Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.18
メッセージ数:360件

<360> ろびん ■2007年09月11日 火曜日 10時06分53秒
あの日がわたしの人生の節目だったと思う。
現実を受け入れられず、被害者意識でいっぱいになり
死んだように生きていた。
何年か経ち、もっと悪い状況になって
やっと気づいた。
私次第で、可能性はあるんだと。
今も苦しいことが多いけど、あの時を通り過ぎてこれたから
もう少し頑張れるかなと思う。
<359> かえる ■2007年09月08日 土曜日 17時07分01秒
新しいことを始めた。もうボートを漕ぎだしてしまったのだから後戻りはできない。恐かろうと。辛かろうと。しんどかろうと。最後まで遣りぬく。揺るがないように決意をここに刻んでおく。逃げたくなっても逃げ道へ行かないように自分に暗示をかける。    今日が初日だったけど。ちゃんとお昼ご飯を食べてくるべきだった…お腹がすいて気が集中できん…以後。こんなこと無いようにしよう。やんなきゃなんないことは山ほどある。摂食をかかえたまんま仕事と両立でどこまで頑張り続けられるだろう?自分でもわからんよ。けど。助けて応援してくれる人もいる。何よりも自分で決めて始めたことだから。ちゃんと最後まで辿り着いて一つの形にするって私が決めたんだ。だから私が頑張るしかないんだ。
<358> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月06日 木曜日 13時24分50秒
今日は昨日の続きをやった。


最後まで終わった!!

やった〜。私でもやれば出来るんだ。一つ乗り越えられた。
ちょっと疲れたけど、気持ちは何となくスッキリした。
これでまた一歩前進したかな。

あとはちょっと怖いけど、実際にワークグループにも参加してみたい。
さらに自分の見方を変えられるかな…と思って。

著者に感謝したいよ。すごく助けになる本を作ってくれて。道が開けた感じだよ。

でもこれからはまた違う意味で戦いだね。今度は実践って感じだね。
ある意味毎日もう起こってる事だけど、改めて気合を入れなきゃって思ってしまう。
ちょっと怖いし、不安だけど。乗り越えられますように…。
<357> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月05日 水曜日 15時22分07秒
「ACの癒しのワークブック」という本を読んでみた。そしてその本に沿っていろいろ試してみた。
絵を描いたり、過去を思い描いたり、いろいろ…。
なんだかものすごく涙が出た。すごく悲しかった。でもスッキリした。

まだ半分も進んでないけど、本気で集中してやったからすごく疲れた。
でもなんとなく効果はあるような気がする。
一度にやるとグッタリしちゃうかもしれないから、今日はもう終わりにした。

