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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.19
メッセージ数:380件

<380> 真名 ■2008年03月18日 火曜日 21時19分26秒
結婚式、したいなー。
地味婚だけど。
お金がかかるのは嫌だし、そんなによぶ人いないし。

しないっていったら「ちっちゃなところで結婚お披露目パーティーみたいなのすれば?」と言われ、いろいろアドバイスされて、その気になってしまった。

ちょっと恥ずかしいし(結構照れ屋)、いい場所あるかわからないけど、(それより、彼の親戚が120人以上とか!)うまく調整してできないかなー。

彼の親戚とか親御さんが静岡から神奈川まで来てくれるかなというのも心配。

あー、挨拶したり、来てもらったり、いろいろ大変だけど(めんどくさい)しかたがないね。
これも大人への階段か。

時期は慎重になっていい気がする。

結婚は本当に大きな決断だと感じるから。

そろそろしてもいいかなって思う時もあるけど、まだまだわからないなって思う時もある。

氏も育ちも生きてきた歴史も違う男女が一緒に暮らしていくっていうのは、本当に大変なことなんだと感じている。

結婚してもいいけど、彼も私も疲れないかな?っていうのを思う。

もうすぐ同棲して半年だけど、(予定では婚約の時期だったけど)もっともっと一緒に暮らしてみたい。
もっと彼のことを解る人間だと言い切れる自分になってから結婚したい。
今はほんのちょっとしか彼のことを解っていない気がする。

わがままだし、幼稚だし、もっと大人にならなきゃ。
<379> かえる ■2008年03月13日 木曜日 01時26分34秒
自分はいい子ちゃんを演じているだけだと思っていた。聞きわけ物わかりのいい、悪いこと言わないしない子。でも、現に悪いこと山ほどするし、相手に納得いかない変な言動されるとムカつく。カチンとなる。それは私のものさしの尺度ではかった基準だから、みんなおんなじ価値観で○と×をつけられない。○と×ばかりが答えではないんだと今は思うし、曖昧ではっきりしない実体のないもの達の方が好きだったりする場合もある。不思議ちゃんで一般受けするわきゃないし、これが自分なら諦めてわかってくれる相手を大切にしていけばいい。好きなものを好きと言い、お気に入りのものに囲まれて、、、、きっと、それはすごくしあわせなことなんだと思う。自分の唯一の長所は素直なところだけだから、これだけは曲げないでいこう。自らのことでさえ深く考え過ぎて疑い延々袋小路に迷いこむのはやめよう。もっとシンプルにいこう。親や祖母は私を世間しらずに育てたかも知れないが、自分はこれでいいんだと、覚悟を決めれば、それもまた武器になる。色んなものを空想して遊んでいた子供の頃愉しかった。わくわくした。辛い昔もあったが、今に繋がる楽しい時間を思い出した。自分が何者でもいい。不安がらなくていい。安心できる居場所はちゃんとある。



<378> 真名 ■2008年03月12日 水曜日 10時01分54秒
私が新しい仕事をして、仕事と仕事のストレスでいっぱいになって、ゲームセンターでお金を遣い込んで、クレジットでお金を借りて、親と喧嘩して、暴れてぶん殴られて、警察呼ばれて、お水の仕事して、元彼に批判されて、泣いて、すぐナンパされて騙されて、家出して、友達と友達のお母さんに心配かけて、お酒買ったらお金が60円になってしまって、軽く酔っ払っていつものゲーセンに行って誰かにナンパされないかなーと思って、ナンパされなくて、後姿が素敵だった(今の)彼氏に声かけて、知り合った。
お金も少ししか持ってないのに、身を寄せる場所もないのに、家出をした。
向こう見ずな性格だと思う。
でも、ほんとあの時は、親を親と思えなくて、縁を切ろうと本気で思っていた。
彼氏と同棲するようになって、しばらくして和解した。
今では親と仲が良くなっている。
父親とは何カ月も会ってないし、めったに連絡しないけど、母親はよく電話をくれるし、病院まで車で乗せていってくれる。
あの時の私の気持ちも理解してくれた。
ぶん殴られた腹いせに、母親のアクセサリー類全部を売ったし、父親の仕事の手帳と資料を持ち出したけど、それも許してくれた。
母親は、物には未練がない、少しのお金になったならいい、と言ってくれた。
悪いことをしたと思った。
父親の大事な手帳と資料は、机の上に戻した。

いっぱい迷惑をかけて、悪いことをして、それでも私は許されて生きている。
ありがたいことだと思う。

親は昔はあまり好きじゃなかったけど、今は好き。
おばあちゃんのことは昔から大好き。
ずっと愛してもらってきたから、おばあちゃんに優しくしたいと思う。
<377> 真名 ■2008年02月19日 火曜日 17時26分58秒
今の彼氏に出会えたことが今までの中で一番の幸運。

仕事のストレスが大きくなって、ゲームセンターで親からもらったお金を遣い込んで、親とけんかして、暴れて、殴られて、お水の仕事して、ナンパされて騙されて、仕事辞めて、路上生活に近い家出して、、、。

お金が尽きたとき、声をかけて知り合ったのが今の彼氏。

ご飯が食べたかったからナンパしただけなんだけど、彼はいい人で、私の身の上話を真剣に聞いてくれてアドバイスまでしてくれた。

正直、すぐに好きになってしまった。

次の日も会ってくれて、おいしい焼き肉屋さんに連れて行ってくれた。
でも彼はお酒の弱い人で、焼酎の水割り2杯で千鳥足になってしまったので、道順を聞きながら彼のマンションまで送った。
私は寝る場所がなかったので、泊めてもらうことにした。

翌朝、合い鍵を渡された。

最初は同情したからと後から言っていたが、彼は私のどこを気に入ったんだろう?と今でもよくわからない。

あ、そのあと私から家を出て行ったんだった。
性の不一致かなと感じて。

でも、しばらくして置き忘れた荷物を取りに行って、帰るのがめんどくさいし、居心地がいいから帰りたくないと思って、そのまま居座って、第二弾。

でもその後も調子が悪くなっていろいろあった。

ODして、彼に別れを告げられた時、パニックになって暴言メール送ったり、自殺未遂したり、リストカットしたりしてしまったんだけど、、、。

でもその後話し合って、仲直りできて、今に至る。

どのカップルでもするようなたわいない口げんかとか、何度か危機はあったけど、その度に話し合って、なんとか今一緒にいる。

私は境界性人格障害だから、見捨てられたと感じるとパニックになるし、愛していないというメッセージを感じると攻撃的になっちゃうけど、最近では少しずつ感情がコントロールできているように思う。

