私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.42
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<840> けんと 改め まさ |
■2008年04月26日 土曜日 21時25分49秒 |
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わくわくな生き方
人生をわくわくで満たす、そんな生き方をしたのは、去年のこと。
この生き方に慣れるのには代償を払う。
自己卑下的な思考パターンを、自己肯定的にアップデーするのは、かなりのストレスを感じ、
いろんな過去のFBを受けて、死にそうになった。
わくわくは回復を早めて、死にたい思いに、希望を与えるが、自分の見える視界が、
幻想世界に移り、自分の病気が悪化したのではないかと、思い込む。
自分らしく生きることで、わくわくし、仕事の注力したが、新聞配達でミスを多発し、
懲戒免職ぎりぎりを経験し、リストラ社員の気持ちを理解した。
仕事失う悲しみは、本当につらく、俺は体が動かなくなるまで働き、
限界を感じて、店長にメモで伝えた。
新聞配達が単純だと、ある人を笑う。
しかし、再発の爆弾を抱えて、生きる俺は、本当に腹が立った。
現役の医療関係者のくせに、ネットのルールも知らず、俺をいじめたあの方は、
今頃、自分の行ったことに反省を感じているだろうか?
あの方の書き込みのおかげで、俺はもう一度、自分の病気と向き合い、
書斎な情報を求め、ネットをさまよい、現役の看護士に情報を求めた。
専門書を格安でゲットし、統合失調症の専門知識を得て、
うつ病と統合失調症と、躁うつ病は、基本的な症状が似ていることに気付いた。
感情のままに書くと、憤りが生じるので、深呼吸したい。
ともかく、起因は、過去の養育者の虐待による、トラウマと複数の要因は絡まっている。
自尊心が安定しないのは、そのためであり、医療者は、安心感を与えるためのスキルを持っている。
友人の看護士は、俺に対して、穏やかかつ、率直である。
一般的な症例を教えてくれ、俺はまだ軽いと言う。
ラピッドサイクラーと言って、そうとうつを交互に繰り返す症状もあり、俺は去年そうだった。
自分の能力を過大評価すると、そうなるし、信じないと、仕事はできない。
いわば、仕事依存的な生き方に戻ったわけで、よく7ヵ月半も持ったものだ。
新聞配達、人材派遣、パソコンの先生、友人たちの相談役・・・・
やれるだけやった。
しかし、いろんな事件が起こり、暴力事件に巻き込まれて、1週間、ろくに飯が食えなかった。
元犯罪者の友人は豹変し、俺を襲った。
意識的に警察の電話をかけた直後のことであり、彼と関係を切る行動に出て、彼は逆上した。
男性のストーカーだった。
何度、天に祈ったか・・・・・
アファメーションを使い、気持ちを安定させて、俺は対処し、
ぼろぼろの状態で、新聞配達をしたし、人材派遣は治ってから復帰した。
書いていて、自分がイトオシイ。
感じるままに生きて、わくわくを否定するなら、ネガティブな友人が来る。
そう学んだ。
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<839> けんと 改め まさ |
■2008年04月26日 土曜日 20時09分00秒 |
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戦う人生 VS 楽しむ人生
今年は勝負の年だと思った。リハビリのために起業し、メインブログのアクセスは日増しに増していて、
部分的には成功だ。
経済管理も、だんだんうまくなっているし、社会資源の利用もうまくなった^^;
後は体調管理、特に食生活と、睡眠、運動ときちんと続けないと、待つのは、再入院だ。
退院して、約1年4ヶ月、
いろんなことが自分に起こり(対人関係のトラブル)
忍耐し、相手を信頼し、場合のよっては警察に連絡し、
頑張った。
自分を守る行動は、自分の命を守るのに必要であり、必要の応じて、即断しないと危ない。
いまだに、ハングリーなのはいいことだ。
日々、冷蔵庫と食料品をチェックし、その中で作る、サバイバル料理。
大変な環境が迷作、珍作を産み出す・・・・・
お金がなくなると、父に頼り、食料品の差し入れを頼む俺、
そういうときに、実家では経済的に何とかなっていることが多い。
俺の回復と、実家の経済とリンクしているのか?
父は持病もちの癖に、絶対に仕事を投げないし、
うまく工夫して、乗り切る男。
昔から運がよく、
試練を乗り越え、成長する男。
ずっと見舞っている俺は、父の背中を見て、男って、家族を守って何ぼだなと思う。
昔は、ギャンブル中毒だった男だよ!!!!
本当にパチンコに行かないし、年一回のボートレースを見に行って、
自分にご褒美をあげるんだって・・・・
彼もACの本を読んだ。しかし、理解できないと言った。
仕方ないよ。俺だって、学んで、実践しても、生きるのが精一杯で、
不全感が残るし、自分が無いと感じるのはしょっちゅうだ。
日々生きて、価値観が変わり、自分の感覚が敏感になり、文章を書いて(相手の承認を求めない)
自己表現することで、自分の感情と思考を何とか守っている。
感情は愛の変化形だとある本で学んだ。
アメリカでは結構有名な本だ。
チャネリングによって書かれた本、バシャール。
虐待のシステムについて、すごく簡単に書いてあり、
虐待を受けることを望むから、そう現実がおきると書いてあり、ショックを受けた。
被害者になることを選んでいると・・・・・
ある意味で、被害者は加害者の加害者で、加害者は相手のイメージに誘導されて虐待する。
ショックだ!!!!
