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私たちの物語 - 仕事・職場・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> MARU ■2003年09月10日 水曜日 22時59分04秒
働くの、もう嫌っ!
今日は、宿酔で、仮病で休んだった〜!
日給1日分飛んだけど…。
36才フリーター…。キツイ。
間もなく1年契約が、切れる。
ホッとしてる。
同じ所に長くいられない。
この職場の(収入の)おかげで、離婚もできたし、自分の好きな事もできた。
さて、次は見つかるのかな…???
1年位、何もせんと、ぼぉっとしてたいけど、
頼る所は、どこにもなし。
一人身を養うだけで、精一杯。
食べてくのって、大変…!

やりたい事は、食えない事。
だから、他で食うしかない。
食う為には、かなり汚い事も平気でやれる。
けど、身が削れてく毎日。時には休みがほしいのよ。
<19> 鯔 ■2003年09月08日 月曜日 20時22分28秒
早く働いて、このひものような生活から脱却したい。しかし、acさんが邪魔をする。いままでのひどい虐待、いじめ、親の自殺。を、やり過ごしてきた割には普通の人間をやっているつもりなんだけど、やっぱり、全否定、全肯定の元で自分はその範囲でしか動いていないのだと感じる。誰か助けてーといいたくなるが、傷つけられてきたのは変えようのない事実その誰かにどんな手を差し伸べてもらったら普通になれるのだ?
<18> WINNIE ■2003年09月08日 月曜日 14時12分04秒
少しでも収入になるような仕事をした方がいいと思うけれど、それを考えるのが、負担で負担で仕方がない。この年で・・・と考えると、恥ずかしい。お金持ちでもないのに、カウンセリング代はかさむし。
<17> しばわんこ ■2003年09月01日 月曜日 22時27分29秒
 仕事がしたい。仕事がしたい。仕事がしたい。
でも私はうつ状態。心が何にもしたくないと言ってる。毎日ごろごろしていたい。
けど、自分で稼いで、自分で食事作って、自分で部屋の掃除して、好きなときに買い物行って、好きなだけ友達と遊ぶ。そんな生活がしてみたい。
 自立したい。
 矛盾した気持ちの葛藤はいつまで続くんだろう。
 もううんざりだ。
<16> ぐるぐる ■2003年08月29日 金曜日 00時55分46秒
私はまともに働けない。いつも短期の仕事をやって、何ヶ月もまた休憩して、また短期の仕事。その短期の仕事さえ精神的にきつい。どんな職場でも最初は極度に緊張し神経質になり、慣れてくると今度はこんなことは自分のやりたいことではない、という事実に押しつぶされそうになる。だからまともにフルタイムで働いている人たちをとてもうらやましく思うし、勤続している人たちのことを本当に尊敬している。大学まで出してもらったのに、卒業後何年もこんな感じで生きてきたこのざまな自分と比べると情けない。
もういっそのこと1年くらいぼーっとして自分の心を癒すことに専念しようって8月初旬で仕事が終わったときに思って、そのためにACのワークブックやここを活用しようと決心したものの、働かざるもの食うべからず、という言葉が頭の中でぐるぐる渦巻く。ACだからうつだから働けないなんてただの言い訳で、なまけてるだけでしょう、だって現にそういう問題もっててもちゃんと働いてる人たちたくさんいるんだし、いい歳をして恥ずかしいよあんた。ともう一人の私が言う。そのもう一人の私は20数年私に辛くあたってきただけあって、私をまいらせるのは得意中の得意である。最近生まれた自分を癒そうとする自分はその女王様には勝てるはずもなく、彼女の声を聞くとしゅんとするだけ。
働きたい。普通に稼いで食べていきたい。なのに何も進歩しない。どうしよう、このままでは生きていけない。
<15> 海龍 ■2003年08月26日 火曜日 14時39分16秒
友人が知らない間に会社を辞めていた。
そして新しい職場で働いていた。
毎日毎日、ただただ会社に行き、淡々と仕事をこなし
金を貰うだけの生活に疑問を感じたんだそうだ。
今の私も同じこと、思ってる。。。
そこにさらに『役立たずの自分』を抱えて
毎日、居心地の悪い思いをしている。

