Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月27日 木曜日 23時54分36秒
「へクソカズラ日記」・・・・(都市に住む野鳥たち・スズメが消えた町)

 私がここに越してきたときは、早朝はスズメがチュンチュンと鳴いてやかましいほどだった。
 スズメの存在は空気のように当たり前のことだと思っていたが、ここ2〜3年近くでスズメの鳴き声を聞くことは無くなっている。

 早朝に目覚めて耳を澄ますと、たいていヒヨドリが鳴いていた。今はそのヒヨドリの鳴き声も珍しくなっており、未明にカラスがカーッカーッと鳴いていることもある。

 原因を私なりに探っているのだが、詳しいことはわからないままだ。
複合的な要因がいくつもあるかもしれない。

 まず、空家が増えていることだ。我が侘び住まいから近所の屋根をみると、たいがい5〜6羽のスズメが陽を浴びてチュンチュンと鳴いていたのに、その姿がまったく無くなってしまっている。
 その屋根の下の住人は越して無人化している。人のいないとこにスズメは住まなくなるのだろうか?

 その近所に名前は出せないが、臭いを放つ工場が拡張して、車の出入りが多くなり荷物の積み下ろしの音は騒音といえる。他には宅急便の車が何台も通るようになり、道幅一杯になることと、停車したり、発進を繰り返すことで渋滞するようなところではなかったのだが、そのような面での騒音。
 それと、私の推測に過ぎないが2トン車の車高が高いせいか、低い2階建ての屋根からそれを見ることになるスズメには恐怖ではないだろうか?

 入り組んだ生活道路をつぶさに見て回ると、一区画の9割近くに人がすんでいないようだ。中には家が消えて駐車場になっている。これではゴーストタウンではないか。この周辺が消えてしまうことになるのだろう、その事情を私はまったく知りません。

 各お寺の内部には入れないので分からないが、お寺の屋根にスズメを見たことがほとんどないのは何故なのだろう?ハトもお寺の屋根にはとまらない。ムクドリかカラスぐらいが高所にとまる姿は確認している。

 考えてみれば不思議なことが多い。不気味ですらある。

 それから、某幼稚園の運動の時間だろうと思うが、大音量でお遊戯をしている時期が長期間にわたって行われていた。かなり離れた私の部屋に居てもうるさくてしょうがないほだった。
 子供の音楽に対する聴覚がおかしくなるのではないだろうか?成長しても大音量の音楽を聴いて、周囲に気配りなどできなくなるだろう。
 大人の音楽に対する聴覚がすでにおかしいと疑わねばならない深刻な問題でもある。

 以上の点が私のスズメの消えた理由の問題としているところだ。

 我がジャングルにもスズメは少数来る。たまに大勢で来るときもあるが、私が顔を見せるだけであっという間に飛び去ってしまうのだ。

 スズメは通りを隔てた町の電線の一番高いところに、陽が昇ってから少数がぼつぼつと各所に表れ始め、一通り日向ぼっこを終えると公園などに舞い降りて採餌に夢中になっている。
 この段階でスズメは群れとなっている。体の細い奴からこれがスズメかと思うほどでっぷりと太っている奴まで多彩だ。スズメの寿命ってどれぐらいなのだろうか?スズメは生涯に何羽ぐらい子供をつくるのだろうか?

 侘び住まいの北側の窓にある電話線で遊ぶスズメの姿はもう見られないのだろうか?
 何かおかしい。腑に落ちないものがあるのだが、わからない。
 
<279> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月27日 木曜日 23時50分45秒
「へクソカズラ日記」・・・・(都市に住む野鳥たち・スズメが消えた町)

 私がここに越してきたときは、早朝はスズメがチュンチュンと鳴いてやかましいほどだった。
 スズメの存在は空気のように当たり前のことだと思っていたが、ここ2〜3年近くでスズメの鳴き声を聞くことは無くなっている。

 早朝に目覚めて耳を澄ますと、たいていヒヨドリが鳴いていた。今はそのヒヨドリの鳴き声も珍しくなっており、未明にカラスがカーッカーッと鳴いていることもある。

 原因を私なりに探っているのだが、詳しいことはわからないままだ。
複合的な要因がいくつもあるかもしれない。

 まず、空家が増えていることだ。我が侘び住まいから近所の屋根をみると、たいがい5〜6羽のスズメが陽を浴びてチュンチュンと鳴いていたのに、その姿がまったく無くなってしまっている。
 その屋根の下の住人は越して無人化している。人のいないとこにスズメは住まなくなるのだろうか?

 その近所に名前は出せないが、臭いを放つ工場が拡張して、車の出入りが多くなり荷物の積み下ろしの音は騒音といえる。他には宅急便の車が何台も通るようになり、道幅一杯になることと、停車したり、発進を繰り返すことで渋滞するようなところではなかったのだが、そのような面での騒音。
 それと、私の推測に過ぎないが2トン車の車高が高いせいか、低い2階建ての屋根からそれを見ることになるスズメには恐怖ではないだろうか?

 入り組んだ生活道路をつぶさに見て回ると、一区画の9割近くに人がすんでいないようだ。中には家が消えて駐車場になっている。これではゴーストタウンではないか。この周辺が消えてしまうことになるのだろう、その事情を私はまったく知りません。

 各お寺の内部には入れないので分からないが、お寺の屋根にスズメを見たことがほとんどないのは何故なのだろう?ハトもお寺の屋根にはとまらない。ムクドリかカラスぐらいが高所にとまる姿は確認している。

 考えてみれば不思議なことが多い。不気味ですらある。

 それから、某幼稚園の運動の時間だろうと思うが、大音量でお遊戯をしている時期が長期間にわたって行われていた。かなり離れた私の部屋に居てもうるさくてしょうがないほだった。
 子供の音楽に対する聴覚がおかしくなるのではないだろうか?成長しても大音量の音楽を聴いて、周囲に気配りなどできなくなるだろう。
 大人の音楽に対する聴覚がすでにおかしいと疑わねばならない深刻な問題でもある。

 以上の点が私のスズメの消えた理由の問題としているところだ。

 我がジャングルにもスズメは少数来る。たまに大勢で来るときもあるが、私が顔を見せるだけであっという間に飛び去ってしまうのだ。

 スズメは通りを隔てた町の電線の一番高いところに、陽が昇ってから少数がぼつぼつと各所に表れ始め、一通り日向ぼっこを終えると公演などに舞い降りて採餌に熱中になっている。
 この段階でスズメは群れとなっている。体の細い奴からこれがスズメかと思うほどでっぷりと太っている奴まで多彩だ。スズメの寿命ってどれぐらいなのだろうか?スズメは生涯に何羽ぐらい子供をつくるのだろうか?

