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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.36
メッセージ数:720件

<720> 冬子 ■2007年05月02日 水曜日 21時40分08秒
「最近のお父さんね、書庫の片付けばっかりしてるんだよ」
母が不安そうに電話で言ってきたわけ。
ちょっとずつ落ち着きのなくなってきた最近の父の言動や行動には、私も気になってたところだったんだよね。
だから、母に言ったんだよ。「血圧の変動とかでも精神的な不安定さは出るらしいから、病院で検査してもらった方がいいんじゃない?」ってね。
連れ合いの「惚け」ということを恐れる母は、「そんなのヤダ!」と言い放ったかな。
「惚けとかじゃなくてぇ、初老期のうつ病とか、まぁよくある話なんだってばぁ」とちゃんと説明したんだけどね。聞こえないんだよね?私の声はさ。

父が、お醤油皿の外にお醤油を注して「あれぇ、注げないや」なんてやってたわけ。母は「やだなぁ、お父さんは」と、不機嫌に父を叱ってね。
だから母に言ったんだ。「お父さんの目、もう片方全然見えてないんだよ。危ないから、車の運転はやめさせた方がいいよ?」ってね。

田舎では、車がないととっても不便なんだよね。だから前に言ったでしょ?父が初めて本格的な入院になった時。
母はまだ40代だったから「今のうちに、お母さんも免許を取ること考えた方がいいよ?」ってね。
「ヤダぁ、車の運転なんて怖くって」が答えでしたっけね。

ヤダで済むなら、誰だって苦労はしないんだけどね。そこから先は、いつだって思考停止だものね。
実際に困ることができてから、「そんなこと言ったってぇ」となるんだったよね。

「お父さんには一人で運転させないから大丈夫だよ」「それに、近場でしか乗らないようにするから」ということでしたよね。
でも父は、通院は一人でしてて、その帰りに「帰って来ない人」になったんだったよね。

視力の点でも、精神の部分でも、父にハンドルを握らせてはいけなかったんだよ。
それを理解してる人間だけが、罪悪感に苦しむことになるわけだけどね。
だから母は、そんなことでは苦しまない。ちょうど一月前に亡くなった祖母(父の母)を持ち出して、「おばあさん、なにもうちのお父さんを連れて行っちゃうことないんねぇ」なんて言ってましたもんね。

解かってるのに・・・私はいつも口を塞がれるんだ。
いつもなんとかしたいと思ってるのに、私に協力してくれる人はいないしね。
いいから黙って見てろ!ってね。でも、責任はお前が背負うんだぞ!ってね。

責任を取らない人達の集団だからさ。お相手の立場では考えない人達の集団だからさ。
<719> 冬子 ■2007年05月02日 水曜日 19時31分14秒
「ちゃんと見送ってよね?」
亡くなっていく者の特権だとでもいうように、私に最後の「無理」をねだる人。

最後だから、仲良く娘二人に看取られたい?でも、あなたの病室にいるのは私だけだよ。
お金の無心以外で、彼の人がここに顔を出したことはないでしょ。もっとも、最近はそんなこともなくなってるけどね。
つまりね、そんな必要もなくなったからってこと。あなたの通帳類は、全部彼の人が解約しちゃったからね。
彼の人を家に入れたのはあなたでしょ。だから、あなたの家は、もう私が立ち入れない場所になってるの。

私、悪いけど、彼の人の欺瞞のお芝居に付き合うつもりはないよ。
その前に、もう彼の人から言い渡されてるの。「あんたは、葬儀には出なくていいから!」ってね。
私がはっきり事実を告げてなくても、あなただって薄々は状況を理解しているでしょう。

ってね、私の言葉は、いつだって聞いてもらえたことはないんだっけ。
でも、困った状況での「お願い」だけは、当たり前のように言ってくるよね。
私の助言は必要とされないのに、結果の後始末でだけ頼られるんだっけね。
私の状況は考慮されることなく、自分達の希望でだけ、それに応えることを求められるんだったよね。

「そうねぇ。そうできればいいんだけどね」「私がそう思ってても、あの人が邪魔をしたら、やっぱり無理なことだからね」
「私にだけ言われても、相手がいることだからねぇ」「その場合は、仕方ないよね?私はそう考えてるよ」
これくらいが、私が言える精一杯だからね。
はっきり無理と判ってることを、でも亡くなっていく人の希望を無碍にもできない所での、私の葛藤というお話だったのさ。
<718> 秋 ■2007年04月27日 金曜日 11時57分56秒
生理前と最中はまったく違うあたしがでてくる。
最悪で愛しい自分・・・
これが本当のあたしなんだろうんね。
欝で何でも壊したくなって死にたくなったり、それをこらえて
生きてるわけだけど。
その代わり自傷行為は激しくなる。
もはや、いきていたいのか そうでないのか 、、わからなくなる。
けれど、旦那が止めるからこうしている。
実家での両親の不仲、母の入院、どうして仲良くなれないのかな。
小さいころから罵り合うことも暴言も力で押さえつけられることも
慣れっこだと思っていたのに、今もうすぐ30だというのに影のように
私に付きまとう。
ココロヲ強くしたいね。

夢や希望、もったことない。自分は否定や馬鹿にされてばかりだったから。
遣り残したことはたくさん、小さいころに。
私の心はハートはまるで鎖で縛り付けられたようだ。
確かに醜いけど、愛されるって大切なんだな・・
<717> 秋 ■2007年04月21日 土曜日 09時02分59秒
わたしの背骨はレントゲンでは元気そうだった。
それは、<自分がいきてる>って証。
私はこんなにだめでどうしようもない人間なのに体内では私を動かすために
働いている。
親からもらった、いや頂いた体はメンタルな部分と違って元気だ。
病は気からというが本当にそうかもしれない・・

どうして心だけ・・
診察結果はうれしさと悲しさを生んだ。
<716> 冬子 ■2007年04月21日 土曜日 03時49分28秒
よければだけど・・・こっちへ来る?
↑とりあえずだけど、誘ってはみたわけ。
彼の人は、あなた方と同居するつもりはないよ?どっちにしても、あなた方も耐えられないんじゃないの?と思ってね。

別にいい娘を演じようと思ったわけじゃない。ただ、彼らの雑用のために出張るには、物理的に少し負担なんだ。
それでも、出張らないでは済まないでしょ?ってことでね。だから、彼らの方から少し歩み寄ってくれないものかと思ってね。

