分の感覚で生きろ!!!
もう、サバイバルは始まっている。
自分にグットラック、あなたにグットラックだ!!!
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<884> マフマルバフ |
■2008年07月21日 月曜日 03時37分49秒 |
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「支配と服従 A」あるいは(パチンコと喫煙) ※ フラバ注意。
オレのド頭では難解な本を読んでいる。文章は平易に書かれているので読みやすいのだが内容は難しい。部屋では読めないので読める喫茶ホールを探しては読んでいる。 最近はマクドの込み合った喧騒の中で読んだりしている。暇そうなきれいなネエチャンが近くに来たりして刺激的でいい。もっといいのは照明が明るいことが何より良い。 コーヒーSサイズ100円で粘っている。 最近は23時で閉店することが多くせっかく集中しているのにそれを切らないために他の場所を見つけた。ここは音楽がうるさすぎて客層がよめない所から集中できない。 それでぼんやりと国道と連なる深夜の無人のガソリンスタンドを眺めたりしている。
この論文が雑誌に発表された頃にはそれえを待ちかねたごとくに読んでいた青年層は今や現役を退いて久しい世代であろう。その中に未だに影響力を持つ人々がいるようだ。
何を読んだかというと、俺なりに咀嚼して説明するならば「パチンコと喫煙の問題」から話すと分かるだろう。 喫煙の有害性が言われて久しい、今や公共空間で喫煙もままならない社会状況が形成されている。 パチンコホールで当たると俺はタバコを吸う。最近は50〜60代のおばさんが余裕資金をもってよくパチンコ屋さんを潤わせている。隣にいるおばさんはタバコの煙に信じられない、というほどの激しい嫌悪感を露骨に表現する。ハンカチで口鼻をおおうようなことをするんだね。慣れた人はあらかじめマスクをしているしオレもマスクは必携品である。 かなり以前のことかもしれないがタバコが有害であると社会的にキャンペーンを張るようになった頃。タバコの有害をキャンペーンし、捏造した国と厚生省がどのような意図でどれだけの資金を投入しているかきちんと説明というか意見を発表した人がいた。記者の名前は忘れたが新聞か雑誌で読んだことがある。 オレはこの記事を貴重な意見であり本質がどのようなものであるか深刻に悩んだものである。 しかし、このようなまともな意見は現在抹殺され誰も口にしない。 誰もが右に習えで禁煙を表明していった。 そして現代に至っている。 このグローバル化して複雑極まる社会の問題点を衝いている論文なんだね。
つまり近代化は人間性を自己疎外してしまうということは言われて久しいことだけど、身近な職場でもそれぞれのコニュミケーションの壁の厚さに人間関係の難しさを感じ取って、それぞれに息苦しいのだけど、プロパガンダ(政治的支配と服従の重要な工作技術)に洗脳されてしまう大多数の内側の人々と絶えず疑問をもち洗脳されない外側からの視点をもちえる少数派の人びとの言論はまったく内側の人びとに通じない厚い壁が出来上がってしまうという問題を語っているんだね。 「それから」の夏目漱石の小説の中で語られている(・・・話してみたまえ、たいがいバカばかりだ)。ってことはこのような意味も含んでいるようですね。 しかし内側の人びとがすべて洗脳されているかと言うとそうでもなくて、プロパガンダの限界もあることも言っています。
何が言いたいのかというと、このサイトの中でもオレの言っていることは通じない人が大勢いるだろうし、また逆にオレにはまったく意味不明の矛盾にしか受け取れないことを語る人もいる。この壁は上記のものとは質がちがうものですがお互いに心を開けない何か大きな壁をいつも感じているオレなんです。
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<883> マフマルバフ |
■2008年07月20日 日曜日 12時02分01秒 |
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「浮遊するプライバシー」
郵便受けには日々どこからともなくダイレクトメールが届いてくる。 主にパチンコホールのものが割合が多い。 自分から会員となったので止むを得ないところがある。 しかし心当たりのない配達物にはどこで調べたのか少し不気味でしょうがない。 サラ金からの「還付金のお知らせ」のハガキは定期的にずっときているがどこで調べたのだろうかまったく身に覚えがない。 先日も日本ユニセフから手紙がきた。驚いたのは住所が番地まできちんと調べているうえに部屋番号まで書き込まれていることであった。 私は自分の部屋番号など意識してもいないし、知らなかった。 しかし日本ユニセフであることは間違いないから「少しばかりお役に立てばと送金した」。
先日「週間金曜日」の投書欄をみていたら日本ユニセフの問題点が書き込まれており愕然とした。 つまり「日本ユニセフ」は民間団体であり国際児童基金の下部団体ではないという。 手紙にはユニセフ「国際連合児童基金」のアン・M・ベネマン事務局長が直接ユニセフ本部よりご協力要請の手紙を差し上げるに際し・・・・・・うんぬんと書かれており、財団法人日本ユニセフ協会 会長代行副会長 ○○○○と署名されている。 すでに送金したので返してくれとは言わないが、募金の25%は経費として認められ07年の収支報告では募金176億円のうちユニセフ本部へ渡ったのは152億円で20億円超が協会内に残っていた。書かれている。 協会の役員には天下りを含め政財界のトップがずらりと並んでいる。らしい。 ユニセフ親善大使の黒柳徹子氏はこうした協会のやり方に疑問を呈し「1円のこらずニューヨークのユニセフに送り」たいという信念から自分で送金用の銀行口座を開設し全額をユニセフ本部へ送金しているという。
