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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.5
メッセージ数:100件

<100> 柊 ■2004年11月26日 金曜日 16時32分59秒
旦那から「でも、今まで進路は自分で決めたんでしょ?」って
聞かれた。
私が決めたようで、決めたんじゃない。
そういう道に進むように母親や親戚中からコントロールされて
きて私は操られてた。
私は優等生の従姉のお姉ちゃんを抜かすことは許されなかった。
物心ついたときから「柊ちゃんは、短大に行くのよ」って
言われてきたので、それが当たり前と思ってた。
母からも「○ちゃん(従姉のお姉ちゃん)より勉強が出来たら
駄目やからね。あんたは普通でいいから」てずっと言われてきた。
でも、「勉強しろ」ってうるさかった。普通でいいなら家で
勉強しなくても普通の点数取れた。
だから、いつも勉強してる「フリ」をしてた。
そんな感じでずっと、「並」の成績を維持したまま短大を
卒業しました。
周りの期待通りに、一般事務職についてお茶汲みOLしてました。
後は、社内恋愛で結婚してくれるのを両親や親戚は
待つだけ。でも、従姉のお姉ちゃんより先に結婚してはいけない。
そんな暗黙のルールがあった。
だから、いつも私は「○○ちゃん、結婚しそうなのかな?」って
祖母にさぐりを入れていた。従姉が結婚しないと私が結婚できない
気がしてた。
結局、社内では縁はなく遠い土地の人と結婚することになって
しかも、従姉より先に結婚することになってしまった…

二人目がお腹にいるときにACと気がついた。私は自分の進路は
自分で全部決めてきて、親は関係ないと思ってたけど、
色々考えて過去を振り返れば、親の言いなりだったよね…
母にしたら、遠くへ嫁に行かせたことだけが失敗だったけど
全部母の思い通り。孫が見れたのは母にとっては今まで憎たらしい
娘を育ててきたご褒美とでも思ってるんだろうね。
私は何のために生まれてきたんだろう?
私は私自身の道を自分で決める権利を今まで持てなかったことが
悔しい。
私は、優等生じゃなかったけど
それを親のせいにして悔やんでるんじゃない。
仕事がお茶汲みOLだったことを悔やんでるんじゃない。
その選択を自分で決めれなかったことが一番悔しい…
親のコントロールがなかったとしても私が社会に貢献できる
ことなんて、たいしたことはない。
でも、たとえ給料が少ない仕事を選択したとしても自分で決めた
ことなら、誇りに思えただろうしやりがいもあったと思う。
もっと、胸を張って生きてこれたと思う。
ちょっとのことで、くじけたりしなかったと思う。
<99> NAC NAC ■2004年11月23日 火曜日 03時18分38秒
お馬鹿なA(詳しくは「こころの持ちよう」参照)で、6時間パックも残り30分を切ってしまった。私のタイピングスピードではとうていお見合いネタを書き切れる時間ではないが、書けるところまで書く。(たぶん延長だろう。明日は朝からコース整備して昼過ぎから私は仕事なので夜更かしOKだ)