一瞬なら、少しは気持ちが動いたみたいだった。でも、VIP待遇じゃないのは、やっぱり気に入らなかったらしかったわね。
別にね、彼らとしては、今まで通り私が通えばいいことだって思ってるわけだしね。自分達が負担するわけじゃない苦労だから、彼らが理解するはずもなかったというお話。

とはいえ父は、彼の人への引っ掛けに、この出来事を利用したんだっけ。
「私達は冬の方へ行くから、二階の秋達の荷物を片付けに来い」とかなんとか。
え〜とね、彼の人があなた方の愛情(?)を独り占めしたがったのは、子どもの頃のお話だよ?
彼の人にとって、成人した今、あなた方の利用価値は、関心ではなく経済力の方。それは、同居してなくても、ちゃんと供給されてるでしょう?
彼の人にとっては理想的な環境だから、わざわざ変更する理由はないわけなの。

あなた方の描いた物語は、そうやっていつでも裏切られていってるでしょう?
でもそれは、現実を見ないあなた方の所為だよ。
悪いね。私は、あなた方には、現実を提示することしかできなくってね。
彼の人のように、甘い言葉であなた方を翻弄するようなマネはできないんだ。
でも、キレルことなく、あなた方に対応してきたでしょう?
病人の枕元で嫌味を並べるようなマネも、私にはできないからさ。

結局、現状を選んだあなた方だったわね。それとも、最後まで選択を保留し続けた結果だったのかな。
どちらも選べない?相手が歩み寄ってくれればいいだけなのにって?
「どうしてわかってくれないんだろうねぇ」と、彼の人の素行を嘆いていたように、「いつかは世間並みの孝行を考えてくれるだろう」との願いも、捨てることができなかったわけだよね。

父は・・・だから現実から逃げたんだろうね。自分の老後に向き合うことができなかった。
母は、元々現実を知らない人だから、仕方なしの現状に耐えるってことだけはできるのかな。
父の苦しみも、私の葛藤も、全然気づかずに過ごせてたらしいからさ。

私は、残念だけど、それを見ていることしかできなかったよ。
誰一人、自分のその立ち位置を変える気はないんだからさ。それでは、どうすることもできないってお話なわけだからさ。
<715> マフマルバフ改めモハメッド ■2007年04月19日 木曜日 23時24分19秒
『 ふきを買い おさなき頃の ははとかわむき おもいだしおり 』

ふん!調理法まちがえたよ。水でアク抜きして煮ることは知らんかった。
ブリのアラ煮の出汁に入れればまぁ食えるだろう。そう思って今調べたが遅かったよ。
どうせぇというのだ。一人で食えというのか!!!あなた、うっとこに来て食べるの加勢してくれへん。
内容は母恋しさではありません。そのようなことがガキの時代に一度だけあった。それっきりのことさ。ふん!!
<714> 【お知らせ・マフマルバフ改めモハメッドさんへ】 ■2007年04月17日 火曜日 21時20分08秒
4月17日付「「近代という病について」 ミシェル・フーコー 権力・知・歴史 追悼に寄せた書評より抜粋 「狂気の歴史」 正常と≪狂気≫ ― 狂気の発明 ―  R・D・レイン  訳 山本哲士・福井憲彦」の書き込みは、書物からの丸々の引用であり、この掲示板の主旨に反すると判断したため、削除させていただきました。
悪しからずご了承ください。

なお、書物からの全文の引用は、出典を明記する以外にも「最少限度であること」「その引用をおこなう必然性があること」「あくまで自分の書いた文章が主であり、引用は従属に過ぎないこと」という基準を満たしていなければ、著作権の侵害とみなされる場合もあります。

管理人・蔦吉
<713> マフマルバフ改めモハメッド ■2007年04月15日 日曜日 19時56分02秒
「フィフィの成長と停滞」

今日は日曜日だったのでしばらく公園に出かけて野鳥の観察をつづけた。
といってもハトばかり、最近はつぐみの姿は消えて朝早くにはツバメが舞っている。某所の巣では毎年利用されているのだが、他のツバメよりも早くきていることは同じツバメがきているのだろう、すでにツバメのヒナが生まれていてツバメの夫婦が忙しく暗くなるまで世話している。低い電線に止まったツバメを見るとほんとに小さい。

公園ではフィフィは見つけられなかった。よく似た羽根模様のハトはいるのだが目の色がちがう、このハトは2羽いておそらく兄弟だろう。
フィフィの特徴は尾羽の右側が短く飛ぶと真ん中より右側に歯が抜けたようになっている。
歩いているときは羽根の三列風きりの3枚目に先が白っぽいグレーであることと羽根の下の背中の羽毛が白いこと。全体の羽根の模様は黒とグレーが4対6ぐらいの割合である。
頭のグレーは何故かいつもきれいに整頓されていて乱れがない。目がパチっとして赤茶色。
歩き方はよたよたしながら歩く。下腹がやや脂肪が多いこと。右の真ん中の爪が右に曲がっていること。
見分け方は爪が黒く曲がっていることと風きりの三枚目の色と背中の白の3点ですぐに見分けがつく。
餌を播き終えてからフィフィはやってきた。どこか違う場所に行っていたのだろう、それからフィフイィ用の特別食を食べた。最近は好きなものだけ寄って食べると適当なところで地面におりてしまう。
ただ今日は食べ終えるとノドを膨らませてグルックーフグルックーと背伸びして鳴いたので「おおっこいつはオスだったのか」と初めてわかった次第です。
食べると池の水を飲んで私から離れるように屋根の上でいつも孤独にしている。

ムクドリは4羽ほどが常駐しているようで最近は私のすぐ側までやってくる、彼らは怖いもの知らずのようにどこに行っても堂々としている。クチバシのオレンジが鮮やかで美しい。パンを食べにくるようだ。
スズメは最近ことさら鳴き声がすさまじくなっている。必要以上に餌が欲しい時期なのだろう。ヒヨドリはおよそ人間に近づくことはない。たまにシジュウカラやセキレイがいる。