暴言吐来たくなっちゃう場面でも何十秒か考える癖ができたし、言葉も選ぶようになった。
その時にうまく伝えられなかったことは、仲直りの途中で話せるようになった。

前述の、自分の(病気による)感じ取り方の癖についても話せたし、「好きなのに素直になれなかった、ごめん」とか、言えるようになった。

彼といると、自分の直さなきゃいけないところがわかるし、早く治りたいなと思う。

彼はまだ回復途中にある私のことを静かに見守ってくれている気がするし、精神的にも、経済的にも、私のことを支えてくれている。
彼にはすごく感謝している。

調子の悪いときは「今日は何もしなくていいよ」と言ってくれるし、ごはんの支度をしてくれたり、お弁当を買ってきてくれたりする。

こんなままでいつまでもいたいとは思わないけれども、マイペースで進みながら、いつか到達できる限りの最高地点に達したいと思う。
二人で山を登っている感じでね。

彼は心身ともに健康な人だから、病気の私の持っている荷物を半分背負ってくれているんじゃないかと思う。
彼に感謝している。

親にはまだ会わせていないけれども、年内に会ってもらう予定。
彼の親御さんにも会わなくちゃ(緊張)。
<376> けんと 改め まさ ■2008年02月16日 土曜日 01時45分52秒
スローライフで自己実現したいのか(少し、FBあり)

 先日、作業所に行き、2日目だというのに頑張ってしまった。スタッフが見かねて、休んだらと言ってくれた。何とか働く能力を回復させたいと感じて、そんな努力をしているんだ。

 久しぶりにお勤めという実感が沸き、作業所近くの喫茶店でコーヒーとモーニングを取り、ああ、仕事しに来たんだという実感が沸いた。

 家でアフィリエイトもしているが、収入は0で、ひたすらブログを書き、提携先の広告を貼り付ける。結構アクセスもあるのだが、文章を書くことは、ここで鍛えたお陰だと思うし、レスのお陰でああ、いいんだなという実感が沸いた。ありがとうね^^;

 確かに生活が変わった。あまりデイケアに行かなくなった。ぬるい空気が嫌で、働く意欲の無い人たちと遊んでいても、全然面白くない。

 そこで聞く、彼らの過去の仕事経験は参考にはなるが、しきりに年だといって人生から逃げるような言動はどうかと感じてしまうのだ。

 少なくとも趣味に生きるほうがいい。好きな趣味を持ち、はまることは、心と体の健康にいいのだ。

 最近、ギターを使って作曲を始めた。自分のためで人に聞かせるものではないが、歌う自分の声とギターの音が重なる瞬間はなんと言えない気分で、最高だよ!!!

 心理的な安定ってさあ、過去やっていた自分の趣味の中にあるような気がするんだ。

 もちろん、無理に安定しなくて良いし、自己コントロールにはまると苦しいので、ほどほどしないとね^^;

 去年は死ぬほど働き、FBの連続で、新聞配達を辞めるまで死にそうだった。

 やっている最中ははまるのだが、配達中に起きるFBはどうしようもなかった。外の仕事はいろんな刺激があり、それが原因でいろんなことを思い出し、FBが起きる。

 時間との勝負ということもあり、しかも毎日なんで、一見、生活リズムが安定したように思えたが、甘かった。日に日に神経がやんでいることを自覚できなかったんだ。

 知り合いで23年も配達をやっているおばちゃんがいるが、辞めた言ったら、なぜと突っ込まれ、病気の話しをした。向いていないことも・・・・

 解らないなりに聞いてくれてた。彼女は昼はヘルパーさんをやっている。

 仕事に対する見方ががらりと変わり、必死に稼ぐ気持がなくなってしまった。アフィリエイトの良いとこは、続けやすく、すぐにお金にならないところだろう。売っている本の主張とは違うが、ただブログを書くだけでも気分は違うし、帰ってくるコメントを見て、ああ、役立ったんだなという実感がある。

 最近はブログにも書いたが、儲ける気が無いと書いた。広告は載せますが、クリックするかどうかはご自身で判断してくださいと。

 くらげになれと、本田健というお金のカウンセラーが言っていた。くらげ?

 疲れた時は無目的に生きてもいいと。そんな感じ、そんな感じ。

 疲れたなああああ。

 生活保護は安全ネットだと、彼は書いている。そうだよな。すぐに切る必要はないし、国民の権利だし、病気になるのも権利だ。

 なんとも言えない気持になったきた。悲しみとの対決はもう終わりにしたいなという気持。仕事依存症はもうこりごりで、破壊的な思考はもう終わりにしたい。

 好きなことで生きる。そんな生き方を追い求めて、俺は生きる。

夢追い人 まさ
<375> ぺあ(FB注意) ■2008年02月07日 木曜日 11時32分23秒
どうか、学校時代の子供、同級生からのいじめと、もたれかかり、そしてなぜか分からないけど、私のせいかもしれない・・・あなたがたのこれから先今不幸だったら・・・。(いや、かなり不幸願っているけどね、むかつくから、一部の子以外は。きもい男子、私に足をつけてきた男子、私に好きだとかいってきたばか、後は、きもい視線絡み付けてきたやつ・・・・きらい)私のせいだっておもう、変な責任感・・・・
 どうか、いつか解き放たれて、自分の分だけしか考えなくてもいい、ずるい、人の幸せすっているなんて思わなくてもいい人生を送らせてください。
 実習の経験も早く忘れられますように。あれこそ、共依存でした。それこそ、クラスで思っていたことの最高潮なのかもしれない・・・・つまりすべて私のせいだと思うの。そのくせ、そいつらが自分の人生送っていて、彼氏とか、彼女とかいて、楽しんでいたら、ふざけんなあああって思うけどね。
 私のこのすべてを自分のせいだと思う、責任と、もたれかかられをOKしてしまうこと、そして自分の父の自死のこと・・・・。
 分かっている。
 何でそういう思いになるのか分かっている。
 結局最後は、子供時代に見た、悲しげな父の背中と泣いている母の顔・・・姉のイライラした姿・・・・・
 そして、父の期間限定の怒りといじめっ子がいるクラスのようになる家の中、学校のいじめを再現させるような、母が標的にされて、父と姉にあげつらわれているところ・・・・。
 ICで見た、母が姉と父に散々ばかにされている姿・・・かばった私。だって、まだ5歳にもならない頃の話だよ。
 母は何にも覚えていないけど。

