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私たちの物語 - 仕事・職場・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> かりん ■2005年04月26日 火曜日 00時16分47秒
 学校時代に1回、職場で2回いじめにあった。いじめられる体質なのか?こんなに我慢してるのに。私はずっと自分が嫌いだった。暗くて苛められやすい自分を、すぐ人間関係で落ち込む自分を。 
 職場で3回目のいじめにあっているが、今までとやり方を変えることができるようになった。私は私が好き。私は幸せになれる。いじめられている自分でも好き。落ち込んでいる自分でも大切。 
 やっと分かってきたのは自分のトラウマのルーツは「嫌われる」と親に言われ続けたこと。今思うとそれって強迫観念で、いじめられても、どうしても自分が悪いと分析して反省しちゃってた。嫌われること嫌さに言いたいこと言わないで、好きなことやらないで我慢してた。だからいじめられたし、何度もそれを繰り返す羽目になった。自分の悪いところばかり探して、我慢して自分のせいにしさえすれば「嫌われないで済む」。自分のしたいようにすると「嫌われる。」いじめている当人を非難することすら「自分にどこか悪いところがあるのでは?」と思うような人間だった。好き放題やっている人を見ると不公平だって心のどこかで思ってた。
 分かってすっとした。随分私のインナーチャイルドは苦しんできた。今は、自分のあらゆる感情を受け入れて生きていきたい。人を嫌うことだって、自分に許していきたい。
<279> kitten ■2005年04月24日 日曜日 23時38分47秒
面接が苦手だ。審査されると思うと、表情がかた〜くなり、発言もどうでもいいようなことばっかり。たぶん表情は宙をさまよってるんだろうな・・・

 わたしはたくさんの重荷を背負ってる。それを受け入れながら今の自分で、できる仕事をするしかないんだろう・・・
<278> かりん ■2005年04月19日 火曜日 22時43分04秒
 年度がかわって、いきなり忙しくなった。2年くらい前は暇だった。1年前はちょっと忙しい程度。しかし今年は・・・。
 現在職場のいじめにあっている。自分より大分年上の、じじい。その人は自分ともう一人、気の弱い50代のおじさんをターゲットにしていて、理不尽なことを言ってもやっても、えらい人とか気の強い人、口の達者な人、社交的な人には攻撃を加えない。そこらの識別は全く見事と言うしかない。逆に叩ける人ならどんなに気を遣っていても、平気で憂さ晴らしの道具にする。大嫌いだ。うんざり。それにしても私はいじめられやすい体質というのか、隠しても透けて見えるらしい。あんまり認めたくないが。嫌なものだ。仕事は嫌いだが、結果的に毎日残業して家と職場の往復。暇な人は5時に帰っているのに。不公平もいいところ。これで給料同じとは最低だ。当然ストレスたまって毎日文句言いまくり。年度が替わるまで基本的にこれかと思うと嫌だ。早く死んでくれという感じ。とにかく疲れる。 
 昔はもっと忍耐強かった。自分が悪いという理由を探し出して「反省」してけして悪口言わなかった。随分、利用されてたんだなあ。他人にとって都合よかったんだろうけど自分は全然気分よくなかった。今はみっともなくても、文句言う。潰されたくないから。自分の心は自分で守るしかなって分かったから。
<277> こくーん ■2005年04月19日 火曜日 04時52分44秒
仕事中の自分は、違う人格。
相手によって、人格がぐるぐると入れ替わるような気がする。
仕事が終わって、反芻すると、『あれは誰だ?』って思うくらいだ。
言葉遣いだって違う。違うのにすらすら出る。自分だけど自分じゃない。
そんなことを繰り返すから疲れてしまうのだろうか。
<276> 高齢処女 ■2005年04月17日 日曜日 23時06分59秒
 職場のおやじとおばの話を別のログに書いた折り合いの悪い女上司に相談する。意外にもきちんと話をきいてくれた。確かに頑固な人物で毀誉褒貶あるんだけど、人間一面だけ見ちゃいけないなって思った。この人と友人にはなれそうにないが、仕事には誠実な人でそこは尊敬してる。