「自分を変えたい。今の生活を変えなきゃ!って思って
 思い切って会社を辞めて、自分のために勉強になって
 やりがいのある仕事が出来る会社を選んだ」

という友人の勇気と行動力に脱帽だよ。。。
私には出来ない。少なくとも今の私には。
新しい職場に行って自分を変えられる自信がないもん。
むしろ、何も出来ない自分を今よりもっと自覚することになって
どん底まで落ち込んで、毎日を鬱々と過ごしそう。。。
今も鬱々として過ごしているけど。。。

会社を辞めるだけが勇気じゃない。道じゃない。
それは分かっているんだけどね。ウジウジだあぁぁ。

勇気!やる気!情熱が欲しい!欲しい、欲しい!!

。。。自分で見つけて自分で手に入れなきゃね。
<14> ひさっぺ ■2003年08月18日 月曜日 21時27分13秒
私は、医療関係の仕事をしています。
でも、本当はその仕事が好きだから選んだのではなく、ハンデを持つ姉ばかりを大事にする家庭で私も親に褒めてもらえる、認めてもらえる職業を選んだに過ぎません。共依存の習慣も生かせると無意識に感じたのもあるかな。
私の仕事は精神科の病の方とも接するので、その過程で、「おや?自分も病んでる
?」って気付いて早11年。だから、自分が調子悪いと、「どっちが患者さんじゃい?」って感じ。
でも、自分を相手の為に奉げる的な習慣が常に仕事でも強化されるので、疲れます。いっそのことこの仕事を辞めて、南の島にでも行きたいなあと思う。でもでも、共依存の習慣が、私をこの仕事に執着させる。

<13> h ■2003年07月30日 水曜日 01時59分31秒
就職なんていったい誰がしろとと決めたのか?人間らしくいられる職場なんてないのか?職場では私は飼い犬同然にあつかわれなきゃいけないの?悪口やうわさ話、そういう心理的ハラスメントがまかりとおっていて、雇われる側は、飼い犬がゆえに、泣き寝入りなの?お金を払ってもらう側、故に、あなたの犬なんでしょうか?
<12> ケイ ■2003年07月27日 日曜日 23時33分29秒
「誰が養ってやっていると思ってるんだ!」
幼いころから、父からどれだけこの言葉を投げかけられただろう。そのたびに、早く大人になって働いて、父が私を養うために使ったお金を、耳をそろえてきっちり返し、自由になりたいと思った。そうなる前に父は死んじゃったけど。ACという課題を私に押し付けて。

20年かかって、ようやくACからも回復しつつある。昔の私と比べると、ずいぶん変わったと思う。でも、まだ逃れられないのが、「仕事の先延ばし」。

フリーランスとしていつまでも働けるよう、もっと勉強してスキルを磨いたり、「付加価値」をつけていこう、と考えている。以前のように、やみくもに人よりできると思われたいとか、ほめられたいとか、大きなことを成し遂げたい、と言うことではなく、ありふれた仕事であっても自信を持って仕事をし、自分が安定して生活の糧を得ていく現実的な対策として。

それならば、できるところから勉強して自信をつけていけばいいじゃないか。時間を掛けて注意深く仕事をし、信頼を得ていけばいいじゃないか。それなのに、私は、やるべきことをずるずると先延ばしして焦燥感と自己嫌悪を募らせてしまう。

先延ばししているときは、「遊びたいけど、仕事(勉強、家事)しなきゃ」と葛藤している。葛藤から目をそらすために、面白くも無いテレビを見続けたり、寝たり、ネットで時間をつぶしたり。思い切って遊ぶことも、やるべきことに取り組むこともなく…。すねている、って感じがする。そして、何もしていないのに消耗していく。

ひょっとして私は、「ダメな私でも愛してよ」と、もう居ない父に向かってすねているのだろうか。それとも、ダメな自分をいつまでも演じ続けようとしているのか。焦燥感と自己嫌悪を感じることで自己処罰しようとしているのか。

