Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.39
メッセージ数:780件

<780> けんと改めまさ ■2007年12月29日 土曜日 07時19分18秒
いんふぉぶりんがー

 自分の中の強い願望。自分をしっかりと癒した人ができる仕事。自分的には回復率98パーセントか。

 ここまで回復すると、インスピレーションがかなりの武器となる。人の目に精神態度が出て、行動で障害の重さがわかる。話を聞くとどういう指示をすればいいか、ほぼ瞬間的にわかる。すべてはACの回復の過程で学んだんだ。

 満たされない自分は2パーセントで、単純に寂しいだけだ。心の空洞をすべてふさぐわけにはいかない。

 寂しさは、母に愛してもらえなかったことが起因だ。代わりは、今の彼女の笑顔と声か。そしてあの、やさしい世話焼き。

 互いの想い合う恋愛でも、時には苦しく、時には悲しく、時には楽しい。

 魂の願望の感情は表現するとすごい怒りとなって、嵐になる。しばらく耐えることだ。感情はいいもわるいもない。感情は命だから。

 素直に感情と願望を認めたとき、自分の中のモンスターは、飼いならされた強健な従順なマシンとなる。

 さあ、俺とともにこの星のために生きろ。この星は病んでいる。心の病を原因とした犯罪と問題。人間の退行現象。経済の衰退。すべての鍵は回復にありだ。

 自分自身との対話で、今まで読んだ知識は、現実へとリンクする。

 この地球は癒し人を必要としている。インピレーションで動く者。

 彼らはいんふぉぶりんがーと呼ばれる。


 まさ アパートにて 2007年12月29日、このBBSにおいて、執筆を開始する

 
<779> けんと改めまさ ■2007年12月29日 土曜日 07時00分04秒
(現実は願望の鏡)


最近鏡をよく見る。自身のある顔。でも、うつろなときもある。

自分が王だという魂の声。精神世界系の本の影響かな?

自分自身の王と言うなら納得する。

自分を治めることのできる王国は自分自身という領土。

コミュニケーションは交渉関係か、もしくは貿易か。

昔から商売のことを考えるのが好きだった。現実に自営を2回ほどやったことがある。結果は散々だったが、自分の不勉強さを痛感したんだ。

先回の惨敗の後、健全なお金持ちになるための本を図書館で借りて読んだ。

お金に関する知識がお子ちゃまだったんだ。意外と知らないお金の知識。

それと感情ベースにした起業と営業、商品の開発。

経営者の能力に関係なく、起業できるという事実。

すべてはタイミングだと実践マーケッターは言う。

ニッチなマーケットを自分で作り、インパクトのある営業をする。

人脈をつくり、そこに良質のサービスを流すことの大切さ。

無料の商品の価値。お客さんとともに成長することの価値。

そんなことを振り返りながら、今年は起業3回目の準備をコツコツとした。

来年、ついに起業します!!!

こんなところで宣伝していいのかああ!!!

管理人さん、ごめんなさい。

鏡の中の私のはずが、現実は創造の鏡であるといいたい気分です。

自分の心の傷の癒すために起業するのは間違いです。

でも、トラウマがあるのは仕方がないです。

心痛を感じることができるので、人の痛みがわかる。人のために泣くことができる。これを共感能力というのでしょうか?

