私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.21
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<420> あい |
■2009年03月15日 日曜日 00時28分57秒 |
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きっと今回のことは、人生で大きな節目になる こんなことは二度とない。やって来ない。 まるで、牢獄から抜け出せたような気分だ。 さわやかな空気をやっと、吸える。そんな気分。
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<419> あい |
■2009年03月13日 金曜日 00時40分17秒 |
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旧姓の戻りました。自分に戻ったみたい。まだ慣れないけれど、 自分を取り戻したような気持ち。良かった。やったよ。 すごく、時間かかったが、嬉しかった。新しい印鑑がとても嬉しい。
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<418> HO |
■2009年02月11日 水曜日 02時04分53秒 |
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天の導きに沿って生きていると、必要な時にはキチンと師が現れるそうだ。 中国の言い伝えだか何かによると。 自分にも欲しいなぁ。師。
自分に疑問を持って生きている人はそう多くないみたいだ。 見つめたくないところは都合よく見ないようにする人が多い気がする。
人を見下す陰には劣等感が潜んでいること。 許せないことには願望が潜んでいるかもしれないこと。 認めたくないのかな。
人のばっかり見えてしまって困る。 自分のそういうところも見抜いて、導いてくれる人がいてくれたらいいのに。 と、ときどき思う。
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<417> みゅー |
■2009年02月09日 月曜日 22時09分03秒 |
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「ありあわせ『プチ変装』」にも慣れてきた。一所懸命やってる世間に対する「罪悪感」は、まだ続いてる…。でも「プチ変装」は、そんな、あたしを少し助けてくれる。たとえ変な目で見られてもね…。 最近は「プチ変装」してないと「あたしらしくない」って思うようになってきた。
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<416> あい |
■2009年02月08日 日曜日 02時06分51秒 |
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結婚し、離婚したこと。熟年離婚。そして、長男が家をでて、父親と縁を切ったこと。今、1人で子供とくらし、生きてきた中で、一番安全と幸福を感じている。誰にも暴力を振るわれる心配のない生活。ゆっくり眠れる生活。布団の中で温かいって感じる。現実的には、元夫をストカーとして訴えるとか、いろいろあるけれど、でも、安心があることに変わりはない。そして、この生活を守りたいと思うようになったし、もっと、幸福になれればいいなと思うようになったことかも。離婚は確かに正解だった。やっと思えるようになった。そして、やっと自分を責めなくていいようになった。やっと、前向きに生きたいと思えるようになった。
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<415> かえる |
■2009年02月05日 木曜日 23時51分09秒 |
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転職をして同時に一人暮らしもはじめて、もうすぐ一年になる。今、考えるとほんと、一度に欲張りすぎたと思う。だからはじめの頃は仕事でも私生活でもトラブルばかりが続いて、気持ちが不安定だったし、何よりも新しい人間関係をどう築いていいかわからなかった。けど、ごく身近な人達との人間関係は、一緒にいる時間が長くなるにつれて自然とできてくるのだと、今は思える。はじめは物凄く職場の雰囲気に馴染めなかったし、ここを自分の居場所にできるか自信なんかなかった。今住んでる街が自分のホームグランドにできるかわからなかった。でも本当に本当に諦めなくてよかった。逃げださなくてよかった。…違う。不思議と逃げるという発想はわかなかった。仲たがいして家を出たわけじゃなく、自分の意志で家を出て一人暮らしをはじめ、自分の意志で転職をして働きはじめたから、自分の決めたことは貫きたかった。新しい環境に慣れ気持ちが安定するまでは弱音や愚痴を親や友達に散々吐いたけど、私は聞いてもらえるだけで十分だったし、答えは自分で見付けるものだと思っていた。転職を決めて今の仕事が本決まりになった時、日頃口数の少ない父が、ぼそっと言った。〜〇年勤めて、なんで今更転職するのか?〜その時、きっと父には今の私の気持ちは到底わからないと思った。私は私の人生を生きる。それは大それたことじゃない。子供はみんな親から巣立ち、独り立ちし自分の力で歩いていく。それは親の敷いたレールではなく、自分が選んだ道を歩くということなんだろうと思う。まだまだ頼りなく危なかしいけど、自分を貫くという部分だけは揺るがない気がする。それで今、昔を思い出す。私は高校を卒業し専門学校へ入って、自分の道を貫けなかった。だから病気に逃げ込んだのか?でも、今の自分はあの時の自分とは違うし、父や母も昔の父や母ではない。今は私らしい生き方ができる。両親がいうように金銭的自立はしたかった。けど何よりも両親に対する心の呪縛をときたかった。時間はかかったけど、やっと自分の足で自分の道を歩いてる気がする。今でも、あの時に専門学校を卒業しておけばよかったと後悔もするけど、転職し服飾関係に就けて、何年もかけてやっと自分のレールに戻れた気もする。