とりあえず、こんな情けない自分を受け入れることからしか始まらないけど。
<11> M ■2003年07月27日 日曜日 11時29分25秒
本当に何を目指して仕事をすればいいのだろう。何かをしても褒められるわけではなく、提案すれば余計な口を出すなと怒鳴られ、給与は上がるわけではなく、仕事の指示も出せない上司に感情を垂れ流され。もううんざりだ。
<10> L ■2003年07月03日 木曜日 12時19分25秒
親の職場で働くことになりそうで、それも雇用保険の利かない「専従者」ってやつで、正直言って、職場での周りの目が怖い。
お金を親から貰うというのも、この際仕方ないと割り切ればいいのかもしれないけれど、できるかどうか...。
ずっと前、変な症状が出た。
その頃摂食障害の症状が出ていたから、それも病気の一部なんだろうけれど、自分ひとりで外食するなら(過食・食べ吐きは少し出ても)そういうことはないのに、どうしても実家では食事ができなくなって(母の作ったものを食べられなくなって)無理に食べようとすると、何故か惨めで、涙が出て嘔吐してしまうのだ。
これが「仕事」「職場」とどう関係があるのか、と言われそうだけど、あの時の感覚は、今の感覚に似ているかもしれない。
これからも親の顔を見ながら仕事をするのか...と思うと、死にたくなる。
逃げたくて仕方ないのに。
でも、機嫌を損ねて出て行けるほどの体力・精神力がない。
まず第一に体調が良くないし、出て行くあてもない。
それで、親が与えようとしている「恩恵」を、黙って受け取ることにする。
まず、経済力を持たなければならない。そう思うからだ。
でないと、このままここにいたら、いつかつぶれる。
元に戻ってしまう...。
実際は、元になんかもどらないかもしれないけれど、私は怖くてたまらない。

「でも、親の下で働くなんて...いくら仕事が欲しくても、それじゃ自殺行為じゃないのか?」
「いや、今はこの段階から始めよう。大丈夫。今は、予期不安を感じてるんだ。その場に行けば、何とかなるさ」
「そんな考え方は自己欺瞞じゃないの?対立を避けるための妥協。これ以上傷つかないための屈服。甘え。一人であることからの逃避。何と言ってもいいけれど、とにかく、親の下で働いてお金を貰うなんて、私にとってポジティブなことじゃない気がするけれど」
「絶対的な間違いなんてないんだから...まだ致命的なデメリットが見えてないんだから、とりあえず、職場を確保する方に向かっていいんじゃない?親という対象に過敏に反応して白黒つけなくていいんだよ。とりあえず...で」
「できるだろうか。親といる時間がこんなに息苦しいのに...」
「自分を生かすために、出て行くための手段だと思えば、見えかたも変わるかもしれない。どこで働こうと、自分のために働くんだよ。自分の命を守るために...と思えば、できるよ。きっと」「できなければ、その時考えよう」
「まだ、納得できないけれど...」

自分の中に二つの声が聞こえている。

「人間としての生きがい」とか「自分の人生はこうありたい」とか「こういう仕事をしたい」とか「きれいごと」で飾っていても、実は心のどこかで、とにかく親と関係のない世界、彼らが追いかけて来ないような世界に行ってしまいたい、ということを思っている。
別に追いかけて来てもいいけれど、彼らに生殺与奪を握られない世界で生きたい。
今の私にとっては、「仕事」はそのための手段。
それを見抜いているのか、親は妙にうまい話を持ちかける。
金や物を、やさしい言葉をちらつかせる。
彼らも「見捨てられる」のは怖いのだろう。
でも、うかうかそれに乗ると、今度は安心して支配し始める。
でも、そんな生活、回復つつある自分としては、いつまでもやってられない。
食事の仕方...食事のたびに、この料理にはしょうゆをかけて良いか悪いか、かけるならどれくらいかけるか、ということや、人との付き合い...友人から電話がかかったときの応答の仕方から、パーティに行くときに何を持っていくかまで、全部仕切る。父がテレビを見たいときには、それがどんなにつまらなくても、同伴をしなければならない。つまり、お守りだ。冷房も電気も、父の許しなしには触れない。
職場との交渉まで、勝手に私を飛び越して話をする。そして決めてしまう。
異常だと思うのだけれど、これがこの家の40年間のやり方なのだ。

