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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.6
メッセージ数:120件

<120> NAC NAC ■2005年01月07日 金曜日 12時24分14秒
お昼前に〈114〉を片付けてしまおう。そもそも激動の2004を30分で斬るということ事体無茶苦茶なのだが・・・・・

@なんと言っても暴行事件(あたしゃよく我慢したよ。自分で自分を誉めてあげたいよ。これからは付き合う人も選ばないとねぇ)
A自助グループ閉鎖(通称?「ハグハグ事件」でショックだった)。そしてその原因のレイパーSさんとの一連のバトル(現代版お化け屋敷ってところですかぁ?)
B他自助グループの参加(怪我の巧妙? 大勢の前で喋るのは気持ちいいねぇ)と一部見合わせ(チェアマンの情緒安定性は大事だよ)
C福島・鮫川でのフリースタイル参加及び夜は国際A級たちとの宴会(右肩骨折は怪我の内に入らない? 写真のギャルたちの連絡先聞くの忘れたのは痛かった)
D4年来の趣味仲間Aさんと初(口)喧嘩&暫くして仲直り(事情も知らずに横からしゃしゃり出たYには参った。ほんとフランケンめ)
E親父は鉈・お袋は包丁振り回し事件(呆れた親で馬鹿につける薬なし。凶器を持つ前に「なんで子どもからそういう言動をされるのか?」反省しろってんだ)
Fバイクを新車で、あと念願の車を(中古ながらも)購入(これでいつでもHできる? でも相手が・・・・・)
Gプチ引き篭もりのHさんと仲良くなれなかった(こればっかは難しいよなぁ)
Hせっかく教えてもらったアイドルKさんのアドレス間違っていて?音信不通(でも1月末某自助グループで会えるかも!)
Iお見合い失敗(撃沈と言ってもいいだろう。マジで結婚クラブに登録しようかなぁ)

番外:新たな風俗開拓(秘密)と店Nで最悪経験(やっぱ指名は大事だよね)

以上10点、まさしく激動の2004年であった。さて飯食いに行こうっと。
J
<119> NAC NAC ■2005年01月07日 金曜日 11時37分08秒
中途半端な〈114)は後回しにして、先に(遅ればせながら)私の2005年の目標を!

@モトクロスで大怪我しないこと
A現国内A級から国際B級昇格を狙う(最悪でも1回はお立ち台に上がる、特に菅生)
B5月の鮫川(福島)でいいとこ魅せ、できればサイン&握手(ギャル限定)撮影会!?
C2.26大阪ドーム公演(観に行くだけ)でブイブイいわす
D引き続き友人・知人を増やす。それと名前と顔を一致させる(私は頭がちと弱い)
E車(特に車内後部ベッド)は綺麗にして、いつ女性を乗せてもいいようにしておく(常にエロい私)
F倉庫の古いバイクの処理(これは5台もあり面倒だ)
G引き続きカウンセリングと自助グループ、そしてコーチングの参加(これは大怪我しなければ問題なし)
Hアパート借りてパソコン購入(これはIさえクリアできれば速攻だ)
Iどこからか彼女を見つけてきて長年の風俗行脚及びビデオ収集とお去らばする(これが一番厄介だ。これからDVD買おうとしているのに)