では始まる。
先日私が帰宅すると、親父が「お見合い相手の写真が送られてきたぞ。中々いい娘だぞ」と言うので、「親父には良くたって、俺にいいか?は別だろ」と言って私は写真の入っている封を開け、不安と期待で恐る恐る中から写真を取り出す。
最初に目に飛び込んできたのは皺枯れたおばさんだ。
一瞬きょとんとする私。
「おいおい何だい?、母ちゃんと一緒の写真かい? お見合い用にそうした写真用意するかねぇ普通? それとも『うちは母娘仲いいのよぉ』ってサインなのかぁ? どっちにしたってこのおばさんの面からじゃ美人な娘は期待できそうもないなぁ」とさらに写真を封筒から引っ張り出す私。
そして飛び込んできた母親似の娘の顔。頬の肉がぽっちゃりしていて推定体重55〜60ってところか?(何分上半身だけの写真なので詳しいところまではわからないが)
「3〜5キロ痩せたらもうちょっと魅れる顔になるんだけどなぁ。それとメイクで目元をぱっちりさせればね」
落胆する私。これもお百度参りをさぼった罰なのか? それこそGODブレスMEだ。
「えっこんなのと俺遠い将来結婚するかもしれないの? 嘘だろオイ。それにしてもよく(母親と)似てるよなぁ。まさしく生物の正常進化ってやつですかぁ? 当然写真の彼女も年取ればこういう顔になるわけだ。う〜ん『(お見合い相手の容姿が)Hさん(私の美的評価では7)以上ベッツィージョンソン(同最高10)未満』を希望していた私としては、評価(現状では)4(痩せて化粧変えて6といったところか?)は何とも承服しかねるねぇ。何で先方は俺なんか気に入っちまったんだろう? 俺が女だったら『バイクとSEXしか頭にない』男なんて絶対嫌だね。だけど副うそう贅沢も言ってられねぇしなぁ。ここらで妥協するしかないのかねぇあたしゃ。年は取りたくないよ」内心愚痴る私。
そこへ親父が「どうだ?」と聞くので、私は「何か乗る気しなくなっちった」と誠に正直に答え、側にいた雄猫のにゃん吉に「おぉにゃん吉、お前お見合いするか? お前なら絶対気に入られるぞ、可愛いし。どうだ、俺の代わりに見合いするか?」と聞いたが、彼に私の悲痛な思いは届かなかったらしく「何処吹く風」で、全くもって主人がピンチの時に役に立たない猫だ。
親父は「だめだろ、そんなんじゃ」と言うが、私にだって好みはあり、選ぶ権利もある。
さらに親父は追い討ちを掛けるように「30過ぎちゃそうそうお見合いの話なんて来ねぇから。自分で見つけられんならいいよ。見つけられねぇんだろ?」と未だ一人の私を扱き下ろす。
私だって何も好きで30過ぎて独身でいるわけではないし、気になる(プチ引きこもりの)Hさんがもっと私の方を向いてくれたのなら何も問題はない?のだ。
そんな親父の無神経な発言に私は「うるせぇんだよ。見合いするのは俺なんだから黙ってろよ」とやりかえす。
当然馬鹿な親父は「親に向かって『黙ってろ』はねぇだろ。お見合いすんだろうな? 写真もらっといてお見合いしませんじゃ『あそこのうちはどうのこうの』言われて二度と見合い話なんて持ってきてもらえねぇから」と相変わらず子どもの幸せよりも自分たちの世間体ばかり気にする。ちっちゃい親父だ。
うざったいので「見合いすりゃいいんだろ? 会うだけは会うから」と私は突っ放そうとした。
それでもあれこれ食い下がる親父。と、まともに返事しない・したくない私。
彼からすればそうすることが『子どもを心配してますよ』ということなのだろうが、子どもの私からするとそういうダブルミーニングを伴った言動には「いい加減黙っててくれ」って感じだ。
こうした「子どもの感情を一切省みない」言動を親父は繰り返すから、私は自分の父親を好きになれないのだ。
そうした「理想とまではいかなくても、そこそこ及第点の父親像」を体験して来れなかった私が見合いなんてしていいのか?さえ本当は疑問なのに・・・・・
とにかく私が「会うことだけは会う」とわかったので、親父は渋々納得したらしい。
まだ現時点では正式な日取りは決まっていないが、「12/4は日がいい」らしく、一応その方向で親父は仲人にお願いしている次第だ。
因みに非常識な私はそうした格式張ったものが大嫌いだし、親主導で物事が運ばれるのを私は快く思わない。
仏滅に会おうが大安に会おうが、続くものは続くし、別れるものは別れる。
そうした型破りな私からすれば「相手の連絡先だけ教えて、後は当人たちに任せろ」って感じだ。
取りあえず(現状ではHさんに全くと言っていいほど相手にしてもらっていない)私は、寂しい年末年始を過ごす(例年なら休み中、毎日朝から晩までモトクロスの練習でバイク乗りっ放し)のが嫌なので、ここは手堅く「相手に気に入られるよう」アホでスケベな自分を封印して「30過ぎのしっかり者の好青年」を演じることにする。
その最終的な狙いは、後日見合い相手の友達と合コンして私はより上を目指すことだ。
だけど「女性が友達連れてくるって時は大抵自分より可愛い子は連れてこない」ってのが私が数少ない合コンから得た教訓で、今でも苦い思い出ばかりだ。
それでも「今度こそは?」と期待する私。
そんな私を「恋愛詐欺師」または「お見合い詐欺師」と呼びたければ呼べばいい。
「バイクが彼女?」なんて寂しい人生とはこれを機会にお去らばするのだ、私は。
何はともあれ12/4以降、私は愛に目覚めるのだ!?
それまではモトクロスの練習、練習っと。

