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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.4
メッセージ数:80件

<80> もで ■2004年01月12日 月曜日 03時24分33秒
いつのことだったか。

手首に流れる赤色の液体を見て
「ああ、あたしの血も赤いんだなあ」としみじみ思ったことがある。
「あたしも人間なんだ」と安心した覚えがある。
<79> きりん ■2004年01月11日 日曜日 23時52分48秒
子供って 一体 何なんだろう。
私にとって 子供は自分の体の一部な位。
親にとって 私の存在って 何なんだろう。
私が 感じるのは 親が普通の大人と証明される為の マスコット・道具・・・位に思う。
夫が低学年の子供の事を「子供なんか何も考えていないよ」って。 健康的な夫はそんな風に 思っているのかな。私 夏休み 皆と遊んでいて「楽しい」って感情が出てくると 怒った父の顔が出て来て 一瞬にして 気持ちが灰色みたいになったの覚えてる・・・高校生とか就職しても そんな感じだったな。
大人って 子供の感情なんて 無いって思うのかな。私だって 私の子供だって いろんなこと 敏感に感じてるよ。

子供連れて 里帰りした時 母が「育て易いように 言う事聞かせないと お前が大変になるよ」って・・・。さすがだ!私を育てた母だ!私は親の思う通りの型にはめられて育ったみたい。私は 人間だ!人形じゃない!嬉しいとか悲しいとか 悔しいとか怒りとか痛いとか・・・・・感情も気持ちもある 人間なんだ・・・。
担任の先生から ○○さん、時々淋しい表情しますね・・って言われたり 中学の時 何週間も口 利かなかったり シグナル出していたのに・・・。
問題なんて あるはずが無い・・なんて 思っていたんだろうな。

あなたも決して 幸せな環境に育った訳じゃない・・・。それなら 子供の事 自分の事の様に 愛せば良かったのに・・・。
私 子供の頃から 色ーんな事 独りで考えてきたよ。親の事も冷静に 見てきたよ。だから 親と反対な子育てすれば良いんだってわかったし してもらいたかった事も良く 覚えてる。
私は 子供は 命がけで 育てるよ。おかあさんありがとうって、子供が自分の生を喜べるような・・・。私は 嫁ぐ時も言わなかったもんね。産んでくれた事には感謝しなくちゃね・・・。
<78> きりん ■2004年01月09日 金曜日 23時52分06秒
自分を生き抜く為に 親のせいにして 親を踏みつけて・・・爪先立ちで 必死に手を伸ばして・・・。やっと 人並みな生活 してきたんだ。
もう 誰のせいでもなく、生きるのは自分だから 親への憎しみって言う 踏み台を無くした。誰のせい・・とか そんな事は関係ない。生きていくのは 私。

でも 独りになって 実家との つながりも (精神的に楽だから)絶って居る状況だし、っていうか 私の居場所が無いって感じかな。
夫もその向こうの人たちも 私の辛さを理解しようとせず 何だか 宇宙に独り 浮きっぱなし・・って 気がしてる。

わたしが何をしても 誰も興味ないって 感じに思う。

私は 歩み寄ろうとしない。助けてもらう事も苦手だし

私は とてつもなく広いこの世の中で たった一人 誰にも 気付かれず 透明人間みたいに 私をすり抜けていくんだろうな。

はちきれそうな位に 孤独だよ・・。誰かに甘える事も出来ない 助けてもらう事も・・・素直に従う事も出来ない・・孤独に生きるしか出来ないのかも。

孤独はつらいね。 
<77> kuribo ■2004年01月02日 金曜日 06時18分21秒
 私は、自分の痛みを上手く語れない。
どう、語ればいいのか分からない。
語りたい事は、喉のそこまできているのに。

 特別、文章能力に長けているわけでも無いし。
砕けた話も出来ない。
足りない、技術を磨けば良いのかも知れないが、心はそう上手く語れない。
自分の中に、何か足りないのだろうが、自分に自信がもてない。

自分がないからなのかな?
でも、やっぱり自分はいるんだよな。心の中に。。。。
心の中の自分に忠実に生きたいよ。
やっぱり、暴力、暴言はいやだ。
きれい事と思われても、優しさを育んだほうがいい。
だだ、優しさは、時に依存的に思われてしまうのかな?

