今日はこれでお終い。というか、今年最後の書き込みになるかもしれないので簡単に05年の反省と06の展望を。
まず私の05年。総じて「ACらしく」大きな波風の1年だった。 @昨年末のスポーツ上の暴行「され」事件も、相手のSが「人を殴る蹴るしておいて全く罪悪感がない」という非常識なため、半年間すったもんだした挙句私が自分の心的成長と安定のため大幅譲歩して、「慰謝料なしの」医者に掛かった実費だけでSと和解した。金に煩い私が「大した怪我でもなかったし、今年は国際B級昇格懸っているのでそんな煩わしい事に構っている暇はない。結果出してSを見返してやる」と憎しみを練習にぶつけ、結果私は心的成長と技術的成長を遂げ無事昇格した(「災い転じて福となす」だが、当初の「シーズン中に最低でも優勝3回してチャンピオン」の目標にはかすりもせず、表彰台も1回だけという真に手堅い「しょっぱい」昇格だ)。まっ何はともあれ1年(まだあるが)大きな怪我なく通せたってのが何よりだ。
AGW初めに肺炎になって2週間入院し、それを機に私は職場を変え(決まるまで鬱状態が2,3ヶ月続いたが、仕事が再開したら生活のリズムが戻り、自然と鬱消沈)、前より(仕事内容でも人間関係でも)良い環境に移れた。これも結果ラッキーで、入院中も不思議と私は焦りも凹みもなく、やっぱインナーチャイルドのおかげ?
B今年もありました機能不全家族好例の家庭内事件と対人トラブル及び疑惑 a親の「子供の感情を無視する」言動に私はキレて、台所の壁を数箇所凹ませた(怪我人なし) b父親鉈(なた)振りかざし(怪我人なし) c母親包丁振りかざし(ビンタ1発だけで怪我人なし) d酔っ払い運転のおっさんを軽くしばく(ごめんなさい) e車両窃盗疑惑(持ち主の誤認)で事情聴取&すぐ和解 f忘れるところだった(昨年中にケリ着けといたのかもしれないが)、過去幾多の自助グループに来ては依存相手を無意識に見つけ絡めとり、結果グループ潰しの経歴を持ち、兼「レイパー」で境界性人格障害のSと私の一連のバトルも、奴が北関東に以後姿を見せなくなったことで一段落。私が取った腕力的手法が良かったとは思わないが、今でもそれ以外の方法は私には見つからない。先日某自助グループのチェアマンAさんに私がその話をしたら、(私があれほど「Sは危ないよ」とお節介にも忠告しておいた)「別グループのチェアマンBさんが(Aさんは詳しくは聞かなかったけど、たぶんSから)危険な目にあった」という話を聞いた。それを聞いた私の第一感想は「それ見たことか。『12ステップをしっかりやってるから私のグループではそうした危険なことは起こらない』と(無信仰・無宗教の私からするとBさんは宗教がかりで現実逃避?)当時私に食って掛かったのだが、このざまだ。ざまぁねえよ」だ。皆さんも自助グループに参加される時は十分注意しましょうね。世の中聖書だけ読んでれば犯罪が無くなるってわけじゃないんだから。 とにかく、自分と向き合う術を知らない人、耳を傾けない人に対して私は何も言うことはありません「だめだこりゃ」
C私は複数の自助グループを勤務シフトの許す限り出ているが、ある所で私と同じような情緒障害の人の話を聴いて、自分で引き出したくても引き出せなかった(未だに否認システムが強く働く)寂しさを「ぐわん」と引き出してもらえた。ある意味、それだけ自分が自分と向き合いながら他人の痛みに共感なり共振できるようになった証拠で、今年1年私はホントよく泣いた。子供のようによく泣いた。出席3回につき1回は泣いていただろう。因みに私が参加している自助グループで、そうした内面奥から押し寄せる感情に耐え切れず女性が泣くのは時々あるが、男性が泣くのを私はたぶん1回も見たことはない(「男は泣くもんじゃない」ってのに支配されているから他の男性は泣けないのか?)。