 侘び住まいの北側の窓にある電話線で遊ぶスズメの姿はもう見られないのだろうか?
 何かおかしい。腑に落ちないものがあるのだが、わからない。
 
<278> ルッススコエスキーエ ■2005年01月26日 水曜日 22時22分10秒



少年は弟を連れて、岸まできた。
青と白と、そして茶色の世界だった。
襤褸切れをきて、焼け跡から抜け出してきたように、黒く汚かった。
体力も落ちていた。
5日、食事をとっていない。
両親たちはいなくなっていた。
自分たちの跡からついてくると思っていたのだが。
病気なのだ、彼らは。自分たちの分を僕等にあげつづけたのだから。
もうあまり考えられない。
自分のことを考えるだけでも精一杯だった。
弟、彼ももう歩けそうにない。体力がもう残ってないのだろう。
みんな、もう長くない。
あと少し。
祝福を与える恵みの大陸まであと少しの努力、
それとも、とても手に届かないところだろうか。
足が動いているのか、止まっているのか、良く分からない。
弟はもう歩けない。
背負っていくことなんて、できはしない。
感覚のない手で弟を感じながら、おもった。
もうすぐ感じれなくなる。
現実感がないな、とおもった。
これはこれで幸福なことだった。
弟を連れて双胴船に乗り込む自分が想像できない。
想像できないのは、夢がかなわないからだ。そんなことを言われたことがなかったか。
自分が見れる世界は見渡す限り、
茶色、茶色、茶色、茶色、青、白。
こけも生えていない。
かなわないから、どうだと言うんだろう。
やけをおこして、あの場所で飢えながら生きていったら、どうだったろう。
やっぱり、茶色の中で死んだのかも。
茶色にまみれて。
どちらか無謀だったかなんて、もう僕には分からない。
これ以上考えるには、食べ物が。
水が。
みあげて、空の青は飲めない。
いつものことだが、馬鹿にされているのだろうかとさえ思う。
決して汚れることのない雲とやらも、あれはいったい何の冗談なのかと。
少年にとって、青空は呪いと、憧憬の対象でもあった。
いつもそばにいてくれるあの空。
決して助けてくれない空。
どんなにきれいでも、いつも見てくれても、
おまえとは違うのだ。おまえには茶色が似合いだ。
おまえは茶色の世界の動物だ。
そういわれて、少年はいつも遠くから見ていた。
おまえなんか、なんでもない。
心の中で軽蔑し返して、でもどうしてもうまく憎めなかった。
少年はその最後のとき、その空をうまく見れなくなった。
茶色の土くれになるその時、空は言う。
世界はこのとおりだ、と。
空と大地は出会うことのない双子。

少年は二足歩行の生き物として、歩いて、歩いて、歩いて、
弟は歩けない、少年は弟を見捨てた。
そんなに違いがあるものか。どうせ岸まで果てしない。
しかし運命は気まぐれに裏切る、良し悪しけり。
やがて、ごそごそ動く生き物は、見たことのない水色をみた。
水。果てしなく水。地の果てまで覆われている水。
なぜか荒々しく、つねに波立っていた。
しかし、塩だ、のめない。そして灰色のおもし。
あれが船だった。
会うことを阻まれている茶色と水色が出会っている、というのは、
「奇妙だな」と少年は思う。とても奇妙な景色だと。というのは、
この世界にないはずの景色だからだ。
沖の船から人がやってきて、少年は別の動物なのかと訝った。
見たことのない色が体に張り付いている。
少年は鉛色のビニールに乗せられて運ばれていく。
他にも多くの人が運ばれていく。あまりに大勢の人、少年は身動きが取れなくなった。
後ろを振り返り、茶色の世界を見ようとしたけど、今はもううまく見れない。
弟は、茶色の世界の出口の向こう側にいる。弟は土くれになりかかる。
なんてことだ! 出口のすぐそばにいるんだ。
少年は義務感から弟を連れてこようとする。
そうしなければ、と思うだけで、体は別の世界に運ばれていく。
僕は切り離されていく。体の一部が弟と一緒に向こう側に取り残されている。
得体の知れない恐怖と歓喜が、私を倒れさせる。
掴んだ手を離さないためにだ。私は茶色の世界から切り離されて、
お前のところにやってきた。この青いもの。
<277> ほーる ■2005年01月26日 水曜日 00時28分43秒

世間は見えない誰かにたくさんの口を大きく広げ餌を欲しがる鳥のヒナのようだ。
与えてもすぐに次を要求する。まだ足りないよと口々に悲鳴を上げる。
それを見て私は餌をせっせと運んだ。使命感があったようだ。
巣の端に小さな卵がひとつ残されている。そちらを優先して温めたいのに…と無意識に思っている。
でも私は餌をとり巣に戻るというルーチンにはまってしまっていた。
しばらくして卵がなくなっていることに気付いても、餌やりは止められなかった。
ヒナは育った。しかし育ってみるとまったく別の鳥がそこにはいた。
というよりもう鳥ではなかった。ひとりで空を飛ぶこともできない肥えた生物。
要求するだけの、口だけの存在。
我に返って卵を探した。
卵は地面に落ちて、割れていた。
「ちゃんとぼくが見えてる?」
とだけ言うと卵は黙ってしまった。

<276> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月24日 月曜日 23時53分17秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たち・観察するがわの苦痛)

 空き地に野鳥は来なくなった。
ツグミも人が居ないときは公園で採餌している。どこに行ってもたいがいツグミは一羽でこうどうしている事が多い。
この時期の餌さ不足の回避で危険を分散しているのかもしれない。

昼過ぎにトビ(?)が一羽公園に急降下してきた。思わず双眼鏡で見たのだが、素早くて大きいので特徴をつかむことができなかった。
1メートル60センチの両翼をひるがえし、反転して向きを変えるときは顔、足、背中とよく見えて迫力があった。
 時々公園に急降下してくるようだ。何を狙っているのだろうか?

