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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.21
メッセージ数:420件

<420> アーネスト ■2005年06月26日 日曜日 12時41分50秒
(少しFB注意です。不気味な表現あり)





目が覚めると目覚し時計が鳴っていた。
今は朝?それとも夜?屋外なの?それともここは何かの建物?

山際には星と夕焼けと雨と雷と雪。あらゆる気象現象が同時に起こっていた。川には気持ち悪いほどの数の魚が泳いでいる。群れというよりはゴミ溜めだ。

僕もう一度毛布を被って眠る。
<419> 花 ■2005年06月22日 水曜日 17時25分10秒
ばからしい。
やめよう。親を嫌うなんて。嫌いな人を嫌うなんて。やめよう。理由なんてないから。やめよう。むやみに嫌うのは。同時に自分も嫌っているのだろうと思うから。
わたしが思ったこと。
憎しみを捨てようなんて思わないこと。
虚しさを埋めようとしないこと。
悲しみばかりだ嘆かないこと。
自分を卑下しても言いということ。
自分が好きになれなくてもいいし、自信がなくてもいい。
捨てようと思っても、捨てられないものはある。だから持ってていいのだと思った。そのまま。次のものが見つかるまでの間。
新しいものが見つかれば、少しづつ捨てられるという感覚知っているの。
自然とね捨てられる。
だから、無理して捨てようなんて思わない。
今のこういう思いもっててもいい。
それに後悔ももっててもいい。
次のものが見つかるまで。
次のものが見つかれば後悔は消える。
そして、死ぬ時、もし後悔や悲しみと一緒だったとしても、それ以外のものも持っている。今と同じ状態だろう。
人はそう、いつもそのまま。
変わらずいつもそのままの状態なんだ。今も。生きるのも。死ぬのも。今のまま。きっとこのまま。死ぬほど苦しくはない。
<418> まどろみ ■2005年06月22日 水曜日 10時00分13秒
あたしは、あなたのシャツのはじっこをゆびさきでつまむ。
くるくるねじったり、くしゃくしゃにまるめてたり、
ひろげてみたりする。
ああ、そこだけしわしわになっちゃったね。
そしてまた、くるくるはじっこからまるめてしまう。

単なる妄想で、二重の意味はありません。
<417> むーみん ■2005年06月18日 土曜日 18時26分37秒
私何がしたいのだろう?私の心に聞いてみる。
何がしたいのか分からない。
今、毎日ただ単に時間だけが流れていく。
本を読んでも、テレビを見ても何の感覚もなくなっている。
私の神経が無くなってしまった。
何もする気がない。仕方なくしている。
食べて、寝て、、、、、何か希望を持たなくては、、、
何かしたいことを見つけなくては、、、
楽しいことって何だったっけ?もうすっかり忘れてしまった。
自分自身を見つけなくては、心と体が一つになれない。
幽霊のようにフラフラしている。体はあるが心がこの場所にいない。
どこをさまよっているのか?
昔にしがみついている。昔の思い出にしがみついている。
早く自分を探さなくては、、、

<416> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月17日 金曜日 02時06分38秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・鳩との交流に癒される)

 近所の公園には夜のうちに餌を蒔いて、翌日は行かない。パンを与える人がいるようだし、私のことなど忘れて、人との距離をとり、野性を取り戻してほしいと思っているからだ。ところが夜半から雨が降り続き、我がジャングルのエサ箱の餌は雨水の水分を吸って、餌はブヨブヨになって腐臭を放っていた。
 私は全てのエサ箱をティッシュでふき取り、きれいに清掃してから、雨が降り止むの見極めて餌を再投入した。随分時間をとってしまった。
 スズメは頻繁に見張り役が、清掃のはかどり具合を見に来ていた。キジバトは警戒してまったく近づいてくる気配が無い。
 そのとき、私は近所の公園に蒔いた餌が同じような状態ではないかと危惧して、公園に出かけたのだ。
 行くと鳩たちは私のことに直ぐ気づき、私を取り巻いてグルグルとびまわるのだった。餌はきちんと食べられており、芝に蒔いた餌はあまり水分を含まず、日の出には食べに来ているから、雨の影響は大した事が無いようだった。
 私は持参した鳩の餌を蒔いて引き返した。

 近所の電線にはキジバトが雨にもめげず、12〜3羽がまだ警戒を解かずにジャングルの方を見つめていた。彼らは日の出からどこにも行かずこうしてジッと待機しているのだ。
 彼らがどこに営巣しているのかわからない。遠くから来ているものも居るようだ。
 公園で巣作りしているキジバトはここにはやってきていないようだ。公園の草や木の芽などを食べているようだ。

