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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.15
メッセージ数:288件

<288> アーネスト ■2006年11月23日 木曜日 21時26分50秒
去年の今頃、僕はバイトをしてた。作業系のバイトだ。そのときに感じたことや車のラジオが懐かしい。今、ずいぶん違う場所にいる。まず圧倒的に多くの人と接するようになってきた。そういう場所に今、いるってことが不思議だね。去年、その仕事をして、講座を受けて、試験を受けて、またバイトして、仕事を探しに行ったり・・・本当に、一日単位で振り返ると、そんなに濃い時間を送ってないような気がするんだけど、集合としての1年をふりかえって見ると、今とはぜんぜん違う場所にいることに自分でも驚く。本当に自分の力だけじゃないって思う。そう思いたい。

<287> アーネスト ■2006年11月13日 月曜日 01時27分55秒
勢いに任せて・・・

僕は捨てた。卒業して仕事に就くために、好きだったスポーツと欲しかった結果をあきらめた。無意識だったけど、僕はスポーツをあきらめる、という選択をして、仕事を選んだ。もちろんスポーツで食ってくわけじゃなかったから、そういう選択をしたんだ。それでも、僕にとってはこの上なく痛い選択だったんだ。母を失い、友達を失い、健康を失い、時間を失った。

でもギターと、小説と、書く喜びと音楽を得た。相殺。プラマイゼロ。
でも感情は納得しない。

両立できることこそが、すばらしくて、それ以外はくずだって思った。でも人間(と一般論に始終したくないが)一番欲しいものは、その時々で変わる。そして、一番欲しいものを得るためには、何か捨てたり、削ったりすることが必要なはずなんだ。納得できないが。200%なんて無理。僕には。

だから今思うんだ。今の僕なら、思春期のころ、ギターや音楽や小説に目覚めて、すごい楽しい生活を送ったんだろうなって。そういう妄想は結構楽しい。

でも僕は、スポーツを選んだ。でもいい、それで。選んできたものすべてに意味があるって思いたい。今の自分 −それは、間違いなく泣いたり笑ったり、感謝できる、やや退屈だが、平安な日々をおくる僕は、人生史上、もっとも幸せって言える。だから、いろいろなでこぼこや、トンネルをぬけて、今ここにいる。意図しなかったが、今、ここにいる。

望ましいプロセスを経ても、まったく予期しない場所に着いたり、自分では意図していないのに、なぜか落ち着いている場所にいたり・・・不思議だ。人生って。

わかりたいことが多すぎるんだ。分析したいだけなんだ。
<286> アル ■2006年10月30日 月曜日 10時40分13秒
人生の展望が持てない。現状維持ができればいい、としか思えない。
このまま行けば独居老人、人生細々とやっていくことしか考え付かない。
定年とかで暇が出来たらモルジブに行って潜るのが唯一夢だけど、できるのだろうかと不安だ。

他の人はもっと建設的な明るい将来を考えているのだろうか?
<285> きりん ■2006年10月08日 日曜日 02時53分20秒
人生の節目かぁ・・・・。
あと一日仕事に行ったら完璧 退職。。。
う〜ん。。。決着できないのは O氏の事。。。
ココロの中で決別できないで苦しんでる。。。勿論好きになっちゃいけない立場なんだ。
O氏の気持ちが知りたい。
知ったところで 苦しむ事に間違いは無いのだけど。。。
今までのように メールだけで良い。それだけで救われるから。。。
でも時間が過ぎれば きっとそれ以上に逢いたくなるだろうし。解かってる!!今 決別しなくちゃならないって事。。。お互いが、家族が苦しむ事知ってるから。
だけど ココロは素直なんだ。。。どんなに気持ちを固めても。
一日にどれくらい考えてるだろう。。。
苦しいけど 忘れるしかない。。。
好きになるほど 苦しむんだから これは今が 引き時。。。理性の部分じゃちゃんとわかってる。
寂しいけど しっかり自分の足元見ていかなきゃね。
たぶん 死ぬときにホントに出会えてよかったわぁなんて 思い出すんだろうなぁ。。。ありがとうって 伝えたい。この出会いは勇気に替える事が出来るから いつまでも大切に心の中にしまっておく事にする。ありがとう。。。
この場を借りて今が節目。。。新しい一歩も始まってる。。。幸せになろうね。。。
<284> rody ■2006年08月18日 金曜日 13時44分15秒
今、泣いている私を抱きしめてくれる人がいる。
涙と鼻水にまみれた顔の私を見て笑って、「大好きだよ」と言ってくれる。
これ以上何を望むんだろう、私。こんな幸せが、あの苦しい子供時代にあると
知っていたら、私はもっと安心出来たかな。
けど、私が頑張ったから、彼に出会えた。休職してそのまま退職してたら、
彼には会えなかった。頑張って復職した自分を褒めよう。そして、その間
支えてくれていた家族。。傷つけられたけれど、支えられてもいた。

