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私たちの物語 - 仕事・職場・過去ログ No.36
メッセージ数:720件

<720> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 11時52分32秒
私はどうしたいのだろう?
分からないの。
お仕事できそうな気がする。
でも、でも、パニック障害とか知った今は、辛くなったら起してやる!!って言う気持ちもあるの。ばっくんって音立てて、心臓動かして。このやろう、この世界燃やしてやる!!!!!って、怒りね。今まで殺してきた怒り、死ぬほどの思い、とめられなかった父のこと、ずっと家族を慮って生きてきて、理不尽なことを子供や色んな人に言われてされてきたこと。子供の頃から、人の問題を自分のせいだと思って、この世を自分なりにコントロールしてきたこと。

壊してやる。私を壊してやる!!!!!!人びとからは奇異な目で見られる。でもいいの。父をとめられなかったから。私は、何やっても笑われ者の、女だから。
 電車の中で、パニック起しやすいのは、教育実習の校内放送後のあのすごい目で一斉に全校生徒に見られたあの場面と似ているから。逃げられない。それから、大学時代のある男性に、「部屋に来て」って言われて、それを私はこの世界での価値観にあわせたくて、大人になりたくて、付いていって、彼に当然のようにキスされて、これも私は自分なんて間違っていると思っていたから、ふつうの人のようになりたくて、彼に合わせて、どうやるのか分からなかったし、夢みていたようなものじゃなくて、心底がっかりしたけども、何もできずに、喜んでいるふりをした。そんな私に彼も何も感じずにいらだったのかもしれない。舌とか入れてきて、めっちゃ動かすの。もう機械的。気持ち悪い。でも、それさえも頭が知識でいっぱいだから。これでいいんだ。これがあのキスなんだ。ってもう彼にあわせていて。
そういう大勢の動き、流れ、対面する人の思いを汲んで生きてきたから、その流れに抗えないの。あの時も、そう。姉の結婚式。嬉しくない。姉なんかだいっきらいだったから。でも私はこの家族の中で演出しないといけない。それさえも、演出じゃなくて、私自身だと思ってきたけど。家族に嘘つきたくなかった。だからうそつきだと思って生きてきた。でも嘘つくしかないじゃないの。明らかに、おかしいこの家。問題を見ないようにしてきたこの家。父の怒り。母の隠す笑い。おかしいの。おかしいのに、見えないふりするんだ。姉の結婚式に、私は嬉しくもなかったけども、笑わないといけなかった。嬉しい振り。ふつうの家庭ではどういう気持ちにこういうときなるのかを考えながら、そういうふりをしないといけないと思っていた。結婚式の日、母方の叔父と祖母が一緒に新幹線に乗るはずだった。でも私は限界だった。嘘ばかり。でも嘘を好きな家族につきたくない。でも素直に手紙書いて素直な思いを伝えても、をの手紙を父のパソコン(皆共同)の横に「皆も見ろよ!」って置かれてしまう。私は、素直に言った。分かって。でも聞かない。そこには父の見たくない自分の姿が書かれているから。躁の状態を私は当時まったく知らなかったけど、書いてあるんだ。「私が12歳の頃、父がいつも母にひどく当たっていた。なのに、私には〜さん付けで呼んでいた。私のことは味方だと思っていたのかな?今となっては分からないことだけど」そう書いたの。私。22歳の頃。
新幹線に乗れば、いっぱいいっぱいいっぱい噴出してしまうだろうと思っていた。本当の気持ち。殺せなかった自分の思い。そして、だまされなかった思い。噴出してしまう。でも、不機嫌な顔なんて結婚式なんていう、しかも実の姉の結婚式の日におめでたくて、笑わないといけない日に、私は素直な思い、姉なんて勝手に幸せになればいい、あんな勝手な女死ねばいい、だいっきらい、自分の素直な思いいっつも笑っていたくせに!!!!許せない、死ねよ、ぶす、お前のせいで教育実習行く羽目になったし、お前みたいなうっせえ女が私の姉だったから、いっぱいいっぱいいっぱいストレスをいじめで弱っているのにぶつけたおかげで、自信もなくなったんだよ!!!!!!お前なんて死ねばいいって思ってた。新幹線に乗ればほんとの気持ち出てきてしまう。それは殺さないといけないのに。うそつきな女。こんな優しい家族に囲まれて幸せになるはずなのに、私は。手首切ろうと思ってた。もう逃げ場なかったし。あの頃の思いは今でも思い出したくないの。とにかく、私は逃げ場もなく、新幹線に乗らないといけなかった。噴出しそうな思いは手首にぶつける。今までもってきたものすべて吐き出せる、それも誰も見えないところで。手首に思いっきりぶつければいいって思った。吐き出せばいいって思った。逃げられなかった。嬉しくもない結婚式に。逃げられなかった。新幹線で家族や叔父さんおばあちゃんに笑顔振りまきながら、トイレで手首に思いっきりぶつければいいって思って、その日を待っていた。怖かった。ACって自分のこと認められなかったし。ACの自助グループに行っても、変な人につかまりそうで、怖くて怖くて怖くて怖くて。素直に生きられなかった。今の方が、楽なの、あんなに追い詰められていたなんて信じられない。父が自死してくれて良かった。助かった。皆命が大事っていう感じで、私の半ひきこもりも大目に見てくれているから。父が自死してくれて本当に助かった、良かった。父が死んでくれてよかった。よかったよかった。
<719> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 20時28分47秒
息をとめるの。
心臓ばくばくさせるの。
一体どうすればよかったのよおおおおおおお!!!!!!って叫んでいる。父をとめなかったこと。私だって傷ついた。実家に帰ってきたら、すでに葬儀屋のトラックが私の家の前にいたことが。私だって傷ついた。傷ついたよ。走って帰ってきた。あの日。近所の人の見世物を見るような目。好奇な視線。死ってまだまだタブーなことなんだなって実感した。
