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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.7
メッセージ数:140件

<140> NAC NAC ■2005年03月02日 水曜日 00時56分49秒
遅ればせながらバレンタインの結果報告を!
収穫は1個。
相手はラーメン大好き小池さんの奥さん(新妻だが、童顔で俺の好みじゃない)。
物は私が最近キティちゃんグッズに凝っているのを知って、キティちゃんの形をしたチョコレート! そこまではグーなのだが、味は美味くもなく不味くもなく(どちらかと言えば不味い)、大きさも7cm四方のくせして\600近くしたらしい。はっきりいって詐欺だ。大阪で培われた私の価値感ではこんなの\300がいいとこだろう。キティちゃんでなければ\100未満だ。
あとで10倍返しを請求されても私は困るので、後日小池さん夫婦とお好み焼き食いに行って私が出した(3人で食って\6,000。逆に高くついてしまったが、悲しいかな、出した財布は引っ込められない)。
そこで得た教訓「同じ\600なら豚たま奢ってもらった方が私はよっぽどハッピーだ。できれば豚キムチ」
来年も女日照りだったらそうしてもらおう。それも悲しいなぁ。
<139> ロヴィン ■2005年03月01日 火曜日 11時22分31秒
先は長いけど,どうかゆっくりと歩かせてください。
もう息切れしたくないから。どうか僕をゆっくり歩かせてください。神様。
<138> こくーん ■2005年03月01日 火曜日 04時49分14秒
家を出たときのことを思い出した。
些細なことがきっかけだった。
でもいつもの通り中身がこじれた。
私が記憶のないくらい小さい頃から私を知っている母に勝てるはずがない。
やっぱり、逃げ道を塞がれて、追い詰められた。
その時、前なら、『もういいよ!』って自分の部屋に閉じこもったことだろうに、その時は違った。自分が限界を越えてしまったのだ。

『ごめんなさい』
それだけだった。

それだけを、狂ったように言い続けた。
驚いた母が私を宥めにかかっても、ひたすら言い続けた。

理想の娘じゃなくてごめんなさい。
言うこと聞かなくてごめんなさい。
結婚しなくてごめんなさい。
定職についてなくてごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

頭の中は『ごめんなさい』という言葉以外なかった。
初めてのことだった。

そして、翌日、私は部屋を決めた。
有り金を全てはたいて、家を出た。
<137> サキ ■2005年02月28日 月曜日 13時57分28秒
中学を出てすぐに、私は目を整形した。
そのことを後悔したことはなかったし、あの時にさせてもらえてよかったと思っている。ずっと一重まぶたは私のコンプレックスでもあったんだ。

いつからコンプレックスだったんだろうか、なんて考えてみると、もうずっとずっと小さい頃、幼稚園にいるころからだった。
よく母親は、アイプチを使ったり、細く切ったテープを私のまぶたに貼っては
「サキは、そうしたらすごくかわいいのに」
と、やってたっけ。
一重まぶたのコンプレックスを持っていたのは、私よりも先に母だったんだと思う。ちなみに母も、大人になってから二重手術を受けたと、後になって聞いた。
なんだろう。後悔してる訳じゃないの、本当に。
ただ、「二重じゃないと可愛くない私」ってのを植え付けられていた、小さかった頃の自分を不憫に思う。
だから、整形をしてよかった。人生の節目である。
引っ越してきた今の土地に、顔見知りはいない。もう1度整形したいなって思ってたから、今がチャンスかな・・・と密かに考え中。
<136> こくーん ■2005年02月28日 月曜日 03時43分50秒
未だに『文系だ』『理系だ』と言っているところを見ると、
あれは思っていた以上に大きな人生の節目だったのかもしれないと思う。
『理系』の人には憧れる。なんだか一生勝てない気がしていた。
最近になって、やっと、本気で取り組めば克服できたかも、なんて思うようになった。
だが、『本気で取り組む』ことこそが、克服することよりも困難なことなのかもしれないと思う。
<135> ロヴィン ■2005年02月24日 木曜日 01時16分02秒
もう一つ書いておきたかった。
自分の人生を鬱発病後(3年前)で,不自然に断絶させないこと。今まで便宜上、そうせざるを得なかった。そうするほうが話しも整理できる。けど,やっぱそれだと,それ以前の20年の人生を全て否定してるようで辛いから。 大事なことは悪かったことと良かったことの区別だから。
<134> ロヴィン ■2005年02月24日 木曜日 01時06分17秒
「それ」が起こったこと ―人生のどの時期で起こるかは別として― を本当に喜ばしく思いたい。 それとは何か ―自我の目覚めだ。多くの(と,一般化はしたくないが)人々が12歳頃から迎える思春期を自分は10年ぐらい遅れて迎えた。でも重要なのは遅れじゃないと強調したい。「自分にも起こった」という事実が大事なのだと強調したい。