この本に共依存という単語は無い。
でも、頻繁に出る単語は、わくわくだ。
わくわくすることをしなさい。わくわくを選択しなさい。
確かにすごい本だ。自分を好きになれない俺は、とにかく、行動する。
わくわくすることってなんだ?
今は、これを書くことだ。
書いていて、少しずつ元気になり、自分の中のわくわくエネルギーが上昇中だ。
自分の中のわくわくがわくわくしてきた。
生きていてふつーに楽しい。
自分にグットラックだ!!!
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<838> 秋 |
■2008年04月26日 土曜日 17時20分05秒 |
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いつか本当に目の前に大切なものや人が現れた時に、 それを見つけて受け止めることができるだろうか・・。 私には、多分出来ないだろう。 外見ばっかりに目が行って、肝心の中身なんて みようともしないと思う。 薄っぺらくて中身もない私には、そんな安いものが お似合いだと思う。 服も食べ物も。
本物や本質がわかるこらこそ、そこにある幸せも 見ることができる、 憧れるけど、私はそうなる前に・・・。
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<837> けんと 改め まさ |
■2008年04月26日 土曜日 01時53分37秒 |
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感じるままに5
気分を変えてみた。久しぶりに、PSWによるカウンセリングを受けた。
前にお世話になったのと違う女性だったが、
初対面だったのに、すごく話しやすく、自分のつらい過去を淡々と話し、
自分のやっている仕事のことを話して、女性でもコンピュータープログラムを理解できる人との出会いに、
感激した^^;
ソーシャルワーカーは、自分自身を見つめ、相手の感情と境遇に敏感に反応し、
言葉を返すのが仕事らしい。
自分もそんな訓練を受けたが、すごく大変で、毎回ハラハラだ。
いつも基本の傾聴、このところ下手になった。
スーパーバイズを受けて(通信のカウンセリングで)
自己矯正をしなければならない。
相手の癖に影響を受けやすいタチダカラ、
人を選ばないと、大変苦しい。
この道何十年と言う人は、いったいどうやっているんだ?
元営業マンの癖って抜けないし、基本的におしゃべりだから、聞くことが苦痛。
最近ひどくやせたし、感情を出していないかな?
今日の電話で受けたカウンセリングでは、すっきりとした話し方をしますねと言われて、
自分で驚いた。
いつもは褒められると、有頂天になるけど、今日は落ち着いていたな。
?OKなのか?
そんな感じで昨日は生きた。いや、生き残った。
毎日サバイブであることは確かだ。
来月の生活保護の需給日まで、切り詰めて、あるものでご飯を作り、
必要なものは買う。
タバコを制限したり(代わりに水をよく飲む)
苦しくてもカウンセリングを受けれない時は、
弟にかける。
自分の感情って、なんかあるようなないような、不思議な感じがして、
自分の中にある感情が、あまりにも平坦なんで、
なんだろうと感じ、
この平安に、祈る気持ちです。
生きていることの価値は、自分の中に平安の感覚を思い出し、
自分と大きな宇宙との繋がりを感じて、感謝して、あああ、ありがとうと感謝する時、
自分の中に宇宙がある感じがします。
空想のような、現実のような感覚で、
そんな瞬間は、自分の周りの世界が、輝いて見えます。
空想と現実の境は無いのか?
そんな感じがありました。
長文になりました。ありがとうね^^;
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<836> 秋 |
■2008年04月24日 木曜日 23時53分57秒 |
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クラシックをききながら、自分の気持ちの整理をしてみた。 嫌われることへの恐怖だってあるけど、それを 乗り越えてみたいと思うこともある。 不完全燃焼で泣くより、全てをやった上で泣きたい。 自分のジレンマに縛られて、それ以上に成長することってない。 わかっていても、何回も何十回も繰り返して、 おなじところで躓く。
その先を見てみたい。 私が私でなくなればいいのになって思う。 これって、好奇心なのか、怖いものをみてみたい欲求なのか それは、まだわからないけれど。
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<835> けんと 改め まさ |
■2008年04月22日 火曜日 23時45分52秒 |
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感じるままに4
ふー、怒りを感じた。自分の感情を抑える癖。
泣いたよ。
ぽーっとして、散歩したら、将来したいことが浮かんだ。
どうも、航空宇宙産業の会社を興したいらしい。
少年の時の夢なんだよね。
泣いてしまった。将来やりたいことって、こんなでかいことなのかと。
自分の力を評価して、本当にやりたいことを書くとそうなるんだ。
自分自身に対する厳しい見方は、自分自身に対する冒涜だ。
少年時代に、スペースシャトルの前段階の計画についての本をよく読んだ。
かなりの下準備の上にたくさんの失敗があり、大きな航空会社が、
空軍パイロットを雇って、実験に実験を重ねたんだ。
その本を読んだ時にワクワクしたんだ。
自分の本音って本当にしまっているもんだね。
心の底にある、計画的な願望は、自分のしたいことを肯定して、
初めて、自分の心の底から出てくる、少年時代の思いともに・・・
自分の中には1段式の、オリジナルスペースプレーンのプロットがある。
何か、本当にお金を稼ぎたくなったよ。
リアルなイメージと、オーナーとして指揮を取る俺、
抑えてきた願望は、これをかなり否定してきたんだな。
空想できることは現実になると、アインシュタインは言った。
いったいいつになるだろう?
