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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.3
メッセージ数:60件

<60> キーコ ■2004年04月17日 土曜日 11時31分18秒
母から、留守宅をまかされた。掃除、選択・・などの家事と、父の食事と世話だ。
それから、今起きている家庭内での一切の出来事は、秘密にするようにと厳しく、両親(特に母)から厳命された。
とにかく、頑張った。必死で頑張った。
子どもの頃から、「言いつけに背かないで、チャンと両親の言う事をこなすように、しつけられている。」
だから、こんな事位は当然出来るはずだ。
私なら出来るはず、何がなんでもやらなくては・・・。
「こういう時こそ、親孝行しなくっちゃ。お父さんもお母さんも、大変何だから・・・。」

妹の病状のことは、なるべく考えないようにした。
つらくなるから・・・、妹は完治して、今は元気な母親だけれど、あの時は「絶望」しか無かったから。
妹の事を考えると、つらくてどうしようもなかったから。
誰にも話す事が出来なくて、「自分の気持ちをすべて自分の中に閉じ込めて、封印して、「過食・嘔吐」で処理して、どうにかやりくりしたんだ。

この前まで、あんなに元気だったのに、急にこんな風になるなんて思いもしなかった。
大変な「時」だからこそ、家族で協力しなくては。・・と思って歯を喰いしばって頑張った。
自分のことなんか、何も考えずにがんばりたかった。
でも、本当は、苦しくてクルシクテ、仕方がなかった。
だから、ムシャムシャ食べて、ぜーんぶ吐き出して・・・、そうでもしなけりゃ、身が持たなかった。
「過食・嘔吐」が、日に日に酷くなっていく。
味なんて、そんなものはどうでもいい。空腹感も何も、感じなかった。
ただ、ただ不安で、寂しくて、怖くて・・・、どうしようもなくて、でも誰にも相談する事が、両親から禁止されている。

「絶対に、誰にも はなすな!」お母さんの、絶対命令!!

唯一、話すことの出来るお父さんは「持病の糖尿病」がドンドン悪化して、激痛と痙攣が頻繁に襲ってくるようになっていた。
排尿の困難や、夜中に睡眠薬で眠っているのにも関わらず、あの我慢強い「父」が大声で悲鳴をあげる。
二階の私の部屋にまで、お父さんの「大きな悲鳴」が聞こえてきて、布団の中でジッとして身を硬くしていても、怖くてコワクテ、どうしようもなくて・・、震えていた。