 お寺に行くとき、私は手ぶらで行く事にしている。手を振って餌は持っていない事を彼らに知らせることにしている。
 餌を持っていくともみくちゃにされて、他の参拝者の迷惑になるからだ。私は境内でジワジワと歩いて鳩たちを観察していく。小鳩や弱っている鳩を主に捜して観察している。
 じっと立っているだけで、人馴れした鳩は私の肩や頭に止まって遊ぶ。地面では私のスニーカーをつついたり、乗っかってジーパンをくわえて引っ張る。
 桜の古木の苔や新芽を食べているので、腰をかがめてみていると、それを食べられるものだと知らない若いハトはマネをして食べようとする。すると成長したハトは口ばしで若いハトをつついて追っ払おうとする。
 自然食があまりに少ないからだろう。見ると桜の若葉も食べられている。

腰をかがめた私の背中はハトの滑り台となって肩まで駆け上がってすーっと下がる。時々こうして糞をしていく黒いハトがいるのだが、イタズラだと認識してやっているようなのだ。。。。可愛いではないか。

 さて帰るとするか。。。と出口に向かうとゾロゾロと鳩たちはついて来る。
自転車に餌を用意していることを知っているからだ。ばれた時のハトの興奮する様子が伝わってくる。
 今日はベンチでもみくちゃにされました。。。
 餌がなくなると、両腕を頭の上で振って「もうないよ」というと今度は納得したようで、サッと離れていきます。
。。。。。。。。。あの片足の白いモザイクは随分長い事姿をみていない。。。

 今度は川原。朝、夕方以外のときに行くと、鳩は所定の場所にはいない。私はとりあえずはとが来るまで両手を大きく振る。
 2〜3回振るとどこからともなく私に気づく鳩が居て、私の周囲を回って飛行したり、私の目の位置まで羽根を広げて飛び上がる。
 このような時は私も笑顔を見せるようにしている。

 ここの群れは、最近リーダーらしいオス鳩が周囲をうかがって、非常に神経が高ぶっているときがあり、採食もろくにせず、何度も威嚇飛行を繰り返す事が増えている。見ているとそのまま南の方角に去って行く鳩もいる。
 ところが、別のリーダーがいるときはそのような気配が無く群れは落ち着いていて、トンビが来ても威嚇飛行さえしないのだ。

 これは、説明を省略させてもらいますが、私がピ〜ヒョロ〜と鳴いてから近づく一羽のトンビに直接パンを投げ与えているからではないかと推測しています。
 そうした事をしらないリーダーが脅えているように思うのです。いつも犬を放して散歩に来るバカ主婦がいるのですが、その犬が採食中の鳩の群れに近づいてきたとき、私は犬の背中をつかんで止めたのですが、リーダーの鳩は犬ではなく、私の目をみています。。。。
 ここの状況を良く知っている(長年住み着いている)鳩は慌てないようです。

 私は彼らのおかげで、私以外の大勢の友達のことを言葉を交わすことなく、いろいろと気配りをするようになってきています。。。。。
<415> きりん ■2005年06月15日 水曜日 13時43分14秒
最近のがむしゃらに働いてる自分を見てると 母の事思い出す。
週6日働いて 家畜の世話もして 変な父の世話も焼いて、正直 母のきもちなんか わかりたくなかった。でも 思い出しちゃうんだ。母もこうして働いてたのかなぁとか 時々具合悪くなって寝込んだなぁ。。でも私は何もしてあげなかった。心配もしてあげなかったように思う。だって 何も言わなかったもん。何で 寝込んでるのか?子供の私には解からなかったもん。疲れてるとか手伝って欲しいって もっと 言ってくれなきゃ解からなかったもん。私(子供の私)には 解からなかった。だって 私はもっともっと 甘えたかったし こっち見ててほしかったもん。それをしてくれないお母さんの事ずっと不満だったし 寂しかったもん。
きっとね、こんなに働いて頑張ってる自分に自信持っていたんじゃないかな?
堂々と 一人の人間として母親としても妻としても これ以上出着ないよって 自信持ってたんじゃないかな。過信かもしれない。。。
私にしてみれば 全然違ってた。孤独だった。それが あの頃 どこんちでもお母さんはそうやって働いていたし 私だけ特別ではなかった。でも私は今も その頃の思い出に 影響されて悩んでる。だから自分がダメな人間とか弱い人間とか判断したくなる。まだ解決できない部分。

私はダメな人間か?
弱い人間か?ってずっと迷ってる。責めてる。母親みたいに倒れるまで働く事 臨んでいたような気がする。そうしないと いい親だと 自分が認められないから。母と同じ事しないと 良い・立派な親になれないと思ってる、多分。
自分の価値は そうやって決められるものなのだろうか?私の価値は 母と比較して決めるものなのだろうか?子供は心理的にそういう風に思うのかな?