 そして、いじめっ子の悲しい顔と、私を傷つけたときの大喜びの顔。「お前はずりいんだよおおお!!!!」毎日、小学校4〜6年の間、いじめられまくっていたこと。耳に虫を入れられたり、毎日ぶたれつねられ、ていたあの頃。
 それが私の原点なんだ。
 そして、それから、共依存・・・・
 私のせい・・・・・背負う。そして人のいう事すべて正しいと思い込み、賞賛し、その通りにし、うまくできなければそいつを殺したいほど憎む。
 私のせい・・・・おおかわいそうに・・・よしよし。弱み握ったから、嬉しい・・・・・かわいそうな人、助けないとその人一人ぼっちで凍えている・・・・はああ?助けいらねえじゃん!私やっぱりばかだわ、自己嫌悪。
 その繰り返し。
 その原点は、一つ。幸せを私は人から吸っているっていう思いと、その人は本当に精神的にがけっぷちで今にも自死しそう、私だけがさりげなくでも周りに分からないようにでもしてその人のプライド傷つけずに助けられる、私は分かっているからっていう思い込み。
 父に対してのこと、この家庭に思っていることが、私はすべての人間関係の色眼鏡なんだ。
 男に対しても性欲私に吐き出していいよってどこかで、自傷してしまう。子供もそう、暇なら私を標的にしていじめて大人でもいじめて、遊んでもいいよ。女の子もそう、女性もそう。そんなに下な存在が欲しいならば、同性愛にもでもなって、感じてあげようか?そしたらきったない下な存在できて嬉しいでしょう?って。友人にもそう、不幸なこと続けば私に・・・下できてうれしいでしょう?不幸になってあげようか?友人で苦しそうならば私も変な心起きないように(怒り、その子をいじめてやりたい、思い)心を殺す、感じないようにする・・・そして下腹部が痛くてしょうがないのに、笑って一緒に食事・・・・・
 こういう感覚しかない。
 でも、もしできるならば、お願いです、いつか解き放たれて、嫌な思い出はもう消えて、責任は自分の人生にだけ取れて、そして、自分の分だけ生きて、その中で大切にしたい人と一緒に生きて、そして、色んな世界を知って、色んな価値観知って・・・何か成し遂げてから死にたい。
 過去の私のような女の子に世界面白いよって思える、本を書いてあげたい。世界面白いって思いたい。
 でも、私はまだまだ変な責任、もたれかかられ、罪悪感、幸せになってはいけない我慢していきるべきだという染み付いた思いからは、今はまだ格闘して、生きている。
<374> ぺあ ■2008年01月29日 火曜日 22時11分00秒
 このHPにつながらせてもらって、もう何年かなあ。大学4年くらいの時だったからあ。もう3年過ぎています。
 それから、私にとっては生涯なくなれない、ほどのことを体験した。自分にとってやっぱり存在に深く関わる、大事なそしてずっと「助けたかった」人がいなくなった。傲慢な考えかもしれなかったけども、子供なりに思っていたことなんだ。ほんとどうしたらいいのか分からなかった子供時代だった。そして、でも、結局お金だけ使った迷惑かけたことしかしなかった。
 自助グループにつながった。お父さん居る時だった。でも、いなくなってから、本格的につながった。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、今でも後数メートルの位置にいて、何もせずに笑っていた自分の顔が浮かぶよ。ごめん。お父さんがいなくなってしまった。届けなかった。私の最期ときっと同じなのかもしれないって時々思うの。頑張って頑張って周囲に誤解されて、傷ついて、最期は手が届きそうなゴールに、ぷいってそむいてしまう。プライド守るために。
 ずっと、このHPに来ていた。でも最近ここに来なくても大丈夫な日が増えたの。少しずつ。まだ、扉は開いた途中。今までの貯まってきたものが全部膿が出てしまうのかと思うと、怖くて怖くて、また今までどおり、自分の心の意識を飛ばして、殺そうとしてしまう。自分の感情なんかないようにして、周囲の母の期待に応えようと頑張ってしまいそうになる。
 でも、誰も一緒に棺おけなんか入ってくれないんだ。近所の人だって。早く社会に出ろって迫る親戚だって。誰一人とも。だから、私は自分の人生を生きるの。少しでいいから。怖いけども。でも、もう扉は開いたんだよね確かに。私は父を助けなかったと思う、24歳の時だった。助けなかった。心は限界だったけど。いつか分かるんだろうか?私にとって、やっぱり嫌いで、どうにか突破したかった人であり、それでもやっぱりとても好きな人な父のこと、いつか理解したい。でも、お父さんは私のことどう思っているんだろうか?助けなかった・・・分かっていたのに、助けなかった。父の考えていることは分かるけども、やっぱり私は幸せになっちゃいけないのかなああ?ずるいのかなあ?って思っているよ。お父さん、ばかだねえ。でも、ほんと辛かっただろうな。苦しかったのも辛かったのも、私じゃなくて、父なんだよね。
 人生の節目があるとしたら、どこなのかな?24かなあ?あれから、地獄のような気分だったけども、人って慣れるね。そして、生活を続けているうちに、慣れたんだよ、お父さん。
<373> まさ(フラバ注意) ■2008年01月27日 日曜日 01時46分41秒
人生の節目、自分と家族

 昨日、実家に行った。何かしらインスピレーションのようなものを感じ、朝を起きて、母に電話して、本音を聞いてもらった。相変わらず、聞くのが下手な母。でも、不器用ながらも、母なりに受け止めてくれた。

 実家へ行き、母と話す。どうもチンぷんカンナな母。以前のような元気さが無い。

 異変を肌に感じ、時が来たと感じ、母の感情的な問題に介入した。以前に習ったカウンセリング技術を使い、母の躁鬱状態の原因に探りを入れる。はじめた事業が暗礁に乗り上げ、ちっとも仕事が出来ない。母の話し方のパターンを元気なときと比較して、鬱であると判断した。母にそれを指摘する。母は自分で状態がいいという。でも、鬱でも家事は出来るが、無気力でしょと言って、力任せに説得した。

 もう少し、母の話を聞き、母の言っていた自己啓発セミナーの洗脳だとはっきりと指摘した。母は抵抗する。「そんなことはない。オーナーはすばらしい人だ。すごい苦労して、成功したと」俺は突っ込む。オーナーの本には宗教のにおいがすると。さらに聞くと、オーナーは、ある大きな宗教の脱退者で、苦労して事業を起こしたことを確認する。良くある洗脳の話のパターンだ。元宗教者はそんな会社を起こし、すごく不自然な、会社を作る。ネズミ講ぎりぎりの仕組みで法律を交わして、代理店を増やし、信者から金を巻き上げるパターンだと指摘する。母は当然、年寄りだし、初めての経験だから、良くわからない。共依存と親密さの違いが感覚でわからないから、セミナーの雰囲気を心地言いと感じて、夢心地な顔をしている。昔の俺だ。どう洗脳を解くか。

 アファメーションの本を一部読みきかせ、反応を見る。ぽかんとしている。もう一度、お母さんにあなたは価値があると断言する。少し笑う母。まだ、大丈夫そうだ。そこで、自分の回復経験を話す。自分が宗教と仕事にはまり、行き詰まって、ACを自覚した経験。母に何回か話したが、もう一度話す。母もその当時を思い出し、母からもその時代の話が出る。母を誘導モードへとスイッチに成功。母に語らせる。俺はひたすら傾聴、以前、Aクリニックの親の集まりに言った話が出た。

