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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.16
メッセージ数:311件

<311> アーネスト ■2007年01月11日 木曜日 21時45分24秒
ずっと自分の正しさに固執して生きてきたような気がする。
前から気づいてはきたけど、ここになってふっと腑に落ちるような感覚がある。MTGにつながってからも、ずっと正しさに固執してきた。

学生時代の生き方もそうだった。部活をやって勉強に励む、それが正しい生き方だ、と。いやもっと言うなら部活はまじめにやることが正しいと感じていた。でも、誰が正しいと決めたのだろうか?それは万人にとって正しいことなのだろうか?

教員として、の正しさ。時間は守るべきで、勉強はすべきもので、人には優しくすべきものだ。自分がそう「したい」かではなく、あるいは、仮にそうすることが正しいことであると思えても、する余裕がない、したくない、する元気がない、それが今の自分の状態であり、学生時代のころの、挫折だった。

こんなにも相手のことを(内心では)思っているのに、こんなにも鑑になるような、模範になるような人間でいるのにどうしてそれを(見て、学び、汲み取り)わかってくれないのか?

こうやって書いていてもそれが高慢なことは感じる。でもそれが今の自分の姿だ。回復にしてもそうだ。社会復帰すればMTGのなかでは「先行く人」であり、「先いく仲間」だと、それが回復の正しい姿だと思っていた。

知らぬうちに働いていない仲間のことを排除していた。
僕らは、排除するためではなく、お互いがお互いを必要とする仲間なのに・・・いや、そう考える自分ですら偽善的で怪しい

ただ僕は本当にきつかった。この5年間。

社会に戻っていくにはまだ時間がかかりそうだ
<310> ぷらす ■2007年01月08日 月曜日 23時52分12秒
私は思う。

この世界は私にとってとても生き難いところ。
そして、私は私が好きじゃないし、人も嫌い。
誰にも傷つけられたくないから、一人でいたいと思うけど
望んでおきながら、孤独に耐えられなくなる。

私を今まで支配し続けた親。
去年、自分がACであることを理解した。
怖くて一度も逆らえなかった親と関わる事を止めた。

自分がACであると理解したし、十分に怒り、悲しんだ。
そして、決別したのに・・・
なぜ?私は自分で自分を苦しめるのか。

今年は私を私が好きになれるように頑張ろうと思う。
良い母親になりたい。心から。
<309> ayako ■2007年01月08日 月曜日 21時22分38秒
今日は成人式。私は自分自身を振り返ってみようと思った。最初に勤務した新宿に行き当時よく行った場所を巡り思い付いた事をメモした。あまり思いでらしき事は無かった…オバサンにいびられて仕事やめさせられたとか。街は変わって行く。住んでいた高円寺は今や古着屋がひしめいていて、下北沢みたいになってる。まだ寮はあるのかな…?その当時の知り合いとはもう付き合いはなく、一緒に語る人は居ない。あの頃の自分が思い出せず悲しくなった。自分は何処に居て何をしていたのだろう?記憶が鮮明に無い。買い物ばかりしてた。痩せたから洋服ばかり買ってた。安いから数もそれなりに増えてた…ミニにピッタリとした上着ばかり着てた。サイズが無いから無理矢理着ていたのもあるけど、私は誰かに見られたかったんだと思う。性的に自信が無かったからアピールしてた。不倫してた時は相手にもっと性的魅力をアピールしたくて胸元が見える服着たりしてた。でも自信は出なかった。長い間所在の判らない本当の自分は何処に居るのか見付けられない。本当の自分ってなんなんだろう?何処に居るんだろう?いつ見付けられるんだろう?離婚して二年になるけど見付けられない。付き合いを含め七年居たあの男。意味はあったのだろうか…七年あったら何が出来ただろう!そう考えると悔しくなる。 これからが私の本当の人生なのだけれど、今までの事が整理出来て無い。少しづつ整理して行きたいと思う。
<308> ! ■2007年01月05日 金曜日 22時53分18秒
313は違った。ほんとに自分の心の空白に嫌気が差した。313は単に切羽つまって出た無味乾燥の言葉で感情がない。まだ、どこかでなんとか&#32363;ごうとしているだけで肝心の「心」がなかった。すいません。そのあと寝床に帰ってから、昔ある人から聞いた話を思い出した。その人の「父」についてのことで「自分史」という話。ここからが、「心の底からの感謝」に繋がった。いったい自分は今まで言葉では「感謝」を述べていたが「心の底から」ではなく「言葉だけ」だったのかもしれない。
 
 横になりながら、「自分史」を考えてたときやっぱり最初は「呪われた忌まわしき家庭」を嘆いていた。そのとき人生で辛かった時のことばかりうかんできたときに、ふと、それを助けてくれてた人間のことが頭に思い浮かんだ。Nの事だった。
 そのころ、家庭では父親が家に帰ってきては意味不明の理由で怒り狂い暴れて暴力を振るい家の中は針のむしろ。息苦しくて心臓は握りつぶされそうで頭はガンガンに痛くなり体は気だるさと痺れを感じていながら、無理やり「意思のチカラ」で強引に頑張るという具合だった。(もちろんそこに認知してないものがあった)
 学校行くのが苦痛で苦痛で仕方なかったがドロップアウトできないという強迫観念で突き進むが、自宅を出れば、何か「依存先」を求めて彷徨う感じ。そのとき助けてくれてたのがNで、もちろん今まで何度もそれを感じていたし感謝しているつもりだったのだが、なぜだか今になって急に「感謝」という感情が溢れてきて涙がじんわり出てきて止まらなかった。そして、心の底から「ありがとう」って感じがした。何故だろうかわからない、、、自分のこの状況に苦しさを感じたから頼りたくなったのか? いや、違う。寂しさから感傷に浸りたくなったのか?いや、違う。AC的な「人から善いやつと思われたい願望」からでもなくて、、、

