私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.22
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<440> 深雪 |
■2009年09月23日 水曜日 13時16分24秒 |
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捨て子のように育ってきた私は、自分の家族を持ちたかった。「家族」というものに所属する、という体験を してみたかった。
だけど、私をよく知ってる人は、少し懐疑的だった。 「あんた、男だったら良かったのに。(女はいつか仕事を辞めて子供を産まなきゃならないから)」とか 「結婚しない方がいいかも。」 と、言われたりした事がある。 でも、このまま「家族」ってどういうものか、知らないまま死んでいくの は、不本意だった。好奇心だったのかも。
晩婚で、結婚した。不妊治療で子供授かった。しばらくは無我夢中だった。 楽しくはなかったけど、頑張ってた。
やっと、自分の意思で持った家庭なのに・・・それなのに、私にはもう今の家庭を維持していくための精神的努力をする気が起らない。
こんな無責任な気分になってしまう自分が、悲しい。 それでも、もう「忍耐」とか「努力」とか、この家庭の維持のために、する気力は出てこない気がする。
なんで、こうなのだろう・・・・・・・。
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<439> かえる |
■2009年09月21日 月曜日 23時01分22秒 |
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満たされたいという思いが私には強いのだろうか?何か夢中になれること、集中して一心不乱になれること、私はずっと探していたのだろう。中毒や依存症ではなく健全な充実感や満足感を感じたいと思っていたんだろう。今、それは好きなことだったり、仕事だったりで、頑張れる対象があること、頑張れば色んな形の恩恵を感じられること、頑張れば未来への良い兆しがみえてくること。大袈裟だとは思うけど、自分はこれでいいんだ、こうゆう風に生きていいんだ、こうゆう風に生きたい、と自分の中心部分で欲しているんだろう。人の生き方は様々で、どんな生き方や暮らしをしても、その人の人生になる。その当たり前さを何だか不思議に感じる。生きてるなんて意識もせずに、己の与えられたものや、手にしたもので生きていく。一度死を考えた人やどん底を経験した人は、そんな当たり前さから再発見することが多い。私はずっと自分というものがわからなかった。自分がどうしたらいいのか?自分がどうしたいのか?自分のことなのに、親を中心に世界をまわしていたから、己の世界が全然見えていなかった。過去は過ぎ去ったもの。死にたがっていた私は消えました。親の呪縛に苦しんでいた私は消えました。自分の生き方がわからなかった私は消えました。確かに、いつも平坦にはいかないし、立ち止まったり後退りすることもあるだろう。けど、今が満たされてること、自然に笑顔が多くなること。それだけで、今は十分過ぎるほどの幸せを感じる。
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<438> みゅー |
■2009年09月17日 木曜日 15時35分58秒 |
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お母さんが横になってる間だけ書き書き・・・。携帯からの書き込みが出来なくなってるからね。 昨日耳鼻科行ってね、う〜ん・・・昨日の朝、お布団の中で熟睡してるのかしてないのか、うにゃうにゃしてる状態の時に「ん?!」って、ばちっと目が覚めた。右耳が痛い・・・しかも右耳下が重い・・・なんかある・・・?って思ってさわってみたら固いし腫れてるし痛い・・・。しかも耳の中まで痛い・・・。 鏡見たら先週は腫れてた右頬は腫れてなかったけど、右耳下が「どーん!!」って感じになってた。
「病気モード」で、お酒とかドライアイ用目薬とかシャンプーとか病院行った時の飲み物代や昼食代、飲まず食わずで、雑誌も足が疲れるまで立ち読みで「節約モードに切り替え!」してたのに・・・。医者代ばかりで「くすん・・・」。
でも「節約したるわ!」生活して、その成果は出せたぁ・・・。涙ちょちょぎれそうになったぁ・・・。よくやった自分・・・。
今日は昨日の疲れで昼過ぎまで寝てた。まだ体はだるいし眠い。あたし今頃「厄年」か?!と思ってるけど、やたらと体にガタが・・・。 しかも、あの耳鼻科の先生は歳とったなぁ・・・。しかも人の話聞いてるのかなぁ・・・。耳が痛いって言ってるのに耳観てくれなかったし「喉が赤いからリンパ腺が腫れてるだけ」って、地元の耳鼻科の先生みたいに口開けて両頬の内側を見るってことしてくれなかったの。しかも、あたし喉はあまり痛くなかったんだけどな・・・。 とりあえず「抗菌剤」と「痛み止め」出してくれたけど、今さっきくしゃみした時、自分のくしゃみの衝撃で耳痛いんですけど・・・。う〜む・・・神経質になりすぎかなぁ。でも月曜日に歯医者さんで色々話したら「唾液腺がつまってるかもしれないから、そっちは耳鼻科に観てもらった方がいいよ。」って言われたんだけど、今度悪くなったら地元の耳鼻科に行こうっと。 でも、きのうは地元の耳鼻科が休診だったし、昨日はちょこっと電車乗って「節約の成果」手に入れたかったんだモン・・・。