ツグミはそれまでと打って変わって、採餌をやめ樹の根元に回り込み、隠れて空の様子をみていた。
ツグミは樹木のあるところなら、かなり狭いところまで侵入して、地上の土を掘り返している。多分虫とミミズを探しているのだろうと思うが。

 例のどぶ川にも行ってみた。コサギが天気がいいので日向ぼっこをしていた。
セグロセキレイがこの付近に営巣しているらしく、いけばいつでも見られるようだ。数羽が営巣に成功しているのだろう。
 警戒して逃げられるときもありますが、鳴き声は地鳴きはせず、チッチチッ〜〜〜ツイ〜〜ときれいに鳴いている。
 セグロセキレイは公園にも水を飲みに来るが、警戒してサッと通り過ぎるだけで長居はしない。

 このどぶ川に餌を求めてカラスやツグミ、キジバトもたまにきて、採餌の行動をするが、すぐにあきらめて舞い上がり電線や屋根にたむろしている。
 キジバトは口ばしが短いので、どぶ川に顔を突っ込んだ後、ぷるぷるっとして座り込んでしまった。。。汚れているので目がヒリヒリしたのではないかと推測している。
 どぶ川をあがれば枯れ木や木の実があり、メジロなどがいつもいる。

この分だと、キセキレイ・ハクセキレイの営巣地も発見できるかもしれない。警戒心が強いから、よほど安心できる場所があるかどうかだ。特にキセキレイは近くで見るだけでピヤァと鳴いて逃げてしまうのだ。

 このような私の行動の一部を見られているときがあるのだが、見返すと侮蔑したような、気味悪そうな顔をしている事が多い。

 野鳥に関心を持ち、その生態は私たち人間と密接な係わり合いがあることを認識している人はほとんどいないからだろう。
 双眼鏡をもって歩いているだけで、違う発想をしている人が多いようだ。これでカメラを持って歩くと通報されかねないぞ。
<275> きりん ■2005年01月24日 月曜日 22時30分39秒
将来は私が子供の頃に助けてもらいたかった大人になりたい。そして ACゆえに生き辛くて子育てを悩んでるお母さんの力になりたい。。。
何年かかっても そういう力になりたいな。。。
こんな時代だから 心を歪ませて生きていかなければならない人間が 増えてきているから 少しでも 心の声を 聞きだしてあげたいな。
<274> ミルキー ■2005年01月23日 日曜日 15時42分55秒
私が小さい頃に何度も見た夢。

お母さんと弟が手をつないで歩いている。
私は なぜか遠くにいて、追いかけてる。

お母さんと弟は、タクシーをとめて、乗り込む。
私は慌てて追いかける。

近くずくと、タクシーは発車してしまう。
私は遠ざかっていくタクシーをまだ走って追いかける。
そこで転んで 目が覚める。
<273> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月22日 土曜日 00時26分17秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たち・観察する側の苦痛)


 私は以前野鳥のイラストをみて、その可愛さに魅力を感じ野鳥の会の会員になったことがある。
 仕事の疲労とストレスを抱えて休日に野鳥のいるところまで出かけなければならず、双眼鏡を買っただけで使用することはなく、雑誌だけ購読していた。
 私の周囲でも道路を中心に開発がどんどん進んでおり、国道の周囲を観察してまわったことがある。騒音と排気ガスで荒廃の進むこの環境のなかで、野鳥観察というよりも、環境の劣悪化を何とかしなければ野鳥の住めるところがなくなっている。そうした重要な問題には一切触れない雑誌を読む気力をなくした。。。という経緯がある。

 身近なへクソカズラという雑草扱いされているそのツタに集まる虫や野鳥を毎日見ているうちに、植物と昆虫や野鳥の関係に関心が向くようになったのである。

 樹木が昆虫や野鳥たちのライフラインなのだ。それは人間である私の心も癒してくれるものである。とあらためて気づいた。

 公園にはいろいろな野鳥が集まるので見ていると、テリトリー争いや協力関係になったりと採餌の様子も身近に見られるものだから、私にとって飽きることのない場所であった。
 しかし、芝は荒れ、どこからでも監視できるように木や枝の伐採を無造作にやるものだから、野鳥が来ない。環境がどんどん荒廃していることが私にはわかるのだが、そのようなことに怒りを持つ人はいないのだ。

 そのようなところで一人野鳥を観察するのはしんどくなった。

 観察できる場所を探してみた。劣悪なところに人は来ない。そのようなところで野鳥はのびのびと採餌していた。

 セキレイ・ハクセキレイ・セグロセキレイ・ジョウビタキ・そのオス?(判別不能)・コサギ・ツグミ・ムクドリ・ヒヨドリ・メジロ・ハト・キジバト・カラス・等々。
石ころだらけのこの狭いところに何とたくさんの野鳥が・・・・。

 春から夏にかけては野鳥でここは賑わうだろう。都市で人が振り返ることもないところだから。
 
<272> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月21日 金曜日 00時13分30秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たち・ツガイ「夫婦」1月20日)

 「ツグミとハト」
早朝、7時前に出かけた。それほど寒くない。
スズメが電線にチュんチュんと鳴いて並んでいる。ご来光を待ちわびたように東向きにみんな向いている。
 一抹の不安を胸に今日は空き地に向かった。野鳥は一羽もきていない。
公園の芝でツグミは一羽で採餌していた。犬を連れての散歩者が朝から昼となく夜となくきて増加している、落ち着いていられないだろう。こういう日は他の野鳥の数もぐんと減っている。
 見るべきものはない。
 ツグミは公園の水を飲みに行った。頭上でツグミのツガイが北に向かって飛んでいる。それに気づいたツグミは飛び立ち後を追うのかと思ったら、木の枝にとまり、しばらくして南に飛んで空き地に舞い降りると周りを見て、すぐに北へ飛び去った。
 嫁さんがいないのだ、一羽では空き地のテリトリーを守れないからだろう。嫁さんはどこに行ったのだろうか?
 私にはわからない。

 ハトの様子を見に行った。高架橋の下の巣にずっと同じツガイが動かずにいるようだ。例の倉庫の窓枠にはまだ日が射していないのに数羽が並んでいた。
 私はいったん帰ることにした。お寺のイチョウの大木の小枝の絡むところでムクドリのツガイが向き合って口づけでもしているように仲睦まじい姿が見えた。
 日が昇り、イチョウの高いところに日が射している。