公園の池のたもとにすわっているとハトがゾロゾロついてくる。3羽ほどが水になれて泳ぐことができるようだ。飛び込んで羽ばたいて遊ぶのだがその3羽だけが何度も同じ事をして見せてくれる。「見て見てこんなこともできるんだよ」って言っているかのように。
足を見ると底に足を伸ばしてけっているようだ。深いと駄目なんだろうな。上がると羽根を伸ばして休息するのだが、うっとりしたように眼を細めて私を見る。生後1年前後くらいだろう。

片足を引きずるハトが何羽かいる。特に怪我をしているようには見えない。理由がわからないままだ。
左胸をえぐられているらしい黒いハトが1羽いる。階段を上がるときも左足がつかえてうまく上がれない。えぐられているところだけ白い羽毛が出ているので回復過程だろうと思われるが傷の程度は分からない。近づいて餌をあげるとフツーに食べる。何回かするうちにこのハトは餌を撒くかどうか私の目を見て判断していることに気づいた。
このハトは屋根に上がると座ってジッとしている。帰るときは3羽ぐらいで北の方角に飛んでいくようだ。はは〜んあそこのお寺にいるハトだろうと見当している。
長く池の側にいると、私の手持ちの餌がなくなる事がわかるのかほとんどのハトが散っていく中で1羽私の側を離れない生後2年ぐらい(2〜3年でも体はそう大きくはならない)のハトが私の側を離れない。このグレー色のハトは私を正面から見る。特徴を覚えようとするのだが似たのがたくさん居て識別がまだできないままである。

高い電線に止まってこちらからは黒い点としか見えない群れから離れたハトが一羽いる。私が動いて松の樹に隠れると見えるところに移動している。ああいうことをしているのは恐らくフィフィに違いないと思う。
ハトの観察をしているとフィフィは降りてきてメスに近づき求愛をする。メスには全部逃げられるようだ。逃げられるとすぐにあきらめてしまう。淡白すぎるんじゃ「もとしつこういかんかい」。
じっと追って見ているとフィフィは私の視線が気になるらしく私の方を向いて毛づくろいをはじめたりする。俺のことを親だと思っている雰囲気がある。
あのようなところにフィフィの成長の停滞を感じてしまう。
俺はできるだけフィフィから離れたほうがいいようだ。他にもハトに餌をあげる人はいるし、俺がフィフィの成長を停滞させる原因にこれ以上なってはならないと思った今日である。
<712> 冬子 ■2007年04月15日 日曜日 16時21分12秒
憐れさ?感じないわけじゃないけどね。

「かわいそうな人だねぇ」私が話し終えた瞬間に、夫の口から漏れた言葉。
話せば話しただけ、ため息しか出ないような彼の人の話。聞けば聞くだけ、重たい気持ちになる彼の人の様子。
「秋ちゃんも、(子どもの頃から)ほんと変わんないよねぇ」従姉妹がため息をついて、そう漏らしたんだとか。
うん、第三者の立場から見れば、そういう言葉しか出てこないよね?確かに。

「無惨だねぇ」そう呟く時、私の心の中にも、悲しさが湧き上がるよ。
でもね、それは私にとっては、気持ちの余裕ってお話でしかないんだ。
彼の人の醜悪さには吐き気がする。それ以上に私の心を占めるのが、彼の人への恐怖心だからね。
結婚して夫という後ろ盾ができたから、少しだけ恐怖は薄らいだの。
だけど今度は、夫までも、私の地獄に引き込んじゃったんだよねぇってね。

私の弁護士さんと相手方の事を話すのに、私の方が恐縮してるのが滑稽だったよ。
相手方の不実を証明するための金融機関への問い合わせも、(それをしたのは私ではないのに)「お恥ずかしいお話なんですけどね」と、つい口から出てしまうんだな。
夫が、「彼女はこんな目に遭ってるのに、それでも・どうしても、ついこういう言葉が出てしまうんですよ」と援護射撃で言い添えてくれたけどね。

家裁へ向かう途中の私は、緊張感すら自覚できなかったよ。でも、手の平はびっしょり濡れるのに気づいてね。
そりゃね、怖くないわけないんだよ。彼の人から仕掛けてきた調停とはいえ、初めて決定的に対決するんだからさ。

事情を知らない人達の前で、個人の事情を公開しなければならないんだよ。
そのことだけでも気が重いのに、彼の人がまたどんな恥ずかしい理屈を並べ立てていることだろうかと、そのことに対する恥ずかしさにも耐えていた私でね。
相手方弁護士さんにも、気の毒な気持ちでね。「申し訳ありませんね?勝手なことばかり申しておるのでしょうね?」と、つい頭を下げたくなってしまった私。

ううん、ちゃんと決心はしたんだよ?
彼の人がどれだけ恥ずかしいマネをしようとも、私が彼の人の代わりに恥ずかしいと思うことはやめるってね。
彼の人が負うべき感情なら、私が身代わりで感じるべきではないってね。だから、そういう感情は持たないことにするってね。そう決めるってね。

彼の人の罪なら、私が罪悪感を感じるのはやめようってね。

決着がついて以降は、私はもう彼の人の状況は知らない。知ろうとすることもやめたしね。
でも、彼の人への恐怖は、残念だけど無くなってないわけ。彼の人が生きてる限りは無理だよね。

憐れな人だとは思うよ?でも、私は被害当事者でもあるわけだからさ。
彼の人が変わらない限りは、私は変わらず被害当事者なままなわけだからさ。
<711> 冬子 ■2007年04月13日 金曜日 04時40分11秒
「家の敷居はまたがせないからな!」
↑こういう芝居がかった大げさな言葉が好きな人達だったわねぇ。

親の家を出て別に暮らしたいと思うこと。それが何故、親に逆らうことになるんだろうかね?
「家」というのは、一度出たらもう二度と戻ってはいけない、掟に支配された隠れ里だったりするんでしょうかね?
そんなことになったら、親の死に目にも会えないってことになるんだよ?という脅し。
まぁ、本当に勘当!なんてことになるのなら・・・そういうことになるんでしょうけどね。
でも私は、そういう扱いを受けなければいけないような「罪人」ですか??