 俺は、あの時、母は自分のせいで、俺達(兄弟3人)が病気になったと理解したねと確認する。ACは親が子供の育て方の知識が無いために、ACの子供を作るよね、言う。そう言いながら、母の世代はそう言う知識が無いのでしょうがないねという。 母は流せるままに生きてきて、就職し、お見合いで結婚したといった。

 俺は、不思議だねと言う。自分の人生じゃないね、いやいや働いて、いやいや結婚したねという。俺は対決すべきと判断し、一気に共依存だと断定口調で伝えた。

 自分の彼女との関係の話をし、親密さとはもたれあいじゃないよ、お互いに余計な干渉はしないし、問題があれば本音をぶつけ合い、でも喧嘩にならないよと言う。母は、恋愛に関して知識が無いと言った。

 やっと、母は夢心地の顔から、真剣な顔になり、自分が病気だと感じた。俺はその表情と話し方のパターンから、躁鬱だとはっきりといった。

 そして、しばらく、自営業を辞めて、父と一緒に生活保護に入ったらと言った。母は、まだ仕事は出来ると言う。でも、売上のない、自営業って、つぶれるよと言う。自分は2回も事業をつぶした話をした。自営はそんな甘くないし、バイトのが確実でしょと言う。母、はっとおもう。そりゃ、自営より簡単だし、単純労働で、お金が入るもの。

 母は、父のことを話し出す。父が昔と変わらず、仕事が下手だと(自営)俺は、起業の本も読まないし、小説ばかり読む社長が下手なのは当たり前だと言う。つまり、人生から逃げていると。本当に成功したいなら、成功者の本を普通の社長なら読むと言いきる。

 俺は父の事業の立ち上げを手伝い、父の手元(女房役)をやってきた。的確に、父が仕事で問題を抱えるとき、解決策を言い、父の困難な思考正してきた。そのときは、俺が父の父だった。不自然とは言え、苦しかったが、必要な行為だった。

 そのおかげで、父の事業は何とか回り、仕事な流れが出来ていた。今は、そう言う役のものがいない。父は自分の経験で対処しているが、営業は出来ても事業のまわし方に問題があり、相変わらず、借金経営で、首をしめつづける。ストレスを抱えて、心臓病になるのは当然だ。俺は母に父が動けなくなったら、生活保護に入れと言った。父が倒れるのはもう、予想が出来る。倒れたら、入れと言った。楽して良いんだよと。

 母にどう言う状況なら生活保護には入れるか説明し、自己破産を父にしたほうが言いという必要があるといった。自己破産は恥じゃない。自営業の大変は大体、つぶれる。大体、勉強も準備もせず、資金も作らず、人脈も無くやるし、コミュニケーション下手だと。

 自分は父に完全に仕事から足を荒い、ギターを引いて、パソコンでマージャンをして余生を送って欲しいのだ。もう自分いじめの人生は止めて欲しいと言った。

 それが、ACだと。そして、俺自身、起業したが、まだ収入が0なんで、作業所にいくといった。これはその場の思いつきで言った。本当は行く気なんかない。父の感情を静めるための処置。

 母は安心して、父にそう言うと言った。俺は帰ると言い、楽な行き方をしていいながら、帰った。

 約6時間の説得で、母はACだとわかった。生活保護に入るかは父との話し合いの結果だろう。必要であれば、支援をする。

 自分は生活保護の立場で、起業状態だが、自分の苦労が役立つのだとはっきりと理解した。また、今までのサバイブは無駄じゃないと感じた。

 俺は、S家に時期党首だと宣言したし、結婚するぞと言った。これは自分を言い風に追い込むための処置。実際に計画自体はもう動いている。彼女には手紙で暗に、そう言うことを伝え、具体的な指示をもうしてあるのだ。

 後は、自分の彼女の回復と、俺の現実の回復の問題、自分の事業の収益と、主治医の判断を参考に総合的な判断を俺自身が下す。自分は確かに躁鬱だが、判断力はある。また、いつでも、助けてくれる、起業家の友人がいる。行き詰まる前に、助けを求めるのだ。

 書いていて思った。世代交代だ。形は生活保護だが、それでもいいのだと。俺は、自分の事業を続けることを言い、場合によっては、また、バイトもやると言った。現実はそんなもんだ。でも、当面はアフィリエイトに集中し、倹約して、今月は乗り切る。煙草の本数を減らす。無駄な買い物はしない。体を休めながらやると。

 ありがとう。

 