醜い感情だってある。 恨みもある、でも優しさを育みたい。
自分への切なる思いだ。
笑う事の、出来なかった私・・・
今は、少し笑えるようになってる・・・
それでいい。。。
<76> 埴輪 ■2003年12月28日 日曜日 19時03分10秒
レールが見えた。
車両に、定員をはるかにオーバーして、人間が乗っていて
さらにしがみつこうと群がる大群。
私は乗れなかった。
乗ったほうが、電車というのは、どこにたどり着くのかが見えやすい。
だから、皆乗りたいし、私もそう思った。
でも、列車はこない。
私は、ホームを降りて歩くことを決めた。
先人に道を尋ねると、そう悲観することもなさそうだと感じた。
歩いてしか行けないところも、見えないところもあるだろう。
雪が降ったら、宿を探そう。
たまにはバスに乗ったり、ヒッチハイクもしよう。
世間は、「列車からあぶれた人がこんなにいますよ」って
煽り立てて、列車の窓から見て言う。
大変だ大変だって、騒いで。
具体的な案も出さずに、問題だ問題だって騒ぐだけ。
<75> kuri ■2003年12月28日 日曜日 16時00分39秒
 人が、少しずつ元気になっ手くれる事は嬉しい。
反面、自分が焦ってしまう。

 今の自分になにができるのか?
何をすべきなのか? 長いトンネルの中にいるようだ。
来年の、目標は立ててみたが、頑張れるだろうか。

 行動する事や、体を鍛える事、仕事などは、頑張ればいいが。。。。
心は、頑張っても、帰る事はできないか!
良い方に意識を向ける訓練のみだろう・・・・

 焦ってはいけないとおもいつつ・・・焦ってしまう。
行けないな・・・ 自分のペースで行くしかないのだろうな・・・・
<74> ぶぅ ■2003年12月27日 土曜日 11時46分50秒
どうすればいいんだろう
結局・・・自分で自分を苦しめている
いつも
ずっと・・・
不満ばかりいっている自分がイヤででも他人のせいにして・・・
誰も辞めろとはいってなかった
なのに・・・辞めてしまった
誰もその相手と結婚しろとはいってなかった
なのに・・・NOが言えなくて結婚してしまった
ふりまわされるのはいつも母の言葉
彼女の助言は大抵正しい・・・
でも・・・あまりにころころ変りすぎる
彼女が嫌いだ!
そんな自分がもっと嫌い!
また他人のせいにしている
愛情ないのに結婚してしまった
本意でないのに退職してしまった
何やっているんだろう・・・
欲しくないもの手にして自己嫌悪に陥って・・・
悲劇のヒロインしたかったの?
どうしたら抜け出せるんだろう
働けば治る?
彼の言うとおりにしていればいい?
いいえ・・・自分で考えなければ
どうしたい?
彼を愛したい
彼でいいと思いたい
違う! どこかで「これじゃない」と思っている
やり直したい
本当に愛していない人と一緒にいる自分が嫌い!
嘘つきな自分が嫌い!
こんな時間までだらだらPCの前に座り続けている自分が嫌い!
どうしたいの?
どんな自分でいたいの?

話し方教室に行ってみようか
「君はものの言い方が・・・」
よく言われてきた
他人のものの言い方が気になっていた
傷ついてきた
でも・・・傷つけていたのは本当は私?
自分を認められないから他人を100%受け入れられなかったのかもしれない
自立したい
大人になりたい
どうすればいいの?
ここを出てどこか知らない町に行く?
そうすれば忘れられる?
苦しくて苦しくて・・・
彼に嫌われるの怖くてまた同じことしているのかもしれない
自立したい



