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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.29
メッセージ数:566件

<566> 海龍 ■2006年05月24日 水曜日 09時24分46秒
自分をそんなに、追い詰めなくて、いいと思う。
結果はどうあれ、そのとき自分にできると思う
精一杯のことを、したのだから・・・

それでも、周りに取り残されてしまう、と言う
孤独感とか絶望感とか、そんなモノと戦ってる。

「わたしさえいなければ、すべてうまくいく」

そう思えて仕方ない。
そう思えて、消えてしまいたくて仕方ない。

どうにもならないもどかしさ。
無力な自分への虚しさ。
どこかで感じたことあると思って、思い出した。
両親が喧嘩をしていたとき、布団の中で泣きながら
そんな気持ちを胸いっぱいに抱いてた。

他人への不信感がぬぐえない。
それゆえ、信頼関係が築けない。
干渉しすぎか、退きすぎか、両極端。
こう書くとわたし、母に似てる・・・?

カウンセリング受けて、だいぶん変わった気がしてたけど
根本的な部分は、やっぱ一生、変われないんだろうか。
結局、パワーゲームすらやめることができないでいる。

情ないなぁ・・・
<565> Lights ■2006年05月22日 月曜日 21時27分22秒
どしゃぶりの雨が一年中降り続ける薄暗い街で、一人の少年に出会った。
傘も持たずに、歯をガチガチ震わせながら誰に向けてなのか、必死で笑顔を作ろうとしている。

「どうしてそんな格好のままじっと立っているの?いまの君はとても笑顔を作れるような姿じゃないのに。」

子供は笑顔を崩さないように、けれど泣き出す事を恐れるかのような震える声でこう言った。

「だって、僕がこうしていればきっと家族が僕を迎えに来てくれるから。」

「でも、現に誰も君を迎えになんて来てないじゃないか。」

「それでもいいんだ。こうして待つ事が僕の役目だから。僕がここにいなかったら、誰かが迎えに来てくれた時に心配するでしょ?
だから僕は待っていなきゃいけないんだ。」

そう話す少年はまだ辛うじて笑顔を保っていたが、瞳の奥は悲しみの色で満ちていた。

だから、こう声をかけてやった。

「いいことを教えてあげる。きっと、君の家族には君のことが見えないんだよ。だからいつまで待ってても誰も迎えになんか来やしないさ。残酷なようだけどね。」

その言葉を聞いた、少年はうつむいて体中を震わせていた。

「きっと君も分かっていたんだろう?けど、君の中の優しさが家族を見捨てる事を拒んでいた。でもそうだとしたら、君はもう待っている必要は無いさ。」

「どうして?」

「このまま待ち続けて、おじいさんになるまでそこでそうしている気かい?
手に入らないとわかっている幸せを願い続けるより、自分が見つけられる幸せを探しに行く事の方が大切なんだ。
何?ここを出るのが怖いって?
大丈夫、こんな所で傘もささずに立ち続けられる人間なんてそうないないぜ。
君はその強さを持った人間なんだ。」

「でも、僕はまだ雨を避けるための傘も持っていないし、嵐を避ける方法も知らない。誰か頼れる知り合いもいないんだ。
それでも大丈夫なの?」

「そんなもの、これから手に入れて学んで作っていけばいいじゃないか。
ずっと誰かに押し付けられた荷物を背負って来たんだ。
これからは、自分のために生きていいんだよ。
辛い事があっても、本当に自分で選んだ道なら迷いなんてなくなるさ。」