たまらない、と思うのだけど、親は何かと私が遠くに離れていかないよう仕向ける。
私の仕事が順調だと機嫌が良くない。
彼らの機嫌が良くないと、まだ私は体で反応してしまう。
反射的に彼らの顔色を読んでしまう。
まるで、仕事をすることが彼らへの「不忠実」「裏切り」かのように感じられてしまうのだ。不安になってしまう。
昔から、私が能力を発揮するとか、友人が多いとかいうことに、父母はあまり良い顔をしなかった。
私が情けない無能な人間として存在するほうが、親にとってはどこか心地よいのか?仕事ということについても、親は同じ反応を示すから、その反応に動揺しないためには、こちらにも心の準備が要るだろう。
長い間身についてきた、幸せであること・自分を生かすことに関する「後ろめたさ」を解消すること。

あまり人の棚卸が多いと、削除されてしまうかな。
反省反省...。

とにかく、早く親と関係のない仕事につきたい。
私にはまともな職歴がない。いや、ほぼ「何もない」といえる。
20代はずっと、嗜癖や神経の症状ではいずりまわっていた。
やっと回復してきても、気が付いたときには通常のコースから遠く離れたところに来てしまっていて、特別な才能もないし、年齢制限ではねられたり過去の経歴を見て門前払いをされたりする。
でも、何とかしなきゃ。
「死んだほうがまし」とか「生きている価値がない」という古いテープが心の中で回り始めることもあるけれど、でも、今は私は自分が好きだし、自分の人生にもある誇りをもっている。
この生き延びた大切な命のために、できることをしていく。
していこう。
<9> マフマルバフ ■2003年04月14日 月曜日 02時31分25秒
「職場と生活と隣人と荒んでいた私とねずみの死体」

 01年の3月頃だったと思いますが、私が台所の茶碗を洗って箸などを片付けていて端を一本、食器棚の後ろに落としてしまったのです。普通カタンと音がするはずなのにサクッて音がしたのです。おかしいなと思いながら食器棚を傾けて壁の奥の暗がりをみると、そこにねずみの死体があったのです。下半身は骨でわき腹から頭はミイラ化していました。
私は腰が抜けそうなほどびっくらこきました。粘着式のネズミ捕りの上で身動きできずに死んだのでしょう。仕掛けたのは8年位前で一匹しとめて処分して、その後ねずみの被害はなく忘れていました。
ねずみの死体はものすごい臭気を放つそうですが、私は台所の横にいてもまったく気づきませんでした。
というのも当時の職場の工場の一部での作業は、バキュームカーの3〜4倍の臭さがあり、そこでの仕事になれると、並大抵の臭気には鈍感になっており、それで気づかなかったものと思います。それと激しいストレスがあり部屋では煙草の煙が充満していたことも原因かと思います。
 ところが、食器棚の壁の向こうは隣人の玄関と台所があります。隣の彼は入居当初から部屋に入るとどうも臭いという苦情をいっていたそうで、彼の主張は二階からしずくがたれてきてそれが臭いというのです。
彼は三〜四年いて出て行きましたが、後年分かったことは、二階のおばさんが小便を台所から流していたらしい(証拠はありません)。おばさんは01年の9月に腐乱状態の孤独死で発見され、その処理後銀蝿が大量発生したので、私がそのおばさんの部屋に入って殺虫スプレイを撒いて銀栄えを落としたのですが、そのときの部屋の台所がトイレの小便器のようなにおいがしました。
 私は職場のストレスと隣人の彼の夜通し(朝まで)のテレビ、ラジオの大音響の騒音に悩まされ、結局これが一番私にダメージをあたえ、職場の遅刻が増え信頼をうしなっていったのです。
 殺してやろうかと思うほど憎しみましたが、冷静であればまず、ねずみの死体にの腐臭に私が気づいていれば、私は生活面「住居」でのストレスを軽減でき、職場をやめることには至らなかったのではないか。とも反省しています。
しかし、この住居での関係性のストレスはすさまじく、職場の人間関係の悪化に対応できなかった一因であり重要なことだったのだ。