何で 親とミゾが出来てしまったんだろう。知らず知らずに 私は親が嫌いになってた。何年も電話での私は不機嫌な態度しか出来なかった。あるとき 旅行に行くって言ったら そんな贅沢して!って言われた、そのあと そんなこといわれたし 全然電話しなくて久しぶりに電話で話したら 旅行いってお金なくなって夫婦喧嘩ばっかりして電話くれなかったのかと思ったって 言われた。そのとき ブチって切れた。いくら親でも そんな事言われるなんて許せなかった。今までなんで冷たい態度しか出来なかったのかわかった。私は親の事嫌いだったって事に気が付いた。そういう風に 子供をコントロールしてきたんだなと思うし、守られてきた実感も無かったし 深く傷ついてしまった。決定的になってしまった。親から傷つけられてしまったら 子供は誰に助けを求めたらいいの?最大の見方であってほしいのに。もしかしたらこのまま お互い分かり合えないまま 死んでしまうのかもしれない。一生私は悩み苦しみ続けるのかもしれない。
<414> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月14日 火曜日 12時01分21秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・ツバメの子育て)

 早朝の6時に起きてしまった。私は迷うことなく野鳥たちの餌の用意とどことどこに餌を撒くかをサッと決めて外出した。
 近所の3階建てのビルの下は低い駐車場である。この低い軒先にツバメの巣が創られてもう6年は経つだろうか?
 ツバメは早朝から日が暮れるまで子供の餌運びでクタクタになっている。疲労は飛び方でわかる。
 車の往来の激しいところであるから車高の高い車にぶつかりそうになるところをしばしば見受ける。

 考えてみれば野鳥の子供なんか飛べるようになってやっとその姿を確認できるのだが、ツバメのように子育てを巣作りから巣立ちまでを生活空間で見近に見れるのは珍しいのではないだろうか?

 私は田舎の農村で育ったのだが、ツバメの休息する姿はよく見たものだが、ヒナに餌をあげるところはあまり見た記憶がないのである。
 あまりに見慣れた光景であったからかもしれない。巣の位置が高い所にあったり、母屋の裏手にあったりして、人間の目に届くところには巣は無かったように思う。
 都市のツバメの巣といささか条件がちがうのだろう。

 私は早朝、誰も通らぬその時間帯に、ツバメの子育てに必死の親をじっと一人佇んで様子を見ていた。
 まったく人間をおそれることなく、私の頭の上を平気で通過する。「ツバメは虫を取る鳥だからいじめてはいけないよ」と母に言われた記憶がある。

 ツバメは他の野鳥に比して体が実に細い。よくあれだけ動き回れるものだと感心してしまう。。。。

 もし、このままこの場所に人が通らなかったら。。。私は涙ぐみながら手を合わせ、意味も無く感動のままに頭を垂れてお祈りしていただろう。
 
<413> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月13日 月曜日 01時50分29秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・親子ガモ)

 早朝の5時30分頃に川原に餌を蒔きに行った。鳩は同じ顔ぶれだが、野鳥は時として不可解な行動をとる。
 餌を蒔いて、私は親子カモを捜した。私の立つ足元の岸辺の草むらに潜んでいた。他のかも類も来ていたのでさっそくパンを投げたのだけど、親子カモは食べずに反対側の岸辺にノロノロと泳いでいった。
 トンビが案の定どこからかやってきて、パンを横取りしようと水面を掠めたが、パンは獲れなかったようだ。
 
 そして後ろの土手で採食していたハトたちが一斉に飛び立ち威嚇飛行をして対岸の水門に固まって着地した。
 周囲には何も居ない。トンビも消え去った。すると南の方向からカラスの群れがやってきて、その数がドンドン増え続けるのだった。
 センダンの樹にびっしりと30数羽のカラスがあっと言う間に占拠してしまった。

 早朝はどんな野鳥も餌の確保に必死なのだろう。私がカラスにパンを投げ与えるとカラス達はジッと見ているだけで、リーダーらしいのが飛び去ると、全員同じようにまた南の方角に飛び去っていった。

 トンビやカラスの群れが統率のとれた行動をすると一瞬ひるむが、彼らは餌が目的で生きているものには危害を加える心配がないとわかると、そのような奇妙な行動をする野鳥の観察に関心は移って興味深さがいやがうえにもましてくる。

 狭い生息圏に各野鳥が群れで縄張りを持っているからだろう。。。

 対岸にわたった親子カモの姿は消えてしまった。
 ハトは各地で小鳩が育っているようだ。環境の良いところほど子鳩を見かけるが、成鳥の数に比したら余りに少ないのではないだろうか?