<73> マフマルバフ ■2003年12月24日 水曜日 23時44分50秒
「書かれざる自叙伝・あほんだらの試み」
「共依存とトラウマ」
私はカウンセリングを受けるようになって4年目になります。
カウンセリングが最終的に必要になったからです。条件は自助グループの原則である「言いっ放し・聞きっ放し」をそのままルールに採用しています。
話していく中で何度も限界を感じました。それが今も続いているのは、聞く側のセンスがいいからです。
私はこれまで何度もカウンセリングを受けようと試みたのですが、カウンセリングの方法が人によりあやふやで信頼できない。ということでうけませんでした。
 人を見抜くことはできるのです。私が気にすることは「うなづく・首をやたらとふる人」これは詐欺師がよくやる手口です。涙を見せて泣いたりする演技もうまいのです。
このような古典的詐欺は現在通用しませんが、涙もろい人には何度も通用します。このような現場をみていると、首を振る人の心理をどうしても考えてしまう癖が私にはあるようです。
 カウンセラーを受けるかどうかも、やたらと首をふらないから信頼できる。と確信したぐらいです。
 どうしても、うんうんわかる。わかる。という処世術を身につけざるをえなかった人の立場も私はわかります。
 私は小泉首相と〇〇〇氏の戦後初の会談をTVでみていましたが、どちらが多く首をふるか注目していたぐらいです。
 うなづくことは窮屈な社会では処世術として身につけざるをえないと思います。しかし、私にはそれを身につけることができませんでした。
 態度がでかい!とある人に注意されました。「へっ そうですか」と気にしたことも事実です。

 つまり、私がACの問題を探るキーポイントはトラウマです。私は自分の過去を一人で考察していましたが、それは苦痛なことです。しかし、よくわからないから率直に見ることに何等の躊躇はありませんでした。
最近になってやっと、よくわからなかったことが見えてきた。という段階まできました。

私の問題の多くは「トラウマ」です。共依存的問題は私が生息してきた社会関係では通用しない処世術であったのではないか。と考えています。
 共依存の問題は複雑であると思いますが。私には古典的詐欺師の手口にみえるというのは、このような体験からきているのではないかと思っています。
<72> kuri ■2003年12月24日 水曜日 12時28分04秒
今日、辛い事があった。
鏡の中の自分と、鏡を見つめて居る自分が、どちらがどちらだか分からなくなってうしまった。 自業自得。。。その言葉が頭の中でかけめぐる。
 
 ダメだ。。。今の私は自分を責めざるおえない。
もう、限界だ。  長い年月の付き合いなんて簡単に壊れてしまうんだろうか?
壊したのは、自分だ。 偏見視しないと言ってくれていたのに。。。。

でも、きっと彼女も、大変な時なのかも知れない。
人には,めいっぱいと言う事がある。。。。
時間が、優しく流れてくれる事を信じよう。
<71> きりん ■2003年12月21日 日曜日 20時44分27秒
ずっと 自分が自分を認められなかったり ダメな人間って思ったり 全て 自分は世間に 順応して生きるなんて ずうずうしい事なんだって そうやって いつも 自分に 負荷を課して生きていた。

ようやく ACに気付いて これは 両親が作った 環境のせいなんだって わかった・・。
親を 恨むなんて いけない事・・って なかなか認められなかったけど 全部 親のせいだって 思う様にしたら 随分 楽になった・・・。あれも コレも 親のせい・・・。

でも この先 生きて行くには 誰かを 恨んでいても 成長は出来ない・・って解かった・・。恨む時期を 乗り越えて 親は親の人生を生きて行けば良いし、私は私の人生を生きて行けば良いんだ・・・。私の人生は 親の為に あるんじゃない!!私の人生は 私の為にあるんだ!!って思った。

もう どうしようもない 親と戦うよりも これから先の人生を生きる為に 自分と戦う事が 有意義だと思った。

親の為に幸せになるんじゃない・・・私が幸せになれば 親との問題も 良い方に良くかもしれない。
<70> kuri ■2003年12月20日 土曜日 14時08分12秒
ねー出ておいおてよ!
耳をふさいでいないで、目を閉じていないで・・・
聞きたくない、みたくない・・・
抱きしめてあげるから出ておいでよ・・・
怖いよ・・・お父さん怖いよ。  お母さん気付いてよ。見てよ・・・