大学5年の春、自分は確かに「寛いだ自分」を自分の中に見出した。頑張りすぎる必要の無い自分。今まで部活や勉強など,親や教師の目が届く舞台で頑張るという役を止めにして本当にリラックスした内面から出てくるナチュラルな自分を,その年に見つけることができた。今までは文学や音楽といった芸術の方面には興味が無かったがそういった興味が一気に開花し,「誰も入って来れない自分だけの世界」を持てたことが,何かを頑張って認められる時とは違った「誇らしさ=自分らしさ」感じることができた。それまで性欲を悪い事だと考えていたが,それも止めた。風俗に行ったのもこの頃だった。

だから人生の中で,「一番頑張った時期とかモノは何か?」と聞かれれば「受験」や「部活」と言った答えが浮かぶ。でも「今まで一番自分らしい時期はいつですか?」と聞かれれば真っ先に2003年と答えがでる。

もう一度繰り返すが,起こった「時期」が問題なのではなくそれが確実に自分の身に「起きた,という事実」が大事なのだ。それは誰にも消せない。

自分の好きな自分が見えてきて,効力感とは行かないまでも「自分はリラックスしていい,構えなくていい,ナチュラルでいい,自然でいい,やりたいことをやればいい,やりたくないことはやらなくていい」そう思えたときに初めて「責任」という意味を知った気がする。

自分の精神年齢は14歳ぐらいだと思う。だから混乱してて当たり前。30歳ぐらいまでには落ち着くのだろうか....

ただ確認しておきたかったのは,自我が芽生えてまだ2年しか経ってないってこと。不安定で当然だってこと。
<133> 豆だいふく ■2005年02月23日 水曜日 07時04分49秒
お誕生日って何だか必死に「楽しくしなきゃ!」って頑張っていた気がする。だから妙にストレスだったりするわけさ。かといって「誕生日は生んでくれた親に感謝する日」とか言われると「ふぅ〜」って感じだしね。でも最近他人の誕生日を「おめでとう」って思える自分がいちゃったりなんかしちゃって・・・。う〜ん、これが幸せってやつですかねー。そう思える機会がもっと増えるといいな。
<132> こくーん ■2005年02月22日 火曜日 02時13分45秒
成人式にはいかなかった。
着物等々、それにかかるであろう費用のことを考えると家計に負担がかかると思ったから。
『成人なんて心の問題だから』
そう言える、自分がどこか誇らしかったんだけど。
でもね、本当は、
オーダーメイドした着物がどれほど綺麗か、
お母さんと選ぶのにどれだけ時間がかかったか、
楽しそうに話してくれる友人がうらやましかったんだ。

誰のせいでもないよ。
あれは、確かに私の選択だった。
<131> ロヴィン ■2005年02月20日 日曜日 12時52分51秒
AC第一期が終わった。
基準は....よくわからないけど,ようやく「生き直し」の準備というか条件がほぼ整った感じがする。自助会に言ったらまた違った発見や気付きがあるだろうし,何よりこっちのスタンスも変わるから参加目的も微妙に変わってくるかもしれない。そう願いたい。過去に読んだ書籍からも新しい発見を得られる可能性もある。 このペースで続けていけますように。
<130> 奈々海 ■2005年02月18日 金曜日 00時55分20秒
来月から移動。
初心に帰って、且つ、今の自分を棚卸しつつ、賢く前進したいと思ってはいるが。
<129> NAC NAC ■2005年02月14日 月曜日 12時58分38秒
今日はここから