この話は誤解される面もあるので付け足しておきますが、私の住むアパートはこぎれいでありねずみが入ってくることなど出来ないのですが、私が窓を開け放ち、ドアを半開きにしておくためたまたま、こういうことになったのです。
<8> まーさん ■2003年04月08日 火曜日 00時27分08秒
鬱で体調を崩しやすい私にとって就職は難しい。週5日勤めるなんてとても無理だ。今はある会社のチラシを配るポスティングをしている。調子いいときで100枚配れたら御の字。昨日ははえらかったので30枚配ってやめた。なかなか自分のペースでやっていられる仕事プラスお金のいい仕事ってないね。
<7> にょろにょろ ■2003年04月01日 火曜日 20時56分40秒
就職活動をしている。こんなご時世だからなかなか決まらないんだけど
ニーズもあるだろうし、選考は私のコントロール外にあるものだからと
思うけど、でもやっぱり落ちると自分がいけないような気持ちになる。

今日自分が受けていた中で此処なら通用するかも!此処だったら行けそう
かも!と思う会社から駄目だった連絡がmailで来た。いけないような否定
されているような気持ちになって台所で座り込んでしまった。

心臓が苦しくなって、体全体がしんどくなった。
これがパニック発作なのかな?と思って脈を測ると乱脈があった。
転職活動は頑張らなきゃいけないけど、それは神のみぞ知るだし。今から
くよくよしてもしょうがない。年齢とか色々あるんだろうし、採用する側
には採用する側の都合がある訳で、全てが私の経歴のせいでは無い。

そう思った。そして、とにかくまず落ち着こうと思いやりかけていた、
夕飯の支度を出来るだけしながら、薬を飲もうと思った。

しばらくそうしていたら、体が楽になった。
心臓も心無しか落ちついたような感じがした。
本当に考え方や感じ方で脳内物質も変化があるのかもしれないと思った。

丁度パートナーが仕事が無くなってリストラか?とか不安を抱えてそれを
直球でこっちへぶつけてくるだけぶつけて来てそのまま、という状態でそ
れを自覚してくれていない。感情をぶつけられるだけというのが案外しんどい
事を彼は理解していないので、よけいに就職と絡まって駄目になりそうになった。
かといって感情のぶつけ方が悪いと言えば感情自体をぶつける事をしなくなる
ような機微が無い所に今居る人なので、始末が悪い。
こんな事が不安で、こんなふうに思っている。というシェアして慰め合うという
ような所まで行動が及ばないのだ。

そんななので私の不安はなかなか言えない。台所で座り込むなんて久しぶりで
自分でもびっくりしたのだが、とにかく言語化しようと思ってこれを書いている。

「薬を飲んで」
「薬を飲んで」
と心の中で何度も唱えた。
今薬を飲んで少し落ち着いてこれを書いている。

自分を超越する存在は希有だけれでも確かに存在する。
私が必用で私が本当に欲する時にそれらはちゃんと私の上にやってくる。
それは私が体験した事では無かったか?
だから不安になる必用は無いのだ。
今日を生きる。今を生きる。
<6> 蔦吉 ■2003年02月26日 水曜日 16時58分30秒
本当に最近になって気づいたんだけど。
よく本の著者とか、雑誌で仕事ぶりが紹介されている人物とかの略歴って、あるじゃない?
あれを何はさておいても真っ先に見て、それで自分より偏差値が上の大学出てたり、TOEICの点数が上だったりする人に、ほとんど瞬間的に敵意を抱くクセがあったんだなぁ、って。その本や雑誌に載ってる相手と一面識もなくても。もうそれが自分の中でオートマティックな思考回路になってた、というか。