でも思う。あたしは「精神疾患」だけご立派にあって、小さい頃の「こころの傷」を「強迫性障害」のエスカレートで引きずってて、そりゃこれもすごくつらいよ、ほんっとに。だからね、体だけが兄ちゃんと比べたら丈夫・元気っていうのをすごく恨んだ。「『健康第一』なんて、うそっぱち」って。 でも、医者通いが、ここのところ増えて「病気はするもんじゃないな」「やっぱ『健康』って素晴らしい事なのかも・・・」って思い始めてる。 もうちょっと早く思ってれば、お母さんが、4歳のあたしの「おかあさん、あたしも気持ち悪い」の訴えを聞いてくれて、兄ちゃんと一緒にバスから降りてくれたら、もっと早い時期に、素直に「健康っていいなぁ」って思えたかもしれないのになぁ・・・。あう〜、耳が痛いよう・・・。
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<437> かえる |
■2009年09月07日 月曜日 20時45分02秒 |
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今の気持ちを全部吐き出せたらどんなに気持ちがスッキリするだろうと思う。いつもいつも我慢をしているわけでもないし、今の私の状況は人間関係、仕事、私生活とも恵まれていると感じる。色々あっても、基本的には自分の好きなようにやらせてもらっている。だから何よりも、私を自由に生きさせてくれているまわりの人達に感謝する。
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<436> みゅー |
■2009年09月01日 火曜日 22時31分40秒 |
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どこに書こうかな・・・と思ったけど、このカテゴリーに。お母さんがお風呂入ってる間だけちょっとだけ書けるかな。 先週の金曜に耳鼻科に行って、とりあえず炎症もとれて抗生物質も飲まなくていいってことで、とりあえず終わり。・・・なんだけど今朝、耳の下の、あのヘンな「違和感」で目が覚めて、さわってみたら固いし痛い・・・。鏡見たら顔がむくんでるんだか腫れてるんだか分かんなかった。でも病院には行かなかった。 お母さんが「あんまり気にしない方がいいんじゃない?」って言ったから。
あたしは兄ちゃんとは違うから。なんでも大げさにしちゃいけないから。しなかったし、しちゃいけないの分かってたから。 でも、ここのところずっと喉も痛いし耳も痛い。風邪なのかもな・・・って思ってるけど、もし明日、この状態だったら病院に行ってみる。行くんだったら今度は、昔会社帰りによく行ってた耳鼻科に行ってみる。
お母さんが、ふてくされようがなんだろうが自分のからだの事だし。「元気で丈夫で、体の心配は何もない『いい子』」そういうのいまだに期待されてるの分かってるけど、自分のこと自分で決めて、ちゃんと考えなきゃだし。 もし明日行く事になったら「つまんない事にお金使いたくないよう・・・」とは思ってるけど、「自分のことは自分のこと」自分で考えるようにしなきゃ。 兄ちゃんみたいに「考えすぎ」にはなりたくないけど。 それとも充分考えすぎか・・・。だからヘンな「精神疾患」持っちゃうんだもんね。
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<435> かえる |
■2009年08月28日 金曜日 22時43分20秒 |
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ゆっくりでいい。ゆっくりでいい。焦らずとも、やるべきこと、したいことを、自分のペースで一つ一つ熟していけばいい。まわりの人と比べる必要はない。劣等感も優越感も感じなくていい。その人はその人らしく在ればいいし、生きればいい。確かに、すべきこととして義務はあるだろうが、どんなやり方で、どんな段階を踏み、最終的にどんな形に仕上げるかは、本人次第だ。好きな色を塗り、好きな装飾を施し、好きな使い方をする。自分の自由に表現していいと思えると、とても気が楽になった。はじめは自分一人の抱え込んだ問題でしかなかったけど、きちんと相手がいて、相手との関係で生じる問題の方が、場数を踏むうちに解決の糸口を掴むのが段々とうまくなる。人は人の中におかれて、様々な違う角度からの見方や考え方を学ぶんだろうと思う。本や相手の見えない繋がりではなく、誰かの受け売りでもなく、相手との関係で自分自身が実感したことや、苦しくとも見つけ出した解決策や打開策は、これから先に己の血や肉になる。そんな大それたことではなく、普通にできることに幸せを感じる。友達と一緒に食事したり、時に過食行動が出ても嘔吐が完全に消えたこと、やっと親から自立できたこと、平な気持ちで働けること、好きなことがあること、大切な人がいること、そんな当たり前にのことがとても嬉しい。