でも、あの好奇な目は教育実習の最終日の校内放送で私が色んなことを言ってしまった後の一斉に突き刺さる全校生徒の目みたいだった。
姉や母には及ばないよ。だから、泣くことは許されない、この家で。だって、母は眠っていると思って父の書斎に入って、父が首をひもで絞めて亡くなっている姿見たんだもの。血が一杯出ていたって。でもそんな話葬儀の後にはもう聞きたくもなかったから、今も勇気なくて聞けていない。父の死因は隠された。当たり前だけど。そして遠くの葬儀場を姉が見つけて、本当に書きながら悲しくなってきた。父は隠れるようなことする必要もないのに。悪いことしたみたい。私父が亡くなった後、犯罪者を見ているような、笑い者を見ているような、奇異な見世物見ているような近所の視線に晒された。姉が全部手配していた。母は何もできなかった。そっか。今思い出した。祖父がなくなって1年ちょっとで父だったから、同じ場所なような気がしていた。でも、何度でもあの焼かれるあの場所はなれない。なれてくれない。ショックだった。父のこともまた棺おけにはいった父を焼いたんだ。全部。誰だって、人間皆経験することだから、しょうがないけども。それでも、こんなに隠れてやらないといけないなんて。父がどんな姿で死んだか知らないの。だから、想像ならできるし、夢でも見るの。首を絞められている想像が本当の想像のようになって、霊的なものが私に襲い掛かってくるような夢を何べんも見てしまう。息が出来ないの。
 考え事していても、許されないようで、どうすればよかったのよ!!!ってパニックになってしまう。父を助けなかった自分は殺人者だって父がなくなってから後しばらく思ってきたし、そういう視線で近所の人に見られている気がした。
 出したいな。思い思いのすべての思い吐きたいな。
はっきり言って、父が私に本音さらすの拒んだのよ。父は格好悪い惨めな姿私や姉には見せたくなかった。そのくせ私には「Oは分かってくれる」っていう期待の目でも見ていた。
これこそダブルバインドだったんだ。
ねえ、自分に言いたい。パニックになっていいよ。いっぱいいっぱい怖くていいよ。社会に適応することばかり考えなくていいよ。電車に乗れなくなってもいいよ。いいよいいよいいよ。ずっとずっと頑張ってきたじゃないの。私、父を助けなくって良かったんだよ。父はそれを望んでいた?私は父親が自死する前、精神的に死んでいく、社会的に疎外され、死んでいく様子笑ってみていた気がする。でも、そうなる前に沢山あったの。メビウスの輪のように・・・・一部分だけ見ないで。私はずっと持たされてきたの。壊れた機関車だけど、いっぱいのエネルギー使って走っていた、そういう家族だった。
<718> ぺあ ■2007年11月05日 月曜日 20時12分13秒
仕事したいな。でも私、またカバーかけて生きてしまうのかな?
頑張り続けて、意識飛ばして育ってきたから、なんの感情ももてなかった。それがこの世で一番恐ろしいことだと分かった。仕事がなくても学校にいけなくても、友達いなくてもいい。自分が自分の味方になれないことほど恐ろしいことはないから。
<717> アル ■2007年11月05日 月曜日 17時02分18秒
疲れたよ。
毎月異動がある。来月もある。
いつまでも仕事は覚えられないし慣れないし、生活リズムも整わない。
収入だって毎月違う。
どういう職場なんだ。腹が立つ。
<716> 海龍 ■2007年11月05日 月曜日 10時43分03秒
上司との会話の どこにそんなに腹が立ったのか分からない。
「もしやれるなら この仕事をやって欲しい」と言われた。
これって 私の都合を考えてくれている言い方じゃない?
でも よくよく考えれば「いつまでに必要な仕事か」知らされてない。
もしできるようなら詳しく説明するって言ってた。
でも 概略でも分からなければ 判断がつきかねる。
と言うか 上司は 私がそれほど忙しくないことを知っている。
表向き 私の都合を考えてくれているようなフリをして
その実 私を見下し 自分の都合を押しつけていたように思える。

だから腹が立ったのか。
これって 頭にくる自分の方がおかしいのかな。
自分の感覚に自信がない。
この場合 正常な判断ならどう対応するんだろ。

私はただひたすら 黙り込んでしまった。
「どうなんだ。やれるのか」と 追い詰められた気分になった。
「やれないなら(やらないなら)他の人間に頼むぞ」と上司。
これも 私のことを考えてくれているようでいて 私には脅しと感じた。
気分が悪くなり「やれと言われればやります。仕事ですから」と答えたら
「その言い方は厭な感じだな」と言われた。
「私も上司の言い方にはとっくに嫌な感じを受けています」と
言いたかったけど これ以上話をするのがいやなので我慢した。

「もしやれるなら」なんて 回りくどい言い方をせず
「○月○日までに必要な仕事だ」と言ってくれればそれで済んだはず。
その上で 自分にやれる仕事かどうか 私が判断すればいいことなはず。

「対等ではない」と感じたために 拒否反応を起こしたんだと思う。
そもそも 上司と部下と言う関係は対等ではないけれど
人としては対等なはずで 見下されるいわれはない。
もし 見下すほど 私が価値のない人間だと感じるなら
最初から仕事なんて頼まなければいいだけのことだ。

この上司とはもう ダメなんだろうなと思う。
そう思いつつも 会社を辞めることができない私もダメダメだ。
<715> かえる ■2007年11月02日 金曜日 23時41分27秒