ここまで話して、少年はようやく決心が付いたようだった。

「そうか。そうだね。僕はもっと僕の為に生きていいんだよね。
ありがとう、何だかやっていけそうな気がしてきたよ。」

「礼には及ばないよ。君の進む道に幸あらんことを。」

「うん。じゃあ、行くね。またどこかで会えるといいな。」

「あぁ。」

「じゃあね。」


「そうだ、最後に一つだけ聞いていい?」

「何?」

「ちょうど、僕の車は二人乗りでね。
よかったら一緒に行かないか?」



こうして僕らは旅を始めた。


さて、これからどこに行こうか?
<564> エゴ ■2006年05月17日 水曜日 17時26分44秒
毒文  生きる事への冒涜が中心 

小4〜6の頃の妄想と昔の一説。(考えシステム復帰せず、多分、下記に反する事をいっていた)
人は失敗・過ち・痛い目・傷を負わないと、学べない、わからない、知れない物、理解しない、理解し合えないモノだろうか? 
実体験では無く書籍や過去の情報や過去からの積み重ね、過去の良い物&悪いもの、人は人を伸ばせていけるし悪くする事もできるし、余裕と力があれば人として分かり合える、それにまだ人は人として成長途中である。
傷ついても気づくとは限らない、傷つくと傷を負った為に気づきやすくなる、傷つかなければ分からないわけではなく、傷つけなくても気づく事は可能だ。

傷つけなくても気づかせる事は可能? 傷ついていなくても気づける? 傷つける以外の道も知りたい。失敗からしか、傷つく事でしか人は学べないのかもしれないが、それはまだ人の思考の技術が足りないからだと思う、どんな技術知識も現実を現実と捉えていかないとね。それが力になるかもしれないのだから、良きにせよ悪きにせよ、有害、有益。
<563> エゴ ■2006年05月15日 月曜日 08時18分02秒
毒文   生きる事への冒涜が中心

今は考えていない、少しずつ昔考えた事、小5・6の間、時間をさいてやっていた事を読み出し、
今の自分から観た視点、あれだね、ちょちごっちゃ、1〜2年考え続けて拡散させてたから思いだしにも一苦労、断片でとうり一辺倒の考え方しか思いだせない、困る、反する関連諸々も欲しい。当時、生物(理科全般)が得意、理論立てと結果と、拡散と集約、比較と対照等も利用。他にも状況悪いとどれだけ効果や最低限の力必要か、とかの解釈・選定も考えていく。
後、たくさんの思いや考え方にも憧れていた、力足りないから。
だから自分の頭で考え方と思いをいくつも持ちたかった、リスクも在ったけど制限無しにした。
自分の存在を分析し、分化させていった、利用する為に、はじめの頃は他のシステムも制御できていたんだ中2頃までは。

自分は現実を知りたかった。自分は現実を知らない、知ろうとしても知りきれないけど知りたい。
現実は甘くも辛くもない、現実は人の都合で存在しない、神はいても人だけ特別扱いするもの?。
自分・人は現実を理解しているのだろうか? 
現実を理解するのは人が解釈して初めて理解している、それは現実?
人の考えはほとんどが、後付け解釈である、可笑しい、後付けならいくらでも作れる、甘いか辛いかも人がそう感じている人として正しくも在り、また現実を歪めて捉えているのも確かである。
なぜだろう、ある条件かで通用する、
技術や知識は現実をとらえて蓄積されてきた部分が多いいはずである、そうしないと困るから。
知恵・文化とは違う、知恵・文化は人の思考がはいる、良くも悪くも影響する。
現実はいくらでもあるから正しいと思う。
人が言う現実は大概、人がいて人の為の理論である。それに人は自分の側に甘い生き物である。
自分の側に辛くあたるのも自分の側に甘えているのである。

でも自分は他の道の方が好き、
人がいなくても、自然が無くても、地球が無くても現実の世界は存在している、もちろん観測者がいなければ無理だけど、でも本当の事だと思う。
自分的に言えば、存在している物は存在しているし、生き物は生きている。良いも悪いも無い。
存在している物は存在しても良いし生き物は生きていて良いと思う、逆に存在を消したり死のうとするのも良くも悪くもないと思う。基本的に存在して意思のあるものは自分で決めて自分で動く、そういう生き物で自分と回りに影響を与えながら与えられながら存在している。ただ、生き物は生きていたい生き物である。死に至らしめる条件がそろわない限り、苦しくてもいきていられるし、生きていこうとする、そういう生き物。人は考える事と思う事ができる生き物。