しまった。私は大事なことを忘れていた。
それはお見合い当日までに私の髪がせめて角刈りまで伸びているかどうか?だ。
現状では「ギリギリ」といったところか?
大丈夫かいな、こんなんで?
<98> ayako ■2004年11月19日 金曜日 15時40分45秒
離婚して3月には引越し予定。でもお金がたまるか心配。貯めるけど。この間元だんなが国で見合いしてて結婚する事にしたと知った。ムカツク。自分はしっかり次の女に乗り換えてる。まぁでもだからこそ私から離れたんだろうなと思う。私はやっと一人になって自分の時間を持てる。最低3年間は男要らないな。前は彼氏欲しくてたまらなかったけど今はかえって欲しくない。疲れるから。3月には本当に独身になれる。腐った人間関係から出発できるのも3月。それまで体が持ってくれると良いけど
<97> NAC NAC ■2004年11月11日 木曜日 20時35分15秒
さ〜て今日の始まりはやっぱここからでしょ。
今私は右手に「週間プロレス」、左手には「anan」「JJ」「ViVi」といった女性誌を閲覧中。
ここで、なぜ厳つい私がその手の本を読んでいるかというと、お見合いが一歩前進したんですねぇ。私の(昔の)写真を先方がOKしてくれたんですねぇ。やっぱ男前は違いますねぇ。モヒカンの写真送らなくて正解でしたねぇ。
てなわけで、万年女日照りで「女性全般に疎い」私は、来るお見合いの日までネタ集めに奔走する次第となったわけです。
いや〜それにしてもネットカフェは便利だねぇ。こんなファンキーな頭した兄ちゃんが本屋で女性誌読んでたら間違いなく白い目で見られるもんなぁ。下手すりゃ通報されるよ。
てなわけで、今日は情報収集しながら書き込みたいと思います。

(96)の続き
私はお見合い用の写真をどうしようか(「スキャナーで加工してもらうか?」)悩んでいたら、親父が勝手に私の部屋(鍵なし)に入り、これまた勝手に写真を探して、勝手に先方に送っていた。
偶々先方に気に入られたから良かったものの、相変わらず「子どもの感情を省みない」マジむかつく親父だ。
何でちゃんと人に断ってから物事を進めようとしないのだろう?あの馬鹿は。
「お前がお見合いするんじゃねぇんだぞ。勝手なことすなボケ」と私は言ってやりたかったが、とりあえす結果オーライで我慢しておいた。俺は大人だ。
運良く?先方に気に入られたから良かったものの、これが写真1枚で断られた(前科あり)なら、私は間違いなくボケ親父に怒りの鉄槌を食らわしていたことだろう(トドメはもちろん坊主頭ということでシャイニングウィザード)。
さてその先方に気に入られたという写真だが、(私もあること自体忘れていた)数年前私が鬱だった時に犬を散歩させていて、偶々近くのおじさんにインスタントカメラでとってもらった写真(もちろん髪型は普通)で、今のギラギラしている私と比べればはっきりいって瞳に力がなく弱々しい感じだ。
もしかしてその弱々しさが相手の母性本能を擽ったのか? だとしたら(俺も罪な男だなぁ)相手も間違いなくACだ、たぶん。 
それとも私が散歩させていた柴犬に興味を持ったのか? だとしたらヤバイ。
まっどっちにせよ、「子どもの意向を汲もうとしない」ダブルミーニング連発の糞親父に私はむかつくものの、わざわざ東京まで出向いてヨン様セット(ヅラと眼鏡)を購入しなくて済んだわけだから、これで目先の問題を一つクリアー。