「お父さんも、このまま死んじゃうのかなぁ?!!!」・・・・・・。
これが、20代の思い出の1つ。
<59> 真実 ■2004年04月16日 金曜日 14時25分08秒
 私は2ヶ月ほど前に、つきあっていた人から手紙をもらいました。茶封筒の中に入ったノートの便箋には、彼の近況報告と、私の父に対する文句と、結婚してほしいということ、ずっと愛しているということ、電話か手紙をくれということが書かれていました。
 私の気持ちは変わっていました。彼のことを好きではなくなっていました。会いたいとも思いませんでした。
 両親に話して、手紙はゴミ箱に捨てました。
 それからもう、彼から連絡はありません。私と彼は共依存で、親や他の周りの人たちに、たびたび迷惑をかけていました。そんなわけで、双方の親は、つきあいに大反対でした。それでも突っぱねてつきあいを続けていたわけですが、今思うと、地に足が着いてなかったと思います。いいとこ取りをしていました。つまり、私も彼も、負うべき責任を負おうともせず、親に甘えていたということです。
 つきあい始めてから、最後に会った去年の11月まで、いろんなことがありました。決して平坦な道ではありませんでした。離れたりくっついたりしていました。愛と苦痛の狭間で。
 私は彼に依存していました。でも、もう会うことはありません。彼がプレゼントしてくれた仮婚約指輪も、誕生日プレゼントも、思い出の中です。
 今は、彼との関係性が私に教えようとしてることを学んでいる最中です。男の人を好きになったり、おつきあいしたりするとおかしくなってしまう、私の心の中をじっくりと見つめる時です。
<58> 埴輪 ■2004年04月14日 水曜日 09時20分53秒
1年前、私は今の自分を想像できただろうか。否、できなかったはずだ。
それでもちゃんと自分の中では起承転結があって今ここにいる。
私は、タイミングを大事にしたいと思っている。
転機は突然やってくるのではなく
いつも自分に問うて一歩ずつ踏み出し
その連続は振り返ると起承転結している。
だから今まさに足元にあるレールの延長上にないものには
行き着くはずもない。
私は、起承転結があったとき、それを転機だと思う。
<57> きーそん ■2004年04月02日 金曜日 15時26分51秒
人生の節目
あとはこの世を旅立つ時くらいかな
その前に、ACからの完全回復!なんて節目があったら、いいのにな。
そうしたら、他にも節目が色々増えてくるかも‥
<56> とら ■2004年03月25日 木曜日 17時58分14秒
この時期は体がえらいな。体の節々が痛い。神経が痛い。なんか爺さんみたいなことを書いてるけど現実なんです。今日は本来は仕事なんだけど休みました。体のメンテナンスが大事。人間もある意味機械なんだな。調整しないとうまく動いてくれない。自分の体の辛さを理解できるのは自分だけだから、体の言うことは聞かなきゃね。PCの仕事は勉強すること、考えること、分析すること、が多いので結構神経を使っている。体が悲鳴を上げているかもしれない
。本格的に動いてまだ3ヶ月目だから仕方ないけど、ストレスが多かったかな
。営業が実を結びそうで、実家以外の初仕事の調査を今やっている。イージーなことなんだけど、はじめが肝心なので気合がいやでも入ってしまう。インターネットがらみでお客さんのプロバイダーのサーバーの不調か、お客のマシン
の不調か見極めなきゃならない。問題はお客のアウトルックを使えるようにすること。サーバーに拒否される問題を解決することだ。自分のマシンも同じ状況にあるのでまず、自分のことだな。ともかく終わるまで緊張は続く。あせらず対処しよう。
<55> キーコ ■2004年03月19日 金曜日 23時10分30秒
22歳の春も、ひとつの人生の節目だったなぁ。
その時に受けたダメージが、未だに襲って来て 毎日が生き辛くて仕方ない。
意識があった最後のお父さんの姿、思い出せる?
あんまり つらくて逃げ出したことを、ずっと責めえ続けていたけれど、半年位前に主治医から「あなたが逃げ出したのは当然で、そんな事を子どもにさせたご両親の方に問題があるから、自分を責め続けなくていい。」と言われて、一息つけたけれど・・・。
自分の考えていた「親像」と「現実の親」が、あまりにも違い過ぎるのに 唖然として、怒りよりも虚無感に飲み込まれそうだ・・・・。
「一緒に看病なんかに付かせるな!!バカヤロー!!」
「こんな時にこそ、家族一致して試練を乗り切ろうなんてこというな!」
「修羅場を、娘に見させるなよ! 愛想良くしろなんていうなよ!」
お父さん、子どもにいい思い出を残して欲しかった。
人の命を救った あなたなのに、どうして娘の心をズタズタにしたのかな?
・・・・・悲しいよ。
<54> NAC NAC ■2004年03月19日 金曜日 18時53分43秒
長かった私のアパート問題も、来週中に(私にとって特別なことが起きなければ)やっと落ち着きそうである。
長かった。
短いようでいて長くて、長いようで短いような、私には変な感じの1ヶ月だった。
2月の頭に「月末にはアパート借りよう」と思って物件を見ていた矢先に、私は自分のお調子込みで「捻挫」になって一度計画をお流れにして、こうして捻挫がほぼ完治して早速アパート探しを再開して、2件目の不動産屋で決めてしまった。
ちなみにセコイ私が選んだ物件は「築?年の土壁・フローリング(このアンバランスがいい?)で日当たり良好・買い物便まぁまぁの家賃¥22,000でトイレ付き。当然エアコンなしだが、そんなのは扇風機さえあれば十分で、風呂と洗濯機は屋外小屋にて共同・順番待ち。駐車場は無料で、礼1・敷2・仲介1(ここだけ税別! なぜ?)の、初回払いは〆て¥130,000ちょっと」である。
これなら私の貯金でも悠々と2,3年はやり繰りできる。
といってもまだ書類審査があるので、契約はそれをパスしてからの話なのだが、まず問題ないだろう。
大家からすれば「毎月滞りなく家賃を納めてくれるかどうか?」が問題なのであって、私がアホでスケベかどうかはたいした問題ではない。
そんなのは私個人の人格の問題であって、支払能力とは関係ないからだ。
まっとにかくこれで、これまで懸念だった「毒親の精神的支配から脱して距離を取る」ことに一先ず私は(ほぼ)成功したわけである。
ここまで来るのに30余年。
会社の都合や学生時の一人暮らしは私は何度もあったが、自分が「なんでACなのか? そしてこれからどうしていかなければいけないのか?」考えた上での精神的一人暮らしは今回が初めてである。
とりあえずまた一歩、こうして自分は新たに踏み出した。
今はそんな自分を誉めてあげよう。
「よく頑張ったね」と。

