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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.2
メッセージ数:40件

<40> NAC NAC ■2004年01月17日 土曜日 20時59分03秒
自分の人生の節目というわけではないが、今日は「阪神大震災」が起こった日だ。
当時の自分は、同僚の家で皆と飲んだくれて、皆寝ていた。
そこへあの地震。
関東出身の自分は「当たり前」なので、あまり驚かなかったが、関西では関東ほど地震が多くないみたいで、皆驚いていた。
そこへあの映像。
私は「朝から特撮流しているのか?」と、その悲惨さを理解するのに暫く掛かった。
それは、「自分で見たくないもの」を、「信じたくないもの」を、私は見てしまった証拠でもある。
幸いにも私の友人・知人で、亡くなられたり、身内が不幸な目にあった、という人はいなかったが、
ここで改めて、不幸に見舞われた方にご冥福をお祈りする。

数週間して、私は食料物資運搬・仕分けのボランティア(といっても実際は多少お金がもらえたので、厳密にはアルバイト?)を2,3ヶ月していた。
あの頃の自分・・・
自分で「自分の生き苦しさ」をなんとなく感じながらも、意識の上ではっきりと「自分は苦しいんだ」と認められなかった自分。
自分の心が苦しいのに、「苦しいんだよ」とも言えなかった自分。
自分の心の痛みを相手に伝える術すら知らなかった自分。
完全に、奥深いところで心を閉ざしていた自分。
今思い出しても、今の自分の心は閉じている。
開けたら最後、涙が流れるのは自分でもわかっている。
耐えるのは自分の寂しさと向き合いたくないからか?
それとも涙を、自分の感情を、安売りしたくはないからか?
心が半開きの、今の自分にはよくわからない・・・・・
<39> hako2o ■2004年01月15日 木曜日 18時37分35秒
人生の節目・・・
3日間寝込んだ。又、鬱が再発した様に止め処なく涙が溢れ、死が近づいてくる。他人が見たら、完全に怠けて、仮病の様な感じだろう。
私の父と私の息子(中1)と3人暮らし。
3日間、父は声を掛けて来なかった。息子は、お腹が空いたと起しに来る。
2日の夜、聞こえるように父が「居なくてもやっていける」と独り言には、大きい声。もちろん、食事の用意は自分だけ・・・
この位では、傷つかない・・・これは、当たり前なのです。
でも、私の心が壊れた・・・不登校の息子とやっと、如何にかいい方向にあるときに
「お前がこうだから、あーなった」と父に言われた・・・
最初に言われた時は、そうだと思えていた・・・
でも、今になってそれを言う父が、一番の問題だと気付く。いつも、調子よくなると、こんな調子で、いつも、調子を崩して暮れる。
それは、偶々と思っていた。
けれど、それは、明らかに違った・・・
息子が不登校になってくれたお陰で、カウンセリングを受けるようになり、心の整理をしていくうちに、少しずつ、改善されていく私と息子の信頼関係。
父がネックになっている事に気付かされる。父を上手に取り入れ、不登校を改善するようにカウンセリングされる。しかし、そこに無理があった事に気付いた。
私が、眉間に皺を寄せて頑張り過ぎるのは、私に問題があった訳では、無いと気付いたからだ。
私が愚かだった。私の心は、傷つきどうしで、傷に気が付かないようにいつも気を張ってなければならなかった事。
子供に安心を与える為に、まず気を抜く事をして、それが順調だった。けれど、私の心は無防御だった。
そう思うと、もう、私に先が無い気がしてなら無かった。私は駄目だと言われ続け、駄目なんだと、死が押し寄せてきた。そこまで、私は、傷ついていることを誤魔化していた。
これが、一番の息子の不登校の原因と知る。
父は、人を蔑まなければ、生きた心地のしない人だと知る。
2日間は、死の誘いがくる。病院に行く気がしなかったのは、「気楽に」と言われる事がとても怖かった。お薬もやっと抜けた所なのに・・・
振り返ると、父は、自分より人が優れる事を嫌がった。自分より背丈が超えると叩く。といつも言っていた。勉強を一生懸命していると、勉強するなと言われていた。
そういえば、明るい気分になる為に努力した。ノートに喜・輝・明・嬉・好・・・と明るい漢字を沢山書いた。
お陰で、家以外は、人が巡り合えないいい事も沢山あった。
けれど、それもいつも貶されてきた。だから、仕事は一生懸命してきた。
外では、認められてきた。けれど、それでも、いつも貶されてきた。
お前は、駄目だと・・・。ひと頑張り効かないのは、この所為だったと知る。余りにも当たり前のように言われ、心に笠蓋をしていたのに、気付いたのが2日。
TFT療法という物をカウンセリングの先生に教わっていたので、押し寄せてくる気持ちにやってみた。私は疲れていた・・・
仕事に疲れていると思っていた。
それは、違った、家族に一番、疲れていたのだ・・・
私は今まで、よく生きてきたと思えた。頑張るしかなかった・・・
気を張らなければ、生きていかなかった。そんな気苦労を息子にも強いていた。
私を支えてくれる人が沢山いる。3日生き返った。
明日から、私は甦る。でも父とどう接していいか解らない・・・
これが私の節目。そして、このHPと巡り合う・・・私はついている。
動くといろんないい人と巡り合える。だから、明日も息をする。
<38> WINNIE ■2004年01月15日 木曜日 00時23分39秒
人生の節目というか、転機は、私にこの先どうやって訪れてくるんだろう?