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<414> ゆうこ |
■2009年02月01日 日曜日 14時01分31秒 |
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一歩踏み出せないでいる。目の前のことから逃げ出したい。私にはできない。違う、したくない。 心と現実が噛み合ず体が動かない。これくらいのことでって思うけど私にとったら大事なんだ。少しでいいから私の話をウンって言って聞いて下さい。 信じなきゃいけないのは自分だけなのに、他人に期待してしまう。弱い私 弱い、こんなんじゃ一緒に居ちゃだめかもしれない
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<413> j |
■2009年01月22日 木曜日 22時55分10秒 |
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一度目の人生の転機は、高校に進学できないことが確定したときに、諦めてしまったこと。 二度目の転機は、母が死んで、家を追い出されたこと。その後に出会った人物に進学を勧められ、5年をかけて卒業できた。
でも、諦めた代償はとても大きかった。諦めるべきではなかった。 中途半端な知識しかなかった子どもの私は知らなかったのだ。 諦めるということは、死ぬことよりも無意味なことなのだということを。 私がそれを知ったのは、取り戻せない後悔を胸に刻んだときだった。
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<412> かえる |
■2008年12月31日 水曜日 09時34分18秒 |
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今年ももうすぐ終わろうとしてる。今年一年は私にとって本当にいろいろあった。それに、これまでにないぐらいに自分から積極的に新しいことにチャレンジできた。みきり発車的なところが多いと自分でも思うが、自分がしたかったことをやれたのは、親も含めまわりの人達のおかげが大きい。金銭的にもう親には頼りたくはないという思いが強かったし、これから先の事を考えたら、すべてを自分一人でやっていく力が必要だと思っていた。けど、こころを固くなに突っぱねるようにして、今までの関係や人とのつながりを切ることも無いんだと、ぼーっと思えたら気持ちが軽くなった。かたひじを張らなくていい。勿論、自分の生活は自分で賄う。筋を通す時はきちんと通す。その一方で、こころがガチガチだと、どこへいっても馴染めない、居場所をつくれないんだなぁ、って実感した。人間不振にはならなかったし、気持ちにゆとりをもてたら、なんだただ強がってるだけなんだと、素直に納得してしまった。人にこびるのも頼りきるのも違う、適度な距離、間柄は本当に難しいと思う。けど、今年一年自分なりにやれることは頑張った。自分が人にどうゆう風にとられるか?で動くのではなく、自分の意思で動いて、それで見ていてくれる人もいるし、受け入れてくれる人もいる。その中で私の生活がある。こころが荒んだり歪むのはいやだ。私は時々感謝も忘れたりする。一応、物質的には並の生活ができてるから、こころばかりに焦点がいくのか?でも、やっぱり、自分がいやだと感じるものはいやだし、まがりたくない。私は頑張れることは頑張りたい。自分の納得いく生き方がしたい。自分に恥じる生き方はしたくない。理想論ばっかだけど、今の生活をする上で、芯にすわっているものは揺るがしたくはない。今年もおわる。今年もおわる。きっと働きながら、遠く遠くの除夜の鐘の音を聞くことになるだろう。今年がおわって、来年がくるんだ…
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<411> かえる |
■2008年11月15日 土曜日 00時24分06秒 |
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潔く生きる。この頃、漠然とそうゆう考えがわいてくる。私生活でも仕事でも、今できる事は先のばしにしない。自分の気持ちと正直に向き合う。まわりの評価ではなく、自分がどうしたいのか?でうごく。自分一人で生きてるわけじゃないんだから、みんなの中で自分がすべき事、社会の中で当てがわれた役割を果たす事は必要だと思う。きっと、そうゆう基盤を充たしてからこその、自分らしい生き方なのだろうと、私は思う。振り返ってみて、私の地獄のような20代は本当に適当で、めちゃくちゃで、まわりの人達を振り回しては迷惑ばかりをかけていた。自分の好き勝手をやって、それでも満足できない、満たされない思いは、一体どうすればいいのか?どこへいけばいいのか?私は思春期の葛藤みたいなものを長く長く引きずっていたと思う。みんながみんな、まっすぐに目指すものがあるわけじゃないし、学校を卒業して、社会人になって、何の疑念も持たずにすんなりと大人社会の一員になれる人達が大半だろう。私は同じ年の人達よりだいぶ遠回りをしたし、一般的に20代の時にしかできなかった経験でスルーしてしまった部分も多いだろうと思う。…が、すべてが仕方なかったんだ。色んな要因が重なって、昔の私が存在したんだし、昔の私を通過しなければ、今の私にはたどり着けない。どんな生き方でも無駄なことなんか一つもないと、できれば考えたい。結果オーライで、今が良ければ、いくら辛い過去でも払拭できると考えたい。例え今が辛くても、希望を捨てずに立ち向かい続ければ、段々にあかるいひかりに近付けると思う。