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<434> アーネスト |
■2009年08月20日 木曜日 22時02分26秒 |
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酒の問題が浮上したのは一つの転機だったと思う。 今は酒を使わないでどう生きるか、それが大変。
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<433> かえる |
■2009年08月19日 水曜日 04時31分59秒 |
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摂食障害の友達が私が住んでいるごく近所でルームシェアをして暮らしてると以前に聞いたのを今も覚えている。ばったり会ってもおかしくはない距離なのに、ここに越して一年近くなるのに、そうゆうことは一切ない。彼女は今どこでどうしてるんだろうと、時々考える。彼女とは最後にメールで言い合いの喧嘩みたいになり、そのまま関係を絶ち音信不通で今に至る。お互いにお互いの考えや言い分があった。私は彼女の意見を受け入れて、きちんと聞いていたつもりだが、私自身のことをあまり深く考えもせずに、彼女が自分のケースを私にあてはめ意見することが納得できなかった。社会に出て全くといっていいほど仕事をしていない彼女に仕事の大変さを語ってほしくなかった。真実味のない想像で意見して欲しくなかったし、それが堪らなく嫌だった。正直、そんなに言うなら実際に働いてみなよ、と本人に言いたかった。色んな言い訳をつけて言うだけは言って、現に行動を起こさない机上の空論じゃない?といつも思ってた。最後には母親を盾にするから、余計に腹が立った。もっともらしいことを言い、それを押し付けてると感じてしまった私も悪いのだが、説得力を感じれない絵空事のような話に調子をあわせるのは苦痛だった。
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<432> かえる |
■2009年08月03日 月曜日 22時03分44秒 |
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本当に楽しいと感じる時間。甘えたり、甘えられたり、いい加減な話も冗談も、真面目で本気な話も、もっと沢山したいと思う。あの人と過ごした後、なんだかとても不思議な気分になるのは、なんでだろう?沢山笑い、言いたい事を言い合う。ずっと私は変わらないと思っていたのに、自然に女の子をできてる私がいる。ただただ今が心地好い。一人で強がったりしないでいい。一緒にいると安心する。
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<431> かえる |
■2009年06月22日 月曜日 19時04分31秒 |
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摂食がひどかったから成人式にはでれなかった。けどたしか23ぐらいの時かに祖母が着物を一式揃えてくれた。その時もまだガリガリだったし、食べることを拒んでいたけど、なんとか家での生活ができていた。何枚か作ってもらった着物はこれまでにまだ一枚しか袖を通していない。着て行く機会や場がなかなか無かったり、24から何年間かは余りにも摂食がひどくて、普通の生活をするのもままならなかったので、好きなことどころではなかった。私が実家に帰り、祖母に着物を出してもらっていると、突然に祖母が涙ぐんだ。折角つくったのに、○○ちゃんが死んでしまって、もう着てはもらえないと。あの頃、70ちょっとの祖母が自分が死んでしまうことより20そこそこの私の死を心配していた。そして、祖母の今よくなって本当によかったの一言が私には響いた。もう何年か前に働きはじめ社会復帰もできていたし、病状も安定していたけど親や家族からすると、独り立ちして距離を置いた今だからこそ見えたり考えたりすることがあるのだろう。親元にいれば家賃も生活費もかからないし、生活面でも何でも一人でしなければならない一人暮らしより随分と楽だと思う。けど、私は私が選んで今の生活をしている。自分の決めたことは最後まで貫く。これからももっともっと色んなことをして見たり感じたり考えたりしたい。
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<430> 猫.. |
■2009年06月20日 土曜日 14時10分37秒 |
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最近..年下の男性会員から.。気がある様なメールが..