以上10点、家族と仕事が一つも入っていない所が私らしくてよい。果たしてこんな30代前半でいいのだろうか? 大いに疑問だ。お馬鹿さんにならないよう本だけは読んでおこう。
<118> B.B. ■2005年01月05日 水曜日 18時33分09秒
就職したとき、ショックを受けた。
学生時代は理不尽なことがあっても、就職して一人立ちするまでのことだと言い聞かせてやり過ごしてきた。でも、働いて自分の力で生活するようになっても何も変わらなかった。親からの過干渉と無視の連続攻撃は止まなかった。
社会的な圧迫はむしろ就職してからの方が強いと思う。会社内での男女差別やいじめは当たり前だ。学生時代と違って「先生・道徳」っていうブレーキがないからなのかな?偉いさんが言ったことにはみんな反論せずへこへこ頭下げてる。腹のなかでは反論がいっぱいうずまいてるくせにとりあえず従ってる。
小学校で道徳習った?って感じ。
今どきの子は思いやりがない、とかってよくいうけど、当たり前だ。
一番酷いのが社会の大人達なんだから。
<117> ロヴィン ■2005年01月03日 月曜日 04時53分28秒
去年はボイトレとか弾き語り、やろうやろうと思ってあまりやらなかった。結構人の目を気にしてるところもあった。今年は人目をあまり気にせずに,かといって気負わずやりたい。 あと,もっと笑いたい。自嘲とか嘲笑とか冷笑じゃなくて,もっと温かく笑いたい。もしくは腹の皮がよじれるような愉快な笑い方をしたいな
<116> とーま ■2005年01月01日 土曜日 21時16分28秒
去年はめちゃくちゃな年だった。「底づき」と言う言葉があるけど、底づきだったんだろうか。それともまだ下があるんだろうか。「節目」、今年が節目になりそうな感じがする。どんな節目?。わからないけど、良い方向の節目になりますように。良い方向に変われますように。そして、ここの皆さんが良い年になりますように。
<115> ロヴィン ■2004年12月31日 金曜日 13時35分11秒
今年の私はどうだったんだろう....私はカウンセリングに行き始めてから変われた気がする。自助会も。もう前みたいに,自己分析を執拗にやらなくなった。前は自己分析できてないと安心できなかった。でもカウンセラーや自助会でお会いする人達と,自分の気持ちを共有してもらい,そして私も彼らの気持ちに共感することで,やはりラクになれたのだと思う。これは理屈で「どうして楽になったのか」とそのメカニズムを分析するのは,私には意味のないことだし,私はそれをやりたいと思わない。
<114> NAC NAC ■2004年12月27日 月曜日 16時58分04秒
残り30分で2004年の総括を。題して「2004年NAC NACの10大ニュース!」

なんと言っても1位は先月末の「暴行事件」だろう。そしてその結果は来年まで持ち越すことになったが、「世の中自分は『これが正しいんだ』と思ってきたのに、根本的に違う人もいるんだ」という意味で勉強になり、これからの私は引き続き「事情を知らない第3者に話しても恥ずかしくない」言動を注意するのみだ。

そして2位は5月末の「地元自助グループ閉鎖事件」 これも「世の中『強烈な嗜癖の持ち主がいるんだなぁ」という意味で私は悩み、またそれについての皆さんの参考意見を聞き私はいろいろと勉強になった。結果潰れてしまったのは残念だが、それで私は今のU市とO市の「いい雰囲気」に繋がったのだから、「結果オーライ」というところか? 付随して残念なのは、自分で地元で自助グループを(仕事が3勤交代の為定時を取れず)立ち上げられなかったことだ。まっしょうがない。

そして3位は5月半ば「福島・鮫川でのフリースタイル」だ。この時の私はテンション上がってかなりクレイジーで、前日の練習で私はぶっ飛んで「こりゃ皹入っとんなぁ」と経験からわかっていたのにも関わらずお客さんがいるということで再び私は飛び、案の定着地に失敗して完全に「右肩骨折」の憂き目に遭いました。詳しくは私の古い書き込みを読んでもらえばわかるが、マジ狂っている。まともじゃない。でもそうした「向こう見ずなチャレンジ精神?」のお陰で私は国際A級のフリースタイラー達と仲良くなれ、夜も宴会に混ぜてもらったし、昼間はピチピチギャルから「写真撮らせてください」とも頼まれ、「NAC NAC フリースタイルやっててよかったっす」の1日だった。(来年も出るぞ!)