それなりにいろんな転機はあった。あとはそのうちやってくる母との別れ、あとは、どんなことがあるのだろう。なんか、だいたいのことは、やってきてしまっているような気がする。そして、なんだかみんな十分にものにできなかったような気が。

あとは、私が自ら変わっていかなくては、もう何もやっては来ないような気がしている・・・

私は変われるんだろうか。変わりたい、と思っている。でも、いつまでも病気が治らなくて、だらだらとこの状態が続いているのは、無意識では私は変わりたくない、と思っているんだろうか。

もうちょっとコドモのままでいたい・・・とか?
<37> シャローナ ■2004年01月10日 土曜日 21時32分32秒
突然心細く不安でどこにいるのか訳わかんなくて誰にも助けてもらえなくて・・・
そうなっちゃう自分は引越ししたころの3歳のインナーチャイルドなのかな
とこの頃思う。辛かったよなあ。かわいそうだった。誰も教えてくれなかったものね。無理もないよ。大人でさえ引越しして知らない町で暮らすのは大変なんだよ。そういうのは徐々に慣れていくものなのに、いきなりでよく理解できなかったんだよね。よくがんばったよ。自分が悪いとは思わなくていいよ。もう無視しないよ。
<36> 花 ■2004年01月08日 木曜日 22時36分58秒
人生は30分の過ごし方の中にあると思いました。
いろいろ時間をはかってた。
私が集中できる時間は一時間15分。宿題や好きなことして気付いたらその時間。大体一時間。←読書したり、絵かいたり。お風呂は40分。私に足りなかったもの。抜け落ちた30分。挨拶10秒。事務的用件・休み時間10分。駅まで15分。電車に乗る時間・食事20分。気が抜けない。ずっとかたまったまま。暗い方へ流れてく。私はこの30分以内の時間が苦手。この時間を楽しく過ごす自分だけのやり方があればきっと、人生流れるようにうまくいく。生きるコツがこの30分にある気がする。30分自主的に、能動的に、積極的に生きられたら。誰かを憎むことも嫉妬も不機嫌も、寄りかかるのも、減る気がする。
集中できない、い荒いら下感じ、追いつかない、恐い。凍りつく。今の生き方。生き方決めるなら30分どう過ごすか。
花の人生は30分の中にある。
気楽に楽しく肯定的に生きてみたい・・・。
人にどう思われるかばかしじゃなくて、その時間だけは自分が人をどう見るか。それの連続みたいな時間。
人の笑い声が苦手だった。どうしていいのかわからないから。こんな自分と比べてしまうから。家族との食事2,30分窮屈で認められなくて、認められウことばかり考えて自分じゃない人つくってきた居心地悪い30分。今は1人だけれど。楽しい食事の仕方がわからない。きっと、皆あんなに笑えるのは、自然でいられる場所が30分があるからなんだ。ふん…。
<35> 太郎 ■2004年01月06日 火曜日 17時03分01秒
友達の父親が死んだ。自殺だった。借金と引き換えて自分の命を絶った。家に行ったけど、家族はサバサバしてた。人生なんか教科書通りにいかない。でも教科書通りに行かないと親は烈火のごとく怒る
<34> ひこうき ■2004年01月03日 土曜日 09時49分57秒
私はちょっと楽しみにしてた。
Tに会えるの。
17年ぶりの中学の同窓会。