そして次は疑問というか不安だ。
ここで私は何が不安か?というと、先方は農家の娘なのだが、なんと「農家に行きたい」とかぬかしているらしい。
農家の息子で跡を継ぐ気などこれっぽちもない私からすると「嘘だろオイ。今時そんな奇特な奴いるのか? 売れ残っちまった(28)んで何か夢見てんじゃねぇのか?」ってのが正直なところだ。
私はまだ相手の素性は知らないが、これが農学部や薬学部といった、そっち関係で勉強したり経験した人ならまだわかるが、「何でよりにもよって農家なんかに行きたいとか言うのだろう? 昨今の野菜高沸で『農家なら食いっぱぐれがない』なんて思ってんじゃねぇだろうな。あたしゃ嫌だよ農家臭いのは。誰が農家なんかやるかい。まっ相手がベッツィージョンソン(詳しくは「ViVi」裏見開き参照)なら考えるけどね」
とまぁ、 ワーカホリックの親の下で愛情を知らずに大きくなってしまった私からすると「農家なんてI don't believe!」だ。
いったい田舎の農家の、28で独身の娘とは、いかなる考えを持った女性なのだろう?
なんかブッサイクのような気がすんだよねぇ。あたしの人生、浮れてると碌なことなかったからなぁ。大体裏目。
それにあたしゃ面くいだから「Hさん<お見合い相手>ベッツィー」じゃないと受け付けないよ。
仮に100歩譲ったとしても「巨乳or床上手(ってそんなのが写真でわかんのかっつうの)」 それは「おっぱい星人」としてあたしゃ一歩たりとも譲れんね。
とりあえず私は親父を介して「先方にも写真を送ってくるよう」頼んどいた。
後は「残った一論の薔薇」であることを願うのみだ。
明日からお百度参りでもしようかね。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏?
違った、GOD ブレス MEだった?

つづく
<96> NAC NAC ■2004年11月08日 月曜日 22時11分07秒
ふっふふ。最近Hさんとの仲が思わしくないのに、私がこの言葉で始まるってことは?
そうなんですねぇ、ついに私にも何度目かの春?がやってきそうなんですねぇ。
季節は落ち葉舞いクリスマスに向かっていこうとしているのに、私には季節はずれの冬桜が咲くかもしれないんですねぇ。
果たしてその春とは?
なんとお見合いなんですねぇ。
当初はHさんとのこともあり私は全く乗る気じゃなく(親は乗る気)「どうでもいいや」と天邪鬼状態だったのですが、「Hさんとの仲がこれ以上の進展を望むのは非常に難しいわ。Hさんを何とかしてあげたい気持ちはあるけど、会話が全く成立しない現状は喋りたい自分にとっては不安が募る一方だし、ただ時間が過ぎていくだけで、こうして貝になったHさんに囚われて目の前のナイスな出会いを見逃したらそれこそ一生の損や」と私は前向きに検討する次第になったわけです。Hさんごめんなさい。
しかしお見合いをするにあたって私には問題と疑問がある。

まず問題。
私がACであることはこの際置いといて、先方が私の写真を要求してきたことだ。
まっお見合いでは当たり前のことなのだが、今の私は坊主だ、それも頭頂部だけ毛を伸ばそうとサイドと後頭部は2日に1っぺん剃刀をいれている。
そんな私の写真を先方に送れるか? 答えはNO!だ。
私は過去の写真でまともな髪型を探したがNOTHING! 履歴書用のスペアもない。
何でよりにもよってこんなファンキーな髪型の時にお見合い話が来るのだろう?
神はそれほど私に試練を与えたまうのか?
まさしく「OH MYGOD!」で、私はマジでヅラを検討しなければいけない状況になってしまった。
マジで東急ハンズで私は「ヨン様セット」を購入しなければいけないかもしれない。
その深〜い悩みを私は先日趣味仲間に話したら、「いっそのこと全部剃っちゃったら?」とまるで人事のようにあっさり言われてしまった。
私はニコニコしながら「『うんそうだね、剃っちゃおうかぁ!』 って剃れるかい。大体誰がそんなハゲと見合いすんねん? 俺だったら絶対せぇへんわ」と思い切り突っ込んでやりたかったが、それ以上こころない奴らを相手にするのは止めておいた。
どうしよう? 「リアップ」全部振り掛けたって直ぐには生えてこないし・・・・・
いっそのこと古い女性週刊誌から坊主頭の窪塚の写真でも見つけてきて、相手に坊主に対する耐性を着けて置くか?(果たしてそんなんで大事なのか?効果の程は甚だ疑問だが)
でもやっぱそれって詐欺だよねぇ?
俺ってよくよく罪作りな男だなぁ?