4位は今月頭の「お見合い散りにけり」だ。もう書くことなし。
5位は苦手としていた菅生で「ビリからスタートして7位?入賞」だ(本当は「マジ表彰台狙っていた」ので残念だったが)。


今日はもう時間がないので、この続きは後日。
<113> ロヴィン ■2004年12月26日 日曜日 15時12分50秒
うつ病になった時のことはよく覚えている。卒論の準備で,地元の大きな図書館に向かう途中だった。 その前後に色々なことがあって精神が疲れきっていた。 途中の公園で気分が悪くなって休んだ。吐くかと思ったけど何もでてこない。そこで死ぬんじゃないかと思うぐらい,激しい動悸に襲われた。 それが初期症状で,だんだん机に向かっても,焦燥感に襲われるようになった。こわかった。誰かに糾弾されているような錯覚に陥った。あのころはやばかった。根性焼きをしたのもそのころで,その跡はまだのこっている
<112> ロヴィン ■2004年12月26日 日曜日 15時06分04秒
節目....多分節目になるんだろう。今から14年くらい前,小5か6年の時。
いや多分5年だな。クラスの友達数人と,地元のスーパーで万引きした。オロナミンCとかファイブミニとか,とにかく栄養ドリンク系だったと思う。服の中に入れたのか,鞄の中に入れたのか思い出せないがもう明らかにバレバレの格好だった。今にして思えばかわいいもんだ。上手な万引きのしかたもしらないなんて。 何を思ったか僕らは翌日もそのスーパーに現われた。なんでだろう,多分2回目も上手くいくと思ったんだろう...。ところが数分後,あえなく御縄ちょうだい。店員に呼び止められ,事務室へ。そこで正直に話した。学校へは黙っててくれた(はず)。そこで,一人一人親へ連絡入れられて,それぞれの親が迎えにきた。 僕も母親が迎えにきた。車で来たのかな,思い出せない。とにかくいえに返った。家に入るなり,母親は,浮浪者を見るような眼で僕を睨み「その汚れきった体をシャワーで洗い流してきなさい!!」と叫んだ。 いやいや,ちょっと待て下さいな,確かに心は汚れきってるのかもしんないわ,でもそんな古い考えする人いないよ(笑)。とにかく言われるままシャワーを浴びた。風呂から上がると母親は夕食の支度をしていた。テレビではサザエさんをやっていた。だから多分火曜日だろう。それからしばらくして,父親が帰ってきた。母親が連絡したらしい。まったく,こういう時だけは連携が取れているもんだ。返ってきて殴られた。平手か,グーか忘れたけど,痛かった。その後,泣きながら飯を食って,その間,誰も口を利いてくれなかった。飯が終わると父親が居間から,一冊の古いアルバムを持ってきた。那須かどっかに疎開した時の写真で,学校の集合写真だった。背後の校舎の窓ガラスのほとんどが割れていた。とても陰気臭い写真だった。父は「俺の時代は万引きなんかできる時代じゃなかったんだ。普通に食べることさえ難しかったんだ」と偉そうに言った。だから,なんなんだよ!!もう50年も前の昔だ。時代は変わるんだよ。もちろん万引きは悪いこと。でも俺の全人格否定するこたぁないんだよ。 

そっから僕は極端に暗くなった。いつも自分の存在が後ろめたかった。母親に見捨てられるんじゃないか,勘当されるんじゃないか,飯を抜かれるんじゃないか,と不安になった。だから,「とーーーーーてっもいい子」になりました。
<111> ロヴィン ■2004年12月23日 木曜日 21時44分59秒
節目がないなら付くってしまおう!!
俺があと60年生きるとして,その間に
少なくとも160回くらい節目はあるんじゃないかな。
変わりたい気持ちがあれば,いくらでも変化できる。
学校ですら4ヶ月おきくらいに節目が来るんだ。