今日ほど職場で感情が爆発しそうになったことはない。うちのお店へ来るお客さんの考え方が理解できない。ねえ。ここはコンビニではないんだよ。店員が袋づめをやり始めるまで、明らかにつり銭を出し惜しむ。じいちゃんやばあちゃんなら話はわかるさ。現役で二十円、三十円出すのにそんなに時間かかるんですか?一見主婦に見える貴方はお店の会計でいつもそんなに財布の中を見つめて、たった二円を出すのに時間かけるんですか?ただ単に自分が楽したいからやって貰おうと考えていませんか?そんなに袋づめをしたくないんならコンビニへ行ったらいいんではなかろうか?私はコンビニのバイトをしたことあるから、あそこはそこまでサービスするところなのだと素直に納得できる。でもここはコンビニじゃない。うちみたいな違うお店だって袋に入れてくれないところは入れてくれない。山ほどの買い物をしたおじさんから〈じっとお会計待ってる間に袋入れてくんないの?気が利かないな〉って言われたことあった。でも買い物の量みてどう考えても店員が袋入れるのを強要するのはおかしい。そんなに袋へ入れるのが面倒なら大量に買わなければいいんです。少しでも自分が楽したいなら自分の家族連れてきて嫁さんにでも子供にでもやってもらえばいいんです。列が切れることなく、全てのお客さんにそこまでのサービスできませんよ。ずっとくるくる動きまくるのは無理。お客さんは貴方一人じゃないんです。体が続くはずない。私は機械じゃない。あたり前に全部してもらおうとしているお客さんはきっとこうゆう職種を経験してないから内情がわかってなくてそんな横柄な態度がとれるんだ。みんながみんな姑息で怠惰な考えの人だったら、こっちはやってられませんよ。ねぇ。そんなみみっちくてセコイ演技はいりませんから。どうみても貴女方はうさんくさい。軽蔑しますよ。
<714> ぺあ ■2007年10月31日 水曜日 12時48分50秒
仕事のために受けた試験が合格しました。でも、私今度は面接だけど迷っている。私・・・また毎日電車で通勤?また?もういい加減にしたい。そうして、またまた私は人を救うために奔走する役?精神障害者のデイケア施設なんだ。また、私はそうやって許された中で生きないといけないの。お前はただでさえずるい女だからな・・・人を救え!人の為に使え!人の為に生きろ!ずるいお前の許された幸せだよって。

 私、そうやって生きていくのかな?そうやって、そうやって誰かに遠慮して自分の能力最大限に生きないようにして、誰か辛くて社会的に適応できない人のために、生きていかないといけないのかな?その人が辛くならないように必死で私が盾になって生きないといけないのかな?ずっとずっとずっとずっとそうやってきて。そして大学時代にはそういう事して「すごい」って賞賛される一方で、誰もそういう役として私を見て、頼り・・・最後の日には友人(だと思っていた男の子)に「人を上下で見るから障害者とばっかり付き合うんでしょ?」って言われた。下だと見下して、自分が上になりたいからだって決め付けられた言い方された。ショックだった。でもそうだったかもしれない。上にならないように必死で抑えていたけども自分がどれだけ汚いかって思っていた。賞賛されているけど。でも私は健常者の世界もそういう障害を持つ子の素晴らしい世界、違う価値観、世界の見方も分かる。両方の間にいて、いいことばっかり盗ってしまって、健常者だけの狭い世界じゃない、でも障害者の社会的に生きにくい辛いことも私は知らない。素晴らしいところだけ取って、生きている。本当にどっちの世界も知らない。汚い女、またずるくてもう障害者と全くおんなじにならなければならないって思った。手足使えなくさせようとして。目もみえないほうがいいのかと思った。
 そんな風に生きてしまうんだ。
<713> ぺあ ■2007年10月30日 火曜日 16時25分45秒
 焦って反射的に行動を起すのはいけない。でも、でも、頑張りすぎて生きてきたけど、でもでもでもでもまだ頑張っている。父がいなくなった今でも頑張りまくっている。私は不安で不安で反射的に生きている。でも、何よりも怖いのは、周りから外れること、飛び出ること、誰かの嫉妬をかったり、誰かの心を「私ってだめなんだ」って思わせてしまうことなんだ。
<712> ぺあ(FB注意) ■2007年10月30日 火曜日 00時43分02秒
仕事すべきかまだ立ち止まるべきか迷ってる。もう過去についていっぱい考えるのは終わりにしたい。父のことでもう終わった。助けられなかったし。もう十分なんじゃないだろうか?後は電車長い間乗れないことを説明しないといけないのかな?私はお金さえ稼げればいいや。でも私「選ぶ」ことあんまりうまくできない。選ぶという事は、何かを切り捨てる事。私はそれにものすごい罪悪感がある。私に選ぶ権利はないって思ってる。選ぶと自分で決定権握れる他者に大切にされてもいいと他者に一目置かれるようなふつうの人間になれた気がする。だから、過去のいじめっこや姉に申し訳ない気がするの。特に姉に対しては彼女より少し下で間違った存在として彼女の優越感を保持しないといけないから。私は選んではいけない気がしてしょうがない。私は考えて選んで自分なりの生き方歩むのは姉を下げそう姉に悪い姉を否定する気がする、姉より絶対上にいってはいけないから。
<711> ぺあ(FB注意) ■2007年10月29日 月曜日 18時33分45秒
 今、本当に迷っている。今、働くかどうかで。
私は一応身分はあるんだ。
 でも、それでは収入がないの。
 本当にそれがしたいの?
いや。いや。もういや。いやなの。心を誰かに暴かれるのも。自分が、救世主のようになって、救えるかどうかも分からない人に必死で頑張るのは。そうして、そういう私に「下だと見下しているんでしょ?」だとか、「偽善者」だとか言われるのはもう沢山。いい加減にして欲しい。
 偽善者だと思って責めていましたよ、自分を。でも何で?私があなたがたがこの社会で傷ついたことをカバーしないといけないんですか?何で?障害を持っている人、素晴らしい人もいたし、いい経験にもなったし、違う視点で物事見れたし、普通に付き合えればどんなにいいか。
 どうしてなんだろう?