<275> こくーん ■2005年04月15日 金曜日 02時29分36秒
<274>に関連して…(ごめんなさい)
元同僚である友人に、やはり仕事の責任を負おうとしない人がいる。
やる気がない、という彼女の愚痴を聞きながら、私の心は彼女と共に働く他の職員の元にあった。
『自分でもわかっているけど、できないんだよね』と彼女は言った。
『「営業」ができなくても、その他のことで貢献できればいいんじゃないの?』と私は言った。
『そうなんだけどね…』彼女にその気がないのは明らかだった。
彼女の『やる気なし』発言を今までに何度も聞いていたからだ。
聞き流せばいいのに、思わず、
『できないの?しないんじゃなくて?』と言ってしまった。
無意識に近かった。慌てて、丁寧に言い直した。困ったことにその無意識の発言が私の心の奥から飛び出した本音なのだ。彼女が、期待していたのは、
『いいよ、いいよ。無理しなくても。適当でいいじゃない』だとわかっていた。でも言えなかった。それは彼女に先輩が重なったからなのだろう。
<274> こくーん ■2005年04月15日 金曜日 02時19分43秒
前の職場は、営業成績をあげることが何より重視された。
職員というものが、『営業のできる人』『できない人』に振り分けられていた。時間をずらしてバラバラで昼食をとる間、その場にいない人がいかに無能か、という会話がなされることもしばしばあった。
新人だからしかたがないのだ、と思いつつ、自分が昼食のために席を外している間、どんな中傷がなされているのだろう、と怯えた。
『営業ができる人』というのは、そうなるように生まれ、そうなるように自信を持って人生を送ってきたように思えた。積極的に相手に挑み、落とす、そんなことが自分にできるようには思えなかった。
それでも、『使えないヤツ』とあちこちに広まるのではないか、と思うとコワくて、かなり無理をした。実績をあげれば、責任が増え、先輩の転勤なども重なって、ストレスはたまる一方だった。
私にトドメを刺したのは、『できる先輩』ではなく『できない先輩』だった。
責任を負おうとはせず、我関せずを貫いていた。その人の責任まで背負い、とうとう働けなくなったとき、心の中で少し思った。
『どうして、彼女のように、開き直れなかったのか』と。
…でも、多分、今でも私はそれができないのだろう。
(自分の中では消化できていたつもりですが、やはり人事異動の季節になるとその人のことを思い出してしまうようですね…)
<273> 高齢処女 ■2005年04月14日 木曜日 23時34分12秒
 別の欄にも書いたんだけど、私は悪い子ではなかった。つまり、まともな「子ども」じゃなかった。甘やかされ、文句をいい、怒り、わめく。私は自分にそれを許してこなかった。いつも他人に振り回されて。何か言われると自分が悪いような気になった。人の都合なんてそれぞれなのに。自分に問題があるって思いこむのって癖みたいなものだよね。他人に合わせようと妙な努力をするくせに、自分が快適になるように努力を払う余裕はなかった。小さな子の怒りと悲しみは私の中にまだ残っている。

 この性格は死ななきゃならないだろう。生まれついてのものもあろうが。子どもの頃からせっせと「人のいうことをきけ」って叩き込まれたものもある。逆に好きなことをやれと言われたことはなかった。私は弱々しい顔をしてる。
大概、外見と中身はシンクロしてる。