続きも何となく怖いけど、でももうひとふんばりだから。逃げないでやりたいと思う。

インナーチャイルドの私はすごく弱くて悲しみにあふれていた。
でもとっても素直で一所懸命で可愛らしかった。
それも全部自分なのに。なんだか他人事みたいに思えるなんて。
こんなに客観的になれるなんて不思議。
今までいろんな事を抱え込み過ぎてたんだな…って思う。
いつか小さな私が癒される時が来ますように…。
<356> ai ■2007年09月05日 水曜日 12時47分51秒
思春期。私の人生は大きく変わった。お母さんに好かれていないことは知ってた。でもお父さんがいたから安心だった。でも、中学生になると単身赴任でお父さんはいなくなった。家での居場所は無くなった。年頃になり、お父さんに素直に甘えることもできなくなった。私は甘えられる人がいなくなった。どんなにつらくてもひとりで耐えるしかなかった。辛くて泣いていてもお母さんはめんどくさそうな目で見てた。家でも学校でも塾でも耐えるしかなかった。友達関係で悩んでも、それを解決する気力もなく、私はひとりぼっちになった。ただひたすらに勉強と部活に打ち込んだ。結果さえ出せば周りに認めてもらえる。必要とされる。頼れられる。私の居場所が出来る。でも、それを全て失った時、私はどうしようもなくなった。無関心な親と失望した先生と距離ができてしまった友達。私には何も残らなかった。あの時から私は人を信じられなくなった。信じて裏切られるのが怖いから。最初から壁をつくれば傷付くこともない。私はどんどん孤独になっていった。そして今もひとりぼっち。悩みを相談する相手もいない。心を開くのが怖い。否定されるのが怖い。
<355> ぺあ ■2007年09月05日 水曜日 00時03分34秒
中学校、高校の卒業式なんて、「卒業」じゃなかったな。見せかけの卒業。それから、大学に入学し、卒業した。私の大学時代は、周りも自分の思いも見えないで見ないで、ただ両親を安心させるための、周囲に変な目で見られない為の演じるだけの子供時代のやり直しと、検証と、リベンジだった気がする。ずっとこの時を、私は10歳の時、頭おかしくなりそうになりながらも、持ちこたえてと自分を叱咤激励していたあの時から、ずっとずっと待っていた。10年間も。11歳、あの頃うまく呼吸が出来なくなった、いつも自分の虫歯にならないよう汚れた歯を磨き続けた、トイレに入り続けた、自分はがんだと思いこんだ、誰にも言えなかった。「大丈夫だよ」誰かに、言われるはずもないけど、言われたかった。ただ安心させてほしかった。別に親を責めているわけでも、いじめた(相手はいじめたなんて思っていないし、私も当時は自分の思い無視して、相手の思考に合わせて生きた)あの子を責めているわけでも、不幸になってほしい訳でもほんとはないように思う。ただ「そうだったんだね」と誰かに受け入れてもらって、生きたかったんだ。今もいないけど。自分責めるの止めて、自分が相手を背負って生きるの裁って、相手の背負っているモノを、自分のモノにしないで、比較せず、生きられたら私は楽になるだろう。自分が、この家族から「無罪放免」になって、傷ついた過去を「私は傷ついたんだ。私は悪くないよ。私はただ現実認識が、あの頃家族のおかげで、きちんとできなくて、自分の思いを主張することできなくて、誰かと問題解決を、自分の思いを話し合って出来ることを知らなくて…断れず、相手の見方に媚び、相手を全面肯定(相手を壊すのは恐ろしかった)し、自分の気持ち壊して、子供時代を、演じて生きたんだ」と実感できた時、そして家族じゃなくてもいいから、誰かに、そんな思いを看取ってもらった時、私は恨みと罪悪感のループから抜け出せるんじゃないかな。連鎖終わらせることできるんじゃないかな。自分の思いから始まる人生を、転んだり、泣いたり、笑ったりしながら、誰かと分かち合ったり出来る、人生を生きることができるんじゃないかな?それこそ、大人の人生なのかもしれない。
<354> かえる ■2007年09月02日 日曜日 15時24分25秒
先のことは誰にもわからない。私の未来は自分の手中にある。例えどんな選択をしても遠回りな生き方をしても…よしとする。起こってもない明日の不運に脅えるより〈今〉が大事。過去に縛られ続けるのもまっぴら御免。                    〈普通〉とか〈当たり前〉とか基準点をつけるのは誰?それは大多数の一般的な人達でしょ?そんなみんなの評価いらないよ。まわりとちょっと違ってるからって何ですぐに蔑視するんだろ?異端児扱いされる方に問題があるんじゃない。異端児にしたてあげようとしている人達の視野が狭いんだ。それで自分と異なったものが受け入れられないなら、それはそれで結構だよ。そんな懐のちっちゃな人間はこっちから願い下げだから。なのに。ちっちゃな人間に限って絡んでくる。あんた達なんか眼中に無いんだから適当に流しなよ。それが妥当なのに、馬鹿みたいにちゃち入れてくる。弱い犬に限って吠えたがるのと一緒。                   私はあるがままに受け入れられる人になりたい。弱者と強者どっちにもなりたくない。〈人間みな平等〉って学校で習ったじゃん。 これから先。自分のポリシーを曲げないで生きていきたい。
<353> アル ■2007年09月01日 土曜日 02時53分36秒
自分の人生って何だったんだろう?