そういや私がこれからお世話になるだろう、そのアパートにはクーラーの室外機がほとんどなかった。
それについては各々さまざまな理由があるのだろうが、「住人はタフな連中ばかり」
それは想像に難くない。
そんなことより、私は早くAさんを引っ張り込まねば!
そのために私はワイドの折り畳みベットを買うのだから。
どこに行っても、どこに住んでも、「懲りない」私である。
ちゃんちゃん。
<53> NAC NAC ■2004年03月12日 金曜日 06時36分51秒
ちょうど去年の今ごろ、私は会社にリストラされた。
当時の私は自分がうつ病ともわからないくらい凹んでいて、「全てのものから逃げたい」感覚でいっぱいだった。
そのストレスは「感情鈍磨」の私にとって、相当酷いものだったのは想像に難くない。
それもいきなり上司に呼ばれて「3月末でやめてくれ」だ。
執行猶予は2週間。
私は会社の屋上から飛び降りてこの惨劇を社会に訴え、かつ会社に復習してやりたかったが、私は死ぬ怖さから逃げられなかった?のでなんとか踏み止まれただけだ。
遅刻や無断欠勤は私にはなかったが、当時の「精神ボロボロ」の私には「覇気」とか「向上心」というものがまったくなかった。
そういった「会社への貢献度」からすれば、当時の私はリストラされて当然の存在であった。
このご時世に情だけで在籍させておくような会社はない。
あるのは「不正をしても責任の所在が曖昧」な一部公務員くらいなものだ。
あれから約1年。
私にとって激動の1年であり、それまでの自分の人生が「自分ACなのにACという言葉すら知らなかった」そして自分が自分と向き合う術も知らず、向き合う必要も感じず「気付かぬがゆえの無知・無自覚の苦しみ」から過ちを繰り返していたのに対し、今はその逆で、自分の内面と向き合い、気付いていくがゆえの「感情のトラウマ追体験」の苦しみである。
だから今私は「産みの苦しみ」で辛くて当たり前で、全て必然的なことなのであろう。
あの時私が営業で外回りをしていて、たまたま着けていたラジオ番組で「東ちずるの『私がカウンセラーに罹ったわけ』」の紹介を耳にしていなかったら、「こりゃ買って読まなくちゃ」と直感で感じてすぐ本屋で取り寄せてもらわなかったら、少なくともこれほど自分の心が膿を出してエネルギーを回復することはなかったであろう。
これも自分が「自分はなんでそうなのか?」原点に立ちかえる時期に来たからで、
自分が今のカウンセラーに出会ったのも、自助グループでAさんのインナーチャイルドを感じてAさんと親しくなったのも、すべて必然的な流れのひとつなのであろう。
そして来年の今ごろ私のこころの在りようはどうなっているのであろう?
今私が想像して言えるのは、「これからも一歩一歩私は崖を登って行く」ということである。

精神的大人になるのは大変だなぁ。
<52> NAC NAC ■2004年03月04日 木曜日 07時25分21秒
ふ〜
友達の幸せを私は喜んでいいのだが、100%手放しでは喜べない複雑な心境だ。
昨日の夜「ラーメン大好き小池さん」カップル(同棲中)と一緒にパスタ屋で飯食った後、私は小池さんから一通の封筒をもらった。
宛名は私の名前となっている。
(ちなみに小池さんの職場は郵便局だ)
「はて、なんだろう?」
と私は手にしてみると
「まっまさか!」

そう、結婚式へのご招待だ。
もちろん小池さんカップルの。
「おいおい、いつの間に決まったんだ? 確かこの前式場見に行く行かないで揉めてたんじゃなかったっけ? はぁ参ったよなぁ。これで残されたのは俺一人かぁ。とりあえずおめでとさんね」
そんな二人の結婚式はG.W明けだ。
丁度その日はレースが入っているのだが、もちろん私はノーエントリーだ。
たぶん10中8、9私が友人代表でスピーチするだろう。
今のうちから私は冠婚葬祭マニュアル読んで、スピーチの内容も暗記して言えるよう、手短にまとめておかねばならない。
それと礼服・白ネクタイのチェックも。
なんせ向こうには一生に一度の出来事だ。
私のお寒い、訳のわからないスピーチで台無しにしては元も子もない。
責任は重大だ。
焦ってしどろもどろ、早口にならないよう、ふにゃ〜とした感じで落ち着いていこう。
それも他の友人の前で何回も練習させてもらおう。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
何かと忙しくなりそうなG.W前である。