時間がないので今日はここまで。「問題」は次回だ。乞うご期待! さらば。
<95> ayako ■2004年10月29日 金曜日 12時41分22秒
離婚する日にちは12月って決めてたけど今日さっきしてきた。元旦那と二人で区役所に行って・・届出は受理された。外国人だから時間はかかったけど。役所からの帰り道「とうとう一人だね」と旦那。「元々一人なんだけど」と私。旦那は私と家族だと思ってたらしい。私は家族も家庭もない人間だと自分で思ってたけど。改めてお互いの考えのギャップを感じた。旦那に言われて少し寂しくなった。まだ別に住んでるわけじゃないけど7年居た人と別れたから寂しくなるか。籍入れて3年・・
不毛な結婚生活だった。虐待されてたと言っても良いと思う。親と同じ男と居て、結婚して・・。結局旦那はビザ目的だったのだと思う。ワーキングビザ貰って喜んでる姿を見たら怒りが吹きだして来た。今はお互い他人。ルームメイト。3月まで住む事にしてるけど・・どうなる事やら
<94> ゴンタ ■2004年10月27日 水曜日 20時06分25秒
離婚したい。
でもそうしたら子どもが傷つく。
そして私はすでに傷ついている。

おまえは妻としてはずれだという夫。

いったいいつになったら回復するのさ?
あんたは自分のことで手一杯だもんな。
この家は帰ってきても自分の家じゃないみたいだ。

ACであることもグリーフワークのために安全な場所が欲しいことも、すべて自分の理解を超えていて、家族の枠組みからはずれていることに失望を隠さない。
私がそんなに悪いの?
私を責めて満足?

何年も前から夫の愛情がなくなっていたのに、気づきたくなかった。
子どもを通してつながっていられた。少なくともあの頃は。
でも・・私は支えが欲しかった。
それが得られなくてずっと癒されなかった。
そして・・私は壊れた。

離婚したい。
私はどこか遠くへ行きたい。
<93> ぽん ■2004年10月21日 木曜日 20時07分07秒
仕事をやめて2ヶ月がたつ
もうじきお金も底をつきる
これからどうなるだろう
お金がなくなって
食べるものがなくなって
住むところがなくなったら
どうなるんだろう
やっぱり死ぬのかな
死んだらどうなるのかな
お星さまになるのかな

もう働きたくない
お金をもらうために
何かをするということを
したくない
したいことだけ
したいだけ
したい
それで生きられないのなら
生きなくていい
悲しいことばかり
おわりにしたい
<92> ゆうこ ■2004年10月13日 水曜日 13時17分19秒
節目かぁ。彼氏の家から、自分ちに帰るのが辛くて。「そんなに辛いなら、ずっとここにいれば」と言われて、ほんとにそのまま、ずっといてしまって、もう一年。家を移ってから、ACの本も読むようになった。パパもママも怒ってた。でも、訴えた。何回も、諦めずに、しつこく、メールを送りつづけた、私は淋しかった辛かった!と。最初は、自分が傷付く結果になったけど、メールを送るの、止められなかった。今は、少しは理解してくれた。
<91> モハメッド ■2004年09月29日 水曜日 10時45分40秒
「何でも一人でやってきた」

 過去はもう私の体を離れ、特にそれを振り返ることもなくなってきた。もう、ええやないか。
 問題は現実でありこれからさきのこととなってきた。私はこれまで何でも一人で考え、決めて生きてきた。子供の頃や20代になってもそうであったが、疎外感や寂しさは言葉にできない。。風邪で寝込んだり、病気(胃痛・うつ)、重大な怪我で動けなかったときも誰にも助けを求めることもできず、地獄の底を這いずり回って生き延びてきたような気もする。
 今、ようやく過去の整理も終わり、冷静に自分と向き合うことができているのだが、結婚をしたいなどという思いさえ浮かんでこない。
 一人は気楽でいい。しかし、いずれその代償は自分に返ってくるのだ。
先週図書館で森村桂さんの「天国に一番近い島」をみて借りようかと思ったのだが、1964年の出版で古いので借りるのをやめた。私は森村桂さんが軽井沢に居を移し、手作り菓子店「アリスの丘」を運営しながら、IR軽井沢駅の壁画制作などの芸術的活動をしていることを新聞の紙面で知っていた。
 昭和35年の社会の変貌期(日米安保条約・基地問題・工業化の推進)にニューカレドニアに行った。行動的な女性の先駆けのように見えたが、最近では忘れられた人なんだな。という感想をもって本を図書館の書架にもどしたのだった。
 その森村桂さんが9月27日(病苦の末に?)自殺したという新聞記事を見ていささか驚いた。遺書がないことに。。。。
 64歳だったという。。。私も自分の最後は楽観的に考えたりします。。終止符は自分で決めたいと考えています。。それまではしぶとく生き延びてやろうと考えていますがね。
<90> 柊 ■2004年09月21日 火曜日 23時26分08秒
去年、家を建てました。小さい時から広い家に住むことにあこがれてました。自分の部屋を確保することが夢でした。でも、私は去年家を建てる前に気がつきました。私が一番望んでいたのは、広い家に住むことではなく自分が安心して暮らせる家ってことを。
<89> みーゆ ■2004年09月08日 水曜日 19時10分48秒
出産に少し期待しすぎちゃった。
きっと、今度こそ、「頑張ったね」って
他のママたち同様、言ってもらえると思ってた。