 帰るとジョナサンが達磨のようなかっこうで日陰でじっとしていた。。。。こいつはどうしていつも一人なんだろう?そのような心配をさせてくれる奴である。

 15時過ぎに空き地に行ってみたが野鳥の姿はない。公園ではグランドを中心に人が遊びまわっており、野鳥が地上に降りる隙間がないほどであった。

 私はハトの姿を探して高架橋の下に行ってみた。同じ巣にツガイのハトがずっといる。私は橋脚の周りをさがした。西側の橋脚のセメントの上に座り込んでいるツガイがいた。ジョナサンよりも達磨になっているハトはジッと動かず目を閉じている。体の羽毛はきちんと整えられている。横に居るオスらしい黒いハトは全身毛羽立ってメスに寄り添っているという感じである。
 首を曲げて頭をメスの首から右肩に沿わせている。それは、人間が子供の熱があるのか確かめているような素振りであった。
 しばらくして、メスが目を開け、かすかに首をプルプルと動かした。
 ”アッ生きているんやな”と私は思わずつぶやいた。
歩道橋の上から双眼鏡でみているものだから、いつまでもこんな状態でいることをしているわけにはいかない。

・・・・・野鳥のツガイ(夫婦)を観察していると、互いをいたわる姿は胸を打つような感動のシーンを垣間見てしまう。
 私の両親とは大違いやないか。ちょっとは見習ってほしかったなぁ。

 私はこのような都市に住む野鳥の感動のシーンを独り占めにするのは良くない。
どうしても、そう思える。
 ビデオカメラを買いたくなって、カメラの○○ヤにチャリを走らせた。・・こんなに高いものだとは知らなかった。操作も難しそうや、アホな私に映像が撮れるだろうか????それよりも、お金がひつようだ。私は銀行で1万を下ろしてさっそくパチンコに投資した。
 何としてもお金を算段しなければ・・・アホやで。働けちゅう声がどこかから神のお告げのように聞こえてきた。。。幻聴だろうか。
 マッ取りあえず38000円は勝ったよ。
その足で高架橋のハトの様子を観察しに行った。夜の22時過ぎに歩道橋にたって双眼鏡で観察するのはいい気持ちではないが、あのツガイは仲良く巣のなかで眠っていた。
<271> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月19日 水曜日 22時52分11秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たち・05年1月18日)

 『ムクドリとツグミ』
 朝10度位、風はなし。日差しが充分に空気を暖めている。
冬とは思えない早朝である。空き地にはツグミ2羽、ムクドリ6羽、ハト1羽、セグロセキレイ1羽(背の色がブルーっぽくていつも見るのとは違う)、スズメ多数。
 ムクドリは最初2羽であった。一羽のツグミに2羽のムクドリが近づいて、ムクドリは睨みつけるのだが、ツグミはまったく無視しているところが面白かった。
これだけ多数の野鳥が集まるとツグミもテリトリーなど守れないと観念しているのだろう。
 その後ムクドリは4羽やってきた。。ムクドリはツガイで行動していることが多い。
 それに比してハトの姿が少ない。私は例の倉庫を観察しに行った。2〜3羽が休憩しているだけだった。高架橋の下の劣悪なところに寝泊りしている黒いハトは公園にいた。羽は全身ぼさぼさで見るからに異様な風体であった。公園をうろうろするばかりで採餌の行動もみられなかった。
他のハトはおそらく近くで南の広い公園に採餌に出払っているのかもしれない。

 ムクドリがしきりに民家の軒先で雨どいに落ちた木の実などをほじくり返していた。ムクドリはこの民家で育ったようで絶え間なく何羽かのムクドリがくる。営巣地を中心に採食する習慣があるのかもしれない。
 ムクドリは民家の瓦屋根を歩いていたが、桜の樹皮をはがせる足の力は並大抵のものではない。
 しかし、この民家の屋根はなだらかである。そして、この民家以外の屋根でくつろぐムクドリの姿はみたことがないのである。

 17時を少しすぎて私は散策コースを回ってみた。野鳥の姿はほとんど見ないのだが、ツグミが1羽桜の枯れ枝の先で誰かを待っている様子であった。
 1羽で居るのを不信に思い、私ももう一羽のツグミを探してみたがどこにも居ないようであった。
 ツグミはゆっくりと隣のくすのきの葉の中に消えていった。その姿を確認せんと私は目を凝らして探したが、どこに居るのかわからなかった。

 高架橋の下ではハトが巣の中で横たわるように眠っていた。ハトは朝早く採餌に出かけ、寝付く時間は非常に早い。

 早朝の空にまっすぐ南下する野鳥を一羽単位で時折見かける。早くて確認できないが、ハトではないかと思っている。おそらく餌のある公園か、川まで出かけているのだろう。
 いつか、その姿を確認したいものだ。
<270> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月18日 火曜日 01時39分54秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たちの悲しい運命)

 お昼を過ぎると日差しが広がり、一転して強い日差しとなった。
まず、ジョナサンは柿ノ木の枝にとまっているだろう。ヒヨドリも群れ飛び、ムクドリは電柱の影でツガイでひそやかに暖をとっているだろう。
 公園にはジョウビタキやシジュウカラやメジロの姿も観察できるだろう。
 スズメも細いのから太ったやつまで公園の芝で採餌に夢中だろう。
私はふとドバトとツグミのツガイのことが気になった。

 ドバトの群れはどこで安眠をとっているのだろうか?私の観察しているドバトは、どう考えても睡眠を充分にとっているとは思えないことだ。
 公園で採食に忙しいドバトの中にはいないようだ。日向ぼっこをしているのかもしれない。
 探してみると、すでに日陰になっているスレートぶきの倉庫の窓枠にしがみついて眠っているように見えるのが3羽いた。
 鉄枠にペンキを塗ったものだ。傾斜60度以上あると思う。3羽がそれぞれ違う角度でしがみついていた。横向き、縦向き、やや斜め向き。。。。ここで眠れるのがすごいと思う。ドバトの中にはここでじっと止まれないものも居るのだ。
 つまり、若いのか足のつかむ力が弱いのか、私が見たところでは若いドバトのように見えた。
 睡眠が不足しているから陽が影っても気づかず、ずっとここで休んでいるのではなかろうか?
 私にはそこまで観察ができないのが残念だ。羽つくろいが不十分で羽毛が毛羽立っている特徴で見分けているのだが。。。。。