転職を繰り返し、いつも仕事とお金のことばかり考えていた。つらくてもやりがいのある仕事をしたくてそうしたが、今だ目的は果たされていない。

これからは年老いた時の心配をしながら生きていかねばならない。やっぱりお金の心配とそれに健康のことが加わる。身体だけでなく精神的にも心配だ。

過去も現在も、未来も…、私には無機質で暗さしかない。
<352> アーネスト ■2007年08月29日 水曜日 04時58分46秒
今の生活を抜け出したい。多分、自分の思うようなプロセスを踏んでいけないかもしれないが、少しでも、そして少しずつでも良くなっていきたい。
<351> アーネスト ■2007年08月28日 火曜日 06時40分52秒
明日、新しい病院に行ってくる。若い先生らしい。どうなるかわからないけど、多分、うつ病とは生涯付き合っていく(寛解でもそうでもなくても)から、相談できる人がいい。最初に症状が出たのは6年前の今頃でやはり同じような生活をしてた。まだ鬱という言葉が今ほど一般的じゃなかったけど。長い時間が経って鬱は僕の全部ではなく一部になっている。6年前は病気が全てだったような気がする。鬱的な気分が襲ってくるだけで怖かった。今はこの気分と付き合っている。2003年の頃から、そういう気分と付き合うと決めたような気がする。
<350> パティ ■2007年08月25日 土曜日 17時12分08秒
ACと十年来の鬱とを抱えて、どこに行っても自分だけが違うように思えて
何をしても幸せだと思えなかった。私は生まれて死ぬまで奴隷であり続けるんだと思っていた。その感覚が日常だった。私はこの世の全ての人たちに
蔑まれ疎まれ嫌われてストレスの捌け口になるのは仕方のない事だと
本気で思っていた。でも、そんな生の存在などありはしない。
この世界の全ての命は尊く、素晴しい存在だという事に上も下もない。
選択を間違えても、今いる場所が惰性の上にあったとしても
きっとやり直せる。自分を責めるだけで疲れきって、あと一歩が踏み出せない、それでも今この一瞬が全てではない。
諦めなければ、きっとどこかに繋がる。
私は、明日も、十年後も、もっと先まで生きていたい
その時は過去に囚われない自分でいたい

<349> ぺあ(FB注意) ■2007年08月22日 水曜日 21時14分20秒
私の人生は24で変わった。父が亡くなった。それまで家族を救ったつもりで甘えていたとこも大いにあった。過去のいじめと人からいつも言われすぎて、バカにされる役回り。10歳の時にあの子に耳に蟻を入れられてから、時が止まっていた。周囲とばして、人と神様と自分の運命を呪い続けた。自傷が14からとめられなくなって、23あたりまで続いたかな?生きた心地しなくても、誰もなにも振り向いてさえくれなくて寂しくてどうしようもなかった。父が自死して、父が繰鬱があったと分かって、でも認めたくなかった父と見ない振りしていた母がいた。やっと、このわけのわからなさのもやもやと現実をつかめなさの意味が分かった。自信のなさはいつも、人に言われまくって、人にねたにされまくって、下にされまくって、すごかった。寂しかった、自信のなさはハイエナのような人、子供の餌食になっていた。私も仕返ししたい。暴力の連鎖とめる勇気を持つべきだなんて、そんな弱まった悲しい人を支えてくれる人いないとできないよ、独りじゃ無理。簡単に言うなよ。やっと好きではない教育から離れようとしている。子供が成長しようが私には興味ない。子供は嫌いだし。やっと自己犠牲の人助けから抜けられそう。自己犠牲から憎しみすごかったけど。父には感謝してる、やっぱり愛してくれた。純粋な人で大企業は辛かったな。でも人生ってうまく行かない時は、ほんとうまくいかないな。父ともやもや晴れた気持ちで、話したかったな。素直に。私働きたいな。まだ右耳も痛いし、人が怖くて人を殺しそうになる←これは自傷でもあるの。人は怖い。自分の思い大切にしながら仕事できるかな。まだ怖いかな。私の中の子供が、もう我慢は一つもしたくない!と怒り爆発させようとするから私はまだできない事沢山あるの…
<348> HO ■2007年08月21日 火曜日 01時37分10秒
中学生ぐらいのときにも、こういう考えにとらわれていたな。
果てしなく虚しい人生を、どのように受け止め、どのように考え、どのように生きていくか。
多分これは逃避なんだろうな、ということが今は分かる。自分の問題を哲学的なレベルにまで引き上げて(いるつもりで)逃げていたんだ。
精神的に健康な人(僕の理想)は、目の前の目標を設定して、それに向かって努力を続け、達成したらまた目標設定、のサイクルで生きているんだと思う。
僕の今の問題は、虚しさだ。この虚しさをどうやって解決するか。
虚しさの元になっているものはなんだろう?
寂しさか、無力感か。

<347> HO ■2007年08月20日 月曜日 20時30分10秒
人生ってなんだろう。
不幸から抜け出せず、何も気付けずに人生を終える人だっているだろう。そういう人が大半かもしれない。働き続けて過労死した人。生まれてすぐに飢えで死んでしまう子。生まれる前に死んでしまう子。戦争で死ぬ若者。
人生は無情で、人の死は突然、無意味に起きる。
自分が回復できるかどうかなんて分からない。途中で死んでしまうかもしれないし、不幸な人生を呪いながら野垂れ死ぬかもしれない。何が起きるかなんて誰にも分からない。
人生はなんて虚しいんだろう。
<346> ('-'*)ネコムライス ■2007年08月14日 火曜日 11時47分46秒
今ACと向き合っている事がまさに人生の節目なんだと思う。
今まで自分はACだと思っていたけど、感情と向き合う事を避けていた。
自分には耐えられないと思っていたから。