 
<372> panda(フラバ注意) ■2008年01月15日 火曜日 00時48分51秒
(ここには憎しみや汚い表現があるので注意してください)
人生の節目、ろくなことがなかった。あるときから冬から春にかけてとても嫌な、どす黒い思念に駆り立てられるようになった。この時期が自分にとって絶望をよみがえらせるから。今日は(というか昨日になってしまうかもしれない)成人の日とかだっけ。ああ着物きた馬鹿おめでたい奴らが跋扈してたな。ごめんなさい。あなたたちのような人と、リクルートスーツ着ている若者があのときより嫌いになりました。むかつきます。だってどこに怒りの矛先むければいいの?自分はあのもっとも子供が多かった世代。受験も今と比べられないほど厳しかったし就職するころには就職氷河期。そして今は未来に希望を感じられない。負け犬が確定したときから親からの侮辱が激しくなった。まず高校受験のとき。校内でそこそこの成績(といっても田舎だから当てにならない)親と塾側はその成績でなんとか入れるかもしれない準進学校を進めてきた。しかし学校は不合格者を出したくないので、結構レベルを下げた高校を進めた。当然私をはさんで間接的なバトルが繰り広げられた。だれも自分の気持ちを聞いてくるのはいなかった。私がいつも間に挟まっていたのでいい加減嫌になりまったく別の高校へ行った。合格したものの、親はうだうだ文句をいい、塾からは「(合格は)別に当たり前だ」と冷たくあしらわれ、学校からは「そんなとこ行っても知らないからな!」。…なんか…バカらしくなった。もう頑張りたくないや。と思った。『下手に頑張ると周りにへんな期待をかけられる』と悟った。気力がぷっつりきれた。やがて特に頭いいわけでもないのに、でも大学進学率が高まっていたから流されるように大学落ちて、なにしたらいいのかわからず、ただ浪人は親が世間的に嫌だったようだったので専門学校へいった。そしたら氷河期かよ…。大学落ちてからは悲惨な生活だった。母親とは同じ屋根の下なのに6年ほどしかとされていた。障害者の弟とグルになり、「ほらバカがいるよ。お前のお姉さんはばかでみんなと同じくできないんだよ。」などど罵り続けた。しまいには「親の言うとおりの高校行かなかったから!」「この人生の負け犬!顔見たくない!うせろ!!」と物まで投げつけられた。食事は毎日コンビニ弁当を自分の部屋で食べていた。家に居場所がないから狂ったように外で人と会っていた。家では引きこもりだった。でも相手はきっちり進学できた人。いるだけで自分がみじめになる。今でもテレビとかで受験ネタがながれると、条件反射でチャンネルを変えてしまう。人前でもやる。見たくない。なんだってこいつらは好きで受験してるのにいちいち国民に流すんだ!!」(でも落ちる自分が悪いとも思っていた)その生活の中で私は成人式を迎えた。しかし参加することが出来なかった。昔の同級生に初恋の人に会いたいという絶望生活の中での最後の望みが絶たれた。親のいびりは続いていた。自分も着物やいい服を調達できるお金がなかった。普段着のまま行くことなんてできない…。私から言うことも出来ないし親としては「親の期待を裏切り、顔に泥を塗った」として当然の報い。むしろお前のせいだ。といった態度だった。そして、成人式不参加…。わたしはこのとき部屋で声を押し殺して泣いていた。みんなと会えなかった悲しみ、そんなにも私は悪いのか?!あの親を殺したい!!もうぐちゃぐちゃだった。自分は風邪薬を大量にのんで自殺しようとした。何粒のんだのか、目がうつろになったが…死ねなかった。自殺がばれたら親に怒られる。と思った(もちろん死んだらなにもないのだがこのときこんな変な考えが浮かんだ。)それと同時に「ここで死んだら、本当に初恋の人(私のいじめられっこ生活を救ってくれたのです)と二度と会えないかもしれないという思いで踏みとどまった。時は流れて、就職。なにをしたいのかまったくわからない、というか選択の余地がなかった。なんとか正社員で入れた。が、親がそこの会社はおかしい!と私にやめるよう口出ししてきた。終業時間が半端でなく、このころはボーナスも残業代も大方カットの所が多かった時代だった。私のところは業種がら週1の午前様・徹夜は仕方が無かった。それに、そんな簡単にやめてはい次といくことは難しいし、自分はできないと思った。もう少し働かないと次の所で「すぐにやめられる」と思われる。それにこんな時代にそううまくいくとは思えない。親は景気のいいときの人間な上、世間を知ってる、といいつつこの状況がわかってない。私はいらだった。結局
自分もNOと職場で言えないものだからいろいろ仕事を押し付けられて、辞めた。でもやめたあとはもうなにをしたいのか自分の道も、思いもわからなかった。きちんと大人をやってきた人だけが勝ち組になれたんだなと思う。でも上に書いた人たちをみるとくやしいのです。みんなが勝ち組になれるのがありえない。あのときのことを思い出してしまうのです。
人生の節目の時期は私にとって生き地獄だった。もう思い出したくないのに・・・。今それぐらいの年齢の方いらっしゃたらごめんなさい。ACじゃなかったら乗り越えられたのかもしれない。妥協できたのかもしれない。
<371> まさ ■2008年01月12日 土曜日 01時57分39秒
まさにその時1

 自分のHNがまさだからまさにそうなのか?

 昨日、精神科デイケアから帰って、ネットで申し込んだ速聴プログラムの資料が来ていた。

 ネット出の申し込みの時に、自分の感じるままに、つまりインスピレーションで個人情報を書いて、申し込んだ。

 会社名:PC SHOP まさ

 立場: 代表取締役社長 

 年収予定: 1億5000万

 随分と大きな夢を書いたものだ。

 資料にすぐに行動とある。早速、フリーダイアルでの速聴プログラムを視聴してみる。

 受付の女性が出る。俺は、初対面との女性対応は、必ず、淡々と応じる。まあ、様子見である。

 話を聞くとこう言うアンケートに1億5000万と言う年収予定を書く男も珍しいらしい。あちらとしては、電話をかけるのに躊躇していたようだった。

 自分としては、あるゆる方法でクライアントを確保したい。もう自分は何も考えずに、自分の夢を語る営業を本能的にしていた。

 このサイトで何度も書いた。起業は3回目、もう後がない。年齢も30代後半だ。結婚が掛かっている。彼女には雇う約束をしている。かなりの負荷を、自分にめいいっぱいかけている。俺は追い込まれると、本能的に最大効率で思考する。まあ、誰でもそうだけどね^^;

 この速聴プログラム自体は、以前の知り合いから借りて、聞いて試していた。正直にこの女性に話す。こうすることで、自己開示モードに切り替える。

 現在、ここでも話すけど、ボランティアのカウンセラーをやって、成果を挙げている。アファメーションの本を使った、オーソドックスなカウンセリング。

 基本は、以前にお世話になった、AクリニックのYさんのやり方。生活全体のカウンセリングだったが、対人関係のことがかなり細かいカウンセリングだった。カウンセラーは先輩のカウンセラーからカウンセリングを受け、体で覚えると言う。自分は、才能があるといわれていた。彼女は真剣にカウンセリングのイロハを丁寧に教えてくれ、このクリニックでのデイケアで使うように指示した。このクリニックではデイケアに入る前に、カウンセリングを受けるのが前提になっている。基礎訓練をしてから、メンバー同士でピア・カウンセリングをするような誘導をかなり巧みにしている。だから、境界線感覚が身につくデイケアである。

 当然、その基礎技術があっても使いこなせないことがある。これは常人では使いこなすことはかなり困難である。しかし、回復を熱烈に願っていた俺は、慎重に使い、メンバーとトラブルと先輩のカウンセラーさんに泣きついて、対応策を彼女と一緒に練り、問題に取り組んだ。ここまで書いたのは、以前、自分がカウンセリングしていると書いたとき、信頼されていなかったからです。

 自分がカウンセラーと名乗る時は、それなりの経緯があるのです。今でさえ、Kメンタルクリニックで、そこのPSWにサポートをいただいて、今度はケースワークの練習をしています。時代は、単なるカウンセリングから、応用するケースワークの時代になっています。

 このデイケアで、いろんなケースの事例をこっそりと学んでいます。最近になって、やっと、この病院のケースワーカーのリーダーの男性に打ち明け、自己開示しました。この男性ケースーワーカーとの関係もゆっくりと作り(普段から世間話をしていた)部分的にちょこちょこと自分について話していました。自分の直接の担当の女性ケースワーカーには起業するので心理面でのサポートをお願いしていました。今回の起業は自分にとって人生の総決算です。

 すべての鍵は、幸せなお金持ちになりたいという夢。安定した人生をゆっくりと送り、彼女と幸せになりたい。その願望を叶えたくて、イメージワークを
やっていました。

 このワークは心理学を知っているものではごく普通のことです。右脳を使う、生き方へのシフトは成功のキーです。

 この話を聞いて、驚いていますか?あなたにもチャンスがあるんです。だから、アファメーションで右脳を活性化し、思考スピードを上げて、成功者の思考パターンを、是非、身に着けてください。