それにしてもこれでまた一人、私の独身友達が減った。
未だに残っている奴らを見ると、私も含め禄でもない奴ばかりだ。
う〜ん、人生は難しい。
私は遥か以前から「少なくとも小池さんよりは(まだイケ面の)私の方が先に同棲して結婚しているだろう」
なんて甘く見ていたが、ところがどっこい、人生は甘くない。
要は「いかに女性を惹きつけて離さないか」の話だ。
いったい私は何を勘違いして生きてきてしまったのだろう?
そしてこの先10年後、私はどんな40代になっているのであろう?
まさか自分が独身てことはないと思うが、その可能性も無きにしも非ずで、私は自分の将来を想像するのも恐ろしい。
あたしゃ40にもなって風俗通いはしたくないよなぁ。
それじゃ情けないもんなぁ。
とりあえず、今私の一番気になっているのはAさんで、そのAさんの感情を私は大事にしていくしかない。
ん〜困った困った。
寄りによって「プライド高い」女王様なんて。
あたしゃ先が思い遣られるよ。
そろそろ観念してあたしゃ土下座でもしようかねぇ。
「お願いだから、俺と同棲してくれよ〜」ってね。

試練はつづくのだ。
<51> しず ■2004年02月29日 日曜日 16時21分42秒
私が生きづらさとお別れしたきっかけと思うのは
子供を堕ろした時です。

両親と同居していた時でした。
その時つきあっていた人の子ができ
私は迷いましたが堕ろすことにしました。
「生まれてきてよかった」
と私自身が思いきれていないまま
子供を生むなんて無責任だと思ったのです。

子供ができたときは
正直嬉しかった。
自分も生き物なんだと認められた気がした。
でも、自分が子供を苦しめることが不安で堕ろしてしまった。

そうしたら
私の部屋にたまった捨てられない過去
学歴へのこだわり、親の期待、
などなど自分をしばっていたモノすべてが
「子供」に比べたらどうでもいいものに感じて
全部捨てました。