今は変化の早い時代。一年スパンでやっているようでは
ある意味遅いのかもね。 
<110> ロヴィン ■2004年12月23日 木曜日 21時41分18秒
人生という節目と言うほど大袈裟じゃないけど,ある意味今が節目だよ?
だってAC自覚して,一応鬱が収まって。だからここでまた壊したい。
やっぱり寛解の度に,絶対に新しいページが始まってるはずだから。
前のページはもう破り捨てたい。
<109> 真名 ■2004年12月21日 火曜日 00時28分57秒
今つきあっている彼と出逢えた今年は、私の人生の節目の年だったと思う。
こんなに幸せな恋を、私はしたことがなかった。
ありのままの相手を深く愛する。
ありのままの私が深く愛される。
安心感。
親密な気持ち。
彼とメールで話しているだけでも、心が癒される。
私の想像以上の必要な言葉をくれる。
心にぴったりくる。
もっと早くに出逢いたかった。
でも、今が幸せならいい。
運命なのかどうかはわからない。
心が光の糸でつながっている。
あたたかい。
<108> NAC NAC ■2004年12月17日 金曜日 13時01分29秒
自分で話題を出したのだから、その結果も自分で出さなければいけない。〈106)のつづきだ。

結果は見事に振られてしまい、「ショック&残念4割、良かった&ほっとした6割」といったところだ。
これが普通の人ならブルーになって落ち込むところだろうが、ACかつ長年女日照りだった私にはちょっと転んだ(かもしれない)程度で、「いつの間にか擦り傷出来てた」ってところだ。
変な話(本当に変な話なのだが)、昨日の仕事中私は砕け散ったお見合いを思い返して「俺って何で落ち込まないんだろう? 普通の人だったら絶対落ち込んでいるよなぁ。俺も落ち込みたいなぁ。というか、正常な感情なら落ち込まないと拙いんじゃないの? やっぱACだから?」みたいなことをぼんやり考えていた。
ここで自分なりに「何故落ち込まないのか?」分析だが、「単純に馬鹿だから?」それを言ったら元も子もない。
理由は色々あるだろうが、やはり写真の第1印象(一緒に写っている母親をみて)「あぁこの娘も年取ったらこういう顔になるのかぁ。この顔を愛せるか?」と思ったら一気にやる気が失せたってのと、時を同じくして暴行事件の方で頭がいっぱいってのが大きく影響していると思う。
そんな私に、先日母親は「慰めるのが母親」とばかりにあ〜だこ〜だ言ってきた。
いくら鈍感な私と言えど全く傷付いていないというわけではないのだから「ここはそっとしておいてほしい」と私は思うのだが、そんな私のナイーブな心などお構いなしに、私の母親は「母親ぶって」口を開き続け、私の心を攻撃し傷口を大きくしようとする。
ほんと困った母親だ。子供の感情を想像してから喋るってのが全く出来ていない。
まっだから私はACなのだが。