「パパが本性が見えるって本当ですね。って言ってたわよ」が第一声
結局、いつもと同じ、私は笑い者・・・。

他のママが羨ましかったよ・・・。
姑さんでさえ、喜んで褒めてたよ。

どんな節目でも私は虐げられるだけで、生きる喜びが見つからない。。。

<88> ayako ■2004年08月13日 金曜日 13時49分09秒
人生の節目は離婚。今日旦那は一時帰国で国に帰った。日暮里は人が多かった。
朝の5:30起きは辛かった。でも眠れない。こうしてNETしてる。
ここ三ヶ月の苦労が実り旦那は私を諦めた。態度は友達になった。良い距離感。
裸で歩くと触ってくるから油断は出来ないが・・。体壊したせいで引越しは伸びたけど良いや。まずは体を完全に治したい。届け出の時にゴチャゴチャあるかも。
12月3日は私の28歳の誕生日。この日に離婚+引越ししよう。
<87> MARU ■2004年08月12日 木曜日 01時39分05秒
なんで、
「半年位付き合ったら、一緒に住もう」
なんて、言えるんだ、お前?

お前、何が欲しいんだ?
家族?

寂しかったんだろうな。
お互い、バツイチでさ。
あんたには、子どももいたからさ。

あたし、分かんないよ。

他人と暮らすなんて、
考えられない。
けど、寂しい。
あんたの言うなりに、
きっと、あんたと暮らすだろう。
そして、半年もせぬうちに、
破綻。

また。

また、そうなる。
目に見えてる。
けど、止められない。

今度こそ…!

と、願う、
祈りみたいな気持ちが、
僅か、ココロの底にある。

けど。
<86> モハメッド ■2004年08月07日 土曜日 10時22分10秒
人生の節目。
これは私にとって人生の終わり。という意味でよく考えさせられる。
先日も体調が悪いわけではないのに、朝起きると倦怠感で動くことができなかったが、恐らく低血圧のせいだと思われる。
 胸焼けもはげしく不快だった。さいわい。昨日から食事時間を変更したり、パチンコホールで仲のいいおばさんと話しているとストレスも軽くなり改善している。
 ただ隣人がいつ死んでもかまわないような生活をしているので、このクソ暑い時期に死なれたらすぐに体は腐って銀ハエがたかり、後片付けに時間がかかり、腐臭がずっと残るようだ。3年前の9月に隣の50ぐらいのおばさんが孤独死であった。
肉体は腐って溶けていたと聞いた。死後1週間はたって発見されている。ハエの大量発生とその後の腐臭にはまいりました。
 私は年老いて病気で体も思うように動かせなくなったら、その後の処置を書き残して、できるだけ冬の寒い季節にそれなりの終わりを考えたりはしています。
 人生最後の節目ですね。悲観的にではなく現実的にとらえています。
<85> NAC NAC ■2004年08月05日 木曜日 18時39分32秒
人生の節目というほどでもないが、今私は今年2回目のアパート探しに入っていて、因みに入居予定は盆明けから同月下旬を私は希望している。
そこで私が引っ掛かるのは場所だ。
前回は「T市で」私は探していたのだが(理由は学生街で安いから)、今回はそれに「O市」も加わる(理由はそっち方面の自助グループに出易いから)。
ここで私がよく利用する2つのスーパー銭湯(値段はどちらも一緒)が出てくるのだが、
・T市のSP銭湯は
  利点:O市よりも営業時間が長く年中無休(O市月曜休み)で休憩室(O市なし)がある
  不満:漢方風呂がなく、別湯も(源泉があるような)本物の温泉から汲んできたのではない(モトクロスで打ち身・捻挫が絶えない私としては漢方風呂は気持ちだけでもグーだ)
以上のようなところから、今のところ私の中でのO市に住む確率60%、T市40%と、O市優勢で、それにO市は車でそれほど移動せずにいろいろ買い物がしやすい。
そして「寂しい時の男子最大の誘惑」である風俗店N&Sもあるってのが味噌だ。
う〜ん、スケベな私にとっては嬉しいような、悪魔のような・・・・・
でも要は早いこと彼女(できればHさん希望)見つけて同棲状態に持っていけば、そんな怪しい所に私は通わなくて住むのだ。
でも私と同棲する女性は大変だろう。
何せ私は毎晩求めるような「ねちっこい」男だからな。
あたしゃ金曜日に意中のHさんにでも「どこがいいか?」それとな〜く聞いてみようかね。
<84> 真理子 ■2004年07月26日 月曜日 13時08分22秒
離婚という節目
一年ちょっとの別居生活に、ついにピリオドを打ちました。
お互い、喧嘩別れはしたくない、と思って、いい形で別れられたとは思います。
ふぅ。×2だわ。ショック。
最初の結婚相手は、お金にルーズな人で、価値観も違ってね。
大失恋のショックから、衝動的に結婚したから、よくなかったわね・・・