 自分はこの訓練を10年、疲れた時は投げ出しましたが(笑い)ずっと、続けてきました。頑固な自分の性格は、何度も抵抗して、自己変容を拒みます。

 そのときは、自分に対して寛容になります。心理的抵抗があって当たり前、自分は元カルト組織のエリートですから、何重ものマインドコントロールの思考パターンがインプットされています。(特に、左脳、言語野)

 アファメーションは右脳活性し、左脳に働きかけることでデプログラミング(脱洗脳)します。一般にインナーペアレントによる干渉で罪悪感をACは感じますが、自分の場合は、インナーカルターズ(まさ による 造語)まあ、カルト宗教の複数の洗脳者たちの思考パターンが自分を支配しています。

 これも相手にして、脱洗脳をしなければなりません。ここまで、するのには大変でした。だって、現在の主治医はカルトトラウマについて、何も知らないのです。最近になって、やっと、情報を見つけ、ごく普通の心理療法で言いとわかり、安心したところです。

 この様な人生の流れがあって、起業しました。社会資源の生活保護も起業のための手当ての項目があります。(詳しくは、精神福祉ケースーワーカーまで)

 去年は、随分と勉強しましたし、考え抜きました。忍耐の年でした。

 精神状態も主治医に安定しているとのお言葉。3ヶ月間のテスト期間を設けて、逐一、報告し、ついでに、この病院との連携も図ります。

 自分の作るPC SHOP まさ は 多分、風変わりなパソコンショップとして多くの人に写るでしょ。どうしてかというと、心理学的なアプローチでパソコンを売りますし、起業支援情報を無料で提供し、同じ考えの男性たちとコミュニテイを現実に作りますから^^;

 核になるはカウンセリングの基礎スキル。

 時代は個人に流れ、相互依存による連携です。

 また、節目に来ましたら、続きを書きます。

 ありがとうございます。

 まさ


<370> かえる ■2007年12月31日 月曜日 23時52分28秒
今年もあと何時間で終わろうとしてる。今年を振り返って私はどうだったろう?そーいえば去年の冬は入院してたっけ…主治医も必要ないとか一時しのぎの逃げだって言ってた。それでも私は本当に今度こそ自分の摂食障害にケリをつけたい、完全に決別したいと心底思った。なにか困難があると過食に逃げ込むことも、まわりとうまく関係が築けずジレンマを抱えたまま、自分からはなんにも動き出さず手前勝手な口実をつけて変わろうとしない。そんな自分が嫌だった。入院したからって治る病気じゃないのも、これまでの数回の入院でいやっていうほど思い知ってたけど…きっかけが欲しかった。新しくチャレンジする勇気、行動力が欲しかった。勿論一個のことに腰を据えて頑張る忍耐力も必要だ。けどまだ私はもっと自分の足と手で掴みとろうって気になってない。与えられたもの、親や家族の保護のもとで、助けてもらえるからとか、とりあえず働いて稼いでいるからとか、理由をつけて、現状に甘んじていた。今だってかなりの部分で家族に頼っているけど、気持ちの面で〈自分の人生を生きる〉って腹はくくれたかもしれない。まだ愛情なのか依存なのか、はっきりとした定義がわからないではいるけど、私はあるがまま、どんな私でも親は見捨てたりはしない、良い子ちゃんの私じゃなくていい、愚痴っていい、不平不満言ってよし、自己主張していい。って当たり前に思える様にいつ頃からかなれてた。ほんとに徐々にだ、頭ではどんなに理屈でわかってたって、心が納得して受け入れられるまでは、親の愛情を信じられないし自分の存在も認められないと思う。あるがままの自分が愛されてるって裏打ちはものすごくでかいと思う。今のうちの家族の形が正しいのかは全然わからないけど、どこの家庭にもその家族独特の成り立ち方があるんじゃないかな?その根底に愛情や信頼があれば、多少歪な要素があっても、人は強くなれる、修復する力を発揮できるんじゃないかな?友達や恋人、伴侶となる人、愛情は色んなところから貰える。依存じゃなく、寄りかかるのではなく、心の拠、肝心な要だと思う。躊躇いもなく育ち大人として当たり前に社会に出ていく人達が多い中、私は遠回りしている。きっとこれから先も、様々な場面でけつまずくよな…私は転んで痛い痛いって泣いてから、今度は気を付けようとか思うタイプで一度痛い目を見なきゃわからんな…傷ついたからこそ、わかる人の痛みを少しでも相手から感じとってあげたい。人間関係はいまでも苦手だから、今の職場でも凄く親しい人なんかできないけどさ…(書いてることがまとまらん…)…とにかく、これで良いんだってゴーイングマイウェーで歩いてけたらいい。仕事以外で好きなものに没頭したい、上手に息抜き、ガス抜きしよう。自分の成りたいものに近づけるよう努力をしよう。人任せじゃなく、私の人生を生きる決意をしよう。〈僕の道 何が起こるかわくわくし〉高校のとき私が詠んだ俳句。学校で先生に気に入られそうな受けのよい作文とか無意識に書いてたけど、これだけは違ったな。〈季語がないけど、感情がよく表れてる〉って一言ぼそっと先生が言ってくれたな…。あの俳句はほんと、私の感情そのものが吹き出した句だったから、季語が無かろうと、もし先生に駄目だしされようと構わなかった。私は私の書きたい句をかいた。…そんな、昔の私を思い出した。…まとまらんな…あ〜年が明ける…
<369> ラビット ■2007年12月06日 木曜日 16時23分57秒
僕が昔空手で優勝したとき家族の誰からも祝福を受けることはなかった。あの事を僕は自分の実力ではないと思っていた。もしかしたら父が何か手回ししたことなのではと。自分の力ではないと。今でもそう感じる。大学に受かった時でも僕の実力ではないと。心底喜ぶものはいてなかったと思う。もしかしたら父が裏でてを回していたのかもと。何故そう思ってしまうのだろう。
<368> あけび ■2007年11月17日 土曜日 18時21分04秒
 結婚を考えている。
 来年の夏には実家を出て、相手の家に移ることになるだろう。

 父親の浮気におびえ、両親の離婚を本気で考えたこともある私が、一人の異性と対等な関係を作っていくことができるのか。
<367> アーネスト ■2007年11月08日 木曜日 10時55分33秒
疲れた・・・かな。憔悴しきった。そういう感じ。この3年間、MTGの安全間と、自宅の危険感のギャップに何度も揺さぶられてきた。もちろん、稼いでこの家を出て行くことが全うだと思っていたし、そうありたいと今でも思っている。どれだけ自分が同居人に対してアサーティブでいられるか、どれだけ自分を変えることに力を注げるか、それをベストを尽くしてやってきた3年間だったと思う。完全ではないけど。