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<410> かえる |
■2008年10月26日 日曜日 11時57分13秒 |
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自分の居場所。もう親や兄弟、祖母の住むあの家は、私の居所ではないのだ。用事などで実家を訪れても、帰る家はここではないんだと、なんとなくぼんやりと思う。今の自分にとって大切な存在の人達が増えたこと、これは、ちゃんと私が手にしていいものなのか?と不安にもなる。一から何かを築いていく難しさ、そして安定、持続させていくちからを身に付けたい。好きな人に、好きと言えるようになりたい。
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<409> ゆうこ |
■2008年10月16日 木曜日 17時47分04秒 |
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わたしはいまなにをすればいい拒否すればいいのかわからない怖い怖い誰かに聞いて欲しいのかな 心を軽くするにはどうすればいい 駄目だったら 私は自分を大事にできる自信がないよ またひどいことするよ そんなににんげんできてない またつらい時期をすごさなきゃだめなのかな 自分次第だけどわたしにはたぶん無理
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<408> 花音 |
■2008年09月15日 月曜日 04時00分20秒 |
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転機
ずっと、なんで自分なんかが生きてるのか分からなかった。 生きている意味が分からなくて、いつ死んでも良かった。 毎日同じことの繰り返し、 学校にいけば、くだらない会話。 贔屓な先生に、自分勝手な子供。 あたしの顔はひきつる。
家に帰れば、酒飲んだ感情的な父親。 子供達を殴っても止めない理屈ばかりの母親。 無表情で、楽しいことなんてなかった。
ほんと、なんで、生きてるのか分からなかった。
あたしは誰にも求められていない存在、 他の誰かに助けを求めることもできなくて、 あたしの本心を知っているのは紙と鉛筆で書かれた詞だけ。
こんな人生をあと何十年も過ごすなら、消えてしまいたいと そう願った十何歳。
でも、転機が訪れた。
ある音楽に出逢ったの。 あたしが今まで知らない世界があって、 怖くなったけど、でも、凄くワクワクした。
お金もなかったし、術も何も知らなかったから、 MDに5曲入れて、暇さえあれば聴いていた。 擦り切れるほどに聴いた。 それがすべてを救う、本当の救世主となった。 そのきっかけがなかったら、今でもあの生活を続けていた… と、思うと背筋がぞっとする。
それからは人生の見方が180度変わった。 最初は目標なんてなかった。 ただ、好きってだけで、生活を変えられた。
その音楽だけは、私の全てを知っている気がして、 あたしの叫びが届いている気がして。
世の中に不可能なことなんてないって、初めて思ったあの寒い冬。 あの日から、全てが変わった。
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<407> pnatkhn |
■2008年09月13日 土曜日 08時52分35秒 |
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<406> かえる |
■2008年09月13日 土曜日 06時46分26秒 |
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これまで自分は誰かと一緒に人生を生きることが考えられなかった。その場だけの楽しい付き合いとか、たまに思い立って連絡とったりとか、遠い先を見据えた関係を築かなかった。…正しくは築けなかった。こんな自分じゃ到底無理だ、自分の事もろくに面倒みれないのに、他の人の事まで十分に気遣えない、相手を傷付けて、お互いに痛いおもいをするだけだ…なら…一時楽しいだけの軽いノリだけの付き合いでいいじゃないか?自分には長く付き合うことも、結婚して自分の家族を築くことも、向いていない。家庭をつくる能力も、ちゃんと親になれる素質も、持ち合わせていないだろう。まともに親になれない、歪な家庭しか築けない、、、それで一番の被害者になるのは子供だ。まともに育てられないなら親になる資格なんかない、そうゆう親の間に産まれてきた子供は一生、もがき苦しんで生きなきゃならない…だから、私は散々に親を責めていた時があった。もう、これはこれで仕方ない…苦しい苦しいと生きて、自分が産まれてきたことを呪い、なんで自分を産んだんだ!と親に罵声を浴びせ…確かに昔のことだが、こんな自分がまともな親になれるわけがない、また歪みが連鎖して子供を苦しませるだけだ…。そんな思いが強い。自由奔放、自分のしたいように生きて、最後はなにも残らないまま、あっけなく死んでいくのが、自分にはあってるんだろうな、って心にあるから、最初から期待もしないし、やろうとも思わないんだろうな。