みんなちょっとずつ変わってて・・
きれいになってたり、割腹のいい人。
調子のいい人、夢を持ってる人・・。
目を合わせると当時が蘇ってくるよ。
・・やっぱり変わんないね。

Tはさ、中学の時は隣の席で・・
音楽の趣味が合ったから、休み時間いっつも話してたね?
Tは不良っぽくて繊細で優しかったから・・
今はもう良いお父さんしてるのかな?って思ってたんだ。

そしたら・・皆はTが27で自殺したって言うんだ。
どうしてかは誰も教えてくれなかった。
そういえば、Tの家は母子家庭だったけど・・

私の中でTは15のあの時のまんま。
坊主で、ニキビ顔で、詰め襟の制服。
制服の裏地には龍の刺繍。
照れながら笑う顔。声。
昨日の事のようだよ。
Tはずっとあのまま、変わんないんだね・・。
<33> シャローナ ■2003年12月26日 金曜日 02時49分31秒
今、うちは節目の中にあると思う
とても過ごしにくい
私の中の何かが耐えられなくて避けている
混乱して実感が乏しい
自分を見失いそうで心細く落ち着かない
心の支え、安定が欲しいよ
<32> シャローナ ■2003年12月26日 金曜日 02時46分29秒
3歳のときの引越しは
自分にとってはどうにもならないほどに
大きすぎた出来事だったんだろうか
今までただの引越しとしか思っていなかったけど、
どうもこれ、トラウマになってるかもしれない
今まで触れられなくてごめんね
これから考え直してみようと思ってる
<31> 花ちゃん ■2003年12月14日 日曜日 22時49分58秒
受験は不安。変化は恐い。
<30> 埴輪 ■2003年12月12日 金曜日 01時19分34秒
今いっちゃったら節目も糞もない。
生きる。
生きるってのは大変だ。
成功ってなんだ。
<29> あ ■2003年12月07日 日曜日 17時34分34秒
人生の節目を思うに、ろくな事はないね。普通の生活が成立されていないのに、節目がガタガタになるのは当然の出来事だ。
<28> なおこ ■2003年12月07日 日曜日 02時43分25秒
節目です!!
だって学校辞めて私ハリウッド女優になるの!!
多分自分を誇大妄想しているんだと思う。
みんなからは可愛いとかオーラがあるとか言われるけど、それは騙しているからで
実際は私、はずかしがりやの、臆病な猫ちゃんだもん。。
気も強くないし。
でも、毎日の生活に疑問覚えてる。好きだった子供も、いまは好きじゃないし、逆にくったらしいし、昔は保母になろうと思っていたけど、こんな親心をもてない気持ちじゃあ、だめだし。どうしてもそんな気持ちにさせた親に目がいってしまう。もう謝ってもらったし・・・。許せないけど。時々殺したくなるけど・・。
ってか弟が今私と同じ気持ちになってて、それで非行に走りだしてる。弟には犯罪者になってほしくないけど、うちの両親、弟なら殺してくれるかなって、ちょっと期待。あいつらが死ねば、私達の世界は幸せになるのに(ね、弟)
親が大事だという定義はどこから来ているのか?
あいつらの気まぐれでばかげた行動にはマジ本気で殺してやりたいくらいの気gは湧く。ってかあいつらを殺して終わる人生もいいかなと思っている。私の惨劇を見て見ぬふりをしていた兄弟にも問題がある。
そう、私の孤独。
<27> 埴輪 ■2003年12月01日 月曜日 02時11分37秒
一年くらいまえの、日記を読んでみた。
「突然死にたくなって、カッターを腕につきたてた」
と、書いてあった。
覚えてない。