そんな母親の愚行に私も段々苛々してきて「黙ってろよ」と言った。それでも喋る母親。
これで完全にカチンときた私は「『黙ってろ』って言っただろ」と怒鳴ったのだが、それに対しても母親は「親に向かって『黙ってろ』はないだろ」と言う。毎度のことだ。
お恥ずかしい話だが、うちの親は「自分たちの会話がおかしい」なんて更々思っていない。だから子供が「あなたは全然私の感情が看えていませんよ。そういう人とは私は会話しませんよ」という意味で「黙ってろ」と意思表示したのにも関わらず、愚かな親たちには「自分たちへの反抗」としか映らず、二言目には「親に向かって」と権力を誤使する。
こうした基本的な会話での感情のキャッチボールができないから、身についていないから、その必要性すらも気付いていないから、長年私は乖離して無意識のところでずっと苦しんできたのだ。
ほんと私は今のカウンセラーと巡り合えて良かった。でなければこの先どうなっていたのか?想像するのも怖い。
大事なのは「相互理解」コミュニケーションだ。それを学ぶため私は、明日の昼過ぎから「コーチング」という会話技術をアップさせるセミナーに参加してくる。(これで6,7回目か?)
親のことを話すと私は長くなるので、お見合いの話に戻って、
何事も事実は一つだ。
「私Kはお見合いでふられた」
この事実は誰が見ても同じだ。
しかし解釈は千差万別。「お見合いにふられた」ということは、また違う女性のけつを追い駆ければいいだけの話だ。「男もいろいろ、女もいろいろ」
もしあそこでお見合いがまとまってしまえば、私がベッツィージョンソンと結ばれる何十億分かの奇跡的確立がまた遠のいてしまうことになるし、風俗行くにも罪悪感が生じてしまうかもしれない。
人間夢だけでは生きていけない、が夢も必要だ。しかし現実には「30過ぎ」という年齢が・・・・・ それも今月末でまた1歩、世間的リミットである35に近付いてしまう。恐ろしい。寝て覚めたら若返ってくれていると私は助かるのだが・・・・・
そんな私には今日も仕事が待っている。それじゃ
<107> ayako ■2004年12月11日 土曜日 12時01分29秒
引越しは3月と思ってたが・・旦那が6月まで住むから6月まで居る事にした。期限は迫ってない。何だか安心した。さあ!転職を考えてもインじゃないかと思った。それから求人誌を見る様になった。今の所はまだ目ぼしいのはない。昨日旦那が「色々考えてて6月まですむかわからない」と言ってきた。またかよ!こいつはいつもそうなんだ。曖昧。腹が立ったけど怒鳴らなかった。振り回されるのはごめんだから。旦那がすまなくても私は6月まで住む。これでいい。旦那に振り回される自分に気がついた。もう人には振り回されない。私は私だから。
<106> NAC NAC ■2004年12月07日 火曜日 15時06分34秒
時間がないのでまずこちらを片付ける。〈103〉のつづき