大丈夫・・・私が抱きしめてあげるから・・・・
怖い事はないもないんだよ。
心穏やかになったはずなのに・・・
喜びを知ったはずなのに。。。
怒らないで・・・近寄らないで。。。
何もみたくない・・・聞きたくない。。。
そこに行けない・・・大丈夫でておいで・・・・
ここは、温かい、私の心の中だよ・・・・
<69> かえで ■2003年12月19日 金曜日 02時14分58秒
ある日、その子はふてくされていた。「何がしたいの?」「ううん。ううん。」
首をぶんぶん振る。「怒ってるの?」「ううん。ううん。ううん。」
違うの。こんなわたしだけど・・・「じゃあ勝手にしなさい」って言わないで。
理由も聞かないで、不快な気持ちがおさまるまでそばにいてよ。
わたしはこころのなかでため息つきながら、隣にいたら眠りに落ちた。
深い眠りへ。。
<68> 花ちゃん ■2003年12月18日 木曜日 12時57分57秒
一月未来物語〜大人の花ちゃん〜

子供の花ちゃん10歳の時は純粋すぎたからたったの一度否定されてしまった想像の世界を言葉にして傷つくのが恐かった。そうやって少しづつくじかれていった想像力という宝物。元気ない顔してる人に足りなくなったもの。楽しい事想像する力。見失わないでね、「あのワンピースが欲しい」母「あんなのが欲しいの」「欲しいおもちゃがあるの」母「駄目よ!」それはたった一度と一度の本当の気持ちだった。大花「そうか、あんなのぶりっ子過ぎる、そうか、あんなおもちゃくだらないよね。」「「違うだろ、 大人の花ちゃん、 それは花ちゃん自身なんだから、認めてあげて、好きでいてあげて、可愛い可愛い花ちゃんなのに。」」あの頃の大人びた花ちゃんにエスパーテレパシー。「「自信なんかなくて傷つきたくなかった気持ち知っているよ、でもね君がすることは傷つかないように守ることじゃなく、君が守るものは子供の花ちゃんたったひとつなの・・信じて守ることなの、感じ方大切にしてあげて。」」想いは伝わり20004年1月27日子花ちゃん11歳になる。。。。*^0^*。。。一つ年をとるということがかけがえない。生まれた時から始まって一つの終わった時間などきっと死ぬまでないけれど、だから関係も続いて変わっていくけれど何事にも始まりがあって終わりがあることは知っているから。一つのことが何気なく始まって終わらせるのは自分の意識かもしれない。区切りの時間に限りがあってよかった。一つ一つの、その時の年も終わってく、そうやってしっかり意識して今から生きることが大切だ思ってるんだよエスパ〜は今!ほら今はこうやって自分の気持ちを文にして伝えられるよ、自分の洋服の趣味に自信が持てるよ。怒り悲しみの感情表現もちゃんとできるようになったよ!♪♪子花ちゃんよかったね。
<67> かえで ■2003年12月16日 火曜日 12時49分48秒
その子との出会い。
その子は何も喋らないけど、手をひいてわたしを連れて行った。
ゴムを持ってとわたしに頼んだ。
ゴム飛びをしようというのだ。
その子の友達には大きなお姉さんもいる。
その子はゴム飛びをする。けど小さいので途中からは飛べなくなる。
そして、お姉さんが高いゴムを飛ぶのを真剣に夢中になってみてた。
ゴム飛びが終わったあと、うれしそうな顔をして近づいてきた。
とっても純粋無垢な笑顔だった。
わたしはその子がかわいいと思った。
<66> マフマルバフ ■2003年12月15日 月曜日 11時00分22秒
「書かれざる自叙伝・あほんだらの試み」

少年時代を語ったことでもういい!と俺は思ったよ。
それなりに俺は必死で生き抜こうと遊ぶことに燃焼しつくしていたのだ。重いでは個人的な蓄積である。疎外された人間たちの失地回復の緑の土地になるのである。

