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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.9
メッセージ数:180件

<180> こくーん ■2005年05月07日 土曜日 03時05分19秒
『何になりたいか』という難題に最初にぶちあたったのは、保育園の卒業アルバム。次に小学校の卒業文集。この質問を突きつけられる度に悩んできた。
大学の学部選びは困難だった。選ぶことができなかった。『経営・経済』『教育』などリアルな学部な印象の学部より、『哲学』『(文学部)心理学』などに魅かれた。でもどこかで不安を感じて足を踏み出すことができなかった。観念というものにはまってしまう恐れがあったのかもしれない。実際学んでいたら観念遊びに耽ってしまったかもしれないと今でも思う。結局先生の薦めもあって、(『教師、結構向いていると思うよ』…当時も今でも思い出すと笑えてしまう。自分には無理な仕事。…でも何故か向いていると言われてしまう)教育学部を選択した。その後、私は積極的な選択をしただろうか。消極的な選択を繰り返してきたのではないだろうか。仕事を辞めた時、妙にすっきりしたのは、それが積極的な選択に思えたからではないだろうか。
私はどうしたいのだろう。それがわからないから、何も選択できない現状。
<179> こくーん ■2005年05月07日 土曜日 02時43分57秒
両親が離婚したのは、中1のとき。離婚と同時に引っ越した。離婚も引越しも不思議と平気だった。悲しいとか辛いとか思わなかった。どうしてだろう。私はそれ以来、自分を薄情な人間だと思ってきた。卒業式にも泣けない、友人との別れにも泣けない。なんて薄情な自分。でもそれを悲しいとも思わなかった。きっとこの頃にはとっくにどこかがずれていたのだろう。
私は気づいてた。このままではいつかダメになるって。だから今の私を見て、過去の私は笑う。『ほら、思った通りだったでしょう』って。不安定な土台の上にどれだけモノを積み上げても、ふらふらするばかり。…いや、積み上げたものが高くなればなるほど、揺れは大きくなるのに違いない。
<178> 黎 ■2005年05月03日 火曜日 10時45分49秒
新しい出会いに
びびってばかりだ

耳障りな
当たり前の
誰でも言える
コトバを

うつくしい
あなたが

言うな

分かってる

あたしの利用価値は

もう
ないのだ

春は
ホロニガ

季節は
めぐる

アタシの
ために
<177> アーネスト ■2005年05月03日 火曜日 05時37分37秒
昨日の自助会が終わった時、また節目が来た。今まで,常に自分の主旋律のようなものだった怒り、寂しさ、恨み、憎しみ,その他ネガティブな感情の流出が一回、完全に収まって、文字通り「無駄な力が抜けて」いった。ここ何日か、自分で行動する勇気と,恐怖に耐える力と,何より欲求を充足したいという自然な気持ち,それら全てが一つの,気として統合された。
<176> アーネスト ■2005年04月17日 日曜日 15時11分07秒
中学に入学する時,言いようの無い怖さがあった。門をくぐった時に「ああ,俺はここで大人になって,もまれていくんだな」という妙な諦観があった。今にして思えば「大人になる」というのは「自分を抑圧して大人しくして問題を起こさない」人間になることだった。既に兄の猛烈な反抗期と,それに食い下がる母の猛烈な「死闘」を見てきて,瞬間的に自分の身の安全を守る術を知ったのだと思う。それはこういうことだった。「自分を出すな。感情を表に出すな。楽しくても笑うな。苦しい時はひたすら我慢だ」と。

もう一つの節目は母の死だと思う。もう自分を最も認めてくれる存在が消えて,その代わりを必死に探さなければならなかった。前以上に,もーれつに承認を求めるようになった。恋愛しても相手に完全に身をもたげ,寄りかかってしまいそうで,自分を失いそうで怖かった。多分、自分を失うというのは中学の頃から,維持してきた我慢強さとか,感情を出さない部分とか,避難をよける癖とか,弱さを恐れ受け入れないところだと思う。そういう抑圧が全て取れてしまった時、一体自分は周りからどう見られるのか,という恐れがあった。どれだけ弱く、傲慢な人間かを知るのが怖かった。それを知ることを避けるため,次々と破壊的な行動に走った。

そして大学5年の頃に,10年ぐらい抑圧してきたものと直面し,落ち込みもしたが喜びの方が大きかった。
<175> キーコ ■2005年04月17日 日曜日 07時30分11秒
「死」は訪れる大きな喪失。大きな意味が在る。
「自然の流れ」として とらえられないものがある。その重さはとても耐え難い。

