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私たちの物語 - 鏡の中の「私」(フィクション等)・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> 海龍 ■2003年07月14日 月曜日 12時51分44秒
それ以上私に近づかないで!

そう言ってしまいたくなる。。。
私は私を信頼してくれるあなたを傷つけるかもしれない。
そう思うと堪らない。。。傷つけたくない。

自分が信用できない。
もしかしたら必要以上に世話を焼くことで
あなたを思い通りに動かそうとしているのかもしれない。
必要とされることを望んでいるだけかもしれない。
自分が信用できない。恐い。

私の判断は間違っているの?
他人から見た私はどこかおかしいの?
誰かに対する自分の悲しみや怒りは人に話してはいけないの?
いけないことをするからみんな私から離れていくの?
傷つけたくないと思いながら私はみんなを傷つけているの?
悪いのは私?要らないのは私?

お願い「わたし」。
人に攻撃を向けないで。
そうすることでいちばん傷つくのは私だから。。。
もう自分を傷つけるのも嫌。
誰も傷つけたくないよ。

生きていることが誰かを傷つけることになるなら
消えてしまいたい。。。

でも本当は違う。

消えたくなんかない。
認めて欲しい。
ここに居てもいいって。
要らない存在なんかじゃないって。

ごめんね「わたし」。
今はまだ、私が「わたし」を
受け入れられないみたいだね。
<19> 海 ■2003年07月08日 火曜日 16時20分44秒
子供の頃の記憶を取り戻したい。
何を見て何を聞き、何を感じたのか。。。
私の性に対する嫌悪感はどこからくるの?
何故、頑なに大人の女性であることを拒むの?

興味がないわけではない。
むしろ話だけなら積極的にしてきた。
でも。。。考えてみれば
嫌悪感と恥ずかしさを隠すために
無理をしていたような気がする。

覚えていないだけで
性的虐待を受けていたのだろうか。。。
何が傷になっているのかが分からなければ
癒しようがない。。。
これ以上、前へ進めない。

何かな?この不安。。。
父や母ではなく他の誰か。。。?
それとも何か見た?聞いた?
駄目だ。。。思い出せない。

フラバでも何でもいい。
記憶。。。記憶を取り戻したい。

自分を変える手がかりが欲しいの!
<18> チョコ ■2003年07月05日 土曜日 13時35分06秒
ある時、私は気づいた。自分の中にもうひとりの存在がいることを・・・・人と話ししてる時、邪魔をする。テレビを見てるのに、見ていない自分。突然襲う恐怖感。パニック。異常な緊張感。
最初は、ただの心の病気だと思ってた。でも、時間が経つにつれ、わたしに訴えつづけてきた存在があったことに気づいた。あたしはここにいるんだよ!ねぇ、気づいてよ!あたしはここだよ、ここにいるんだよ!!遠くから聞こえる声・・・・それはまぎれもなく、あたし自身だった。新しい旅が始まろうとしている。これから起こるすべてを受け入れ、時間をかけて、あたしはありのままの自分と出会いひとつになる日ががくるだろう。
あたしの中のあたしへ「あたしは必ず迎えに行くからね。」
<17> マフマルバフ ■2003年06月22日 日曜日 23時44分41秒
 「すべてバラバラ」
静かな場所を求めて、雑踏のなかの喫茶店に行くようなアホなことをしている自分に気づく。視覚的に癒されたいのだ。
 わざとらしく読書でもする。ぜんぜん読めん。耳と目と思考と味覚が個別化して独立しているかのようだ。
 本当の俺は思考のなかにいる。頭の中に二〜三名の人物が住んでいるようだ。

 ガキの頃の食卓、そのまんまである。両親の口論、食べながら事の成り行きを考え、視覚的には汚れたテーブルや食器類の不衛生さに、虫唾が走る。今日の出来事など考えている場合ではない。毎日がホラー映画のように恐いのである。
 絶えず集中できない、あれこれ考えながらボーッとすごすことが日常であったのだ。現実からいかに目をそらすか、それが人生の課題であると思っていた。
 頭の中では、絶えず二〜三人が住むようになり、収集はつかないのである。
目も口も鼻も耳も思考もバラバラになって、再統合するのはやっかいな人生の重荷となる。・・・フン!くそったれ。ガキの頃。
<16> マフマルバフ ■2003年05月06日 火曜日 11時16分31秒
[床下の荒野]
 私が子供の頃住んでいた家の床下は暗黒の荒野でした。
木造でしたから外部の光がわずかにはいり、懐中電灯がなくても目が慣れると自由に動けます。飼い猫と一緒にその床下の荒野を冒険をするのはすごく楽しく、家人がいない一人のときよくもぐって遊んでいました。
 狭い家なんですが、床下はなぜか広大で私の世界を実感していました。土は砂状で湿気があまりなく風通しが良いので夏はすずしく快的な場所でした。
 私はこういう何げない小さな冒険がすきで、一人で遊んでいたことがありますが、今考えると床下が私の子供の頃の居場所であったかもしれません。