放射線技師の専門学校? 女の子がそんなとこ(?)に入ったら、結婚ができなくなるそうで・・・ついでに、一族の結婚その他にも影響が出る迷惑事だと詰め寄られる。(おやおや)
じゃ、検査の方へ進ませていただきますよ? それでも、そんな肩書きつけて縁遠くなられても困るとか。それに、汚染された職場で働くことには変わりないとかね。
そうは言いながら、近所の医院の看護婦さん・歯科医院の技術補助者ならOKなんだな。
何故?そういうお嬢さん方が、別に縁遠くもなってないし、婚姻を敬遠されるようなことにもなってないから。それは何となく見ていて知ってることだから。

私は二番目だから、家を出て行く人間だったんじゃないの?私の名前は、だから「一人立ちしてやっていけるように」と、神主さん丸投げで決めてもらった名前だったんじゃないの?でもそれが、あなた方の私への願いという話だったんじゃないの?

理屈なんてないんじゃないの。ただ習慣に従って、意味も無い支配をしたいだけでしょ?「一族の・一家の迷惑になる」とかいう、でも根拠の無い理由で脅してね。
↑こういう習慣を、だから彼の人も有効に利用するわけですよね。

「あんたさ、この家を出てどうするつもりよ」「家を出ちゃえばもう平気なんて思ったら大間違いよ」「あたしに逆らって出てくなら、病気になろうが困ろうが、この家の助けなんてないんだからね」「親がいるから大丈夫なんて考えたら甘いわよ」「親だって、あたしの許可なく、あんたを助けることはできないんだからね」「よぅく考えなよ。結局あんたの損にしかならないんだからね」
↑はいはい、よく学習なさってますね?こうやって相手を苦しめるやり方についてだけは。
私の存在が許せないその人。でも、私が目の前から消えることも許せない。一生私を組み敷いて、踏みつけにしていたいんだものね?私が伸び伸びと自分の人生を生きることなんて、絶対に認めたくないんだものね?

私?「親の死に目に立ち会う」ということは諦めましたよ。両親の住む家を、自分の実家と思うこともやめました。元々居候扱いの場所だったしね。

考えるとね、「その人の臨終の場に居合わせることができる」なんてことは、普通の人でも、必ずしも叶うわけじゃないんだよね。(実際父は事故死?だったわけだしね)
だから、そのことはそれほどの不幸じゃないって思えたからさ。

父の入院・手術の看病も、結局いつだって私は関わったからね。父の葬儀も、(家の者としては)私が動き回るしかなかったしね。
あ、母の葬儀には出てないんだ。生きてる間の面倒は、でも私が看たから気にしないけどね。
最期にだけ手を合わせたがる人なんて、それ以前にその人に十分関わらなかった人だけだよ?なんてね。
そういう心残りや後ろめたさの清算の場が、つまりは葬儀・告別式ってものなんじゃないの?なんてね。
(*これは私の偏った一意見だから・・・深く気にされないことを望みます・ペコリ)

本当はね、捨てられるものなら捨てたかった人達だからさ。私には頼る必要のない(頼れない)人達なわけだから、私を頼ることなくやっていけてくれるなら、そのまま知らない・無関係な人になりたかったんだけどね。
もう二度と関わることもなく、でも遠くからとりあえずその人達の幸せ(?)とかいうものを祈っている?そういう感じでいたかったんだけどね。

一人立ちした時点で、遠い昔に亡くなってしまった思い出の人達ってことにしたかったんだけどね。
<710> 冬子 ■2007年04月10日 火曜日 15時55分00秒
「おねえちゃんにも優しいところはあるんだから」
↑これが父の言い分(言い含め)だったわね。
彼の人にだって、そりゃ人の部分はあるんでしょうけど・・・というか、そうじゃなかったら、それこそやり切れないってお話なんだけどさ。
でもね、この場合において、その事にどんな意味があるのかな。
彼の人の更生の余地というものが、あなた方の希望になっているのかもしれないけど、私にも、それを希望として生きろというお話ですか?
でもね、私とあなた方とでは、全然状況が違うわけですよ。
あなた方は、ただおろおろしながら、希望とかいうものにしがみついて、何の行動もなしに、現実から目を背けていればいいだけの立場。
「秋には困ったものだ」とうなだれていればいいだけでしょ?
でも、「これじゃ冬はやりきれないよ。かわいそう過ぎるよ」とは、考えたりしなかったのかな。
それも考えなくて済むように、私を説得したわけかな?上の言葉で。

「二人とも平等に大事にしてる・してきた」
彼の人が、「あたしとあの子とどっちが大事なのよぅ!」とふくれるたびに、あなた方はそう答えていたわね。
そう答えれば、彼の人が満足すると考えてた?
実際は違ってたでしょ?それをそのまま伝えてあげればよかったのに。
彼の人の主張は、自分が一番で、全部自分で、「あの子なんかに、絶対何も渡したくない!」だったんだから。
彼の人の要求は、決して「平等」なんてことじゃなかったんだから。
いつも不平等に彼の人の顔を立ててあげてるでしょ?とは、言いたくなかったのかな。
ではね、私がそうあなた方に訊ねたら?
やっぱり、同じ言葉で答えるだけのあなた方だったということになったのかな。

「あたしだって心配してるもん!」
母の入院でバタバタと動き回る周囲の外側から、自分は手出しも協力もしない立場から、彼の人が叫んだ言葉。
ん〜、だから何??心配をすることくらい、誰にだってできることでしょう。頭の片隅で、ちょっとだけその人のことを考えるということくらいはね。
ついでにだけど、そう言葉にするだけのことなら、更になんの負担もなく簡単にできることでしょう。
じゃ、「こんな大変なコトになるんだったら、手術なんかしないで早く逝ってくれた方がよかった」と、そう本人にぶつけた言葉は?
彼の人にとっての「心配してる」は、そういう気持ちを含んだものだったってことだよね。

あなたは、ストレートに言葉のまんまを受け取る人だけど、他の人は、それほど厳密に言葉を選んで話したりはしないものなんだよ。
あなたの言葉は、いつもまんまの真意を伝えてくるけど、他の人は、自分の真意なんてものからは目を背けてる場合が殆どだからね。

うん、それは私も知ってる。ただ、どうしてそうなのかな?っていうのが、いつも疑問なだけ。
<709> とら ■2007年04月10日 火曜日 15時06分36秒
対人関係で俺は癒された2