 昔、wさんから「こいつには感謝って感情があるのかなぁ?」って言われた事、それと、「回復に大事なのは感謝という感情」といわれた事を思い出した

 今までの自分は「ありがとうございます」と口ではそう言ってきたが、感情が欠けたものだったのだと思う。単に社交辞令的で人から善いやつと思われたいからだったのか、、、

 「物」をもらったときの感謝もそうだ。(もちろん嬉しいことは嬉しいのだが・・・)。こういうときは「損得勘定的感謝」で「心からの」ではなかったのだ。もちろんありがたいことはたしかなのだが・・・

 今日、横になっていろいろ考えたとき生まれて初めて「心からの感謝」をしたのかもしれない。もちろん、それがまったくの「空白」だったことで紆余曲折したし今後も葛藤すると思うが、、、

 Nには心からありがとう。しかも、自分は心のそこでPGをしていながら、、、この感情を忘れたくない。感傷に浸っての涙でもなく、苦しさやつらさ、痛みからでもなく、、、大切な感情だ。

 これが、自分の「回復へ向かおうと思うきっかけ」となった。本当に心がまったく「無」になっていたんだとおもう。今日の事は生涯忘れないと思う。劇的な心の感覚だった(時間とともに忘れそうで怖い)

 他の人々や物事にはまだ、Nのような劇的な感覚がまだない。今後はそれを探す事を目標のひとつとしたい。でもすごくむずかしいだろうなぁと思う。

 そして、最後に疑問に思うのは「ありがとう」という「感謝」の感情を(それ以外の感情もなのだが・・・)なくしていってた自分自身の恐ろしさ。自分がもともとそういう人間だったのか・・・機能不全家庭の恐ろしさか・・・実際家庭環境の中で感謝という感情が心から出た事はなかったんだろう。
<307> 無 ■2007年01月05日 金曜日 10時22分17秒
よく自分の状況が分かった。すいませんでした。それと、ありがとう。
<306> アーネスト ■2007年01月04日 木曜日 20時26分33秒
苦しい苦しい3ヶ月だった。
今まで生きてて2番目くらいに苦しかった。欝に打ちのめされてたときと同じくらい。いや、実際欝になりかけた。あぶなかった。
<305> みゅー ■2007年01月02日 火曜日 15時03分23秒
2007年になった。でも、もうこの歳になると「クリスマス」とか「年末年始」とかって私には、もう全然関係ないな。だって去年の28日は今年最後の病院。病院の風景は、いつもと全然変わらない。総合受付も医師、看護婦さん、看護士さん、ケアワーカー、売店、喫茶店、食堂、病院の廊下も。何より私を含めた「患者」っていうのは、やっぱりいつもと同じ。

私にとってはハードスケジュールでも29日はバイトの面接だった。主治医の先生は「えっ!年末なのにバイトの面接?!」って驚いてたけど、バイトの類を言ったら「そういう所は関係ないからね〜」って納得してた。
先生。私、バイト受かったよ。1月入って何日かしたら、さっそく研修開始です。これが私の「人生の「第一の」節目」になった。うまくいけばバイトやりながら正社員として働くための就職活動もできる。また1コ歳とるし。もう職種も勤務地も選んでられない。
でも、これから始めるバイトが、まず「第一ステップ」になるんだ。「家」は、もういや。それに、なにより「死活問題」だし。
<304> ayako ■2007年01月01日 月曜日 09時24分04秒
今日は元旦。新しい年の始まりだ。昨日悪縁は切ろうと思いDさんのアドレス拒否にした。何かキッカケが無いとまたメールしてしまう自分を良く知ってるから。今年は占いによると私は良い年になるらしい。もう変な男?には引っ掛からないと心に誓った。何で良く知らない男と寝たんだろう…少し後悔した。学ぶ事はあったけど…
<303> アーネスト ■2006年12月27日 水曜日 21時00分50秒
2×××年、僕はうつ病になった。
どうにもならんかった。どんなに自分を奮い立たせても、反対にどんなに力を抜こうとしても、幸せにはなれなかった。生きれなかった。生活がどうにもならなくなっていた。

ACという言葉を知った。回復することを知った。

最初のうちは、確信がもてなかった。本当に、そんなほうに進んでいいのか。でも、もうそれ以外に方法がなかった。どう生きるかわからなかったから、選んだ。

何回も、痛い目を見て、怖い目にあって、怒って、泣いて、ここまで歩いてきた。いや、歩かせてもらってきた。何回も、ゆりもどしにしながら、文字通り、2歩進んでは3歩もどって、ここまで来た。

回復の途上で、『これは回復なのか、それとも昔の生き方なのか?』と何度も何度も何度も疑念を抱いた。

多分、これからも、ずっとこういう感じなんだろうか・・・でも、少しずつ『これでよかった』って思えるようになってきている
<302> アル ■2006年12月23日 土曜日 23時45分23秒
今日、転職計画を大急ぎで立ててしまった。

以前から働きたいところがあり、自宅からでは間に合わないためあきらめていたら現在も募集しており、求人広告をもう一度よく見たら、私の見間違いでした。

これは大きな節目になるかなと思う。

立て終わった後ひさびさに気分が明るくなった。「逃げ」かもしれないけど、いいんだ。これにかけるぞ!
<301> 真名 ■2006年12月09日 土曜日 15時15分07秒
去年の秋、自殺未遂して入院して、退院した時が一つの節目。
『なんにもない』と感じていた虚しさが、今は喜びに変わっている。
生きていて楽しいと感じる。

失うものもあれば、得るものもある。

今はそう感じている。

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This script written by Shintaro Wakayama.