確かに、年齢のわりにたくさんの経験があります。知識もあります。

あとは、それを使うだけです。心の底の願望は好きな人と起業して、幸せなお金持ちになることです。

 愛する彼女も退院しました。雇う約束もしています。後は、事業計画を信用保証協会に提出して、お金を借りて、スタートを切るだけです。

 補足になりますが、自分の感覚で感じることは、回復は自分の才能を100セント信頼して、好きなことで起業することではないでしょうか。

 現実は願望の鏡です。願いを強く願うとき、幸せな生活への扉が開きます。

 もちろん、準備計画は大事で、何回も手で書くことは大事です。

 だいぶ趣旨とは外れました。

 そんな感じです。

 けんと 改め まさ
<778> マフマルバフ ■2007年12月15日 土曜日 01時08分36秒
雨のしのび合い。


井上靖の本を読んでいたらふと「雨の中のしのび合い」というフレーズが頭に浮かんだ。
ビルの中のコーヒー店から目を窓外に向けると夜の国道はめっきり車の数が減って遅い勤め帰りの人が地下街に向かって波が絶えない。
「雨の中のしのび合い」こういう演歌はあってしかるべきですでに誰かが歌ってヒットしないまま忘れ去られたようなものかもしれない。
しのび合うからには男と女。別け有り。冬の雨の中で寒さに震えながらくるべき人を待っている。
信号機の向こうのあのビルの陰辺りでコートに身を包み襟を立て傘を差している。
待っているのは男であってもいいだろう。
それが俺であったらどうだろうか。。。。。俺自身が待つ女とはどういう女であろうか?
人通りの絶えないビルの影でタバコに火をつけてまだ現れぬ女のことを思い出したりするんだな。ウ〜ン創造の世界とは言えかっこいいなァ。
女とは定時制の高校で知り合ったんだな。互いに労働の後に学ぶ仲間であった。女はまじめで向上心に溢れ資格を得てきちんとした生活を夢見ていた。気心の通じ合う二人は互いに励ましあいながら学ぶことに喜びを得ていた。
しかし俺は職場で先輩と殴り合いのけんかをして傷害罪で訴えられるが幸い起訴はまぬがれることができた。しかし職場を追われてしまうことになる。
俺は体内から発生するすさまじいストレスに絶えかね、はけ口を求めてケンカをしたのかもしれないい。本当に殴らなければならない相手は誰だったのか考えあぐねていた。親なのか中学校の担任教師か?分からなくなる。もっとその後ろにいる存在は何かということはおぼろげななままであった。
愛や友情というものに不信を持つようになっていた。
俺は救いようのない荒んでいく精神を自覚してこの街を去った。
あれから何年を経過しただろうか。
通り過ぎるだけのつもりで立ち寄ったこの地で俺は思わぬ車の事故に巻き込まれ救急車で病院にかつぎこまれた。たいした怪我ではなかったが出血した俺の頭に包帯を巻いてくれた女は、、、、、、、、互いに見詰め合う目と目に時間は飛び散り互いに励ましあっていた頃の過去に逆流するのに時間はいらなかった。
語り合うほどの言葉も交わさず互いに落ち合う場所を決めてしまった。
女は仕事を終えるとこの交差点を毎日通過すると言う。そのまま地下鉄に乗るかどうかはわからない、でもそこで少し話したいの。と女は言った。

流れ流れてさすらう俺を待たせる女。。。。(ううっかっこいいなぁ)
赤になった信号機の停止線に並ぶ人並みの中に俺は女をみとめた、赤いレインコートにピンクの傘がわずかに揺らめいたようにみえた。

できるなら、できるなら俺を見過ごしてそのまま地下鉄の入り口に向かってくれ。一度選んだ人生の岐路を再びこちらに向けてほしくはない。そのまま通り過ぎてくれ、それが人生というものだ。それでいいじゃないか。

ビル内のコーヒー店からそれを見つめている。
俺は俺の人生をカメラの画像がブレるように時間差をおいて俺自身を見つめている。

。。。。。ピンクの傘は一度その男を通り過ぎてためらいがちにグレーの傘を持つ男に近づきピンクとグレーの傘は人目をしのぶように重なった。
<777> あたら ■2007年12月13日 木曜日 17時01分26秒
アラタだって…

誤字脱字くらいしますよ。

いんだよ!!!!!!!!!!

<776> けんと ■2007年12月07日 金曜日 04時10分55秒
次元上昇(アセンション!!!)

フィクションのコーナーだけど、少しだけノンフィクション。

 自分の意識が変わっていく、変わり続けていくよ。

 毎瞬、この瞬間に。

 目覚めてよ、わが同胞たち。

 この惑星の異常に気づいてよ。

 社会もおかしい。政治もおかしい。経済もおかしい。人間がおかしい。気象がおかしい。情報操作。でも、もうすぐ、真実が明らかになるよ。

 さあ、地に足をつけよう。ACも情報だ。だが、だまされるな。自分を壊し、自分を再構築しよう。自分の感覚を信じ、恋をし、風を感じよう!!!

 もう、自己欺瞞は止めようよ。自分の好きなことに意識を集中しよう!!!

 これから、かなり大変なことが立て続けに起こるよ。俺のインナーチャイルドが言っている。彼は天とつながっている。この情報は信頼できる。

 キーワードはアセンションだ。次元上昇だ。さあ、この風に乗ろう。もう、こんな社会、惑星からはさようならだ。ようこそ、新しい社会、新しい惑星の地球!!!