私もユニセフといえば黒柳徹子氏の活動を思い浮かべ、彼女への信頼性で何ひとつ疑うことなく送金したのである。
それにしても定期的に配達されてくる手紙には寄付金にまつわるものばかり。しかしどれも重要で切実だ。
ちょっと前になるが第二次世界大戦の敗戦後米軍人と結婚してできた子供を主人公にたくましく生きる様子を描いた映画を見終わると出口に○○○子を支援する会というビラがあってその後歌手となって活動している様子が書かれていた。童謡評論家を信じて彼女の歌うテープ(CDじゃないんだ)を買ったことがある。 その彼女のコンサート案内も来ていた。おそらく東京だろと思うのだがピュアホールとかなんとか書いていたな。日付はたしか8月?日だった。そこにはやはり敗戦後という意味があるのかな、と思った。
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<882> マフマルバフ |
■2008年07月19日 土曜日 14時38分02秒 |
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「決断と行動」
自分のかかえる手首の腱鞘炎の治療をどうしたらいいのかわからなくなっていった。 それは医療者の側の方針とそれに関わる説明が一切なされないからである。 少しでもいいから説明なりがあるとこうも悩まないのである。 だから事情を知らない私は院内の医者を訪ね歩き皆が同じようなやる気のない態度なので、手の専門家に紹介状を書いて欲しい旨を伝えるというか懇願しても書いてくれないのである。ある科では時々患者がほとんど来ていないときもあるようである。 以前はここの病院は評判がいい方でロビーの待合室はいつも一杯であった。
悪質な診療をする病院団体は繁栄をきわめている。
見渡せば歯科医院や開業医や総合病院はどこにでもあり、飽和状態ではないかと思える。 ここにも地方間格差が深刻な問題として現れていると思った。 制度的な問題もからんでいて一部の医者は儲からない仕組みになっているのではないかと思う。 ですから私は私の慢性化した腱鞘炎の治療をどうしたらいいのか決断できずにあちこちの病院をまわることになるのだが、どの医者もそれぞれの説明がなされるのだがわかりずらいし労災問題であるからそれもネックになっているのだと思う。
労災に詳しい方が紹介してくれた病院に行くことにした。ここは遠いし何度もいける場所ではない。 ここで初めて腱鞘炎であるかどうか詳しく触診を受けた。言っておくが触診はこの病院が初めてのことである。 最近の医者は触診もしないのである。背中を見せてPC見ながら話す医者も多い。 治療方針は「注射」しかないという。それで完全に治りますか?というと「完治しない」。再発するときもある。という。 明快ではないか。 明快であるから私も決断することができた。注射は断る。痛み止めのクスリで痛みを押さえながら日常生活をこなし、周囲の筋力のアップに努めることで問題を解決することに決めた。
この間私は激しい傷みの中で日常生活もままならず、客観的に自分の状態を観察することが出来なかった。仕事も出来ないしね。
これまでのことを反省してみます。 だいたい高所から自分をみるなんてことはどだい人間には無理なんだと言うことが良くわかった。 社会は連関し複雑に変化している。そのようなことを「賢く」認識して「賢く」動き素早い解決を求めたのだが、状況がだんだんわからなくなり暑熱の中を自転車で走り回り、会社にもきちんとした報告が出来ずどうしたらいいのかまったくわからなくなっていった。 動いて相談できる人には相談し認識を深めていったのだが認識を深めようとすればするほど迷いが大きくなり決断できなくなっていった。 それは医者のきちんとしたアドバイスがまったくない、ということも一因なんですがね。 決断すると言うことはひとつの断面を切る。ということでもあり3つも4つも切断面はないということです。 当然決断することで相談に乗ってくれた人たちの好意を無に帰すことになり、人間関係も切れてしまうことになるかもしれません。しかし決断にはそういうことが必須にともなうことでありその責任は自分で負わねばなりません。 そのへんは誠意を込めて事情を伝えるしかないでしょう。会社側にもそれを伝えねばなりません。いい結論がでるとはとうてい思えませんがそれも自分で責任をとるしかないと思います。
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<881> アラタ |
■2008年07月16日 水曜日 01時27分56秒 |
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姫と騎士 あるいは娘と保護者?
自分の中には「ヲトコ」が居るような気がしてならない。
女らしさを隠し、牧人なる人格を作っていたのも、そいつの差し金か。
「守る」ため。傷ついてからでは遅い。知ったものは忘れられない。 記憶は消えない。
自分に対して「ゆるさーん!!!」してたtのも確か。
自己完結だから鬱憤晴らせない。
あーあ 騎士が欲しい。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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