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私たちの物語 - 仕事・職場・過去ログ No.33
メッセージ数:660件

<660> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 11時53分45秒
もしもこの家から働くのであれば、私はきちんと家族と境界線を作って、自分の居場所をここではない、別の場所に持たないといけない。そして、会社つとめはほんとはしたくない。逃げたくなるの。定刻どおりの電車の中から。学校や家に帰らないといけない子供時代、逃げられなくて、それでも子供だから「あなたのお子さん、泣きながらあそこで歩いていたわよ。一人でいたわよ」なんていわれないために、一人で隣町に行って、泣きたかったけど、それでもできずにトイレで声を殺して、家族が帰る時間を確かめながら、「元通り」の顔にいつでも戻れるように、涙だけ流して泣いていたあの頃を思い出した。私は子供だから、逃げられないな。この家族の中で「良い顔」だけ見せてしか生きられないな。ここしかなくて、学校ではまた私にレッテル貼って仲良いけど、気まぐれにからかいをエスカレートさせて皆を巻き込んで私をさらし者、笑い者、汚い者として「ストレス発散」してくるような子供たちしかいなくて、いじめられっこというレッテル貼られないために周囲に気を使わないといけない自分がいて、私にはここしかなくて。日記に自分の思いを爆発させるしかなくて、誰も私が本当に困った時には誰も誰も一人として私が相談できそうな人はいなくて、それでも周囲は見ている「目」だらけで。私今日スーツで近所を会社行かず昼間ぶらぶら歩きながら、あの時はこうやってぼーっと歩くこともできなかったって思った。ずっとずっと「恵まれている」けど、逃げたかった、寂しかったって思った。
<659> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 11時43分57秒
続き
私は満員電車で会社勤めをするのはいやなの。子供の頃からいやなことはいつも我慢だった。我慢して我慢して我慢して、現実をとばして、人から言われたこと全部飲み込んで、それでも不満な子に対して「悪く」思ってきた。母には高校の頃学校行きたくないと言ったら「逃げるのか!!」って言われました。父に人が怖いって言ったら、すごく怯えられました。私には私の思いを受け止めてくれる場所なんてないの。私でさえ忘れてきた。でもこのまま行ったらいつか絶対におかしくなる日くるだろうなって予感していた。だから意識的に、レール降りたよ。休めるような環境をつくりつつ、世間的な目では浪人生とかしてたよ。でも友人なんていなかったよ。寂しかったよ。
今日思った。もうこのばか家から会社まで定刻に通うのはもう嫌なんですよ。いやなの。もう固い石を「おいしい」ものだと思わされて、飲み込まされるのは嫌なんですよ。もし会社勤めするならば、一人暮らしかできるかわからないけども寮で。ここから父と同じように働いて、母に世話焼かれるのも祖母の顔色伺っていつも元気になってもらおうと話しに付き合うのもいやなんですよ。
<658> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 11時34分36秒
また降りてしまった。家に帰ると、「良い娘、良い子」。でも電車の中にいると、あの頃の逃げられなかった思いが湧き出す。決してパニックではないけども、それでも、家族への「本当の」思いが湧き出すんだ。また教育実習でのこととか。姉からいつもばかにされることを言われてひどく傷ついたこととか。だから、また降りちゃった。乗ってしまえば平気だけど、子供の頃言われた「裏切り者」とかを自分に私は言っているのね。レッテル貼りばかりのこの社会がつくづく嫌になった。正直に書くと、私には「書く」ことしかなかった。家族の中に居ても私は「営業」用の「顔」しか見せられない。子供の頃から「営業マン」だ。問題ないことを一番だとするこの家族の中で、私も頑張ってきたんですよ。