 ただいま、地球は3次元から5次元へと移行中です。何回も自我が崩壊しますが、気にしないでください。好きなことをし、自分を愛し、少なくとも片思いはしましょう^^;

 度重なる陣痛が妊婦を襲うように皆さん自身に襲います。苦しみの後は新しい自分の誕生です!!!

 朗報!!!自分の能力が約10倍もアップ!!!(自分の感覚値)自尊心が向上!!!人間運、金運がアップ!!!ともかく、すべてのことに意味ありき。

 ありがとうを連呼しよう。さあ、立ち上がろう、アダルトチルドレンたち。

私たちは宇宙にとってすばらしい存在です。

私たちは私たちであっていいのです。

私たちは好きな人生と楽しんでいいのです。

もう、何の束縛もありません。自分の人生は自分で選んでいいのです。

時代の先は光が待っています。自分の気持ちのままに生きていいのです。

ここを読んでいる、すべてのアダルトチルドレンたち、ありがとう!!!

あなたは、あなたであっていいし、自己変容に身を任せていいよ^^;

限りないエールを俺と宇宙は送ります。

さあ、新しい時代を一緒に作ろう!!!!☆========

 けんと と ハイヤーパワー(天)
<775> けんと ■2007年12月03日 月曜日 16時02分00秒
猫の気持ちになって(おきらくにゃんこ)

 俺はけんとさんがかっている、とらきち。ニックネームはおきらくにゃんこ。なんで、この名前かってー。どうも、俺もトラウマが多くて、とらきちだけにとらうま?ぐーぜんだよ、ぐーぜん^^;

 俺は現実に存在していたんだ、今は、天からけんとさんにテレパシーを送って、代筆してもらっている。変に思うなよ。それからケントさんの名誉なために言うが、けんとさんは調子悪いながらも、セルフメンテナンスを毎日欠かさずやっているよ。えらいなー。

 件とサンの妹さんにある役場の柱のところに他の兄弟猫と俺は捨てられていた。みーんな、ちびばかりで、ママが恋しくて、よく泣いていたよ。これも仕方が無いか.....

そんな事情で俺はけんとさんちの猫になったんだ。そのとき、もう一匹、妹?が一緒に拾われてきたんだが、けんとさんの弟さんの看護むなしく、死んでしまった。俺は、死ぬまで忘れなかったよ。

 重い話ばかりだが、おきらくにゃんこになるまでのプロセスストーリーなんだよ、これ^^;けんとさんもよく、俺に自分を重ねていたんだ、ねえ、けんとさん?

けんと: 「うん、そうだよ^^;」

 ねえ、そうでしょう。読者様。この続きは、けんとさんの気分しだいと俺の気分しだいで進んでいくから、あまり期待しないでね。ちなみに、正直言うとけんとさんはあまり文才が無いね。(<=おい、それはないだろー(怒り))

 では、ごきげんよう

 おきらくにゃんこのとらきち with けんと
<774> マフマルバフ ■2007年12月01日 土曜日 11時54分01秒
身近な野鳥とその環境

戦前から戦後にかけての当時の暮らしの写真を見みていると少年の腰にヒヨドリやキジバト等の野鳥がたくさん頭を下にしてぶらさがっているものがある。野鳥は食べ物の対象でしかなかったのだろう。これが川に行けばたくさんの魚種が生活の糧になっていたようだ。
しかし現代はその野鳥も川魚(地域によっては鱗のない魚は絶滅しています)も激減しており主な原因は農薬や界面活性剤等の汚染や開発による生息環境の消失によるものであろうと思います。
私たちがみる現在の野鳥は居場所を失って都市に適応している野鳥であるようです。居場所をなくした野鳥たち、それも川の上流・中流・下流域(都市は必然的に下流です)で違った様相を呈しているようです。
そのようなことを各地で克明に調査している人はいないようです。
(動物の科学的データーが如何に当てにならないかは次回書きたいと思います)
そういいながら私も野鳥のことはよく知らないのです。
最近図書館で「カラスの早起きスズメの寝坊」文化鳥類学のおもしろさ・柴田敏隆著・新潮選書と「庭にきた鳥」命のドラマを家族で見る・佐藤信治著・農山漁村文化協会の2冊を読んだ。
どちらも長年にわたって鳥を観察してみたものだけに野鳥に関する理解が深まるものであった。
おもしろいと思ったことは文化鳥類学の立場の人と市井の(とは言え広大な庭を持っていますが)人の鳥の観察の仕方に違いがあることです。当然野鳥の観察結果もちがってくるわけです。
専門家は野鳥は目を動かすのでなく顔を動かしてモノをみるのです。と学者は言っておりますが私が身近に観察したキジバトは窓を開けて手の先にえさ箱を持っているわけですがキジバトは私の様子を見ながら至近距離では目だけを動かしてえさ箱の中の餌の有無が気になるようです。遠くの獲物を見る場合と近くのものを見る場合は違うと言うことを身近に餌をやって愛情をもって観察しないのが専門家の盲点です。