その人にみあった、その人らしい生き方をすればいい。誰かと人生を共にして、それでまわりを不幸にするなら、一人で生きた方がいい。…それが私の考えだった。当たり前に結婚して家庭を築いている人と自分とでは、根本的になにかが違う。私は自由が束縛されるのも嫌だろうし…親になれる自信もない。人は変われるとか思っているくせに、変化をおそれて、行動をおこせない。自分の満足できない生き方はしたくない、もう後ろは振り返りたくない、まわりの受けや批評で自分らしさを曲げたくない。今でも苦しさが完全には消えてないのに、新しく違う問題にチャレンジする気にはなれない。相手にまで、今の自分の問題をしょわせたくはない。いくら言葉を尽しても、相手の真意も、自分の真意も、行き違うことがあるから、できるかぎり自分の正直な心を表現しようと、思う様になった。自分の心が今はどんな状態なのか、思春期からずっとカウンセリングで話しているうちに、一部分だがうまく伝えられる様になった気がする。けど、相手に全部をさらけだして拒絶されるのも怖い。まだ、今の自分でいいんだと自信が持てない。
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<405> HO |
■2008年09月13日 土曜日 02時59分59秒 |
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最近、人生の節目に出会いました。 大変なショックで、生きる気力を失うほどでした。今も元気にはなれません。 しかし、学べることはたくさんあった。自分が健全になるための道が少し見えた気がした。
しかし。
学ばなくていいんじゃないか?人生で1、2を争うくらい辛かったんだ。 もっと馬鹿になっていいんじゃないか? 今すぐに学び取る必要も、見返りを求める必要もない。 あがけばいいんじゃないか?
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<404> ゆうこ |
■2008年09月09日 火曜日 18時06分50秒 |
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だめでした。努力不足でした。サボったツケがきました。大事なところでがんばれない。くやしい。私よりできる人なんていっぱいいるのに。自分が一番だとか勘違いして、恥ずかしい。やるだけの事やってから言ってよ。まだ大丈夫って半分思ってるけど、早く気づいて次ぎにいこうよ。 面と向かって突きつけられないかぎり、理解しないと思うけどそこには行けないんだよ。
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<403> たばさ |
■2008年08月15日 金曜日 23時39分25秒 |
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人生の節目に自分のことを考える時間を与えられなかった。 「あんたはこれでいいでしょ!」 そうね、あなたは、姉の願いをかなえることで頭がいっぱいだった。 私の人生なんて、あなたの都合のいいようになるだけでよかった。 節目節目に支配をして、あなたの都合の悪いようにならないよう 怒鳴って不満をぶちまけて、思い通りになるように罵って あなたは満足でしたか?
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<402> なずな |
■2008年08月06日 水曜日 02時20分47秒 |
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ちょっとタイミングを間違えたかな。 もう少し様子を見てもよかったかも・・ ちょっと離れてみて違う自分のイメージが見えたりする。 でも。たくさんの時間迷ったでしょ? だからこれで良かったんだよ。 新しい世界がきっと待ってるから。 自分を信じてやっていこう。 大丈夫、大丈夫。
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<401> かえる |
■2008年07月14日 月曜日 23時38分40秒 |
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自分で自分を育て直す。子供時から今まで、様々に色んな自分がいた。偏った歪な人間。出口が見えない時は延々と迷った。ひかりなんかない。助けなんかない。そう思ってた。けど育て直しの期間、親は、病院の先生は、歪な私にとことん付き合ってくれた。きっとあの間に、私は親の愛情を一生ぶんもらったんだ。なにかが少しずつ変化し、キリキリ軋んだ音を響かせ今にも壊れそうだったぜんまい時計が、嘘みたいにカチカチとリズムよく動き出す。それでも、また時計の螺子がいかれるかもしれないし、 いきなりピタッと止まってしまうかもしれない…。これから先、なにがあるかは神のみぞ知る、で、いい。フラフラ揺らぎながらも、根底さえゆるがなければ人はなんとか生きていけるものだと思うから。もし、負った傷を完全に癒すことができ、新しい自分に生まれ変われたら、その先をもっと楽にいきれるだろうけど、それは無理で、歪な自分のままで、いきるしかなく、歪んだ形を、自分のしたい形に、有りのままの形に、成形していく。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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