 成人して思い悩む日々の中でどうにも行き詰まってしまい、どうしていいのか分からなくなった時、私は誰もが寝静まった深夜、衝動的にアパートの畳をめくりあげ、板をはずし、床下の暗がりをしばらく眺めていました。粘土質の湿気を多分にふくんだ黒土は以前は肥沃な畑であったのだろうが、カビ臭くセメントのかけらや石ころが散らばり、ただの暗黒でした。
 そこはかえりみられることのない埋もれた歴史せい、閉じ込められた土着性、生産することを抹殺された、私と何の関係性ももてない空間。

 私は過去を切り捨てられ長い不毛の時間の経過をそこに見たような気がした。
<15> マフマルバフ ■2003年04月24日 木曜日 03時21分00秒
「耳のトラウマ」

PTSDというものは衝撃的体験として目に焼きついた映像として語られることが多い。私も確かに目でみることによるショック体験はある、列車にはねられたおじさんの遺体にムシロがかけられ、右手の小指がするどく裂けているのに、血が出ていない。瞬間みて恐くなって家まで走って帰り激しい呼吸と不安、何か恐ろしいもののすがた(地獄)の権化のようで、思い出すだけで恐くなっていたものだ。
 10歳にも満たない頃のことだと思う。それだけ恐がるのはその当時すでに私は、家庭の中で絶え間のない緊張とストレスが高じていたからだろうと思う。
 同じ頃だと思いますが、同級生が勉強のしすぎでノイローゼで入院しました。
近代以降、専業主婦が過激な勉強を息子に強いる例は枚挙にいとまがないのではないでしょうか。今日的な問題とはいえないと思います。
 「耳のトラウマ」のことですが、耳は休息することはあるのでしょうか?
両親の不仲による口論を聞いてしまう耳、母親の愚痴の聞き役の耳、緊張や不安定な家庭によくある暴力の連鎖による兄弟間の言葉による暴力的な罵詈雑言を聞く「耳」。
 学校では退屈な授業を何時間も耐えて聞く「耳」。一人になればラジオ、TV,音楽、携帯を聞く「耳」。
 工事の騒音、深夜も止まることのない車の走る音を聞く「耳」。
現代の文明の恩恵や被害は「耳」に過度のストレスを強いていないだろうか?
 機能不全の家庭の子供たちは、幼い頃から高度の精神的ストレスが累積していると思うのです。友人関係のうまくいっている子供は「耳」に入った大量の情報を喋り遊ぶことで取捨選択してストレスはたまらないのかもしれません。
 そうでない子供はそれどれ耳に入った情報にしばられ、ストレスが限度に達しており、そのような中で、各家族間の境界線もあいまいな状態で、まさに病的な共依存的体質の母親や、ノイローゼ状態の兄弟の希望のない愚痴を聞かされる「聞き役」をやらされている人は、虐待されているのです。
 
さまざまな状況がありますから何ともいえませんが限界にくると、それはトラウマとなり記憶が消えるということもある。その後遺症は数10年後に出る事もあるようです。
私がパソコン教室に行っているときそうなりました。先生の話が耳に入ってこなくなって、その分析を私なりにやってみた結果です。

まとまりのない文章となりすいません。
「耳のトラウマ」を私の体験を通してもう少し詳述したいです。
 
<14> マフマルバフ ■2003年03月28日 金曜日 03時37分45秒
あなたは誰ですか?

余剰生命をもてあます老人が血族的愛情にすがるのは分かるが、家族というものの根拠がそれしかないというところに現代人の基盤のもろさが潜んでいると思う。親の不仲からくる子供への様々な抑圧がACの問題をはっせいさせるわけだけど、私の歓びや悲しみや苦悩を家族の誰とも共有することなく成長した私は、過去は私だけの思い出でしかない、それどれの家族の記憶の一部も共有できない者たちが血族的愛情をもてるわけがないではないか。家族の中で関係性が断ち切られ、コミニュケーションも断裂している。家族というものは近代国家のがわの視点でいうことばになりはてている。親は子にとっては偶然の産物であるから、血のつながりのある単なる共同体であるにすぎなくなっている。・・・すると私は一体誰なんだ?という悩みは12〜3歳の頃から激しい不安と怒りとともに噴出していた。自己存在は自傷行為に発展するかもしれない、私の場合自殺願望・・・にいった。
仕方ないから生きているが関係性をもてないから結婚もしないでいる。

話は飛躍するが、男と女が関係を持ちセックスをして子供をつくることをして、ACの悩みをいう人がいるが、そのまえに家族の関係の構築が最優先されるべきであろうし、それができないという悩みならわかるけれども・・・それならACとは別の先ゆくひとの視点で問題をとらえるべきだと思います。
<13> マフマルバフ ■2003年03月27日 木曜日 00時14分45秒
時には母のある子のように

時には母のある子のように 食卓に時計を飾ってみたい
時には母のある子のように 遠い故郷に帰ってみたい
だけど母のある子になったなら 私は時間のピエロになるだろう

時には母のある子のように 故郷に手紙を書いてみたい
時には母のある子のように なみだを言葉にしてみたい

だけど私が母のある子になったなら 私は時間のピエロにしかなれない
<12> マフマルバフ ■2003年03月15日 土曜日 23時38分06秒
[涙は悲しみの翡翠であり言葉の結晶である]