それはともかく柴田さんはドバトも調査すべきだという広い視点で野鳥から現代人への批判へと縦横な語り口でおもしろいです。
後者は北関東在住のあくまでも自宅内のガーデンでの野鳥や動植物や昆虫の四季折々の緻密な観察に徹底していておもしろいです。基本的に野鳥は蛾や昆虫を食べているようで私の手元にある安物の野鳥図鑑には例えば冬にシベリアから来るツグミは「ミミズを主食にし縄張り意識が強い」と書いてありますが佐藤さんの本には平和的なツグミと記されていて虫なども捕食しているようです。そしてその虫たちがどこにタマゴを産んで越冬しているかまで観察はおよび野鳥の食物連鎖を木の実から蛾や蝶などの昆虫まで調査し写真に収めています。

まぁ野鳥観察と言えどただハトが可愛いから餌をあげている。というぐらいの関心の人がほとんどですがその環境のことを考えると深刻な事態です。座しているわけにもいかずそのようなことに関心のある人たちのサークル活動はないかと点から面へと思考はひろがります。
<773> かえる ■2007年11月24日 土曜日 22時46分09秒
自分の幼さ。摂食障害の子は時に子供がえりをしたりするけど、それとは違うと思う… 見た目がガリガリで小中学生ぐらいにしか見えなかった頃の方がある程度は落ち着いて見えたかもしれない。異常は異常だったけど。あまり人と話さなかったし、話すことだって体型や体重が何キロだとか、おんなじ様なことをずっと繰り返してたと思う。途中で樹になりたい空気になりたいって願望でこれから先も人間として生き続けなければならないという現実が堪らなく苦痛だった。だから痩せる事と食べる事に没頭して自分の真に直面しなきゃなんない問題から目を背け続けてきた。まわりと話さなければ自分が傷つくこともなければ、心が乱され、あれこれ馬鹿みたいに考え込まなくてもいいって思ってた。それでいつの間にか自分の殻に閉じ籠って他の誰かに自分の感情を話すのも日常の何気ない会話でも、自分の言葉、間合い、表情をあらわすことをずっと忘れていた。無表情で喜怒哀楽がさっぱりつかみとれない。楽しいときは思いっきし笑っていいし、悲しいときはえんえん泣いていい、怒りも自分の中に飲み込まないでいい、吐き出していい、って素直に思える様になったら今みたいに天然の不思議キャラ、年齢不詳の子供っぽい大人らしからぬ大人になってたなぁ。もっと大人らしくとか思うけど、私用事では私は私のカラーでいいんだ。地がこれなんだから仕方ない。まわりと比べて変わってるって思いしらされる時は多い。その場で浮いてしまいがちにもなる。その度にへこむしイヤになる。でも私は私でしかない。他の誰かにもなれない。勿論、樹や空気などにはいくら望んでもなれやしない。…今のひと癖もふた癖もあってからみずらそうな自分に付き合ってくれてるまわりの人達に本当に感謝する。ありがとうを伝えよう。
<772> ぺあ ■2007年11月21日 水曜日 21時48分18秒
泣いた。
この家で泣いた。
泣いた。泣いた。わんわん泣いた。声出して母親なんか構わずに思いっきり涙が尽きるまで泣いた。泣いた。目が次の日腫れても、そんなこと気にせずに何にも気にせずに父が自死で亡くなったんだから、もう泣いた。いっぱいいっぱいい〜っぱいなき続けた。一週間いや一ヶ月なき続けた。父の事をおもって今までのことを思って泣きまくった、泣き続けた、泣き喚き続けた、泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いたよ。
<771> かえる ■2007年11月13日 火曜日 00時07分33秒
人と張り合い相手と自分を比べて優位に立つことばかり考えるのは嫌だ。誰もが個人個人に得意ですごく秀でてる箇所があったり、苦手でどうしたってまわりから見たら見劣りしてしまう部分があると思うから。適材適所に出来る部分をみんなで持ち回って駄目な箇所を補ってやっていけばいいじゃないか?なんで目を血走らせ躍起になって誰かより勝っていたいと思うのか?お願いだからそんなに己を誇示しないでください。だってあなたと一緒にいると疲れるんだもん。いつも人の会話を遮って自分を話の中心にもっていこうとする。これじゃ会話のキャッチボールが出来ないよ。私の自意識過剰だった謝るけど。私の真似ごとばかりしないでください。私と同じこと始めたり同じ持ち物にこだわりだしたり、本当に嫌気がさしてきます。あたはあなたの個性や感覚があるでしょ?それを大切にしたらいいんだ。それなら私は大いに認めるよ。だって真似事なんてつまんないじゃん。自分の持ち味が消えてしまうよ。
<770> ミン ■2007年11月05日 月曜日 13時44分31秒
空想の世界に親友がいる。
その人は男性で年は私と同じ位だ。
仕事で忙しくしているが私が甘えたい時、怒っている時、泣きたい時は会いたいと連絡すれば必ず時間を作ってくれる。
人を憎む気持ちや負け惜しみも説教せずに聞いてくれる。
私はその人に許されてると感じる。
会話がなくてもリラックスした気持ちで過ごすことができる。
何か感じて、その人に伝えたいと思った時だけ話せばよい。
無理して笑わさなくちゃ、とか、私といて退屈してないか?等、心配は
一切ない。信頼とはこういうものなのか?
私の機嫌を取ったりしないし、感情的になって怒ることもない。その人と話してるとわからなかった私の本音を知ることができる。戸惑いも苦しみも感じるが新しい発見をすることは次につながる。
できることならは、一生付き合っていきたい。
男女の関係ではなく人として。
<769> マフマルバフ ■2007年11月04日 日曜日 12時38分53秒
ある日の軌跡