親父の車を飛ばして待ち合わせのイタリアレストランAに急ぐ私。
なんとか3分前着「ふー危なかったー」
駐車場には他に3台の車があるも人の気配なし。「あれ〜もしかして俺の方が先着いちゃった?」
んなわけありませんでした。私が着くのを待っていたかのように前の車から仲人のSさん(年配の女性で私は初対面)と私のお見合い相手Hさんが出てきた。
期待と緊張で?顔がにやつく私(変な奴だ)。
そして駐車場で簡単にSさんからHさんを紹介される私。
第一印象は?と言うと(写真より頬の肉がなくて)内心「あれ?本人? それとも妹さん?」とマジ疑ってしまったほどで、私の美的基準点は5以下から6にアップし、そこそこOKといったところだ。
で、簡単な挨拶も終わり店内に入る3人。客は他にいない。それが反って緊張を助長する(お馬鹿な私でも一応緊張はするのだ)。席は(私が先に)テラス側を選ぶ。
そして「仲人さんは食事どうするのかなぁ?」と思っていたら、私たちと一緒だった。お陰で私は何から話したらいいのかマゴマゴしてしまい、せっかくこの日のために「anan」「JJ」「ViVi」といった女性誌を一夜漬けしてきたのに全く効果なしだった。
そしてメニューを見る。素晴らしい静けさと緊張感。お見合い実質2回目の私には「溜まらんなぁ」って感じだ。
因みに当日の私の朝飯は「イタリア料理じゃ腹減るなぁ」と、ご飯に味噌汁の猫まんまだったので、こ洒落てパスタでも食おうか?とも思ったが、「やっぱご飯だ」と豚肉?とソテーの炒め物セットを頼み、女性陣の食べるスピードに合わせて箸を進める私。
そんな私の細やかな気遣い?など何処吹く風で、Sさんはさっさとパスタを平らげてしまった(さすがオバサン)。
そうして食事しながら会話するわけだが、どちらかと言うと私は仲人のSさんとお見合いしているような感じで、食事中初めてHさんと目と目が合ったとき、初心な?私は照れてしまった。こんな感じはいつ以来だろう? なにはともあれ30過ぎの私には貴重な経験だ。
そんなこんなで適当に話を繋ぎ先に退席するSさん。ここからが勝負だ。
私は柄にもなく緊張していたので、何から話したのか?さっぱり覚えていないが、途中Hさんに趣味は何ですか?と聞かれ、私の喉元には「バイク」という3文字が出掛かっていたが、そんなことは死んでもいえない。
狼少年の私はさくさくっと「サッカー観戦」と言っておいた(プロレス観戦とも言えないところが辛いところだ)。
しか〜し、そんな私の謀略など結果的に効かなかったことになる。
それはHさんは仲人さんから私の趣味がバイクだということを聞いていたのだ。「ショック。糞親父め。もっと洒落たこと吹き込まんかい」と思ったが、今更後悔したところで遅い。後は自分で傷口を広げず墓穴を掘らないことだ。
しか〜し、そんな私の心配も希有に終わる。
な、な、なんとHさんも昔中型バイクのアメリカンに乗っていたというのだ(流石に今は乗ってないが)。
昔の私ならここぞとばかりにバイクの話をし墓穴〈自分の世界に入り込む)を掘るところだが、年食ったぶんだけ私は狡賢くなった。
切のいいところでバイクから他へと話題の方向転換を図る私。「危ない、危ない」
何とか脱出に成功し、「この後どうする?」とHさんに聞く私。
すると「夕方東京から結婚した友達が遊びにくるので」というので、「じゃ、今年オープンした地元のショッピングセンターでも行ってみる? あそこだったら行って帰って3時間くらいだから、どう?」と誘ったら、「いいですよ」の返事。「しめしめ。取りあえずここまでは順調だ」
そして肝心の車だが、当日私は親父の冴えない車を借りてきた(私の車は「如何にもバイク野朗」って感じなので乗ってこなかった)ので、私はHさんに「俺の車じゃなんだからHさんの車に乗せてもらってもいい?」と聞いたら、これまたOK!
う〜ん、何か順調し過ぎて怖い。これも女日照りだった故か?
Hさんに運転してもらって私は助手席「もう最高ー」って感じ。
(ところどころキティーちゃんグッズが目立つ)車中適当に会話しながら40分後現地着。「『腕を組もうかなぁ』のサインでも出そうかなぁ」と下心一杯の私。
「いけない。いけない。これで外したら最悪だ。最初はさら〜っと行かなくては」自制する私。
1時間ほど雑貨店を中心にぶらぶらして車に戻る2人。
帰りの車中で今日の感想とか話し、「俺はあなたのこと気に入りましたよ」みたいなことを遠まわしに告げる私。そしてHさんにも聞くも言葉を濁され、「まっ気に入っても入らなくても、仲人さん通してつげてもらえれば構わないから。とりあえず今日はどうもありがとうございました」とお礼して、イタリアレストランまで送ってもらい15:30に別れました(携帯番号もメルアドも交換せず。それは上手くいった2回目以降ということで)
そのあと私は何をしたかというと、速攻でうち帰ってバイクの練習に行ったんですねぇ、アホですねぇ、暇人ですねぇ。こんなのがお見合いしちゃっていいんでしょうか?「いいんです」
そして夜仲人さんにお礼の電話を入れ、無事3回目(実質2回目)のお見合いを終了した次第であります。
はたしてHさんの返事は如何に?
それによって私の2004年の年末が薔薇色になるか、砕け散るか?決まるのだ。
明るく2005年を迎えたいものである。