今の主人(以後彼と表現します)と知り合ったのは高校生の時でした。
彼は一つ年下です。少しの間恋人でした。あたしが卒業して別れて。
再会したとき、あたしは結婚していました。
でもあたしは辛い結婚生活に疲れ果てていました。
再会して、お互いの気持ちが惹かれあうのに時間はかかりませんでした。
時間をみつけては、会っていました。
主人にばれて、大変なことになったりしました。
彼は呼び出されて、でも逃げないで、話あいに臨んでくれました。
もとより話し合いになんてならないけれどね・・・とても怖かったのをはっきり
覚えています。流血沙汰になったらどうしようって・・・。
あたしたちは思いつめて、ある日どこへ行くでもなく車を走らせました。
あぁ、この人はあたしとの死に場所を探している・・・そう感じました。
真夜中に、そう、まだ吐く息が白くなる季節に
ある桜の名所にたどり着きました。そこで、死のう、と。
この世で一緒になれないのなら、いっそ死のうと。それしかないと。
でもあたしは思ったの。
生きて、二人でここの満開の桜を見る!って。
生きよう。生きて、この人と一緒になる。と。
それは他人の不幸の上に求める幸せになっても。
そして、あたしは離婚して、周りを敵にまわして。辛かったけど彼がいるから
それだけでよかった。実家にかえることもできず、狭い部屋でひとり暮らし。
週末に、彼が来てくれた。その時間だけ生きてると思った。

あたしは、子供を産まない方がいい体だ。あきらめるように、医師から言われた
体でも、彼は、理解してくれた。ご両親も説得してくれた。
お式はあげなかった。写真だけを撮った。ドレス着てね。

三年過ぎて、あたしはどうしても、彼の子供が欲しくなったの。
精神科の医師には内緒で、妊娠。何度も流産しかけたけれど、どうにか
娘を授かりました。お腹にいるときから名前は決めていました。
男でも、女でもつかえる名前を。
その名前は、あたしたちが死のうとした土地に由来するもの。
死の彼方にあった名前を、生きる希望である、娘に託しました。

でもあたしは酷い育児ノイローゼになり、幼い娘を抱いて
もと通っていた精神科に行きました。娘を抱いたあたしを見たときの
先生の驚いた顔。それからは、医師のサポートの下、育児をしました。
でも体を壊して、入院。彼の実家に身を寄せました。
これ以上、一人では子育てできない、(任せられない、と彼は言った)
それで、彼の実家近くにマンションを購入して転居。
その間も、娘はすくすくと、かわいらしく育っていきました。

そう、その育児ノイローゼの時にあたしは彼を裏切るという過ちを犯しました。
どうかしてた、という言葉で片付けるわけにはいかないでしょう。

それでも、そのことが彼に知られても、あたしたちは一緒にいることを
努力しました。でもやっぱり顔をあわせているのが辛かった。
あたしは自分を責め続け、彼は無口になっていった。
なんとかしようとお互い必死になったけれど、どうにもできなくなった。
彼もあたしも、疲れ果ててしまった。