しなきゃいけない事はしないと、させるべき事はさせないと、するべき事はする。
泣いても叫んでも無駄である人の気心だけではどうにもできない現実には現実に存在している物として対峙するしか無いと思う、まあ、すべき事やさせるべき事を誰がどう判断して、どういう方法を使うかもちゃんとしてないと、していても思いどうりにいくとは限らないし、正しさなんて?。

人在って現実では無く、現実があってそこに人が存在している、人は現実を捉える為に解釈する方法をさがす、それは正しいでも可笑しい気づけなくなる事も多いい、特に問題事はさける。
それに他の視点を持たなくても良いと思ってしまう、現実そんなに簡単じゃないと思う。
甘さが通用しない社会や現実の暮らしでは2つ以上の思考や考え方がせめぎあったり、統合している、気づかなくてもみんな使っている。
人は2つ以上の考え方をもって初めて現実を捉えるのがマシになる生き物であると言っていいと思う、でもなぜかその範囲はせまい、特に生きる事以外の事になると人は怠ける、疲労するから。
必要こそ発明の母と言うがやはり生きる事の優先順位は高い。
人の始めと終わりのイベントも生きる事なのだから正しい。でも他の現実が間違いと言うのは犯しい、ようするに生きることの優先順位が高いから、付属や邪魔になる事は間違いと思いたいのである、特に変えられないと思い込んで受け入れ続けている事柄に関して特にそういう感じ。
普通は文化や知恵がそういうのをカバーするが日本はちがう、どちらもそういう方面は低い。
年功序列だし、昔の人を大事にする。 現実は甘くない。存在したものには未来に責任ある。
存在していなければ関与する事すらできないのだから、関与できて幸せでもある。
関与したのだから責任はある、ただ責任は無いともいえる。知らないとわからない。
ようするに気づかなければ行動も起こせないから、責任も無い。気づいていても力が無ければ責任も無い。力が在っても判断が違えば責任は無い。生き続けていれば、責任は無い。
日本は、人としてあるべき事、思考の中に貯められている負の遺産があまりに大きすぎる。
強いて言えば本能的に昔から貯め込まれ続けている悪い部分を自分達が背負うのが嫌なのである。
それに自分達の地盤や生きている、生きて来た事を否定される可能性もあるのでそんなのゴメンでありずっと、理解したくても理解できない状態にまでなっていると思う、必要性を感じない。
必要性は多分、あれば良いかなレベルである、それは確か、生きる事の方が大事。
特に大人は考える時間もない、考えていては生きられない、社会や自然のルールで生存競争なのである、他に割ける余裕は無いし、片手まで終わる物でもないだろ?
それに力をわけた故に生存競争で遅れを取ったら本末転倒、あるべきじゃない。
だから全員じゃなく、知りたい奴がやる、やりたい奴がやる、社会もそう、分担というか、現実でありすっごく自由、ありがたい事。

自分は正当じゃないし、この道を歩むのを決めたのも身勝手に土足で踏み込んだし、自分の責任は全て自分である忘れないようにしないとね。

特に地盤が積み重ねられ続ければそこから落ちたくはないのである。
本来は子供が察知、大人が意見を聞き修正を考えるべきなのだがそれも無いのだろう。
聞いても理解できんし、理解する目を作ってきていない、それに自分達がどういう状況で、
どういうものを、どういうふうに受け継がせ、また受け継いできて、影響を与え受けたかどういう方向に向かっているかの大まかな所さえ

大人になるまでに皆、生きる事については、特に仕事に就く事、生きやすさ、生きるすべの為の事は、大人を見習って一生懸命習得する。
なら、生きる事に反したり、はみ出ている部分の問題は現実じゃないの?。
思考だって生きてるよ、思考だって社会だよ、社会を形成してるよ。
受け継がせている物に目を向けないともっと見えにくくなっちゃうよ。
みんな自由に楽しんでるけど、それで良くはなってないよ、分からない?悪くなってる?
それで生きられるかもしれないけど、背負わされるのは誰? 、ずっとそのまま進むつもり?
どうがんばっても変えられなくなる状況になってしまうのは良くないと思うけど、
人が望んでいればそれも在り、いまはそうじゃないと思うけど甘いのかな。
自分がおかしい? でも皆はどっち望んでいるの? 自分は?