 ツグミは広い空き地を占有していた。降雨の後はムクドリやスズメが集団で水浴びをする姿を見たかったのだが、彼らは来なかった。
 ずっと観察しているとつぐみの一羽が空き地の奥から飛んできて、2羽で何やら相談し、飛来してきた一羽のムクドリが舞い降りると同時に双方にらみ合った。
 こういうときはツグミが勝利するようだ。体のごついムクドリだったらどうなっていただろうか?
 私にはツグミの先手必勝のように見えた。

 しかし、空き地にはツグミも勝てない猛禽類の人間が跋扈していた。
 測量技師たちであった。
 
 大規模小売店の進出が何の摩擦も起きず決定していたのだ。説明会には行っておけばよかった。
 突然のことだったので私はすごく悔しい思いをしている。
 ここの空き地がなくなると、駐車用に他の空き地も整備されてしまうだろう。
樹木の生い茂る私有地も利用価値がさらに高まることになる。

 ムクドリはここに営巣しなくなるだろう。
 野鳥は採食に公園にくるだろうが、数はがくんと落ちるだろう。

 そして、カラスとスズメとドバトは生き残れるだろう。そのうちグランドは拡張され、踏み荒らされて芝は枯れて固い土となる、樹木は観察する値打ちもなくなる。
 殺伐とした風景が残されるだろう。

 何も言うまい。ただ観察するだけだ。
<269> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月16日 日曜日 22時54分39秒
「へクソカズラ日記」・・・・(都市に住む野鳥たち)・・『足について』

 あるお寺の近辺を散策した。16時をすぎると野鳥の姿はなくなる。
ホテルから散策公園と歩いてみたが、樹木は常緑樹ばかりきちんと植えられている。枝が伸びると、その先を全部切り取っている。これでは小さい野鳥が巣をつくれない。。。故意にそうしているのだろう。
 落葉して寒々しい姿のエンジュの木の枝にヒヨドリが雨に群れてじっとしている。
 私にお尻を向けているので、どのような鳥か分からなかった。双眼鏡で見ると、おもむろに尾羽をあげて、周りの羽毛が毛羽立った。ぷるぷると震えてボサッと大量の糞をした。もう一度同じ仕草をしたので確認せんと横にまわると、もう一羽ヒヨドリが居て警戒音を発して飛び去った。
 
 ヒヨドリの採食は本能的にうまいから、餌には困らないかもしれない。
お寺の通用門の横を通ると広い庭園に樹木がぎっしり繁茂していた。行ってみたいのだけれど警備員が厳重に監視しており、誰も簡単にこの中には入れない。
 野鳥観察が目的なのだが、高い壁と広大な庭園、身近にこのような権威と権力を
身近に見れることは、私にとってよい勉強になる。

 「野鳥の足」一昨日の公園でメジロとシジュウカラが協力して樹の幹の樹皮の下に居る虫を採餌していた。彼らは俊敏ですぐに移動する、ちょっと目を離すとどこに居るか分からなくなる。
 私はシジュウカラが太い幹に縦にとまれるとは知らなかった。上皮が古くなっていたとはいえ、小さなシジュウカラが広い面積をはぎとったことに驚いた。そこにいる虫をメジロとおすそ分けしているのだ。
 動きは速く3〜4秒ぐらいで移動した。

この時期メジロはカラ類(シジュウカラなど)と群れで混群して採餌を行う。。。とか書いていた。
 メジロの集団は居るがシジュウカラの集団はここにいない。イカルやエナガの集団は森の公園にいるが、シジュウカラの集団はまだみたことがない。

 このシジュウカラの足のつかむ力に私は驚嘆したのである。メジロにこのような力はなさそうだ。ムクドリは桜の樹皮をはがしたときの様子をみたが、つかむ力は相当なものだろう。樹皮をめくって虫を採餌する野鳥は習性上そのような力を身に付けているのだろう。

 しかし、都市で生きていくうえで、もう一つ重要な能力が必要なようだ。つまり簡単に言えば、瓦屋根の斜面を歩けるかどうかが都市で生き延びていく上で分岐点になっていると私は思っている。
 瓦屋根の斜面を歩く野鳥はスズメとドバト位しか私は今のところ知らない。
キジバトが瓦屋根の上ではすべってしまい、止まることができないのだ。
ドバトとキジバトはこのような点でも大きな違いがあり、斜面で休めるドバトの野鳥としての能力の高さに私は敬意をもって観察している。

 都市では休める範囲を広く持てるほうが有利なのは言うまでもないことだ。
ドバトはカラスのテリトリーには行かないようだ。キジバトの中には平気でカラスの横に行って、高みから周囲を観察するツワモノもいる。
 しかし、子育てという段階になるとキジバトは不利だ。カラスに卵やヒナを捕獲される危険は大きい。猫や人間にもすぐわかるところで巣づくりするから、個体数が激減していると思われるのも、このようなところにあるのではなかろうか?

 キジバトを観察していて思うのは、個体差があると思うが、野性的で気性は強く、用心深いところ。
 ジャングルでは地上で木の実など探してうろうろしている。このような光景を空き地や公園では見かけないのは何故なのだろう?
 特定の木の実にこだわりすぎているようだ。採食は季節にもよるかもしれない。

今後も時間の許す限り激減しているキジバトを中心に観察を続けていきたい。
<268> 稲妻R ■2005年01月15日 土曜日 23時28分19秒
家にはヒーリングガーデンがあります。
美しい花がいつも咲いています。
そこでお茶をするのひと時は素晴らしいです。
自然の恵みの中で静かに穏やかに暮らしていて、今幸せです。

<267> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月15日 土曜日 22時17分31秒
「へクソカズラ日記」・・・・・・(都市に住む雨の日の野鳥たち)

『ドバトとスズメ』
 一日中雨が降り続くとうっとうしいものだ。
夕方の4時過ぎ、今ごろ野鳥たちはどうしているのだろうか?
(ツグミ)のツガイは空き地で黙々と雨の中を採餌していた。カラスの姿がなかった。ムクドリもまったくみかけない。
 電線にキジバトがばらばらに4羽雨の中でじっとしていた。
スズメは少数があわただしく地上で採餌していた。メジロが2羽寒椿の蜜を吸っていた。
 ドバトの姿がない。どこに行ったのだろう?国道の高架橋の下の崖っぷちに4羽が眠るようにじっとしていた。
 傾斜度約70の何も取っ掛かりのないところに2羽がいたが、ドバトの足の頑丈さに驚く。目を閉じているが、列車が通過するたびにその振動と轟音に目を開けてパチパチしていた。
 日の出まで15時間こうしているのだろうか?