外目には「裕福でそこそこのお嬢さん」でしたでしょうけど、いつも営業してたんですよ。父も頑張ったかもしれないけど、私も頑張ったんですよ。子供でも、学校の中で常に「カウンセラー」役をどの人にもして頑張ったんですよ。今でもあの頃のレッテル貼りの雰囲気が怖い。私にはいつも「おとなしい」「まじめ」「何されても何にも動じない、何やってもOKの子」「からかわれやすい子」のレッテルを貼られると、私はその人の期待を裏切ることができなかったんですよ。それでも先生のお荷物になりたくもないし、問題児のレッテルだけは嫌だったんです。それに、私の小さい「辛いこと」なんて、この場では「くだらない」ことだと思ったんですよ。本音は日記の中だけ。
<657> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 01時32分48秒
ずっと何ができるかより何をしたいかにこわだわってきた。現実生活では、サッカーをやっているのに将来の夢は野球の選手を言っているみたいだ。夢を持つことと、実際にその職業につくことは違う。その仕事に就けるかどうかは、雇用者が判断することだ。自分が決めることではない。つまりその職業における能力とか資格とか、あるいは自分が何を貢献できるか、更に欲を言えば、自分がどんなヴィジョンを持っているか・・・長い間教職に固執していたから、路線を変えるのはかなり厳しい。というかそこまでまだ考えていない。とにかく教職から少し距離を置けるようになったことが今、一番の収穫だ。
<656> アーネスト ■2007年07月12日 木曜日 03時38分31秒
自分が教職に就きたいのか、母親との関係から切り離して考えたい。今すぐには難しいけど・・・
<655> アーネスト ■2007年07月12日 木曜日 03時06分30秒
将来に夢など持っていなかった。小学校の文集には真剣にヤクザになりたい、と書いた。今望むのは生活に必要な収入を得るための仕事。あとはゆったりとした落ち着いた時間。
<654> アーネスト ■2007年07月12日 木曜日 03時04分09秒
僕が教師になろうとしていた(敢えて過去形で記す)のは母に許されたかったからだと思う。ものすごく張り詰めた中学時代に、どうやったら母親に許してもらえるか、そればかり算段してた。母親は俗っぽい世界が嫌いだったし、PTAや子ども会が大好きだった。そして僕の知る大人と言えば教員くらいしかしなかった。そういうごく限られた条件(母の怒りに触れないという条件だ)や選択肢のなかで ―といっても最初からこの選択肢しかないことに非常に大きな寂しさを感じるが― 選ぶしかなかった。4年前に教員採用試験向け予備校に通っていた時期から教員に向いていないことは気付いていたが、どうやってそこから離れればいいのかわからなかった。離れようとすると、ものすごい不安が襲ってきたのも、今では少しずつ納得できるようになっているように思う。母の怒りに触れたくないという強い思い・意志が一人の人間をここまで変えてしまうのか、と思うと正直、怖い思いがする。が、僕は本当に切実だった。死活問題だった。振り返れば馬鹿馬鹿しく思えるが、その当時は切実な、極めて深刻な問題だった。 僕には何かを教えることに喜びを感じないし、子どもが嫌いだ。こんな人間が教員になれるはずがないのだが、表面的には子ども好きを装ったり、教育に関心のあるフリをするのも辛かった。そのたびに自分のことを偽善者と攻めた。そもそもずっと自分が教員になりたい理由が、わからなくて辛かった。底つきをする前は、それを疑うことはなかったが、底つき後は辛かった。僕の人生が完全に形骸化していることに気付いた。表向きはなんとか保っているもの、風ひと吹きで飛んでしまいそうなもろい夢。夢が崩れそうになると、必死で言い訳をした。自分の恩師に関するエピソードを無理やり持ってきて、志望動機を答えた。自分でも不自然なことをしていることに気付いたが、止められなかった。免許を捨ててよかったと思ってきている。俺はずっと苦しかった。