手話を教えたきっかけで..同じ趣味なら、頑張ってやっていけるかな?って思ってたんですが,,
独身だったらしくて..お付き合いした事も無い様な雰囲気.。
純真な気持ちだったんだと.。
集会で初めて後ろの近い席に座ってたので.。最初はえ?ってびっくり..。
話かけると返事してくれるし..忙しいんだと思う.。返信が来ないのは.。
プライド、の問題かなァ..。
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<429> かえる |
■2009年06月10日 水曜日 22時10分06秒 |
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今の自然体でそのままの自分でいいんだと思えるととても生きやすい。自己否定がどれだけ自分の考え方を歪ませ、人間不信や嫌悪感に繋がるか、今ならよくわかる。昔の私は自分を嫌い親や家族を嫌い、自分を摂食障害にまで追いこんだ他の人達を憎み恨んでいた。そうだ。死ぬことだけが私にとっての唯一の願いであり、幸せだった。生きる苦しみから抜け出すすべは死ぬことだけだった。きっと、今の私を知りガリガリの私を知らない人達は、昔の私の姿を信じられないかもしれない。正直なところ、私自身でさえ自分の好きな部分を見つけられたことに驚く。あの頃、全否定で一筋の光も無い真っ暗闇を生きてこれたのは、紛れも無く両親や家族のおかげだと思う。なぜ産んだんだ?苦しいから殺してくれ、もう生きていたくないんだ、お願いだ死なせてくれ。私は何度も何度も言葉に出して叫んでいた。そうだ。あの時、親や家族はどうしただろう?確かに私自身が苦しかったが、家族みんなにとっても地獄の毎日だった。ずっとずっと出口のない長い長いトンネルを歩いてる気がしていた。けど、私は決してたった一人で歩いていたわけではない。今ならわかるよ。今は私一人の家で、両親とは違う自分の暮らしがある。一年前、転職することも、一人暮らしをすることも反対しなかった両親。背中を押し、手放すことが親の愛情だった。
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<428> みゅー |
■2009年06月09日 火曜日 18時40分56秒 |
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中学の卒業文集に、あたしは「忘れてた下さい」とだけ書いた。さっき、これまで描いたあたしのへたくそな絵を手動シュレッダーで処分した。これで一仕事終わり。この世で1番わがままで勝手で、頑張れなくて、頑張らなくて、頑張ることも努力することも出来ない、気力もわかない、この世で1番いまわしく、周りもあたしを好きじゃなくて、なによりあたし自身があたしのことが大っ嫌いだった。
秋葉原の事件で犠牲になった人達の代わりになりたかった。生きたくても病気で生きられない人達の代わりになりたかったし、代わりになりたい。今「誰でもいいから…」と人を手にかけようとしてる人に、あたしの命を提供したいけど、その人「犯罪者」になっちゃうし、でも多くの人を傷つけるぐらいなら、あたしを刺すなり撃つなり好きなようにすればいい。
OLさんになりたかったなぁ。もう「来る者拒み、去る者追わず」だしね。人付き合い、どうして今まで上手く出来なかったんだろう。上手くやろうとしても、いつも空回りで、いじめられたり、ひとりの子に奴隷みたいに扱われたり…。その子の為にバイトしてたようなものだから…。それでも人間嫌いにならなかったのは「人と深い付き合いしたことがなかった」から。
もう文集に「忘れてくれ」って書いたところで、みんな元々あたしのことなんて知らないから。 今あたしは、ずっと外に出ずにいるけど、なるべく身の回りの整理しておこう。働かざるもの、去る者楽しむべからず。いつかの日まで、なにもかも自粛です。 今まであたしのこと嫌いな人いたら、ごめんね。あたしの存在が悪かった。ペットちゃん、あたしがこんな家に連れて来ちゃったから辛い思いさせてごめんね。 きらきら輝いてる人達ちょっとでも羨んでごめんなさい。あなたたちは、あたしがしてこなかった、する気力もない「努力」を人の数倍もしてきたんですよね。ごめんなさい。 雨戸締め切った暗い部屋は落ち着く。両親に文句を言うとしたら「あたしを生まなきゃよかったのに」贅沢言うとすれば父親になんか一つでも買ってもらいたかったかな…。 あたしに文句は…いっぱいありすぎるけど…。 明るくて神経質じゃない性格で、わがまま病じゃなくて、親におねだりしてみたかったなぁ…遠慮ばっかして。 バイバイです。
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<427> 秋 |
■2009年05月29日 金曜日 17時42分11秒 |
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※やや不快な表現あり 注意!