 遠くの公園に野生として生息する鳩に餌をあげに行くと彼らは警戒してなかなか食べない。ガキや犬や猫が出没するので安心出来ないのだろう。車のドアを閉める「バタン」という音にさえ過剰に反応して飛び上がるほどの警戒ぶりだった。
 このようなところでは、鳩は巣作りの小枝を拾い集める事に余念が無かった。

 鳩は周囲の環境によって、産卵期でさえ近くであっても大きくずれこむようだ。

 そしてスズメ達だが、彼らは鳩の餌の食べ残しを周囲で待っている事が多い。4〜5羽ぐらいしか来ない。。。このスズメの少なさに私は杞憂している。

 我がジャングルでも子供のキジバトが一羽来ている様だ。いたずらざかりでスズメの採食を邪魔して、縄張りを作ろうとしているようだ。
 私が側まで行っても、逃げ遅れたのかどうか、私をじーっと見てゆっくり飛び去っている。
 スズメは多い時で30羽は来ているので、スズメ用の餌箱をペットボトルや紙パックを改造してスズメしかはいれないような餌箱を設置している。

 警戒して中の餌はなかなか減ってくれない。
 彼らの習性として地面に落ちたものを直接拾って食べるのがあんしんできるのかもしれない。
 だけど、地面は湿気が多く朽ちた家屋などがあって狭く、猫や蛇が時々出没するし、草や樹がびっしり密生しており、飛び立つときは真上に羽ばたいていくしか方法はないのだ。。。
<412> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月12日 日曜日 01時58分28秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・(都市の住む野鳥たち・親子がも)

 川原を一渡り見回しても例の親子がもは見つけ出せなかった。
今日の夕方、雨で少し増水し、流れが速くなっている川面には成鳥しかいない。

 橋げたの中洲が陸につながった波が穏やかなところでコガモが母ガモの背中に乗っかって、ゆっくり移動していた。
 私が近づいてパンを投げると、母ガモは困ったような素振りでパンを食べようとしない。
 すると、トンビがどこからともなくスーっと飛んできてパンを拾っていった。コガモたちは背丈の高い草むらを母ガモの後に付いて隠れてしまった。
 でも、何度も往復していると見えて、草が倒れて道となっているので隠れているところはおおよその見当でわかるのだった。

 コガモが成長するまで、人間が余計な心配をして捜したりすると、トンビやカラスに教えるようなものだから、ひそやかに見守る事につきるようだ。
<411> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月10日 金曜日 12時39分17秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・(都市に住む野鳥たち・コガモ)

 川原に住み着いたハトに餌を蒔きに行っている。
スズメ・カラス・大きなサギ・かも達。そしてトンビ。
 鴨はコガモを7羽連れてパンをもらいに私に近づいてくる。コガモはパンをうまく拾えず、20センチの川底に沈めてしまう。それをコガモであるから拾えない。
 私は母鴨に餌を投げる。コガモは産毛が密生した状態でヒヨコのようだ。毛の色はこげちゃ色。
 トンビが水面をかすめて「バチャン!」と音を立てて飛び去った。素早くてコガモをつかんで行ったことに気づかなかった。
 母鴨は驚き、憮然とした表情をした。そして何事も無かったようにまたパンを食べ出した。
 そして翌日に行くとコガモは5羽になっていた。

 私がパンを与えると川原のあらゆる野鳥がくるために、犠牲となるのはヒナのカモたちだ。
 野鳥は成鳥にそだつまでが大変だ。無事成鳥となっても人間が食べ物として狩猟の対象としてしまう。
 野鳥は魚と同じレベルで人間に認識されている。

 ハトを通じていろいろな野鳥を観察していると、キジバトやスズメなど警戒心が強く、けして人間になつく事はない(例外は絶えずありますが・・)。
 反面、ハトは人間にすごく慣れて、帽子を被っていると足で落としたり、私の胸に飛び込んできたりする。つかまるところがないので足でひっかき、羽根をうまく使ってずっと胸に止まっていたりする。
 ここまでされると、信頼関係は厚いものがあるので、嬉しくなってしまう。

 ハトが蹴られたり、足の切断例の最も多い公園に行って少し餌を撒き、「ここは危ないから、あっち(お寺)へ行くぞ」と私は人差し指を寺の方向に何度も向けて、少しはなれた寺にいくのだが、行って見ると信じられないことだが、目の前にそのハトが来ているのだ。
 すべてのハトが来るわけではないのですが、一部のハトは指さした方向の意味がわかるようなのです。
 ハトの固体識別ができるようになると、そのようなこともわかったりします。ハトは伝書鳩として利用された事もあるだけに、その頭脳は私達の認識を凌駕するものがあります。

 今日の新聞に目を移すと、お寺のカモの親子が可愛いからと、「外敵から守れ」との見出しと写真が出ている。
 12羽のコガモ、直ぐ先のコガモはもう5羽しか生き残っていないんだよ。そのことをこそ新聞は報道すべきではありませんか?