かあちゃん もう一度ぼくを産んでください
そして確信的にぼくを不幸にしてください

ぼくはぼくをもう一度生きてみたい
そして確信的に翡翠(ひすい)をつくってみたい

かあちゃん ぼくをもう一度不幸にしてくだい
そして確信的に涙を結晶化してみたい

なぜならば
どのような悲しみでもここまで生きてきたからです
<11> マフマルバフ ■2003年03月09日 日曜日 05時54分52秒
「星と海」
 
銀の船に乗って俺は 海にこれまでの悲しみをかいている
海は広いが 悲しみはまだ書き終わらない
 
冬のお月さんが 悲しみを全部書くとあなたは空っぽになってしまいますよ
と言った
満天の星たちが ドット笑った。
<10> 力石 徹 ■2003年02月24日 月曜日 16時11分33秒
「子連れ狼」

俺は1970年代の時代感情を憎憎しいほどに表現して、リングに散ったあの力石徹だ。随分前のことになるが漫画や映画で活躍した「子連れ狼」という、乳飲み子をかかえて旅をする浪人の活躍を描いたものがあった。父と子という設定に異様な感慨をもった俺は、それらをみていないのだが、剣の達人である父親が、どのような理由があるのかしらないが、人を切り殺すのだ。それをみている子の大子郎がよく殺されずに生き延びたな、不思議だな?と思っていた。
 あれは、日本経済成長期の家を構え長期間のローンをかかえて、必死に働くしか選択肢のなかった30〜40代の父親のサラリーマンにとって、妻の存在はなきに等しいものではなかったか。と思うのだ。飯の用意をする以外セックスするでなし、家政婦ぐらいの認識しかもてず、子供だけが生きがいでしかないとしたら、子連れ狼のあの異様な父子関係のキャラクターは、社会に受け入れられなかっただろう。
 俺なんか大五郎は、将来どのような人間に成長するのか心配であった。あれだけ人が切り殺される場面を乳飲み子のころから見ているのだから。取り返しのつかないほどのトラウマにさいなまれ、生きづらさをかかえて苦しい人生を歩むのではないかと考えていた。この子の父親は何をしていたのだと・・非難されるだろう。
妻は無視され、子供の成長も無視された。経済至上主義が生み出したドラマであり、悲惨なほど時代感情を表現してもいるのだ。・・・・それが見事にいまの時代に引き継がれた問題として表出しているのである。
<9> マヤコフスキー ■2003年02月21日 金曜日 12時52分49秒
「マルコムX」
おれが刑務所にぶちこまれたってたまげることはねえよ。おめえらだってずうっと刑務所にはいったきりじゃねえか。このアメリカってところがだいたい大きな刑務所なのだ。
・・・マルコムXはスパイク・リーの映画で知った。まさに不逞の言葉を、堂々と誰に遠慮することなく、発していた。人を勇気づけ、自己をあきらかにし、考えを実践し言葉にしていただけだ。その言葉はなにかを変革していくだけの力があったのだろう。・・・なのに何故、彼が殺されなければならないのだ。不逞の言葉は命よりも重いのか。・・・誰が何をおそれるのか。
彼の職業はなんだったんだろう?ブラックモスレムの布教家?活動家?思想家?詩人?・・・・言葉はいつの時代も拘束され、監視され、抑圧され、抹殺され、自由を得たことなどないのだ。言葉は私たちの最も手軽で身近な武器なのに・・・。その言葉を恐れているのはだれだ。・・・取り締まろうとするのは誰だ。・・自分の考えたことをまず言葉にだしてみよう。
そして、言葉の連帯をとりもどそう(いまだかつて実現したことはないが)、そのためには標準語はだめだ、できるだけ方言で堂々と不逞の言葉を吐き出そう。
<8> 力石 徹 ■2003年02月15日 土曜日 23時07分08秒
 「自己充実」
ボクサーから華麗なる転進をとげた力石です。
思うに自己充実はかんたんである。晴れた日に掃除、洗濯すればよい。うちからみなぎる充実感がわきあがるであろう。しかし、一旦外出したならば、自己以外の他者との関係性を感じずにいられないであろう。群集のなかにまぎれこんで一時的な孤独はえられるだろうが、一時的にすぎない。
 他者との関係性のない自己はありえない。しかし、コミニュケーションはあらゆる角度から寸断されている。寸断と関係性のバランスは微妙である。現代はまさしくゴッホの絵のごときである。寸断されているが、全体はくずれない。
 攻撃するぞ、といいながら、すでに戦後計画を発表される。○○○のフ○○○は殺します。と宣言されたかのごとくの彼の胸のうちは「世界はおれをなめくさっている」だろうか。それでも地平に日は昇り、しゅくしゅくと動いている。
<7> 力石 徹 ■2003年02月14日 金曜日 15時22分55秒
「転職先は詩人だ」
俺は1970年代の時代感情をにくにくしいまでに表現して、リングに散ったあの力石だ。俺はボクサーのまま天国に行っちまったから、退屈でしょうがない。だから俺は詩人になろうと思っている。ボクサーから詩人へと華麗なる転職というわけさ。言葉は凶器でもある。言葉で人を殴り倒すことも、ナイフのように人の胸をぐさりと一突きすることも、機関銃のように原型をとどめぬほどに、人をぼろぼろにすることもできる。
 だが、言葉は薬でなければならない。君の心をいやすためのくすりでなければ・・。よき言葉とは、言葉の年齢とは関係ない。それは、年老いた言葉を大切にせよということではなく、むしろ、その逆である。老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。俺はそこに賭けるために詩人になろうとしているのだ。・・・・実はある詩集を読んでいて、あまりに下らないので自分で1小節をつくっていたのだが、つまらぬ用事をしていたら、すっかり忘れてしまったのさ。
ということでこれからは、詩人の力石でいきまっさかいに、よろしゅう。
・・・・忘れた内容というのは、概ね人生は遊びである。教室は遊びのなかにある。読書も楽しければ遊びである。・・・こんなことだったようだ。
<6> 力石 徹 ■2003年02月11日 火曜日 23時10分58秒
「蝶々の羽根をむしったのは誰だ」