自分が否定(黙殺)される目に会って寒々としたものが胸中を去来した。
ぽっかりと胸に穴があき風が吹き抜ける感じだった。どうしてだろうか昨日までの経緯考えてみた。昨日から眠れなかったのだ。眠気を感じとり眠り込むようにしているのだが昨日は眠りにつけそうにないことがわかった。ラジオに耳を傾けたのが悪かったのかもしれない。ラジオドラマの時代劇は人間関係や剣の動きを聞いてもさっぱりわからずその後に五十歳すぎた男女の不倫ドラマにも関心がわかず自然描写に注意して耳にしていると酔芙蓉の描写が絡んでくるのですが50歳も過ぎると不倫をするのにずいぶんと手間ひまがかかるもののようです。日本の過疎地からいきなりフランスのノルマンディに話がいったりして何だか退屈で不倫に意味付けするにしては寒いなぁ井上靖なんかだとこの辺の描写はキラリとして木漏れ日から小川のせせらぎや光まで脳みそに焼きつく観察がみてとれてそういう文章こそ読んでみたいなぁとか思っているうちに朝が開けて眠れないときのその日はどうなるのか予想がつかず不安に取りつかれる。
そのように迎えた朝の公園に向かう足は太陽がまぶしくその道でたまに会うおっさんが俺を見て挨拶もせず知らんふりをしたのだが以前からそうしているのにこういう日に限って黙殺されることに異様に反応したようだ。
ハトに餌をまいてから公園を歩く俺の足元をハトがまとわりついて進めない中でいろいろと考えてさせられた。
・・・・・・・・・・
自分が否定されることできつい風が胸中を吹きあれることに気づくようになったのはいつ頃からだろうか?
その過去をめくっていくことで何度も辿りついてうんざりしている。
私的に成人してからの話をしてみよう。
本屋で立ち読みしているときふとインカ帝国を描いた本に見入ってしまった。アメリカ先住民の事など考えたこともなく大勢の先住民が虐殺されてきたんだなぁ。インカ帝国の文化よりも殺される側・虐殺される側の傷みに心情を馳せる自分の心理がよくわからなかった。
ニュースで戦争場面が出てくるとどうしても殺される側の傷みに思いが及んでしまう。パレスチナ難民の経済封鎖やイスラエルの無謀な爆撃に腸煮えくり返るような思いに苦しむ。
捨てられ猫や捨てられ犬に傷ついた野鳥などをみると苦しむ。差別やいじめやすべて資本と迎合した政治手法や周縁問題にも複雑に苦しむ。こうしたことは悪いわけではないのだけど苦しみすぎて身がもたんやんけ。
まぁ自分を可愛そうに思う気持ちが反転してこのような心理的状態を生み出す部分もあるのだろうと思うのですよ。この反転するという思いは行動するとすぐに冷めるところがあるので分かります。現実はいろいろ難しいことが横たわっていますからね。それを乗り越えてまでやれないのですよ私は。ただ思いつめた行動になり易い私はそこで対人関係につまずいていたことが幾度もありました。
このような反応は自分のことを見る目が曇るのかもしれないし自己正当化して誤魔化しているのかもしれませんね。(哲学的には自己正当化は悪いことじゃないようですが意味の次元が違いますよね・・・)。
話をもどしましょう。自分以外のものに黙殺あるいは無視・否定されることは確かにキツイときはありますが自分の心理状態も影響していることに私は気づきました。そして知らぬまに自己否定に連続しているのです。それでも不断に自分を労う日々の中で自己否定というドン詰まりの淵からも這いあがれるようです。何遍も淵にいきますが何遍も這いあがれるようです。
<768> りる ■2007年10月31日 水曜日 00時50分04秒
これは、私がこう生きたいと望んでいる理想の世界。