 新聞は本当のことは報道しません。まじめに読んで怒ったりするのはばかげたことです(読まないほうが良い)。自分の視点で考える事をしていかないと、しょうもない情報で振り回されてしまい、自分を見失う事になります。
<410> まどろみ ■2005年06月04日 土曜日 22時40分18秒
ちょっとオカシナ天使の瞳に釘付けになったあの時(中学生だったみたい)から、ホントは大丈夫だったんだ。体は半分でも。それに気付いた今、なんとか生きていけるような気がしている。体は半分でも。頭いかれてても。
<409> きりん ■2005年06月04日 土曜日 01時57分25秒
ちょっと やばい感じ。
働かなきゃ!お金稼がなきゃ!って 焦ってる。だから 6日勤務も頑張ろうって気持ちになってる。でも 6日勤務って わかったとき出来るかな?って不安になって 体も緊張した。今も不安。
はじめは リハビリのつもりのバイトだったけど 1年たったら 何が何でも私が稼がなきゃって どこかで自分で脅迫している部分もある。脅迫してるから ホントの気持ちを感じにくくさせる所もある。でも今は とにかくお金を稼がなくちゃ。そればっかり。自分 見失いつつある。

今の自分の姿って 自分の母親。妻の立場もそのまま母を再演しているみたい。もう一人 父を子供の目線で見てるもう一人の自分が居る。そこに 上手くいかない原因があるような気がする。夫の前では 母ならこうするだろうな。背いたら父はこうして怒ったなぁとか とにかく気に入らなければ、あるいは突然機嫌が悪くなる人だったし 暴力・暴言はしょっちゅうだった。私はいつまた あの恐怖に立たされるのか怖くていつもビクビクしていた。
そんな父に付き合っていれば 母だって おだやかに子供に接する事は出来なくて当然だろうなぁ。
そんな風に 納得しちゃったらいけない。私は子供なんだから 親をそうやって 許しちゃいけない。子供の当然の権利だから。愛されたり 安全な環境を与えられる事は子供の権利だから。

そこの部分なのかな カウンセリングでもう少し話し合って見なければならない部分なんだろうな。
いつになったら ホントに楽になるんだろう。
<408> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年06月01日 水曜日 14時53分07秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・サマータイム)

 サマータイムをフルートで吹けるようになった時は嬉しかったが、そのレベル以上にはいかないのでやめてしまった。
 川原で楽器の練習をする人がいるので聴いていると高度なテクニックを練習している人と、高音が出せずに音がどうしてもはずれてそこから先に進めない人もいて、下手糞な人には頑張って欲しいなと思うのですが、ピャーーーーーーー。を何べんも繰り返されると不愉快になってきたりして、静かに音出す事ぐらいして欲しいものです。
 詩吟もたまには我慢できるのですが、朝から毎日していると、静けさを求めてやってきているのですから、ちょっとは自重して欲しい。

 トンビに餌をやるのはやはりダイナミックでハトの餌蒔きとは違う爽快感がります。今日は場所を移してトンビを待つと20数羽が空を乱舞して、どこに投げて良いやら迷いました。
 パンは重量がないのでタイミングよく上に投げるのは難しいですね。
川に落ちたパンをトンビが足で取るという方法のが無難なようです。
 水面に顔をぶつけて飛び上がれずに中洲でへたりこんだトンビもいました。
 水面に落ちたパンを拾う技は簡単ではないようです。何羽も挑戦しますが、プカプカと上下しているので成功率は5割ぐらい。

 羽根を広げて空にピタリと長い時間静止している、飛び切り大きな羽根のトンビがいました。
 このトンビと目が合って、互いに間合いを計るのですが、私が体調不良状態ですので、投げることができませんでした。

 頭がふらふら、胃がおかしくて吐きそうで、関節に力がはいりません。
帰り際、ポケットを探るとタバコを落としていた。財布はあったのでホッとしました。食パン2斤を丸めて投げ尽くす体力なかったです。
 近くの鴨やハトやスズメに投げて終わりました。。。。楽しかったですよ。

 話は変わります、私は自助グループに参加していますが、現在の私の問題は自助グループでは解決しないことだと思い至っております。
 たまにメッセージで他の自助グループの方が来られますが、ご自分のPTSDを明快に受け止めて問題解決に取り組んでおられる人たちですと、私も忌憚なく話せるし深く共感できます。
 しかし、解離がある場合ですと、解離を抱えた人たちのなかで問題解決に当たられたほうが、やはり安全でよいと思います。
 私の場合ですと、トラウマの後遺症がどのようであるかをまだきちんと理解できていません。
 細かいことは多岐にわたるのでカウンセラーに話しておりますが、今後私は就労できるだろうか、どうだろうか。そのような重大な局面にきていると考えています。
 私は自分なりに問題解決に取り組んできました。
 それは、家族と連絡を絶つ(年賀状は出しますが)。静養に努め、静かに日々を送り、日常生活で自分にかかるストレスをそれなりに解決し、FBにつながる出来事はどのようなことから起きているのか。
 日々変化するなかでそのような事はとらえることが出来ていると思います。