斎藤学さんのコラムだったか、「摂食障害の少女たちの野心を聞いていると、まるで東京湾に自分の顔した自由の女神像でも打ち建てるんじゃないか、ってくらい現実離れしている」って言ってて、つまり摂食障害ってのは「私が一番でなきゃイヤ。何者にも負けないくらい光り輝いて注目されてるんじゃなきゃイヤ。みんなと同じでいい、なんて、そんなんだったら私、お母さんのお腹に帰る!」というメッセージだ、って読んだような覚えがあるんだけど。

むろん、仕事もらえるかどうかって時に学歴だの資格だのも考慮に入れられるってのは事実なんだけど。でも何て言うか…何なんだろう、ずっと気づかなかったけど、「私が1番でなきゃイヤ」って、たしかに私にもあったかもしれない。1番でなきゃ…私がそこに立って注目されるべきポジションを奪われる!なけなしのミルクを奪われる!って感覚かもしれない。あるいは「どうだ、文句あるか」みたいに、非の打ちどころない資格と経歴の数々で武装してないと、「世間の荒波」ってやつが簡単に私を吹っ飛ばしてしまう、って感覚かもしれない。そうして世間の荒波に足をすくわれたら、スキを見せたら、「ほうら、お母さんの言ったとおりでしょ?アンタは世間知らずなのよ、プライドが高すぎるのよ、未熟で子どもっぽいのよ、お母さんにはそれが分かっていたのよ、何もかも見抜いていたのよ、お母さんの勝ちを認めなさい…」という母親の声にとっ捕まってしまう!っていう……。
<5> 社会2 ■2003年02月14日 金曜日 16時06分20秒
職場では泣いてません。
<4> 社会 ■2003年02月14日 金曜日 16時04分22秒
今日バイトを首になりました。プライドはズタズタだが、私にとっては楽な結果だ。私は生徒にも、あの職場にも、ひどくおびえていた。おびえればおびえるほど自信のない私の声に事態は悪化する。自分を確かにひとつ成長させたのはあの職場であり、それはとてもよかったかもしれない。ただ、私の無意識は上司のいらいら生徒のエゴ、そのすべてをまともに浴びていたように思う。それは、涙を流すという形で私に何かを気づかせようとしていた。何も悪くはなく、彼らは優秀な人間。
それだけ。私は社会認識、関係におけるセンスが欠落しているのだろうか。しかし、私のそれ以外の人間関係では、そうは思わないのだ。微妙な距離感が日日変わっていることを、ある程度しっくりくる感じで、ある程度つかんでいると思う。
私はそこに何も信頼関係や素直な愛、無邪気な好奇心がないのに、それを自分でも実感していながら、さもそうであるかのように、接したり、そうであるとなんかいちいち言葉にする人が苦手だ。私が人を信用できないから?
はじめた動機が薄っぺらい友情と同情に見せかけた自己満足からだった。やめておけばよかった。
今回上司が変わったことでも否応なしに私の不適応性、未熟なところ
が本当に危ないことを知った。今までがラッキーで甘えていたのだろう。
いつも変わろうと思うのに、叔母のような人にはなりたくないはずなのに、
こうして小さい犯罪を犯していく。つかまりはしないが、社会的信用を失うこと。
遅刻も直ぐあせるところも、時々うそをつくことも、状況によっては直ぐに戻ってくるのだ。変わらない。
遅刻など自分の努力で補えるものはできるだけ、意地でも貫かなきゃ。私は本当にどこもいいとこなしだけど、生きてるから。それは信じて、生きて見せる。私というものと付き合っていく。
私は叔母とは別の人間だ。何も関連はない。叔母は遊び暮らしながら、見栄張りのばばあで、私は心底、叔母を軽蔑していた。叔母を思い出すもの全てに虫唾が走る。今の両親も、その兄弟も親にあまり愛情をもらっていない、父はマザコンだし、祖母は子供離れが出来ず、私の居候中は私を取り込もうとした。もうだめ、この家族といられない。そう思って、とにかく、下宿の出来るほど実家から遠い大学に入ろうと必死に勉強した。
結果下宿できたが、そのうち今までの歪みが出てきた。過食のの日日。毎日がつらかった。学校にも行きたくなくなった。ダンスをはじめたことが影響を与え、鬱と過食で医者行ったときを境に、1年間の過食と2年間の鬱は解消されたと思った。
しかし、また、少しでも失敗で人から見下される感じを受けると怖いと感じる。誰だって、誰かに見下され誰かを見下しているのに。生徒にせきをたたれ、まえの先生がよかったといわれたと知ったとき、恐れていたことはあたっていたと悟る。私の価値って。今から作っていくべきなんだろう。ダンスと勉強、そして自分のライフスタイルにあうバイトを見つけたい。今度は直感を大切にしよう。
今ここで反省してあとは前を向く。
自分の確実にいける範囲で頼まれたことをする。
職種によって自分が仕事に費やす時間を前もって考える。
失敗しても切り替えて、自分のこれからを信じる。
どんな格好がうそはつかない。それは相手を傷つけると知る。
直感でいい感じのなかった人を安易に信頼しない。
以上ができるだけの、信頼できる人と仕事する。
<3> 【管理人からのお知らせ】 ■2003年02月27日 木曜日 23時27分14秒
2003年1月28日、2月4日、2月7日付の「ブコースキー」さん、「下町の」さんの書き込みは、「テーマに沿って、自分を主語にして話す」という当掲示板の主旨から逸れており、他の利用者を混乱させるおそれがあると判断したため、誠に勝手ながら削除させていただきました。