私は冒険家である。
世界中の砂漠を、海を、山や荒野を、私はメス豹のように、強靭でワイルドなしなやかさで乗り越えてきた。

私はまた、文筆家でもあり、芸術家でもある。
私は、冒険旅行で得た事を題材にして、エッセイを書く。
それらの話は、世界中の人たちからの賞賛で迎えられた。
また、それらの体験をネタに描いた絵も、同様に、
その野生美に溢れた世界に対する、世界中の人々の羨望から、
この上なく高く評価された。

そんな私には、いつも冒険を共にする相棒が居る。
彼もまた、野生の狼のような野生美に溢れた男性だ。
無口ではあるが、その瞳には知性の光が宿っている。
その上彼は、私に対して、とてもよく尽くしてくれる。
そして、他の人間外生物たちにも、物凄く優しい。

私達は、常にお互い手を取り合いながら、様々な冒険をかいくぐってきた。
自然の織り成す雄大さや美しさに感動しつつ…。
私たちの旅は、お互いに命が尽き果てるまで終わる事が無いであろう。
<767> マフマルバフ ■2007年10月23日 火曜日 01時06分34秒
「見えにくい問題」

日記をつけようかなと思って今日の出来事や自分の考えたことを振り返ってみたりするのだが内容が連想につぐ連想が重なり考えたことというよりも雑誌の読後感想文に行き着いてしまう。
それをまとめようとするとどのような切り口から始めてどのように終わったらいいのか分からなくなってしまった。
私は最近花屋さんの前で立ち止まることが多くなってきた。エキザカムという花が育つとどのようになるのか見たこともなかったのですが昨日見たエキザカムは大きな鉢に丸く堂々と葉が大きく伸びて緑は濃く、触ってみると厚みもありました。
苗からここまで育てるにはある程度育ったら大きな鉢に植え替えて肥料を充分にやらないとここまで育てるのはむずかしいことだと思いました。
花を育てていくことも知識がないとむずかしいことですね。各家庭の花壇をそのような目で眺めていくときちんと面倒をみてもらっている花は少ないですね。
育てるのに手間ひまのかかる花がうれしそうに咲き誇っている姿をみるとこちらも嬉しくなりますがこれだけ面倒をよくみているということはそれだけ暇や悲しみが潜んでいるのではないかと私は連想してしまいます。
私が花を育てて見たいと思う動機も自分を癒すためなのですがそういうことをいうと「それはいいことだ」と生きる欲望を感じ取ってそういうようです。でも本人の複雑な気持ちはそれほど一面的なことで済まないことのように思えてなりません。

