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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.8
メッセージ数:160件

<160> アーネスト ■2005年03月26日 土曜日 17時44分26秒
実習を境にして好転するかな。実習が終わればもう学費を出してもらう必要はない。バイトしながら勉強...もありだが,果たしてそれでいいだろうか?一発で教採受かるならバイトはできないかもしれん。が,実習が終わればまた色々クリアになる部分もありそうだ。
<159> tranet ■2005年03月24日 木曜日 00時58分58秒
初めてここにメールする。
固い自分が嫌になる。「自分」という枠にはめて何事も考えてしまう自分。
そんな自分に自分が酔ってると思うと、ますます自信がなくなってくる。
悲しいかな、この生き方は止められない気がする。止まる事のない洪水の中に身を置いてるような気分。絶える事のない荒波に押しつぶされて続けているような気分。誰かに助けて欲しい。でも誰にも甘えられない。他人が醜いのではなく、助けを呼べない自分が醜いのかもしれない。そんな自分を蔑むのも、また自分の悪い癖。
<158> kiwi ■2005年03月23日 水曜日 10時41分08秒
毎年、年賀状の図案を考える。
初めは木彫り、最近はPC。
酉年の絵は三回描いた。
二回目は消毒した手でニワトリを彫った。
真っ赤な鶏冠、鋭い瞳、
黒い飾り尾はめらめらと燃え上がるようだった。
私は多分怒っていたのだと思う。
私は怒っていたのだ。
どうして、どうして、どうして、
どうして大切なものばかり失わなくてはいけないのか?!
どうしてこんなに苦しみを与えられるのか?!
何処にも向けようのない怒り。
再び巡ってきた酉年…私は?
<157> アーネスト ■2005年03月20日 日曜日 22時12分53秒
私は闘う相手を間違っていたのだろうか?母が死んでからの6年間、鬱になってからの3年半。何をしたかったのだろう?母親の死を受け入れ彼女から精神的な自立を果たすこと?それとも承認欲求を満たす事?私は何をしたかったのか?これから何をすればいいのか?わからない。
<156> アーネスト ■2005年03月19日 土曜日 08時49分59秒
ここ2週間の間に起きたことを,カウンセラーに告げてまた今日から少しリセットして生きれると思うのだ。まずは生活のリズムを正して,少し運動しようと思う。部屋も整理して...。
<155> こくーん ■2005年03月17日 木曜日 22時50分51秒
卒業式に泣けない、子だった。
小学校の卒業式も涙目の同級生たちを見ながら、『同じ中学行くのに…』と思っていたし、転校したときも、中学の卒業式も、高校も、大学も。
私は一度も泣かなかった。
教育実習の最終日も泣けなくて、でも子どもたちの期待の瞳に抗えなくて、泣いたふりをした。
泣けない自分はおかしいのか、と思った。
一方で、自分が理不尽だと感じると怒りと共に泣いてしまうことに気付いた。
ああ、私は、自分のためじゃないと泣けないんだ。
そう思って、余計に悲しかった。
他の子みたいに泣きたかった。それが人の中に存在してるってことだと思ったから。それこそが、正しく生きているっていう証拠のように思った。
<154> 豆だいふく ■2005年03月17日 木曜日 17時22分34秒