ついに彼女持ちになった俺は、不思議な感覚を覚えた。何か辛いのだ。気が重い。すっきりしない。初めての交際。恋愛するとこんな感じなのかと思った。
女性とは話し程度しかしていなかったので、親密になるとどうなるかわからなかった。交際して、1ヶ月ぐらいたって、彼女に電話で言われた。「とら君って真面目すぎるよね。理性的過ぎるよ。頭が固すぎる。抱擁してあげるよ。これは治療だからね。」俺は、ああこんな感じなのかと思いながら、デートに備えた。2回目のデートはプラネタリウム。彼女と俺の近くの駅で待ち合わせした。どきどきした。待ち時間まで待つと、彼女はやや遅れて、やってきた。あまりかっこつけた様子は無い。ジーンズ姿。お気軽な格好である。少しの用事を終わらせ、科学館へ向かう。地下鉄で隣同士で座る。どきどきする。彼女と親しく話をする。何を話したかな?ACのことはよく話した。お互いAC同士で、同じAクリニックのACグループでの出会い。お互いによく観察していた同士。もう、お互いの表面的なことはわかっている。もっと親しくならなきゃな。科学館へ向かう途中、俺と彼女の体がぶつかるどきどきした。そうだ、今晩、抱き合う予定なんだな。わくわくした。彼氏彼女ってこんな関係なのか。何かわかった気がするよ。俺のおごりで、プラネタリウムを見る。彼女と隣同士、なんだか眠くなる。心地いい。この時は、共依存感覚がなかった。彼女が俺の腕に顔をくっつけている。寝ていた。遠くから来たし、神経使いっぱなしだったんでだね。なんだか優しい気持ちになった。幸せだった。

 プラネタリウムが終わり、彼女を起こす。まだ、眠そう。科学館の外を二人で散歩する。屋台がある。たこ焼きの屋台に行った。彼女に聞く、食べたいかって。うんと言うので買う。8個入りのたこ焼きを一つ買う。ジュースも2つ買った。たこ焼きを半分ずつ食べる。何かすぐにおなかいっぱいになる。心もいっぱいだ。ベンチに腰掛、俺は彼女に自分の気持ちを話した。宗教で苦しんだことを話した。彼女はよく聞いてくれる。俺は、宗教の指導者の恨まれた。
なぜなら、宗教の勉強が大変できたからだ。彼らより詳しく知っていた。毎日
、3時間ずつの勉強。それがあったの自分。俺はその時は、宗教だけだった。
 
 夜になり、日が沈む、科学館がライトアップされる。きれいだ。二人で眺める。俺は彼女に抱擁していいか聞いた。彼女は少し困った顔をしている。言いだしっぺは彼女だ。何でだろうと思った。今ならわかるが、最初は怖いのだ。
彼女はまず、とら君の背中に抱きつかせてと言った。しぶしぶ俺はそうした。背中から抱きつかれる。ぎゅっとされた。しばらくそのままでいる。俺も落ち着いた。やがて、二人で正面から抱き合った。とても気持ちいい。彼女の髪のにおいがする。シャンプーのにおいだ。気持ちいい。俺は勇気が出て、彼女に聞いた。「キスしていい?」彼女はうなずく。そっとキスをした。かのじょのくちびるはやわらかかった。ぷにゅっとつぶれる。下を入れようとしたが、葉で拒まれた。くそ!でも幸せだった^^;約30分ぐらい抱き合ってキスしていたと思う。心の傷がいえてくる。でも、まだ、心の抵抗がある。少しだけ、インナーチャイルドが大きくなった気がする。気持ちは何故か複雑。心中で宗教の戒律が俺を悪者扱いする。インナーペアレントの一部に宗教戒律がしめていた。俺が入っていた宗教は、結婚するまで、抱擁していけないことになっている。おかしいだろ?俺は葛藤を感じた。なぜ、女と親密になってはいけない?それって自然だろ?そう自分で自分に言う。すると頭が痛くなる。心が騒ぐ。今思えばマインドコントロールが少しだけ解けたんだ。心がわくわくする。心がじわじわ言う。ふー。

 彼女はなかなか帰りたがらなかった。夜7時に帰る予定が、9時になる。
俺は彼女を地下鉄のホームまで送った。彼女を勇気付ける。彼女はしぶしぶ電車に乗った。俺は手を振る。電車は、ガタンゴトンと音を立てて、走り出す。
まあ、ケータイでメールできるし、もういいなあ。今日の出来事を振り返る。ああ、楽しかったが苦しかったな。ふー。

 帰りの地下鉄の中で、ケータイが鳴る。彼女からだ。まだ、話したいらしい。今度は俺が彼女の話を聞いた。何か家に帰るのが不安らしい。お母さんとは共依存だそうだ。俺はお母さんとは距離をとるように言う。彼女は解ったと言った。ケータイを切り、安堵する。これはいったい何?疲れているが満足感がある。俺は人の話を聞くのが楽で、とても好きなんだと気づいた。俺は人を癒すことができる!!!

 心の中で、一つの単語が浮かぶ。”癒し人”、天?からのメッセージのように感じた。何か安心する。俺は大宇宙と繋がっているんだと。この時から、運命が回りだした。ものすごい勢いで。次から次へと宗教のタブーを破ることになる。心がわなないた。心臓がドキドキする。心の目が開いた。人の心を感じることができるようになった。それまでは見えなかった事が見える。不思議な感覚だ。でも、まだ、心の一部が重い。すっきりしない部分、癒されていない部分がある。でも、時間をかければいいだろうと感じた。

 続く
<708> 冬子 ■2007年04月05日 木曜日 00時04分28秒
少し前から、ぽつりぽつりと昔話(ふっと蘇ること)を話せるようになったわけ。

父が「冬が赤ん坊の時、秋は冬にヤキモチを焼いて、そこのガラス戸に向かって冬を突き飛ばしたんだよな」なんて話をしたの。
赤ん坊の時って・・・それでも、幼児の私の中に浮かぶ映像はあるわけでね?何故か。
なるほど〜。私の身体のすぐ後ろで、私が「触れた覚えも無い」縁側の大きなガラスが割れたという記憶はあってさ。
あれは・・・その時の記憶・映像だったんだね?と、納得したわけでした。
赤ん坊だったわけだもんね。何をされたかの自覚なんてあるわけなかったよね。
でも覚えてる映像。大きなガラスが割れたことだけは、衝撃として残ったんだろうね。

