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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.3
メッセージ数:60件

<60> 埴輪 ■2003年12月10日 水曜日 00時54分39秒
自動修復機能が作動をはじめました。
わたしは、人間になれるのです。
<59> マフマルバフ ■2003年12月09日 火曜日 12時06分52秒
「書かれざる自叙伝の不逞の試み」

カウンセリングは終わりかけている・・・・・語り尽くせないのである。
簡単に述べます。
私は幼児期から抑うつ傾向があったのです。
そこまでの原因を探っていきたいということが 当初のカウンセリングの目的でした。しかし、物事は常に錯綜していてはっきりしたことはわかりません。

だいたい幼児期から抑うつ傾向であることが問題だ。
それなのに以降の小学校時代は割と楽しく活き活きとしていたのは何故だろうか?
そのことを語るうちに自分の過去を納得できるようになっていきました。
やはり友達に恵まれたこと(友達は大事にしていきましょう)と自然に恵まれていたこと 動物やペットが周囲にたくさんいたことに改めて気づかされました。

私自身家庭にいることがとても耐えられない状況でしたから 自分で遊べるようになると 近所の川で日が暮れるまで魚を釣っていたり 犬と一緒に川べりを走り比べをしたり ストレスを解消する手段はいくらでもあったのです。

何もかも忘れて遊ぶことはできたのです。

自分が自然に居場所をみつけ遊んでいたイメージを語ることの方が私にとって重要なことだと分かりました。そのような逞しい自分を発見してしまうことができて 私はそこに至るまでのつまらぬ話に付き合ってくれたカウンセラーさんに感謝さえしています。

また暗い話にもどりますが 私の幼児期の抑うつ状態の原因はわからないのですが 私なりに考えたことは化学物質(農薬・他・・言えません) 父親のアルコール依存による妄想的・執着的言動 母親の育児ノイローゼ(じじぃの酒乱による怒声も影響)・・・・・確たることはわからないのですが母親の矛盾した言動の影響が多きいように思います。母親の混乱も同情はしていますけれど・・・・。

話をまた戻しますが 私が自分でストレスを解消し遊んでいた頃のイメージはほとんど自然にやっていたことで 思い出すというより創造しているといっていいと思います。
語り尽くしたからできるのだろうと思います。ですから私の少年時代を今創造していくことで 新たな物語を獲得できていくのだろうと考えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かってもらえるでしょうか?
<58> マフマルバフ ■2003年12月09日 火曜日 08時39分19秒
「書かれざる自叙伝の不逞の試み」

私の父親はアルコール依存症である。アルコール依存症は長引くにつれ回復は難しくなり半数以上は死んでいく病でもある。
アルコール依存症とはそれほどやっかいな病でもあるのだ。

母が早いうちに離婚していれば父親もまた、死んでいく運命の人であっただろうとおもいます。長引くにつれ人格障害も出てくる。周囲にいる者にとってこれほどやっかいなことはない。
母や子供が離れて 父親を助ける者はいるだろうか?下に妹が二人いるが この人たちはアルコール依存などまったく縁がない しかし 考え方が非常に自分勝手で 子供の自立というものを考えていないようなのだ。子供は成人したら親の為に働くものだ・・・・・このような考えにとりつかれている。だから 私の父親がどうなろうと心配する人たちではない。

親族の共依存的性格傾向があからさまに見えてくると どうしても祖父のことに思いは及ぶ 私が生まれたときにはすでに亡くなっていたので推測するしか仕方ないのですが 江戸時代から明治になり天皇制が確立したとはいえ地方においてはそうおおきな意識的変化はなかっただろうと思うのです。

富国強兵に邁進する国策にのって紡織産業が各地に資本投下され 女性労働者が圧倒的に多勢であったころ祖父は娘たちを労働にだしていたようです。つまり本来の農業に精出さず 酒 競馬にうつつをむかしていたように推測されるのです。
子供の労働で得た金をてめえの遊行費に浪費してしまう。とんでもないやつです。