離婚して、ようやく落ち着いて、自分の痛みに向き合う・・・、
心のゆとり、強さが与えられてきたように感じている。
・・・いたい!
<174> アーネスト ■2005年04月12日 火曜日 21時19分05秒
とりあえず先週日曜で,だいぶ拓けた。だからまずはそれを充分に誉めよう。今はまた欠点とか,課題が見えてきたけど,相当キツイ。グループの力も借りないとね。それから休養も。
<173> NAC NAC ■2005年04月11日 月曜日 06時31分39秒
今月半ばで私のカウンセリング受診が3年目に入るが、経過は順調で、当初週一の受診が今は月2くらいになり、3年前のリストラによる鬱病が嘘のようだ。これも偏にいいカウンセラーに恵まれたお陰だ。
因みに今度の受診は火曜日。それも最近私は週間天気予報を見てバイクに乗れない雨の日を選んで、直前または当日予約を入れている。晴れなのにカウンセリングとは何かもったいない感じだ。まっそれもどうかと思うが。
そんな私が最近別々の自助グループである男性と女性から「Kさん(私)は先行く人だから」と言われた。
それを聞いて私は特別何も言わなかったが、内心「先行く人? 先行く人ねぇ俺が? あんまりそういう気はしないけど、でも客観的に診たらカウンセリングも行って自助グループも複数行って、おまけにコーチングというコミュニケーションスキルアップのセミナーも定期的に受講しているのだから、これで先行かない方がおかしい」と思った。
自分で行動して変えられるところは変え、変えられないものとはできるだけ相手にせず距離を置こうと意識しているのだから。
まっ自分が仲間と比べ先行っているかどうかの判断はどうでもいいとして、今の私にとって重要なのはできるだけ自分のインナーチャイルドと会話することだ。
それは毎日のように親から精神的に傷付けられ、喜怒哀楽を忘れ感情を失くし、乖離してきた幼い自分、その無意識に仕舞い込んだ記憶や感情をもう一度意識の上に引っ張り出して肯定してあげること。その痛みから逃げずに向き合い受け入れること。
それを繰り返す度に意識の自分とインナーチャイルドとの信頼関係が構築され、彼の痛みを感じて泣けば泣くほど自分の内面奥深くが満たされ安定する。
そうしたものを私は経験して学び、もはや泣くことは私にとって恥ずかしいことではない。むしろ積極的に泣かなければいけない。それは感情を表現することが未熟な子どもにとって泣くことで痛みを表現する、それが自然なのだ。

痛みから目を背け自分の感情を誤魔化し有耶無耶にする。それは自分のインナーチャイルドに対しての明らかな背信行為で、そうしたものを彼は子ども特有の感覚で見抜く「この人は本当に自分を愛してくれているのだろうか?」


来年の今頃自分がどうなっているのか? それは偏にインナーチャイルドの成長に掛かっているのは間違いない。
彼が求めているのは自分を愛してくれる親なのだ。

<172> アーネスト ■2005年04月07日 木曜日 22時41分55秒
(ややカテ違いかもです)

大学のキャンパスの桜は見事だった。桜の種類とかそういったことには疎いが,それでも今日の桜は見事だったなぁ。紺色の夕闇と薄紅色の桜のコントラストが美しかった。昔は季節の移り変わりとか,そういうことはあまり関心がなかった。でも今は不思議と目の前に咲く桜にさえ「ありがとう」って言いたくなってしまう。
<171> アーネスト ■2005年04月04日 月曜日 22時17分34秒
また旅立ち...になるのかな,なるといいな。ある心理療法を使って棚卸しをしてみようと思う。今までは他人を責めたり,心情吐露に終始してた。それはきりがないだけでなく,やりすぎると自分を苦しめることもだんだんわかってきた。まずは図書館に行って療法の内容を調べたい。変われるかな...変わりたい。人生を楽しみたい。人間関係を楽しみたい。だからすこしずつ自分の癖を変えていこう。
<170> yu-ko ■2005年04月04日 月曜日 00時17分32秒
次のあたしの節目は“結婚”
相手は居るけど彼もその気はない
お互い型にはめられてない、この関係が心地よいのだ
特にあたしは今、他の人に恋してる所為かしたくない
でも“母”にはなりたい
結婚、妊娠、どちらが先になるかな・・・
<169> アーネスト ■2005年04月02日 土曜日 23時57分32秒
卒業、進学など節目を振り返ってみると,そこにはいつも家族のトラブルがあった。中学卒業後の春休み,当時険悪だった兄と母の仲を取り持つべく家族会議を提案した。4人でテーブルを囲み,僕が「今の家族はみんな仲悪すぎ,もっと仲良くすればいいのに」みたいなことを言ったのを覚えている。でも僕以外はみんな黙っていて,母は「そうね」ぐらいのことを言っていた記憶がある。そして高校卒業後の春休みには兄に対する罪悪感が芽生え始めたころだった。そして大学卒業後,兄への罪悪感はますます高まっていった。

