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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.31
メッセージ数:611件

<611> マフマルバフ改めモハメッド ■2006年08月12日 土曜日 23時49分03秒
『 近代という病 』

「フィフィは寝ている」

ここ2日間私が夜遅く帰ってもフィフィは起きてこない。立ったまま眠っているようだ。それが疲れると座る。
保護して17日間が過ぎたずっと見ていると分からないのだが 体長は3倍近くに成長している。翼と尾羽が急速に伸びたからだろうと思う。
偏食は相変わらずで いろんな餌をごちゃ混ぜにして与えると 餌の選択に随分時間がかかる。体重は食べているせいか野生のハトよりも重い。
ただ自然界で生きていけるかどうか それが心配だカラスの鳴き声に脅えるし 何より餌を確保できるかどうか。素早く餌を食べられないから苦労するだろうし 飢餓感が続くと性格が荒れてケンカしていじめられる可能性大である。
今朝 窓辺で網戸をスーっと開けるとフィフィと目を交わした びっくりしてやンの。
逃げたりはしない。飛ぶ自信がないからだ。
フィフィが出ようと思えば出られる幅の広さに窓は開けている。
その窓辺で外を見ながらフィフィは寝ている。
<610> 秋 ■2006年08月09日 水曜日 18時21分00秒
複数の男性といった夜の海。
毎回深夜に私が真夜中に海につれてってお願いしたの。
あの灯台、夜中も働いてたね。
灯台の光があたるたび、大きなステージで踊るバレリーナのようで。
海は、大きな観客。
みんな夜の海は怖いというけど、美しすぎる。
波の音、ずっときいていたい。
彼氏はもう帰ろうよっていうけど、私の心は海にとりつかれたよう。
ごー、ごおおおっっって私の心の葛藤や嗚咽のようで
涙が訳もなくすーっと。
両手を広げて、マイナスイオンいっぱい受けて、私のつらいこと
ぜーんぶきいてって、海に心の中で話しかけてみた。
すると、波が私のほうに手を差し伸べて、がんばったね、えらいね
ってほめてくれた。
そして彼の車の中で眠りにつく。
<609> 秋 ■2006年07月31日 月曜日 10時39分25秒
洗濯しながら、洗濯機の中を覘いていた。
ふと、気づく。
小さいときからこんなことしてたなって。
真ん中に泡が渦のようになってグルグルって。
あたしも生きたくないけど、こんな世界にいてぐるぐる。
明日もこなくていいのに来るし、ぐるぐる。
いっそ、その渦の中に入ってしまいたい。
あたしのカラダもココロも綺麗にしてよ
心の垢は落ちないの。
ある夏の日の出来事、、というか脳内でのわたし。
<608> 秋 ■2006年07月27日 木曜日 00時25分17秒
小さい頃からの夢。何かにおびえてる。
逃げたいと思う、心の中の手がでてバタバタする。
その中に、いっそ入ってしまえばいい・・
でも、怖い・・
それじゃ、逃げる?
この、煮え切らない思いは死ぬまで荷物になる?
こんなもの、宅急便でどっかに送りたい。
あたしの苦労も誰かに見える形なら納得してくれる?
無形で無味無臭で透明人間何人分だよって話。

<607> 秋 ■2006年07月24日 月曜日 17時08分56秒
天災や不慮な事故でなくなった人は、もっと生きてやり残したことが
あったりすろんだろうな・・
なら代わってあげたい。
私は、このブラックホールというかだだっぴろい砂漠を宛てもなく
彷徨ってるから。
こんな年になって何でこんなこと考えているんだか。。
それは無職だからではなく、小さい頃からずっと考えてたこと。
昔、占いに行ったら、前世修道女でひっそりと最後を一人で迎えたといわれた。
現世でも、破滅主義が続いているのかね。
完璧になる、、うーん、きれいな食器を手が滑って割れてしまった時、
なんか安心した。
仕事しても、わざとできないふりをするピエロ。
天邪鬼ともいうかも。
希望は持てない、不安とあら捜しなら自信あり。
<606> マフマルバフ改めモハメッド ■2006年07月23日 日曜日 02時22分48秒
『近代という病について』

「とかくこの世は住みにくい」

雨のそぼ降る深夜の公園に食いすぎて腹がパンパン状態の胃腸の促進および調整を兼ねて傘さして出掛けた。
通りの家の玄関に「忌」の紙が張ってあった。最近も小路の奥のばあさんの葬式があった。
そのばあさんは見るからに弱っていた。80歳をすぎたぐらいだろうか。このばあさんと私の接点は数年前、路地のサボテンの花が月夜に開くその瞬間を何度も見に来ていて、たまたま通りかかった私に「ちょっと見て、今サボテンの花が咲いたのよ、これはね、一年に一回咲くのよ、白くてきれいでしょ」というような会話をした覚えがある。数年前に引っ越してきて、言葉もこの地方のモノではなく、純朴な人柄のおばあさんであった。葬儀の知らせも私には通知がなかった。