俺は1970年代の時代感情をにくにくしいほどに表現して、はなばなしくリングに散った、あの力石だ。今は天国で気楽にすごしている。
フン、70年代の代表者として今の世の中をみわたしてみると、なんだな。社会は確かに進化している。といえるだろう。
「ひきこもり」の連中をみわたしてみると、俺の時代は皆、家出を実行するのがかっこよかったものだ。それすらできないのが今の世の中よ。
 家出をすればなんとかなるって夢もこわれたのさ、だいたい、他人と連帯することもできない者に、どうして家出ができようものか。
 単独で経済的に自立できるような環境でもない。ってか。そのとおりだ。
だからひきこもるのだ。友達ももてなかった君はそれしか選択肢はなかったのだ。周囲に理解してくれる者のいない中、独断で、一人でよく決行した。
時代感情を俺よりうまく表現しているぜ。よくやった。

こうやってみると、パパとママのなかは冷えているようだ。パパもママも、よく勉強して、よき大学にはいって、よき会社にはいれば、人生のレールは敷かれていて、自己完結の人生は楽々と歩める。そう考えていてもしかたないだろう。

しかし、蝶々の羽はない。若くして羽根はむしりとられている。誰がむしりとったのだ?ン? 学校か? 先生か? 近代の行く末を考える気で考えろ。
 人は自分の生きてきた範囲でしか考えない輩だ。近代教育を神格化し、そのなかにどっぷりつかって、ここまでうまく生きてきたと思っている親が子になにができるのだ。
 少し余裕がでたならば、近所か遠くの古いお寺を訪ねてみろ。明治、大正、昭和初期までの、うち捨てられた、子供の墓石が何基あるか。「次女○○、7歳」とか書いた墓石でもあれば、想像してみるのだ。当時それだけの墓をたてる家勢があったであろうそのお家は、そこにもう住んでいないのだ。家制度が確立されていた当時でさえも、いくら財産のあったお家でも3代もすぎると、その墓石のごとくだ。
 自分のことしか考えない者は、いくら書物をよもうが自分の生きてきたまでしか考えはおよばない。友人の痛みすらわからない親でもある。

今は寿命がのびている。俺のように時代とともにリングに死のうなんてバカな考え方はできないだろう。・・・子供の行く末もわからない、自分の行く末さえどうなるかわからない。誰もがそうだろう。自分の人生を考えてほしいものだ。

俺のパパやママはもういない。親戚などどうなったか知らない。
また、きがむいたら、遊びにくるぜ。
 
<5> 下町の鶴太郎 ■2003年02月05日 水曜日 10時29分40秒
「脱走した妻へ」・・・・(虚構です)
妻○○子が監獄(家)を脱走して、もう3年半。綿密な計画のもと、壁をぶちぬき、鉄格子をバーナーで焼ききり、チャリンコで夜の闇に失踪していった。「自由になりたいのー」とかいってた。冬は熊のように冬眠するから、今ごろ北海道の山奥の洞のなかで冬眠をしているのかもしれない。目覚めてももう帰ってくるなよ。
 一粒種の我が子は可愛い。お乳ほしがるこの子に、ひとつ浪花節でもきかせてやろうか。「時にはー、母のない子のように 黙って海をみつめていたあい」
・・・しかしもし、帰ってきた場合、脱獄犯だから”わが監獄所の脱獄の規定”の条文に従わねばならない。その第一、厳罰をもって処す。俺は牢名主でありながら、最高裁裁判長でもある。 妻○○子を”無期懲役”に処す。ってね。
 なお、法務大臣は妻○○子がなるものとする。とかかれている。

・・・というような合法的なけんかの絶えない。査察するぞ!させないぞ!と痴話げんかの絶えない夫婦もいいかな。とフィクションをつくってみました。
<4> ブコースキー ■2003年01月17日 金曜日 03時49分40秒
「幻想の冬の月」

ふるさとの訛りなつかし その髪の 女給に逢ひに背広着てゆく

ひと口に言ってしまえば近代化社会の形成の中で 個人と自我とを生み出さずにきてしまった日本人は 家の倫理のなかでだけものを考えすぎてきたのです。そこでは家から家庭に変わったとしても 本質が変わったとは思われません。長方形の箱のような独身アパートの荒野での自立は 常に自倒の不安と裏腹であるが 合わせられた家族カードの点数によって発言量を増大してゆく「家」依存の「ファミリーパワー」には青年を解放する機会を産むことなどないでしょう。