 私は働きたい。でも、電車の中にいると、潜在的に持っている私の怒り(普段は自分でどうにでもできる歩いている時、逃げられるとき、開いている時は、子供に一人で歩いている子供に殺したくなったり←うまくいえないけど、こういう怒りは自傷でもあるの。誘拐してやる!って思ったり、ひどいことたっくさんしてやりたくなったり・・・勿論そんなことするわけないんだけど、自分のためにね。でもものすごい怒りがあるの。おばあさん見ていても、子供ほどじゃなくても弱いから突き飛ばしてば〜かって吐き出したくなったり。書けないけど、怒りが多分すごいの。自傷が他に目を向けた感じ)が、自分に向くの。私じゃだめ!普通の振りしてどこまでも生きていけるずるい自分が許せないの。私があの時倒れていれば(高校だって本当は心が自傷で辛くて辞めたかった。なのに浪人して有名な大学に入れたの)お父さんが救えたかもしれない。こんなに実習とか色んな場所で恥かいたり、ずっと暗いどすぐらい重いものを引きずって生きなくて済んだかもしれない。あんな教育実習しなくて、あんなこと言わないで済んだかもしれない。中学時代の人のこと非難したりして。私の中のものすごい思いと、父の気持ち心が自分を普通の仮面かぶった、父の躁鬱のようにもならない、一応お薬飲まないで済んで、一応いい大学にもいけて、本当ならば私、精神病院だとか行って経歴に傷あるはずなのに、私はずるいからどこまでも自分をどこかで律して、自分を守って、父のように無防備に生きない、あの子のように無防備に生きない(その子は無防備に生きて、薬漬けになった)私は、普通の仮面をかぶったでも心の底はどす黒い、でも普通に人に変な精神病だとか思われないで生きている、ずるい、普通のふりした汚い女なんだ、父よりもずっとずるがしこい、汚い、だから、精神病にもならない、汚い汚い汚い汚い女なんだ、だから姉のように母のように祖母のようにお薬飲まないでも生きられている、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい一番この家族の中で汚い汚いずるい計算高い汚い女なんだ・・・
普通の仮面かぶって、他者に変な目で見られないで済んでいる、他の人のように純粋で現実に無防備にぶつかっていない、ずるい女なんだ・・・手に思いっきりつめで、「皮膚破れればいい」「血なんか噴出しても」って思いながら、電車の中でつめで手のひら思いっきり刺していた。忘れないでいたかった。この怒りを。電車降りれば、いつでも逃げられる場所では元気で何でもできる気分でいるから。でも、本当は怒っている。もうあの頃の他者の幸せを本気で祈って、願って生きていた人のことばっかり考えて優しかった子供の私じゃもうないの。
<710> ぺあ ■2007年10月29日 月曜日 08時49分02秒
 仕事したい。できそう。できそうだから、また躁のように、自分の中の「怖いよ」「疲れた」「不安」という気持ちを無視して、やってしまいそう。
 私は、他者が「どう思うか?」だけを考えて生きている。
 自分がどう思うか?なんて本当に二の次以上なことなんだ。
 だから、いっつも他者に飲み込まれて、相手がどんなに親切でもだめ。相手の親切に今度は「やっと甘えられる」って漬け込んでしまいそう。私だけのことを考えてほしくなる。
 私、無理してんのかなあ?無理して生きているのかな?私は、無理して生きているんだろうな。無理しかなかったな。
<709> ぺあ(FB注意) ■2007年10月24日 水曜日 18時49分45秒
 お仕事するつもり。でも、迷っている。私は、少しパニックの気があるんだ。正確に言えば、パニックになろうとするんだ。出口のない怒り、どうにもできない気持ち、そうなるしかなかったこと、一斉に学校の生徒、先生から「おかしい人」という目で見られたあのときのこと、そうしてまた必ず怒られて意識飛ばさないといけなくなるあれになるまでの出来事、そしてとめられなかった父の自死。変だと思ってもそうなるしかない、心がそういう方向しか向かない、今までの積み重ね、メビウスの輪のような連鎖。そして、合っていたのに・・・とめなかった、笑ってみていた最後の父と私。
 お父さんの自死。
 とめられなくて。
 電車さえとめられたら、訳分からなくても、世界分からなくても、不可能と思われることを「力ずくで」やったら・・・もしかして変わるかも。だから、電車とか予定された大勢に迷惑かかる電車の中にいると、途端にとめられたら、父のこともあの実習もやめられたかもって思っている。だから、出口のなかったあのずーっと溜めてきたあの思いの出口を姉に「パニック障害」についての知識を得た時に、出口にしてしまえって思った。ずっとずっと周りから、辛そうでこっちが傷つくだとか、気持ち悪いとか言われてきた私の中の鉛のような重たい、すっきりしないとぐろを巻いたもの。
 積み重ね積み重ねきたもの。
 「心的外傷とその回復」という本の紹介を高校生の時に見たけど、「これだ」って思った。私の中の鉛の正体。PTSD?分からなかったけど、私の心と同じようなこと書いてあったんだ。
 あの頃、私の夢は戦争中に従軍慰安婦とされた韓国のおばあさんの家を訪ねることだった。傷ついた人に会いたかった。傷ついてなお、生きている「優しい」人に会いたかった。
 お父さんの自死を私はとめなかった。そう思う。笑ってみていた。本当は、もしも子供だったならば「おかしいよ」って泣きつけたのに。手を握ってあげられたのに。そうしなかった。ほんの少しの差で。お父さんが自死して家に舞い戻って、一週間前に父を見た家のソファの前で、「あともう少し」だったかもしれないのに・・・・うまくいえないけど、本当にもう少しでできたかもしれないのに、永遠に葬った、雲泥の差で世界は変わった、そう思った。
 だから、忘れて日常に埋没してお父さんのことしかとして生きられないもう。とめられない。でもできたかもしれない。もう少しだったのに。子供だったら、もっと私が傷ついていなければできたかもしれないのに、助けなかった。でもできなかった。
 電車の中にいると予定調和に進む現実がある。壊したい。だって、間に合わないけど。でも壊したい。それさえできればお父さん助けられた・・・。