ところがこの「忌」の貼ってあるお家のオバンに私は勘違いして「こんばんは」と声をかけてしまった。返ってきた言葉は「はて?どこのどなたさんでしたかいな?」それだけで底意地の悪さがきちんと俺に伝わった。以来一切無視をしてきた。数年前に家を新築して3階建てにしたようだが三世代同居である。
おそらくこのオバンが死んだことのようだ。まったく知らなかった。実はこの隣家のおばさんが引きこもりがちで人見知りが激しく視線恐怖なのである。こういう隣人がいると気も使うしさぞ疲れることだろうと察した。ご苦労様でした。もう死にましたから気を使わないでいいですよ。と声もかけたくなるが実際おばさんの表情は明るく肩の荷が下りたようなすっきりした顔立ちで、表に出ているところを良く見かける。

このお家のはす向かいにも対人恐怖で人付き合いが出来なく人が来ればさっと玄関の中に隠れてしまうおばさんがいる。この両者が互いの心情を話し合っているかどうかそれは分からない。ただ玄関にはいっぱいの花が所狭しと植えられていることだろうか?狭い町内だけど小路が奥に入り組んでいて、どんな人が住んでいるのかさえわからないのである。空家が多いと言うことは町内の地図で分かっているだけである。
「忌」のオバンが死んだことで随分楽になった人たちは多いのではないかと思える。

さて私の隣のジャングルは整地されてマッチボックスタイプの家ならば10軒は建てられる広さに旧家を残して奥にドカンと立派なお家が建てられた。
わび住まいの周囲のことを簡単に説明するならば、ヒッチ・コックの「裏窓」そっくりである。どの家の佇まいも我がわび住まいを見ることは出来ないのだが、南側の一軒だけ窓が北にあるお家がある。ここのおばんも実にややこしい人柄である。「裏窓」のごとく見張られているのである。真冬でも窓を開け、真夏においても窓を開けているのである。公園に行くときこのお家の前を通るのだが、ここのオバンは眼を飛ばす。有りもしないことを大げさに噂を立てる。無理に中2階を建てるから西側北側のお家には日が射さない。西側の住人を外で見たことがない。プレッシャーがかかっていると思われる。さらに西側のお家は事情は知らないが人は住んでいない。根拠はわからないが住めないだろうということは察しがつく。私だったら抗議して人権擁護局に訴えますがね。

この新築の大きな家が出来てから裏窓の状況が一変したようである。新築の南側の窓と向き合う形で我がわび住まいは隠れて見えないようになってしまったからである。

この新築の主はこのオバンの深夜を問わずのミシンの大音量と、見てくださいと言わんばかりのオバンのシュミーズ姿と家の中。家一軒をはさんで向き合っているから騒音とオバンの裸に近い姿は日常生活を脅かすものとなるであろう。さらに重大な騒音問題がお寺から直撃されるだろう。一つ一つは日常生活に耐えられないものであるから。ここの主はきちんと落とし前をつけていくだろう。
できないと三世代同居の静かな隠居生活はあきらめなければならないことを知ることになるだろう。
<605> 花 ■2006年07月20日 木曜日 04時18分48秒
自分の幸せの形がみえた。わたしって幸せ者だったんだぁ。わぁお。そういう気分。まだまだ課題があるんだけど、幸せだよ本当。後は信じられる。わたしと、わたしの好きな人たち。わたしはわたしが信じられるから人を信じれもする。全部そんな具合にできているんだろう。嫉妬とかも許容範囲とかも楽しめるかどうかも何もかも。確かにそう思う。まだまだ探すんだ。わたしの幸せを。ネットの関係からもみえることがたくさんあったんだ。客観的に見たんだ。よく幸せかどうかなんて本人にしかわからないて言うけど。なんとなく感じる。幸せ。他人を見た方が解りやすいよ。他人の中に自分自身が見える。どんなことを望んでいたのか解ったんだぁ。今日はここまで。
<604> 花 ■2006年06月30日 金曜日 14時14分22秒
自分の心の傷はもう癒えた。そう思ったこと。あとどれくらいかかるだろう。安らいでる自分まで。でも、必ずそうなれると思った。昔の文字をみて、回復してきたんだなぁって。視野が少しでも広くなったから。よりはっきりと問題点がまとまった感じです。どこの家庭にもありそうなことは取り除けて考えられて。わたしのトラウマは親が留守がちで寂しかったこと。間接的にだけど、非難批評につかり続けてきたこと。自分の個性とは逆のことを母親に望まれていたこと。もう大丈夫。今を生きる。過去や未来はもういい。じゅうぶん見続けたよ。今からのこと。自分の感情を適切に表現するような伝えるようなコミュニケーションの取り方を学ぶこと。そのためには自分の考え感じ方などをしっかりもつこと。積極的に開放的になるだろう。本当の自分でいられることって幸せなことなんだな。わたしの心の傷はもう癒えた。そしたら癒しのお手伝いできるならできるだけしたい。
<603> マフマルバフ改めモハメッド ■2006年06月26日 月曜日 01時36分48秒
『スキンヘッドの兄ちゃん』