ノーベル文学賞はいらん! サイトの書き込み原稿料をもらえるシステムにしてくれないものだろうか。 私は歴史が嫌いだ。私は楠正成も聖徳太子も、ブレハーノフもレーニンも、みんな嫌いであった。なぜなら彼等「歴史上の人物は」皆、死んでしまって逢うことの出来ない人ばかりであった。私は地理について考えた それは「直接の生」の代名詞のように思われた。

 他の人の心臓は胸にあるだろうが おれの体じゃ、どこもかしこも心臓ばかり。いたるところで汽笛を鳴らす。マヤコフスキー

私は 自分にとってじぶんじしんは常に絶対的な存在であり、相対的な存在ではありえないと考える。昨日の自分は いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。それはけっして今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?
 マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの絆はありや

 煙草くさき国語教師が言うときに 明日と言う語は最もかなし

 わが夏をあこがれのみが駆け去れり 麦わら帽子被りて眠る

 煙草を床に踏み消して立ち上がる チエホフ際の若き俳優

妻のけいこが夜逃げしてもう3年 今は○○まいにあくがるる。「性にたいする人間構造は、おしつけがましい結婚の結果、退化してしまた」Wライヒ

 濁流に捨て帰し燃ゆる曼珠沙華 あかきを何の生贄とせむ

 吸ひさしの煙草で北を指すときの 北暗ければ望郷ならず

 後ろ手に春の嵐のドアとざし 青年は己(すで)にけだものくさき

<3> マフマルバフ ■2003年01月04日 土曜日 01時13分08秒
フラバ注意 不快な言葉が挿入されています 嫌な部分は読み飛ばしてください。
 ある映画のシナリオより終章
少年の家 がらんとして、誰もいない。「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」
恐山 柱時計を抱いて、恐山を下りてくる少年の母。音楽「桜暗黒方丈記」〜天に鈴ふる巡礼や 地には母なる淫売や 赤き血潮の ひなげしは 家の地獄に咲きつぐや 柱時計の恐山 われは不幸の子なりけり 死んでくださいお母さん 地獄極楽呼子鳥 桜暗黒方丈記〜歌が死んでくださいお母さんのところまで来たところで、母振り向く。髪乱れた悲痛な顔。その振り向いた恐山の稜線に、一人二人三人・・と十人をこえる少年時代の私が、同じように時計を抱いて、ゆっくりと悪魔のように表れて立つ。母親「新ちゃーん」少年たちかき消え、母も消える。
田園の中の座敷  田園の中に畳が敷かれ、その畳の上に、私と二十年前の私である少年とが向き合って将棋を指している。私「おまえの番だ」 少年「わかってるよ」 少年一齣動かす。少年「おれは、大きくなったら商船学校へ入ろうと思ってるんだ」 私「もう、手遅れだよ。おれは文科系の大学へ入ってしまったんだ」 少年「でも、もしかしたら、やり直しがきくかもしれない」・・私「そういえば、中2の夏休みに万引きしたツルゲーネフの小説はどこへ隠しておいたっけ?」 少年「無理だよ、まだおれは中一だもの」 私「そうだったな」 少年「でも、来年になったって、おれは万引きなんかしない」 私「(冷笑する)おれはおまえのことは何でも知っているが、おまえはおれのことを何一つ知らないのだ」 少年「勿体つけずに教えてくれよ。おれはいつ汽車にのるの。おれはいつ、女と寝るの?」 私「(首をふる)ほら、桂馬が死んでるよ」 少年「あっ、ちょっと待って」 私「待てないね、待っていたら、おまえに追いつかれてしまう。時間は(待った)がきかない」 私「子供の頃、蛍を一匹つかまえてきた。母ちゃんに見せようと思って裏口からまわりこんでみたら、何だか変な声がした。戸の隙間からのぞくと、母ちゃんが見たことのない男に抱かれていた。赤い蹴出しと毛脛が見えた」 畦道で椅子に座った老婆。風にまつわる髪風車の群れ。 私「おれは吐き気がした。せっかくつかまえた蛍を見せるのをやめて、机の引き出しに隠しておいた」・・私「その晩、遅くなってから、わが家に火事があり、近所の家まで焼けてしまった。警察では漏電だと言ったが嘘だった。ほんとはおれが机の引き出しにかくしておいた一匹の蛍の火が原因だったのだ」 少年「嘘だよ」 私「どうしてわかる」 少年「家には火事なんて一度もなかった」 私「(笑う)」 少年「嘘だろ?」 私「作り直しのきかない過去なんてどこにもないんだよ」 少年「母ちゃんはどうしてるの?」 私「相変わらずだよ。