<653> ぺあ ■2007年07月08日 日曜日 23時26分17秒
就職活動の自己紹介欄に、「友人にどう見られるか」という欄がある。また「友人は何人いるか」等。友人にどう見られるかを意識しすぎる時と全く意識しないで、思いっきり自分をさらけまくって過去のトラウマを浄化させようと躍起になる時と両極端で、ある。また、「心配そうな人」「頼りない人」「明らかに助けが必要な人」を「助け、助言し、自分を彼女たちのために『貶める』」こと=共依存だね、ほとんど。をしてきた私に残った友人はあまりいない。ずっと連絡取り合う人はいない。学生時代の友人で残っている人はほとんどいない。なんて書けばいいの?私は心配されると、すごい支配されたように感じるし、なんか自分の心をいつも彼女の友人であるためにいつも見張っていて、苦しくてお腹痛くなったりする。また、過去の心の傷がやっぱり時々ものすごく痛むの。いじめられた、じゃあ今度は弱みを見せるこの子をいじめてやろうと思ってしまうこともある。また弱みを握って、自分が必要な時に逃げなくさせたり。自分の心を支配するのが一番つらいな。嫉妬感じないよう=感じたら彼女をものすごく傷つける、私のために幸せあきらめてしまうかもという非現実的な杞憂、または相手の人間的な強さを信じられないこと。自分のものすごい怒りが・・・以下同文。この人を逃したら私は一人ぼっちの寂しい子だという感覚も大学時代はもろにあったね。それは薄れてきた。学生時代以外でもどんなところでも人といい関係って創れるから。でもその人に自分の全く友達いないようすを見られるのはどう思われるのか、怖いな。
<652> ぺあ ■2007年07月07日 土曜日 22時55分21秒
この仕事をして、将来何か自分に役に立つかと考えると、あまりにおこがましくて、頭の中が少し混乱するんだ。そんなことお前に言う権利あるのかみたいに。また自分はどんなことにも「選ぶ権利」があると思えず成長したので、こうだって自分に有利に働くように考えると、すごく気持ち悪い男の人で私に迫った人たちが頭の中に上ってきて、この人たちを切り捨てる気分になる。切り捨てたら私は私の人生を歩くということで、今の自分を思いっきり凌駕する気分と、少しの罪悪感がのぼるのだ。私は自分の有利に働くように、お仕事選んでも良いって思って行動したい。
<651> アル ■2007年07月04日 水曜日 03時24分31秒
面接でよく聞く言葉。