つい先ほど私は32回目の献血をしながら(前回途中までしか観れなかった)「下妻物語」の後半を診て来たところだが、何事もなくあっさり終わってしまった。ショック。
そう、今回の目的はナースのNさんナンパとチョコが目的だったのだが、Nさんは出勤していたのだが、彼女と目を合わせることもなく、また私の担当が別のナースだったので、さくさくっと血を抜かれてしまった。おまけにチョコもなし。残念。
次回はまた2週間後。小技を使わねば!
<128> NAC NAC ■2005年02月09日 水曜日 13時32分03秒
今日は2月9日「肉の日」 そんなことはどうでもよく、私の頭の中は来る14日「バレンタイン」に向けて策を練っている。名付けて「献血ルームチョコ作戦!」
今のところ女日照りの私であるが、既に当日のチョコは上記の場所で確定済みで、一見何の問題もないように見えるのだが、これは「当日献血した人には漏れなくチョコプレゼント!」という有り難いような有り難くないような、そんなチョコである。
そして私が欲しいのはそんなチョコではなく、ナースNさんからの個人的チョコレートだ。フッフッフ
ほんとは先月末の献血時に私はNさんにアプローチしたかったのだが、その時の私は若干風邪気味で、検査で「白血球が多い」とのことで私は泣く泣く献血を断念した。だからバレンタインの前仕込みができなかったのだ。
よってNさんの方で私に好意を持っていない限り、また運良く予備のチョコレートがない限り当日Nさんからもらうのは難しい。
そして一番難しいのは周りの目の中「いかにしてNさんにアプローチするか?」だが、策士の私は最悪のことも考え「置きメモ作戦」も考えてある。こういうことには抜け目のない私だが、今まで上手くいった試しがない。ちと不安。
とりあえず14日Nさんが出勤していることが大前提だ。
あとは出たとこ勝負ってやつですかねぇ。
<127> ルフィン ■2005年01月31日 月曜日 20時34分25秒
自分がACだということに気づいた。本を読んでいて涙が止まらなかった。
人と違っておかしいと思っていた自分が、ほんのちょっとだけ肯定された気がした。
もっともっと書きたいけどうまく言葉にできない。書いてみてもその言葉が恥ずかしくて消してしまう。徐々に自分が出せるようになりたい。
<126> カリ ■2005年01月30日 日曜日 23時40分34秒
数回目の本社異動話。
何回も何回も、何回も断ってきた。
やっていく自信なんてない、新卒で入社して以来周囲に助けられて
ばっかりで、エラそうな口利いてても無能なんだあたし。
そんなことは自分が一番よく分かってるんだ。
月に一回あった会議にも恥かくのがイヤで、
途中で何だかんだと理由をつけて行かなくなった。
中途半端な立ち位置、曖昧な仕事。
冗談交じりの「本社来てくれ」が数回、
今回は幹部連中数人からの直談判。
そんなにヒトがいないのかね本社?
あたしが優秀だから言ってるんじゃないんだよね?
産まれた土地を離れたくなかった、嫌いながら執着してる母親の
近くから離れたくなかった、あたしが、無能だってこれ以上
思い知りたくなかった。
一回辞めるって言った。
今度こそ転職しようってそう思った。
引き留められた。
…それが嬉しいとか思っちゃったよ、あはは義理だろうに。
それで「異動します」って言って、言ってからずっと泣いてる。
義理に対して、上司たちの責任である「部下が辞めようと
したら引き留める」っていう建前を本気にして、行きますって
言っちゃったよ。
人生変わっちゃうんだよ、だって。
何てこと言っちゃったんだろうあたし!
「本社異動します」とか言っちゃったよ!
無能だし人付き合い下手だし、今まで取り繕ってきたメッキが
全部剥がれちゃうんだ、馬鹿にされるんだ、指さされるんだ。
どうしよう、どうしよう、ずっと泣いてる、情けない、
こんな精神状態で引っ越しも今の職場の引き継ぎもやんなきゃ
いけない、ああどうしよう、痛いよ苦しいよしんどいよ、
明日全部何もかもなかったことにしたいよ、すみません
ごめんなさい、やっぱり行きませんって言いたい。
イヤだ。
しんどい。
イヤだよ、カッコつけてうんって言うんじゃなかったよ、
何してるんだろう、何がしたいんだろう。

やるしかないのに、甘えてる自分がいちばんイヤだ。
やるしかないんだ…。
<125> ロヴィン ■2005年01月30日 日曜日 09時25分45秒
大学に入った時の私は金髪だった。とにかく真面目に見られるのが嫌だった。暗い奴と思われるの嫌だった。金髪から赤,オレンジ,緑,青色々変えたおかげで「カメレオン」と呼ばれた。服も雑誌を見て買ったり,その当時は結構高価なものを買っていた。そして恐ろしいことに服を買わないと怖くなることもあった。同じものを着て外に出るのが恥ずかしくなった。
<124> ロヴィン ■2005年01月30日 日曜日 09時22分37秒
始業と終業に関しての注意点を書いてみたい。
やはり学期が始まる,終わる時には緊張し(緊張が解けるから)それなりのケアが必要だ。4月には始業,6月には実習,そういったイベントの前後はやはり精神不安定になる。でもある意味そこを訓練と捉えて,乗り切っていければまた自信になる。
<123> ロヴィン ■2005年01月30日 日曜日 09時13分22秒
中学校の入学式の日、初めて校門を「通過」した時の事って本当に象徴的に頭の中に映像として残っている。その門を通過した瞬間に,僕は自分の人格を押し殺さねばならなかった。もう波風は立てない「いい子」になることを自分に命じてしまった。今だったら多分こうするな。1人でずっと図書館に篭もって13歳位にしてドストエフスキーとトルストイとか『資本論』が読めちゃうような読書少年で,下校したら音楽聴きまくってギター練習して....。それが一番リアリティーあるかな。

とにかく桜舞うその校門をくぐった時に,僕は見事なまでに殺菌消毒されてしまったんだ。そうしたかったわけじゃない。そうならざるを得なかった。
<122> 豆だいふく ■2005年01月17日 月曜日 06時12分45秒
そうです。
私は自分の問題から逃げるために結婚しました。
自分を守ってくれそうな人だったら誰でも良かったの
だと思います。
そして、今そのツケを払わなければならない時期に来ています。
自分の為に人を利用しました。
最低です。
認めます。
<121> 稲妻R ■2005年01月15日 土曜日 21時58分26秒
私の人生の大きな節目は、引きこもりをやめて働き始めた時です。
家の事情で大学へ行くことが出来ず、でも諦め切れなくて、相談相手もなく、どう動いたらいいのかわからなくて引きこもっていました。
ついにいよいよ追い詰められて、死ぬしかないと死ぬ覚悟を決めました。
その時、”死ぬのはいつでもできる。もう一度外に出てやってみよう。それで駄目だった時はすっきり死ねるし。”という考えが浮かんできて、フルタイムのバイトを始めました。それが一番大きな節目です。

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This script written by Shintaro Wakayama.