今、コンピューターについて、一生懸命、勉強していることと関係があるのか?
怒りのような爆発的な思いは、激しい感情ともに、激情のごとく出る。
自分の願望と、抑えてきた連中との葛藤劇。
震えんばかりに、いきり立つ俺、
落ち込んでいた理由は、この願望が分からなかったんだ。
寂しく思うのも、この願望を過去に母に否定され、自分の才能を母に似た女性に否定されたからだ。
宇宙へ行きたい。自分の作った宇宙機で。
何千億円と言う資金と、開発スタッフをどうやって集めればいいんだ?
空想からすれば、自分の願望が、そういう願いを持つ彼らを集める、集塵機になると思う。
感情のままに書いた。
まだ、あるらしい。
自己否定感は、過去の親からのストップメッセージだ。
自己肯定すれば、楽になる。
泣けてきた。
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<834> けんと 改め まさ |
■2008年04月21日 月曜日 23時19分24秒 |
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感じるままに3
感情的な起伏が無い。恐ろしく安定している。
好きな仕事が軌道に乗り始め、メインブログに集中しだした。
収益こそ低いが、満足で、父も肯定的な感想を行ってくれた。
弟は、それもいいけど練って感じで、俺がやがては心理職関係に行くと思っている。
通信でカウンセリングの勉強をしているけど、それで飯を食うかは別問題だ。
そうすると、自分の計画がおかしくなるし、対人関係の基本スキルとして持っていたいんだ。
書いていて頭痛がするな。感情も押さえ込まれた感じがして、気分が悪い。
フィクションになっていない。フィクションは苦手だ。
感じるままに書くと、こうなってしまう。
少しの空想は必要だと主治医は言うが、空想=計画なんで、
どうしても、今の事業を少しずつ、楽なほうへと持っていく感じしか出ない。
去年から葛藤して続けて、今年に入って、方向転換したら、当たりだした。
継続は力なりだね。
怖いのは、「成功者の告白」と言う本のとおり、女性問題に巻き込まれやすくなった。
もちろん、うつもそうもある。でも、振幅が小さいんだ。だいたい、安定していて、主治医すら、就業訓練に行きなさいという。
普通の人として行けと。
いったい、回復って何?
混乱するな。
確かに安定感があるし、自分を抑えることができる。
欝の時の対処も知っている。
後は過度の緊張感をいいと思うしかない。
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<833> けんと 改め まさ |
■2008年04月19日 土曜日 19時49分08秒 |
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頭痛と気分と対人関係と
濃い対人関係の精神科デイケア。大きなデイケアなので、
多くの人との関わりがある。
入試手からの知り合いが多く、看護士から、主治医、他の精神科医、薬剤師、ソーシャルワーカー、臨床心理士、メンバー・・・・
気分が重くなるのは、いちいち相手との関係を考えてしまうからだ。
女性スタッフが多く病院なので、言動に気をつけている。
そうしたら、発言が丸くなってしまい、何か女性のような話し方になってしまった。
もちろん、男性の友人には、男性特有の語彙で話すけど、最近、軽く、明るく話すスタイルになってしまった。いや、なっていた。
よく、OOと思うよ。と言う言い方をよく使う。
不思議と角が立たない。やんわりと意見を言うなら、大抵通る。
例外もいた。あるソーシャルワーカー。自分の書いたポスターを、作品展でなく、病院の廊下に掲示されてしまった。
俺は簡単に理由を聞いた。でも、この女性はかんかんに怒り、「あまりにも簡単に書いた作品は出せませんので、廊下に掲示しました!!!(怒り)」
俺は切れそうになった。しかし、ここでの関係上、怒れず、はいと言い、自分を引っ込めた。
普段、ぶりっ子のタイプで、?なんだが、どこかのお嬢さんかと思う。
まあ、いいけどね。
ああ、フィクションになっていないな。
とにかく、頭痛の原因なるのは大抵、スタッフの女性なんだ。そして、一部の女性メンバー。(デイケア内の)
はあ、俺は、当分、行きたくないな。
作業所でも、気の強い女性がいるし、何か災難だ。
とにかく、自分に頑張ったねだ。
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<832> けんと 改め まさ |
■2008年04月16日 水曜日 07時01分39秒 |
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感じるままでいいな2
何で過去を振る返るのか?