私は野鳥観察の散歩コースを何度も通るたびに、廃屋や無人の家屋が目立つことに気づいた。そこに樹木が多いのである。
 散策コースの表側を歩いてみた。私有地もあるので気が引けたが、野鳥観察のために一度はそこを通っておきたかったのである。

 この近所に野鳥が多いのは、その歴史的経緯もあるだろう。以前から野鳥が豊富に住みついていたところが、バブル期に空き地を開発したからであろう。
 野鳥の泊り木や餌をやる民家が少なからずある。7階建ての雑居的マンションに負けぬ高さの樹木。その枝の張り出し方。
 これだけで野鳥は安心できるのではないだろうか?他の私有地にまわると鳥の巣箱が設置されていた。野鳥が利用した形跡はない。ここは以前吠えまくる犬がいたが、現在は捨て猫が7匹はいる。そこに巣箱を作っても野鳥は利用しないと思うのだが・・・。
 しかし、嬉しいことですね。このような気骨のある人は樹木の重要性を知っている。
 散策から戻ると1時間30分を要していた。すでに陽は落ちてしまった、侘び住まいの通路に張り出している常緑樹の横を通るとバサバサッとヒヨドリが一羽飛び出してお寺の屋根を超えていった。
 昨夜も遅く同じような音がしたが、すばやくて鳥の種類までわからなかった。ヒヨドリはこんなところをねぐらにしているのだろうか?

 野鳥図鑑にはドバトの項目はない。まったく無視されているようだ。
ドバト・・家禽鳩・・川原バト。と調べていくうちに、ドバトとスズメは人間につかず離れずで、開発にも負けず、都市で生き延びていけるかもしれない。。。と思える。
 だが、キジバト、ムクドリは都市で生きていくのは難しいのではないかと実感するばかりである。すでに群れをつくれないほど個体数が激減している。
 川原の河川敷も公園に整備されているぐらいだ。川岸に柵があり、「川の中で遊ぶのは危険です・・・国土交通省」の看板が各所に立っている。

 開発はまず川原ですら野鳥を住めなくしているようだ。
<266> マフマルバフ改めモハメッド ■2005年01月14日 金曜日 22時57分27秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市に住む野鳥たち)

 『キジバト』
公園にはキジバトが冬季に好む木の実が3本ある。この木の実を採食しているキジバトは2羽である。(昼間にはスズメ・ヒヨドリ・他も採食しているが。)
 ここで早朝の食後に座り込んだり、小高い芝で休憩している姿がみられたが、この樹の根元に犬の大クソをかたづけず、そのままにしている馬鹿野郎がいる。(飼い主の見当はついている)
 おまけにこの樹の下に捨て猫用の茶碗や缶詰を置いていくものが居る。
キジバトは現在ここに寄り付かなくなっている。
 たまに他の木の枝にとまっている姿などを見かけるが、ほぼ一羽での単独行動が目立つ。
 人間の悪意が野鳥の安全を奪っている!!!
 近所の医院の狭い庭の木の実をヒヨドリ並の身のこなしで細い枝の先の実を食べようとしている2羽の若いキジバトを観察したが、木の実はあっても安心して採食できるところはないようだ。

 我がジャングルには晴れ渡るようなぽかぽか陽気になると、ジョナサンが来ている。寒い日は来ないようだ。
 と思ってジャングルの下を見ると、すでに枯れてボロボロのヨウシュヤマゴボウの下で採餌していたりする。
 ここで採食しているときのジョナサンは神経質になっているので、私はすぐに首をひっこめて見ないようにしている。
 ヨウシュヤマゴボウの下は漬物用のでっかいポリバケツが逆さまになったまま周囲の風景に溶け込んでいる。ここに食べ物があるとしたらヨウシュヤマゴボウの実の干からびたものか、へクソカズラの実が落下したもの。榊に似た青い木の実の落下したものだろう。
 ろくなものを食っていないのである。柿ノ木の枝の餌さ箱には南天の赤い実やヘクソカズラの枯れた実や米粒(コシヒカリやでぇ)をいれているのだが、キジバトは食べようとしない。
 野生が許さないのであろう。そのてんヒヨドリはいやしい。人を警戒する割りに平気で食べにくる。
 キジバトがドバトより細くスマートで何かしら矜持を感じるのは、このようなところである。
 キジバトは都市で生きていけるだろう。しかし、個体数は激減していくのではないだろうか。
<265> モハメッド ■2005年01月13日 木曜日 23時41分49秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(ツグミとドバト)

 『ドバト』
 夜中の散歩は寒い。ドバトの巣を見に行った。ツガイで寄り添って眠っている。その左側の巣は一羽のようだ。
 私はこのドバトがヒナであると勘違いしていました。確かに体は小さいが昼間は採餌に出払っていないことが多い。大きな巣もあるのだがここは空っぽだ。

 真下は国道である。眠れるだろうか?この近所のドバトは早朝の陽を浴びるために倉庫の窓枠にずらっと並んでいる。窓枠はアルミサッシで鳥がとまれないように斜めになっているのだが、そこに集まるのはどうしてなのだろう?
 スレート葺きの屋根にいけば楽なはずなのに、屋根にはいかない。屋根の庇の雨樋に2〜3羽がいくのだが、そこから上にはいかない。
 屋根に2〜3羽のハシブトカラスがいるのだが、高いところはカラスのテリトリーになっているのかもしれない。

 近所の有名な観光客の多いお寺の大屋根は東向きになっている。そこにはなだらかな屋根にドバトが群れをなして日向ぼっこをしているのだ。

 ドバトは群れの中で育ち、そのテリトリーを守っているのかもしれない。
倉庫の近辺をテリトリーにするドバトは南の大きな公園にも早朝出かけている。採食の範囲は広いようである。