悪しからずご了承ください。

管理人・蔦吉 
<2> マフマルバフ ■2002年08月27日 火曜日 23時12分21秒
孤独を選択した側の論理 2
 九州の空と海と山と川 小高い丘の上の家の窓からそれらを一望したとき 来るんじゃなかったと後悔した 離人症なのかな それが彼女の家だと合点がいかなくてぼーっとしたまま一言も発することができなかった 3世代同居の毒とは縁のない家族 あまりの明るさに圧倒され 海に飛び込んで泳いで帰ろうかなと考えたが冬だから無理 彼女とは結婚は無理だそれを彼女にどう伝えたらいいのか分からずに2年も浪費した その経緯は話せないが 自分の家族関係を考えたらむりだと思えたし相手にも多大な迷惑と不毛な信頼関係をもたせることの辛さがしんどいことだった こういう思いは二度としたくない
最低限の互いの苦痛を話せる関係でないと 隠して結婚などできない 一方的な愛情は破綻する そして俺のこの苦痛をどう説明したらいいのか分からない 親を恨む余裕など当時なかったが このことを思い出すと腹が立ってしょうがない 使い古されたコピーではないが 俺の人生を返せ 青春を返せ どうして親は子供が自立しようとするとそれをできないようにするのだろうか 気違いの問題か
<1> マフマルバフ ■2002年08月24日 土曜日 00時12分00秒
孤独を選択した側の論理
・・・兄が嫁さんに言動の矛盾を問い詰められた 私も納得するものがあり兄嫁のいうことが正論だと肩を持ったことがある そのとき兄は阿波踊りを踊りだした ちょっと驚いた 長いことあっていないし 会話すらないので心配はしていた・・・今思い出すとあれはあれでいいのだ 誰でも矛盾点はある。それを突き詰めて考えていたら息がつまるだろう 生きていくとは阿波踊りのようなものか・・阿波踊りとは哲学やなあ・・兄はACであると思う しかし兄は守らねばならないものが判っている 私は守るべきものがない しがらみをすてたからだ しかし その私の心情はまったく理解されていない 何故私が家に帰らないかは兄はうすうすわかったようだ それ以外のものはまったく判らない それを説得するのはしんどい だからと意って自分の人生を納得できたかというと そうではないところがACの悩みだったのです 私にはまだ阿波踊りはできない 当時兄は私を見て「○○はまじめすぎる」それぐらいの感想しかなかった 実際私は自分を厳しく律しすぎる面がある それは自助グループにくるACは皆そうかと思っていた・・・・。その反動としてギャグや独り笑いや娯楽としてのパチンコであると思う。精神のバランスは悪くないのだ。・・・・・・つづく。  

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This script written by Shintaro Wakayama.