 しかし、どうしても調和を取れない症状はあるようです。これをどう判断したらよいのでしょうか。
 PTSDの対応ははっきり言って「よくわからない」といって下る精神科医は良心的ではないでしょうか?
 この点につきましては、もう少しまとまってきたら書きたいと思います。
<407> まりん ■2005年06月01日 水曜日 03時04分26秒
あたしは笑ってる
何の不安もなくて、お母さんは優しくて、あたしの友達も認めてくれて、
いきなり怒られることもなくて、あたしの全てを許してくれる。
少し大きくなったら一緒に買い物とかも行って、恋の悩みも話して、
友達も何の不安もなく家に遊びにこれて、親戚も皆本当の家族みたいに仲がいい。
たまには喧嘩もするし、わずらわしくなることもあるんだろう。
だけど、仲が良くてお互いを思いやることが出来る

それが、あたしの夢だった
<406> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年05月31日 火曜日 17時05分26秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・ハトと野生)

 日の出が分からないほどうっすらと明るいままの5時にゴミだしをする。
その足で公園に行くと電線に約20羽のハトがいる。そこで眠っているかのようにピクリとも身動きしないままのハトたち。巣を抜け出してここに飛来するにはあまりにも早すぎる時間だ。
 私が餌を蒔いてもまったく気づく様子がない。試しに周囲を自転車で走ると一羽の黒いハトが私に気づいて餌を食べに来た。
 この暗がりでハトは私を確認できるのだろうか?私はいつも同じコースで公園に行き、私を最初に確認できるハトを見分けようとしている。
 今のところ3羽が私に気づいて近寄ってくるようだ。この黒いハトは昼間私が行っても気づかないことが多いハトであったが・・・。
 私を見分けるのは、いつもツガイでいる青バトである。群れは21羽のようで私が蒔いた餌の半数を食べたところで、公園を後にした。

 私が気にしているのはもう一つ、周囲にいるスズメに餌が分配できないことだ。ハトが残らずあっと言う間に食べてしまうからだ。

 帰路同じように電線にキジバトが居るのを発見した。こちらは、2〜3羽が個別のグループで分散している。
 私はさっそくエサ箱に餌を投入したが、スズメが多数待ち構えていて、早朝からスズメの大合唱が始まり、周辺の住民の苦情がでると今後の対応が困った事になるのが心配だ。
 
 最近はスズメの合唱とキジバトへのブーイングがさっぱり聞こえてこない。秩序があるかのようにスズメ達は一鳴きしてから静かになる。窓から見ているとスズメとキジバトが
順番に餌をついばんでいる様子だ。
 何故????彼らが口ばしで手元の餌を4m下の地上に落としているのは、スズメの分け前を落としているのだ。
 大多数のスズメ達は、喜びの合唱をすると地上に餌を拾いに行っている様子だ。スズメの食べる量はそんなに多くない。

 キジバトが餌を口ばしで下に払い落としているその表情は実に慈愛に満ちたものとなって見えてくるではないか。
私は野生の鳥のほほえましい共生の姿に一人打ち震え感動しているのです。

私はキジバトとハトの採食行動を単純に比較する気はありません。しかし、数量の問題だけではなく、観光地などで見かける群れとしての機能(野生)を失った、人間との距離をなくしたハトたちを哀れむばかりでいます。
<405> こくーん ■2005年05月31日 火曜日 02時44分09秒
自分が期待する反応を、必ずしも相手が返してくれるわけではないし。
相手が返してくれるよう、あの手この手を尽くそうとするのは相手をコントロールすることだし。
ああ、でもこの、満たされないものは何だろう。
他人が存在するがゆえに、揺れる心。
また思い起こされるのは、小さい頃から想起し続けた、あの断崖。
存在しないあの断崖。誰もいない断崖に1人立って、声が枯れるほど叫ぶのだ。私の中の全てを。
でないと、重みに自分が潰れそう。あの場所には誰もいない。だから誰にもわからない。誰にも期待しない。ただ、私だけ。ありのままの私が存在することを許される。
<404> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年05月30日 月曜日 01時15分38秒
[ヘクソカズラ日記]・・・・・(都市に住む野鳥たち・トンビにパンを投げる)

