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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.12
メッセージ数:240件

<240> 花 ■2004年12月20日 月曜日 21時51分05秒
人が楽しいと思うことに、共感できないのは苦しい・不安・つまらない・さびしい。怖いなぁ。それは、一人ぼっちの世界だ。ただ、意味を探すだけの意味ない世界。人には生きてるだけで意味が用意されてるのに。私が奪われてきたものはなんだろう。子供じみている。わかっている。CD大音量できく。不快な音から自分を守るためにより、不快な雑音の中に自分をおく。
コレで、何も考えなくて良い。
<239> モハメッド ■2004年12月16日 木曜日 00時08分14秒
「トカゲの贈り物」

 私は冬によく喉を痛める。ですから、うがいは日課となっている。
喫煙も原因のひとつですが、子供の頃から扁桃腺がよく腫れていた。
鼻水、咳がでると改源やヴィックスドロップで鎮めていた。

 しかし、本来私はクスリに頼ることを良しとしない方で、生姜の刻みを大量に料理に混ぜたりしてなおしたりしていた。

 今年のりんごが安価に出回っているので、食事が喉を通らないとき傷もののりんごを食べてみた。翌朝起きると喉の痛みがすっかり治っていた。
 以来、私は喉が痛み出すと買い置きのりんごを食べて健康を取り戻している。
りんごが喉をうるおし、荒れた胃の具合もよくなってしまう。

 元来私は果実は好きな方でない。
梨・桃・りんご・みかん・ばなな・枇杷・柿・いちじく・等々。残留農薬のことなども気になって食べられなかった。

 私はガキのころ近所の庭に成った木の実を獲って(盗って)食べるのはスリルがあって楽しく、おいしかった。
 いちじく・グミ・ハランキョウ・ビワ・柿・夏みかん・スイカ・銀杏・野菜・等々。。
庭にあるものは農薬を使用していないから心配することはなかった。
バカ丸出しだったけどな。
 支流のいくつかの小川は今もきれいな清流で魚種は豊富なままだ。
 魚も汚染されていないので、釣ったものは焼いたり煮たりして食べていた。

 そのような経験から産地から市場まで流通されたものは、自分が確認したものではないので、食べる気がしなくなていったのだ。

 たまたま、りんごが安かったので夜食代わりに買ってみただけ。
ところが、体質にもよるのか私の喉の痛みや胃の消化を助けてくれるではないか。

 他の果物は食べたくもないのだが、りんごはおいしい。
それを気づかせてくれたのは、はかなくも台風23号(トカゲ)のおかげなのである。
 
 
 
<238> きりん ■2004年12月15日 水曜日 23時45分52秒
今 大きな波に飲まれて 海の底って 感覚かな。。。
 
子供の頃 夜が来るのが怖かった。。。寝る時間が怖かった。。。
一人寝むれず・・・二階に子供部屋があったときは ドアの音もさせないようにして、階段 下りるときもそっと降りて そして 親に気がついてもらえるように 一番下の段に座ってた。。。
そのときの私 何を思っていたかな。何で 眠れないって 親の部屋に行かなかったのかな?トイレにおきてくるのだけを待ってた。何か 行ったら迷惑?とかそんな感じだったかな。真夜中 ぽつんと階段に座ってたんだ。誰にも頼らなかった。姉妹にも親にも。。。不安で眠れないのに 一人で耐えてた。
子供の自分の隣に大人になった私が座った。「ねぇ寒いでしょ。不安なの?眠れないの?一人ぼっちで寂しいね。でもね私そばに居るよ。ずっとそばにいるよ。おいで抱っこしてあげるから・・心配しないでずっとこうしていてあげるから、暖かいよ心配な事は何も無いから」って抱っこしてあげた。。。
その頃の記憶はあまり無いんだけど お母さんもお父さんも姉妹も誰も居ない。暖かいもの無いんだよね。。。おばあさんの記憶はある。暖かいものある。遊んでもらった事、お手伝いした事。親の事は覚えてない。
<237> 花 ■2004年12月14日 火曜日 20時53分42秒
ちょっとだけ、肩にかけた、布の切れ端が、ひらひらと、おちていかないように、鈍く動く。その意味は、自分が作り出した。誰かにも、見えたら良いな。そうしたら、なぜわたしが、こんなに、悲しいか理解ができるでしょ。涙を吸い取る、ハンカチ。しみ入った中で、動けば動くほど、誰かを裏切っている気持ちになるのは何でだろう。ただのやさしさが一度もなくて、それは大げさじゃなくて。きっと、いつか、知らぬ間に触れたやさしさが、池のそこのほうに沈んでいって、お日様に照らされる。水色に染まって。池の鯉にえさをやりに行こう。パンくず、投げてやろう。汚さないように。汚れないように、気をつけながら。ととのえよう。鯉がのびのびと、泳いでいると、たまらなく嬉しい気持ちになるんだ。ハンカチの意味は、自分が作り出した。
<236> マフマルバフ改めモハメッド ■2004年12月13日 月曜日 23時54分16秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・(青年キジバトの採餌)