人は変化を求める生き物、人は変化し続ける状態なら変化しない状態をそのうち望む、逆もしかり。
学校の先生曰く、相手の言っている事には、伝えたい事と伝えたい思いがあるから、相手の趣旨を良く考えた方が良い、それは自分にどう影響させたいのか、そしてどう影響するのかを。

現在:
なんだろう、書いているうちにぼやけていく、前もそうだね外側や記録残そうとするとそうなるね。昔に戻りつつ在るのかな?
外側にだそうとすると、なんか変、記憶とともに考えや思いも知りつつ在るからかな?
枷復活?かな、やりにくい。
<562> エゴ ■2006年05月14日 日曜日 23時28分41秒
最近の自分の行動を昔の自分がしったら、削除されてるね、あの人怖いから、若いのに。
外側や残す事嫌ってたからね、でもこの道はいつかきた道、もう一度あいたいね、会えるなら。
もう削除や枷や維持や思考回路の能力がほとんどないみたい、生きたいと思う力に押され気味、外側へも迷惑顧みず、節度も無い。でも昔の一部が手を引いてくる、引いてくれる物は指し示す者、悪くも良くもない、見る方向性を指し示すのみ、判断や解釈はこちらの仕事。もしも会えたら、おみやげを渡そう。
少しは昔の自分も何か変化するかな? 頑固だけど、今よりはよく考えられると思うよ。
もし生きられたら生きて欲しいな。少しだけ思う、自分は息継ぎする必要性にも気づけなかった。
呼吸の仕方さえ忘れていたんだ。気づける状況じゃなかった?、
ずっと息を吸い続ける事はできないし、ずっと吐き続ける事もできない。
でもおみやげなら、呼吸の仕方もそれ以上の見方も気づいてくれるかな? 
気づいて欲しい、昔見れなかった部分までそれで決めて欲しいな自分自身を。
<561> エゴ ■2006年05月14日 日曜日 18時36分31秒
毒文  生きる事への冒涜が中心。 

えっと、こっちの分類にした方が良さそう、小学校高学年から授業中でもぼ〜としながら考え事。
現実感が薄れ始めたのはやはり小5〜6の間、その時の回想かな?
感情的でこれも小学校高学年から、でも今も否定しきれない、否定できる現実さがしてた?