「そういう記憶って、後から作られることもあるよ?」「ショックな話を聞いた所為で、それを映像化して自分の記憶だと思い込んじゃうってこと」

うん、そういうのかもしれないけど・・・でもその話を聞いた時、瞬間的に浮かんだ映像だったんだよ。

私、祖母が亡くなってた現場のこと、覚えてるって話したでしょ?
あれがどういうことなのか、なぜかその場で理解しちゃってた私だったんだよね。まだ保育園にも上がってない幼児だった私なのに。
その後の大人達のいろんな動きは、覚えてもいないのにね。警察やら検死やら、いろんなことがあったはずなのにね。

当時はまだ土葬だったから、降ろされた棺の上に全員で土をかけるわけ。
「ああいうことをすると、こうやって埋められちゃうんだ!」と思い込んじゃって・・・。
それがとっても恐怖でね。何度も何度も、埋められる自分を夢で見てはうなされていたの。

これ、私の家族も親戚も、誰も知らないことなんだよ。
今になって話したから、あなたやあの人(メンタル関係の友人)は知ってる話になったけどね。

母は祖母の話はしない。親戚も口にしない。だから、私も何も話さなかったのかな。

父の実家の廊下の奥には、そこの家の従姉妹にそっくりな制服姿の女性の写真がかかってた。私は、それが遺影だとは知らなくってね。
だって、誰もその人の話をしないから。だから、私も何も聞かなかったのかな。
その家の代々の方のお写真は、床の間のある座敷にかけてあるものだったしね。

世間に出せないことは、封印されて抹殺されていく。それが、両方の家のやり方だったというお話なんだ。
だから、いろんな事実が、そもそも無かったことにされていくわけなんだよね。
そこで声を上げたら、あんなふうに埋められちゃうんだろうね?って、そんなことを考えるようになったのは、でもいくつくらいからだったかなぁ。
はっきりなんてわからなくても、口にしてはいけない・声を出してはいけない掟は、でもちゃんと伝わっていたってお話だよね。
<707> とら ■2007年04月04日 水曜日 08時05分09秒
対人関係で俺は癒された

俺の過去を振り返ると、たくさんの女性たちの支えがあった。俺は母から相手にされなかった。母に甘えたい。抱っこしてもらいたい。認めてもらえたい。
でも母は厳しく、にこりとも笑わない。
父も余裕が無い。俺はどうしたらいいの。こんなじゃ、俺は寂しいよ。
世間の女性、特に母親の立場の人はやさしかった。俺は甘えてみた。
すると、甘えさせてくれた。ああ、これなのかあ。父の仕事を手伝う時に、
家の奥さんは、よく話を聞いてくれた。ああ、これが愛なのかな。
内心、泣きたかった。なんでさあ、母はこういうことができないの。
なんで、妹は厳しいの。何で弟はクールなの。
こんな経験がいっぱいあったのさ。少しずつ、女性に対する偏見が崩れてゆく。やがて落ち着いたころ、俺は恋に落ちた。前の前の彼女は、お嬢様だった。自分に自信がない。俺は最初は甘えたが、これではいけないと思った。
彼女と俺は同じカウンセラーの世話を受けていた。彼は普通はしないのだが、
彼女が俺に好意を持っているので、アッタクしたらと言った。俺は、「はああ?」と思った。確かに病院は同じだし、ACグループで、彼女のことを良く聞いていた。悪い人ではない。まあ、同じ宗教の人だ。共通点もある。
でも、変なにおいがした。俺は当時、共依存と愛の違いがわからなかった。
ある年の2月14日。ばったりと病院の外であった。ああ、やあ、元気?
そんな会話を交わす。なんと、寒い中、40分も立ち話をしてしまった。
出会いなのかなあ。馬が合う。でも、苦しいよ。
でも、俺は寂しかった。癒されたかった。別れて、考える。これって恋なんだよね。
数ヶ月考えた。病院のカウンセラーにも相談した。彼女は「よっぽど、好きなんだね。いいんじゃない。」
その年の7月末、俺は彼女の電話番号を思いがけず、手に入れて、震えながら
告白した。彼女は俺がかけてくるのを予想していた。言ったてクールだった。
電話が終わったあと、安堵した。これで、俺は彼女持ちかと。でも、腑に落ちない。なんかすっきりしないよ。でも、初めての交際。やるしかない。
続く
<706> とら ■2007年04月04日 水曜日 07時22分02秒
インフォブリンガー

 国際会議での沈黙・・・渦巻く心問題。
そんなときに、一人の青年がコツこと会議場の入ってくる。

その青年の笑顔に多くのその場の大統領たちが驚いた。
その青年は、インフォブリンガーの代表者だと語る。
「俺も参加してもいいですか?俺はカウンセラーです。」
米国大統領が言う。「お前のような若造の来るべきところじゃないぞ、出て行きたまえ!!!」

青年は言った。「俺の名前はまさ。さっきも言ったように、心の専門家です。もう一度言います。傍聴させていただけませんか?専門家として大変興味があります。」
日本の首相が発言した。「まあ、彼がどんなやつか、わからないうちに、追い返す理由は無いじゃありませんか、米国大統領。」
ほかの国の総理大臣たちもうなずく。
米国大統領は言った。「わかった。そこにかけたまえ。まさくん」
まさはにこりと笑うと、勧められた席に着いた。彼は真剣なまなざしで、
会議に臨む。
会議の内容は、彼にとって面白いものだった。彼は分析しながら、ノートのすらすらと書いている。
彼は手を挙げた。「発言よろしいですか?」
「各国の心理教育がどんなものか、教えてください。」
米国大統領はたじろいだが、答えた。「我が国では、1960年から心理問題に関し、大呂運資金を投入している。患者の追跡調査を徹底的にやった。私自身もACだ。」
まさはいう。「簡単に、ACと言う言葉を使うべきではありません。あなたは第一人者ではありませんか。」
まさは続ける。「アメリカ人はすぐに神がどうのこうのといって、責任逃れをしますね。文化的なものかもしれませんが、もっと責任を感じて行動していただきたいです。あなたのは、どうしてすぐに他国に戦争を仕掛けるのですか?」
米国大統領は困ってしまった。痛いところをついてくるこいつは。
ほかの国の大統領たちは笑っている。まさかこの30代の若造にまるめこまれるとは・・・・
続く

<705> 冬子 ■2007年04月03日 火曜日 03時55分31秒
不思議だねぇ。あなたの家族・一族揃って、そういう価値観なのにさ。
あなただけは、その価値観に染まらずに自分を保ってしまったよね。
むしろ、その方がよっぽど不思議なことだよ。