 トンビにパンを投げる人が居たので真似をして私も投げてみた。
まず、状況から説明します。
 鳩は安全な場所で餌をあげられるように一定のところに餌を蒔いている。
 今日は一羽しかいなかったのですが、私がそこに行くとあちこちから、同じ顔ぶれの鳩たちが直ぐに飛来してくるようになってます。
 群れではない単独行動の鳩は端っこでうろうろするので直ぐにわかります。
 どこに行ってもこのような鳩は来ます。見逃すことなくその鳩の方に絵さえを投げますが、新参者はどこも同じで最初は遠慮します。
 スズメやムクドリにはパンを与えます。ムクドリは素早いですね。スズメも待ち構えているので、跳ねてとんでもないところまで行っても素早く追いかけて餌を確保します。地上にいる野鳥に目が奪われてなかなか頭上のトンビに気づかないのですが、鴨が一羽素早い行動で餌を要求して川べりに来たので投げていると、トンビが低空飛行してキャッチしていきました。
 思わずうまい!と叫びたくなりました。
 トンビが旋回して低空飛行してくるので餌を投げてみたら、これが何ともうまいキャッチをして、「役者やのお」と思いました。
 計6回投げて3回キャッチしました。
私としては投げるタイミングが分からない。取りあえず上に投げたらトンビがタイミングをうまく計って速度調整をするようです。
 しかし、投げてみるとソフトボールの要領で下から上に滞空時間を保てる投げ方がトンビもタイミングを計りやすいようでした。

 このような芸達者なことをするのは、全ての野鳥がするわけでもないようです。
一羽のトンビがするだけで、他のトンビは見ているだけのようでした。
 スズメもパンを投げるとフライングキャッチできるのはそういません。
 ムクドリは1〜2羽しか来ないので分かりませんが、非常に素早いキャッチをします。外野手のイチロー並のキャッチをします。

 帰ろうとしているときに私の正面に来て「チュン」と鳴いて餌をくれ!というスズメはいます。
 このように、はっきりと餌を要求してくるスズメも一羽居るぐらいなのです。用意している間に姿が消えていたりしますが・・・・・。

 このような餌を通じた野鳥との交流は、私の気持ちを開放してくれたりして、私の中にわだかまって静止したままの問題点が何かを気づかせてくれたりします。
 トラウマの後遺症がどのようにまだ癒されていないのか、そこが私自身も説明できないところでもあるのです。
 そこを見ようとしてもわからないし、考えれば疲弊していくだけですので、このような野鳥との交流を通じた体験が私には良い自己治療となっている。と思っています。
 精神科医やカウンセラーに話すより、発見は多いかもしれません。

 その方向で私はカラスと餌を通じた交流をもちたいと思っています。カラスは表情豊かだし、賢い行動をします。
 一度餌をやったことはあるのですが、私の真意を計りかねているようで・・・・・・・・・・・。
<403> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年05月29日 日曜日 12時45分28秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・エサ箱)

 すずめの囀りが静かになったので見に行ったら、餌が既になくなっていた。
ここ数日はスズメやキジバトの餌を半減して朝と夕方にだけ餌をあげるようにしている。
 彼らがどれぐらいの数できているのか不明であるからだ。
多くはキジバトが食べているのだろうと思う。
キジバトもエサ箱を設置すると縄張りを創ってしまうため、3〜4羽が餌を独占しているようだ。
 このような状態が続くと、個体数の激減しているキジバトやスズメの栄養状態の改善とできるだけ多くの野鳥の餌場となるように願っている私の考えと、随分ずれが生じてきているのだ。
 私はスズメしか入れないエサ箱を蚊取り線香の空き缶やペットボトルを細工して設置してみた。
 計画と現実はかみ合わないもので、完璧だと思っていたエサ箱が安定が悪くひっくり返っていたり、スズメが警戒して食べなかったりするのだ。

 餌の消費量を鳩に蒔く場合と設置した場合は比較しようが無いのですが、設置したほうがはるかに消費量は多いようです。
 キジバトの餌をスズメが口ばしで外に捨てたり、キジバトがスズメの餌を同じく口ばしで払って地上に落下させてしまうのです。
 両者が互いにけん制して不毛な争いをするために、三分の一は食べられることなくゴミとなっているようです。

 私としてはエサ箱の工夫を凝らすしか方法がありません。

 ジャングルの状態はヨウシュヤマゴボウがすでに2mを超えたのが3本あり、すごい勢いで毎日背丈が伸びています。はいものはもう青い実をつけ始めています。
 トチネズミモチ(モクセイ科)は枝の先々に小さな白い花を咲き誇らせています。
ハチ類がもうブンブン飛び回っています。
 トチネズミモチの仲間の樹は少し遅れて花を開いています。

ヨウシュヤマゴボウに気をとられている間にへクソカズラのツタは樹種の重なる枝葉の間をぬって、生命を躍動させている。
 最終的にこのヘクソカズラが季節の最後まで勢いを保ちます。