娘には申し訳ない。あの子と離れている今、本当に身を切られる様で辛い。
あたしが命がけで産んだのよ!だからあたしから取り上げないで!
これは聞き入れられることはなかった。
経済的基盤もなく、体も丈夫じゃなく、統合失調症のあたしに、何ができる?
娘の幸せのために、あたしは彼にあの子を託すしかなかった。
義父母がいる。優しく、理想的な家庭を築いている人たち。
そこにいるほうが娘にとって幸せじゃないのか?
会えばママと暮らしたいと泣く娘に、ママが病気なのは知ってるよね?
だから、ママとは暮らせないの。だけどいつでも会えるから、待ってるから、
と言い聞かせてきました。今は笑顔でまたね、って帰る娘にほっとしています。

あたしは彼を、愛しました。こんな結果になったけれど。
<83> キーコ ■2004年07月26日 月曜日 10時07分46秒
お父さんの態度と言動を、何とか受け入れようとガンバッタ、必死で努力したけれど。
もう、これ以上無理だ!!とはっきり自覚して、その場から逃げた。
もう、二度と あそこには行きたくない、行かないと決心した。

父とは、それっきり会えなかった。
そのまま意識がなくなって、次に会った時には、食物人間のような状態。
いっぱい管を付けられて、人工呼吸器につながれていた。
「まさか、こんな風になるなんて思ってもいなかったから 逃げ出したんだ・・・けれど。」
お父さんは、最後の最後まで、娘に修羅場をみせ、重い荷物を背負わせて、逝ってしまった。
「おとうさーん !!!ひどいよ!」
<82> ayako ■2004年07月02日 金曜日 16時14分37秒
161の続き。怒りが噴出して書いてました。キレると止まらないんです。普段大人しいのに・・。旦那も瀬戸際だけど私も瀬戸際。もう一人になりたいんだ。毎日毎日快適に暮らしたいんだ。寂しいのなんて良いから。それすらも歓迎するよ。
もう勝手に引越ししちゃおう。金はないけどする。半分の38万もらって後は借金してでもする。旦那は私と別れるのが嫌で同じ事をしたいと思ってる。カウンセリングに行くとか言い出した。バカ男。関係ないけど今回の物件の話にカウンセラーに立ち会ってもらいたくなった。まあしないけど。彼女には関係ないし。
月曜の夜は話にならないだろう。マジむかつく。混乱してる人と話はできないから
とにかく私は同じ区に住むのは嫌。色々な思い出があり過ぎて苦しいから。
<81> ayako ■2004年07月02日 金曜日 16時05分16秒
離婚できる事が心の支えになってる最近。だから嫌な事も耐えられる。8月にはこの部屋から出て行くのだけどココで問題浮上。だんながまた自分の都合のいい事言いやがった。私は一つの関係が終わるのだから違う区に住みたい。だんなはビザの変更が面倒だから同じ区に住んで、永住権の審査が終わったら国に帰って、戻って来たら離婚しようと言い出した。自分勝手もいい所だ。しかも「こども作ろうよ」と言い出した。マジ切れした。いいかげん人に迷惑かけるなと言った。土下座して「本当にすいません。でもあと暫く我慢して」と言う。殴ってやりたくなった。
籍入れる前から人に迷惑や自分勝手な事ばかりしてて最後まで人に迷惑かけるのかと言ってやった。もう家に人が居る事自体が嫌なんだと言った。本当に退去の金全部持って知らない間に引っ越してやろうかと思った。私はいつでも帰ってもらって構わないからと口すっぱくして言ってる。旦那は執着という単語は知らないらしい。別れたくない?らしい。けどそれが何?自分を大事にしてくれない人とは居る必要ない。本当にだんなの自分勝手は我慢ならない。携帯やPCも買うけど使い方解らないから取り説も読まずにもってくる。使い方解らないなら買うな。人に頼る前に自分で理解する努力しろよ。そういう事一つもキレる要因だ。嫌が吹きだして噴出してたまらない。昨日は航空券の見積もりのFAXが来た。マジキレ。日程も記入あり。もう計画してんのかよ。しかも13万の金どこから出すんだよ。退去費用か?今日も家に帰ってきて欲しくない。月曜に話し合い(笑)する予定。なるわけないだろう。旦那が国に帰ればいいだけの話。私は旦那の事に巻き込まれたくない。

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This script written by Shintaro Wakayama.