 電車の中にいると、人の一斉に向けられるであろう不審の目も恐怖。今まで溜めに溜めに溜めに溜めてきた思いの出口を自傷して、帰れなくさせたくなる自分を。一生ホームレスやりたくなる。偽ってきた自分。でも現実つかみたくて努力で頑張って生きて、そして人を助けないとって奔走して、意識ぶっとぶくらい実習で怒鳴られ続けた、学校中すべての人からすごい視線で見られた。「頭おかしい」他者の視線こそすべての私には(他者のほうが弱くて崩れてしまうから私はどんな人もその人を肯定するために受容するために生きてきた)、そういう視線で一斉に見られることは「そうなること」だった。「精神障害者」お父さんは自分がこういう風に見られることだけはしたくなかったのかな?お父さんの気持ち分かるよ。劣っている。その人をその人と見ない。精神障害者と見る。見られる。一斉にラベリングをすべての人にされる。そういう恐怖がもしあったならば、私はどうやって父の思いをぬぐってあげたらいいんだろうか?寂しいよ。私に何ができたのかな。
 電車に乗る時、いつも大学時代の大切な友人一人の名前をつぶやきながら(相手を理想化してきっとしているのかもしれないけど)私はお父さんの保護者じゃない!!って叫びながら、父の自死はとめられなかったって言い聞かせながら、乗っている。
 だから、乗れている。でもバランスが崩れたり、大学時代の先生役やってきた男のことを考えるだけで、息が苦しくなったり、どこにもいれない私、息もすえない私になって、急に叫びだしたくなったり、「もうどこまでどこまでどこまで私は我慢して生きればいいのよ!!!!!!!11!!!!!!!」って私の中の私が激高する。そうすると、もうパニックみたいになる。大抵、おさえおさえ大丈夫だけど。それでもそうやっておさえおさえ生きてきたから、何にもならなかったじゃないかああ!!!!!!ってまたイカル自分がいる。おさえおさえおさえ、周りに嘘ついて偽って自傷して、それでこれ。それでこれ。それでこれ。それで父の自死と躁うつ病を知る。ただこれだけ。
 こんな私に仕事できるんだろうか?
 嘘ついて仕事ばりばりのキャリアウーマンになれるよ。でもそれは結局、自分をしかとして、自分の中では泣いたり、恐怖で(それでもその恐怖は他者に悟られればいじめられる材料になるから見せられない)怯えきっている、自傷して現実見ないようにして生きて・・・・それでも外側だけは「正常に機能」しているように演じてつくろって生きた・・・・生きた心地のしなかったあの頃と全く同じになるのが怖い。しかも、そういう私に「もっと自分出せよ!」だとか「OOちゃんは本当の友達一人もいないよ」だとか心配げに遠のいていったSちゃんとか・・・勝手なことばっかり言われたことを思い出す。
 うそつきな私だった。偽ってきた私だった。ずるいって責めるしかない日々だった。家族にうそついている汚い汚い汚い自分が本当に本当にへどが出そうなくらい汚い女だと思って生きてきた、子供の頃。
 仕事したいけど。でも「形」だけ整えてまた自分の中のうずくまって恐怖におののいている子を傷つけたくないの。
 仕事したい。
 でも、せっかく大学卒業しても大企業はやっぱりやめたほうがいいかな。
 この辺のフリーペーパーに乗っているふつうの小さな会社でいいかな。せっかく大学行ったのに、一回も大企業に、ふつうの企業に勤めないのはおかしいかな?私はどうしたいのかな?でも、出張だとか特急電車に乗ったり、新幹線とか無理な気がする。無理やり自分を押し込めて自分をレイプするように無理やり押さえ込んで「ふつう」のふりをあの頃のようにすれば、きっと出来るのだろうけど。それは意識を飛ばして、現実から遠のいて、自傷でもして、現実を遠のかせるの。そしたら、もう自分いなくなるから。そしたら、できるかも。ふつうの人。
 でも、そんなことばっかりやっているから、人から怒鳴られたとき意識ぶっとんだりしてしまうんだよね。喜びも罪悪感になるし。そもそも、「疲れた」とか「いやだ」とか「不快感」とか「危険だ」とかそういう気持ち、自分の中から出るサインも、全部感じないようになってしまう。感じてもいやなもの、相手に悪いものとして、のけてしまう。
 もう、あの頃のように生きるのはいやなんだ。私。
 お仕事、したいけど・・・・やっぱり無理しないで働ける範囲でいいかなあ?
<708> ぺあ ■2007年10月19日 金曜日 18時32分12秒
 私って、何なんだろう・・・。集中力低下しているのかな。全然できないやあ。ふう。やる時になればできるんだけど、それでも私は怖い気持ち、警戒心がすごいあるんだ。
 実習なんか意識が分散してできなかったし。怖くて怖くてたまらなかった。私は、未だに右耳も痛いんだ。でも、仕事したい。仕事して、普通にお稼ぎたいな。やらんとな。
<707> ぺあ ■2007年10月19日 金曜日 18時25分51秒
 もう少しで、テスト受けてきます。心配です。不安です。受かることも落ちることもどっちも心配です。怖いです。でも受かって仕事に就きたいです。一番いいと思える仕事だったし。
 自分傷つけば神様に許されて、少しいいことあるかも・・・だとか未だに思っている、子供思考な私。
 仕事つくために、頑張ります。でも頑張りすぎることばっかりだし、今だ、誰かのために生きることに情熱掲げて生きている。自分のために生きれば、傷つくとか嫉妬とかに怯えきっています。怯える思いを持ちつつ、そいでもまた頑張ってしまうんだろうな。普通にいこう。でもやっぱりものすごい私頑張っている気がするな。まあ、燃え尽きたら其の時は其の時でいいじゃん。やることできる時にやろうよ。
<706> ぺあ ■2007年10月16日 火曜日 21時06分21秒
 介護なんて間違ったかも。でもまあ、まだ受かったわけじゃないし。
下の書き込みしながら、やっぱり私はもう父の気持ちを理解しまくるのはやめようと思った。親が大好きだった、子供の頃。切ないくらいに。
 だから、いっつも寂しそうな、理解できない父を理解したかった。母を守りたかった。姉のいらいらを疑問に感じ、でも理解したくて、自分のせいにした。いじめっ子の言ったとおりに。
 でも、本来自分で責任取らないといけないものに、目をつぶり続けたのは、誰ですか?親でしょう?4つも上の姉でしょう?親でしょう?