 明日、職場には本当に行きたくない。けりがつきしだい年休とって休みたい。
<272> 高齢処女 ■2005年04月14日 木曜日 22時19分29秒
 新年度の人事異動で、年配の人と組むことになる。昨年度は若くて優秀だったが今度は逆。動かない。働かない。しかし指示は聞かない。すごいやりづらい。ストレスたまりまくりだ。
 4月になってから自分なりにがんばってきたが、これ以上がんばりたくない。おじさんもおばさんも自分勝手で言いたいことだけ主張する。気を遣いすぎて頭が変になりそう。しかも私のことは誰も気遣ってなんかくれないのにだ。夕食を作る気にならず、ケーキを買い、外食をした。ちょっと贅沢だけどこれくらいは自分に許してあげてもいいだろう。
 すぐ自分が悪いような気になっちゃうのはACなんだろうな。がんばっても嫌われちゃうっていうか妙に間が悪いのもACなんだろう。最近、43年に渡ってたたき込まれてきた価値観が見事に崩壊していく。「正しいことをしろ」「がまんしろ」「努力しろ」だけど、正しい意見がとおるわけじゃない。大概の人間は正しいかどうかじゃなく虫が好く、好かないで人を評価するように思う。
 落ち込んだら@ありのままを受け入れるA落ち込みに気をとられすぎないようにする。どちらがいいのか分からない。@はつらいしAは無理だ。
 自分の心は思い通りにいかない。他人を思い通りにはできない。他人の思い通りにはなりたくない。
 嫌いな人は嫌い。だけど、そういう人ともつきあっていかなくてはならない。どうやって?自分をそこなうことなく。

<271> アーネスト ■2005年04月14日 木曜日 15時39分08秒
小学校四年の時に,クラス文集に書いた将来の夢は「ヤクザ」だった。でもなんであんなことを書いたのだろう?普段ふざけている友達だって,真面目に書いてた。「デパートの経営者」とか「漫画家」とか獣医、イラストレーター。そして今なんで自分は教師になろうとてしているんだろう?
<270> soulmen ■2005年04月14日 木曜日 01時10分53秒
私はプレッシャーを受けることが耐えられない。
理想の仕事は、言われた事だけやってりゃOKで、別に忙しくても構わないが時間通りに帰れて、給料はそこそこで良い、そんな仕事。野心などというものは、そもそも持ち合わせていない。気楽な仕事が良い。
そんな魅力的な職に就き、10年もやってきたのに辞めちまった。
理由は自分でも良く解らない。時勢から、不安の矢面に立たされ、プレッシャーに感じることが多くなっていたのもある。ただ、今の自分には「なんか嫌だったから…」としか言えない。

子供の頃、公務員とは何か?と母親に尋ねたことを思い出した。
親父によく、市営の温水プールへ連れて行かれた。行くのが嫌で仕方なかった。親父の怒声と平手の音が、静かなプールに響き渡っていたかもしれないが、この辺は、あまり思い出せない。
3〜4人の監視員が、何をするでもなく、ただ座りながらぼーっとこちらを眺めていた。自分の目にはそんな風に映った。
家に帰ってから母に、あの職業がなにかと尋ねた。公務員という言葉を耳にしたのはこの時が初めて。楽そうでいい、こんな仕事がいいと思った。小学校3年くらいだっただろう。

大人になったら何になりたいか言えない子供になったのは、これよりずっと前のことだっただろう。「お前は乞食か犯罪者になる」と言われて育った。
親父が私に申し付けるハードルは、あまりにも高く、幼い自分には無理難題だった。出来なければ、乞食か犯罪者。例えクリヤしたとしても、さらに高いハードルを用意して私に与えたのだろう。決して満足などしてくれないし、私が満足するなどもっての外なのだ。
私に、やる気や根気がないのは、父親の教育方針による影響も多いのだろう。

それにしても、こんな小さな頃から、たいした夢や希望も持たなかったなんて泣けてくる。

今は、高卒から10年も勤めた役所を自分でも何だか解らない理由で辞めてしまった。勤めていた頃は、公私にわたって充実していた。
へっちゃらな顔して辞めた。今も、後悔していないような面提げて生きてる。
でも、本当はあの頃に戻りたい。すごく寂しい。辛い。