でもこれからもっと楽に生きる為には、今向き合う事が大切なんだって。
どれくらいかかるかわからないけど、地道にやっていくしかないんだ。

自分にも価値がある、愛されても良いんだ…って心から思えた時に、解決の一歩を踏み出せるのかもしれない。
もう少し安定して、仕事が出来るようになったらうれしいな。
外の空気にも触れたい。
それに伴うストレスもうまく対処出来るような、しなやかな人になりたいな。
<345> かえる ■2007年08月10日 金曜日 01時56分51秒
自分の病気について最終的な回復とはどんな段階なのだろう?今でも人間関係で悩むし自分の考え方や感じ方に偏りがあると思う。そして、やはり社会の中で生活しづらいとも感じ、何もかもを放り出して現実から逃げてしまいという感情も捨てきれない。ただ。嫌でも苦しくても空想と遥かにかけ離れた現状でも。私が逃げずに今に身を投じ立ち向かえているのは今までの長い道程があったからこそだと思う。初めは些細なきっかけから摂食障害になり外見はありありと病的になった。心中だって痩せると太る以外眼中に無く精神的にもおかしかった。一番最初の入院はそんな状態だったと思う。思春期外来の先生だったその時の主治医とは本当に長い付き合いになった。私の病気の一番どん底と回復期の両方を根気強く一緒に歩いてきてくれた。振り返ってみると先生には醜態を晒し悪態を吐き我儘もしほうだいだった。〈よくぞ、見離さないでこの私にとことん付き合ってくれたなぁ。〉って今の素直な感情。あんなにもあからさまに素の自分を曝け出せたのは先生が初めてだった。その中で。@母が先生の立ち会いの下で私の子供時代のことをきちんと謝罪してくれたこと。が大きかった。その後の体系へのこだわりは〈自分でも消したいのにどうしても消せない〉感じだった。それはA働き始める。ことで徐々に自分の世界が広がり、自分にでも仕事がやれるという実績が伴う自信がついたお陰で段々に薄らいでいった。その一方で社会に出て色んな人と接すると苦手な対人関係の問題に苦しんだり、自分の偏ったものの考え方に憤ったりもした。ストレスやら葛藤やらで気持ちはすっきりとは晴れてくれない。でもこれまでを思い返してみて@とAは確かに大きな転機になったと思う。ゆっくりでも確実に私のまわりの時間も流れている。時を刻むように私の中でも変化が起こり新しいものを刻んでいってる。
<344> ぺあ(FB注意) ■2007年07月15日 日曜日 22時50分58秒
中学校時代から自傷始めたから、今は必要な時と、辛い時とあるからもう10年以上なんだな。
ほんとに不思議。子供時代私は弱弱しい雰囲気だったんだろう。私に起きることは、辛いからあまり詳しく思い出さないけれども、いつも私の心の底をえぐるような、他者に自分を見世物にされるような、不意打ちの悲しみによく遭わされた。これが運命なら運命だったんだろうと思う。不思議に誰も私の波長の合うものもなく、助けてくれるものも何にもありませんでした。私には何もないどこもない誰もいなかった。そして男子のけたけた笑い、理科室の廊下を歩くあの暗い場所、えぐられた悲しみをどうにもできずひきつったように笑う私がいる。誰も居ない、あの頃。誰もない、あの頃。男子の顔。いやだった。男子の土足でどすどす入ってくるのが本当に情けなかった。女子はやっぱり怖かったな。女の子に心くすぐるようなこと言えるけども、でも目が厳しい。不思議だよね、神様。あの頃の私について。いついじめられるのかいつも日曜の夜思っていた。案の定いじめられるのだ。いつもひた隠しにしたけど。誰もいなかったけど。でも身体的に暴行を加えられてからは時間が止まった。もう何も入らなくなった。不思議だよね。ずっとずっと恨んでいました。自分の運命みたいなものを、どうにもならない環境を。今誰かが優しくしても私は絶望的に思うんだ、じゃあ何で必要のない今来て、どうしてあの頃のいつもいつもいつも助けて欲しかった私の元へ来なかったんだ!!!と。私が頑張ろうと立ち上がってもあの頃の私はげらげら私の「醜い」姿を笑う、喜ぶ姉ややっぱり私の気の弱さを笑う母や父の私への評価とお前はこういうタイプだから矯正しよう、とすることしかなかった。立ち上がろうとした足もへなへなになってしまった。そこを悪循環のようにストレス溜めた子達がつきまくる。子供だけじゃない、先生も「弱い、いじめてもいい、人間と思わなくてもいい」人探してた。周囲に認定受けたようにいじめる。私は暴力スイッチに火をつけてしまうおどおどした子供でした。いやって言わないからいけないんだよ、からかっているだけじゃない、かわいいからやるんだよ、どれも弱った私に「自分はいじめられて、何処に行っても今後ずっとそう、であって当然です」と心から思わせ今の私を見て人は「気が強そう」「よく話す」だの言う。「いじめられるだなんて信じられない」と。本当にこの世はよくできていますよ。誰にも地獄と天国があるんですか。誰が用意してるのか?ふざけんなよ。