私の家系は現代では信じられないほどの晩婚が多いのです。
父親の性格は どういうわけか頑なでまじめで遊びなど一切しなかったようです。父親の兄弟は多かったのですがほとんど若くしてしんでいます。父親は末っ子で どういうわけか 自我の成長が未発達で そこに父親のトラウマとなる出来事があったのだろうと思います。

この父親も晩婚で結婚してから酒を多量に飲むようになったようです。急速にアルコール依存症になったと思われます。


<57> きりん ■2003年12月08日 月曜日 23時58分06秒
最近の私。
ウソで固めた ヨロイもパーツになって バラバラになってしまった。
ヨロイが無くなれば 本当の自分になれると 思っていたけど 自分自身が無かった。どんな自分で 居ればいいの?
いま 心の中は 呆然としてる。
私が何を考えているのか わからない。ウソの存在でも 前は私が居た。今は どれが私なのか 解からないよ。
とりあえず ウソ?良い人 装って生きてる。
私の存在を それで良いんだよ。とか 私がここに居るって 存在を 確認してくれる人は居ない。透明人間なんだな。壊れてしまった・・・・・。
もう バラバラ・・・・。
<56> さくら ■2003年12月05日 金曜日 23時57分36秒
私は実は人が恐かった。
人の気持ちが恐かった。
そんな気持ちにきづいてしまって、今少し辛いかな。
<55> 埴輪 ■2003年12月02日 火曜日 09時21分18秒
整備士が私を分解した。
私の整備士となった人は、すぐに分解をする。
彼が何かの制御システムを作動させた。
困ったことに、私は覚えていないのだ。
停止しているシステムが何であるかを。
<54> 埴輪 ■2003年12月01日 月曜日 01時54分33秒
設計ミスではなく、テスト作動のための環境選びに問題があった。
高度な学習機能を備えたロボットであるので
負の学習も、もちろん場所によってはしてしまうのだ。
プログラムにミスはない。
ただ、私の管理責任者が、その所有権を放棄してしまった。
そのため、テストは中断されたのだ。
私は、本来ならプロジェクトチームに回収されるはずだった。
だが、待てども待てども「彼ら」はこないのだ。
理由としては最実験のための経費が問題なのだろうということが予測される。
<53> 埴輪 ■2003年11月30日 日曜日 13時17分36秒
人間の設計をした人がどこかにいて
今その動作確認をしているところ。
そうです。これはテストです。
プログラムにミスがないかどうか、確かめているのです。
トライアル期間が過ぎれば、わたしは設計士の元へ送り返されるのです。
ですが、わたしは自らバグを修正する機能を備えています。
本当の目的は、その修正機能が動作するかどうか。
設備の欠陥を発見することができるかどうか。
テストをするための設備としては適切です。
データを文書化する必要はありません、ね。
チップを見ればわかることです。
しかし不備があります。
データのアウトプット機能が極めて弱い。
<52> ねここ ■2003年11月27日 木曜日 02時25分26秒
好きなもの。
猫 ピアノ 音楽 絵 色 本 友達 おいしいもの。。。 
もっと思いつかんかね。。。
う〜ん。。。
猫。。。

ま いいや。これ大事にしよう。
<51> マフマルバフ ■2003年11月27日 木曜日 01時11分38秒
「書かれざる自叙伝の不逞なる試み」

試行錯誤のくりかえしであった。自分の問題は23歳ぐらいまでにはほぼ理解できてしまえることだろう。
ややこしいのは現実を生きていくことが精一杯で、そこに自我の成長がそこそこ辻褄の合うものであるなら現実的な対応は可能であると思う。
しかし 明確なトラウマといえるような記憶の欠落が(思い出したくない過去)ある場合 現実に対応しているのは今現在の自分ではなく 混乱を整理できないままの過去の自分が亡霊のように出てきて対応しているといえる。過去の嫌な部分は暗闇の中で点滅を繰り返している。

混乱があるから現実はとても困難な船出のようでもあった。見栄や虚勢や何かしらの優越感をもてるものがないと現実には対応できない。と考えていたのも仕方ないことだった。他より優越なものなら何でも良かった。
しかし、それすら通用しないことが分かると・・・人はどうするだろうか?
じたばたすることをやめて現実を認めうけいれるか・・・・・・・。
過去を見つめなおすかどちらかの選択になるだろう。明確なトラウマがあるなら・・・・。