恐れてた、やっぱりそうだよね、こういう考え方悪いんだよね。
両親や、社会が間違っている、大人が大人じゃない、生きるので精一杯なのは分かるけど、力たりてない。子供は大人から教えられる、子供は大人を吸収する、存在してない物は関われない。
存在している物は責任に気づかないといけないのに、現実見ようとしない、生きる事にしがみつき過ぎ、生き物だからしょうがない。現実にある問題で取り残され続けた部分、気づいた人が見るしかない。 自分が人と思える人になりたかった、最低限の人としてあるべき姿、目ざす方向性、在るべきでは無い方向性、わざと対立、固定しない、間違い修正・監視し続ける、結構、学べる無知無力だと思うとどんな事柄、本からでも、直感にも自分の思考の気質・素養も分析利用、母の性質も受け継いでるし、自分も頭の中を実験材料・変にする特性在るから。個としての確立+α(人としての在るべき能力と存在の責任と自分の願望?)、そのうち自分でかえちゃったαの方が大事、α達成しなけりゃどのみち、自分の住みたい場所じゃなくなる。自分の予測法の仕方は人がやるべきでないやり方在るべき物じゃない。悪い予測方式、でも現実、あまい良い側しか見ない人と違う、ほこれない、生き物のやる事でもないから、でも必要、本当は良い側からでも社会と人と環境と人としての知識があれば十分人を伸ばしながら、傷つく前にわかり、教えられる、少なくてもある程度、悪くなるのを押さえられる、良くなろうとすればなっていく可能性が高まる。ほとんどが悪循環。皆頑張って生きてる。幸せを見つけようとしている。生き物なら生きる。あたりまえ。わかってる。保育園から小学校でも家でも生き物関係の情報は収集するの好きだった。でも無理、現実の一部を無視したり、合わすのはできない。
したくない、我が存在が否定する生き物側が人の側が生きる事を望むのに。傲慢わがまま。でもしゃべれない、動けない、正しい物なんて無い、無知無力で今動けばどうなるかも予測できる?
正しくなくて、間違っているもしれない? だって大人の方が知識・経験すごいよ?
多分、きづいていて何か策があるんだ、悪化しても良かったり、なにか、それに子供だよ。
それにわかるだろ? 人が人に干渉するって怖さ。 自分達で気づいてもらうのが一番。
だれかに踊らされた物なんて、その後の効力が違う、自身で取得した物とは違う、良くも悪くも。
でもこのままだと悪くなるのでは? 動きたいから動く? 騒ぎたいから騒ぐの?
動いたら良くなるの? 良くしたいの? 悪くしたいの? 先と過去を見て、時間、関連、根拠。
原因と奥の原因とその結果、それに関連するもの。
落としどころを見つける為の考え方なんていらない。
でも力ないよ、愚かで間違ってるかも? 今までだって試みた物いるよ、多分いっぱい。
多分、あれだよあんまり良い道じゃない、感じるだろ、頭おかしくなるかもの道だよ。
それにお前考えるの嫌いだろ向かないだろ? ここ1・2年くらいだろ情報収集しながら考え始めたの? 普通のやり方じゃだめだよね、時間無さそうだし、良い方向は凄いね人を伸ばせて自分もよさそう生きていけそうだし人を信じられる、生き物や人の道だよ。でもあれだね、自分はただでさえ、気づけない人間だから良い方向をみたら歩んでいたら、絶対見えなくなるよね、やだね、それだけはもう嫌、多分、正しくて間違ってる、でも嫌な物でも現実的なら構えないとね、ただそれに依存は許さない、間違ってる可能性もあるし、間違いであって欲しいし、でもね現実がしりたい。
だから、良い方向も悪い方向もそれ以外も知りたいから、自分は多分、良い方向は大丈夫だから、悪い方向をよくみていこう。
そんなことまともじゃもない、生き物の道じゃない。一様両立を目指すよ、生きる方もだって生きる方や人としての現実感なくしたら、もう多分、見れなくなってしまうから。
壊れる前に壊さないとね。それにしゃべらない方が良いよ、動かない方が良いよ。
今は無知無力だし、動いたら、とまれないだろう?、付け焼き刃で引っ掻き回して、状況混乱させるだけ。時間すぎれば、おのずとお前の予測がただしいかも分かるし、心や思いや情報も考え方も集められる誰にも干渉されず、干渉されたいかい? さあね、でも多分。
大人も子供もあれだね、生きるの大事、良い部分観ていきなさい理論だね。

しゃべったり、本気で動けば、病院行きだよ、もしくは変人・奇人扱い、そうならなくても家族が苦しむ、それに家にこもったり、変になっていく、ズレ行くのが早まるよ。
黙していた方が良いよ、だってお前の中にもっと酷い事考えているのもいるし。
まあ、押さえ込まれて利用されてるみたいだけど自分に。
うん、正常を装えるまで出来るだけ行ってみよう、無理なら認めるし、間違いでも、邪魔でも、
何より自分が自分でいられて、自分が認められる範囲で維持しよう。

現在:かなり後で、ある成人向けPCゲームとうして、自分に足りなかった物を知る。今の自分には理解しきれない、壊れたから、昔の自分に知って貰いたい、記憶取り戻して、昔の自分にあいたい。

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This script written by Shintaro Wakayama.