 『ツグミ』
 ツグミは現在ツガイで行動しているようで、私が空き地に観察に行っても居ないことが多い。空き地に野鳥が一羽もいないのである。
 公園の木の実を採食していることが多い。空き地で採餌するのはあまり見かけない。見かけたときはよく観察するようにしているのだが、以前より深く土中を口ばしで掘り返している。
 好物のミミズは居ないと思う。もう一羽は端っこの土の柔らかいところばかり歩いているので見つけられないこともある。
 必ず2羽でいるからわかるのだが・・・。
 ツグミが羽を下げて顔を上げたときの姿勢は個体差はあるが、ペンギンのようだ。
 ちょっと離れた目立たない空き地も身に行ったが石ころばかりのところで採餌しているツグミのツガイも居る。すぐ横のどぶ川を隔てたところにトキワサンザシと思われる赤い実が零れ落ちんばかりに実っているが、ここには野鳥が見落としているのか採食された形跡はない。
 鉄柵で囲まれて、人ははいれないのだが。。。どうしてだろうか?
他に安全な採食場所があるのだろうか?
<264> モハメッド ■2005年01月10日 月曜日 00時03分51秒
「へクソカズラ日記」・・・・・・(土鳩の巣)

 都市に住む野鳥は日曜日の昼下がりにはどこかへ姿をかくしているようだ。
人間と完全に共存しているのはスズメとドバトぐらいだ。

 野鳥を探しにふらふらと遠出した。日曜日はトビが低空飛行していることが多い。幹線道路として作られて相当年数を経過した緑地帯のケヤキの裸樹の枝に鳥の巣がたくさんあった。風にゆらゆら揺れていた。
 おそらくドバトであろうと思うが、初夏に葉が生い茂っても不安定ではないかと思う。
 川沿いに野鳥を観察しようと思ったが予備知識が必要なようだ。鴨類はさっぱりわからない。

 疲れ果てて岐路についたのだが。見慣れたいつものところにドバトの巣を発見した。まさか、こんなところに・・・・・。絶句。
 ここだとカラスに襲われる心配はない。しかし真下は交通量が夜でも途切れることのないところだ。落ちたら踏み潰されるだけ。
 ドバトの雛は下を見ないですむように、こちらに尻をむけて2羽が寄り添っていた。
 スズメやドバトが都市にたくさんいるのは、巣作りに安全な場所を探し腐心できるからだろう。
 すごい適応力だ。

 我がジャングルのえさ箱に南天の赤い実を大量に置いてみたら、あっという間になくなった。ヒヨドリが全部食べたようだ。米も入れているのだが、キジバトはなかなか口をつけてくれない。
<263> モハメッド ■2005年01月09日 日曜日 00時55分50秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市の野鳥たち・キジバト・ムクドリ)

 (ムクドリ) 
 早朝の空き地には真ん中にツグミが一羽ドンと居座って周囲を伺っている。
私はムクドリの巣がある民家の屋根をもう一度見に行った。するとどうだろう、その民家の一軒おいた二軒目の北側の屋根のすきまに白い糞がかすんで見えた。梁ごとに鳥の出入りをした形跡のある隙間は三っつあるようだ。他にも隙間はあるが鳥の出入りした形跡はない。
 つまり、2軒で最低五つのムクドリの巣があることになる。これだけあると初夏の産卵期には25羽〜40羽はムクドリが誕生することになるのだが・・・・。
 ムクドリが住み着くのは環境によるものだろう。雛が成長してすぐ飛べる広い空き地があるからだろうと思う。そして公園などの樹木が比較的周囲に多い。
 このような条件があるから、ここには土鳩やヒヨドリ、カラス類も非常に多くいる。ウグイス・メジロ・ハクセキレイ・シジュウカラ・キジバト・スズメ。
 およそ都市に住める野鳥がすべている。

 これ以外に、お寺の樹木は非常にすくないのだけど、ホテルや資産家の庭に樹木を多く植えているところが多いから木の実等の餌に不足しないのだろう。

 これから初夏まで継続して野鳥の観察を続けていきたいと思っているのだが、最大の問題は空き地が今後何かに利用されればムクドリはここに住めなくなるだろう。公園の樹木も枝が頻繁に伐採され、縦間の密度があるところは視界を広げるためなのかよく分からないが問答無用に根元から伐採されている。

 都市の環境の変化はすさまじい。未利用地や公園は今後とも野鳥を救ってくれるわけではないと思う。民家や私有地の樹木の果たす役割は重要である。

(キジバト)我が侘び住まいの隣のジャングルをみてもらいたいものだ。蛇も毎年子供が誕生しているし、ヤモリが住んでいることがしんじられないほどの自然の保存状態がよいのだ。ねずみがいればイタチも住んでいるかもしれないのだ。

 今日は天気がよくて久しぶりにキジバトのジョナサンが日向ぼっこにきていた。
長いこと来なかったので、私は近所を捜し歩いたのだが、たいがい2羽で居ることが多く、お寺の境内の(中にははいれませんよ)サルスベリの木で日向ぼっこをしているキジバトがジョナサンではないかと見当していたが姿勢がよいので、ちがうキジバトであろう。
 ジョナサンは柿ノ木にとまると首は亀のように胸に埋まり羽毛は逆立っている。羽はぼさぼさ。
 私が側を通ってしばらくジャングルを観察していたら振り向くこともなかった。用がすんでまたジョナサンの側を通ると今度は半開きの左の目だけで私の通りすぎるのをずっと追っている。
 随分人相が悪くなっている。空腹も関係しているかもしれないが、目つきが悪すぎる。私は振り向いてニヤッと笑って見せたら、目をぱちぱちさせて「久しぶりだなぁ」といっているように思えた。
<262> モハメッド ■2005年01月06日 木曜日 22時24分19秒
「へクソカズラ日記」・・・・・(都市の野鳥たち)

 7時過ぎに空き地に行った。国道や駅からの喧騒がいつものようになってきた。
行き交う人の足は速い、高校生も私の側を無関心に通り過ぎていく。私の存在はフェンス越しに空き地を双眼鏡で観察する単なる物体と写っているようだ。
 ただ、公園に集団でくるおばんの連中の品定めするかのような鋭い視線に私はいつまでたってもなれない。他人の行動を監視するかのようにずっとみているのだが、私が立ち止まってじっと見返すと、向こうもじっと見て目をはなさない。集団化したときのおばはんの低レベルの思考はみてとれる。(これではツグミのにらみあいと同じやデ)。
やはり、相手にしないにこしたことはない。