書きながらも思う。
まあ、文章を書いて表現するのが好きというのもそうだけど、
書くと自分の自分史を書いている感じがして、
自分が好きになるからね。
生きてきた証とか、いろんな想いとか・・・・
やっと、自分の居場所ができ、
ジブンチだけど・・・
PCで仕事する夢が実現して(まだ儲かってないけど)
自分の好きな仕事をしている実感は何物にも代え難い。
やり始めは試行錯誤で、毎日が新鮮で、それ主治医に言うと
それで飯が食えるのかと言われる。
そう聞くわりには、あっちは面白そうに聞くので、
こっちは3ヶ月間はやらせてくださいと言う。
変な話だ。起業自体は自分の意思と自然の流れ出し、
報告する義務は無いけど、話したい気持ちになる。
今まで掛かった精神科医で、ここまで面白い医者は初めてだ。
あっちは完全に俺を孫扱いしているので、
孫がいろんなことを片っ端から試すプロセスを楽しんで言うように見える。
さすがに爺さんは違うな・・・そう感じている自分も面白い。
この爺さん先生、ぜんぜんえらく見えない。
なんか、うまい言葉が無いけど、かわいい?か。
いつも笑っているし、カルテなんて少ししか書かない。
本当に要点だけなんだな。
字はうまくないし、
看護士はその先生のカルテは読めないと言っていた。
どうやってコミュニケーションするんだ><・・・
結局、病院内ではケータイでやりとりして、判断するらしい。
この病院ではスタッフ全員に近い感じで、ケータイを持っている。
入院中はめっちゃ監視されたが、
退院すると楽。
今は、外来の関係のスタッフと天気の話をしてしまうし、
一回だけエレベーターで理事の先生と雑談した。
その先生はいつも考え込んでいるが、
俺が挨拶して天気の話をすると、笑った。
なんで、俺ってこんなに度胸があるのかなと・・・
本で読んだ。地位の高い人は普通の話がしたいと・・・
俺は無意識にやってしまったんだ。
出会いに偶然は無いと言うから、きっと何かあるかもね^^;
そんな出会いが多い、大きな病院です。
事務員さんの責任者さんと知り合う機会があって、
自分の過去を話したことがある。
他の人に聞いたら元社長さん。
面白い人で、あたたかい。
こんな風になれたらなあ・・・・
そう思うよ。
笑顔がいい人は過去何かある。
そう感じた。
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<831> けんと 改め まさ |
■2008年04月16日 水曜日 06時40分11秒 |
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感じるままでいいな
感じるままでいいな・・・・
感じないで生きるなんて嫌だよ。
それは魂の死だよ。
自分の思うように人生をメイクできない生き方に何の価値があるのかな?
仕事をして、お金を得て、どこかの会社に所属しても満たされない気持ち。
去年、ある人材派遣会社に所属して、週2日働いた。
正直大変で、毎回違う会社に派遣されて、その都度、仕事を覚えるのは
苦痛だった。
一度、ある会社で緊張のあまり、タバコを吸ったんだけど、
機嫌の悪い社員の灰皿にぽんぽんと灰を落としたら怒られた。
「自分の灰皿は自分で用意しろ!!!!!」
当然だけど、こっちは、新聞配達してから、連続して来ているので、
気持ちの余裕が無い。
また、そんなことは言えない。相手には関係ないこと。
俺は、やり方を教わり、次の休憩時間に自分で灰皿を用意して
タバコを吸った。
派遣が正社員より待遇が悪いのは事実で、
社員がサボっても派遣はサボれない。
ああ、俺は何のために生きているのかな><。
そう思った時、あいつの笑顔が浮かぶ。
その当時、あいつは入院していたので、
俺はひたすら働いて、自分のことの意識を集中していた。
そう思うと不思議と楽になる。
その時はね・・・・・
その会社で、旋盤を使った仕事をもらい、
ひたすら削る。削る。削る。
俺はだいたい、担当者に正直にわからないので教えてくださいと言う。
担当はおばさんで、いろはを教えてくれる。
大変とは言え、過去、派遣にいたことがあり、
午前中を乗り越えれば、午後は楽と知っていたから、
午前中に勝負をかけた。
おばさんの教えにおかしな点があることに気付き、
楽なやり方に変えた。
最初は下手だった削りが、
だんだんうまくなる。
夢中になると面白い^^;
ノルマを簡単に達成してしまった。
それを見ていたおばさんが、材料を補充してくれる。
俺はノリノリで仕事をしまくった。
昔、工業高校の授業で旋盤の授業があったなあ・・・
そう思いながら、やっていて、昔の自分を超えた気がした。
お昼前にたくさんこなし、
昼飯の後、おばさんに言ったら、おばさんは上司に報告した。
意外にも、午前中の量は1日分だったらしい。
「この子は真面目だよ。」
と言われ、その上司がおばさんと話す。
その結果、楽なところへ配置換えになった。
頑張ると上司の目によく映ると効いていたが、本当だ。
まあ、そこも大変だったが(そこの部門の上司が外人だった)
めちゃくちゃ細かい人だったので、
俺は馬鹿丁寧に教わり、わからなくなるたびに聞いた。
何とかこなし、帰りの時間。
へろへろになったけど、まあ、頑張ったな、俺。
終わってから、会社に給料をもらいに行くつもりが、会社に行ったら
会社のしまってしまう。
現場リーダーの女性の相談した。
リーダーはすぐに会社に連絡、例外処理をしてくれ、
会社のバンで、会社に向かう。
そんな時に限り、道が混む。
まずい!!!。窓を見るともう近所だ。
俺は即断した。リーダーにいい。俺はここから走るから降ろしてくれと言った。
あっちはわかった!!!と言う感じで、道路に寄せてもらい俺は飛び降り、
ダッシュ!!!!