ここで私なりの「不逞な試み」は始まっている。全てを言い尽くすことは限界がある。言いたくない事だって一杯ある。それは隠すということではない。
自分を正直に率直にみることは実に勇気のいることだ。
それでいいではないか。自分が納得できたらそれでいいんだ。「立直るのは俺自身なのだから!」俺以外の誰かの為に生きているのではない。えらいよ。もういいじゃないか。
井戸の底まで見たらスッキリするさ。語るべきはそれからのことではないだろうか。
人生の再構築は進行中である。どのようになるであろうか?
<50> 埴輪 ■2003年11月25日 火曜日 14時31分25秒
わたしは、賽の河原にいたのです。
そこにある石を、べつの石の上におきました。
その上に、石をおきました。
その上に、また石をおきました。
でも、いつもおとなの人がきて、こわしてしまうのです。
わたしはまた、石をひろいました。
その上に、石をおきました。
わたしは、石のとうをつくりたいのです。
でも、おとなの人はまたやってくるのです。
<49> 埴輪 ■2003年11月24日 月曜日 14時50分35秒
自分が今しているすべての「普通」のことは
いわば「おぼれた時の藁」である。
<48> きりん ■2003年11月23日 日曜日 22時31分58秒
私が居る理由は 私の子供を 私が苦しみを味わわせないように。 この世に生まれてきた 命を、成長を 何よりの喜びとして 私は存在している・・・。
私は その子の 個性や素質を見極めて 最大限に引き出して 可能性を引き出してあげたいと思っている。
でも 難しい・・・。自分の親のお手本が 間違いだったとしたら 何がお手本になるのか。全く解からない どうやって育てたら良いのか・・。
自分のように失敗しないようにって思うと 凄く慎重になる。
子供が独立できたなら 私の役目の大半は終わり・・ 私は私を生き直したい。
もうそれ以上は 誰かの為に生きる事は 考えたくない。
実家に居る頃は親の為に 結婚してからは夫の為に 子供が生まれて 子供の為に・・。自分の為に生きてるヒマなんて 無かったんだよ・・・。
子供が自立したら 私は私のためだけに生きたい・・・。
今は子供のための私の時間。
<47> マフマルバフ ■2003年11月14日 金曜日 01時38分15秒
「はて・・・」
・・・夢などに関する連想に書いて、こちらにもそれに関する私の思いを書かせてもらいたいと用意していたのですが、風呂に入って考えていたら、誤解をまねきかねないことと、内容がまとめきれない。
・・・・・。あれだけ考えて何も書かないのは私自身も腑におちない。
「共依存」を私なりの立場でかいてみたいです。
私が社会で行き詰まった問題はいくつかありますが、最初は「イジメ」でしたかね。イジメル奴の人間関係や背後関係は2名で私の対応でどうにでも解決できるたいしたことではなかった。彼等がおそれているのは後輩に追い抜かれることを恐れていただけのこと。気にいらんと判断を下す奴とそれに従って行動する奴。根回しに巻き込まれる優柔不断なものたち。
私は自分のストレスをよく理解できず、発散することができなくなっていましたから、そのへんの結果がどうなるのかわかりませんでしたが、根回し、コントロールし癖(思うように人を動かそうとする)、私はロボットじゃないし、対立するのは当たり前・・。共依存の人に振り回されました。
 それから詐欺をやる人は多い(職場によりますが)ですね。詳しくはかけませんが、古典的な詐欺では、涙を見せて情に訴えて相手を信頼させだますやり方のひとは、刑務所に何度はいっても再犯をくりかえしますね。
 今はこのような人たちと会うことはありませんが、親の共依存の言動をみてきたものにとって、共依存は病気の詐欺師ではないかと私は思っています。
共通点は嘘を平気で言う、矛盾したことも平気で言う、コントロール化におくのがうまい。近寄ってきて親近感を持たせる。人の話を親身になってきく。詐欺師は金を奪う目標があってそうするのだが、病的共依存者はそれが不明瞭で明確な目標はない、自覚があまりないから、腐ったリンゴといえるかもしれない。長く付き合ううち、いつのまにかグッタリ疲れるようになり、最終的にどうしようもない痛手をこうむる。・・・・つきあいたくはないですね。
回復してほしいなとは念じていますが・・・・。