「新しい風を入れたい。」

面接担当者がまるで自分には関わりがなく他人事のように言う。

自分達が今までしてきたことの全てが間違っていたと素直に認めることから何かが始まるだろうと私は思う。
その作業なくして彼らの言う「新しい風」は望めない。

「新しい風」は常に吹いている。どこの職場にも吹いている。
それに気づかず、気がつこうともせず、新しいことを拒みそれまでの古い慣行をかたくなに守り続けている。

それに彼らの求めている風は「自分達にとって都合の良い風」のことではないのだろうか?

そう思えてならない。
<650> アル ■2007年06月30日 土曜日 01時57分00秒
ようやく自分の考えがまとまった。

今まであまり気の進まなかった資格を取って、全く違うわけではないが別の職種に就くことにした。
これまでと違い、腰にあまり負担のかからない仕事に就いて生計を立てながら勉強をする。

だいぶ時間がかかったなあ、ここまでくるのに。
自分のしたいこと、これまでの経験、経済的なこと、年齢、身体の不調、ACであること…。自分を納得させるのがとても苦しかった。

でも、これが私にはベストだと思う。
私は独りで暮らしていくのだから、しっかりしなくては。

こうして気持ちが決まりことが決まると気が軽くなったような気がする。
あとは、計画を立て実行していこう。あわてずに。

独り暮らしはさびしいけどこういう時はよかったなあと思う。
実家にいたら「何でもいいから、早く仕事に就け!」と年中わめき散らされ急きたてられるから落ち着けないんだ。
<649> アーネスト ■2007年06月29日 金曜日 00時33分24秒
就きたい仕事に対して、ずっと「あれが足りない」「これが足りない」と自分をしかり続けてきた。そしてその後には、どんよりとした自己憐憫の雲がやってきた僕を滅入らせた。本当にくだらないことをやっていた。備わっていないものに対して恨み続けてきた。職種を変えようとは思わなかった。もう小さいころから「それ」と決めてしまって、「相応しい」性格を演じようとしてきた。その結果、生活がめちゃくちゃになった。そうしたのは僕が自我の確立ができていなかったからだと思う。すごく苦しかった。
<648> とら ■2007年06月27日 水曜日 21時02分45秒
今日も新聞配達と人材派遣の仕事をやった。人材派遣は日払いなので、その日に集金できる。だが、自分の行くところが決められないのは辛い。今日はある大学の研究所の構内の引越しだった。そこにはある運送会社のバイトとして派遣されたのだが、人使いが荒かった。最初は真面目にやったが、後半は結構手を抜いた。出ないと体力が持たない。この運送会社の社員は仕事を仕切るのが下手で、俺が仕切ったほうがいい感じがした。俺は最初は怒られた。要領を得なかったからだ。だが、午前中に要領がわかった。午前、午後と、ほんのいっぱい詰まったダンボールをひたすら積みつずけた。えらいときは同僚に手伝ってもらった。昔の俺なら全部自分でやるだろう。だが、同僚に助けを求めるのは悪いことではない。こうして今日を乗り切った。ああ、眠くなってきた。おやすみなさい、ZZZZZZZZ
<647> とら ■2007年06月26日 火曜日 22時35分29秒
新聞配達は結構気を使う仕事だ。配達をミスれば、店長に怒られる。そうでなくてもドジなんで、いつも心配される。精神的不安定なときがあって、そんな時にドジるようだ。店長はすぐにフォローする気持ちでいるらしく、俺としてはとても情けない。自分としては最善を尽くしているのだが・・・・・

 上に加えて、ある人材派遣の会社に登録して週二日働いている。ダブルは結構きつい。泣きたくなるな、だけど、この会社に正直に言っているので、うまく調整してくれるし、選ばせてくれる、この会社の担当者との関係は良好だ。真面目に取り決め道理に電話を入れるからだ。仕事前には必ず、打ち合わせに行く。こっちのほうが、新聞配達より楽だな。本業が一番楽かな。自分が最高責任者だから、いつさぼってもいい。でもワンサカやることがある。営業、業務、経理、支払い、掃除、その他。3つの職場はそれぞれいいところと悪いところがある。でも、この3つをできることに感謝している。自分自身とそれを支えてくれる皆さんに。
<646> アーネスト ■2007年06月26日 火曜日 01時47分53秒
希望の仕事とそれに必要なスキル。そして現在の自分のスキル。その2つにどれだけの隔たりがあるのか正確に客観的に把握できていない。場合によってはあきらめるのかな。とにかくそれを知りたいから、棚卸しをしてる。
<645> ペア ■2007年06月20日 水曜日 11時40分45秒
 これから就職試験を受けるために勉強中です。でも4月から私まだまだ心理的に不安定なのに働けるの?って思います。働いていいの?ACだし、身近な人を亡くしたばかりだし。ACは回復するまで布団の中で寝てなければならない。ミーティングに出てカウンセリングに出て回復せねばならないと思います。こんなのも思い込みだよね。ACの人って実は社会で働いている人多いよね。試験に向けて毎日勉強です。時々、不安になります。毎日同じこと繰り返しています。私って頑張りすぎてここまでたどり着いた。身分もある。でも、頑張りすぎていつか爆発するのを沈静させて生きてきた。大丈夫なようだ、でも私みたいなのが働けますか?皆回りは健康な人だらけです。そして、不健康な人は私にすがりついてきます。
<644> なずな ■2007年06月19日 火曜日 23時25分10秒
 働くのは大変だ。私のように色んな制約があってハンディを抱えがら働くのは特に。
でも自分の安全を確保するために働いている。でも毎日虚しい。

 母に怒りがわく。恵まれた専業主婦だったくせに、父の文句を垂れ流していたこと。
 働きたいのに父が働かせてくれない。
 この歳になって働くとこなんてない、洗い場でもしろっていうのか?!

 などその時々によって支離滅裂なこと言って当り散らした。
 病気だね。
 
 子供に赤裸々に文句垂れ流して、でも父のお金は自由に使えてたのに最低だ。

 幼い私に、父と母の不仲を見せ付けてまるで私に罪があるように愚痴を怒りながら垂れ流したこと、それが罪深いよ。

 自分の問題を小さな子供に垂れ流すなんて最低の行為だよ。
 だから私は母を尊敬できない。なんでも人のせいにいして自分を見つめようとしないから。

 母が未熟なのは頭では理解できる。でも刷り込まれた罪悪感は消えないよ。
 やっぱり謝ってほしい。殺したいぐらい怒りがわく。
 だって私の自尊心を粉々に殺したんだから。