そうなんだよねぇ。なぜかあの家では、私はいつも黒い羊だったわけ。
いっそ周りに同化できたら、どんなに楽かと思った瞬間はあったよね。
できなかったんだなぁ、なぜか。
それで煩悶したけど、でも今は、感謝もしてるんだ。

私はあの家では、いつでも相反する意思で引き裂かれていたからね。
そういう要求をされてたからね。
その二つの意思の真ん中で、動けなくなって固まるだけの私でさ。
固まったまま、ずっと考え続けてきたからね。その理由をさ。
ずっと考えながら見つめてきたからね。不条理と不合理のあの家のをね。

独立できないということは、この立場に甘んじ続けるしかないということだと気づいたから、
私は、あの家からの独立ということを目指したの。それしか道はないって思ったからさ。

毎日毎日、瞬間瞬間、私の身体は二つに引き千切られていたんだもの。
どちらも絶対の要求・命令だったし、それを同時に反対方向で対応しろと言われ続けていたんだもの。私の一つの身体でね。
私の進みたい方向とは別に、両方の腕を縛って、それぞれ反対を向いた牛に繋いで引かせるんだ。それぞれのロープのたわみがなくなってもね。
千切れそうになる私の両腕。両方から引っ張られて、地面から浮き上がる私の身体。
そういう拷問があるんだったよね?そういう私刑(リンチ)が、昔はあったんだよね?

あまりの恐怖で、私は狂うことができなかったんだ。
もちろん、ここではない別の場所を思って、空想の中で遊んだ瞬間はあったよ?
というより、一人でいられる時は、もう殆どその世界に逃げ込んでた。麻薬漬けもいいとこだったね。
でも、死なないための現実を見ること。それだけは、どうしても手放すことができなかったのさ。

とはいえ、その時は気づいてなかったこともあったわけ。そこを生きて出られたその後のこと。
安全地帯まで逃げ切った後の、その後の私の生活・人生について。
お話は、まだその後の方が、ずっとずっと長いんだったということをね。
<704> マフマルバフ改めモハメッド ■2007年04月02日 月曜日 00時24分36秒
「映画をみたかった!」

パチンコホールを出ると小雨が煙るように降っていた、しめるような雨は俺の体にまといつき毛穴の中まで濡らした。
むなしい遊びだった。ただ時間を空費するだけ・・・・。鳴きたくなった。
時間を消耗しているだけと思えるのは何もパチンコをしているときだけではない、仕事をしているときだって、誰かと話しているときだって、いつだってやってくる。
この日は気温が上昇したようでむしあつかった。
帰る気にもなれず、さりとて帰るしかない身の上である。
だぁぁぁぁ〜〜〜〜。いやだ帰るのは。
何気なく映画館よってみた。恋愛や人間関係もクソもへったくれもないただバイオレンスだけの映画ってないか?あるわけねぇよ、そんなの。訳知り顔のただヒューマンなだけの映画ばっかし。そんな気持ちで上映予定だけみておこうと行ったのだが、夜の部の上映寸前の映画になんとなくひかれて入ってみた。
まったく無味乾燥な人間性無視の映画でありますように・・。
・ ・・・・願いはつうじるものだな。
近未来のSF調のものだった。ACっぽい役者ばっか。痛みも感情も失った3人のドラマ展開なんだけど、人間関係がほぼない。なんせ合法化された殺し屋たちの設定となっている。
俺には染みとおるように、砂漠に水がにじみでるような有難い映画だった。
いやされたよ。
ACっぽくて、弱弱しい登場人物たちをみていると「こういうのって日本人がにあうなぁ」と思ったよ。世界中のどこにもこういう映画が似合うところはないようにおもうな。
そして拳銃をバカスカ撃ちっぱなしているものなぁ。
「いたみも感情も何もかんじないんです」。ってよわよわしくいえねぇぞ。
人間関係がきれてしまってんのが何より感動したよ。
こういう映画がうまれてきてんだなぁ。
一種のPTSDを持った人たちをかいている。
それに最近の邦画って音楽がうまくなったね。古い映画をみていると映画の歴史を感じるよ。
そこには新しい映画の流れをかんじとっている気配すらある。B級にはB級の冒険精神にあふれている。
もし今日のむしあつさがなかったら俺はこの映画をみることはなかっただろう。
しかしみてよかった。
<703> マフマルバフ改めモハメッド ■2007年03月31日 土曜日 14時06分41秒
「コーヒー1杯の粘り」

私は喫茶○○にいる。きちんと読書している。スピーカーからできるだけ遠い安心場所にいる。近くに少女が座ったことは覚えている。なぜ覚えているかというと後ろ向きにすわったからだ。フツー1人できて窓に向かって座る人はいない。
暫くしてから50過ぎの体の細い体の母親らしき人があらわれた。なんとなく影の薄く不幸を一身に背負ったかのような顔をした人に思われた。
テーブルにはバックが置いてあり隣からは見えにくいようにカバーしている。
おもむろに取り出したブツは大き目のお弁当であった。
肉団子やご飯の匂いがまわりにプーんと漂う。
私の左側は腹をすかしたガキ3人がゲームに夢中で母親2人はおしゃべりである。
腹がへっているガキは匂いで気づく。私も音と匂いで気づいた。
そこへ15〜6歳の少年がきた。母親らしき人は肉団子を透明の容器に小分けして少年に持たせ彼は別の場所に消えた。
「かまいやしないから食べなさい」。
少女がトイレに消えた後の母親やテーブルの上の置物を見る。漢字能力テスト?母親は何かパンフレットを見ている。少女のトイレが長すぎる、お兄さんの席に移動して何か話しているのだろうか?
少女がもどってくると「こうやってパンフレットかなにか読んでいる振りをしていればいいんだから」と母親。
要は少女の注文したコーヒー1杯で親子が集まり弁当を食べ時間をつぶしているとしか見えない。
私が気にしたのは親子間の会話がまったくない。という1点のみ。
左側の親子はしゃべくりはしゃぎ走りまわりだしている。この対照はどうだ。
コーヒー1杯の粘りの終わりは、少女がまた消えて母親ひとりがパンフレットに目を落としている頃、端の席に分厚い辞書を抱えた女性が来て調べモノをはじめてからである。
少女がまた席に戻り、なにやら勉強をはじめてからである。
少女の年齢と漢字テストのギャップ。そこに漂う違和感を察知するのは早かったようだ。
女性が手を止めてチラとみると、まるでバツが悪いかのように「フン!」と母親が言って帰ったようだ。

