自分の人生の節目というわけではないが、今日は「阪神大震災」が起こった日だ。 当時の自分は、同僚の家で皆と飲んだくれて、皆寝ていた。 そこへあの地震。 関東出身の自分は「当たり前」なので、あまり驚かなかったが、関西では関東ほど地震が多くないみたいで、皆驚いていた。 そこへあの映像。 私は「朝から特撮流しているのか?」と、その悲惨さを理解するのに暫く掛かった。 それは、「自分で見たくないもの」を、「信じたくないもの」を、私は見てしまった証拠でもある。 幸いにも私の友人・知人で、亡くなられたり、身内が不幸な目にあった、という人はいなかったが、 ここで改めて、不幸に見舞われた方にご冥福をお祈りする。
数週間して、私は食料物資運搬・仕分けのボランティア(といっても実際は多少お金がもらえたので、厳密にはアルバイト?)を2,3ヶ月していた。 あの頃の自分・・・ 自分で「自分の生き苦しさ」をなんとなく感じながらも、意識の上ではっきりと「自分は苦しいんだ」と認められなかった自分。 自分の心が苦しいのに、「苦しいんだよ」とも言えなかった自分。 自分の心の痛みを相手に伝える術すら知らなかった自分。 完全に、奥深いところで心を閉ざしていた自分。 今思い出しても、今の自分の心は閉じている。 開けたら最後、涙が流れるのは自分でもわかっている。 耐えるのは自分の寂しさと向き合いたくないからか? それとも涙を、自分の感情を、安売りしたくはないからか? 心が半開きの、今の自分にはよくわからない・・・・・
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