 青年になったようなキジバトは相変わらず頼りなさげな顔をして我がジャングルの柿の木にきていた。
 通路との距離は40センチぐらいだから、私とキジバトはすぐ側で顔を合わすから、気持ちが通じているような錯覚にとらわれる。
 お互いにチラと目をあわすだけなのだ。
 私としてはキジバトに不安や恐怖を感じさせないように気を使っているのだが。

 2メートル離れたところで私は眼下のジャングルの観察と日向ぼっこをするのだが、今日は数え切れないほどのスズメが一斉に舞い上がって飛んでいった。
 ここにはスズメのエサになるようなものはないので、これまでスズメがくることなどなかった、毎日違う野鳥がくるというのもめずらしいのではないだろうか?

 これだけの物音にキジバトは動じる気配はなく、柿ノ木の低い枝にとまって外界から見えないように姿を隠している。

 私はバラの花が添え木がないため、その大きな花が下を向いたままで、枝の伸び具合などから来年はどれぐらいのところまでいくか考えていた。

 するとキジバトが柿木の枝に、枯れてしがみついたままのヘクソカズラの実をもぎ取るように食べているのに驚いた。
 柿ノ木の細い枝がゆるく曲がり真下に伸びているそのカーブしているところにキジバトがつかまり体をねじまげてヘクソカズラの実にかぶりついている。

 よっぽど腹が空いてたとみえる。ちぎって食べるときは体を立てるのだが、その時の青年キジバトの顔つきは見違えるように野生のものであった。
<235> モハメッド ■2004年12月13日 月曜日 01時26分57秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・(天候とキジバト)

 朝おきると天候が気になってしまう。
朝から天気がいいと子供のキジバトが柿の木にきているのかどうか気になってしょうがない。
 日曜日の今日は天候もよく8時過ぎに子供キジバトは来た。
陽を浴びようと少し高い枝にとまった。
私は2メートルほど離れたところからずっとジャングルを観察していた。
この眼下に繰り広げられている植物群をスケッチするように文章化したいと考えているのですが、多様すぎて何が何だかわからないというのが実情です。

 芙蓉のように枝を広げて咲くキク科と思われる花と枝は枯れて、数年間それを繰り返しているのでその当たりは丸くなって枯れ枝がうず高く盛り上がっている。
 まるでイヌワシの巣のようである。。野鳥が巣を作るには素材は充分すぎるほどある。
 私も観察とはいいながら日向ぼっこを楽しんでいるのである。
ふとキジバトをみると、右側の羽を大きく上に広げてわき腹に陽を当てているのである。あれはオカンのキジバトも同じ事をしていたではないか。
左側の羽はあんなふうにしないのは何故なんだろう?

 私は意地悪を思いついて、子供キジバトが思い切り右肩羽をあげているときに、ゆっくり通り過ぎながらジーッと見ていると、くつろいだ様子のまま私をチラとみただけでまったく無視していやがる。

 たまに瓦屋根を散策すると、屋根に落ち葉が積もっているからガサガサと音をたててしまう。。。。こいつ、いちも一人?でいるな。エサは足りているんやろか。

 向かいのTVアンテナにとまる姿は大人びてきているが、体つきは異様に細く見える。
 隣地は寺院であるからそこの庭に降りて地上で何やら採餌しているだけだ。
 つまり、このジャングルから10メートル範囲を動いているだけのようなのである。
 近所の公園にも足しげく行っているのだが、キジバトはみかけない。
近所の駐車場に行って見るとキジバトが3羽アスファルトの上をクチバシでつついて何かを食べているようであった。

 これが親子のキジバトであるなら合点がいく。子供キジバトはまだ充分にエサを食べることができないのではないだろうか。

 親子3羽が柿の木にくるようであればもう少し具体的なことがわかるのだが、なにせ、空を飛んでいくから詳しいことは分からないままだ。
<234> 黒ネコ ■2004年12月10日 金曜日 19時52分27秒
某少年週刊誌より