時間ぎりぎりに会社に飛ぶこみ、ギリギリセーフ。
会社の担当者とは仲が良かったのは幸いだった。
すぐに報告書を出して、換金する。
待っている間に、自販機でコーヒーを飲んだ。
今日は大変だったけど、なんか気分がいいな^^;
日当を貰い、コンビニで夕食を買って、のんびりした。
明日はまた、新聞配達か・・・・
そう思って、PCに向かう。
自分のHPをアップして、俺は寝た。至福の時間。
そんなことを今日になって思い出した。
起業するも、会社勤めも、頑張るしかないなと、
でも、好きな仕事でも儲けたいな・・・
今でもそう感じる。
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<830> 真名 |
■2008年04月15日 火曜日 05時50分33秒 |
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疲れている。 心が。 きのうの夜は解離していた。 自分の体が別人のものであるような気がして。 心と一致していなかった。
自分て何なのかわからない。 自分のイメージというのもよくわからない。 自分ていうのを感じることが難しい。 生き生きしている感じが持てないから。 特に理由もなく気持ちが落ち込んでいるから。 こんな私。
ときどき『私は生きていていいのか』 と思うことがあるよ。 死ぬ気はないんだけれども。
不安定で存在しているのかしていないのかわからないほどのかすかな存在。 私はいつもそんなふうに感じている。
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<829> 真名 |
■2008年04月15日 火曜日 05時10分33秒 |
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ほんとうは好き〜3〜
Tチーフはいつの間にか私の憧れの対象になっていた。 仕事ができるし、人柄が良い。 彼は夕方ごろになると売り場を見に来るが、普段は事務所のパソコンに向かって仕事をしてることが多かった。 具体的にどんな仕事をしていたかは、パソコンをのぞきこむことができなかったので、よくわからなかったが、事務所に用事があって彼の姿を見ると、私はいつもドキドキした。 ブラインドタッチのできない私にとっては、彼の仕事ぶりはとてもかっこよく映った。 クリスマスの商品は、ツリー、ツリーに付ける電飾、オーナメント(飾り)、手をたたくと音に反応して動く目のついたツリーのおもちゃ、踊りだすサンタのおじいさんなどであった。 中でもオーナメントは種類が豊富で、カントリー風、ディズニー系、メルヘン系などいろいろあった。 よく売れたのは、ツリーと電飾、ツリーに付ける金や銀のモールやベルであった。 毎日飛ぶように売れた。 私の配属された催事売り場にはもう一人、Yさんという私より少し年上の女性の先輩がいた。 Yさんは風邪をひいて数日仕事を休んでいて、私が入ってから一週間ほどして職場に来た。 Yさんも仕事のできる先輩だった。 アルバイトだけれども、半分くらいは事務所にいて、Tチーフと一緒に仕事をしている。 社員がする仕事も任されていたのだろう。 ある時、Yさんが売り場までやってきて、大きな段ボール3箱分の商品を5時までに陳列してくれと言った。 即座に私は『できない』と思った。 箱の中には、飾りのベルやモールやキャンドルがぎっしりと詰め込まれている。 5時まではあと40分しかない。 無理難題を押し付けられたようなものだった。 私はできないものを無理してやって、後になって迷惑をかけるよりは、先に「できません」と言って、援助を要請する方が理にかなっているように感じあた。 私は勇気を出してYさんのところへ行き「時間までには出来そうもありません」と言った。 しかしYさんは不機嫌そうな顔をした。 私は仕方なく商品を陳列することにした。 遅くなっても仕方ない。 しばらくすると、事務所の方からYさんとTチーフがやってきた。 二人ともにこやかだった。 何を言われるのかなと少しびくびくしていると、Tチーフが「Mは時間までには出来そうもないから、先に言ったんだよな?』と言い、私のウエストのベルトをふざけたように触った。 私の気持ちはほぐれた。 言葉にはできなかったけれども、私はこじれそうになったYさんと私の中をTチーフが取り持ってくれたことに深く感謝した。 結局、商品の陳列は今日できるところまでやればいいということになった。 私はできる限り手早く、きれいに商品を並べた。 Yさんは、きっとTチーフのことが好きに違いないと、私は思った。 Tチーフと話しているときのYさんは、明るくて生き生きとしているからだ。 仕事にも慣れてくると、隣のバラエティー雑貨の人たちとも仲良くなった。 休憩時間が一緒の時は、ご飯を一緒に食べたり、一服しに行ったりする。 そのうちの一人、Aさんがある日気になることを言った。 「男でMさんのこと嫌いな人はいないと思うけど、女の子はね。たまにかわいそうになっちゃう」 私は複雑な気持ちだった。 仕事の人間関係は希薄でもいいから、仕事を一生懸命にこなすことだけを考えてきたのに、この言葉は私が周りから浮いた存在であることを暗に言っているような言葉だったからだ。 Aさんが心配してくれてることは嬉しかったが、女性から嫌われているような気がして、憂鬱になってしまった。 そう言われてみれば、私が話す人は全員男性だった。 特に意識して男性に話しかけていたというわけではないが、気づいてみればそうだった。 その日の昼食の休憩は、一緒に休憩を取る人もいなくて、私は真ん中の列のテーブルの隅にポツンと座り、一人で食事をしていた。 