 この怒りはいったいどこへいくの?いつまでも自分の中にしまったまま?
 苦しい。何もかも嫌になる。

 先が見えないままただ働いてる。疲れた・・・・。
 
 
<643> アル ■2007年06月13日 水曜日 14時44分06秒
まだ考えている。
現実を見なければならない。自分にとって最善の方法はなんなのか。

相手を悪く思うことが多いいけれど、自分もまたそうであることを忘れてはいけない。未熟な部分がACである分人より多いのだから、知らずのうちに相手に迷惑をかけていることも多いはずだ。それが自分のどの部分なのか知り直さなくてはいけない。

相手のことをどうこうするより、自分の方が先だしそのほうが話が早いだろう。

近所の職場でもやっていくことは出来ないのか、自分が気持ちよく仕事ができる方法はないのか、もう一度考えよう。具体的に書き出してみよう。
<642> アル ■2007年06月11日 月曜日 02時16分42秒
仕事を辞めてからしばらくたつ。
休めたような休めなかったような…。
もうぼちぼち仕事を決めなきゃいけない。

私は仕事の目標とか方向を見失っている。だから、職場はたくさんあるけれど、どこへ勤めてもまた同じことを繰り返すような気がしてしょうがない。
入職してすぐに現場に幻滅し、業務にも人にも嫌気がさしてやる気が落ち込みイライラしながら毎日無為に過ごす。自分にはどうにもならない、改善なんかできない、あきらめが肝心と自分に言い聞かせながら仕事を続けてみるが、そのうち我慢に耐え切れず辞めることになる…。

小さなことだがこの歳になっても仕事でどうしてもあきらめがつかないことがある…。

他県で勤めたいとこがありちょうど今募集をしている。やってみたいが以前同じことをしてやっぱり離職してしまった。またそうなるのではと心配になる。
でも、今回は以前のとは職場の状況が全く違う。今度はきちんとした指導者がいる。その人の仕事に対しての考えも老人に対する気持ちもわかっている。建物の中の様子もわかっている。こんなにいいところはない。

もう10年も前ならすぐに応募していただろうな…。
この歳で遠方への転職を考えるなんておかしいと面接でバカにされるんじゃないかと気が引けてしまう。その指導をする人のことを尊敬しているからなおさらで。しかも、私はAC、人と関係を築くことはかなり難しい…。最近は自分の身体や心の調子が落ちたような気もするし。

近所の職場に決めるにはあきらめをつけなきゃならない、でもどうやって?
遠方のにするのなら、難題がいろいろとある。弱っている自分にそこまでのパワーが出るかどうか…。
踏ん切りがつかない。

<641> アーネスト ■2007年06月04日 月曜日 11時17分56秒
前の仕事を通して学んだことは、たくさんある。
計画を立てるということに関しては、まだ苦手だが、ようやく日々の生活に取り入れられるようになってきた。それから、職場では大量の封筒を使うことを学んだ。書類の管理に、僕はかなりの問題があるのだが、封筒を使えばいいのだということもわかってきた。書類などフラットファイルか、クリアファイルに入れて保管しておくのが当たり前だと思っていたが、そうではなかった。分刻みのスケジュール(うわぁ・・・あのくそ忙しい日々を思い出すと吐き気がしてくる)では、悠長にファイルに保管しておく時間などない。だいたい、すぐ使う書類だったりすると封筒に入れてしまった方が断然早い。

僕のデスクはいつも書類でごった返していた(思い出すとすご〜く恥ずかしい)。書類整理だけのために、休日出勤したこともある。そのときは、ありったけの書類をファイルにごちゃごちゃに入れていた。

今、とあることで、書類の整理をしているのだが、職場での経験を少しはいかせているのかもしれない。

初めての、まったく未知の世界だったフルタイムの仕事。今でも思い出すと恐ろしい。でも、少しずつ振り返りができつつある。やっぱりやっておいてよかった。痛みは、かなり高くついたが、学んだこともあったし、次にフルで働くときの自分のコンディションの持って行き方もイメージできると思う(?)から・・・自信は今は全くないけど・・。

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This script written by Shintaro Wakayama.