不仲な両親の母側に見方していた一人っ子の私は
一人暮らしをすることは母への裏切りと感じていました。
でもこのまま実家にいたら母につぶされるとも感じていました。

でも私は、
私の都合で「子供」を堕ろしたような人間です。
それくらい自分本位な酷い人間なんです。
だったら母を裏切ることなど臆せずやってしまおう。

そう思い一人暮らしを始めました。

母はとめませんでした。
周りの人は母がかわいそうだといいました。
でも私はそれを気にしませんでした。
もう一番酷い「殺人」という罪をおかしているんだから。

今は結婚して
私の心のすなおな要求を満たしてやる毎日を送っています。

母との関係も少しはよくなったと思います。

そして生まれてきてよかったとおもっています。

一人暮らしを始めて2年ちょっと

ここにきて
子供を堕ろしたことを後悔しています。

でも、どうしようもありません。
<50> あの日の空 ■2004年02月29日 日曜日 03時59分18秒
街道は晴れていた

この道を歩いていた青年は細目だったらしい

その姉や妻はそうでなかったらしいが・・・

でも、できる。実績がある。

北部からくる幹部社員が証明である。

それでも、会社に残ってなにか安らぎを得ようと思うなら・・・

別々の会社でプロジェクトを遂行したほうがいいですよね。

私はこの会社を辞め、別業界の会社で働くことが大事かと思います。

向き合わないのではないです。あの目線さえ初めからあればよかったのです。

それだけで、何もかも出来ます。

少なくとも、挑戦していきます。

<49> 日曜日の支社 ■2004年02月29日 日曜日 03時46分59秒
同じプロジェクトチームで働いてた彼は分かってないのだろうか・・・

今夜9時までに同じ目線になっていてくれれば仕事は再開できるんだが・・・

ま、いつも土日は休むし・・・

北部から来る幹部社員の目線、考え方があれば、なんだってできるのに・・・

というより、それがあれば、会社辞めても充分やっていけるのに・・・

私はその目線と考え方でやっていくつもりなので、このプロジェクトは会社に行かずに充分対応していけます・・・

それでは、お疲れ様です。
<48> NAC NAC ■2004年02月29日 日曜日 00時06分44秒
自分にとっては忙しくて有意義だった2月も残すところ今日1日。もうすぐ終わりだ。
ほんとあっという間の2月だった。
パソコン試験に追われ、アパートも探し、アクションの練習もして、怪我もして、馬鹿な大人の怒りにも巻き込まれ、映画の件も流されて、と、定期的にカウンセリングと自助グループに通いながらもほんとテンコ盛りの2月だった。
こんなそこそこ心地良い1ヶ月は自分にとって初めてか、かなり久しぶりで、前回いつだったのかは今は思い出せない。
それほど自分にはそこそこ忙しくて充実した毎日だった。
それももうすぐ終わる。
その点私は若干寂しさを覚える。
やはり何か「自分の内面を駆り立てるもの」を、私は無意識に求めているのだろう。
そして来月3月は(2月ほどは)忙しくない。
でも4月に入ったら今度私は「CAD」を勉強するので、また(2月並に)忙しくなるだろう。
だから3月は(私にとって)4月に繋げるための調整期間でもある。
まず捻挫をきちんと治す。
そして足が良くなったら(予定では第2週中)引越し。
そしてパソコン購入して試験対策&HP作成!
あとはAさんをなんとか騙して?映画と温泉に連れて行く!
おっと忘れちゃいけない、3/6は車検最終期限だ。早めに諸々手配しなくては。
パンク修理にタイヤ交換、オイル・エレメント交換。ワックス掛け、車内清掃。
エンジンと車体下部(底面)も洗浄機できれいにして。
ほんとやることはいくらでもあるのだ。
そしてレースも第2週と第4週に入っている。
今度こそ私はアクションの「確実性を高めて」皆に披露しないとな。
それでもこうして「なんだかんだと」忙しくなっていくのであろう。
「前以てある程度計画だけは立てておかないと自分が後半ばたばたする」のは(経験上)目に見えている。
やっぱりパソコンソフト「OUTLOOOK」が必要だ。
それもこれも全ては捻挫の治り具合に掛かっている。
早く走りたいなぁ。
<47> NAC NAC ■2004年02月28日 土曜日 01時01分24秒
今日はいろんな意味で後世節目になる日であろう。
Oム被害に遭われた方には謹んでお悔やみ申し上げる。