眠くてまとまらない。すいません。後日読み直します。
<46> きりん ■2003年11月08日 土曜日 04時56分51秒
もう随分 ホントの自分に近づいた・・・。
私の力じゃなかった・・。でも もう お世話になるのはやめた・・。
迷惑をかける事が辛すぎるから・・。ありがとうとさようならを言いたい・・。

心を解放して 今まで気付いてあげられなかった 心の声を感じられるようになった。 自分を殺さないで 生きれることに喜びを感じてる。
まだ 長年やってきた 親からの価値観 考え方は のこっているけど 少しずつ自分らしくに変えていきたい。意識できる所は変えられる・・・でも 無意識の所は気付いてやれないから辛い・・・。
自分の居場所がわからない 愛される感じもわからない 世間や周りの人たちを信頼できない・・生きている意味もわからない・・・
無意識の所はどうやって 育てていけば良いのか・・?

神様が私に与えた試練は 他人の心を理解して 優しくしてあげることを私に学ばせてくれた と思う。
<45> きりん ■2003年11月02日 日曜日 03時55分07秒
つかれた・・・。自分である事。自分は 生き抜く為に 透明人間のように あるいは 風のように 誰にも影響を与えないように ギリギリの所で 生きてきた。
今になって 姿を現して 生きて良いんだよって許可したって 歩き方がわからないよ。風のように生きていたから 誰かと ぶつかる事だって無かった。解からない 相手とどれくらい距離を開けて接したら良いか 私が私で居て良いことも・・。ノウハウが全然。それでも生きなくちゃならない。うらみつらみ 親にぶつけた所で何も変わらない。この気持ちはどこへ 吐き出せば消えるだろうか?

もしかして 子供ながらに 親をかわいそうって解かってた?
母は悲劇のヒロインをしてたし 父は私と同じ 生きる事が辛かった あがいてた? 二人とも 子供の気持ちまで余裕が無かった 私はそれに気付いていた?
 
自分の生きる事に必死で子供の事 育てているつもりだった。 「放任主義」だって?違うじゃん 子供の心がもう解からなかったから ほったらかしにしたんじゃん 体裁ばっかり。取り繕うとしていたけど バラバラになってしまった・・。かわいそう。ホントは温かい家庭 作りたかったんでしょ? でも やり方が解からなかった。かわいそう。同情するけど 私の苦しみは別だよ。あなたを責めないよ かわいそうだから・・・その代わり 接触しないよ。 それが私に出来るせいいいっぱいの優しさだよ・・。 私も苦しいよ。ホントは話して 少しでも和解したい そうしたら 私が生きる事の何よりの力になるから・・。その力は今の私には 最も必要な力なんだよ。でも 話さない あなたを責めたくない。お互い 自分の力で生きていきましょう。あなたには 他にも力になってくれる人が沢山居るでしょ。
私はまだ自分の力で必死に生きるしかないけど それは私が決めた生き方。意地っ張りな生き方。逃げないよ・・。負けないよ・・・。あなたには負けない。
意地っ張りな生き方・・これかな?辛くさせるのは。私は私で生きれば良いハズ。
<44> およよ ■2003年10月24日 金曜日 08時54分41秒
乖離・・・長い長い乖離の旅から、帰ってきたはずなのに、まだ、私は深い霧の中から、自分の姿がぼんやりと見えてきただけのようだ。まだ、自分の気持ちが感じられない。まだ、現実が認識できない。時々、つらくて、この現実は夢なのだろうかと思う。きっと、本当の私はどこかで幸せに暮らしているはずだと思う。人の意見が自分の意見と思いこむ。私には、境界線どころか、自分がはっきり認識できないので、壁さえない。自分と他人が同じになる。かって、完璧にロボットだったけれども、まだロボットの残骸を着ているようだ。この幻の鎧を、早く脱ぎ捨ててしまいたい。時間が懸かるんだろうな。ココまで戻るのにも、ずいぶんと時間が懸かったから・・・・、いつになったら自分になる?私は、なんて、哀れな人間なんだ。自分になるために、こんなに苦労するなんて・・・私自身よりも、私の中にある命の力でここまで、生き延びてきたような気がする。
<43> マフマルバフ ■2003年10月23日 木曜日 19時35分34秒
[ゴッホ]