 私は運命なんて許さない。あの頃のいじめられた時代も私の中では一生癒えないだろう。そしてちちのことも。どんな人にも弱さがあってそこを試されることがあるのかもしれない。それでもこんなやり方で試すなんて許せない。私はあの時代も何も私には助けもなかった時代も、このこともそれにまつわる余計な口出しして私の心根をまっすぐに考えられなくしたおせっかいの先生気取りのあんたらも許さない。それからあの子供たちの目もやっぱりもうもういやです。こんなことかいてたら回復は遠いでしょうか?でも不思議ですね。自分の心を素直に感じるようになったら人はいじめなくなりました。それどころか私のこと怖がったり、目をそらしたりするんですよ。不思議ですね。私は堂々としているらしいですよ。ぷって笑っちゃう。今になって私を好きになってくれるおじさんとかいるんだもの。あの頃待ってたのにな。私にきちんと敬意を示してくれる人を。
<343> ぺあ(FB注意) ■2007年07月15日 日曜日 19時21分39秒
続き 出せたらよかったとその後高校、大学に進むたびにそう思った。私の最後まで頑張って意地を張ってしまう所や、どうしても外に向かっていけるタイプではないことに大して自分をとてもとても「汚い人間だ」と思っていた。私は「下の存在」だ、だからいじめられたのだと思っては、「勇気のある」子になりたくて、大学時代は今までの分を取り返すために、よく泣いた。怒ったりも本当はかなり意識的にした。良かったことは特にない。泣いたことで色んな人に「心配な人」と思われ、「世話焼き」そうな人に支配されそうになったりもしたと思う。あなたと一緒にいると辛いと言われ離れた人もいる。また思い切って言っちゃえという発言を学校中にしたことで取り返しつかないことになったこともあり、担当教官に意識がぶっ飛ぶくらいの怒鳴りを子供の前と職員室の先生の前でされました。糸切れたな。そのときに。糸切れたんだ。頑張ったのに、頑張ってきたのにって思った。頑張ってきたのに、誰も分かってくれない。反面今までの頑張りを分かられるのは私の大事な部分を多くの人の目にさらされるという事でそれは私には今は辛いことだった。研究でも同じようだった。同じように過去の心の傷を癒したい、ただそれだけのための研究をした。それでも半分意識飛びながら必死で書いた。何にも心の傷は癒えない、どこにもたどり着けない、それが悲しくて私は最後のチャンスと思い、研究発表の場でもやっぱり泣いた。泣けば、この傷は人への開示となり、それだけでも「勇気ある人」になれるし、すぐに癒えると思ったの。皆からすごい目で見られたようだ。実習の子供の私への目もすごかったな。「精神的に狂っている人」という目で見るのね。傷えぐられた、本当に。そして私は、家族へも最後に反抗してみて、自分の殻をぶち壊そうとした。でも何も変わらなかった。そしたら電車の中でもうここで病気になったら誰か分かってくれるかな・・・なっちゃえってパニックっぽく自分をした。そしたら何かどんな人も私をおかしくなった人のような目で見ている気がして、帰らないと行けない用事なのに実家に帰らなかった。実習先の子供には死んでも会いたくなかったしね。先生にも。私ばかだね、自分でまいた種←自分は権威持っているから姉が私にしたことは私は怒るべきことなのか、私が学校でやられたことは私は怒ってもよかったことなのか、確かめるために過去に姉にされた「一番好きなもの、その人が大切だと思うことを分からない程度に馬鹿にする、哂う」こと、「訳の分からないことを言って」それでも「このくらい分かれ」と強要することを私は仕返しをしてしまったのだ。