ある漫画で、今まで何をやっても駄目だった人が
あるとき初めて「ありがとう」と人に感謝された。
その人はうれしくて泣いていた。

私はその人の気持ちがよくわかった。
ダメ人間だから、自分のことをそう思っているからこそ、
人に感謝されると嬉しいんだよね。
その人は私だった。
私も人に感謝されるとうれしい。
「価値があるんだよ」っていわれてるみたいで・・。
言われるたびに、心の中で泣いているんだ。
<233> モハメッド ■2004年12月09日 木曜日 00時58分41秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・(子供のキジバトと野鳥)

 外に出れば暖かく、部屋の中のほうが寒いような状態がつづいている。私の日常です。
 イカルが7羽ほどケヤキのような樹に群がって、あの大きなクチバシで木の実をバリバリと食べていた。音が聞こえるリアリズムは狭いジャングルならではの醍醐味であろうと思っています。
 森林の高みで見かけることはあるのですが、音まで聞こえませんよ。

 地上では観葉植物が見えるほど冬景色になっているのですが、枯れた芙蓉やイロハカエデのなかに2メートルぐらい伸びている常緑樹、などが突然ゆらゆらと揺れて、鳥のいる気配はするけれど姿は見えないときもあります。

 5月に咲いたバラの大輪一花が枯れてまたこの12月の温かい気候の中で一輪の花を咲かせている。バラの樹はどんどん伸びているのでジャングルの一部はバラ園になるかもしれない勢いをみせている。
 枯れた芙蓉の下に紫陽花が葉を広げており、この両者の関係も来年にはどうなるのであろうか。
 今年は芙蓉が枝を伸ばして紫陽花の姿が隠れてしまっていたが、紫陽花も横にどんどん広がっている。
 太陽の陽を浴びようと樹木や花も争っている。

 子供のキジバトは相変わらず我がジャングルにやってくる。天気がいいと早くくるようだ。葉が落ちて枝ばかりの柿の木になってからは、用心のためか一段低い枝にとまっている。
 つまり、北側はブロック塀より低く、東側は(もちのき?)の枝よりも低く、視界は南側のかわら屋根の家並みの方向に開けているだけの位置に身を隠すようにへばりついている、という按配である。
 冬に葉が落ちる樹は外界からも見通しがよく危険なことが分かっているのだろう。
 秋に生まれた子供のキジバトは冬がすぐにやってくるので、春に生まれるよりも何かと大変だろう。秋生まれのキジバトの生存率など調査されることはないのだろうが、私はやせた感じの子供キジバトをみるにつけ生存率は低いのではないだろうかと案じている。

 その割りに、柿木の横をゆっくり歩いても子供キジバトは私にしりを向けたままたじろぐ様子もなくへたり込んでいる。
 その後姿を見るに「おおっ寒うううううううううっ」と言っているようである。

<232> かおるん ■2004年12月07日 火曜日 00時23分58秒
私は川辺の「石」。そして世間は「川」。

石は動かないし、感情もない。ただそこに転がっているだけ。
石は川の流れを見続けている。
いつか川の中に入って、水の中を見てみたい、ゆっくりで構わないから
水の流れに任せて川の底を転がってみたい・・・と思いながら。

そんなチャンスに恵まれるのは、川が水嵩を増し氾濫した時だけ。
濁流となった水は石を少しだけごろごろと転がしてくれる。
だが、濁り水の中では視界が利かず、転がっていく方向性さえも見えない。
それでもいい、海へ・・・少しでも海へ近付いているならば。

・・・やがて水が引き、濁流は静流へと元の姿を取り戻し、
不透明から透明へ、見る見る本来の色に変化する。
石はやっぱり取り残され、どんどん乾いていく。
次に水中に入れるのは、いつなのだろうと思いを馳せながら。
静流の中に憧れを抱いたまま、また石は川を眺めている。
<231> マフマルバフ改めモハメッド ■2004年12月06日 月曜日 23時52分05秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(子供のキジバト)

 土・日の風雨で柿木の葉はすっかり落ちて、我がジャングルの様子もすっかり変わってしまった。
 それでも、枝だけの柿の木にまだヘクソカズラの枯れたツタや葉や実がしっかりとしがみついている。
 年数を刻んだ太いヘクソカズラの伸びきったツタの先はどんどん枯れていくのだが、地上からまっすぐ上まで伸びた比較的細く年数の若いヘクソカズラの先には、まだしっかりと実がついている。