 6月の紫陽花は昨年よりも背丈を伸ばして芙蓉と山吹のあいだから、陽を浴びようと密生した状態でその面積を昨年よりも増やしているようです。
 昨年切り倒されたケヤキの幹に青い葉が繁茂しています。水分があるから枯れないのでしょう。
 すごい生命力ですね。

 樹や花や野鳥の体臭やらがにわかに混ざって強い臭いをかもし出してきています。
<402> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年05月20日 金曜日 01時05分30秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・(都市に住む野鳥たち・おしゃべりな雀たち)

 昨日見た我がジャングルの風景は今日には一変している。一日ごとにその姿は勢いを増して季節の変化を刻み付けている。
 ヨウシュヤマゴボウは4本の茎が昨年と少し違うところに、すでに1mは背丈を伸ばし楕円形の葉はラグビーボールの大きさを凌いでいる。
 緑咲き誇る芙蓉の下で日陰になっているヨウシュヤマゴボウは夏には芙蓉の背丈を越えるだろう。
 山吹の花は既に散り、ヘクソカズラがあちこちに絡みついている。
ヘクソカズラは根の浅い新しいものが伸び方は強烈に早いようだ。
(トチ)ネズミモチ「タマツバキ」(モクレン科)に絡み付いている古株のヘクソカズラは太いところ意外は全部枯れていて、今日、大きな葉とともにツタがにょっきりと、何物にも絡みつかず自力でまっすぐ上にツタを伸ばしていた。その幹は新芽なのにほかのものより太い。
 昨日つぼみであったバラは今日には花が開いている。
紫陽花の葉が昨年より株を増やして、芙蓉や山吹の陰からやっと日当たりの良いところに進出したようだ。
 一番上は柿ノ木の柔らかい緑が覆うように繁ってきた。

キジバトとスズメの巣箱は3・2で配置して水は蚊取り線香の空き缶で間に合わせている。
 私は公園や川原にスズメの餌も蒔いているが、そんなに鳴く事は無い。
しかし、我がジャングルのスズメたちはどうであろう、朝から夕方に寝付くまでペチャクチャとおしゃべりが途絶える事が無いのだ。
 これはどうしてなのだろうか。ジャングルに新居を移した若いスズメが多いということは予想がつく、それにしてもその多様な鳴き声を聞き取ろうとするのだが、高い声や短い鳴き声、キとチとフとピ・・・・・から始まる、複雑な鳴き声は年齢さやメスとオスの違いなどもあろうが、実に複雑に鳴き分けている。

 ここのジャングルが安全で居心地がいいせいもあるのだろうが、誰かが研究してもいいのではなかろうか。。。などと思っている。
<401> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年05月18日 水曜日 01時42分26秒
[ヘクソカズラ日記]・・・・・・・・(都市に住む野鳥たち・野鳥の鳴き声)

 この時期になると、公園の芝や雑草の上にシートを敷いて寝転がり青空や野鳥を見るのが好きだ。
 側に川原があると、涼しい川風に吹かれて至福の時をすごせる。

 木陰で休むときはセンダンの木の下がもっとも好きだ。葉が小さくて密生しない。枝も横に広げるけれど、太陽の陽射しを適度に通し、青空も充分に見渡す事が出来るからだ。

 先日、このセンダンの木下で休んで居ると、若いムクドリが休息に来て、クイーッ、クイーッと短く鳴いた。
 呼びかけに対して帰ってくる鳴き声がない。周囲に仲間がいないのだ。
 そんなムクドリの様子を下で寝転んで観察していたのだ。
 このようなこともセンダンの樹の下だからできる楽しみなのだ。

 私は、我がジャングルにくるスズメの鳴き声を拝聴している。
年齢によって違いがあるようだ。
 警戒するような鳴き声は短く、チュイッ・チュイッと聞こえる。
喜びや楽しいときの鳴き声は、長くなるようだ。

 私が餌を持っていくとスズメはキリキリキリキリ・キチキチキチキチキチ・チーー・チーー。チュツルルルルルルルル。チッチッチッチッ。チューーイチューーーイ。チュチチュチ。フイッフイッフイッ。
 あくまでもわたしが聞こえたと思う鳴き声を採取したものです。

 見に行くと逃げるので、他の野鳥は多分来ていないと思うのです。

キジバトはプーン。プーン。とたまに鳴いているようです。どういう状態でなくのか分かっていません。

 餌さ争いでキジバトをスズメが多数で非難するときは、ちゅんちゅんちゅんちゅんちゅん。ちぃっちぃっちぃっちぃっ。
 
 スズメはいろんな場気声を出しています。

 あなたも静かな場所でスズメに餌をあげて、身近に様子をみて鳴き声に耳を澄ましてみてください。
 スズメの会話が聞こえるかもしれませんよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.