この続きはまた後日。
<105> 夕実 ■2004年12月06日 月曜日 19時11分42秒
そうだ。しなきゃならないことは多い。どのみち明日事故に遭うかもしれないし人生、誰も何も保障されてないんだから、、、っては毎日唱えてるんだけどねぇ。そう割り切れりゃ苦労はないか。
取りあえずは、そう治療に専念するっきゃないということだ。
今の私は3つしかないんだ。仕事、子供、解決できないこと。
40年も生きてきて何と引き出しの少ない奴なんだろう。

おとといトイレから出られなかった。私がいるの知らない部下の子達が、聞きたくないこと言ってたな。真面目にやれって言うくせに、自分はしょっちゅう休んでんじゃん、て?そうだよね。休み多い。でも真面目にはやってんのさ。
でもちょっとだけごめんとも思った。頭の中が書きなぐりの線みたいにぐじゃぐじゃだ。節目?節目ってなんだろ。節があるから強くなるのか。もうこれ以上強くならなくてもいいよなあ。
<104> 夕実 ■2004年12月06日 月曜日 17時38分15秒
癌告知の瞬間かな。節目。人生色んなことがあったけど。
目の前が真っ暗になったなぁ。時間がそこで止まってしまったよな。あんなにも死にたい死にたいって思ってたくせに。
告知は親近者にするって方針じゃない病院だった。けど、そんなの勝手に病院に決められるのって迷惑だ。ま、どのみち親近者は皆無に等しいんだけど。
敵が何者か分からなきゃ闘えないものしようがないか。

病気の説明、入院の予約、麻酔科の予約、事務的に手続きが進んでいく間はぼけっとしているだけでよかった。けど、家に帰るとそんなわけにはいかない。
子供になんて説明しようかって思った。玄関で笑う練習何回もしてから鍵を開けた。しばらく病気で入院するからねっていったら、案外冷たく、あ、そうって言われて呆けたな。次、仕事はどうしようかって悩んだ。子供の預け先と通学のやりくりもどうしたもんか迷った。だけど、そんな現実的なあれこれが結果的には現実逃避の材料にもなっていたんだろな。

案ずるより生むが易し、じゃないが手術は結構簡単に済んだ。通院しているけど術後の回復も順調ですよって言われてる。じゃ、なんで体重が減ってくるんだろう。術後は免疫療法だけと聞いてたのに、コバルトを始めるってのはどういうことなんだろうって疑心暗鬼になった。

砂時計はもうひっくり返ったって勝手に思ってしまっているけど、違うんだろうか。怖がり過ぎなだけ?ひとりの時間が怖い。眠るのが怖い。
ひとりぼっちが痛い。けど人と居たくない。どうしたいのかはよくわからない。

何にせよ、焦っている。焦りは禁物。破壊行動の欲求も抑えなきゃいけない。
自分諸共、まわりも何もかもぶっ壊そうとしてしまう自分が自分で分かる。
本を読もう。同じような人は五万といる。はいて捨てるほど。
そんな人達の書いた本を読もう。うん、そうしよう。
<103> NAC NAC ■2004年12月05日 日曜日 05時49分51秒
今日が人生の記念日となるのか? はたまた墓場への第一歩となるのか?は現時点でははっきりしない。歴史は後から評価されるのだ。

時刻は4:41。(小さい声で)「おはようございます、NAC NACです」
今日私は予告通り「人生3度目(正味2度目)のお見合いをしました。
結果から申しますと「私の方は(予想に反して写真よりちょっとだけ痩せていてそこそこ可愛く見え)相手の女性を気に入りましたが、向こうが角刈りの私をどう思うか?はこれまた別問題。別れ際私は一応その旨を彼女に伝えましたが、食事も含め3時間半共有した時間の中での私の感触としましては『次回に繋がる確立4〜6割り』と何とも判断し難い」といったところです。