でも、もう糸がプツっと切れる見たいに、底を突いた(hit the bottom)。直感的にここにいることに限界を感じた。理屈じゃなく。理由なんかない。説明できない。ただ苦しくて、僕のキャパを超えているだけ。だから別の方に見通しを立てながら歩いていくしかない。
<366> かえる ■2007年10月31日 水曜日 14時57分27秒
〈何かを成し遂げたい〉私の中でずっと眠っていた感情。自分には忍耐力や継続力が欠けていて、どうしたって最後のゴールテープを切ることができない。これは致命的だと思った。最終手段で〈逃避〉してしまえば後は流れるがままに家族やまわりの人に寄りかかって事のしり拭いをしてもらう。今は大分逃げなくなったし自分の問題は自分でケリをつけるもんだ。と今更だけど思う。助け合いだなんて響きは良いけど、結局人は一人で産まれて一人で死んでいく。それが悲しいけど現実。辛いときに支えてくれる人もいるだろう。だけど問題に立ち向かう当事者は自分以外には誰もいない。今は無駄にあり余した私の中のエネルギーを〈何か〉に向けたい。注ぎたい。と無償に思う。この力をマイナスには使いたくない。力の使い方は自分次第だ。正と負。どっちにだって使える。どっちに転ぶか?はわからないけど。ちゃんと自分が歩みたい道を指針にしたい。大層なことはできやしないけど〈私なりのやり方。生き方〉でいいんだ。いいんだ。
<365> かえる ■2007年09月30日 日曜日 00時48分34秒
私のこれからの生きる道ってどうなるんだろ?きっと。たとえ過食嘔吐が完全に消えたとしても日常の些細な事で心がささくれだつだろう。人間関係や仕事にしたって不満を抱えたまま今の場所に留まり続けるのはイヤだな。どこの職場に行ったって多かれ少なかれ問題は起こるだろう。それらを自分がどう対処するか?が重要なんだ。だから今の仕事を続けるのも選択肢の一つだろうし。もしかしたら今まで見えてなかった新たな方向性や価値観に気付くかもしれない…。それでも。もう一方でこれは自分の本当の生き方じゃないって思ったりもする…。勿論行き当たりばったりじゃダメだけどさぁ。あれこれ考えるだけ考えて企画倒れになって現実を伴わない空論でおわりたくない。ちゃんと自分で言葉にして行動して。形として示すだけの力が欲しい。綺麗事だけじゃ済まないし。今だにやりたい事がわからないから仕方なく惰性でお金のために働く。*けど。これから先。今の想いをきちんとリアルに実現させたい。迷いながらでも現実に立ち向かう力を持ち続けたい。
<364> アラタ ■2007年09月23日 日曜日 13時54分33秒
舞台にたった。

シェイクスピアの悲劇を物語にした舞台だ。
殺せ殺せ殺せ!!!!!!
と罵倒したり、にらみつけたり暴れたり歌ったり踊ったり
演出の関係もあったけど舞台の上ではギラギラと毒づいていた
大声で怒鳴ったりせりふもあったけど
もっともっともっと
いかれて、敵対する相手と絡む時、ゾクって思わせるようなヤバさ
暴力的なものを表現させたかった。
演技が始まってるとき以外は至って無口、おどおどびくびく。
だから、今回の物語にこのバイオレンス性が組み込まれていなかったら
私は苦しくてやめてたかもしれない。