今日カウンセラーさんに「だいぶ自分の気持ちを落ち着いて言葉で表現できるようになってきたね。それはとても大切なことなのよ。」って言って貰えた。途中、2回程泣き入ったけど確かにそんな気がする。それはこちらで皆さんの上手な文章(感情の表し方)を読ませて頂いているからだと思う。皆語彙が多いし(よく辞書を引いて調べているのだ・笑)何ていうか表現の仕方が洗練されているなあと関心していますのだ。本当にお勉強になりますデス。心より御礼申し上げまする。とりあえず私の中の1つの節目でした。
<153> サキ ■2005年03月15日 火曜日 12時40分40秒
フラバ注意
私の誕生日。ご馳走やケーキがならんだ。私はたぶん嬉しかったの。
でも、嬉しそうに見えなかったみたい。
母は、キレる。「人がやってやってんのに、なんなの?何がおもしろくないの。言ってみなさい。嫌ならここにいなくてもいいのよっ!部屋に戻りなさいよ!」と、ご馳走もケーキもみんな流しに投げちゃった。
その後、父と弟に謝らされた。「嫌な思いをさせてごめんなさい」と。
もうすぐ誕生日。毎年この出来事を思い出す。
<152> こくーん ■2005年03月14日 月曜日 00時44分56秒
お出かけのため、久しぶりにピアスをつけた。
ピアスの孔は、左が2つ、右が1つ。
左右対称は、普通にあけたけど、左のもう1つは完全な自傷行為だった。
何年前かの誕生日。何もかもが嫌になってた。追い詰められてた。
その想いを自分の耳に孔をあけることで、なんとかしようとした。
斜めにあいたゆがんだ孔。そのせいかなかなかちゃんとピアスは通らない。
でも、ふさがらない孔。
それから何度かもっと自分に孔をあけたい衝動にかられたけど、我慢した。
ピアスの孔をあけたって、人生は変わらない。
自分で変えるしかないんだよね。
<151> 豆だいふく ■2005年03月13日 日曜日 07時11分20秒
昨日一人でモンモンと考えていて、かなり痛いことに気づいたさ。「解った気になっていたことが解った」のかも知れない・・・。初心を忘れず一からやり直すしかないね。私は思ったより「否認」が強い。「否認」が悪いわけじゃないけど、なかなか難しいわ。これからもヨロピク。
<150> アーネスト ■2005年03月12日 土曜日 22時10分06秒
旅行したい。旅行した人は人生観が変わるって言うけど,ホントに変えてみたい。
もうこれ以上頑張れない。これ以上何を頑張れっていうの?一回,ブレイクさせてください。長い人生の節目に。今、本当に真剣に考えている。もうこの状態で勉強できない。親にも兄にも借りは作りたくないけど,気持ちが高まってきてゴーサインが出たら本当に2週間ぐらい行きたい。何かを吸収するというよりは骨休めで。それには一回日本を出るしかない。
行きたいところはいろいろあるがまずフレンチクォーターに行きたい。そこで生でジャズを見てケイジャン料理食べてバーボンを飲みたい。それからリバプール。ビートルズが演奏してたクラブに行きたい。それからインド,フランス,スペイン。アフリカ。ブラジル。中国。
<149> アーネスト ■2005年03月11日 金曜日 11時31分22秒
髪型を変える。考えを変える。政治を変える。変えるといってもいろいろある。良い変化もあるし悪い変化もある。意図した変化もあれば,意図しない変化もある。創造的な変化もあれば破壊的な変化もある。急進的な変化もあれば漸進的な変化もある。病気によって人生観が変わる事もあれば,度によって人生観が変わることもある。大切な人、モノをなくして変わる事もあれば,何かを得ることによって変わる事もある。お金を使うことでできる変化もあれば,無料でできるものもある。