ここからわかるのは,受験など勉強がファーストプライオリティにある時は家族の問題に関わらなくて済んでいたという事だ。自分にしても勉強が大事だから,という理由付けができたし,親の側からすれば「あんたはそんなことに首突っ込まないで勉強しなさい」と言えるわけだ。だから兄に対する罪悪感が高まってきたのが,正に一大事であった大学卒業後であるのは,納得できる。かなり分析的になったが,すっきりした。
<168> いろは ■2005年04月02日 土曜日 01時00分49秒
節目のしたを斜めに切って水につけると節目のところから
根がでてくる。根が出てきたら土に植え替える。
これからの季節、どんどんのびていける。太陽を浴びて。。。
<167> ふうせん ■2005年04月01日 金曜日 14時58分38秒
高一の終わり頃、二年生から進路別にクラス分けがあって、
理系か文系か選ばなければならなかった。
将来の夢なんかなかったけれど、国語も成績良かったけれど(読書ばかりしてたおかげ?)、理数系も得意だったし、何より、面白かったので
最後まで散々迷ったけど、理系のほうに丸をつけた。
提出日の朝、母が私にどちらを選んだか聞いた。
理系にしたと答えると、「女のくせに、理系に行って何になるの?」
となじられた。その場で、文系のほうに書き直して、提出した。

あれからこの事を思い出すたび後悔してたけれど、今この文章を書きながら、初めて気付いたことがある!(あの人は、全く理数系が苦手で、そして大学の文学部に行くのが夢だったって、何度も言ってたじゃん。)
自分の夢を、私に押し付けたんだ。

私は、母に何か言われると、どうしていつも魔法にかかったように
言うなりになってしまうのだろう。
それでいつも、後から後悔するのに。文系に行ったらもっとつぶしが利かないし、いま時‘女は文系’なんてっ...
あんなおばさんの言うなっりになってしまう自分が悔しい。
<166> アーネスト ■2005年04月01日 金曜日 08時39分02秒
(フラバ注意)




思えば事前指導で実習への不参加を言い渡され,早3年。すごーく長く感じたけど,振り返るとあっという間だった。その間、半アル中気味になったり、本当に死にたいと思ってリストカットしたり,引きこもったりもあったけど,なんとかこの舞台にカムバックすることができた。それは親やその他の人の支援がなかれば絶対に無理だった。(こういう時だけ感謝する自分が嫌だけど)感謝したい。

今、もっの凄く緊張している。多分、失敗するだろう。何かは起きるだろう。でも失敗したからって自分の価値が損なわれるわけじゃない。僕の行為のホンの0.0001ミリぐらいのものだ。あと50年生きるとして,仮に最悪な失敗を犯したとしても50分の1でしかない。怖い。それは認める。でも準備・体調管理,少しずつやっていくだけ。淡々と.....
<165> toa ■2005年04月01日 金曜日 01時59分33秒
成人式、華やかな日。20歳のお祝いの日。久しぶりの再会の日。
そんな日にも、私は親に束縛されていた。
式が終わった後、私は両親、兄、祖母と高級レストランでご飯を食べた。
食べに連れて行かれた。嫌だといえなかった。
久しぶりに会った友達、幼馴染ともっともっと話していたかった。
けど、嫌だということで、親が傷つくと思った。
母はおかしなテンションで喜んでいた。取り繕っていた。
幸せな家庭だ。皆そろった。お祝いの日だ。

どうでもいいよ。そんなこと。疲れるだけだよ?
<164> 花梨 ■2005年03月29日 火曜日 23時36分39秒
一昨年の三月、再生したのだった。
去年の十月、またリセットした気がした。
大きな傷が残った。愛する人は、その傷跡にキスをくれた。
人生のターンだ。
ここからはあたしが作る人生。
その記念に名前を変えた。(今度で最後)
美しい名前をもらった。尊敬できる人に選んでもらった名前。
大切に生きていこう。
<163> アーネスト ■2005年03月28日 月曜日 22時37分53秒
(フラバ注意)


大学の留年を決め,本格的な療養に入った頃、象徴的なことがあった。当時小説まがいの駄文を書いていたのだが,真っ先に出てきたのが小6で万引きがばれて親にぶん殴られたことがテーマになっていた。無意識のうちにそういうトラウマを表現したくなったのかもしれない。あれは何か不思議だった。今まで部活やらバイトやらでずーっと外の世界で生きてきたのが,内に向かっていった。
<162> 豆だいふく ■2005年03月28日 月曜日 07時30分31秒
希望の数だけ失望はふえーる♪ それでも明日に胸はふるえーる♪
どーんなことが起こるんだろう?♪ 想像してみるーんだよー♪

桜井さん、サンキューです。 やったります。
<161> アーネスト ■2005年03月28日 月曜日 01時24分10秒
4月からはH17年度。そろそろ募集要項や願書の配布が行なわれるはず。履修登録やその他事務手続き。スーツも買うのだろうか。鞄は必要だ,多分。なーにほんの3週間だ。それぐらいでびびってったら先がもたないぜ,と自分に言い聞かせて見ました。

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This script written by Shintaro Wakayama.