<269> こくーん ■2005年04月13日 水曜日 23時02分44秒
実際に対応可能かどうか、ということに関わらず、
急な予定変更、仕事の依頼があると、ピリリとしてしまう…私。
春はそういう事態がやたら多い。なんとかこなせているけど、ちょっと辛い。
でも職種的に仕方ないし、自分が選んだ仕事だし、やるしかない。
大丈夫、大丈夫、と言い聞かせて、なんとか続ける。
<268> krn ■2005年04月13日 水曜日 03時28分18秒
再度非常にむかついた。アンタの望む通りほっぽっといてやったのに今度はそっちから突っかかってきている。だから、ボスの前で徹底的に叩き潰したろうと思った。話が始まった。相手はバカだった。人の批判は100人前にするが、自分のことが何も見えていない。時として、自分で自分をおとしめるような発言をしているが、それにも気づいていない。そうだ。戦う相手じゃなかった。こいつに戦いを挑んでも、何も得るものがない。自分は社会を知っているみたいな顔をしているが、奴は一番肝心な自分のことがわかっていない。自分がどうしたいかではなく、どう相手を負かして自分が気分よくなるか、それを基準に戦いを挑んでくる。これは、乗ったら負けだ。私は、社会や世間というものを知らないが、自分自身を知ろうという意思を持って生きている。もういい、何もアンタに望むことはない。ただ、1つ大きな望みはなるべく早く私の目の前から消えていただくことだ。
<267> こくーん ■2005年04月12日 火曜日 23時53分01秒
相変わらず、仕事の丸投げに過剰反応してしまう。
自己評価が低いから、『じゃ、好きにやっていいから』と言われると途方もない仕事に思えてしまうのだ。書類の束がそのままドッサリと圧し掛かってくる感じ。
ところが、その困難に思えた仕事がやってみたら、2時間かからず終わっていたりする。自分だけで考えたものだから、ダメ出し覚悟したのにOKだったりする。拍子抜けと同時に混乱。おそらく前の仕事で責任を負いすぎて追い詰められた経験が、私のものさしを狂わせているのだと思う。
にっこりと、仕事を引き受けることができない。それが憂鬱。
気軽に引き受けて、それに便乗されるのがコワいとか。
自分にはできっこない。やっても満足してもらえないとか。
歪んだ認識が邪魔をする。
…きっと本当は、何もしたくないのだ。逃げたいのだ。放棄したいのだ。
そう、それがきっと私なのだ。
<266> NAC NAC ■2005年04月11日 月曜日 01時09分18秒
今の職場には派遣会社が3社入っていて、その内の1社Dが今月20日付けで契約解除となり、その補充は新興のK社が行う。
幸い私の属するS社は現状維持で影響は少ないが、半年なり1年後にはどうなっているのか分かったもんじゃない。
そして私のパートナーのAさんはD社なので辞めることとなり、次どんな人が来るのか?
派遣は気楽だが不安も大きい。
<265> MARU ■2005年04月10日 日曜日 22時23分08秒
仕事。
自分の手で稼ぎ始めて、もう20年近くになるのかぁ。
成長してないな。

仕事に、思い入れをし過ぎた。
「食う」事より、「やりたい」事、なんて、思い続けてきた。
辛かったなぁ。

やりたい事で、食えるなんて、幸せな事。
やりたい事で、食う為の、すさまじい努力。
それが私にはできなかった。

お嬢ちゃんでしたね〜。私。
幼い子のまま、ダダこねて、ただ、イヤな物はイヤ!って、振払ってきて。
中年になってみると、ただの、手に職のない、どうしようもない人。

それなりに、ガムシャラに、
「食う」事を優先にした、この数年。
一人なら、何とかなるね。

やりたい事なんて、それは、夢だから、
大事に取っておけばよい。
やれる事を、まず、探して、とにかく手を付けなければ、
明日の米が、もうないんだよ。

それだけの事が分かるまでに、20年近くかかったんだな。
お金の価値、労働の価値って、
ずっとピンと来なかった。
やりたくない仕事で散々痛めつけられて、はした金をたたき出すようになって、初めて、お金の意味が分かった。

お金なんて、大した物ではない。
けど、最低限、なくっちゃ、「大した物じゃない」なんて、口も叩けやしない。
誰も、助けてくれない。

イヤな物はイヤだから。
夫も、稼げる職場も、親も、全部、捨てたんでしょ?
自分で、捨てたんだ。
自分一人くらい、何とかしろよ、私。
それが、ずっと、ず〜っと、分からなくて、
食えない事が、不満だった。
若かったな。