演出にはなかったが、自由に演技するところで
私は相手をぶんなくるそぶりを取り入れた。馬乗りになって相手の髪を掴みたかったが、もたもたしてできなかった。

去年舞台に感動して
死ぬ前にいちどは舞台に立つ!!!!
と決心して、一年目。
きっと何かはかわってるんだろう。そしていちいち
以前と比べたら…って検証しなくてもいいんだろう。
<363> かえる ■2007年09月15日 土曜日 21時02分28秒
私は土壇場になると逃げてばかりいたと思う。         高校で進路を選択する時も自分のやりたいことがはっきりしてなかった。夢なんかなかった。だからとりあえず多少興味があって試験が無く推薦で行ける専門学校を選んだ。服飾関係だったので同じクラスの子達は個性的でお洒落でスタイルもよく見えた。みんながそんな感じだったわけじゃなかったけど。私もそんな風になりたかったのかな?服は好きだったけどポッチャリ体系の自分は何を着ようが痩せてる子より劣ってると引け目を感じていた。そんな時。通学中に交通事故にあって何ヵ月か学校を休んだ。そのため提出する課題作品製作が遅れ実習についていけなかった。お昼を誰と一緒に食べていいのかも分からなかった。みんなの輪に入っていけなかった。気が付くと私のはけ口が食べる事になっていて一層太ってしまった。勉強にもついていけず友達もつくれず醜く太っていく自分を嫌悪した。イヤでイヤで仕方がなかった。だから先生の〈停学じゃなく一時休学にしたら?〉のアドバイスにも聞く耳をもたず、さっさと自主退学した。私はまた逃げた。それからは痩せに執着して拒食になり。その後過食嘔吐に移行した。やっていたバイトがままならないほど食べ物と痩せる事でいっぱいになると仕事も辞めた。本当に逃げてばかりいた。もう頭が痩せることだけに占領されて他の思考能力が働かなかった。〈なぜ?あんなに痩せたがったのか?〉現実逃避だったと思う。親の愛情も欲しかったんだろう。私は過食嘔吐という悪魔に取り付かれてしまった。今だって。できることなら痩せたいと思うけど。それだけじゃないとも思う。今度こそちゃんと自分のやりたいことを見つけたいんだ。
<362> ぺあ(FB注意) ■2007年09月14日 金曜日 20時26分42秒
 ずっと、周りに「ふつうの大丈夫な子」を演じることをして生きてきた。辛い思いも、私が、見るもの聞くもの感じるもの全部信じられなくなって、「笑われ、ないようにされ、あなたがおかしいという風な態度取られ」結局、周りとのずれを感じていた。
 いじめられていたときも、「はあ?いじめてないし」「かわいいからかわいがってあげてるんだよ〜」「単なるふざけだよ、かわいいから、からかいがいがある」「あんたが弱いからいけないんだよ!」、「嫌なら嫌って言いなよ!!弱虫〜」(これは母からも言われたな)「はっきり言わないから、こっちは図に乗ってしまうんだよ」そんな言葉ばかり。
 家に帰れば、泣きたい思いをトイレでこっそり吐く。家族が帰るまでの一人の時間で終わらせる。学校に行けば、案の定いじめられる。その繰り返しだった。心は閉じていった。家では、父がいつも辛そう。姉は私に八つ当たり。母も泣いている、でも何も見ない振り。そのうち、父の躁があった。「助けて」という父のすがりつき。何も無い振りの母、なのに、いきなり切れたりする、あの音が怖かった、お皿バンバン!!たたきつけるような音。姉の私の好きなものを笑う姿。「弱い弱い」決まってからかう母と姉と父。
 生きられない。毎年旅行連れて行ってもらって、スキーも行く。ピアノ教室にも行く。スイミングには父が車で連れて行ってくれる。塾には母に勝手に取り付けられて行かされる。
 寂しい・・・寂しい・・・自己効力感もない。生きているよりは、生きるのを演じている、母や父に姉に見せ付けるために。あの人たちとお付き合いするために・・・・。でも、どうしようもない問題はたった一人で処理、泣く。しまいには、身体にまで現れるのに、それさえももう出せなくなっていった。学校が怖い・・・女の子が怖い・・・・皆傷つけても良い人見つけたがっている・・・私の異常性に気がつかないで。他の子と違うことに気がつかないでお願い・・・・。怖い怖い怖いよ。
 中学校時代は、目だったいじめはなくとも、いつも劣等な立場に置かれ、いつも愚痴を2時間くらい聞かされる。自分の用事も「私の思いなんで聴いてくれないの?ひどい〜」。年賀状も一緒に手伝わされる。いつも電話される。そのくせ、電話代高いから、そっちからかけ直してって言われる。「らりってる〜」とか言われた、なぜだか傷ついた。冗談でも。それから、一生懸命楽しませようと頑張るのに、いつもからぶり。自分の子供らしくなさも、明るくないとこも、無邪気な冗談言えないところも、大学までずっとずっと嫌いだった。悪乗りできない、くだらない人間だと自分を思っていた。中学校時代には、頑張っても「あなたと話しても楽しくない!」と言われた。ほんとに傷ついたな。私ね、彼氏と付き合ったときに、きっと私はまじめな話ししかできないから、「楽しくない」といわれると思った、だから、自分から言ったの。それくらい、あのときの一言は私にぐっさりきた。
 何やってもだめ、自信ないのは私のせい、見ているもの聞こえるもの、感じるものが、どうやら他の子供と違うらしい・・・私は変なんだ、おかしいんだ・・・そう思ったな。
 自傷がはじまったのが中2から。手首にナイフ当てるのではない。自分の弱いところ思いっきり突くのだ。罪悪感の塊なのだ。小学校時代にいじめられたことを今度は意図的に自分にやるのだ。そうすれば、もう誰の声も私には入らない・・・そう思った。惨めで汚い自分に無意識に居る時に、そういう立場に落とされない、そう思った。
 でも、一度始めた自傷は、とまらなくなった。それほど、この世に不信感と怒りを感じていたのだ。怒りの溜めてきた鉛のような重いものは、自分という向けるべきものを見つけ、それが理にかなうと考えたから尚(「昔だってあの子私をずるい」って言ったじゃないか!)向かった、とめようもないくらいの、大きさで。
 自傷しまくって、高校を送り、他者に心を開くことは死んでもできなかった。
 大学でどうしても自分を変えたくて、「強くて明るい子」を演じた。周りなんて見れなかったな。そして、過去の清算したくて頑張り続けた。自分の疲れや不安、恥かしい思い、きちんとしたい思い、まじめなところ、おとなしい部分を全部消した。
 そうしたら、夢かなうかな、もう誰からも良い様に扱われる役、下の役、ストレス発散しても良い役、弱くて汚くて惨めで、誰にでもたいしたように扱われない、人間扱いされない、大切にされない役、降りられるかな。自分を大切に思う人に出会えるかな・・・そう思っていた。

 24で父が自死して、やっと自分の感じていたことが、まっとうだったと分かったのだ。父は、躁うつ病だった。絶対に認めたくないと、彼はしていたんだけどもね。やっと、父から解放された思いだった。助けてくれ・・・そういう重さは感じていた。無罪放免に未だになれない私だけど、あの時一つの人生が終わったと思う、自分もね。見ない、聞かない、感じない、一般の人生送っている振り、そして金銭的に父の庇護の下で形は贅沢に暮らしている。そういう人生が終わったんだ。
 まだ、今までの共依存ひきずっているし、人間関係が、いつも「自分ばかり過度に気を使い、相手を壊れ物のようにしか扱えないし、相手の助ける役」にしかなれないけど、今までの抱えてきたもので自分がいつか倒れてしまう日くるかも(いや、もう大丈夫だと思う)でも、まだ不安なの。自傷して、大切な子供時代を演技だけで乗り切ってしまった、自分の中には色々あるのかもしれないから。
 でも、生きる途上で見つかるかも。大切にしてくれる場所や人。そして、その中で癒されていくのかもしれない。分からない。うまくいきすぎ?でも頑張ってきたから。父の人生を切り離せたら、自分が自分のために立ち上がれたら、きっとまた生きられる。
 仕事を持って、経済的に自立して、家族も作れるよ。大丈夫。生きられる。
<361> ai ■2007年09月12日 水曜日 17時09分59秒
幼い頃、私はいつも怯えてた。充分な愛を与えてもらえなかった。安心して暮らすことができなかった。無関心、夫婦喧嘩、八つ当たり、病気の看病…子供として生きることができなかった。
中学生の時、私は自分を追い詰めた。親や祖父母や先生のプレッシャーで押しつぶされそうだった。でも、逃げる場所がなかった。頑張るしか道は残されていなかった。
高校生になり、何もできなくなった私はひとりぼっちになった。寂しさを埋めるために、人に依存するようになった。その度に虚しくなり、自分を傷付けた。どん底まで落ちた。20才になり、このままではいけないと気付いた。人生を振り返り、生き方を変える決意をした。でも、なかなか上手くいかず、失敗ばっかりだった。進んでは戻りの繰り返し。
これからも私は前に進む。また同じ失敗を繰り返すかもしれない。その時はまたやり直せばいい。立ち止まって考えればいい。10代の頃のように、逃げてはダメ。突っ走ってもダメ。ゆっくり考えながら歩けばいい。
過去を思い出せば、その時の感情が溢れ出す。悲しみ、怒り、寂しさ…マイナスの感情は表現されることなく心の奥に溜まっていた。それが今になって出てくる。そして、少しずつ流され手放していく。心のモヤモヤが晴れていく。あの頃の私、健気だったな。よく頑張ったな。愛おしい。そんな風に思えるようになった。自分を大切にしようと思える。愛そうと思える。
この世で私が私のことを1番愛してる。だから大丈夫。生きていける。生きていく中で共感されることより否定されることのほうが多い。褒められるより怒られることの方が多い。励まされることよりプレッシャーを与えられることのほうが多い。そんな自分に共感し、褒め、励ますことが出来るのは自分だけ。だから私は自分を愛する。たとえ誰に否定されようが、私は私を裏切らない。私を守り続ける。

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This script written by Shintaro Wakayama.