フォトジャーナリストという分野がありますよね。
ロバート・キャパの「倒れ行く兵士」などは有名なものですが私もあの写真を雑誌ではじめて見たときは兵士が撃たれる瞬間をあらかじめ構えた上で撮影しているようで実に疑わしい写真だ、とは思いました。
南アフリカで飢餓状態でうずくまる女の子を背後でハゲタカが狙っている写真も残酷で見ていられませんでしたがこの写真家が撮影後この女の子を助けたことは当然と思っていたのですが実はそのまま現場を後にしたことを知って烈しく憤怒しやりきれない気持ちに襲われたりしました。それ以降興味本位で撮影したものか自分の立場を厳しく問いただした人の撮影したものかしっかり見届けるようにしています。
戦争の現場で死亡した日本のカメラマンのSやIの写真も見ましたがキャパと同じ視点の人だということは分かるようになりました。
これはDAYS・JYPAN11月号のフォトジャーナリズムの世界・広河隆一さんの記事を見てやっと事の真相がわかり胸のつかえが降りたようでした。

写真雑誌は目でみてしまうためにフラッシュバックにつながりかねない残酷な写真がありおすすめ出来ないものでもある、とも私はおもいます。でも同号の「食べる動物と私たち」のように私たちに見えなくなっている問題に気づかせてくれたりします。

この家畜の問題は深刻な事態になっていると思うのですが私には何事もできません。「家畜とタマゴは食べない」と決めていたのに最近はタマゴと豚肉はちょこちょこ買ってしまいます。
田舎に行けば各家庭にニワトリは飼っていたものですが今はそれも見かけませんよね。ニワトリの世話や飼料を買うよりも買ったほうが安いからでしょうか?
コケコッコーと元気よく鳴くニワトリの姿もみかけませんね、田舎に出かけても。
<766> かえる ■2007年10月18日 木曜日 00時02分14秒
時々。自分がつくるちっこい世界が嫌んなる。今でいいって思えない?当たり前に存在するもの。身近な人を大切に思う気持。頑張れてる部分もある今の自分。…確に自分の中にも肯定できる感情はあるとは思うけどさ… 。やっぱり。あたしは。どこか冷めてる。優しくしてくれる人には調子会わせて、こっちも笑顔みせたりするけど。苦手な人はどう接したらいいのか?もわかんない。もっと仲良くなりたいって思ってる?私は貴方のことが眼中にないわけじゃない…と思う。親しくなれる可能性を考えて、なんだかムリっぽいと思うと自分から一線をひく。結局。自分が傷付くのがこわいんだよね。


<765> 秋 ■2007年10月17日 水曜日 12時49分07秒
当たり前のものが当たり前にあること

それにきづいて、いや気づかないふりをふりをして

街をあるきながら、誰かにふと出会えたような

喜びに出会うこと

カンタンで単純でない答えのないように

手の中をすーっと掠めてつめないよ
<764> みゅー(FB注意!) ■2007年10月17日 水曜日 02時09分41秒
なにやってんだ。あたしは。のども痛い。化粧も落としてない。働け!働いた方がまだマシなはずだ!太ってくれよ!体重計が正直な答えで。それが、今は全てで、強迫観念も強迫もそのまんまで。

はじめて今の病院に行った時、画用紙に「木の絵を描いて下さいね」言われた。今でも覚えてるけど、「根っこまで描いてね」言われて描いた、あたしの「木」は、覚えてる。木は細くて葉っぱは、ない。葉っぱは全部枯れ果てて、地面に積もってる。二枚ほど、はらはら木の枝から葉っぱが落ちてて、木に葉っぱをつけようか迷った。けど、一枚だけ描いた。「助けてください。だれか」そんな気持ちだったと思う。
根っこは、ひょろひょろ細くて。

今、その木は、どうなってるのか。「あたしっていう木」。「画才、文才、なにひとつない、一度も褒められたことない「あたし」っていう木」。少しは根っこは、たくましくなってるのか。枝も幹も太くなって、少しは葉っぱはついてきてるのか。
こういう病気と対面する主治医は「鏡」であって、「誘導尋問」みたいなことはしない。その人間の「木」や「根っこ」を見て、なぜ、そんな木や根っこになったのか、「誘導尋問」もどきは患者を混乱させる。患者本人が上手く、自分の事を話せるようになるまで、お互いがただ待つ。患者が上手く、自分のことばで、自分のことを話せるようになるまで。お互いが、ただ待つ。
「鏡」の主治医は、慎重に様子を見ながら、上手く、患者がこころを開けるよう手助けしていく。