しかし、トラウマを考えるとき、分かった分だけその後の変化もこれまで以上に分かってしまったのも事実だ。

その軌跡はトラウマをかかえるACの問題と多くの共通点があると思うのである。だからこそ俺はその構造的な問題を語らねばいけないと考えている。
幸せは個人的なものであり、不幸は社会的なものである・・・ってね。

んがぁ。俺はネグレクトの問題だ。・・・・かわいそうだぜ、ネグレクトのACは・・・。
立直りがたいところがある。それどころか、自分の問題さえわからずに、人を憎み、嫉妬し、気分の変動のままに世をののしるだけの、自分の責任を恐れ、すべて自己正当化し堕落人生を送ってしまうケースもあるのだ。

ネグレクトのない奴は親の支援を受け、つらいながらもなんとか社会生活の維持できるまでには回復できるだろう。失地回復は可能なんだよ。

俺がヴコウースキーのように詩や絵を書いたからといって出版社が買い取ってくれるわけじゃねえ。女にももてるわけじゃねえ。一芸に秀でてそれが認められてお金がもらえるなら・・・・もっとリアリティーのあるトラウマの記述をすることになんのためらいがあろうか。もちろん「嘘のない自叙伝だ」
一銭にもならんことを、わざわざのたうちまわってきた人生をさらけ出すのはどうだろうか・・・と少し迷ってますねん。

ここに俺のネグレクト・コンプレックスが口を固く閉ざしてしまう因がある。まだ自分の殻をでれねえ。・・・おもしろいかい・・ACの諸君。
<65> 埴輪 ■2003年12月15日 月曜日 01時31分29秒
「あいつ」が逃げたんだ。
もう少しで捕まえるところだったのに。
服従しましたってカオしてやがるんだ。
でも本当は違う。わたしは知っている。
わたしがうずくまったときに
必ずコントロールをはじめるんだ。
いたちごっこはやめにしようや。
でてこいよ。
自由にしてやる。
ただし、「それ」は置いていきな。
ぶっ壊すんだから。
操縦桿のことだよ。
管制官は、本来の役割を担うように。
これから、わたしが指揮官だ。
操縦桿はいらない。
わたしたちは、もう機械ではない。
<64> 花ちゃん ■2003年12月14日 日曜日 23時37分57秒
うさぎの心一年物語

今日来たこの家に寂しい気持ちの子がいるよ。僕が人の気持ちの分かること知らずにいる。花ちゃんは不安で仕方ない。4年たち、花ちゃんやっと自分の寂しさに気付く。花ちゃん20歳。エスパーうさうさ、人の事情を知っている。年齢的に大人になった花ちゃん、中身は10歳。実際の半分。僕が君を守ろう!そして愛そう!成長しよう!子供の花ちゃん、おなかが痛くうずくまってるところを、16歳の花ちゃんに閉じ込められる。「私はおなか痛くなんかないのよ〜、不安なんて感じたくないの、ちょっと黙っていてくれる?」子供の花ちゃん、時の止まる空間に閉じ込められる。でも違う。不安は消えない。友達と話していても大好きなテレビを見ていても。新しいことに挑戦しようとするとふ・あ・ん。「どういうことかしらーー、なんで?」花ちゃん気付く。黙らせといた自分に。本当の自分に。寂しそうな顔してる。顔見たら泣きたくなった。ゴメンね、自分。あなたの小さな声を無視したあの時から。大事なものを守る力がなかった。空間が解けて動き出す、今!花ちゃんは花ちゃんを抱きしめた。そして僕は花ちゃんを抱きしめた、、、抱きしめられた。僕の体はすごくすごく小さい。でも花ちゃんのそばにいるから。ただ黙って聞くから。君達の声を。僕のふわふわな毛で泣いていいよ、暖かだろ??僕達はこうやって生きていくんだ。ちっぽけな体とちっぽけな心で。受容され受容して、力を得て前を見る。不安な気持ちを知っていた。素直になりたかった気持ちとここから新しい一年が続く。不思議エスパーでした。
<63> まんまる ■2003年12月13日 土曜日 05時50分29秒
自分の子どもと話をしていて、
自分が幼い子どもになって一生懸命文句を言ってる姿に気づいた。
自分の中はまだまだ幼い子どもなんだ。