空き地ではツグミが2羽肩を並べて北側(私の立ち位置)をジッと見ていた。夫婦なのかもしれない。一羽は南の端っこをずうっと採餌していた。
 例のツグミの親分は真ん中を占有していたが、やがて北の方角に飛び去った。

見るべきものがないのでムクドリの巣の付近の観察に切り替えた。
数羽のヒヨドリが熱心に常緑樹の紺色の実を採食していたが、上部の実はあらかた食べ尽くされている。その中にムクドリの姿はなかった。
 民家の屋根の東側と西側にムクドリの巣が2箇所あることがわかった。ムクドリの子育ては春から初夏の一回だけと書いてあったが、年末に雛が育っていったのではないかと私は推測している。2箇所の巣があるから10数羽が育っていることになる。
 この民家のご主人が通勤するとき、ご家族のご尊顔を拝謁させてもらったが、皆様にこやかな笑顔で皇室のかたがたに似た雰囲気であった。

 ムクドリの巣の特徴がわかったので私は同じような巣が近所にないか見て回った。カラスの巣はいくつか発見したが、民家にムクドリが出入りできるるような隙間のあるところはなかった。
 野鳥の巣を探すのは楽しいが、簡単には発見できない。広大なグランドを兼ねた公園もみたが、ここでは一切が管理されており、一部を除いて野鳥の営巣は無理である。散歩者は野鳥が見れて楽しいかもしれないが、そこに野鳥の巣がないことに気づいて欲しいものだ。
 市の公園管理課に公園のありかたについて苦情を言う人はいないのだろうか。
私は、グランド(多目的運動場)と児童公園と樹木を中心とする公園に用途を分けたほうが将来的に住民が住みやすい環境となる。と考えている。

 野鳥観察というと渡り鳥の観察と思っている人ばかりのようだが、身近なキジバトやスズメ、ムクドリ・ヒヨドリ・ウグイス・シジュカラ・ハクセキレイ・セグロセキレイの観察をしていると、野鳥の顔のの表情や生態もも見えて、ただ採餌しているだけではないということがよくわかるのだが。。。。
<261> モハメッド ■2005年01月05日 水曜日 21時34分11秒
「へクソカズラ日記」・・・・・・(都市の野鳥たち)

 7時前に起床。気温は約8度。
オーバーを着込んだサラリーマンが足早に駅に向けて歩いている。

 近所の空き地に行くとツグミが2羽採餌しているだけであった。1羽は真ん中を占有しており、もう一羽は南側の端っこを行ったり来たり。
 退屈なので公園にいく。木の実を主食とする野鳥は、この時期採食に大変だろうと思う。
 モッコク?の根元ではいつも来ているキジバトが落下した実を採食していた。この場所が気に入っているようだ。しかし、ずっと観察していると早朝をすぎると電線から周囲の様子をみている気配がある。
 散歩する人が増えていくのと、今日などは大きな犬を連れて散歩する人がキジバトの側に近づいたせいか、あっという間に姿が消えた。
 しばらくして電線にとまっているところを発見したが、顔にいつもの穏やかさはないように思えた。
 
 公園にはツグミの姿は2〜3羽しか見かけない。ヒヨドリも鳴き声は美しく楽しませてくれるが数はグンと減っている。食べごろの木の実を食べ尽くしたからかもしれない。
 ムクドリは民家の巣を中心に増えているようだ。桜の樹皮の裂けたところに口ばしを器用に入れて何やら虫を採餌している。
 ちなみに私がその樹皮の下の虫を観察しようと手でめくると、固くてめくれなかった。ムクドリは全身を踏ん張って虫を採餌しているのだろう。

 ムクドリの巣のある民家に行くとムクドリの集まる姿はなく、2羽だけが何故か屋根下の窮屈な梁に潜んでいて、飛び去った。故郷離れがたしってとこだろうか?

 ひとあたり観察して空き地にもどると、やはり一羽のツグミがいるだけであった。ついばんでは顔を上げて周囲をみるのだが、この見る時間が長いように思った。
 そこへ6羽のツグミの集団が飛来してきた。先頭にいるのは羽が少し黄みがかって顔の模様がはっきり区別できるやつだった(瞬間その鳥は別亜種かと思いました)。
 すると、今まで採餌していたツグミが低空飛行ですっとんで近づくと、羽をバサッと動かして「やいやい、ここは俺の縄張りなんだよ、あっちぃ行け」と言っているようで、ツグミ集団は飛び去った。
 この様子を観察していると、他のツグミが一羽できても、やはり同じようにすっとんでいって近づくと、逃げるように飛び去って行く。
 広い空き地なのにテリトリーを一羽で守るというのも変なようだが、このツグミは比較的他のツグミより体がでかい。
 空き地の端っこで採餌するのはきにならないのだろう。
 そこへムクドリが3羽このツグミの近くに飛んできた。ツグミは同じようにムクドリに歩いて近づき眼を飛ばしているように見えた。ムクドリは体格が少し大きいせいかグッとにらみ返すと、ツグミはなにもなかったようにすごすごと離れて、また採餌をはじめた。
 テリトリー意識が強いツグミのか、カラスが一羽やってきても動じることはなく、カラスがなんだか気を使っているように見えた。

 帰り道に、まだ熟さない様子の柿ノ木をみると一つの枝にハシブトカラスとキジバトと3羽のスズメが肩を並べて柿ノ木の実をじっと見ている様子が面白かった。
 そこのお寺の境内の裸木にジョナサンらしいキジバトが日向ぼっこをしていたので双眼鏡で細部を観察していると、カラスが柿を口にくわえて慌てて電線まで飛んできた。電線にとまったところで柿を下に落としてしまった。
 賢いカラスは早朝だから、近所の人の居ない屋上やベランダに舞い降りるのだが、下の口ばしで刺してはさむものだからこのようなへまする。

 野鳥観察が終わって朝食の準備をしていたら、ちゅっちゅっちゅるる〜〜〜。ちゅるるる〜〜〜〜〜。き〜〜〜〜。と鳥の鳴き声、初めて聞く鳴き声なので窓を少し開けて、向かいのTVアンテナにとまって鳴いている野鳥を確認した。ムクドリであった。
 窓から見えるTVアンテナにはいろんな野鳥がとまっているのをみてきたが、ムクドリは珍しい。この近所でムクドリの個体数は増えているのかもしれない。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.