わたしは、1ヶ月にB5ノート1冊分のペースで日記を書く、ということを、
1年前からやっている。
読み返してみると、奇妙な記述が多い。
自分の気持ちを無視して、強迫的に暗示的に自分を走らせてるような文章。
ときどき、自分を蔑むことばが並ぶ。

それがなくなってきたのは、最近のことだ。
3年前にACという言葉を知ったが、自分がACなのかどうか
確信が持てないまま3年をもやもやしながら過ごした。
そして最近、ACという言葉を、ようやくしっかり受け止めた。
なぜなら、以前にもまして抑うつ状態が続き、どうにもならなくなったから。
もう誰がなんと言おうと私はACだ、と
半ば開き直るようにACを真正面から受け止めた。
それから、自分の気持ちに近い言葉を、
日記に書けるようになってきた。
今、私は、私を生き辛くさせているもの全てに立ち向かう勇気を持った。
だからいえる。
2003年が、一つの節目だった。
まだまだ、問題は山積みだけど。
<26> POH ■2003年11月27日 木曜日 16時45分08秒
物心ついた時から大の子供嫌い。妊娠しちゃったけど、堕ろします。どう想像しても嫌いだし、責任取りきれないし、自信がまったくない。これで二度目。馬鹿です。
<25> POH ■2003年11月27日 木曜日 16時39分52秒
大学受験、一浪して世間的に一流といわれる大学に合格したが、父に言われたのは「まぐれだな」の一言。後々他人に自慢するネタにはされたが。元々父のことは信用していなかったが、結構これで決定的になった。私に父という存在はありません。
<24> 太郎 ■2003年11月23日 日曜日 17時52分13秒
苦しい人生だ。受験競争は厳しい時代を抜けたかと思うと、今度はこの不況、親たちの圧力、成功者の嫌味たらしいあの顔いやだ。町を歩いてたら、みんな幸せに見える。不幸の人間は僕と同じ匂いがする。この匂いは中学・高校の時とまったく変わらない。
<23> 埴輪 ■2003年11月22日 土曜日 00時02分02秒
神様はいない、と確信したのは13の時だった。
思い出すのはエネルギーが要る。また今度。
<22> 埴輪 ■2003年11月21日 金曜日 18時01分23秒
焦る。。。
早くしないと、まずいんじゃないか、と。
だまっていたら「その時」はいずれ確実にやってきてしまう。
そうすると、もっと状況が悪くなる。
世間が節目節目言うから
そうか、節目か、そりゃまずいな!って思い込まされてるだけかも。
<21> MARU ■2003年11月18日 火曜日 23時36分26秒
今、節目かも知れない。

つーか、
「節目」!って、毎度、毎度、仕事辞めるとか、離婚するとか、大事の度に、妙にテンション上がって、頑張ってきた。
今も、またまた就職活動だ。

今回、初めて、あたしっておかしいのかも、って思った。
天職探してる積もりだったり、本当に信頼できる人間関係を探してる積もりだったり、で、その時々は一生懸命なんだけど…。

節目、節目が、本当に節目になってない。
同じ事を繰り返してきてる…、って気付いた。
自分を殺して、何かの大義や名目でイイワケしてる。
本当は、ただ、嫌な事から逃げ出したいだけだったりするのかも…。

逃げ方が、毎回、まずいんだよな。
で、今は、お金に困ってる。

長くかかるテーマ、なのだろう。



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This script written by Shintaro Wakayama.