今は苦しい家族との関わり。正直関わりたくない。
距離があることが幸せ。妹の顔も、見たくない・・・。禍根になるんだろうか。
たとえそうでも、今は私もあの子を受け入れる余裕が無い。
しばらく、家族のことは親に任せていれば良いんだ。彼らが彼女の親だ。

バカな親はバカな親。頑張っていろいろ考えて欲しい。
そう思ってしまうだけ、私はまだ少し期待しているんだろうな・・・。
関わるってものすごくエネルギーのいることだから・・・。

私は、これからの結婚生活をちゃんと送れる準備をしよう。
<283> もこ ■2006年08月02日 水曜日 14時09分33秒
両親の呪縛から逃れられなかった。大学卒業後も就職をせず、別の学校へ行った。自分から実家にいなければ生活できない状況を作ったのだと思う。
私のやりたい仕事はお金にまったくならないこと。それをやることを両親は賛成している。家にいればいいと。自立しなくていいと。
確かにその仕事はやりたいけど、これじゃまた親の呪縛にかかってしまう、と気がついた。自分のやりたい仕事は、親から自立してからでもできるじゃないか。何より、自分自身が不安定なのに人を癒す仕事はできないだろう。自分を愛して、自分の自信を取り戻す。そのためには、親から離れなきゃ。離れる為には就職しなきゃ。もう少し早く気付ければ。。。いや、今からでも遅くないはずだ。
<282> U ■2006年07月26日 水曜日 01時23分35秒
ACの自覚を持って以来、自分が抱えてきた絶望の種は幼少期にあるものだと、信じて疑わなかった。
けど、そうじゃない。

自分自身が感覚や感情をあきらめる原因となった絶望的な時間の連続は中高時代にあったんだと、いま気が付いた。

絶望下のコントロールしか知らない自我を誰かに知られるのが怖くて、
それを手放したら自分をコントロールする術を他に知らなくて、
いままでずっと否認し続けてきたんだ。

12歳までは絶望の準備期間。
それから後は、それまでに刷り込まれたものの実証期間。

そんな2層構造の自分を、いまはっきりと認識できた。

真っ暗闇の思春期と向き合っていこう。
<281> ayako ■2006年07月23日 日曜日 17時10分56秒
来年の海外旅行の予定に向けて語学を勉強中の私。最初はパックツアーで行くのだから言葉しらなくてもいいのかも知れないけど…私には長い間ファンの明星が居る。この人が現れたら結婚すると思う位カッコイイ。ファンになってから中国や香港の事をよく知る様になった。仕事で中国に行く事になったら喜んで行きたい。中国には発展中のパワーがある。日本にはないもの。それを感じたい!香港は日本でいう大阪みたいな物。パワフルでディープな国。前に留学したいと思ったけど今は仕事で行けたらなと思ってる。行けるなら日本食のウエィトレスもやる。外国に住むのは不便だし、差別もあるだろうけど平気。日本人が集まる場所だってあるはずだから。就職みたいな事言ってないで日本から飛び出してみようかな。意外と馴染むかも知れない。

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This script written by Shintaro Wakayama.