青春が終わったな、なぁんて、思うよ。
<264> 豆だいふく ■2005年04月10日 日曜日 08時34分35秒
以前就職していた時、自分の不安感(自分という地盤ができていなかったんだからしょうがないんだけど・・・)から先輩に可愛がってもらいたくって必死に頑張った。結果として彼女に振り回されてしまい(毎日朝まで飲み会同行、自分の部屋に彼女を泊まらせる、高価な誕生日プレゼントをする等・・・)結果的に「退職」という痛い結果を招いてしまった。私は飲み会(かなり体育会系の飲み会だった)が苦手なので毎日葛藤との戦いでボロボロだった。その頃は他人の目を見ることができないほど疲れきっていた。でも彼女に嫌われたら会社で生き残ってくことはできないと本気で思い込んでいた。まさに生き地獄。けど理由はどうあれ私個人の問題から会社に迷惑を掛けてしまった。今でもこの問題は私にとっても大きな傷を残している。カウンセリングで整理中です。でも今私にできることは「あの時はああするしか方法はなかったんだ」と自分に言い聞かせ自分を許すことしかできない。辛いよね。
<263> ayako ■2005年04月09日 土曜日 15時08分31秒
1日に受けた派遣の返事がまだこない。おかしいので問い合わせしたら、「**さん(私)からの返事待ちです」と言われた。営業と話した時に電番変えてもらったはずなので、どこに架けたか聞いたら前の番号だった。変更されてなかった。結局受かってたから良いものの落ちてたら凄い怒るよ。その後営業さんから電話が来た。
「もー頼みますよ!」と言ってやった。「すいません」と営業さん。仕事は早くて
火曜からになった。この1週間どれ程ヤキモキしたか!にしても前の仕事辞めてから
焦ってた。行動は取れないのだけれど頭がフル回転してた。「何かしなきゃ」「早く仕事見つけなきゃ」と頭の中でずっと回ってた。水曜モーターが切れたみたいになった。今から考えるとかなりマズイ状態だったと思える。依存してる状態に近い物を感じた。前の仕事は自分に合ってなかった。けど働くしかなかった。6月には
今の部屋を出て行くから。まぁ・・結局6月まで居られなかったけど。稼ぐ所で信用出来る人は誰も居なかった。私は職場の人に心は開かないし、相手に期待もしない
。けど辞める時svと話したら彼女は信頼していい人だったと解った。時既に遅かったけど。彼女と色々話した。彼女は上に立ちたくないと言った。自分は工場でベルトコンベアーで仕事したいと言ってた。彼女の中の小さな子どもが見えた。彼女もACなんだろう。彼女の話は「自分が私の為にこうしてあげた」とか押し売りしてた話だった。胸クソは悪いがその恩恵もあったから良しとする。もう終わった事。長い人生の1年の事すぐ忘れる。次の仕事の事をかんがえなきゃね。
<262> アーネスト ■2005年04月07日 木曜日 19時45分27秒
3年越しの実習。思いはいろいろある。まだまだ至らない点もある。でも自分が(卑屈な意味合いでなく)不完全な存在として,あるいは発展途上の存在として今できることを自覚し,やるしかない。誰も助けてはくれない。それでも3年越しの実習はやはり「ようやく,ここに来れた」という喜びの方がでかい。本当に3年前、涙を飲んだというか,唖然としたから。ずーっとここに来るまで戦いだったから。そういう意味も込めて,祝福というか,門出の気持ちを込めて自分を送り出してあげたい。そして楽しめるところは楽しみ,やるところは,やると。直前になったら神社に行ってお守りを買ってこよう、と思う。
<261> kiwi ■2005年04月05日 火曜日 09時33分43秒
仕事は好き。仲間も好き。
なのになんで、気持ちが辛くなっちゃうんだろう?
休憩時間とか、仕事終わった直後とか、うわ〜っ!と、自殺願望に襲われる。
無理してるんだろうか?
仕事量も減らしたし、頑張り過ぎないように気をつけてるのに。
頑張らない自分に慣れてないからかなぁ。
頑張らないのって、つらいなぁ。

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This script written by Shintaro Wakayama.