今回の事件は私にいろいろ考えさせられた。
私は無宗教・無信仰だが(UFOはいると思う)、こうしてその手の人の思い込みで大量殺人が起きると、「ほんと宗教って怖いなぁ」と思う。
病んだ人の魂を救いもすれば、一気に奈落の底へ突き落として、人間を無意識に悪魔に化けさせることもできる。
ほんと諸刃の剣だ。
私の小学校から仲良かった友達Sは年がら年中笑っているような愉快な人だったが、親がT教に入っていたせいか、中2の夏から全く笑わなくなり、(それまで仲良かった私からすると)「全くの別人」になってしまった。
その人に対しては皆影で「あそこは宗教やっているから・・・」
とそれ以来あまり彼に近寄ろうとしなかった。
もちろん私も。
中学生くらいの私の感覚では「宗教=得体の知れない怪しいもの」というイメージが先にきて、なんかそういう人には「近寄ってはいけない」気がした。
そしてSにも「他人を近寄らせない」オーラがびしばし出ていたし、目が違っていた。
完全にそっち系の「ヤバイ」目だった。
そのSとも昨年小学校の同窓会で私は18年ぶりに再会したが、私を始め誰もSと楽しく話している人はいなかった。軽い挨拶だけだった。
田舎は悪い噂が広まりやすい。
あっという間だ。
私もSの困った噂は耳にしているが、別に私が直接なり間接的にもSに被害を受けたわけではないので、私がSを遠ざける必要もないが、かといってわざわざそういう人と「自分はお近付きになりたくない」存在である。
それだけ私には「宗教は一歩間違うと非常にヤバイ」意識がある。
昔私が学生のころ、高校で仲良かった友達Kから
「Sやん、俺さぁこの前いきなり昔の同級生から電話掛かってきてさぁ『今度会わないか?』って言われたのよ。それがさぁそいつんち確か宗教やってたんだよねぇ。で俺さぁ無げにも断れないんで、Sやん高校のとき柔道やってたろ。そこでお願いなんだけどぉ、一応そういう訳なんで、Sやんに俺のボディーガードとして付いて来てほしいわけよ。一応向こうは一人で来るとは言っているんだけどさぁ、なにぶん宗教やっているじゃん。万が一、二人連れで来られた日にゃ洒落にならないからさぁ」
と私はKに頼まれて、性格的に「いろいろ首突っ込みたがる」私でも「う〜ん」と躊躇したが、
Kが「大丈夫。向こうの言いなりにならないように、人目に付く喫茶店なりファーストフードで会うようにするから。お願いだよぉ付いて来てよぉ。飯奢るからさぁ」
その甘い言葉に「体力だけ」の貧乏学生の私は釣られ、「なにぃ! それを早く言いなさい。それなら俺も付き合うよ」とKの護衛役を勤めることにした。
それからしばらくして私はKと一緒に都内某所の人目に付く所で(それも2回場所替えした念の入用で)Kの旧友と会ったのだが、もちろん旧友に対してKは私のことを「ごめんなぁ。このあと友達と遊ぶ約束入っていて、今日一緒に出て来たんだ」と誤魔化した。
向こうは約束通り一人だった。
途中までは。
だが落ち着いた2件目で事件はやってきた。
こちらはもう向こうが「その手の人」と警戒しているからよかったが、その旧友はKと昔話をしながら「いつ切り出すか」タイミングを見計らい、ついに「宇宙」の話を出してきた。
ほとんど口を出さず黙って相手の様子を伺っていた私は「やっと本性現したか!」と思ったが、その旧友が自分の領域のことを話せば話すほど、その目付きはヤバクなっていった。
私はテーブルの下でKを突付いて「切り上げる」サインを送ったが、Kもお人よしなのか?中々相手の話を折れない。
だから私に付き合ってもらったのだが。
それでもKなりに抵抗を試みて、相手も話のネタが尽きたところ、いきなり見ず知らずの大人が私たちのテーブルの前に立った。
まさしく「待ってました」とばかりに「黒幕」登場である。
私とKは「しまったー。はめられたわ」と後悔した。
そのとき私たちは(幾分こころに隙ができて)入り口を背にして座っていたので、その怪しげな大人が入って来たのに気付かなかったのである。
敵も然る者「海千山千」である。
奴らはこんな風にして次から次へと勧誘しているので、こんな私たちのすることは端から経験・予測済みなのであろう。
その怪しげな男は旧友に紹介されて(というよりも強引にこじつけられて)、私たちに反抗する間を与えずに次から次へと淀みなく宗教の話をしていく。
そして「水を得た魚」の如く旧友も目の鋭さを取り戻していく。
はっきりいってあの目はヤバかった。
TVでもOムの被害家族が「Oム目(死んだ目。操られたような目)」と表現していたが、まさしくその通りだ。
その旧友たちはOムだったかどうかは定かではないが、「自分たちの信じているものは唯一無二。完全無欠だ」みたいな、(普通の人、宗教に全く興味のない人からすると)「どうやったらそうなれるの?」と理解不能、想像することすら恐ろしい、
そうしたものを信じて疑わない、妙に強固な価値観の固定に囚われているような、
そんな危ない目付きである。
当時、柔道をやっていた「勝気で生意気な」自分でも「まともに相手の目を覗き込めない」ほど、相手に恐怖を感じさせる目であった。
正直私はビビッった。
あの目付きはそんじゃそこいらの「ガンたれ」とは格?が違う。
私は3秒と相手の目を見ていられなかった。
自分の本能が「こいつはヤバイぞ」と言っていて、背中に冷たいものが走った。
まさしく「狂気に近い」逝っちゃった目付きである。
それでもなんとかKが「ごめん。このあとまだ友達と待ち合わせてんのよねぇ」
と機転を利かしてくれたので、なんとか私たちは相手の宗教勧誘から無事脱出することができたが、それでも私はしばらくあの「恐ろしい」目付きを忘れることが出来なかった。
もしその大人が催眠術か何かを習得していたのなら、私はたぶん無意識で引き込まれたかもしれない。
「怖いもの観たさ」と「自分なら大丈夫」
そこに私の、人間のこころの隙間が出来る。
奴らはそこをピンポイントで確実に狙ってくる。
もしそのときもっと大勢の仲間がいたら私達はほんとにヤバかったかもしれない。
Oムじゃないが、相手は宗教に勧誘するためなら何でもやるし、やってしまうロボットなのだ。
ロボットに感情はない。
あるのは自分に命令を下すご主人様への歪んだ忠誠心(依存)だけである。
そういう人たちを「常識ある」人間と思って情けを掛けてはいけない。
情けを掛けた時点で相手との境界線が破られ、自分の心が相手の嗜癖に巻き込まれる第一歩なのである。
人を騙そうとする人間は必ず甘いえさを巻く。
「こりゃおいしいや」なんて馬鹿丸出しでついて行くと「最後は罠にはまる」のがオチである。
でもここで勘違いしてはいけない。
嵌められたのではない。
自分から蟻地獄に落ちたのだ。
なぜなら自分のこころと向き合うのを怠ったからである。
「自分もいつ騙されるかわからない」
そう警戒しておいたほうが人生無難だ。
そういう私も詐欺師かもしれない。
「自分で自分を騙さないよう」そう訓練していく毎日だ。
<46> ayako ■2004年02月26日 木曜日 00時12分41秒