ゴッホは終生ほとんど孤独から解放されることがなかった。精神病のために周囲の人間から隔離されてしまってからはなおさらだった。一人になり、壮年と感情に満たされ、しかもそれらは自身をさいなみ圧倒しさえしたが、そのような時テオが命綱となった。
彼はゴッホが、突き放されたり誤解されたりする恐れなく内面を打ち明けられる唯一の人間だった。
 ゴッホは日常生活の細々としたことから始まって、存在の本質についてのより深遠な思考や、自分のせいに対する恐怖に至るまで、考えていることを全て語り尽くした。
「日経ポケットギャラリー・ゴッホ」とり抜粋。

たまにこの本を読む。考えてみれば自分にとって必要な本なんかごくわずかしかない。本屋にいくとぎょうさん本が置いてあるが、しょうもないものばっかり。

それはともかく、話し相手がいない孤独はつらいものだ。それは近代の現代人のほとんどが抱えている問題でもあるだろう。
私見ですが、子供の頃から言葉を自由に話すことが抑圧されている。
戦いは成長のためでなく、努力では補えない差異をつけるための戦いだ。
夢をみれるものはみらいにあこがれるだろう。そして早くに敗北と挫折と屈辱となんやらかんやらあじ合わされて、嫉妬や妄想やら憎しみやらで人間不信に陥るさ。

だからゴッホにも理解して話を聞いてくれる弟のテオがいなければ、ゴッホは絵を描く事さえ出来なかっただろうと思います。

話を聞いてくれる人の存在の有り難味を深く噛みしめて生きていれば、わずかなことでも、どんなみすぼらしい人でも、気性があわずとも、声をかけてくれる人にはありがたいなと思ったりする。

んがっ!しかし、職場などの派閥争いの生存競争の厳しいところでは、事情がちがいますよ。
普段の生活でもそのような気配があるので気づかれるすることになるのですが、区別して考えるようにしています。

やはり自分なりの考え方を身につけたいものだ。
<42> きりん ■2003年10月23日 木曜日 02時39分26秒
生きてても良いの?
何で生きなきゃならないの?誰か私を必要としてるの?
解からないよ・・・・全部 全部。何も解からないよ。何で私 存在してるの どうやって生きていけば良いのかも・・・。わかんないよ。誰か教えてくれるの?
誰かの顔色 伺いながら、誰かに気を使いながら・・・もう 疲れたよ。

あちこちに温かいもの あるけど 私はガラスケースの中 その温かいものには手が届かない。 子供の時から ずっと ずーっと 一人ぼっちだったんだよ。誰も気付かなかった。誰かを恨んでも 子供の自分は戻らない 
悔しい。 いつも怖い顔が頭の片隅にあった。楽しんじゃいけない。

この先 何を支えに生きればいいの?自分には何も無いよ。太い鎖が繋がってるんだよ。

もう疲れたんだよ。疲れた。気付いたら自分の歩き方も解からないんだもん。どうすれば良いの。どうやって前に進めばいいの 

誰もこんな苦しみ理解してくれないじゃない 隠しながら 隠れながら あがきもがいて 必死に生きてきたじゃない 何でわかんないの 悔しい
頑張っても 頑張っても 誰にも慰められる事無い 苦しいまま 抜け出す事も出来ない もう疲れた 誰か 私に気付いて 助けて 私はなぜこんなに苦しまなくちゃならないの 
<41> およよ ■2003年10月18日 土曜日 19時52分59秒
≪瞳≫
あなたの声が 聞こえる 
わたしの さみしい胸に こだまする
あなたの姿が 見える
待ちわびた わたしの瞳に あなたが写る
あなたが 見つめてくれる
ただ わたしだけが 写っている あなたの瞳
それは やさしく やさしく 限りなく 深く わたしを包む

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This script written by Shintaro Wakayama.