お葬式って不謹慎だけど好きだ。
生きていた人間が故人となり別の世界に送りだすことも素晴しいし、 弔いの気持ちとか、故人を偲びながら酒を飲んだりするって すごく素敵なことのような気がする。
今まで当たり前のように生きていた人がいきなりいなくなるって いう寂しい現実もあるけれど、もし自分の葬式でみんなが 私の生前の話を笑ってしていてくれたらすごく嬉しい。
祖父が亡くなったときも、骨拾いの時に、祖母と父が 「骨が大きくてきれいに残ったなぁ・・・。病気が進んでたのに、 骨がこんなにきれいに残るなんてなぁ・・・・」と言ってた。 私は生まれてはじめてみる頭蓋骨にびっくりしたけど、 そんなみんなの会話を聞きながら母と骨を拾いながら、 不思議な気持ちになってた。
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<426> かえる |
■2009年05月19日 火曜日 23時21分43秒 |
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好きだった人が遠くへ行って、それでも当たり前に私のまわりの時間は動いていて、今、私と彼は違う世界で何の接点もなく暮らしてる。彼がいなくなってから色んなことがあったし、私自身もまわりも変わった。みんな時々、話の流れで彼の名前を口に出す。でも、もう過去の人としての<○○さん>になってしまった。はじめは淋しいだけで、自分の気持ちをどうしたらいいのかわからなかった。それに漠然とまた会えるんじゃないか〜と思っていて、きっとそれは私が彼をふっ切れないうちは、ずっとずっと思い続けるだろう。けど、それでもいいと思う。時間は流れ人は変わり、それでもまだ彼を好きならそれでもいい。…ただ思い出の中では生きれないから周囲が移り変わる様に私も変わっていく。それは悲しいことじゃない。彼を忘れることじゃない。私は今まで以上に仕事を頑張ろう。気持ちにゆとりを持てるよう、穏やかにゆったりと生きよう。忙しさやしんどさで弱音も愚痴も多くなるけど、時にガス抜きしながら、私なりでいいからベストをつくそう。まわりと少し違っていても、私は私らしくいこう。彼はすごく彼らしかったから、我が道を貫いて欲しいとも願う。夢を叶えてほしい。自由奔放に好きなことをして生きてほしい。一緒に過ごした間は何度か反発したけど、彼のイラストや彼の芯はずっとかわらずに好きだった。そして、今は私の気持ちが自然と違う誰かを好きになるまで彼を好きでいようと思う。オママゴトの様な感情だけど大切にしたい。
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<425> あー |
■2009年04月28日 火曜日 01時35分07秒 |
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就活がつらい。周りの人と自分を比べてばかりで、どうせ私が一番できないやつだとか、恥をさらしてるだけだとか、惨めで嫌な気分にばかりなります。どうしてみんな前向きに就活ができるのですか?自分が人より劣っていることは百も承知なのに、いちいちまた他人と自分を比べてばかりいる。
自信ないです。就活したのに就職できなかったという最大の恥をかいてしまいそうです。だったら最初から就活なんてしなきゃよかったな。間違ってますか?この考えは。
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<424> かえる |
■2009年04月14日 火曜日 14時57分56秒 |
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いつまでも根無し草のように、ふらふらと自分探しばかりの生き方はできないと思うようになった。今の暮らし、今の仕事、今好きなもの、私は十分に恵まれている。恵まれているのに、何かが足りないと、今の自分は本当の自分じゃないと、なぜ、、なぜ、違う何かを探そうとするのだろう?自分が心から何を求め、真にやりたいことがわからないまま、今の生活を選んだんだろうな、、、確かに自立したかったし、好きなことを仕事にしたかった。だから、自分の手に入れるまでは必死に頑張った。自分の居場所を得るために、私なりに頑張った。自分の中の答えが欲しかった。それなりにしたいことも、好きなこともあるのに、どうしても満たされない思いはどうすればいいのか?自分の穴はどうすれば埋まるんだろう?