 何でも受入れて、いい子はやめたって思うのに、いつも仕事選ぶのでも、やっぱり「可哀想な人、助けを求めている人」を救いたい!ばっかりだ。そうすることで、自分は「許されている」気がする。何から?なんだろう。分からないけど。
 一回働いたところで、すんごい人生をエンジョイしている同い年の子がいた。大学時代は彼氏の自転車で学校通っていたとか、おじいちゃんもおばあちゃんもいて、いっつも色々買ってもらったり、とにかく、人生について肯定的。かわいいし、めっちゃ綺麗だし、だから男性から人気あって、でも、それを遠慮しない、私みたいに魅力抑えようとしたり、女性の嫉妬恐れて、自傷したり、女性の機嫌を損ねないくらいに、女性に対して私はへいこらするけど。その子は「私ってファン多いの。」って笑っていた、すご〜い。はっきりいって、すごい!の一言。かわいくて、元気で、家族も元気、友人多い。こういうことがこの世で許されるんだ〜って私は思った。逆に言えば、私はかわいくて、元気で家族が元気でいい友人も沢山いて、毎日楽しんでいることは、この世で許されていないって思っていたんだな。
 本当にきらきらしていて、うらやましかった。ほんっとうに人生楽しそうなの。嫉妬する女性には、「はあ?」って蹴散らしていた。嫉妬していじめるおばさんには、逆にその人が仕事でひいひい言っているときに、手伝わなかったりしていた。学校時代いじめられたそうだが、逆に、逆手にとって、「今あの子私のこと睨むから見ていて〜」と他の友人に言って、遊んでいたとか聞いた。
 ほんと、うらやまし・・・。彼氏と3年間ラブラブで、クリスマスはいっつも外食していたっていうのもうらやましい。まあ、私の大学では皆ほとんどがそうだった気がするけど。私はいつもアルバイトでカップルを眺めてお菓子の販売していたから。自傷して、魅力そいで、とにかく女の子が傷ついたり、女の子の機嫌損ねることだけが怖かった。女の子にどうしてこうも怯えるのか分からないけど、「あなたよりは下でいる」ことにすべてをかけている気がする。そして、その子が「落ちてしまう」こと、その子が死んでしまうこと(すごく非現実的だけど)が恐ろしくてたまらないんだ。
<705> ぺあ ■2007年10月16日 火曜日 19時43分37秒
 父親のこと、理解できたらよかったな。お父さんの辛さ分からなかったんだな。子供がすることじゃないけど、でも、好きだと、自分を死ぬほど追い詰めてもその人を幸せにしたくなる。父は世話焼きだったな。それでも、色んなことしてもらったな。いつも父が喜ぶことを考えて私生きていたな。寂しい。子供がもし私にできたら父のようにかわいがれるかなあ。父親は無償でかわいがってくれた。私には、精神疾患を持つ苦しみが分からないと思う。分からなくていいんだけど、それでも父と同じような精神疾患持って、疾患てゆう言葉もいやだね。父のこと分かりたいよ。私は、これから介護の仕事につくんだけど、できるかなあ?精神疾患の方のこと何かできるかなあ?社会の目を変えたいだなんてまた燃えているけど、これはまさしく救世主願望。私なんて本とは大したことないのに、どうしてこう世直しさせてやろうと燃えてしまうんだろうな。でもやれるだけやってみるよ。
<704> ぺあ ■2007年10月11日 木曜日 21時33分56秒
 お仕事するために、試験受けることに決めました。あのぎりぎりで出した書類が届いて居たらの話しだけど。良かったのかな?もう一つの場所も受けたかったけど、でも、今の私に特急の列車で出張行けって言われてできるのか分からない。できそうな場所でお仕事やってみるよ。
 人のせいばかりにしてきた。今でも、他者を助けたくて助けたくて、心ががたがた震えるような、その人を助けないと死んでしまうような、不安で恐怖でしかも救世主願望のような自己陶酔の感覚があるんだ。
 やっぱ私みたいなのが福祉の仕事なんて無理なのかな?あ〜あやっぱだめかも。本当に試験受けても受かるか分からないし。また救世主願望ばっかり、「私が今助けてあげるからね」という。
 でも、小学校の頃からそうだった。「OOちゃん助けてくれる」「OOちゃんだけは分かってくれるよね?」そうやって頼られることものすんごく多くて。
 まあ、私は末っ子のカウンセラー役を父に母に姉にしていたようなもんだから。もっと言えば同居の祖父と祖母に対しても。
 でも、同じ環境でも私じゃなければスーパースター役とかになっていたり、したのかもしれない。
 こういう環境で培ってきてしまった。結果、助けることは出来ず、父は躁うつ病を認めずに・・・家族に隠し隠し乗り越えて、自死しちゃったわけだけど。
 でも、父は私の経済援助はいつもしてくれた。姉にも。感謝しないといけない。彼が一番あの会社で大変だったのだから。
 そんなわけで、福祉の道に近いことをやろうと思います。正直怖いです。また偽善者って言われそうだし、自信もない。それに、合ってんのかなんて分からない。あ〜あ、ほんと。試験も大量にあるし・・・・。受かるかも不明だし、私自身怯えきっているけど。
 それでも、15年前に父がうつ病で会社いけなくなったときの、皆の偏見、自身の偏見を変えたい。辛い思いしてきた人がいるなら、今ここで優しいしかも的確で正確なお仕事をして、その人に安心を持ってもらいたい。
 救世主願望なんだろうか?これは。いっつもいっつも人に手助けしては、重いだとか、人を上下で比べて順位つけてみているから、そういう障害者と付き合うんでしょ?って大学時代の友人(もう友人として付き合いたくないけど)に言われた。
 私はずるいずるいって思いながら、そういう辛い人と関わらないといけないんだろうか?