 今のところ子供のキジバトだけが堂々とこの柿の木にやってくる。数件先の電線には体の大きいキジバトがこちらの様子をうかがっている。
何故か柿木にはやってこない。
我がジャングルの地上で採餌しているところをたまたま見たことがあるが、慌てて飛び去ってしまう。

 子供のキジバトがヘクソカズラの実に執着するのは母親キジバトが採餌するすがたをみて、まねたのだろう。
ここから離れないのは、他にエサを探し出せないからかもしれない。

 ヘクソカズラの実を食べにヒヨドリ、メジロの野鳥が増えて頻繁にくるようになっている。地上ではシジュウカラやウグイス、など・・・私が見に行くだけで一斉に飛び立つ様は壮観だ。
 ヒヨドリが真っ先にピヤァと鳴いて飛び立つのに合わせて他の野鳥も逃げるようだ。
 メジロだけだと採餌に夢中でなかなか逃げない。

身近に野鳥を観察できるのは楽しい。近所の空き地にいくとツグミ2羽が忙しげに土中にクチバシを入れて虫を食べている様子がみられた。

ここの空き地は日の出と日没前にいろんな野鳥が採餌にくるので見るのが楽しみである。
 わざわざ、遠くの森や川原に行かなくてもいいのだ。

 これほど野鳥がたくさん来ても、野鳥を見ているのは私だけだ。フェンスで囲まれたこの貴重な自然に注意をはらう人はほとんどいない。

 私自身が変わり者のような目でみられるのは辛いぜ。。。意に介さないけどな。。。。。。。ぐわははははははははははは。。。
<230> きりん ■2004年12月06日 月曜日 02時09分29秒
「今生きている事が いつか誰かの幸せになるかもしれない・・・」
苦しかった。。。違う事ばかり考えてた。。。消えることばかり。。
痛かった。この言葉。ガツンと来た。未来の子供の笑顔が見えた。だから 生きよう。。。誰かの幸せにつながるように。。。生きよう。。。



ホントは怒りがあったけど 言ったら傷付けるかも・・って心に溜め込んでいたんだ。そしたらどんどん内にこもってしまって。。。しゃべらなくなれば また 夫が怒るかな?って ビクビクしてた。物音一つでも怒っているのかなって ビクビク。。やはり夫=父なのかな。怖いよ。怒らせる原因は私、私のせいなんだって・・萎縮してしまうし。。。そんな妄想から抜け出せない。

強いもん勝ちなのかな?生きる事って。
意地悪だったり 自己中だったり 欲が強すぎたり 回りの人間のことなんて眼中に無い人がどーも生きやすい道を独占して生きていけるような???
人に優しくしたり 譲ってあげたり 平和主義?で生きようとすると 大きな波に飲み込まれてしまって 見失ってしまう。。。自分が!自分が!って主張しないでいると 損するのかな・・・でも 強欲は醜い。汚い生き方 汚い魂は 真っ平ごめんだと言って居たい。
<229> 大門 ■2004年12月05日 日曜日 16時08分02秒
書くべきか迷ったけど。
不適切なら削除してください。

自分は親の借金のせいで、ヤクザに連れて行かれた。
誰も助けに来てはくれなかった。
そればかりか、まったく関係のない近所の人が群集心理で
家の物を盗んでいった。
となりのおばさんが
「お母さんのつけてた宝石、あれ欲しいの。どこ?ねえどこ?」
とそれを聞くために必死で追いかけてきたのを覚えてる。
金のために都合よく人を利用する人の目は、みんな同じ目の輝きをしている。
どいつもこいつも必死だなと思った。
そうして自分は金のために連れて行かれ、奴隷のように生きた。
人として扱われなかった。早く死にたかった。

食べ物は朝だけ。真冬に布団は掛け布団一枚。
死を意識すると、心は意外と平静だった。
どんな攻撃も恐怖は感じない。逃げれば逆に余計な力を受けるので
受けた力を逃がすようにして自分から受けて流す。
そこで働き、子供の召使になり、ストレスの発散対象になるためには
感情を持たない道具となることだ。受けて流す。
夜になって、神様なんかいないんだなということをよく考えた。
そこでは、ある宗教を熱心にやっていて
「神様にお願いしたら、楽して金を稼げる」というのがポリシーだった。
それで、これみよがしに仏壇を見せては
「救いというのはここにあるんだ。分かったか」というのが口癖だった。
よく見ると、紙切れのお札が祭ってあった。
神様はそこにはいなかった。
こいつもだまされてやがると思った。でも言わなかった。