また大人に上手く取り入れられると子供時代子供に言われ思われていた「汚い」私は先生と「うまく行かなければ過去のいじめっ子喜ぶかな、私より下が欲しい姉とかが喜ぶかな、母や姉がよく馬鹿にした私の相手に阿るような気の小ささ、せこさを担当の先生と仕事上私も主張して張り合えば「強い一目置かれる人」になって見返せるかな、過去の同級生を見返せるかなって思って、クラスめちゃめちゃにしたりもしたと思う。でも救世主役もやったと思う。本当にいやな思い出と大嫌いになってしまってね。私は過去の傷を癒したい、自分には何が起こったのか分かりたい、ただそれだけの大学時代だった気がする。そしてもう終わった。終わって思うのは私合ってたんだということだったんだ。私の感情はそのプロセスで持たざるを得ないものだったんだと思った。
<342> ぺあ ■2007年07月15日 日曜日 18時55分15秒
ずっとずっといつからか・・・小学生時代に頑張りまくって、中学生から自傷をはじめて・・・そうね高校時代からずっとずっとこのレールから降りる日を夢見てた。ただ一言、休みたい!とにかく休みたかった。休みたかった!!!ただ押し入れ、誰も来ない場所で、暗くて、緑だけのある場所で私はただひっそりと座って泣いて毎日過ごしたいと思っていた。ただ一言、閉じこもりたかったんだ!!それでも親の思いを汲んで、近所の人、学校の同級生、先生、中学校時代、小学校時代の同級生、特に友人、から「正常」な子と映るようにするために、「仮面」をつけて苦しい窒息しそうな本来の自己を隠しながら生きてきました。半分の自分は自分を支え、導くように。やっとのこさで生きてきた。それでも身体に出るんだね。小学校時代は歯磨きやトイレにずっとしがみついて、何度も何度も磨き続けたし、何度も何度もまだ足りないとトイレに入り続けた。それからお風呂の中で私は息がうまくできなくなったことがあった。熱いのもあるけどもはあはあ息が苦しいの。小5の夏休みだね。あの頃、A.Nさんのいじめが1学期ピークだったんだけども、あの夏休み、私はあることがあまりに心配で、毎日ため息しか出なくなった。そしてそのため息が今度は呼吸がうまくできなくなる過呼吸みたいになったんだ。それなのに、親に一つうそつくと次から次へとうそを塗り重ねて、少しでも私の具合の悪さに触れようものなら私は張り詰めていたぱんぱんの風船のようだったから、後から後からいじめられたこと、ずっと辛かったことだけが涙とともに叫びと伴に出てきそうだった。私は出せなかったんだ。本当に辛いことって出せないね。出せない。少なくとも私には出せると思える場所はなかったんだよ。どこにも誰にも。鍵の付いた日記だけに書けた。
<341> 人生の節目だから ■2007年07月10日 火曜日 14時25分54秒
小学校で家に違和感を覚えた。
中学校で心に蓋をした。
高校で自分の心を殺そうと躍起になった。
大学で心が死んだ。何も感じなくなった。心と体と頭がバラバラになった。思い通りに動かなくなった。
働きだして1年目の春、どうして人はあんな笑顔ができるのかが不思議だった。
働きだして1年目の冬、バラバラだった心と体が少しだけ一致しだした。感情が自分の中で動きたがってるのを感じた。
働きだして2年目の春、初めて彼女ができた。言葉がうまくしゃべれなかった。口が思い通りに動かない時があった。
働きだして2年目の秋、彼女に結婚したいと言った。彼女の中に溶けて一緒になりたかった。
3年目の4月、仕事を辞めた。やりたい仕事の試験に向けた勉強を本格的にはじめた。眠っていた頭が動くようになった。
3年目の5月、彼女に振られた。自我が崩壊するかと思った。胸に穴が開いた。それが見えた気がした。彼女にどれだけ依存していたかに気づいた。
3年目の6月の前半、つらくてつらくて死にそうだった。何かを背負った顔をしてると言われた。
3年目の6月の後半、自分の気持ちを人に話すことに抵抗がなくなった。少し性格が悪くなって失敗もした。自分にはこんな面もあったんだと発見してうれしかった。
3年目の7月の前半、自分は変わりたいから変わるし、受かりたいから自分は受かるんだと強く思えるようになった。
3年目の7月10日、力がほしいと思う。独りで自分に言い聞かすようにこの言葉が出る。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.