では顛末を。
最近何かとトラブル続きの私は今回もトラブル発生。それもお見合い当日の朝、間抜けな親父が日取りを5日と勘違いしていたことが、仲人との電話によって発覚。そのとき私は(明日のお見合いのため)車の中を片付けている最中で、危うくモトクロスの練習に行ってしまうところでした。
ほんと馬鹿親父め。日頃人のことを散々言っているくせしてこれだ。
そこで日頃親父に対して快く思っていない私は、ここぞとばかりに親父を責めてあげました。
ひたすら低頭するしかない親父を甚振ることの気持ちいいこと!
例えていうなら「正月に舞う飾り凧」って感じですか? 気分爽快ですねぇ!
だからといって何時までも親父を罵っている時間的余裕はない。残念だが仕方がない。
お見合いの待ち合わせ時刻(12:00)までラスト5時間。
洗濯以外特別何をするっちゅうのもないので、私は朝風呂で1時間半以上ふにゃ〜っとしていた。
気が付くと時刻は8:54。「やばい。いつも時間間際になってバタバタする俺だ。早めに行動しなくては! 人生の一大事に遅れたら取り返しがつかないからな」焦って出る私。「爪の垢もOKだ」
風呂から上がって「何しようかなぁ?」と鏡を覗き込む私。
「何か髪型がイマイチだなぁ」と、私は自分で角刈りに鋏を入れる(「剃刀でサイドと後頭部を剃ってモヒカン」という馬鹿な選択は考えない)。
その出来栄えに「まっこんなもんでいいだろ」と、自分を納得させる。
そんな忙しい私にニャン吉が絡んでくる。容赦なくニャン吉を放り出す私。
そうこうしている間に時刻は10:00近くになり、私は今日の服装選びに入る。
まず単純に「スーツかカジュアルか?」という選択に私は無難に前者を選び、「色は?」の問いに「Yシャツは青を選びたいところだが、初めて会うわけだし、やっぱここも無難に白ちゅうことで。ネクタイは迷わずお気に入りの青系。スーツは黒じゃ相手も緊張するだろうから、ここは柔らかめの色で」
と、半年振りにスーツを着た私の外観は角刈りも手伝ってか?「田舎の体育会系出身のチンピラ」といったところだ。それについて私が今更悩んだところでしょうがないので、私は悩まない。
そして最後は「寒くなるので」銀のコートと「足の冷えない」黒い靴下。
「う〜ん完璧だ。どこを叩いても埃が出てきそうな感じだ」
そんな「のほほ〜ん」と準備をしている最中に私は「はっ洗濯だ!」と大事な用を思い出し、慌てて洗濯物を集める。
時刻は11:00近く。ほんとは本屋で「ぴあ」見て私は「ふふふ〜ん」とプランを練っているはずだったのに、時間管理ができない私はいつもこうだ。
なんとか11:30ちょっと過ぎに洗濯を終え、待ち合わせのイタリアレストランまで車を飛ばす私。
「やばい。20分で着けるのか?」と、早くも私の中では言い訳と後悔が交錯する。
なんで私はいつもこうなのだろう?
ACだから?
さもありなん。

つづく
<102> ayako ■2004年11月30日 火曜日 15時13分13秒
もうすぐ年末。私も3月の後半には引越しをする予定。物件よりも保証人が居ないのでソッチが問題・・。まだ申し込みはして無いものの前に利用した人曰く「物件選べない」みたい。高い家賃は絶対嫌だ。旦那が居ない間自分で7万払ってかなりギリギリ生活だった。服も買えないし、好きな物も食べられなかった。悲しかった。
住むエリアも考えてる。今住んでる地域にしようかと思い始めてる。前は凄く嫌だったけど今は何だかどうでもいいやと思ってる。でも不健康な人間関係から卒業するから違う地域の方が良いじゃないかと思ってる。慣れない土地はやっぱストレスかな?でも節目だからな〜と思う。まだ時間はあるからユックリ決めよう
<101> NAC NAC ■2004年11月29日 月曜日 04時09分53秒
「地球滅亡まであと1週間」 じゃなかった「お見合いまで1週間」である。
なんとか私の髪も角刈り程度には伸びたが、問題はお見合い当日もサイドと後頭部を剃ったモヒカン仕様で行くか?だ。
これ(お見合い相手)がズバリ私のストライクゾーンだったら私は何もこんな真似をする必要はないのだが、今回のお相手はズバリ「外角高め、見送ればボールの可能性あり。しかしバットを出せば確実に外野(犠牲フライ)まで運びますよ」って感じで、少々「バットを振りに行くか?」躊躇する面がある。
また、ここで私が怪しい球を見送ったからといって、次にいい球がくるかどうかはわからない。
やはりカットしに行くしかないのか?
う〜ん葛藤だ。悩む。
でも悩んでみたところでどうしようもなく
されど、そこはACの私。意識と無意識が食い違っている。
どちらを優先すべきか?

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This script written by Shintaro Wakayama.