今まで自分にとって変わる事は急進的でどちらか言えば破壊的なものが多かった。すぐに変わろう、あるいは変えようとし失敗しそうになれば破壊してリセットする。そもそもの初めから自分は変わろうなどと思ってもいなかった,という風に。
また自分が変わることで,周りが変わる事を無意識に強要していたきらいもある。別に他人は俺が変わることなんか見ちゃいない。気にせずやればいい。

合わない人間がいれば遠ざかればいい。相手が変わってきたらまた歩み寄ればいい。それは僕が変わったんじゃなくて相手が変わったから,それに応じて僕の態度が変わったということなのだろう。だから一度遠ざかったから戻ってきちゃいけないなんて決まりはない。そんなことは気にしなくていい。使える時,依存できる時に依存するに適切な人に依存すればいい。浅く広く。もし狭い考えをしていれば,どっかで絶対自分の首を締めることになる。

<148> アーネスト ■2005年03月07日 月曜日 03時28分36秒
家族から距離を置き、自分の癒し(怒り嘆き悲しみ泣く)に専念し,自他を許すという一つのサイクルが終了した。また同じサイクルを辿るのかもしれないし,どうなるかはよくわからない。ただ大分ラクになった。
<147> ロヴィン改めアーネスト ■2005年03月06日 日曜日 08時56分59秒
母親と対話したことで解放された自由と,責任感みたいなものを感じている。よく自由には責任が伴なうって言うけどその意味が今はなんとなくわかる。要は今まで完全に自由意志で行動したなかったってことだと思う。お金にしても,時間にしてもその使い方にシビアというか,シリアスになっていくんだろうな。それから今日を持って改名します。皆さん宜しく御願いします。
<146> ロヴィン ■2005年03月05日 土曜日 20時55分14秒
この半年、勉強はほとんどできなかった。でも,それを放棄してまでも,回復に専念した甲斐があると思う。
<145> ロヴィン ■2005年03月05日 土曜日 20時53分36秒
気付いたらACを自覚して半年弱の月日が経った。あっという間に流れてしまった,という感じだった。何もしないで鬱の波を耐えたり,せっかちな性分を抑えながら少しずつ自分の感情に向き合うのは正直しんどかった。ただ昨日のカウンセリング後の状態から分かるとおり3年八ヶ月の積もりに積もった感情を放出していくには,このペースでやらなかれば,とてもじゃないが身が持たなかった。その結果,大きな気付きを得ることができた。自分で自分を誉めていいだろう。この場所と蔦吉さん,皆さん,自助会の仲間,そして自分のペースを守りきった自分に感謝致します。
<144> ロヴィン ■2005年03月05日 土曜日 08時09分39秒
自分はやはり21歳の夏までの人生を全て否定したかったのだと思う。鬱になったこと,人を傷つけたこと,傷付いたこと。全て。ぜんぶ。21年と7ヶ月の歳月は全て間違っていたのだと重いたかった。だからこそACと共依存を自認した。でも現実はそう完璧に白黒つくはずなくて,そういう考え方は自分の首を締める。やはり21年の中にはいいことたくさんあったんだよ。僕にとてまずかったけど,他人を喜ばせてたのも自分だと思うし,人に支配されたのも自分だと思う。たくさん笑ったし,少しは泣きもした。いい人生だったんだよ。他人を喜ばせている自分はやっぱり自分らしいと思うし,支配されてた自分もやっぱり自分らしい。よい悪いは別にして。だから「21歳の夏で人生をぶつ切りにするのはもう止めよう」って自分に声をかけてあげたい。共依存的な関係が相手を傷付けもするけど,喜びも見出せると思うし。何を書いているかよくわからなくなってしまったけど,21歳の夏までの人生を,強迫的に自虐的に眺めるんじゃなくて,もう少し穏やかな気持ちで眺めたい,そんな感じです。
<143> 豆だいふく ■2005年03月05日 土曜日 06時12分12秒
2年で卒業して(編入できた!)気合いで国試2つ合格して、就職できたら一人暮らししたい。1人でもう一度やり直したいのです。そんなに人生甘くないっすかねー。
<142> ロヴィン ■2005年03月04日 金曜日 20時34分24秒
「何かが一回りした,終わった」AC第一期というべきか。それはカウンセラーも同意してくれて嬉しかった。あぁ混乱する自分を受け入れたいよ。本当に回復が進んでくれば勉強の遅れは取り戻せるよ。だから,回復にもっと専念したい
<141> ロヴィン ■2005年03月03日 木曜日 21時28分35秒
うつ病の主要因は部活の退部だったが,うつの引き金を引いた誘因は,ある事件だった。その時のことを思い出すと今でも苦しい。その時,傷つけた相手には,ちゃんと会って謝りたい。その子はすごく傷付いていた。とても優しい子で傘を持っていないときに入れてくれた。でも自分はその子の人格を否定するようなことを,しかも知り合って間もない頃に,言ってしまった。あの当時、退部直後でこっちもイライラしていたのだろうが,そんな事は決して理由にならない。あの時ほど言葉の持つ脅威を知ったことはないし,自分がどれだけ冷酷な人間かを知ったこともなかった。そして,その直後にピザ配達中での事故。もうトリプルパンチを喰らって精神的にずたずただった。そこで発病した。その後の1年半ぐらい自分は「他人を恨む」だけの生活を送ってきた。それを許せたのは自分が完璧な人間でないと気付けたからだった。それはACを知る前だったけど,あれは大学5年の6月頃だった。もう直感的に「あぁ,俺は完璧な人間じゃないし,なることもできないんだ」と思った。

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This script written by Shintaro Wakayama.