ではどこにいるんだろう。
もしいるなら、こんなとこに閉じ込められてる自分を
もう連れて行って欲しかった。
つーか、生きてる意味あるのかなと思った。
生きてきた12年は、あれは当たり前にあって幸せだと気がつかなかっただけなのかな。でも、それを失くした自分は単に不幸だっただけなのか。
今ここで分かったのは、失くして初めてわかる大切さみたいなの?
後悔?でも、自分は何の悪いこともしていない。だから不幸?
失くした物は大きい。家・家族・友達・学校、それから自分。
いつか失うなら、もう少し大事にしてもよかったな。
でも、何で神様は悪い人のお願いを叶えるのだろう。

悪い人の願いも良い人の願いも平等に届く。
あなたは確かに何の悪いこともしていないけど
あなたの親は人からお金を借りて返せなかった。
お金を貸した人は、それで不幸になりました。
本来なら、受けるはずの不幸はあなたの親が受けるのが筋。
しかし逃げた。それであなたが受けた。

いいですか。
このように、誰かを不幸にしたら必ず誰かが不幸になります。
それはここの人とて同じです。
あなたを不幸にしたので、ここの人にも不幸は訪れます。
子供を見たでしょう。
小1の子供が、人を物のように扱う。
だから彼に友達は一人もいません。
そして、本人はどうでしょう?
持病が悪化しています。妻も同じです。
先は長くありません。それだけのことをしたのです。
理不尽ではありません。

じゃあ、自分はどうしたらいいの?

幸せになればいいのです。
あなたが考える幸せを、けっして忘れないでいれば
生きる意味を見出せる日が必ず来ます。
あなたが幸せになると、他の誰かも幸せになるのです。
今あなたが生きているということが
いつか誰かの幸せになるのかもしれない。
無から有は生まれない。
いいことも悪いことも、この先にあります。
それを自分でいいようにも悪いようにも持っていけます。
生きていれば。
希望を失ったら そこには何もありません。
何も生まれないのです。
生かされています。まだ命は取られてはいない。
自ら命を絶った人を見ますか?
あなたにも今に分かる。

そんなのただの宗教の話だろ。だから崇拝しろってか。あんた、だれ?
ここの神様?ここの神様は、他の宗教を排除してるだろ。
そんなやつが何言ってんの。金じゃん、世の中。あんたも。
あいつは稼いだ金を宗教に貢いでるから徳を得てるって言ってるぞ。

宗教はもう神とずっと遠いところにあります。
本当に何かを見る目があれば 人は生かされてることに感謝し
誰かにありがとうと言いたくなるのです。
そこに神は あらゆる形で存在するのです。
握り締めた手の向こうに。空に。風に。光に。
全ては必然。でも運命ではない。今に分かる。

信じないね。だって何も不幸なことがない人が世の中にいるんじゃねーの?
自分は何も知らずに普通に生きたかった。

それが幸か不幸かは自分で決めればよろしい。
どちらにも持っていける。生きてさえいれば。

つーか、あんた誰よ?どこにいるの?
あんたも閉じ込められてんの?どこに?

その後、衝撃的なものを目の当たりにした。
ざわざわと嫌なものが家に充満していた。
これは何?気持ち悪い。黒い煙がたくさん。恨み?これは誰かの恨み?

そしてそこの家は火事になった。
一瞬、目の前が真っ暗になった。不幸に不幸が続く。
でもその時、今だとわかった。
炎に追われるように、逃げた。足は止まらなかった。
足かせなんか最初からなかったんだと思った。
もう誰も追いかけてこなかった。

あの時期の荒んだ闇を持っている。
きっと一生持って行くんだろう。
誰かを利用したり、コントロールしようとしたりするひとを見ると
あの時期の寒々しい感情が起こってくる。
目の前のこの腐った人をあやめるのはたやすいことだ。
しかし逆に、それは連鎖してしまう。誰かにも届いてしまう。
今後この先、大切な誰かに。一番届いて欲しくない人に。

感情を捨てなければ生きる意味は見つかるけど
嫌な感情をどう流すかが 自分の課題。まだ修行中。
<228> モハメッド ■2004年12月05日 日曜日 01時39分25秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(子供のキジバト)