何年か前には、「母さんはいい子ぶってる」と言った子どもと
自分の区別が付かなくなり混乱して恐かった事がある。
目の前に居るのは子ども? 子ども時代の自分?
多分私が本当に言いたかった言葉だろう、母親に対して。
正論ばっかり言って、自分のことばかり庇っている姿。
相手の気持ちは考えもしない。
この混乱は本当に恐かった。

でも今回は、インナーチャイルドの感覚をほんの少し教えてもらって
自分でも意識していたから、かえってうれしかった。
子どもに頼ったのはまずかったと思うけれど。
これからは、自分で聞いてやらないと。
どんな子どもなんだろう、自分の中は。
恐いような、楽しみなような。
<62> 埴輪 ■2003年12月12日 金曜日 14時52分23秒
コントローラーを持っているのは誰なのか。
わたしは、それを探しに行く。
遠隔操作されていて、自我が維持できないのだ。
最後の破壊行為。
コントローラーをぶっ壊しに行くんだ。

フィードバックという機能。
自動操舵装置。
ロケットが自分で軌道修正しながら目的地にたどり着くためのシステムだ。
それを残してくれた、わたしを設計した偉大なる存在に感謝しよう。

敵は管制官だ。
彼らは本来の役目から逸脱している。
領域を侵している。
お前らをぶっ壊しに行く。
<61> SUN ■2003年12月11日 木曜日 16時11分02秒
私がACだと自覚して間もないころ、ぬいぐるみをインナーチャイルドに見立てて抱きしめ「私がいっぱい愛してあげる。一緒に大人になろうね。いっぱいいっぱい愛してあげる。」と言いながら、自然と涙が出た経験がある。
これは私の中にいるインナーチャイルドが初めて存在に気付いてもらえて、抱きしめられ優しい言葉をかけられたのが嬉しくて起こった出来事なのだろうか。
西尾和美さんの自己肯定の言葉を初めて声に出して読んだ時も、自然と涙が溢れた。何度も何度も自分に言い聞かせるように読み返した。自分はこの言葉が欲しかったんだと思った。これも、インナーチャイルドが関係して起こった出来事なのだろうか。
私が初めてインナーチャイルドをイメージしたとき、その子はとても寂しそうな表情をしていた。
その子に「何時でもそばにいるよ。私にうんと甘えて良いんだよ。いっぱい愛してあげる。寂しくないよ。よく頑張ったね。えらかったね。」と声をかけてあげた。
この言葉をもっともっとインナーチャイルドに言ってあげないと、その子が満足して笑顔になるまで。
また違う方法でイメージした事がある。その時は、その子は部屋の隅に1人で座って泣いていた。私が近づくと、私に飛びついて来た。私はその子を抱きしめ、膝の上に抱いてやり、一緒に眠った。少し満足してくれたように感じた。
その子が優しい母に抱きしめられるのをイメージした事がある。その子はとても嬉しそうだった。その子は優しい母に抱きしめられる事が一番嬉しいのかもしれない。
私自身が寂しいと感じる時は、その子が寂しいと感じているときなのだろう。そういう時は母に抱かれるのをイメージしてあげよう。
毎日毎日、母に抱きしめてもらうのをイメージしていれば、段々大人になっていくのだろうか。
でも、やはり、想像上の事なのだろうか。イメージだけでもインナーチャイルドに気持ちは届くのだろうか。
いつか、その子の愛情は満たされるのだろうか。本当の笑顔を見せてくれるようになるのだろうか。
本物のインナーチャイルドにいつか出会えるのだろうか。とにかくその子の愛情をこつこつと満たしてあげることしか、今の自分にできる事はない。

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This script written by Shintaro Wakayama.