もはや子供の時の感情が戻りつつある私にとって同じACの前で泣くのに何の躊躇いはなく、今では泣かないと何かすっきりとしない感じで、話すとき聴くときは基本的にインナーチャイルドの感情を私は大事にして、できるだけ自然のまま放出するよう心掛けている。またそうした所には少なからず痛みを伴うのが辛いところだが、安定⇒回復に向けて避けて通れぬ感情なのでしょうがない。ましてや自分のインナーチャイルドはもっと辛い経験をしてきたのだから、新たな養育者である私が傷付いた彼の感情を放って置くわけにはいかない。日々その繰り返しだ。
D自分がACと気付いて底付きしてカウンセラーや自助グループに通って3年、そうした安心して話せる以外の場所で、やっと私は高校からの友人に「自分が情緒障害のACで家族皆がおかしいこと」を話し、そして「ありのまま」否定もされず友人に受け入れてもらった。話し終えて私は内心ほっとしたし、ありがたかった。 これは手堅い私にとってかなり博打的な賭けで、話し終えるまでホント不安で一杯だったが、言語外に伝わってくる「そんな(辛い経験をした)あなたでも私は認めますよ。そこに居ていいんですよ」 そうしたメッセージなり雰囲気を自ら体感でき、自分の意識でもはっきりと分かる程の「非常に大きなプラスのストローク」だった(翻って言えば我が家はマイナスのストロークばかりだったということ)。ほんと友人には感謝である。 当たり前のことだが、情緒障害の私は感情面で再経験しないと分からない。カウンセリングの時もそうだが、ありのまま受け入れてもらって初めてそれがどういうことなのか?(理屈抜きで)わかり、その重要性(承認・肯定)がわかるからこそ、自分がそうして欲しいからこそ他人に対しても注意を向けられるようになるわけだ(実際に私ができているかどうかはまた別問題で、こればかりはより健全な経験値を積むしかない)。
時間がないので私の06の目標というか展望を。 @「寂しさの台風に飲み込まれてもできるだけ心の安定を保てるよう、リカバリーできるよう」引き続き勤務シフトの許す限り、私はカウンセリングと自助グループ、そしてコーチング(できれば資格を取りたいのだが)を続けていく。そんな自分を紐解くキーワードは「会話」「感情」「寂しさ」だ。
Aモトクロスにおいてこれ(国際B級)より先はプロ(同A級)しかなく、年齢的にも私は現状維持がいいところだ。野球で言うところの社会人レベルなので「それなりに(恥ずかしくない)形になった」という点で私は満足だし、後は引き続き知り合いも増やし、大怪我せぬよう細かい技術の習得に努めようと思う。今さら若い子と一緒に「行け行け」のスピード追求は私にはリスクが高過ぎるだけだ。
B仕事。派遣の身でボーナスないのは経済的に非常に痛いし、肩書きも寂しいものだが、私的に現状の仕事内容及び人間関係に今のところ特別大きな(ストレス溜まるような)不満はない。強いてあげれば単純作業なので面白みもやりがいもないが、そこはカウンセリングや自助グループを優先させるため私はロボットになるしかない。それに手だけ動かしてノルマさえこなしていれば上から文句も言われないので、頭の中は自分と向き合おうとスケベな妄想しようと自由だ。
C家族。何とも言えないね。変えられるのは自分だけだから。
Dそうだね、もっと本読んで自分の感覚・感情を刺激しないとね。インナーチャイルドと会話するにはもっと多くの引き出しが必要だ。
まっざっと今私が思いつくのはそんなところですかねぇ。 そうそう、プロレス好きの私は橋本真也のファンで会場にも何回か足を運んだのだが、昨年亡くなったのは非常に残念だった。この場をお借りして、改めて故人のご冥福をお祈り申し上げます。
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