 低気圧の発達でこの地域も昼過ぎからポツリポツリと雨が降ってきた。
このようなときでも子供のキジバトが一羽柿の木の枝にとまっている。
肩の羽がめくれていたりする。
ヘクソカズラの実はヒヨドリが毎日食べに来ている。
残り少ない実を子供のキジバトは必死に身を乗り出して食べているのだろう。

一時間おきに私は着替えて、帽子をかぶり、変装して柿の木の側を通ると子供のキジバトは初めてみるように私をジッとみる。
次の日も同じようにして外にでるともうマジマジと私をみることはない。

キジバトは私を見るとき、私の目をジッとみている。

 キジバトは人を認識しているのだと思う。見慣れない人がくるとすぐ飛び立つのです。

今日などは私にしりを向けて無関心のようであった。それでもわずかに首を左にひねって目の端で私を捕らえたかと思うと、またもとの東南向きにまっすぐ戻した。

 柿ノ木にいるときの目の方向はいつも東南方向である。

自分が育ったところの近くにえさがあるからこうしてここにずっと来ているのであろうが、他のキジバトはどこにいったのだろうか?
地上に舞い降りて採餌している様子を見ていると体つきも大きくなり大人びているのだが、いつまでも、ここを離れないでいるのは。。。自立が遅れているのではないかと案じてしまう。

 愛着があるあまり、ついそんな心配までしてしまうのだ。

<227> きりん ■2004年12月02日 木曜日 10時18分32秒
カウンセラーさんには 内にこもってしまうこと 指摘されていて 何事も 相手がいるって事 私が勝手に判断してしまわないようにって 必然的に 対・人間。。。対・誰かが 居て・・必然的に自分を表現しなくちゃならなくて・・う〜ん 結構 めんどいなぁ。いつも 相手の表情を観察して それに対して私はどんな態度したら良いのかって・・・当たり前に頭のなかで神経回路が接続していくみたい。。。それで当たり障りの無い表現や相手にとって優しい態度をしてしまう。。。結局 腹立っててもそれは表現出来ないんだ。
誰かがさようならって 言ってる。。。だれだ?何に対して?新しい自分になるからサヨウナラ?まだ 正体はわからないけど最近聞こえる言葉。
習い事やめる。。。正直 先生が怖いから。
何年間もACゆえの性格が係りを引き受けてしまう苦しい生き方をこなしてしまったために 私 ダメになってしまって。去年は初めて 休養してんだけど 無視してきた本当の自分の声はね 逃げたいだった。やっとやっと気づいてやれたんだ。あんな理不尽な事が当たり前でナルシストで一人じゃ何も出来ないクセして超わがままで えこひいきも当たり前で さらに私って 役立たず印のスタンプ?シール勝手に張られちゃって。
先生の実力なんて 今更疑問点がいっぱい吹き出てきて。もっと早く自分の気持ち気づいてやればよかった。気づけば怒りで一杯。。。怒りの奥には悲しみが一杯。。悔しい。。。自分の感情無視して 頑張ってたのに、涙流したアイツの事は慰めちゃったりしてさ 本当は泣きたかったよ。逃げたいくらいだったよ。解からないよ。何言ってんだよ。って ブチ切れたい状況だったのを必死に堪えて来たのに。。。役立たずだよ。。。もうこれ以上我慢できない。私もう壊れたくない。。。何にも言いたくない 辞める理由以外は。ふざけんな。お前のせいで 苦しめられたこと 許さない。いいたいこと言わない キレイさっぱり忘れてやる。
新しいところへ変わる不安はあるけど、新しい先生のところで 新しい事学べたら良いな。
こうして 大きな大きな一つの流れ断ち切る。もう一つ 苦痛だったサークル抜ける。忙しいのに出かけってって つまらなかった。ただ子供のつながりは大事かな?ってそれだけのためだった。精神的に負担が大きかった事と自分の声大切にしてあげようって思ったら 迷う事無く 必要ないサークルだって判断出来た。
こうして荷物 必要かそうじゃないのか?心の整理が出来てるんじゃないかな。スマートだよね。自分が幸せになる荷物なら良いけど 苦しみだけの荷物はもう背負わない。。。
私は私。誰に左右される事もない。自由で良い。
そんな自分は好き。。。いらないって判断できた自分のこと好き。
<226> 花 ■2004年11月29日 月曜日 23時49分30秒
いきてること自体面倒くさい、毎日毎日ひとりぼっちで。足がきゅうにつったりして。夜は大入り肉まんとどっかのパイとチョコレートを食べた。さみしい。自分が自分でないきがするだけで。鏡の中の人が眼を赤くして涙がにじむ。不幸なことなど、本当はないんだよって。誰かが強く信じてくれたら、私もそれをしんじられるのだけれど。でも、いきることは、しんじることかな。なら、信じることはできている。ただそれにきづかないだけなんだよ。
笑えない。いえない。おこれない。なけない。たのしめない。笑っちゃえば笑えるしいっちゃえばいえるしおこってみればいいし。でも楽しめない。楽しんじゃえばいい。ってわたしにとって、簡単でない。それはなぜだろう。誰かが君が好きだよっていってくれればきっと、楽しめるのだけれど。その誰かはいない。楽しむことって、難しい。楽しい人たちはいいな、いいなぁ。生きていられるだけですぐにでもいのちがなくなるときまで不幸なことなどないのだ。だいじょぶなんだきっと。
<225> モハメッド ■2004年11月27日 土曜日 23時39分33秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(子供のキジバト)