日常生活も落ち着きを感じるようになって久しい。
残る問題は やはり関係性である。

まずハトに餌を調達するようになって、文句を言いに来る奴。共感を示す人たち。
共感を感じる人への対応、会話。いろいろな年齢層があって小学生。あとは中年の男女。老人・この場合ほとんど達観した男だけのようで、一戸立ての家に住む人ばかりである。老婆の自然や野鳥に対する無知や偏見には驚かされるばかりである。

共感に対する受け答えも結構難しいところがある。小学生は頭でっかちで生意気なほどよく知っているけど、野鳥に対する礼儀を知らない。
こういう奴はハトを愛しているわけではなく、知っているだけだから時としてハトの加害者になるようだ。

ハトを嫌う奴はマンション住まいで、虫の一匹でも現れようものなら虫唾が走るほど嫌な顔をする。びっちりと厚化粧をして側まで来て文句をたれに来る奴もいるが、こちらも慣れてきているのでその対応を考えていると、何も言わずに立ち去っていくようだ。彼女らは帰ってすぐに市役所にハトの苦情を長々と喋って鬱憤を晴らしているだろう。
賢そうに文句をいってくる奴の対応は一応素直に聞いている。他に対策はいくらでも考えているからである。

・・・こんなことをしているうちに、もう少し身近な奴に話し掛けることもしたくなってムズムズすることがある。
柔軟な対応ができるスキンヘッドの兄ちゃんにちょっとづつ話し掛けているのだが、どこか俺の言葉に余裕が無い。近所の人が怖がらないか?。といった自分の言葉に少しトゲがある事にすぐ気づいた。
「散髪代が浮いていいじゃないか」という言葉はその場では浮かんでこなかった。

おれは共依存は克服していると思っている。確信がもてないのは共依存を認識するほどの人間関係を持たなかったことによる。人を尊重するということがイマイチ実践面でできていないからだろう。

・・・時々人の顔を見ていると「アホ」に見えてくる。それが医者であってもだ・・・・。
全ては体験の不足から来る物だと思う。もちろん、その背景には俺が親や兄弟から時として無視され存在を否定されるような経験が深くトラウマとして残っているからだが、それを気にしていても前進は出来ない。

前進しながら体験を積むことが一番の薬であることを おれは知ったつもりでいるのだが。
<602> 更紗 ■2006年06月12日 月曜日 03時36分54秒
どうにもならない、この現実、状況。まるで悪夢。
悪夢のようだった・・・と流れ去って欲しい、優しく。
<601> エゴ ■2006年06月11日 日曜日 13時45分41秒
フラッシュバック注意 毒文 不快 

ちょっち心が痛い、思っていたより思いだした記憶は・・・・、
思いだしていたのも見解かえると新たな範囲に含まれていると思うのも気色悪い。
何とか補強・修復してくれそうな曲聞いて耐える。
不定形な自分の表層、高層、中層、低層、深層からバラバラな気持ちが浮かぶけど安静させるのが大変、でもなんでろう、声になってないんだよね。空気が少なくて音があまりひびかない?、でも感情やその気質は浮かんでくる通じてくる。 でもね、バラバラ思いだしたいのを必死に邪魔する声もいるみたい。でもね少し分かったよ。
回復した一場面の自分に対してそうだね、人間にしてはよく頑張ったね、少し早いけど言うよ、ありがとう、コワかったね、辛かったね、大分キツかったね。
年長か年中さんの後半かな母親から、耐えられなかったから死にたいって言ったのに、あの人は刃物だして死ねばって、自分で死ねないなら殺してあげるって、手を出しなさいって、手でもどこでも切ってあげるって。面白そうに聞いてきたね、返答困ってると手をのばされて動脈の上に押し付けてくれたね、動いたら死ぬよって感じで死にたいんでしょって。
刃物系関連はそれ以前もあったね、母自身に向ける事も自分に向けることも、本人は脅すつもりあるときも、無くても刃物(包丁、果物ナイフ、ホーク、ナイフ、髭剃り、Etc)が握られていてフリフリしていたり、逃げるとおっかけるし、普通の暴力も加えると荒んでいたね母は。
母の精神状態のカウンセラーとしてイライラの受け役ありがとう、ごめんね、忘れてしまっていて、君も一緒にいて自分だよ。肉体的にも精神的にも辛かったね。
後、抱き枕も大変だったろ、両親から性欲的な物はなかったけど、小4ぐらいまで
母は人の温もりが欲しい時は自分から得ていたね抱きしめる事や良く触っていたね(性器以外)。
母の主治医(肉体+精神)みたいなものだから不愉快だけど、しょうがなかったね。
逃げても追ってくるし。でも本当に分からない、母は辛いとき、ストレスがたまっている時に
何するか分からない、いつたまるかも状況・気分次第、辛い時も一緒にいて欲しい時、抱きしめたいとき、触りたいとき、一人にして欲しいとき、構いたくないとき、命令聞いて欲しいとき、
ぶちたいとき、おどしたとき、喜んで欲しいとき、悲しんで欲しいとき、遊んで欲しいとき・・・・Etc。

君にね生きていて良いよと、言いたいけど、それは無理そうなんだ、でもねまだ皆みてはいないんだ、それにね、君も自分は自分でありたいって思っている。

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This script written by Shintaro Wakayama.