さっきAさんに言われたことが気になり、ご飯もおいしく感じなかった。 すると、Tチーフがやってきて、私の目の前に座った。 「お疲れ様です」 私はそう言って挨拶したが、食べてる間、何も言葉を発することができなかった。 『一人で食べてるから気を遣って前に座ってくれたのかな』 そう思ったけれど、聞けるはずもなく、Tチーフも黙々と食べていたので、会話しないほうがいいのかなとも思い、黙っていた。 私の座っているテーブルには、私とTチーフ以外は誰も座っていなかった。 横に4つ投げられたテーブルの中で、二人きりだった。 私は恥ずかしかった。 そのシチュエーション、Tチーフの気遣い、会話のない状態、何より憧れているTチーフが目の前にいること。 Tチーフは食事をし終わると「お先に」と言って、行ってしまった。 私はTチーフに好かれてるのかどうなのかと気になっていた。 好かれていると思いたかったけれども、確信が持てなかった。
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<828> マフマルバフ |
■2008年04月13日 日曜日 14時17分40秒 |
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「実録。連合赤軍あさま山荘への道程(みち)をみて」
昨日映画2本を観てどちらも途中で眠ってしまったよ。仕事の過密労働による疲れと普段の睡眠不足が蓄積してのことだろう。と思う。どうしたらいいんだよ。 フートンの理髪師は途中まで見て後は覚えていないが客は満席状態だった。 しかし実録・・・は3時間に及ぶ長編ながら最後まで瞬きもしない感じで見通した。 実は政治的なことは俺はよくわからないし1972年当事の時代状況もよくわからない。 どうしてあのような事件が起きたのか?という疑問はもっていた。 昨年もドイツの70年代の過激派学生が実業家を爆殺するドキュメントをみて思ったのは、ドイツ国内は貧乏な生活をしている人が大勢いることを知って驚いたってのが本音でした。
それはともかく集団が孤立し追い詰められると嫉妬やリンチが発生してしまうということは俺の体験を通じてもわかることでもある。 これはリーダーに見通しと余裕があるかどうかということにも関係することであると思った。けして政治的なだけの問題ではないと痛切に思いました。 席は満席で若い人もいた。音楽とクレジットが消えて照明が点灯されるまで誰も席を立たない映画は初めての体験です。 私など映画が終わるとさっさと帰ってしまうのですが立てませんでした。 いろいろ考えさせられてしまいまとまりがつかないですね。 どうしてあそこまで突っ走ってしまうのだ。本当に革命が起こせると思っていたのだろうか?確かに権力・資本の欺瞞性・詐欺的体質・権力犯罪をよく見抜きわかっているが、それは共産主義国家権力内部においても同じではないか。 あさま山荘内で当事のアメリカ大統領ニクソンが中国への訪問決定しそれはベトナム戦争終結を計画して発表されるのだが、それを山荘内で彼らはラジオで聞いて「どうしてだ、信じられない」と叫んでいる。 まぁ狂信的なのだともいえるが無意味なことではない。
実は俺が最近関心を持っていることは、安政の大獄から井伊直弼大老暗殺に及んだ水戸浪士と薩摩浪士(伊井の首を落とした浪士)のテロが幕府への反逆(彼らは儀であるといっている)という尊皇攘夷派の行動から大政奉還へと時代は大きく変わり西郷隆盛と大久保利通の対立西南戦争から大久保の暗殺前後までの混乱期に関心が及び、それに関した本(小説ではありませんよ)を読んでいるのだが、主に尊王攘夷に走る過激浪士の大半は欧米列強から輸入される消費物資による物価高騰のため生活苦という経済的側面があったのである。 しかし幕井伊直弼の開国通商条約調印で輸入・輸出の額は年々膨大なものとなり幕藩制度の体制では対応できない状況が発生しており、そのことを最もよく知っていたのが一橋慶喜や島津久信親子や当事の思想家や蘭学者たちであり、変革は避けられない状況があり国体という概念が尊王を通じて語れて久しい、というか醸成されていた時期であった。 この当事の欧米列強に対する東南アジア観が第二次世界大戦まで連綿と続いている問題でもあった。
だから第二次大戦後の組運動、民主化運動、日米条約反対闘争からベトナム反戦運動(べ平連)60年代・七〇年代の学生運動・学生運動鎮静化と同時に経済発展・大量生産大量消費時代への突入。 その過程での1972年は学生運動の沈静化、と同時に運動の地下潜行・過激化・武装闘争への最後のあがき終焉化へと向かっていたのではないか。 それはフランスの5月革命への結実以外は世界的に実を結ばず沈静化していたのに何故日本だけがバレスチナ闘争参加へと世界革命というところまで発展していったのだろうか? 岡本公三らによるイスラエルのテルアビブ銃撃無差別テロと現在のパレスチナやイラクやアフガン・パキスタンの自爆テロという攻撃は関係があるのか? う〜ん。こんなことを考えてしまっていた。
そんなことはともかく、しかしこの映画監督である若松孝二の映画は政治的メッセージがあるのだろうと思う。 思うと描いたのは彼のピンク映画が評判で再上映されるというので恥ずかしい思いをしてピンク映画館に行ったことがある。ずいぶん前のことだが恥ずかしい思いをした。 ビルの最上階が爆破されてしまうシーンだけ何故か覚えている。意味はさっぱりわからなかった。
まぁ今回の映画については歴史的検証に耐えうるいい映画であったと思うし、低予算であってもこのような迫真の表現ができるのだな、と感心しました。 このような映画は今後も再上映されるでしょうね。