この前趣味で占いをしてる人に手相と姓名判断をしてもらった。アヤシイ感じの人で当たりそうな感じがした(笑)姓名判断で「何か大きな決断を迫られた事はない?」大きな決断て何なんだろうって思った。自分では無いと思う。依存した男と離れた事?しょうもないだんなと結婚した事?堕胎した事?自分の人生は傷だらけだ。心も体も。堕胎したのは3年位前。保険証もなく飛び込みで行った婦人科。
エコー写真で見た胎児はまだほんの影しかなかった・・二度目の妊娠。
どうしよう。どうしよう。「産みたい」と旦那に言うと「本当に俺の子?」
「当たり前じゃない!」「・・・・・育てられないよ」何でよ?何でよ?「キレイナ家に住んでないから」キレイナ家なら育てられるの?お金?あなたが借金を止めてくれればお金はできる。出来ない?なんで?何でいつもそうなの?いつも私に嘘ばっかり言う。借金は母親が作った物。それをあなたが返してどうするの?私とあなたの生活は?私が大事じゃないのね?二度目だよ。堕胎の前の日に子宮を広げる為にセンナを入れた。眩暈が激しい。家でずっと泣いてた。お腹の子に「ごめんね、おかあさんを許して」ってずっと言ってた。麻酔が切れかかる時に吐き気がした。看護婦さんがやさしかった。「大丈夫?」って・・大丈夫なんかじゃなかったよ。諦めきれなかった。家に帰ったら友達が電話くれた。旦那が夜「大丈夫か」って家にきたけど、嬉しくもなかった。腹立たしくて、腹立たしくて、憎かった。
私をこんなに傷つけて。私の体も心のボロボロだった。堕胎の費用を自分で出したって何度も言うけどそれが何なの?罪滅ぼしにならない。「責任とってよ」
男は罪悪感だけだけど女は深く傷つく。遊びで出来た子どもと違う。
友達の子どもを抱っこすると悲しみが蘇る・・「産まれてたら」って思う。
今は子どもは持たないと思ってる。たとえ本当に好きな人が出来て、仮に結婚したとしても。
<45> NAC NAC ■2004年02月16日 月曜日 13時10分56秒
昨日の夜、私はステーキチェーン店で「2月の対人的節目」を無事クリアー?した。
あのプライドだけは異様に高いAさんから、私は「ベルギー産」のチョコを頂いた。
でも残念ながら、そのチョコは他の人も一緒だった。
「(性格は)甘くないぜ女王様!」って感じだ。
ほんとこ難しい女である。
人に「好きだ」と言わせるような質問をわざとしておきながら、自分にされるとはぐらかす。
う〜ん。手強い。
流石は女王様だ。
「パワーゲームの勝ち組にいないと納得しない」気の強さだ。
その女王様は昨日、怒りがぷんぷん出ていた。
ここ3週ほど彼女の怒りは大人しかったので、「大分こ慣れてきたかなぁ?」なんて思っていた私は読みが甘かった。
30年近く溜め込んだ怒りである。
そう易々と昇華されれば、カウンセラーなどいらない。
現実はかくも厳しいのだ。
そんなわけで昨日の夜は、私にとって久しぶりに「(Aさんの怒りをこれ以上増幅させないよう)スリリングな会話」だった。
私は「怒りの感情」が好きだが、Aさんは特別だ。
彼女は「(いろんなものを巻き込む)台風並み」の怒りを内包している。
そして昨日はそのAさんの嗜癖が出た。
彼女は「無意識(これが厄介だ)に私を挑発して、粗探しをして、私の怒りを誘い、その嗜癖に巻き込まれた私が、今度は自分の怒りをAさんにぶつけるよう」無意識で仕向ける。
その彼女は、怒りたくて怒りたくて仕方がないのだ。
自分で自分の内面奥深くの怒りを出せないのだ。
だから敢えて人を挑発することで、結果的に自分の溜め込んだ怒りを出そうとする。
そういう歪んだ「怒りの感情処理」が、Aさんには身に付いてしまっているのだ。
ほんと恐ろしい嗜癖だ。
昔の私なら、確実にその挑発に乗っかっていただろう。
だから私はAさんとの会話において非常に神経を使うのだ。
う〜ん、難しいぃ。
<44> とら ■2004年02月14日 土曜日 01時26分18秒
人生の節目。それは今月だ。自営をやる!ときちんと決断して臨んだ月だから。
お金が無いのに自分の可能性を信じて
今まで経験を信じて、一歩前へ出た。
チャイルドは相変わらず泣くけど、この子のためにも
前へ出る。今月が人生の節目だ。
<43> NAC NAC ■2004年02月05日 木曜日 13時48分12秒
来週の今頃は「バレンタイン」目前だ。
今年の私はAさんから「チョコレートを奪取!」しなければいけない。
至上命令だ。
「2/15の夜にAさんからチョコもらえるかどうか?」は、今後の私とAさんとの関係の大きな?節目になるであろう。
そのための布石を、私は「2/7の夜」に打っておかなければいけない。
私はたかだかチョコ1枚もらうために、某ステーキチェーン店(値段は庶民並)でAさんに「それとな〜く、彼女の無意識に『チョコ絶対!』のダブルメッセージ」を送ってやろう。
(ちなみに「ステーキ」なのは、先週私は財布を忘れてAさんに定食を奢ってもらったからで、今度はそのお礼も込めてである)
私は魔女のような男だ。
「策士NAC NACここにあり!」である。
「どうやったら女王様の関心を私に向けられるのか?」
私は「ない頭」を一生懸命巡らせている。
こんなことは3年振りだ。
だから恋愛(ごっこ?)は楽しいのだ。
ちなみに私の前の女性(5年付き合った人と結婚したら実は相手はホモで、当然離婚して、たぶんというか当然男性恐怖症・人間不信になってしまった、と今では思われる)は、私の誕生日にも、バレンタインにも、何も私にプレゼントがなかった。
そうした記念日にプレゼントをもらえれば誰だって嬉しいものだが、仮になかったとしても、「あっこの人は自分のことをきちんと考えてくれているな」というのが、言外に伝わってくるのなら、私は前カノの対して「不信感」は抱かなかったであろう。
し、前カノも当時の私に対して「不信感」は低くて済んだであろう。
でも残念ながら、自分が「情緒喪失」ってのもあったのだが、当時の私には「彼女の暖かさ」はほとんど感じられなかった。
それも当然かもしれない。
私が前カノと同じ経験をしたのなら「男性と近づくことすら恐怖を感じる」であろう。
それは自分が自分の内面と向き合えるようになって、またこのサイトで、そのような「男性不信」になる経験をした人の書き込みを読んで、自分で想像してよくわかった。
どの道、そこまで傷付いた人には「専門的治療が必要」ってことだ。
素人が「かわいそう。私がなんとかしてあげる、してあげたい」のつまらぬ同情心だけでは、そうした心が病んだ人の嗜癖に巻き込まれ、自分の内面までもぼろぼろになる。
かわいそうだが、そうした病んだ人(昔の私も含めて)は無意識に相手を傷付ける。
自分が傷付いてきた分だけ(ここが怖い)、新しく自分に擦り寄ってくる人を無意識に傷付ける。
だから嗜癖なのだ。
私はそうした「嗜癖の恋愛ごっこ」で、3年も苦しめられた。
苦しんできた。
だから私は今度のAさんとの恋愛?には非常に神経を使うのだ。
なぜなら2人とも「内面に大きな問題・課題を抱える」ACだからである。
AC同士の恋愛は「手綱を緩めたときが一番危ない時」だ。
だから私はAさんに対して全神経を使うのだ。
「自分はもうあんな思い(過去の繰り返し)はごめん」だからである。
「反省と自戒」
それだけが私が「一本橋から摺り落ちない」意識の支えである。