小言ばかり言っている」 少年「同じとこに住んでいるんだね」 私「そう。家出するとき、くっついて来てしまったんだ」 少年「いやだよ、そんなのは・・・」私「だが、そうなってしまったんだ」 少年「(笑う)でも、おれはそうはしないよ。ひとりで逃げてやる」 私「どこまでだって追っかけてくるさ、ほら、王手だよ」少年駒を持ち上げる 少年「あんたは、二十歳を過ぎてから腕時計を買った。でも、おれは明日買うことだってできる。そうすれば、おれはあんたじゃなくなる」 私「細かい記憶違いってのはよくあるもんだよ」 少年「・・・」 私「おれのなくしたものはおまえが見つけることはできるだろう。それは、成長ってもんだ。だけど、おまえのなくしたものをおれが見つけるってことはできない。時間が経ちすぎている。もう手遅れなのだ」
貨車の中 止まっている貨車の中に少年と私。少年がちょっと、悪魔的に笑いを浮かべている。 少年「ほんとうはおれ、母ちゃんを捨てようと思ったことがあるんだ」 私「思ったさ。おれだって何べんも思った」 私「殺そうと思ったことだってある」 少年「(異様な目つき)ほんと、いつ頃?」 私「今だってそうだ。毎日思っている」 都会のアパートの一室、だらしなく昼ねしている二十年後の母親、扇風機がまわっている。少年「(身を乗り出し)殺すのか、すごいなあ!」 私「だけど、おれが今の母ちゃんを殺すなんて、とてもできない。二十年前の母ちゃんなら殺すことができるが」 少年「母ちゃんが死んでしまったら、何もかも変わってしまうよ。あんたもいなくなってしまうかもしれない」 私「それが見たいのだ」・・・私「そしておめにも見せてやりたい。もし母ちゃんがいなかったら、おまえはおれではない、他の男になるのだということを。一人の男がはじめて貴社に乗るためには、その男の母親の死体が必要なのだということを。さあおまえ、これから家へ戻って縄と草刈釜を取ってくるんだ」 少年「そんなもの、どうするの?」 私「いいから取って来るんだ」 少年「ほんとに殺るの?」・・・少年「だけどおれ、母ちゃんをあいしているよ」 私「だから、だから殺らなくっちゃいけないのだ。ぐずぐずするな、俺の言うとうりにするんだ」 少年「縄で縛って、草刈鎌で突くんだね」 私「そうだ。俺はこの目で見たいのだ。実際に起こらなかったことも記憶のうちだということを」 激しく吹く風。〜これはこの世のことならず 死出の山路のすそやなる 賽の河原の物語〜手足は血潮に染みながら 河原の石をとりあつめ これにて回向の塔を積む 一つつんでは父のため 二つ積んでは母のため・・・急速に高まる音楽にからすの鳴き声や、人々の絶叫する声がひびきあう。号泣する少年。少年、独り言のように、 少年「もう帰れないよ」・・・私「待ちくたびれてうとうとしていた私は我に返った。二十年前の私は、裏切ってどこかへ行ってしまったのだ」 私「私は自分で母を殺さなければならなかった。縄と草刈鎌とそして一抹の不安と・・」
少年の家  柱時計が鳴っている。二十年前の母親が仏壇を磨いている。私「母は私の吐くつばだ。つばの中でも、いちばん薄いつばだ!」 私が「母ちゃん」と、戸をあけて入ってくる。草刈鎌を隠したまま靴を脱ぎ、囲炉裏端に上がりこむ。 母親「(まるでいつものように)新ちゃん、遅かったじゃないか。そと寒かったろう。腹すいたか?」 私「(何か言いかけて口ごもる)」 母親「すぐにご飯にするからな」 恐山全景ののインサート・カット。恐山に置かれた仏壇。時がすぎてゆく。少年の家の中、私と母親、向き合って二十年前と同じように御飯をたべている。私と目があうと、母親、満足そうに、にっと笑う。 私「どこからでもやり直しはできるだろう。母だけではなく、私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎないのだから。そしてこれは、たかが映画なのだから。だが、たかが映画の中でさえ、たった一人の母親も殺せない私自身とは、いったい誰なのだ? 生年月日、昭和四十九年十二月十日。本籍地、東京都新宿区新宿字恐山!」板の間で食事していたうしろの押入れ棚(セット)が突然、向こうに倒れ、白昼の都会の風景があらわれる。母親と私と柱時計、それと御飯をたべている膳を残して、あたりは現在の新宿の雑踏。私のかたわらに草刈鎌がおかれたままでいる。だが、二人はまるで二十年前のある人同じように御飯を食べている。うしろの雑踏の中には、二十年前の故郷の人々。その当時の衣装メイクのままで、あちこちから、ゆっくりと顔を出し、振り返って手をふり、ある者はうつむきながら、そしてある者は唄いながら、新宿の風景の中に一人ずつきえてゆく。