職場でも、友達と一緒にいても、元気だし笑えるし、卑屈になって悪いほうに考えたりもしない。だから、今、私はしあわせなの?これでいいの?、、、好きな人がいなくなって、他に仲がいい人がいても、彼とは違う誰かがいても、、、決して好きな彼にはなりえない。よく自分で自分の気持ちがわからない。好きと言えなかったから、変に期待を持たせるようなことをされて、忘れるに忘れられなくなった。夜中にわんわん泣いたり、また食べることに没頭したり、この風穴をどうしたらいいのかわからない。、、ただ彼に会いたい。私のものにならなくてもいいから、前みたいに近くにいて、たいして意味がないことを話して、一緒にいたい。一緒にいたい。
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<423> かえる |
■2009年04月04日 土曜日 03時52分21秒 |
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彼は、やりたいことを実現するために、私の前からいなくなった。ほんとに彼らしいと思った。子供っぽいところがあって自由で、きっと今の仕事をしてるより、彼は彼らしくいられるんじゃないかと、勝手に想像してしまう。私は彼のすべてを知ってるわけじゃなかったから、もっともっと色んなことを知りたかった。話したかった。彼がいなくなって、こんなにも自分の気持ちが彼にむいてるなんて、驚きだった。いなくなった人は、いつか忘れ、またいつもと変わらない日常を過ごすんだと思ってた。楽しかった事や、そしていやな出来事までもが、私の中で綺麗になってく。かっこよく私の前からいなくなって、私の中でかっこよく生き続ける。なんか、それはずるい。身近にいた時は沢山反発して、彼のいやな部分がいっぱいあったはずなのに、いなくなった今は全部好きに思える。彼が夢を叶えようとしてると知って、私は自分のこれから先の夢を考えはじめた。
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<422> かえる |
■2009年04月01日 水曜日 15時31分18秒 |
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私のほんとうの夢ってなんなんだろう?…夢って、きっと叶わないだろうものでなく、きっと叶えてみせるものなんだと思う。今考えると私はほんとうにしたいことが見つからなかったから摂食障害に逃げ込んでいたのかもしれない。確かにあの期間がなければ、私は今の私にはなれなかったから、時間を無駄にしたとは決して思わない。
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<421> かえる |
■2009年03月16日 月曜日 12時53分40秒 |
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摂食障害で身動きができなかった頃に何度も病院の入退院を繰り返していた。そして自分のからだだけじゃなく、こころがおかしいと真剣に考えはじめるまでにも時間がかかった。ガリガリに痩せていればコンプレックスは消えると思っていたし、何よりも少しでも自分のことを好きになれると思っていた。現実を受け入れることを、摂食障害に逃げ込むことで回避していたんだろうと思う。ガリガリの時に子供がえりは無かったが、大人になりたくないという思いが気持ちの奥にあったんだろうな。その頃の私の時間の流れは止まっていた。昔を思い出しては親やまわりを責め、激怒し泣き喚き、感情をはきだせるだけはきだしていた。狂ったように食べ、全て吐き出す。何にも考えられない、考えたくない。死にたかった。早くらくになりたかった。今はあの地獄の日々が遠くなる。今でも自分の時間の流れは、まわりと違ってると感じる時もある。けど、自分の居場所があって、私らしくいられる人達との関係があったら、他はまあいいかぁとも思う。ずいぶん年下の男ばっかの職場も自分のしょうにあってる。正直、女みたいにねちっこくなくてらくだ。みんな仕事を頑張るのは若いからかぁーなんて思う。まっすぐに、まっすぐに、そうゆう姿はちょっと感動する。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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