つづく
<42> NAC NAC ■2004年02月03日 火曜日 19時53分13秒
たぶんこの2月が自分にとって「ちょっとした? あるいは大きな節目になる!」かもしれない。
今の自分は勢いがある。
それだけははっきりしている。
だからこそ、その勢いを自分で上手にコントロールして、次のステップに繋がるための加速装置、または補助エンジンにしなければいけない。
自分の意識が井戸の中で終わるのか?
それとも一気に宇宙へと旅立てるのか?は、この2月の自分の過ごし方にある。
いろいろな面で今月は、「自分自身が自分によって試される月」になるであろう。
それだけ「前へ行く」エネルギーを、私は今内包している。
それもすべて、自分が自分のインナーチャイルドと会話して得られた結果だ。
「自分の寂しさと向き合った分だけエネルギーが付く」
私はそれを、ただ地で行っているに過ぎない。
自分の寂しさと向き合った者だけが得られるエネルギー。
それが「パワー」だ!
<41> 太郎 ■2004年01月20日 火曜日 17時24分09秒
人生の節目には相談できる人はいなかった。結果だけを求めて、最低の結果だと親が怒る、怒る、怒る。どうせ俺は人に負ける、自分にも負ける。生きているここちがしない。

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This script written by Shintaro Wakayama.