 私の考えは間違っているんだろうか?
 ただ、自分の人生を生きたいだけなの。でもどうしても「ネットいじめ」とか報道見たり、「貧困で餓死する人」の報道見ると、居てもたってもいられなくなるの、不安で「助けないと頑張らねば!」って死んじゃう、死んじゃうって不安で私は恵まれているって父に感謝するの。

 私は不安定なのかな?救世主願望があっても、いいじゃない?そう思うことにした。私はカウンセラー役にされてきたよ。本当にそうだ。でも私じゃなければ、そういう役とらなかったかもしれない。
 いいじゃんって、思う。思いたい。
 本当に自分の気持ちが安定したり、自信持てるとすぐに、人を助けたくてしょうがなくなる。もう餓死者とかいじめとか虐待とか受けている人に走っていって、助けたくてどうしようもなくなる。もう、ほんとうにこれは心がそうしたくてそうしないと不安で不安で世界が私がいないと壊れてしまうようなそんな思いにまでなるんだ。
 人を助ける前に自分を助けなさいって感じだよな。
 
<703> ぺあ(FB注意) ■2007年10月09日 火曜日 23時01分05秒
仕事がしたい。それでもそれでもそれでも耳が痛い。父の自死は怖い。周りの一斉に見る異常な人を見るあの目が一斉に見るあの目は恐ろしい。心は、今でも怯えきっている。怖い怖い怖いって泣いている。どこまで頑張っても父は自死した。どこまで頑張っても皆から「もっとああしろこうしろ」「元気になんでならないの?」人と比較されたり、その人から「社会で適応していけなそう」だとか言われたり・・・・・・
 怖い。生きていること自体怖い。皆から一斉に評価と批判。怖い。何やっても満足されない。何やっても私を待っているのは父親の自死。結局ね。結局ね。結局ね。何やっても実習で意識とびほど怒りをぶつけられるだけ。子供時代なんか、私いるだけで意識とばさないと生きていけないほどの、からかいあざけり、暴力「お前のせいだ」の連呼だった。
 「もっと自分の意見いいましょう」「おとなしすぎます」「もっと自信持ちましょう」そんなことしか教師からは言われない。私のまんまでいいなんてだあれも言ってくれなかった、一番言って欲しかった。私のまんまではずるくて、他の人の暴力を誘うだけの存在だと、学校で有形無形に言われ続けた。私のまんまでは満たらずだと家族の中では笑われる存在、ずっとずっと。おかしいっていう感覚さえ、父の前で殺された。父のプライドに触ることは死んでもいえないことだった。それが私の見たもの聞いたものは否定され続け、自信を破壊していった、運が悪かったのは学校でいじめの標的にされたことで、さらに自分の自信を壊され、自分自身の見方を「汚くて弱くて最悪な汚い他者の責任おっかぶさって当然な他者の暴力のスイッチを触ってしまうような、本当に汚い汚い、いじめられても当然な女」という風に身にしみこむように、思いこまされたことだ。こう思い込めば、他者は人を選んで自己の怒りを発散させようとする他者の、餌食に簡単になった。だから、怖いんだ電車の中でも、弱々しげにいるだけで私の他者の餌食になる、目で分かる、他者のこいつならいけそうという目で。それでも強くなれば、今度はそれだけ周りから反発されて、教育実習のように「いい加減にしなさ〜〜い!」と最終日に言われ、皆に非難と頭おかしいという目で一斉に攻撃受け、ある先生には目さえ合わせてもらえなかった、私のことは気持ち悪くて怖いと思ったらしい、元担任は一緒に食事行こうと言ってもらっていたのに、やっぱり忙しいわとか言われて、私が怖かったからでしょうけど、ひかれたし、他にも中学校時代にいた教頭みたいのもいたけど、すんごい怖がってひいいていたし。大学でもサークルでかわいい女の子と比較されて、お前はばばあで何言ってもいいや、あんたなんかにどう思われてもいいだとか、気の強いわがまま女のふりしていたら、すんごい何やっても傷つかないからって、すごい扱いうけていた。それなのに、そうじゃない自分を持てない、裏切っている感が未だにある私が悲しい。
<702> ぺあ(FB注意) ■2007年10月09日 火曜日 22時47分40秒
 お仕事がしたい。したいけど、できるかわからん。それでも、しようと思う。自分でお金は稼ぎたい。そうしないと・・・やっぱり私は見下げられるんじゃないだろうか。半人前として親戚にも母にも姉にも母の実家にも。
 お仕事したい。それでも逃げられない状況を作られると、「ふざっけんな」と心が怯え、怒り、どうにもならなくなる「どこまでいつまで私は頑張れば言いのよぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!」「もういや、もういや、もういやだ!!!!!!!!」「もういい加減にして」「もう知らない!!!!!」
 父の自死を見るために頑張ってきたのだろうか?頑張ったら幸せになれると信じて言いたくもないこと言いたくもない場で必死に言ってきたのに、あんなに学校という場で傷つけられながらもぼろぼろになりながらも、自傷までして現実世界を飛ばして身を守ってきたのに。何?これが結果?何なのよ。父親が躁うつ病で父親が自死しました。うちの3人しか知らないで。「千の風になってこの辺にいる。でももう何にもいえませんよ」だとかほざくお前も同じなくせに情のないばばあよ、あんた父が鬱になった時なんか、母が祖母の実家に静養させたいって祖母に申し出たら「あんな狭い世間に行ったら、変な噂たつから絶対にだめ!」って言ったよね、てゆうかあんただって同じでしょう?あんただって、同じなのになんで息子の思いが分からないのよ!お葬式にも来ないで!許せない。伯父だって、鬱になった父の話を聞いて「単身赴任ごときで鬱になんかなって弱っ・・・はっ」って鼻で笑って馬鹿にしていた。
 おとうさんが自死した。何のために頑張ってきたんだろう。棺おけに入った父親の死に顔を見るためか?なんだったんだろう?私頑張ったよね?なんだったんだろう?何なんだろう?伯父一家のかわいらしい2歳の赤ちゃん見ても、うちの家族って何?って感じ。あんなに父は兄と弟の間で奔走し、遺産相続も頑張って、祖父祖母の介護に自分の休養期間すべてあてて、生きてきたのに。なんだったんだろう?父の人生。大企業に入って、ずっと比較と競争の世界で。何だったのかなあ?何でこの父の家族って皆みんな人の行動監視しているような目で見て、表面ばっかりいいこといって、でも競争と嘲りばっかり。
 寂しい・・・・・・
 父の自死を見るために私は生まれてきたんだろうか?何なんだろうか?
