「思い出」 思いでは苦痛でしかない。 10代は乖離状態で過ごしてきたのではないかと思われる。 悲惨で惨めであった10代。しかし何とか生きてきた。 社会にでれば何とかやっていけると思っていた。 しかし、職場で簡単な雑談すらできない自分に驚いた。弱そうな先輩に仕事を尋ねると、激しい拒絶反応をしめす。どのように関係性をつくるか分からなくなっていった。 私自身の歪みに気づかざるを得なかった。緊張感。孤立。見捨てられる。いやがらせ。暴力。・・・・・その職場にしがみつき、生計をたてるしか選択肢のないものの鬱屈感が俺に暴力という形で爆発したのだろう。自分たちと肌のあわない者を暴力で排除する、卑屈な者たち。 俺は同僚をだまし金を奪った。その金でとりあえず住む場所を確保した。 そして、働いた。ココロは病んでいった。このような精神状態になると何らかのアディクションがストレスのはけ口となっていくようだ。 累積したストレスが限度にきているのだ。 これは俺の問題ではなく家族の病理ではないかと考えるようになっていた。 どのような過去であれ、それは俺の体験してきたゆるぎないものだと思っていたが、家族の病理を探るうち、とんでもない過去を思い出したりした。・・・・人と関わりのあるところでの過去(記憶)を俺は消してしまっている。・・・・・当時それがトラウマだと知りもしなかった。混乱はながくつづき立直るきっかけをつかめなかった。
過去と向き合うのは実に大変なことだと思う。すさまじい忍耐も必要だ。誰もが簡単にできるとは思えない。生きることにどうにもならなくなった人は、やはり、自分の過去の詰まった井戸をのぞくだろう。 「自分の井戸」を覗く勇気があれば、現実を冷静にみれるようになれる。 ・・・そして、俺はこの現実を直視し乗り越えて生きていけるだろうか?
過去をみることもせず、自分の井戸すら覗くこともしようとしない。現実から目をそらして生きることもできる。それはそれでいいと思います。私が何等干渉すべき問題ではありません。
それぞれの人生をいきるしか仕方ないではないか。
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