だから、これだけ時間がかかる。辛抱、辛抱の毎日。それでも専門の時や、百貨店勤務は、きつかったけど楽しかったかも。
おかかのように、今へんな状態になるより、「いつか必ず出る」この状態が、今、この時でこの歳で、もしかしたらかえって、よかったのかもしれない。
と、酒で半分、別人、強気のあたしが、今の「今」だけは、そう思ってる。そんな気がするんだけど。
のど、いたい。いがいがする。
<763> マフマルバフ ■2007年10月01日 月曜日 00時42分36秒
「日本一短い手紙」とかまぼこ板の絵の物語・・・・コラボ展を見て。
わたしは福井県の発案で始まったこの日本一短い手紙展のことは聞き及んでおりました。
面白い企画ですか一度見てみたいとは思っていたのでこちらでも開催するというので行ってきました。
書かれている事はほとんど家族や恋愛に関することばかりでした。
何ともないことばかりの絵(かまぼこの絵)手紙なのですが地方の企画だけあって会場は畳敷きにしてありました。そのなんともないところにわたしにはなくして久しい家族観や郷愁やがさりげなく表現されていて泣けてきそうでした。中高年の夫婦連れが多いという雰囲気もあったのでしょうが涙をこらえて何気なくみてまわるのが辛かったですね。
気に入った作品のところに「夢」と書かれたかまぼこ板を置いていくという企画でしたので子細にみて「平和のときは地球よりも重い命 戦争になれば紙(赤紙・召集令状のことですね)よりも軽くなる命」というきちんと歴史を見てきた人の手紙に迷いなくかまぼこ板を置いてきました。
<762> けんと ■2007年09月30日 日曜日 07時24分56秒
おきらくにゃんこ

 おいらはおきらくにゃんこ の とら。ケントさんの分身だ。好きな餌はカル缶だ。猫まっしぐら!!!!!

 俺はおきらくに生きている。だって、猫人生、いろいろあったし、俺、元捨て猫なんだ。

 俺、けんか強いんだ^^;。子猫の時はめちゃめちゃいじめらたけど、実地でけんかを覚えた。今じゃ、おきらくタウンの猫猫公園のボスだよ。

 次回に続く 2007.9.30,7:24AM
<761> けんと ■2007年09月30日 日曜日 02時47分29秒
ふたり

 忍法、分身の術。大人一人、子供一人。必殺思考分裂!!!!

 感性モードオン!!!おきらくモードに移行、自責モード停止。こどもくんがおとなさんにいう、「思考障害が消えそうです・・・・、これができたら奇跡です・・・・」

 おとなさんは、冷静だあ、何食わぬ顔で、耳だけ向けて傾聴する。こどもくんの言うことを信じ、ただ受け止めたあ・・・・

 奇跡が起きることを、おとなさんは知っていた、しかし、短時間だけであることを・・・・そう、一時的にこどうくんに主導権を上げるんだ、そうするとき、俺自身であるけんとは、元気になる。もって数時間の奇跡・・・

 おとなとこどもがちーむをくむ。一時的な人格統合、泣く子も黙る人格統合
、気分が良くなる。詩を書くこともできなかった、学生時代。ひたすら、PCプログラミングばかりしていた。オタクだよね。結構悲しい。孤独で、友人はいない。ザナドゥにはまり、ゲームをしながら、ゲームの構造を解析していた。なんとなく分かったが、できなかったなあ。

 好きなことに打ち込む。好きなこと、歌、ギター、キーボード、おきらくにゃんこを描くこと、PCをいじる、PCプログラミング、ネットサーフィン、読書、将棋、トランプゲーム、日記を書く、エッセイを書く、革細工、HPの更新維持、人と話すこと、風呂に入ること、寝ること、食べること、そして彼女と話すこと・・・・

 数えたら、19個も好きなことがあった。趣味と生活と彼女。結構普通かな?妄想じゃないかな?

 こどもくんがもうやめたといった。おとなさんはいいよいう。おとなさんがけんとの舵を再び取り始めた、いけ、けんた、新聞配達、65件!!!

 また、なんかできたら書くね^^;

 BY けんと  2007・9.30,2:47AM


 

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.