 子供のキジバトは我がジャングルにきている。首の羽づくろいができない不精な奴がエサを求めて来ているようだ。ほとんど我が家のように柿の木の枝にべたんとへたりこんで座る。居心地と安心感と日向ぼっこを兼ねてあのように座るのだろう。
 人間に対して警戒心の強い子供キジバトもきていたが、私が2階の通路を通ると首を曲げてしっかりと通り過ぎるまで見ている。1時間おきに観察しに外に出てみると今度は私の方に向き直って珍しい物でも見るように私が観察されてしまう。このキジバトは3時間ぐらいでどこかへ飛び去ったようだ。

 2羽の母親キジバトは最近まったく姿をみせない。このキジバトが育ったのではないかと推察していた近所のドングリの木(木の名前は調べていません)は、今後枝も生えないのではないかと思われるほど、幹を残して枝という枝を切り落とされてしまった。

 彼らの住処はなくなった。故郷の喪失ともいえる。

我がジャングルが第二の故郷となってしまったのかもしれない。しかし、彼らの落としていく糞を確認すると白いもののなかにヨウシュヤマゴボウの実が色づいて残っている。
 大量のヨウシュヤマゴボウはすでに枯れているのだが、地に落ちた実をエサにしているようだ。
 このジャングルにまだエサがあるからしつこく来ているのだ。

 近所の公園ではキジバトはほとんどみかけなくなった。一羽で電線にとまっているのを目撃するのだが、体は小さい。

 キジバトはエサを求めてどこかに移動していることは間違いないだろうと思います。それが市内かもっと遠くなのか、私にはわからないことです。
<224> モハメッド ■2004年11月25日 木曜日 12時17分34秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・(子供のキジバト)

 昨日輪がジャングルにシジュカラがきていたのでさっそく望遠鏡で観察していたら、イロハモミジや芙蓉や切り倒されてそのまま枯れている木の混在するブッシュのなかでシジュウカラが、不穏にバタバタ羽ばたく音が聞こえて、何があったのか目を凝らしてみていると、オスのウグイスが出てきた。

 やぶの中でウグイスとシジュウカラのバトルが展開していたようだ。シジュウカラが退散してウグイスが勝ったようだ。

 その後のウグイスを見ているとせわしなくやぶの中を動き回り、笹の中で採餌をしたり、地面すれすれに飛びまわっていた。
 
 ウグイスのオスって結構大きいんですね。どうやら来年はここで巣づくりするのだろう。
 それで、縄張りに侵入してくる鳥を追い払ったのだろう。

 柿ノ木のヘクソカズラの実はヒヨドリに大量に食い荒らされて無残な姿をさらしている。キジバトがいくら首を伸ばしても届きそうにないところには大量に固まって実は成っているが・・・。

 昨日(水曜日)子供のキジバトがきょとんとした顔つきで日向ぼっこに来ていた。喉から下の部分(胸)が異様に凹んで見えた。エサを食べてないんだろうな。
昼過ぎに見に行くともういなかった。

 最近キジバトの姿だけ見かけなくなっている。どこにいったのだろうか?
冬に備えて暖地に移動したのだろうか?キジバトの住める樹木を知るにつけ、彼らの環境は悪化の一途をたどっている。