ACとか共依存とか関係ありそうな部分だけ抜粋しました。 
<2> マフマルバフ ■2003年01月03日 金曜日 01時45分53秒
フラバ注意 不快な言葉が挿入されています 嫌な部分は読み飛ばしてください。
 ある映画のシナリオよりの後半
私「(声だけ)私は、答えを探していた。三代前の祖母を殺すのは、現在の私である。だが、その祖母が殺された場合には、当然のことだが、二代前の祖母も母も、そして私も存在しなかったということになる。では、だれが・・」街路からアパートの入り口に入っていく私。
私「(声)私は、私の作りかけの映画の、明日編集する分のノートを整理しなければならなかった。アパートへ帰ってきて、会談を上がろうとしたところで、思いがけない男に出会った。それは、二十年前の私自身であった」アパートのドアに、少し傾いて二十年前の私、つまり少年が凭れている。私を見て、少してれくさそうな笑顔を向ける。
私「(声)少年時代の私と出合って、私は無性に腹立たしくなるのを感じた。田園の風景は、あんなにこぎれいなものではなかった。おふくろは子供の私を座敷牢に閉じ込めようとしていたし、隣の人妻だって、私の考えていたような”憧れの人”などではなかったのだ」 編集室のドアが、バタン!とあくと、(画面はカラーに戻り)外は恐山だ。からすが舞い飛んでいる。
私「(声)私の少年時代は私の嘘だった」 〈牛〉と呼ばれる少年が唄っている。唄が流れている間に、次の場面がつぎつぎとインサートされる。
 セーラー服を着た○まみれの案山子 唄う牛の大写し。 貧農の家の裏口、忌中の喪のしるし。 畳の上に両足を投げ出し、倒れている○された少女。流れる○。
櫛のはの間から流れる地。 荒涼とした恐山。恐山の地蔵。恐山を流れる雲。群れ飛ぶカラス。 私「〈声〉ててなし子が、村の人たちに祝福されるわけなんかなかったのだ」
 村の中  鴉女「あ、この赤ん坊、アザがある!こりゃ大変だよ。たたりだよ」 農婦「犬でも憑いたんだべ」 草依「うそ、うそ、ただのよごれだ」・・・鴉女「踏み潰しか、川流しか、ともかく間引きしないと、ひどいことになるよ!」
 少年の家 柱時計の振り子の大写し 私「(声)家出についても、私はきれいごとで語りすぎたようだ」・・少年、そっと布団をぬけだし、鳥打帽をかぶる。外へ出ようとして、戸に手をかけると 母親「どこへゆくの?」 少年「(ドキットして)小便だよ」 母親「そんな支度してかい?(立ち上がり)わかっているよ。おまえ、どっか遠くへ行く気なんだろ?」・・母親「行かないで、新ちゃん!母ちゃんを一人にしないで!」 少年「邪魔しないでくれ、おれはもう決めたんだ!」 母親「いんや、だめだ。どうしても行くなら、母ちゃんを殺してから行け!」 少年、その母親と揉みあう。母親、前がはだけるが、かまわず少年にすがりつく。 私「(声)私は手にからみついた母の髪の毛を指にぐるぐるとまきつけた」 少年の家。板の間に横座りになって母親が泣いている。 線路の上を歩く少年。
兵隊バカ「地主のとこの嫁さんか?そんなら向こうだ。山の方へ歩いていったぞ」
必死に走る少年。 少年「あ、お姉さん!(振り向くと化鳥)どうしてこんなところに、汽車はも出てしまうよ」 化鳥「(ほほえんで)今なら、まだ間に合うわ。ひとりでお乗りなさい」 少年「だってそれじゃ約束が!」 化鳥「約束?」 少年「お姉さんは俺をだましたな。・・・この人は誰なんです」 化鳥「この人は、あたしのいい人よ。この世で一番大切な人」 少年「じゃ、おれは・・?」 化鳥「あなたはまだこどもでしょ。大きくなると、いろんなことがわかるわ」 男「おい坊主、中へ入れ!」・・・御堂の中・・化鳥「(声)夢の中で、あたしは何度も田舎へ帰ってきたわ。そして、帰ってくるたび、田を掘り起こした。すると、どこを掘っても真っ赤な櫛が出てきた。村の中の田という田から、死んだ母さんの真っ赤な櫛、血で染めた真っ赤な櫛が百も二百もぞくぞくでてきた。そしてどの櫛も口を揃えてあたしに言った。女なんかに生まれるんじゃなかった。人の母にはなるんじゃなかった」 私「(声)どこから、つなぎあわせてよいのかわからなくなってしまった。私は、二十年前の我が家の近くまでもどってきてしまったのだ」
少年「これからどうするんですか?」 男「旅に出るんだよ。・・どうだ、おまえも一緒に行くか?」 少年「おれも?」 男「二人だって、さんにんだって対して変わりゃしないんだ」 少年「でも、どこへ?」 男「(ちょっとつまる)いいところだ」 化鳥「日当たりのいい空家が一軒あるの。庭には紫陽花が咲いてて、ピアノの音が聞こえてくるの。子供部屋もあるし、広いお部屋もついているわ。もう、誰にも邪魔されることもないんだわ」 男「おい坊主。酒を一本買ってきてくれ」 少年「酒を?」 男「そうだ。乾杯するんだ。(肩を叩いて)門出だぞ、おまえにもすばらしいところを見せてやる」・・・私「どこへ行くんだ?」 少年「酒買いに」 私「おれも、一緒にいってやろう」・・・私「(声)私は二十年前の私と一緒に見届けたいと思った。過去の作り変えには、二人の合意が必要なのだ」
御堂の中!無惨に心中している化鳥と男の二人。・・・
「亡き父の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ」
「吸ひさしの煙草で北を指す時のきた暗ければ望郷ならず」
「惜春鳥」 姉が血を吐く 妹が火吐く 謎の暗闇 瓶を吐く 瓶の中味の 三日月青く 指で触れば 身も細る・・ひとり地獄を さまようあなた 戸籍謄本ぬすまれて 血よりも赤き 花ふりながら 人のうらみを めじるしに・・・影をなくした 天文学は まっくらくらの 家なき子 銀の羊と うぐいす連れて あたしゃ死ぬまで あとつける・・