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<827> マフマルバフ |
■2008年04月13日 日曜日 12時05分33秒 |
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「昨年の地震」
柏崎で昨年地震がありましたね。 原発の耐震性からくるトラブルはまだ結果がみえていません。
あのときNHKラジオを聞いていた私は酒店の棚から崩れ落ちつぶれた缶ビールでもいから売ってください、という新潟市民がいた。というニュースを聞いて思わず目頭を熱くしたものですが、美談すぎるのではないかと疑念を持ちよくよく考えてみるとその市民の声は聞こえていません。 それが事実かどうかはともかく、では何故たおれたネギや野菜でいいですから「売ってくれませんか」という市民はいないのか、、、、、それはおらんだろう。 俺でも買わないだろう。原発の誘致に賛成する自治体の首長がバカだとそこの市民は生活基盤を根本からそこなう可能性もあることに思い及ばないのだ。
私は一時ハウス栽培の農業生活を思い描いたことがある。都市生活にうんざりしたからだ。地下水の汚染のありようも工場で働く労働者の馬鹿さ加減にうんざりしたし、生産とは土壌を汚染しなければ製品は作れない構造に抵抗できないことを知ったからだ。 現在も産業廃棄物の中身をみて救いようが無いことに無力であることを思い知らされる。
ともかく当事俺は各地を見て廻ったが村長や村落のリーダーがしっかりして見通しのよい人のいるところでは環境を破壊するようなアホなことには絶対徹底的に反対するだろう。(すでにそのような地域には先達がおられる)。農業と政治は直結した問題であることをよくしっているからだ。 市場で売れるものを調査していかに生産し販売していくか戦略を練っているよ。 過疎地の進行しているところに伝統的にしっかりした戦略を持っているリーダーたる人はいない。ってのが俺の結論であった。
その各地によってちがう思想・精神性のちがいはどこからくるのか、どのようにして強力な思想・精神性は形成されていったのか?そのような歴史的な思想・精神面の形成されていく過程を俺は知りたいのだがそのようなことを書いている人は残念ながらいないようです。近世以降の思想史を書いている人はいますが・・・。
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<826> けんと 改め まさ |
■2008年04月13日 日曜日 10時08分30秒 |
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とらんすふぉーめーしょん2
(瞑想しながら書きますので、FBな発言が出ます、要注意!!!)
怒りを感じている。この地球を支配してきたあいつらに・・・
俺たちが、独立した個人であることを忘れさせるために数々の策略があった。
学校教育による奴隷化。
お金の知識を与えないことによる、お金の奴隷化。
宗教による、マインドコントロール。
意識によるコントロールは多重化していて、
共依存は、その最大の兵器である。
これ使った本人もそうなので、本末転倒だ。
秘密の情報を俺は持っているが、
そのためにこのBBSが閉鎖する恐れがあるので、
公開はしない。
ただ、この世界は幻想であり、ある輩の計画的な世界であること。
ヒントはマトリックスだ。
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<825> けんと 改め まさ |
■2008年04月12日 土曜日 17時20分08秒 |
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とらんすふぉーめーしょん
完全変態・・・蝶が幼虫から蛹、成虫に変わる過程。
自分にも起こりえるのか?
何回も脱皮している感じがするし、
自分がたまねぎだと感じることが多い。
むいてもむいても自分自身の芯に到達しないし、
焦りが出る。
書いても書いても、自分自身でない何かが、自分の中にいるんだ。
このBBSに来ると、自分が作家になった感覚があるんだ。
過去世であったのか?作家人生。
確かに、書くと止まらないし、書くば、書くほど、書いてしまう。
書いている文章を読みながら、感情が出てきて、自分自身に対する意識を
感じる。書くということは自分の中の膨大な記憶にアクセスすることなんだな。
書くたびに自分に対する認識を新たにするんだ。
最近、PCに向かう時間が増えた。友人との約束で、一本、ゲームを作らねばならない。PCで・・・
夢が形になってきた。ひたすら、黙々と、PCのチューンをしたくなったのは、このためか・・・
やっと、ADSLを無線化した。去年したかったんだが、挫折した。
マニュアル道理にしても繋がらず、昨日、サポートにかけた。
理由が分かった。設定が64ビットでなく、128ビットだったのだ。
通信のプロトコル(取り決めの)の設定が違っていたのだ。
ふー、親機と子機と喧嘩していたのか・・・・
ここまでして、また、コミュニケーションかああああ・・・
書いていて、落ち込んだよ。
じぶんにぐっとらっくだ。
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<824> けんと 改め まさ |
■2008年04月12日 土曜日 17時03分47秒 |
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自分との対話(瞑想しながら書きますので、フラッシュバック要注意です!!)