<701> ぺあ(FB注意) ■2007年10月09日 火曜日 22時35分26秒
 仕事がしたい。お仕事したい。それで履歴書書いているけども、そもそも電車さえ本当は怖いんだ。皆のいらいら一斉に見る目、私のことおかしいと見る教育実習の全校生徒と教師の刺さるような視線たち。彷彿させる。「お前は偽善者だ」という私の友人。ほうほうのていで、ここまで息をとめるようにして、生きてきたのに、「辛い辛いって言わないで!もう其の話聞きたくない」「話しもっと聞きなさい!!」「もっと自分の意見言えばいいじゃん」「こうしなさい、ああしなさい」「何で自信ないんですか?うちの研究室にいたYさんは虐待受けて育った子だけど、自分でお姉さんとお母さんの関係を自分で変えたんですよ!」「お前って世間知らずだ」「社会に適応できなそ〜」「いい加減にしなさい!!!」「ばかじゃん、自意識過剰」(姉)「もっと冗談分かりなさいよ!!」「そんな暗い話しばっかりしていて彼氏もいないだろうね〜」(母)「もう聞きたくない!!卒論で終わらしたって言ったでしょ!いつまで私を悲しませたら気が済むんだ!!!」(母)
 ほうほうのていで、いじめられても、私のせいだと思って、生きてきて、うちがおかしいと思っても、お母さんやお父さんの望むとおり何もないようにして、明るく笑って(表面上だったから苦しかった。それでも彼女たちを私は安心させないといけなかった)生きてきて、不満と怒りを抱えている人にいっつもあたられたり、集団で槍玉にあげられるのが怖くて学校に行きながら自傷して、人からの攻撃にも傷つかないシステムを自分で作って生きてきた。
 それなのに、大学に行っても、こんな風に(昔ほど人格を下に見られ、馬鹿にされ続けられたり、皆でからかわれ役の的になり続けることはサークル以外はなかったけど)それでも、こんな風に過去を言いたくもないのに洗いざらい話して、傷つけられて、勝手なことを事情も知りもしないくせに、友人にも教授にまで言われてきた。いい加減にしてほしかった。心の行き場がないのよ。助けようと思えば、偽善者といわれ、その人が崩れないように私は自分が混乱することもできない。電車の中にいると、過去の言われてきて言葉が洪水のようにくる。どこにもいけない。にっちもさっちもいかない。辛そうな子が前にいれば、私もつらい思い共感しないといけない。それでもそれは偽善。ならば、その子より下になるために、自傷しないといけない。そうすると、私と同じように共感しやすい子が今度は私のせいで傷ついてしまう。知能遅れたような子を見れば、やったってお前思っているんだろう?ってあの友人の声が聞こえる。人を上下見ないほうがいいって。あなたは偽善者だって。でもだからって辛い思いしてもお前は何やっても何やってもお前は許されない、ずるいずるい汚い存在なんだって言われてきた、学校時代其の言葉が私を苦しめる。
 どんなに頑張ってもどんなに言いたくもない、見たくも無い過去も、世界を理解して、いつか家族とももっといい関係築けて、幸せになるために、頑張った。それでも教授には「何で?自分で変えなさい。何で自信ないのいっつも」って言われ、教育実習では子供にやっぱりつっこまれ役になったり、それだけじゃない、担当の先生に「いい加減にしろ!」と怒鳴られ、昔の中3のときの担任には「あの頃と全く変わってないね」だとか、他の同級生の名前挙げられて「あの子はえらいだ」の「あいつは子供もちでのみなんか行ってもうおばさん」だとか「あいつに来てもらえばいいじゃん」とかいっつもお気に入りの子の褒め言葉しか言ってくれないし。
 何やっても何やっても結局、皆に勝手な事ばあばあばあばあ言われ続け、それでも他者を助けるために奔走し「あなたにはわかって欲しいんだよね」とか分かるはずもない障害の世界を「理解しろ」って言われ続けて、私の当時はわけの分からなかった家族に精神障害がいる・・・世界なんか理解もしてくれないくせに、皆勝手な事を私に要求し続けて。
 「あんたと私の彼氏どっちが先に元気になって浮上するか?」だとか言われてもきた。「彼氏の方が先っぽい」だとか、ほんと勝手なことばっかり。ひどすぎる。ねえ、あんたが私の話し聞いてくれたのはありがたいけど、あんたは私のこと物だと思っていたようね。許せない。
 何やっても何やっても何やっても結局父の自死を見るだけだった。そんな気がして。働きたい。それなのに、頑張り続けて、自己に嘘つき続けて生きてきて、履歴書に立派な言葉並べられるけど、変な経歴なんて何もないけど、精神的に自責感と罪悪感しかなかった高校時代も中退もしないで生きてきたけど。
 それでも、電車の中に入れば、あの頃の実習の先生の怒りと一斉に私を見るあのいぶかしげな目、恐ろしい。学校、否定され続けたことが湧き上がって、自傷の世界に行きたくなるんだ。学校は恐ろしい場だった。恐怖だった。子供はとっても怖かった。でも、大学でも散々勝手な暴言吐かれ続けた。
 そうじゃない部分もあるけど。

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This script written by Shintaro Wakayama.