 この続きはまた明日 疲れた・・。
<1> マフマルバフ ■2003年01月02日 木曜日 21時13分53秒
注 不快な言葉が少し含まれますので嫌な方は読み飛ばしてください。
ある実験的映画のシナリオより抜粋

「新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥」
馬車に積まれた女の死体が、橋を渡ってゆく。三途の川を渡ると、橋の向こうは恐山地獄だ。からすが群れている。馬車の後ろから、学生帽の独りの少年が、風呂敷に包んだ遺品を抱いて、泣きながらついてゆく。
「亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり」
合唱「こどもぼさつ」
さいのかわらにあつまりし みずこ まびきこ めくらのこ てあしはいわにすりただれ なきなきいしをはこぶなり ゆびよりいずる ちのしずく みうちをあけに そめなして ちちうえこひし ははこひし よんでくるしくさけぶなり ああ そはじごく こどもじごくの あ----
「少年の家」少年は板の間に腰をかけて足の爪をきっている。母親は仏壇を磨いている。
少年「(何げなく)母ちゃん」
母親「(ふりむく)ン?」
少年「となりの嫁さん、きれいな人だね」
母親「(気のない返事)そうかい?」
少年「おれの好みだな」
と鼻歌をうたいながら、爪を切っている。母親、仏壇に域を吐きかけて、磨いている。
少年「母ちゃん」
母親「(気のない返事)なに?」
少年「おれ、カワカムリの手術をしようかと思うんだ」
母親「(ギクッとして)何の手術だって?」
少年「(ケロッとして)カワカムリ」
母親「(きわめて深刻に)だれにきいたの、そんなこと!」
少年「だれにもきかないよ。母ちゃんの読んでた「家の光」の付録に載っていたんだ」
母親「(ギョッとして)バカなもの、読むんじゃないよ。(ドギマギして)おまえには、ちゃんと「少年倶楽部」をとってやってるじゃないか!」
・・・・・・・・・
母親「おまえが不良になると、母ちゃんが世間の笑いものになるんだよ」
少年、足に下駄を突っかけてふいに外へ出て行こうとする。 母親、それを追って
母親「新ちゃん!」  少年「・・・」  母親「こんな夜中にどこへ行くの?」
少年「恐山へ行ってくる!」 母親「何しに!」 少年「ちょっと、死んだ父ちゃんに会いたくなったんだ!」
戸をあけて、夜の闇へ。残された母親、急に気が抜けたようになる。
「針箱に針老ゆるなり もはやわれとわが母との仲を縫い閉じもせず」
「たった一つの嫁入り道具の仏壇を義眼(いれめ)のうつるまで磨くなり」
「濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ」
「見るために両目をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし」
恐山
「とんびの子泣けよ下北かねたたき姥捨て以前の母眠らしむ」
「かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭」
試写室
映画批評家「今日はここまでかね?」 私「ええ。後半はまだダビングがに残っているんですが」 映画批評家「きみが、あんな辺ぴな村で育ったとは知らなかったよ」 私「いや、だいぶ、実際とは違っているんです。誇張してありますから」
スナックのカウンター (私と映画批評家が話し込んでいる)
私「ぼくは、いろんな意味で行き詰まっていましてね、自分の子供時代を扱って書いてきたつもりの詩が、実際には子供時代を売りに出した、という感じになってしまった。風土でもそうなんだけど、書くと書いた分だけ失うことになる。書くつもりで対象化したとたんに、自分も、風景も、みんな厚化粧をした見世物になってしまうんだな」 映画批評家「しかし、そうすることによって、自分の子供時代や風土から自由になるってこともあるからね」 私「・・・」 映画批評家「大体、過ぎ去ったことは全部、虚構だと思えばいいのだよ」 私「しかし、書かずにしまっておけば、それは自分の核になったかもしれなかった。先生は、原体験が現在を支えている、とお考えになることはありませんか」 映画批評家「ないね。それは、むしろ首輪みたいなものだ」 私「・・・」 映画批評家「人間は記憶から解放されない限り、ほんとうに自由になることなんかできないのだよ」 私煙草をくわえる 映画批評家「ボルヘスが言っているじゃないか。五日前に失くした銀貨と、今日見つけたその銀貨とは、同じ物じゃないって。まして、その銀貨がおとといも、きのうも存在しつづけていたと考えることなど、どうしてできるものかね」
私「(大写し)ぼくは長い間、夢ということを考えていたんです。たとえば、夜、寝てみる夢の中の自分にとっては現実だった。夢の中での労力は、夢の中の自分にとっては現実だった、とね。だから、ほんとに夢を守ろうとしたら、できるだけ眠らないでいないといけない・・」 映画批評家「(大写し)しかしきみ、夢を計画的に似見たり、記憶を自在に編集できたりするようじゃないと、ほんものの作家とは言えないよ。きみにひとつ面白い問題を出そう。もし、きみがタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、きみの三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在のきみはいなくなるか?」
・・・長い話でありますからつづきにします。楽しみに・・・

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This script written by Shintaro Wakayama.