私が気になったのは悪化した共依存家庭の人たちではなかったか。。そんな気がした。







<702> 冬子 ■2007年03月29日 木曜日 13時34分54秒
母が家出をしたんでしたっけ。はっきり初めて、彼の人の洗礼(暴行)を受けた日。
私にだけは、それを告げて行ったわね。この家の当座の生活雑費を預けて、だからよろしくとね。

我が家では、<おねえちゃん>は我慢すべきお客さんではなかったでしたっけ?
私は幼少の頃から、そう教えられてきましたよ?あなた方にね。

その日は日曜日だったかな。私はまだ部屋のベットの中だった。(平日は夜学と昼の勤めがあったからさ)
もっとも、下の居間でなにやら暴れてる気配は、ずっと聞こえていたけどね。
父は在宅していなくて、でも彼の人の夫(婿養子さんで同居)は一緒に居たみたいだったなぁ。
うんうん、誰が居ようと、彼の人をとめることはできないんだったよね。

夜になって、母のいない家で、でもそのことを口にする人はいなかったわね。
その時不在で事情を知らないはずの父も、何も訊ねようとはしてこない。
翌日になって、まだこの家の沈黙に不慣れな義兄が「お義母さんどこいったのかね?」なんて、(私にだけ)ぽそりと言葉を発したくらい?
だからって、積極的に何かをしなくちゃとは考えてはいないようだけどね。

私は、家に誰もいない時間を見計らって、(表向きおつき合いのないことになってる)ある親戚の電話番号を探し出して、(だから、電話で話すのは初めてのお宅に)かけてみたわけでした。
「おかあさん、泣きながらウチに来たんだよ」「**ちゃん(私)なら、おかあさんの気持ちわかってあげられるよね」「おかあさんのこと、しばらくここで休ませてあげてくれないかなぁ」「**ちゃんなら、しっかりやれるでしょう」なんて、私のよく知らない母の実姉という人が話すわけですよ。

この人も実家を出奔して、(その出奔状況もあるわけだけど)だから一族としては無関係の人間ということに(表向き)なってる人だったわけでね。
でもそういう対象の人ってのは、こういう場合にだけは、ありがたい避難場所にもなるんでしょうかね。

はい、私には、そういう気持ちは良くわかりますよ。それは、私の日常ですからね。
ただ、私には逃げ場なんてありませんけどね?あなたと違って。
あなたは、たった一回洗礼を受けただけで、もう逃げ出してしまった。
私には、それは一度も許されなかったけどね。

その翌日、母は帰ってきたのかな。家に帰ると、普通に母がいたからさ。
で、やっぱり誰も、母が不在だった間のことを口にする人はいなくてね。
私も、母に「お帰り」とも言わず、母も特に何も言わず、彼の人もぶすっとだんまりなまま。
でも明日になれば、またいつも通りのいつものリズムで、機嫌よくはしゃぎ・気に入らないことは激しく責め・長女で貧乏くじの自分を僻んでみせる彼の人と、その人に振り回されて困る人達との、普段の暮らしが始まるんだろうねってさ。

わざわざ毎回脱力する必要なんてない、日々少しずつ気力を殺がれていくだけの、ただの私の日常だったわけだものね。
<701> マフマルバフ改めモハメッド ■2007年03月28日 水曜日 12時39分23秒
「お行儀の良いハト」

ハトは私の手に乗るといくらか大きく見える。
メスかオスか年齢はどれぐらいかとか健康状態はどうか間近に観察できるのだが、近すぎて全体が見えなくなる場合がある。
お行儀の良いハトは老齢である。鼻コブと爪、全体の模様で個体差を区別している。羽根の色は黒いが白いハトの系統が多分に含まれているようだ。
このハトは私の手のひらの真ん中にそっと乗る。爪はまったく立てない。このハトが来ると暫く他のハトは遠慮でもするかのようにやってこない。
餌を7割がた播き終えるころになると他のハトが私の左の手のひらや腕に4〜5羽が群がる。
満員になると私は手を上げて30センチほど急激に下げる。
たいがいハトは中空で羽ばたき舞い降りる。
・・ところが、このお行儀のよい老齢のハトは手に乗っているのである????はて、どうしたことか。私はそこにずっといるわけにも行かないので帰るのだが、翌日行けばそっと手のひらに乗っている。慌てたところがない。何回か行くうちに分かってきたのだが「お行儀の良いハト」は私の横に来て手が広がる瞬間を見計らってくるようである。
手のひらの上で他のハトとバトルが始まると2ぐらいのボス格のハトを相手にケンかをするだけで他の若いハトにはあまり手出しをしないようだ。
このような時ハトを追っ払うのだがなぜお行儀のよいハトだけが手に乗ってるかというと手を上げたときにこのハトは私の中指にしっかりつかまっているのである。
これが感知できないほどゆるやかな力で指をつかんでいるのである。謎がとけたというものだ。つまりこのハトは私の行動を予測していることになる。
つまり学習能力があることがこれでわかった。これはこのハト独自の技術であろうと思う。
このようなことをするハトはこれまで見たことがないからである。
私がヒナから育てたフィフィは私の手のひらで爪を立てるようなことはしない。放鳥をしたころ以外は。
麻の実以外食べようとしないフィフィに業を煮やした私はそれ以来混ぜご飯を与えることにしている。最初はそれをみただけで食べようとすらせず私を見上げてにらみつけてきていた。食べずに地上へ降りていた。
その状態から抜け出したかというと、そうでもない。混ぜご飯を寄って麻の実だけ今もたべている。餌は隠していくのであるが、ポケットにある餌さ袋を取り出すのを承知して見ているのである。

まぁこのように学習する「お行儀の良い」このハトを降ろすときは地上に手をつけると勝手に堂々とおりてくれるようです。
降りて歩く姿は堂々として、人間が餌を播くときでもすぐに行かず石灯篭の上に行って後方から餌を拾うようです。
このハトは視力が少し悪いようで特に右目が弱い様子です。
どうか元気で長生きして欲しいものです。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.