時間があると自分との対話をする。結構きついし、自分の中にある自分が、
否定的な自分が、会うことを拒絶し、こちらは怒りを感じてしまう。
孤独な時間は、一人のんびり過ごすが、何かを感じて、紙に書き出す。
たくさんの文章と何かの図形と、計画が出てきて、
違和感と怒りと泣いている自分が出る。
泣き叫びは、過去火事のときに見た、母の姿。号泣していた。
この体験は未だに自分に染み付いている。火が怖い。大きな火が怖い。
鮮やかなオレンジ色の大きな火は、俺たちの家と工場を燃やした。
人生の終わりだと思ったんだ。この時、8歳。
大家さんの取り計らいで、近所のアパートに越した俺たち。
近所の人の親切と不親切。父の悪口。俺は誰かのねたみによる反抗だと未だに思っている。
父はだらしないが、それ以上に人に親切だったので、多くのファンがいた。
必要以上に人の世話を焼き、人々は助かった。
世知辛い地域だったので、人々は助かった感じがあっただろうな。
そんな父の日とを助ける姿を、俺は見ていた。
その動機は純粋でお金儲けじゃなかった。
むしろ、お金をあげていた。
事業を起こしながらも欲が無いようなあるような、
そんな起業をして、人々はひっきりなしに来た。
母はお客の対応とお昼ご飯を用意して忙しく、
俺は学校から帰っても安らぎを覚えない。
仕方ないので、外に行き、近所の男の子たちと遊ぶ。
本当は、感覚を戻すために・・・・・?
瞑想しながら書いていた・・・
はっとして、時間が現在に戻る。
ああ、ここは瞑想と違う場所。
ここは今、自分の住んでいるアパート、
2008年4月12日、土曜日。
何か時間旅行した感覚。タイムマシン?
瞑想すると時間旅行ができるのか・・・・絶句・・・
妄想なのか・・・・
瞑想のトレーニングを積んで5ヶ月目。
暇があるとやってしまう。おたくになってまった。
まだ、自分のコントロールは難しい。
しかし、日に日にランクアップしている。
何度も瞑想はつらい経験を思い出し、
それを見つめるので、心臓が強くなる。
異次元の感覚。
書くたびに変わる自分自身。
感覚が鋭くなり、鋭敏な動きになる。
自分にグットラックだ。
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<823> ggukno |
■2008年04月11日 金曜日 19時19分23秒 |
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<822> 真名 |
■2008年04月09日 水曜日 12時24分04秒 |
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ほんとうは好き〜2〜
初仕事の土曜日の日に、私は言われたとおりカッターと赤と黒のボールペンを持っていった。 カッターは段ボールをつぶす際に開けるため、赤と黒のボールペンは書類を書く際に使う。 服装は、Gパンにスニーカー、上はユニフォームのシャツとエプロンだ。 私は催事売り場に配属された。 売り場のチーフは、先日私の面接をしてくれたTさんだった。 面接の時の印象とはまた違い、笑顔の似合う、素敵な人だった。 ハロウィンの季節だったので、売場ではかぼちゃの置物や仮装グッズを扱っていた。 Tさんは私を売り場まで連れて行き、同じ売り場のWさんに紹介してくれた。 Wさんは、背が高く、痩せ型の若い男性だった。 「W。今日から入ったMさんだ。よろしくな」 そう言ってTさんは笑顔で私を紹介してくれた。 うれしかった。 「よろしくお願いします」 私は笑顔でWさんに挨拶し、頭を下げた。 「よろしくお願いします」 小さな声で、Wさんが言った。 シャイだけど、親切で優しそうな人という印象を受けた。 Wさんは若く見えたが、聞いてみると年は私より1つ上だった。 「いつから働いているんですか?」と質問すると、「半年くらい前かな」 という返事が返ってきた。 それにしてはしっかりした仕事ぶりだなと私は感心した。 接客にしても商品の陳列にしても、丁寧に手早く仕事をする人だった。 Wさんは私にわかりやすく仕事を説明してくれた。 私はそのつどメモを取って、頭に叩き込んだ。
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<821> 真名 |
■2008年04月09日 水曜日 11時50分26秒 |
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ほんとうは好き〜1〜
バイトを辞めた。 また、だ。 私にとってはめずらしくないことだ。 人間関係のつらさで自分を追いつめてしまう癖は、直そうとしても直らなかった。 『死ぬくらいなら職場を変えた方がいい。』 そう思って何度も職場を変えてきた。 アルバイトは自給が良くなくても、働く場所はいっぱいある。 フリーペーパーの求人を見て、好きな雑貨屋の募集を見つけた。 首都圏にチェーン店のある有名雑貨店。 時給は良くなかったけれど、どんな仕事か興味があったので、応募することにした。 電話をかけると若い中年の女性が出て「明日の14時に履歴書を持ってきてください」と言った。 翌日、私は駅ビルの1階で履歴書用の写真を撮り、コーヒーショップでそれをカッターで切り取り、持ってきた履歴書に貼って、面接に向かった。 広い店内は、いくつかの売り場に分かれていて、十数人の人が働いていた。 私は入り口近くのバラエティー雑貨売り場の店員に声をかけて、事務所に通してもらった。 事務所の扉を開けると右手には商品棚がたくさんあり、商品がぎっしりと並べられていた。 左手に曲がるとデスクがいくつかあり、社員らしき人がパソコンや書類に向かって、一生懸命仕事をしていた。 私は真ん中に並べられている4つの机のうちの右奥の机に座るよう言われ、少し待っていると、少し白髪の交じった、40代はじめくらいの男性が来て、向かいの席に座った。 一見して、仕事のできる人に思えた。 すごく賢そうな顔をしていた。 話し方からも、それは伺えた。 面接は簡単に済み、すぐに採用された。 私はあさっての土曜から仕事に入ることになった。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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