 エサのない柿ノ木にキジバトはしばらく来ないだろう。何だか寂しい。
<223> ミルキー ■2004年11月25日 木曜日 06時40分54秒
どれが私なんだろう?
黄色い哺乳瓶をかかえてる私が私なんだろうな。
前に立ってるあの小さな女の子が私なんだろうな。
ママが手首を切ってる光景を見てる小さな女の子。
きっとそこから私が分裂したんだな。
この黄色い哺乳瓶の女の子。
接し方が解らないの。
何回もそのシーンが頭に入ってくるのに、どうしてあげればいいのか解らない。
どうしてほしいのかも解らない。
<222> モハメッド ■2004年11月24日 水曜日 00時16分41秒
「ヘクソカズラ日記」・・・・・・・(親子のキジバト)

 昨年からキジバトは何気なく観察しているのですが、キジバトが食べるには枝が細くて近づけなかった。
 だからヒヨドリやメジロなどが食べに来ていて、キジバトは柿ノ木の枝に止まるだけでおあ付けをくらっていたのだ。

 今年はヘクソカズラの実が太い枝に絡み付いて、今のところこれを食べに来るのはキジバトとメジロだけだ。

 だから親子のキジバトが3羽そろってきたりするところを観察できるのだろう。

巣立ちしてからキジバトの子供はどうやって親から自立していくのだろうか?

 柿ノ木に親子3羽そろうことはめったにみられない。子供のキジバトが一羽だけで来るケースが多い。ヘクソカズラの実を食べると首を伸ばして採餌するので枯れたヘクソカズラの葉やツタに擦れて首の模様が隠れるほど首の羽が毛羽立って、それを羽づくろいできないでいるから、キジバトの識別ができる。

孤独に耐えて一日中柿ノ木ですごしたのは、羽づくろいがうまくできないキジバトであった。

 人間を警戒してヘクソカズラの実さえまだ食べない子キジバトは、母親と一緒に電線に止まっているところは確認している。

 この二羽の子供キジバトを観察して、私の推測にすぎないのだが、ヘクソカズラの実を食べて日向ぼっこをする子供キジバトのほうが、自立が進んでいるように見えるのである。
 もう一羽の子供キジバトは通りを隔てたホテルのクスノキに一人で居るようだ。私が見ていると警戒して、高い枝に行ったり、枝を歩いて私からできるだけ距離をとろうとします。

 どこまで観察できるかわかりませんが、子供のキジバトの自立の様子を今後もつづけたい。

<221> モハメッド ■2004年11月22日 月曜日 00時42分59秒
「夢は現実を反映するのだろうか・・・・・?」

 私は私を大切にするということがまだよくわからないところがある。
私の切実な目に見える問題は、不眠である。

 私は枕を工夫して現在は満足している。枕が変わると眠ることも覚束ないので神経をつかう。
 だったら、毛布や敷き毛布などもこれから寒暖の差が日ごと厳しくなるのだから、このようなものにもう少し気配りして、自分の心地よい睡眠を確保するためにお金を投資したらいいではないか。

 ついでに電気毛布も買って寝具を新しいのに取り替えた。

 すると不思議。睡眠は安定しないのだけれど、はっきりとした夢をみるようになってしまった。
 どうも私の見る夢は、仕事と人間関係の未熟さをイメージとして映像にしたら、このようになるのだろうか?と思えるような映像的な夢になっているから、自分の未熟さをマジマジと私がみているというような按配である。

 夢にほとんど言葉はない。私だけ言葉が思うように発せられず表情や身振り手振りで石を伝えようとする。

 たとえば夢の内容は抽象的だ。
 何故かアメリカ南部のメキシコ湾に面する何かの製造工場で、二つの工場を掛け持ちで働くのだが、収入に結びつくことはなく、罪悪感にさいなまれたりする。

 これは実際私がある会社に籍をおいたまま、別の会社で働くということを2回やったことがあるのだ。つまり休んで別の会社に勤めたという中途半端というか、今では考えられないバカなことやってしまったことが、何気なく夢の中に配置されている。

 人間関係は私がこれまで苦手。どうしても好きになれん。こういう奴が出演している。
 顔をそむけたくなるのだが、逃げるわけにも行かず、言葉も出ないので相手の目や表情を細かに観察しながら、「ああだ、、、むむむ、、、、、こうだ、、、むむむむ。」こうしているうちに相手も気を使っていることがわかってきたり、アメリカ人の下級階層労働者も天然の金髪で、よくわからん奴だなぁと眺めているうちに、なんだか普通の金に困って必死に働いていて、それでいて何か悩んでいたり、ラテンのような明るさがあったりすることが分かったりする。

 固定したカメラを、ふと横に回すと広漠たる湿り気のある砂漠地帯であったりするところで、わけがわからなくなったりして・・・エンド。。。。。となる。


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